2014年03月06日
さすがは首都圏ですね、おそれいりました。


三重県の少年犯罪は実に酷いことだと思っておりましたが、このような、人の殺害、という、悪しき習慣の発祥地の首都圏は、さすがですね(笑)。
連日のように、拝金主義による、人間の生命軽視に基づく、殺人事件が多発している、今日この頃ですが、首都圏の千葉県柏市では、またまた、強盗殺人事件が起こりました。
掲載写真は、逮捕された犯人の、竹井聖寿(24歳)という、北朝鮮の、金正恩によく似た男ですが、人を殺すことが大好きな人間のようで、笑いながら、殺人をしていたようです。
さすがは首都圏です。三重県の6000円の大好きな18歳の殺人鬼の少年も、これにはかないません(笑)。
日本の「おもてなし」は、いつの間にか、殺害という意味になったようですね。
2020年の東京オリンピックでは何人の人が殺されるのかが、日本のアスリートの金メダルの数より話題になるかもしれませんね。
もう、ここまで来たら、呆れて何も言えませんね。竹井聖寿のような物体は、日本の恥ですから、さっさと、デリートされた方がよいでしょう。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



タグ :拝金主義撲滅
2014年02月18日
菊池寛通り、美術館通り、の名称変更について


私は、母の介護のために、東京から高松にUターンした、20年前の1994年頭時、「中本町通り」が「菊池寛通り」に、「今新町通り」が「美術館通り」に変わっていたことに反対して、高松市役所に、もとの名称に戻すように、文句を言いに行ったことがありました。
首都圏からの出張、転勤族が多いと言っても、首都圏在住の皆様は、四国=伊豆大島、程度の認識であることを、19年間東京で過ごした私は知っていました。
「どちらのご出身ですか。」
「四国です。」
「ああ、坂本龍馬さんのご出身地ですね。」
と、東京で言われたことが、何回あったことかと思い起こすと、四国に県が4つあることすら認識されていない状況でした。
また、泥水にスパゲティの太いものが浮かんでいる物体を、うどんと称して蕎麦屋で食べている人達の味覚が理解できませんでした。
さらに、母が送ってくれた、「醤油豆」を食べていると、「ゴキブリみたいな煮豆だな。」と言われたこともありました。
もちろん、本場の讃岐うどんを食べてもらったり、醤油豆を食べてもらうと、そういうものは、吹き飛びましたけどね。
でも、お餅の載ったうどんを「力うどん」と言うのは変ですよね。あんなもので力が出るものですか。お餅に餡子が入っていないと、絶対に力は出ません(笑)。
今でも、和三盆の産地が京都だと思っている東京の人が多いので困りますね(笑)。和三盆の産地は、江戸時代からずっと、香川県の東地区なのですよ。
和三盆も、江戸時代に、四国霊場八十八ヶ寺を巡礼していた、鹿児島県のお遍路さんが、香川県の東地区で行き倒れになっていたものを、香川県民が助けて介護した御礼に、製糖法を教えてくれたのが始まりだそうです。
「絆」や「おもてなし」という言葉が、今、流行っていますが、昔から、日本では、「絆」や「おもてなし」は、常識だったのですよね。
四国に県が4つあることすら認識されていない状況を考えると、香川県の県庁所在地の高松市内の地名としては、「菊池寛通り」ではなく、「弘法大師通り」が相応しいですし、「平賀源内通り」、でもいいと思うのですよ、私は。なぜなら、「文芸春秋」よりも、「豆腐」、「エレキテル」の方が普遍的だからです。
それに、離婚の多い昨今では、父は、養育費を支払っても、帰っては来ませんから、「父帰る」なんて、時代遅れなのですよ(笑)。
また、美術館通り、なんて、まるで、渋谷ですよ。香川県民にとって、美術よりも主食のうどんの方が、命に関わるのですから、「美術館通り」よりも先に、「製麺所通り」、「うどん店通り」、「土三寒六通り」、あたりが作られるべきなのです。
まあ、香川県はゆったりした豊かな場所なので、神戸の経営者が、勝手に「丸亀製麺」なんて、香川県内の地名を店名にしていることも、放置していますけど、確実に言えることは、「銀座製麺」、「原宿製麺」、「新宿製麺」、「渋谷製麺」、「東京スカイツリー製麺」、なんて名前のうどん店は、絶対に失敗しますね(笑)。
「池袋製麺」なんて名前のうどん店に、客が一人も来ないことは、わかりきっているのですけどね(笑)。
掲載写真は、高松市香川銀行本店前の、「父帰る」のブロンズ像、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



