2014年05月24日
「よって屋」の『ラーメン』


今回は、高松のラーメンの美味しいお店をご紹介します。
うどん県県庁所在地の高松生まれ高松育ちの、作曲家の岡田克彦、は、1975年に早稲田大学政経学部進学のため東京に行って、母の介護のために、1994年にUターンするまで、19年間東京に在住し、住友信託銀行で勤務する傍ら、日本アマチュア演奏家協会理事として、ユニセフのチャリティコンサート、大阪市福島区の花博記念コンサート、など、いろいろなコンサートプロモート、作曲、室内楽、コラボなどの演奏をやっていましたので、母の介護のために経営コンサルタント・作曲家、としてUターンした以上、演奏会は考えていなかったのです。
が、早稲田政経学部の金融論の研究室出身の仲間が日経新聞やTBSに就職していた関係で、2000年に岡山県知事の招聘でおかやま後楽園築庭300年祭のトリで、江守徹さんなどの岡山出身の文人の朗読に音楽をつけて、ジャズ・クラシックの演奏を頼まれたり、母の逝去した2006年以降も、香川県庁の栗林公園庭園コンサートに栗林公園と、母の追悼をテーマにしたピアノ組曲「記憶の底の栗林公園OP.111(全18曲)」を作曲して出演したり、CDにして栗林講演の物産館で売ってくださったりしています。
が、発売もとの社団法人の支店が東京と大阪にあるのでそちらの方が圧倒的に売れて売り切れました。
うどん県は、全ての値段を、ぶっかけうどん・何杯分と勘定するので、この2時間弱のCDも、2000円と言われたのを私が1000円にしてもらっていたのですが、高松では、1000円は、ぶっかけうどん3杯分、と認識されるようなので、イリコダシのうどんは素晴らしいんだけど、是非、音楽も聴いてほしいな、と感じています(笑)。
2年前にはJA香川県の朗読ミュージカルの作曲を頼まれて、書道家のてらきちさんとのコラボで、丸亀町ドーム下や、中央公園冬の祭、瀬戸内海放送への出演、山陽テレビの取材出演、高松市林町・カフェくさか、での、コラボ、ソロコンサートなど、いろいろやっています。
ラーメンは大好きで飲んだ後はラーメンがいいと思っていますが、これも、カレーうどんやあさりうどんがおさえているところが、うどん県らしいところです。が、飲んだ後のラーメンは、掲載写真の、中古馬場とライオン通りの交差点の「よって屋」のラーメンが最高だと思っています。
マスターが好青年なので気に入っています。
女の子にしか興味のない、普通の男性は、ここのマスターのような小太りの男は、イケメンじゃない、と思うみたいですので、よいのです。
だって、ゲイの私とは、バッティングしないですからね(笑)。
全国的なゲイの好みの傾向から言って、四国、特に香川県、愛媛県は、ゲイにモテる男は、小太りで、ガリガリの人は、絶対にゲイバーなどでは、相手にされませんので、男性の皆様は、臆することなく、たくさん食べて太りましょうね(笑)。
「よって屋」は、母がまだ元気だった頃、たまたま、ふらっと、飲んだ後開店したばかりの頃、私は、食べに行って、ここの、豚骨と鶏がらのブレンドスープが素晴らしいこと、好きにトッピングできる、ラー油仕立てのニラ、が素晴らしいと思いました。
当時は、マスターともう一人のたった二人で頑張っていましたが、室内楽やコラボと一緒で、人数が増えて大規模になっても、意思疎通の出来ない集合体は、品質のいいものを続けて出し続けることは出来ないのです。
掲載写真は、「よって屋」の『ラーメン』です。
陵南町出身のマスターに会えるので、私は、飲んだ後は、うどん店だらけの古馬場界隈でも、この店に行きます。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2014年05月21日
今日の、「さぬき麺市場・郷東町本店」のブランチ


