2014年05月29日
「義経」の『天麩羅うどん』
「あんた、そんなにようけ入れたら、お水がコップからまけまっせ。」
お水のおかわりをした母は、店員さんがコップに注いでくれたお水がグラスぎりぎりまでだったため、文句を言っていました。
讃岐弁には、本当に他県の人には理解出来ない独特の言い回しがあります。そのベストスリーは、下記だろうと、私は感じています。
1.腹が起きる・・・・・お腹がいっぱいです、という意味、お腹は寝たり起きたりしないので、絶対に他県の人には理解してもらえません。
2.水がまける・・・・・水が溢れてこぼれる、という意味、水は勝ったり負けたりしませんので、絶対に他県の人には理解してもらえません。
3.その傘に私も乗せてーたー・・・・・急に雨が降ってきて傘を持っていない人が傘を持っている同行の友人に、あなたの傘の下に私も入れて下さい、という意味。しかし、他県の人は、傘の上に乗るとは、何事だ、と、呆れることが多いようですね(笑)。
さて、讃岐うどんには、西讃の三大老舗うどんオーナーを師匠とする、大きな三つの派閥があります。
それは、山内派(『あつあつ』『あつひや』『ひやあつ』『ひやひや』、という、かけうどんの種類名の発祥店で、ねじれた麺、藤原蒲鉾店のゲソ天で有名な、まんのう町の「やまうち」を師匠とするお店)、中村派(裏の畑でネキをとってくることまでセルフにしている、丸亀市飯山町の「中村」を師匠とするお店)、渡辺派(日持ちするうどんと、木の葉天麩羅で有名な、三豊市高瀬町の「渡辺」を師匠とするお店)、です。
高松市は、東讃なのですが、県庁所在地なので、この三大派閥の流れを組むお店が全部そろっています。
山内派の代表が、上天神町の「あたりや」、中村派の代表が、国分寺町の「一福(いっぷく)」、そして、渡辺派の代表が、片原町の「義経」、です。
映画「UDON」が公開された当時は、この三つの派閥が代表でしたが、その後、高松市内では、いろいろな創作うどん店もたくさん登場し、今日では、もっといろいろ広がっていますが、こういう厳しい師弟関係の伝統のお陰で、香川県内資本のうどん店て、美味しくない店はほとんどないという、素晴らしい環境になっています。
「はなまる」は、吉野家にM&Aされましたので、既に香川県の資本ではないですし、「丸亀製麺」は、もともと神戸の資本ですから、これらの、うどん県の資本でないお店が「讃岐うどん店」の範疇に入らないことは自明のことです。
高松市内では、山内系のうどん、中村系のうどん、は、今でも、判別は容易です。が、渡辺系のうどんの最大の特徴は、コシが日持ちする、ということなので、その場で食べてしまったら、麺では判断できないこともあります。が、木の葉型の天麩羅は、渡辺派のうどん店においては共通していますので、それで判断出来ます。
さらに、国分寺町の「まるや」のうどんは、コシの日持ちにおいては、渡辺派とは無縁に有名だったりしますので、もう、どの店も、高松市内の香川県の資本のうどん店は、それぞれ、美味しい、という評価でいい状態だと感じています(笑)。
さて、高松市片原町に「義経」が開店したのは1980年のこと。私は既に早稲田大学政経学部を卒業して、住友信託銀行東京本部で働き始めた頃でしたので、たまに帰省した時に、三越が大好きだった母の買い物につきあった時に、掲載写真の「天麩羅うどん」をよく食べに行ったものでした。
ここの天麩羅は、渡辺派の讃岐うどん店で共通のもので、エビと野菜など、5種類の素材を木の葉型にまとめたもので、サクサクで素晴らしいものです。
冒頭に書いたのは、8年前に他界した母と一緒に「義経」で『天麩羅うどん』をいただいた時の、なつかしい会話ですので、私は、今でも、「お水がまけるで。」という讃岐弁に接すると、思い出してしまいます。
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Posted by 岡田克彦 at 00:10│Comments(0)
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