タグ :アンチ首都圏
2012年06月30日
野田佳彦に関する考察
うどんのことばかり書いていますが、それは、私がうどんが好きなこともありますが、それ以外の出来事について、特に、東京方面で多発している、政界、財界、のトップの阿呆のしでかしている、とんまな対応、や、残酷な殺人事件、それを面白おかしく、芸人風情を使ってワイドショーで取り上げて、視聴率だけ稼いで自己満足しているだけの、テレビ局の阿呆どもには呆れているので、一切関わりあいたくないからです。
「命をかけて消費税を上げたり、命をかけて原発を再稼動させている。」野田佳彦という、総理大臣がいるようです。早稲田大学政経学部1979年卒業の私は、一歳年下の早稲田大学政経学部1980年卒業の野田佳彦のことを、早稲田大学政経学部の恥だと思っておりますので、その命などはどうなってもいいと思っておりますので、命をかけて消費税を導入したり、命をかけて原発を再稼動する前に、さっさと死ねばよいと思っております。少なくとも、まともな感性を持った早稲田大学政経学部卒業生は、野田佳彦が死んでも、ただ一人としても、悲しむはずはないのですから、さっさと人間であることをおやめになればよいと思います。
私は、小沢一郎について、いろいろな金権腐敗を抱えていらっしゃいますので、好きではありません。しかしですね、この不景気の真っ只中で、マニフェスト違反の消費税の値上げ予告をしたり、人間を大切にするはずだった民主党が人間の命よりも金の亡者になるために原発を再稼動させるようなことをするとは、何事だろう、しかも、野田佳彦ごとき権力の亡者の命をかけたら、全国民が放射線の脅威にさらされることを容認できるなどと考えているとは、思い上がりもはなはだしいと思っておりますので、今回の対応については、小沢一郎の方が、はるかに筋が通っています。「筋が通っている」とは、「人間としての最低限のモラルがある」という意味ですから、野田よりは小沢の方が人間力が上だということです。
野田佳彦はさっさと、J.S.バッハの「フーガの技法」を聴いて、人間業とはとても思えない、その対位法的な天才的な処理を熟知し、自分の愚かさを自覚しなくてはなりません。が、もう、年も年ですから、J.S.バッハの「フーガの技法」などは、野田佳彦には、『豚に真珠』ですから、総理大臣を辞めて、死ぬまで「フーガの技法」ばかり聴いていたら、もしかしたら死ぬ前には感知できるかもしれないだろうと思われる程度です(笑)。
J.S.バッハは、没後300年以上になっても世界中の人たちに愛されていますが、野田佳彦は、まだ生きているのに、たくさんの国民から疎まれています。
アーティストの私は、ですから、J.S.バッハと野田佳彦が、この世で、「人間」という同じ範疇に入っていることが、どうしても許せないのです。
原発再稼動反対のデモが連日起こっているようですが、正しいことです。野田佳彦は、これに対してきちんと答える義務があります。なぜなら、主権は国民にあるからです。主権は総理大臣にはないのです。身の程をわきまえましょう。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年03月16日
粗大ゴミは片付けましょう。

相変わらず、朝晩がとても冷える毎日が、高松でも続いています。
昨日の夜は、久しぶりに、夕食を、高松市番町のトンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)で、『野菜巻きトンカツ定食』をいただきました。
この店は、まだ母が健在だった頃、高松市西の丸(高松城の跡地の高松港のそば)で開店した、高松初の、トンカツ専門店〔つまり、キャベツ食べ放題のお店〕でしたが、その支店が、香川県庁向かいの高松市番町に出来たところ、こちらの方が街中なので、ランチタイムなどを通して、支店が本店化したお店です。
東京の「サボテン」や、大阪の「カツ梅」の支店も今は高松にありますが、「本気豚食」(ホンキートンク)開店当時は、これらの支店はまだ高松になかったので、「本気豚食」(ホンキートンク)が、高松唯一のトンカツ専門店でした。
開店当時から、この店の最大の特徴は、ロースカツ、ヒレカツ、だけでなく、四国の新鮮な野菜を豚肉で巻いて揚げた、肉巻きの定食が完備されていて、トンカツソースの種類だけでなく、キャベツにかけるドレッシングが10種類以上あったことでしたし、カツサンドが抜群に美味しいので、高松では大変に人気が出たお店でした。
