2011年05月24日

『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史

『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史

ハマチは、平成7年に、香川県の県魚に指定された、馴染み深い魚ですので、讃岐の郷土料理として取り上げました。



刺身はもちろん、照り焼き、あら炊き、塩焼きなど、あらゆるハマチ料理の楽しめる専門店が、高松市木太町の「活魚・小松」です。



日本で初めて、ハマチの養殖を成功させたのが、昭和3年香川県引田町の野網和三郎氏で、以来、香川県では、「育てる漁業」とする養殖業が漁業生産高の7割を占めています。



ハマチの旬は、冬です。



ご高承のように、ハマチ、は、大きさによって呼び方が変わる出世魚で、ハマチは、高松では、ヤズ → ハマチ → ブリ と、大きくなるにつれて、呼び方が変わります。



従って、冬の魚の定番の、ブリ、は、全て、ハマチ、が大きくなったものですので、ブランド名を明確にした方が価値が上がるということで、ハマチの養殖の発祥地の、香川県引田町の漁協が、「引田のブリ」と命名して全国に出荷しています。



香川県漁連の方にお聞きしたところでは、ハマチ、に関しては、天然物よりも養殖の方が、与える餌のお陰で、絶対に美味しいのだそうですが、実際、刺身でいただくと、引田の養殖ハマチは、のっている油の香りが天然物よりも素晴らしいので、すぐにわかります。



私の知っている限りでは、「活魚・小松」でいただく、ハマチの刺身が、最高です。



「活魚・小松」の経営者は、引田町の網元ですので、とても安く新鮮なお魚をいただけます。



この、ハマチにマグロ、イカ、の加わった刺身盛り合わせ、瀬戸内海の車海老と高松市塩江町の竹の子の加わった天麩羅の盛り合わせ、鳴門ワカメの赤だし味噌汁、茶碗蒸し、讃岐名物の甘みの強い金時人参などの煮物の小鉢、サラダ、ご飯、デザートの高知南国のメロン、の乗った、「小松定食」は、ご飯はおかわり自由で、1050円、という値段で、年中無休でしたので、隣にあった、ガストは、移転してしまいました。



さらに、「活魚・小松」は、手打ちしているうどんも美味しいのですけど、「小松定食」に、アジの活け造り、ざるうどん2玉の加わった、「讃岐定食」という、絶対に食べきれない恐ろしい定食が2200円なのです。


『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史



私は一度だけ、「讃岐定食」を頼みましたが、絶対に食べきれない量でしたので、天麩羅は、折りに入れてもらって持ち帰りました。



刺身、活け造り、ざるうどん、は、出来たばかりが絶対に美味しいので、持ち帰れない、赤だし、茶碗蒸しと共に、一生懸命食べました。以来、「讃岐定食」は、絶対にオーダーしないのです(笑)。



が、こういう時の、ざるうどん、の位置づけが、刺身、活け造り並になるのが、讃岐人だと思います。



先般、神戸の友人のジャック君が、ご両親と一緒に高松にいらっしゃった時に、「活魚・小松」にご案内しましたが、お父様は、値段の安さに呆れて、「高松の地場の割烹は、関西の半額だねえ。」と、驚いていました。



が、私などは、東京に20年以上住んでいましたので、割烹の食事代は、高松は東京の五分の一だと感じていますし、大阪は、随分食べ物は安いと思っています。





『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史



まあ、でも、味覚は人それぞれですので、赤坂の高級割烹の、1万円以上のハマチの刺身の方が、高松のハマチの刺身、よりも美味しいと言いはる、六本木ヒルズ族の皆様方は、お亡くなりになるまで、香川県には、うどんしかない、と、勘違いしておられたらよいと感じています(笑)。だって、讃岐うどんは、年老いて総入れ歯になって、何も噛めなくなっても、OK、ですからね(笑)。



お酒のあてに最高の、「なまこ酢」が、「活魚・小松」では、冬場、300円くらいなのですけど、このようなものは、噛みしめないと美味しくない食べ物ですから、私も、ヨボヨボのおじいちゃんになる前に楽しんでおきたいと思っております(笑)。


『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史



そういえば、かつて、ホリエモンがブログで、赤坂の高級割烹で、「ハギの肝」ばっかり食べてお腹一杯になって、3万円の食事をした、と、自慢していましたけど、若いのに、本当に、味覚が摩滅しているな、と私は、確信しました。



「ハギの肝」は、「アンコウの肝」と違って、単品では美味しくないと感じるのが正しい味覚です。「ハギの肝」は、「ハギの身」との対称性を楽しむ食べ物なのですから、飲食物の価値を全て貨幣価値で判断していると、このような悲惨な状況に陥るのでしょうね。