ここのところ、うどんをいただくことが多かったため、今日は久しぶりに、外食のブランチをご飯にしました。
すなわち、天丼をいただくために、「さぬき麺市場・郷東町本店」に行きました。
いつも顔見知りの若いアルバイトの男の子が、私の顔を見ると、もう何も言わずに、「今、びっくり鶏天を揚げていますので。」とおっしゃったので、「びっくり鶏天丼」(275円)〔300gの鶏の天麩羅の載った天丼〕をいただきました。
大根おろし、刻みネギ、レモン、などは、無料でとり放題なので、別皿にとって、テーブルで待っていると、揚げたばかりの鶏天丼を私の座っているテーブルまで運んでくれたので、本当に美味しくいただけました。
とても美味しく、また、優しい男の子の眺めがよかったので、「ごちそうさま。美味しかったよ。有難う。」と言って出ることにしましたが、あたり前のことですが、私は、揚げたての鶏天をのせた天丼をテーブルまで運んでくれた若い男の子に言いたかったので、食器返却口にいる、おばさんが邪魔だったので、おばさんがどいた時に、お盆を持って返しに行き、若い男の子の目を見て、御礼を言って出ました。
「どうも有難うございます。」と言われることはわかっていますが、どうせなら、おばさんじゃなく、男の子に言ってもらいたいことは、ゲイの私にとっては、あたり前のことなのです(笑)。
ブサイクであつかましい、おばさんに、「どうも有難うございます。」なんて言われて出店したら、デリケートなアーティストの私は、絶対に、消化が悪くなってしまうのですよ(笑)。
掲載写真は、「さぬき麺市場・郷東町本店」の、『びっくり鶏天丼』(275円)です。
この店、うどんが美味しいのはあたり前なのですが、ご飯も、香川県まんのう町の契約農家直送のつきたてのコシヒカリなので、丼も、素晴らしく美味しいのです。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



タグ :高松市のグルメ
2014年05月18日
喫茶「ダイアン」の、『ルーブの和三盆ロールケーキ』


喫茶「ダイアン」は、私が生まれ育った、高松市番町の、高松市役所とケーキ店「ルーブ」に挟まれた場所にあります。
ですから、開店は、高松市役所職員が朝食を食べに来るため、朝6時半開店なのです。
が、すぐ近所の、香川県庁の裏のセルフうどん店「さか枝」は朝5時半、香川県庁真向かいのセルフうどん店「こだわり麺や・高松支店」は朝6時開店なので、うどん県高松市では、うどん店と喫茶店がモーニング客のとりあいで、ものすごいことになっているのです(笑)。
でも、勝負はついていて、うどん店が圧倒的に朝食は押さえているのです。
が、「ダイアン」は、高松市の喫茶店の中でも善戦していて、その背景に、讃岐名物の和三盆を使ったロールケーキと、UCCにこだわった、ドリップコーヒーがあります。
しかしですね、ランチは、高松市役所斜め向かいの「森製麺所」にかなわないのです。
「森製麺所」のかけうどんは、200円ですし、かき揚げが素晴らしいので、喫茶店のランチでは太刀打ち出来ないでしょうね。
まあ、大体、うどん県高松市では、朝食と昼食は、吉野家もマクドナルドもセルフうどん店や讃岐うどん製麺所との戦いを余儀なくされますので、以前は、うどん以外の飲食店が生き残るために、うどん店や製麺所が閉店している夕食時を押さえることだけでした。
ところが、今日では、一般店の「黒田屋」が、翌朝の5時まで、かけうどん240円でやっていますので、アルコールを飲んだ後や夜食もうどんになってしまっています。
ラーメン店やおでん屋が、高松に極端に少ないのは、仕方ないことなのです。
外為の影響を受けないように、うどんの材料の小麦も、JA香川県が、うどんに最適な小麦「さぬきの夢」を開発して地産地消出来るようにしていますので、ダシのイリコが香川県観音寺市沖の息吹島、香川県坂出市の塩、香川県小豆島町の醤油、香川大学が開発したカロリーゼロの希少糖と共に、全て、地産地消できるようになっていますし、香川県内資本のうどん店は、トッピングの天麩羅にする野菜やネギを自家農園で作っているところが増えていますkw@川県漁連との提携で、瀬戸内の魚貝類は安価に仕入れていますので、ので、強いのですが、
一番の強みは、うどん県民が、うどん大好きだという歴史的事実ですね。
それに輪をかけて、香川県内資本のうどん店は、トッピングの天麩羅にする野菜やネギを自家農園で作っているところが増えていますし、香川県漁連との提携で、瀬戸内の魚貝類は安価に仕入れていますので、強いのです。
が、一番の強みは、うどん県民が、うどんを大好きな事ですね。
掲載写真は、昨日、コンサート前に、山本君と一緒にいただいた、喫茶「ダイアン」の、「ルーブ」の和三盆ロールケーキ、と、アイスコーヒー、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