しかし、うどんはメニューになかったので、一部の高齢者からは、「ものっそいなかのたんぼの真ん中の人がやっりょるお店や。ほんだけんキャベツは自分の畑で作っりょるけん、なんぼ食べてもかんまんのや。」等と言う、変な噂もされていましたが、私は、この店は絶対に流行ると確信していました。理由は簡単で、東京の「サボテン」よりも、はるかにキャベツが美味しかったからなのです。が、当時は、高松市中心部在住の高齢者は、味覚での判断以前に、うどんをメニューに入れていないレストランは全て半人前だと感じていたようですね(笑)。
高松市は、政治的に四国の中心だという、プライドが高かったので、東京からやってきた「サボテン」は正しいけど、高松の人が始めた「本気豚食」(ホンキートンク)は正しくない、と、思っていたふしがあります。
私の生まれ育った高松市番町界隈に住んでいた皆様は、高松市の三越高松店の周辺〔つまり、高松中央商店街と、それと平行に走っている東京の大手企業の四国支店が集中している、高松市の中央通(空港通り)ぞいの、高松高等裁判所のある寿町近辺〕は、大都会で、栗林公園より南側は、一括して、『たんぼの真ん中』と思っていました。
これは、高松城が海城で海沿いにあったためで、江戸時代からずっと、ここが、高松の町の中心だったためなのです。大体、ほとんどの城の堀には水がありますが、高松城は海に面した城なので、堀には瀬戸内海の海水が入っていて、鯉ではなく、鯛が泳いでいるのですが、これは、全国的に見ると大変珍しいことなのですが、高松から外に出たことのない高松の人は、これが常識だったのですね(笑)。
また、第二次世界大戦で日本が負けた時、GHQが日本にやってきたのでしたけど、空襲で焼け野原になった高松市内でも、三越高松店は残っていたので、GHQは、その四国本部を、三越高松店に置きましたので、戦中派の皆様にとっては、高松城と三越高松店は、おそれ多い大変に気高い場所として双璧になったので、この一帯が、『まち』の中心として認識されたようです。ちなみに、戦中派の高松人の皆様にとって『まち』というのは、高松空襲の時、B29がやってきて爆弾を投下した場所のことですから、防空壕が集中していた、栗林公園の南側は、一括『いなか』、あるいは、『田んぼの真ん中』と認識されたのです。
ちなみに、祖父母から聞いたところでは、高松人は、「マッカーサ」と発音できなかったため、「マツカサ」と呼んでいたようですし、終戦後、三越高松店に四国初のエレベータが設置されたときには、三越高松店は、買い物に行くところではなく、エレベータに乗りに行くところだったようです。もちろん、「エレベータ」も発音できなかったため、「エベレータ」と呼んでいたそうです(笑)。
本州方面からやってくる商店についても、このような中途半端な、高松市の寿町や三越高松店の一帯は大都会だ、という認識は、戦中派の皆様においては徹底しているようです。
すなわち、広島からやって来た、「ゆめタウン」は、広島には高等裁判所があるので、高松と同格だ、ということで、「ゆめタウン」に買い物に行くことは正しいのですが、岡山からやって来た「天満屋デパート」については、高等裁判所のない岡山が、高等裁判所のある高松に支店を出すなどは、言語道断なことだと考えられているため、高松市中心部に住んでいる戦中派の皆様は、「高松天満屋」では買い物はしませんし、お中元やお歳暮は、絶対に、三越高松店で買い、高松天満屋では買わないことに決めているようです。
こうして、高松市番町のトンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)で、『野菜巻きトンカツ定食』をいただいて外に出たら、非常に寒かったので、風邪をひいたらいけないと思い、私は、そのすぐ近所の、「さぬきうどん番丁」で、一番温まる『しっぽくうどん』をいただいてから帰宅しました。
そして、ニュースを見ていたら、相も変らぬ、消費税導入に関する永田町のドタバタをやっていたので、うんざりしたところ、また、千葉県で大きな地震があったり、母親が子供を虐待して殺したり、練炭自殺にみせかけた殺人の裁判員裁判のことなど、物騒な事件の羅列に辟易したので、気晴らしに、タクシーを呼んで、旧知の、高松市ライオン通り商店街の、「よって屋」〔ラーメンと焼き鳥の小さな店〕へ飲みに行きました。
