2012年12月17日
自民党の圧勝について

今朝起きたら、今回の衆議院議員選挙について、自民党の圧勝に終わっていました。
投票率が激減しましたし、これまでの民主党政権の外交、原発等への無為無策から当然の帰結で、私の予想通りでした。
しかし、香川県民の判断はまっとうでしたね。
香川一区では、自民党の平井たくや氏が小選挙区で当選しましたが、万歳三唱の際に集まった人の人数が、お祖父様の平井太郎氏の時に比べると激減していました。創価学会の皆様の協力を得てこの程度の人数では、信任されたとはとてもいえない人数でした。
私の尊敬する人物の、掲載写真の、民主党の小川淳也君は比例で当選しました。が、これも当然の結果でした。民主党のトップがダメだったに過ぎないのですから、小川君の責任ではないことを香川一区の有権者は、熟知しているのです。
まあ、香川三区は大変な田舎なので、まだ民主主義国家になっていないので放置するとして(笑)、香川二区は、最後まで激戦になりましたが、小選挙区で、民主党の玉木君が勝ちましたので、OKでした。
そのうち、玉木君の弟が香川県知事選挙に出て下されば、香川県は、さらに素晴らしく住みやすい場所になることと思います。
30年後の香川県は、前途洋洋たる状況にありますね。誰一人として、政党に惑わされず、立候補者本人本位で選んでいるのですから、これでよいのです。
私の祖父、岡田照馬は、板前で、且、丸天旅館のオーナーでしたが、高松市観光通りの一等地で、「岡田ビル」という貸しビルをやっていましたが、その一階を、平井太郎氏に貸していましたが、板前の意地にかけて、二階は、創価学会に貸していました。昭和40年当時のことでしたから、自民党と公明党は全く無関係でしたが、自分の経営する貸しビルに政治色がつくのが嫌だったのでしょうね。
まあ、私も、母の告別式には、平井たくや氏、小川淳也君、藤本孝雄氏の秘書、など、全政局関係者に来ていただきました。
東京にいた当時勤務していた、住友信託銀行の同僚がいらしていて、政治家が一杯来ていたので驚いていましたが、「ぼくは、作曲家なんですよ。国境のない音楽に政治色なんてまったく無いのです。」と一喝しました。
が、私はインスピレーションに忠実に生きていますから、当時から、「小川淳也君の行進曲」は、ピアノとブラスバンドバージョンで、作曲済みでしたが、私は奥ゆかしいので初演していないだけなのですよ(笑)。
ヒポクラテスの言うとおり、「芸術は長く人生は短し」ですから、あたり前のことです。
その証拠に、「ショパンは長く、自民党も民主党も日本国憲法も短し」なのですが、小川純也君の感受性の鋭さは、ショパンに匹敵するのですから、ショパンに匹敵する感受性を持っていない香川県の有権者は、もっともっと、ショパン作曲の「スケルツォ No.4」を聴かないといけないのです。

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