タグ :高松市のグルメ
2014年05月15日
「ニュー雅園」の中華料理



いつも、讃岐うどん店のご紹介が多いので、今回は、私の行きつけの高松の中華料理店をご案内します。
高松には、「北京」、「中国酒家」、というコース専門のいい店もあるのですが、もう、57歳になると、どうせお金を使うのなら、中華やフランス料理のコースではなく、懐石料理のコースに、ほっとしますので、最近は行きません。
が、この二つは、高松市内の中華料理店では、サンポート29階の、陳健一さんの「四川」の高松支店と並んで、いいお店です。
気楽に、単品でいただける、高松の老舗中華料理店は、「平安閣」「満州楼」でしたが、私が東京からUターンしたあとは、レインボーロードの「華宮」、ハゼ町の「一刻」、古新町の「ニュー雅園」が新しく出来ていて、介護していた母とよく行ったものでした。
が、「バーミアン」が引き揚げた頃から、中華は瀬戸内海の白身魚を活かすのが難しい、というか、もう、和食がいいな、という年齢になったので、あまり行かなくなっていました。
しかし、コラボ相方の山本君と出会って以来、中華もたまーーーに顔を出しています。
最近、時々行っているのは、リーガゼスト高松の裏にある、古新町の「ニュー雅園」ですね。
思い起こすと、中華のデザートの杏仁豆腐が一般的になったのは、田中角栄総理による日中国交回復の際の、周恩来首相主催の晩餐会で出されたコース料理〔上海蟹、チンジャオロース、北京ダック、フカヒレの姿煮、海燕のスープ、などのそろったコース料理でしたが、このデザートが杏仁豆腐だったのです。〕が同時中継された頃からで、それまでは、中華のデザートは、揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕、だと思われていたものでした。
東京にいた頃、中華という物も、地域によっていろいろで、北京、四川、広東、上海、という、中華四大料理のほか、カエルやエンドウ豆の弦を食べる湖南料理など、いろいろあることを知りましたが、一番大きな出来事は、高松にUターンする少し前に、飲茶(ヤムチャ)という習慣が東京に上陸して一般的になったことでしたね。
新宿に、香港からヤムチャ料理店がいくつか出来ましたが、当時の私は、その文化と歴史に深く感動したものでした。特に、「大根餅」(大根おろしをお餅にしてしまうこと)、「小籠包」と、「ホーイエノーマイ」(蓮の葉に包んだ五目オコワを蒸したもの)には、様々な点心とともに、紹興酒をいただけることに、魅せられたものでした。
ただし、『犬のスープ』や『猿の脳味噌』のようなものは、赤坂にあった、爬虫類専門店の『シマヘビの生け作り』同様、食べたいとは思いませんでしたけどね。
高校二年のとき、留学したアメリカシアトル郊外では、『ガラガラヘビのから揚げ』をいただきましたが、最初からわかっていれば絶対に食べなかったと思いますが、そんなものを食べている人達から、「ウナギを食べるなんて、日本人は、なんて野蛮なの。」と言われたので、頭にきたものでした(笑)。
さて、高松市古新町の「ニュー雅園」は、八栗にある、大将の弟さんのやっている支店にも、出張の際、車で通ったときに食べに行ったことがあり、懇意になりましたので、食事だけでなく、おやつだけで、ヤムチャとして立ち寄ることもあります。
というのも、ここの、『揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕』が、素晴らしいからなのです。
私は、料理は芸術だと思っていますので、料理は室内楽などの音楽を楽しむように、時空間を楽しむスタイルが正しいと思っています。
ですから、拝金主義者が考えるような、即物的なとらえ方で、料理を貨幣価値に置きかえるような状態では、味覚は正しく機能しないと思っています。
安部首相の提唱している「秘密保護法」が拡大解釈され、「個人情報」も保護されすぎると、一期一会も、団欒の食事も、全て、否定され、一人高齢者の孤独死が一般的になると思いますが、ネット上でのバーチャルなだけの出会いは、この流れを加速させるために利用されかねない状況ですね。
香川県が住みやすいのは、うどん文化のお陰で、地縁関係が、まだ、残っているからですね。
日本国民は、性悪説の中では確実に滅ぶと思いますから、モラルを向上させ、情報を開示しても大丈夫な社会にする努力を、政府はやるべきでしょうね。
しかし、近い将来、人類が存在しなくなる市町村が、多々あるようなので、なんという世の中だろう、と感じていますけどね(笑)。
掲載写真は、順に、「ニュー雅園」の、スープが素晴らしい『青野菜ラーメン』、『酢豚定食』、『揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



