2012年04月23日

東京都の尖閣諸島購入に思うこと

東京都の尖閣諸島購入に思うこと



最近の出来事では、尖閣諸島を石原都知事が買おうとしていることは、実にスカッとする素晴らしい出来事でしたね。



さすがは、石原都知事は、故.石原裕次郎の兄貴です。ドジョウ総理や中央の民主党や自民党の政治家や、それの取り巻きのコメンテータや平和ボケしたマスコミは、橋下大阪市長を独裁者と言ったことと同様、今回の石原都知事の動きに対して、目だったことをする人に対するやっかみから、また、いろいろと批判などをしているようですが、永田町がボーーーッとして、既得権益にしがみついているから、このような事態になるのです。



考えても御覧なさい。華僑のようなえげつない商売人を輩出している中国なのですよ。もともと、4000年の歴史において、中国が世界の中心だ、という、中華思想などという、超利己主義の考えをずっと持ち続けていた人が集合している国家なのです。このまま放置したら、尖閣諸島だけでなく、日本全土も自分達の国家だと言い出しかねないような国なのです。



外務省は一刻も早く手を打たないといけないのに、永田町の政治家は、消費税のこと、年金のこと、小沢の判決や、問責決議などを、次の選挙で自分の所属する政党が勝つために利用することにばかり気をとられているのですからお話にならないのです。



自分達がそのような無能な政治家であることを棚に上げて、北朝鮮のミサイルが発射されたときに、国民がパニックにならないように、その発表をせずに隠していたのですから、今の民主党も自民党も、国民を馬鹿にしていますね。一番パニックになるのは、国民ではなく、お金や権力や既得権にしがみついている自分達であることに気づいていないようですね。



ところで、ヒヨドリが鳴いたので政治家をやめるはずだった、鳩山は、イランに何をしに行ったのでしょうか。お母様から毎月お小遣いを1500万円もらっているのですから、余計なことをすると、また、世界中に迷惑をかけるのですから、さっさと政治家をやめて、隠遁生活を送ればいいだけなのです。



香川県さぬき市大川町の「うどん太一」は、『何これ珍百景』でも取り上げられた、「オバマうどん」(当初は、おあげ、バナナ、マツタケの載ったかけうどんでしたが、コストがかかるので、おあげ、ばれいしょ、豆〔枝豆〕の天麩羅の載ったかけうどんに変わったもの)で、有名ですが、民主党に政権交代した当時には、「鳩山うどん」(ハトに見立てた鶏肉と山イモのうどん、で、お母様から多額のお小遣いをもらっているところから、おしるこがついていました。)は、人気がなくなったのでメニューからはずれました。



海外の四国のうどん県の、平賀源内の出生地の僻地でも、国民は全員、永田町のていたらくを見ていますから、心して日本の外交をきちんとやらないと、大変な事態になると思いますよ。



「知事は地方自治体のことだけ考えていればいい。」などと考えているエゴイストは、石原都知事のことを知らなさすぎますのでお話になりません。



かつて、石原都知事は国会議員で総理を目指していたのです。



しかし、当時の霞ヶ関や自民党の国政に対する考え方に危機感を感じたため、自分の信条として国会議員をやめたのです。



その時、石原氏は、自分の思いを手記にして発表しました。その内容は、当時、平和ボケしていた戦中派の反発をかったのですけど、私が拝見した限りでは、筋が通った考え方として、論理的な矛盾は全くない、完成されたものでした。



戦中派の亡き母と、明治生まれの亡き祖母の間で、論争になりました。私が東京から高松に帰省していた時のことでした。



「石原さんが総理になったら、徴兵制敷いて日本は戦争するやろうの。いかん人や。」と母が言うと、祖母は、こう反論していました。



「いいや。石原さんの言うことは、筋が通っとる。自民党の宮沢みたいなボーーーッとしとるんは、どれもこれも、最初から、筋がないけん、人間の格が違いまっせ。」



こんな田舎でも、明治生まれと戦中派では考え方にギャップがあるものだなあ、と私は思って、また、東京に戻ったものでした。



その数日後、高松の実家では、大騒動が起こったことが母から電話連絡があったため、このことを私は今でも鮮明に覚えているのです。



東京都の尖閣諸島購入に思うこと




それは、「西部警察」が高松にロケでやってきたためでした。裕次郎の熱狂的なファンだった祖母は、詩吟の臥風流の弟子100名少しを集めて、タクシー20台を連ねて見に行ったので大変だったそうなのです。しかも、肝心の裕次郎が見れなかったので、その後、全員で、高松東急インに行って、特別室で食事をしたそうです。



が、裕次郎が見られなくて腹立たしかった祖母は、お弟子さん全員の飲食代も全てごちそうしたそうですので、私も呆れ返ったものです。



その後帰省したとき、私は祖母に言いました。



「おばあちゃん、無茶したらいかんで。」



「裕次郎が見れなんだんやけん、無駄遣いせないかんのはあたり前や。何、体、私は杖ついとったらどっちゃないでっせ。この前、日本武道館で詩吟歌うんで東京に行ったとき、銀座四丁目の交差点で歩行者天国やったところで、アメリカから来た黒い人(黒人のこと)が、うまげに踊っりょったけん、私も一緒に加わって踊ったときに比べたら、裕次郎見に行くくらい、大したことないわ。」



私は祖母が他界する2年前に高松にUターンしました。



祖母は高松の老健施設『フローラ』に入っていましたので私は毎日会いに行きましたが、亡くなる少し前、死期を悟ったのか、車椅子を押していた私にこう言いました。



「克彦、おばあちゃんが死んでも悲しんだらいかんで。悲しむんは時間の無駄遣いやけんの。あーあ、やりたいようにやって、おばあちゃんは、楽しい人生やった。」



「おばあちゃん、縁起でもないこと言うたらいかんで。明日死ぬみたいでないんな。」



「明日死なんでも、明後日にはお迎えが来るかもしれん。人の一生はわからんもんや。克彦も、明日死んでもええように、今を生きまいよ。」



92歳で他界するまで、祖母は、本当に素晴らしく輝いていました。



掲載写真は、順に、私の祖母と母、です。







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