ここの、底抜けに明るい若いマスターとおしゃべりして焼酎をいただくと、気分も晴れました。この「よって屋」も、このブログで、3年ほど前に、讃岐うどんを避けて、高松の美味しいお店をご紹介している中で、高松市中心部でラーメンの美味しいお店、ということで、ご紹介しましたが、とても流行っていて、当初は、マスターと従業員一人の二人でやっていたのですが、今は、従業員が10名になっていたので、とても嬉しく思いました。
また、メニューも、当初は、ラーメンと焼き鳥だけだったのですが、今は、季節限定のお通しまでそろっていたので、さすがは、ここのマスターは料理人として優れているなあ、と、感動しました。
その初春のお通しの中で、「イカナゴの炙り物」という、私自身も初めていただく、珍しい料理に、感動しました。
初春の瀬戸内海の海の幸を代表するイカナゴは、大体、茹でた物を生姜醤油でいただくか、釘煮にすることが多いのですが、炙り物、という食べ方は初めてでした。
が、ちょっとスモークしたような味覚なので、辛子醤油につけて、付け合せの鳴門わかめと一緒にいただくと、最高でした。
隣の席で、どこかで飲んだあと、「よって屋」のラーメンを食べている東京からいらっしゃった転勤族のサラリーマン二人連れが、「素晴らしいラーメンだ」と感動して食べていたので、「ここのラーメンは高松一美味しいのですよ。」と言って、いろんなお話をしました。
「よって屋」のラーメンは、ベースは豚骨なのですが、鶏がらスープをブレンドして、酔っ払った後でもあっさりいただけるようにしているので、私は以前から大好きなのですが、東京のサラリーマンの皆様も納得していましたので、やっぱり美味しい店は流行るのですね。
早く春になってほしいな、と、マスターとお話してゆったりと帰宅しました。
しかし、本当の内実のある春、というのは、まだまだ来ないように感じています。
東日本大震災の被災地の瓦礫が、一年経過しても片付かないとは、いったい何事でしょうか。
原因は、明確になりつつあるようですから、東日本大震災の被災地の瓦礫は、それが片付かない原因を作っている、無能な政治家と一緒に、一刻も早く、撤去してもらいたいですね。
消費税導入をめぐって、民主党や自民党が分裂してもしなくても、どうでもいいのです。
ただ、邪魔な粗大ゴミは片付けなくてはならない、というだけの簡単なことなのです。
掲載写真は、「さぬきうどん番丁」の、『しっぽくうどん』、です。
2011年09月21日
台風15号の首都直撃に思うこと
アサリの潮干狩りの出来る、千葉県浦安市の船橋三番瀬が、東日本大震災による液状化現象のため、閉園になって出入り禁止のゲイトが出来ているのですが、たくさんの心無い人達が、勝手に入って、開園当時と違って、タダでアサリが取れるということで、大喜びで、東日本大震災が起こったことを大歓迎しているニュースが流れました。
最近の首都圏は、小泉純一郎、竹中平蔵の思惑通り、確実に日本ではなく、拝金主義(マネタリズム)に陥った、アメリカの属国になりすまっていますので、麻薬密売人、麻薬愛好者、陰湿ないじめ、ストーカー、殺人愛好者が激増していますので、さっさと滅べばよいのです。
「天網恢恢疎にして漏らさず」
このような、アサリをタダで乱獲したり、麻薬にうつつを抜かしたり、人様の作った会社を株式の時価総額で判断して乗っ取ったり(M&A等という横文字にしてもやっていることは、額に汗しないただの乗っ取りですよ。)、資産残高だけで人の価値を判断して、「勝ち組」「負け組」という、統計学用語の本来の意味を全く知らないで、わかったようなことを言っている、六本木ヒルズ族のような、バチあたりな連中が跳梁跋扈しているようならば、今回の台風15号のようなものは何回でも、首都圏を直撃しますよ。
まあ、台風の被害にあってもあわなくても、人間が一万年以上生きることはない、と、浄土真宗の蓮如上人が「白骨の御文」の中で言っていますから、人が生きている期間なんて、雄大な自然の時空間ではほんの一瞬なのですけど、その、ほんの一瞬さえ、まっとうに生きるという、とーーーっても簡単なことすら出来ない、お育ちの悪い人達が首都圏に集中生息していることは、日本の恥ですので、さっさとあの世に行っていただきたいものですね(笑)。
そのためにも、今後日本に到来する台風は全て、首都圏を直撃していただきたいと願っておりますので、弘法大師の出身地の香川県で生まれ育った私は、善通寺にお参りするたびに、そのことを祈念することにしました。人の恨みを買うことは、大変に恐ろしいことなのですよ(爆)。「ムカつく」、「ウザい」などという響きの悪い汚れた日本語では片付かない大変なことだということを、首都圏在住の心無い皆様は明確に認識すべきです。