タグ :高松市内のグルメ
2013年12月13日
トキワ街・産直店にて



「この、こんまい白菜のう、このまま、生で、サラダで食べたら美味しいんで。」
「ほんまなぁ。わしは、キャベツと一緒に、新鮮な白菜を刻んで、ハンバーグのつけあわせなんかに使うことあるけど、白菜は白菜でっせ。キャベツやレタスとは違うでしょうが。」
「それがちゃうんや。白菜独特の生で感じるエグミがないように品種改良されたものなん。ただし、朝採れた分でないといかんけどのう。」
「ほーなー。ほんだら、小さいし、1つ50円なら安いけん、分けてもらうわ。」
高松市トキワ街の野菜専門店『阿波・讃岐のうまいもん』で、ニンジン〔3本で100円〕、タマネギ〔3コで80円〕を買った後、その向かいに毎朝出る、JA香川県産直店で売っていた農家のおじさんのすすめで、私は、生で食べる朝採れ白菜を買いました。
こうして、お昼ごはんを、さか枝で、かけうどんと、ゲソ天、でいただいて帰宅した私は、夕食時に、牛すじ煮込みにそえていただくサラダを、生の白菜オンリーにして、ゴマドレッシングをかけて食べ、素晴らしい生の白菜の自然な甘さに感動しました。
マルナカ、マルヨシ、イオン、ゆめタウンなどでは、絶対にこういう白菜は買えないですね。
ちなみに、ミニトマトについて、私は、讃岐うどん店「まるいち」で時々自家農場で出来たものを売っている時に、買うようにしています。
高松は、こういう食生活が出来るので、とてもいいと思います。
掲載写真は、順に、「高松市トキワ街・産直店」で買って、生で美味しくいただいた、『朝採れ白菜』(50円)、「さか枝」の『かけうどん』(170円)と『ゲソ天』(80円)、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2013年12月07日
久しぶりの「鶴丸」と「大日本社員食堂」