『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史



まあ、私は、お話しする話題が、非文学的な、楽天の三木谷よりはホリエモンの方が、人間的に面白いので取り上げているのです。



だって、ホリエモンは、かつて、ライブドア全盛期の頃、サインを求められたとき、『諸行無常』と書いていたそうですから、少なくとも「平家物語」は理解していましたので、面白い若者だと感じていました。が、その後の、彼の転落の人生を予兆するような言葉でしたね。



その後も、時々、日本の阿呆民放局が視聴率を上げるための番組に出て利用されていることも、全て、『諸行無常』なのです。つまり、人間は、1万年も生きることは出来ないのです。



平家物語の冒頭の、「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり」 は、「祇園精舎(インドのお釈迦さまのお寺)の鐘の音は、『永久不変なものはない』といっているように聞こえる」 という意味です。



従って、ホリエモンは、「日本の阿呆民放局が視聴率を上げるための番組に出て欲しいと言ってくる呼びかけ」も、全て、「祇園精舎(インドのお釈迦さまのお寺)の鐘の音」なのでしょう。



ところで、一方の、三木谷のような狡猾な人間は、哺乳類ではなく爬虫類だと思っていますので、私の意識域から抹殺しておりますので、無視しているのですよ(笑)。



三木谷が何を食べたりしていても、爬虫類ですから、興味ないのです。同様、爬虫類の、竹中平蔵の飲食物にも、一切、興味がないのです。



三木谷と竹中の発する、一連の文章の最後の言葉の声の音程は、絶対音程では、狡猾なFに近いので、持って生まれた感性の近い生き物なのでしょうね。



『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史



高松市の東端の半島の「屋島」の東側の湾の『屋島壇ノ浦』は、源氏の那須与一が、平家の扇を矢で射た、戦場でした。



高松市沖の『男木島』の語源は、矢で射たれた平家の扇が流れ着いた島だったので、『扇島』と言われ、それがなまって、『男木島』(おぎじま)となったのです。



そしてここで負けた平家の落武者が、源氏に見つからないように、乗っていた船を浜辺の砂を掘って隠して逃げたので、屋島より少し東に行ったところにある浜辺が、『船かくし』(ふなかくし)との命名になり、私が小学生の頃、この遠浅の浜辺は、リゾート地「船かくし園」(ふなかくしえん)、として栄えていました。



『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史




・・・・・そんなこんなで、弘法大師、四国霊場八十八ヶ寺、弘法大師が始めた「まんのう池」などの溜池、弘法大師が伝え広めた讃岐うどん、だけでなく、桃太郎が鬼退治に行った鬼ヶ島(女木島〔めぎじま〕)、「二十四の瞳」の学校のある小豆島、映画「世界の中心で、愛をさけぶ」のロケ地の、香川県高松市庵治町、 映画「県庁の星」のロケ地に、高松市の香川県庁が選ばれたこと、イサムノグチが高松市庵治町と牟礼町でとれる花崗岩に魅せられて永住したこと、高松市出身の猪熊弦一郎氏が、三越の包み紙をデザインした方だということ、向田邦子女史が、私の出身校の、高松市立四番丁小学校の大先輩であること、菊池寛が高松市の、平賀源内が志度町の出身であること、昭和33年完成の香川県庁の建物が建築界の巨匠、丹下健三氏の初期の代表作であること、だけでなく、源平合戦の名所旧跡も、香川県には一杯あるのです。



こんな狭い土地で、これだけの文化人を輩出してしまった歴史があるのですから、一朝一夕には変わらないのです。



香川県外の皆様が、「日本で一番小さい県なのに、讃岐うどんだけで、目だった生意気な奴だ。」と思っていらっしゃるのは、従って、大変な誤解なのです。



実際、香川県警のロゴマークは、『那須与一君』なのです。もともと平和でのんびりした土地柄なので、21世紀になった今でも、那須与一の矢で、県民を犯罪から守って下さっているのですよ(爆)。



『ハマチの刺身』と、香川県の文化的歴史




掲載写真は、順に、高松市「活魚・小松」の『ハマチの刺身』、香川県小豆島の「二十四の瞳映画村」、高松市菊池寛通の、『父帰る・ブロンズ像』、『香川県さぬき市の平賀源内生家』、『香川県丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館』、『世界の中心で、愛を叫ぶ」ロケ地の、高松市王ノ下沖防波堤』、『向田邦子女史』、『丹下健三氏の代表作、香川県庁旧本館(昭和33年完成)』、です。







Posted by 岡田克彦 at 14:32│Comments(0)
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