「鶴丸」は、カレーうどんの有名な、高松の老舗うどん店です。
高松の飲み屋街は、高松市中心の中央通りと平行に、その東側を南北に走る、アーケード街の高松中央商店街の、丸亀町商店街、ライオン通り商店街、と、フェリー通りを垂直に東西に走る、北古馬場、中古馬場、南古馬場、という、三本の通り沿いに集中しています。
私が生まれた、昭和32年当時の、高松の飲み屋街は、この三本よりも、北側(瀬戸内海より)の、百間町通りが、飲み屋街だったのですが、だんだん南下して、今は、この古馬場町が中心になっています。
私が大学時代から19年間住んでいた東京などでもそうでしたが、うどん県以外の地域では、飲み屋街に、喫茶店、フローリストと、ラーメン店、は必須でした。
が、うどん県県庁所在地の高松では、この三つのうち、ラーメン店はほとんどありません。他県ならラーメン店のありそうな場所は、全てうどん店なのです。
「鶴丸」、「五右衛門」等の、高松の飲み屋街のうどん店は、全て、老舗一般店で、飲み屋で飲んでいても、出前が出来るようになっています。
この、古馬場町一帯のうどん店のパイオニアが、カレーうどんで有名な中古馬場の「鶴丸」で、開店は、20:00で、閉店は、翌朝の午前3:00となっています。
次の老舗が、カレーうどんで有名な南古馬場町の「五右衛門」で、ここも、カレーの味が微妙に違いますので、どちらも夜中は一杯です。
また、同じ名前でややこしいのですが、後発で出来た、北古馬場町の「ごえもん」は、これら老舗と違って「カレーうどん」ではなく、「アサリうどん」で定着しました。
アルコールをいただいた後に食べる場合、ラーメンは、体を温める効果があるのでよいのですが、同様の効果は、カレーうどん、なら出来ますし、悪酔いを防ぐ意味では、「アサリうどん」は、アサリの潮汁にうどんが入っているので、いいのですね。
もちろん、これらの讃岐うどん店に、定番の、生醤油うどん、ぶっかけうどん、かけうどん、釜揚げうどん、釜玉うどん、などは全て揃っているのですが、飲んだ後という状況では、カレーうどんや、アサリうどん、が素晴らしいので、昔から、これらのメニューで定着しています。
「鶴丸」の大将のご長男は、当初はお父様を手伝っていましたが、今は独立して、「鶴丸」の支店を、丸亀町商店街グリーンにオープンし、朝11:00から夜12:00までの営業で、捜索うどんを中心に始めましたので、そちらはそちらで、基本がしっかりしていますから、素晴らしいです。
12月になってからも、私は、しっぽくうどんの食べ歩きを楽しんでいましたので、たまには、鶴丸の「カレーうどん」の刺激を求めて、一昨日の夜、中古馬場フェリー通りぞいの「鶴丸」へ食事に行ったので、ついでに、ゲイバー「ブ○○クスルー」へ飲みに行きました。
私は正直なので、ついでに飲みに寄ったことを言うと、ゲイバー「ブ○○クスルー」のマスターは笑いながら怒っていました(笑)。
「あーた、鶴丸でカレーうどん食べたついでにうちに寄るなんて、んまぁー、しーーっつれいだわ。」
「おだまりだわ。夕食をいただいた後、いい男で眺めのいい場所で焼酎を飲むと、あたしは、癒されるのよ。あたしの言ってることおわかりよね。つまり、この店は、いい男が集まっている、いい店だ、と褒めてるのよ。」
「んまぁーーー。あたし以上のいい男なんてこの世にはいないのよ。あーた、あたしを見に来たのね。」
「そうねぇ。あたし目はいいほうだから、あーたのお顔はよーーーく見えるわよ。でも、相変わらず、世界一ナルシストねえ。でも、ごめんあそばせ。あたしの方があーたよりもはるかにナルシストだわよ。オホホホ・・・。」
などと、いつものらように、新宿二丁目仕込みのオネエ言葉でごあいさつしていたら、今日の夜、クリスマスパーティーをやるとのことで、出席することにしました。バイキングなのだそうですが、ゲイバー「ブ○○クスルー」のマスターは調理師なので、素晴らしいだろうな、と楽しみにしています。
こうして、一昨日の夜は、久しぶりに、飲んだので、昨日は、野菜を食べようと思って、本当に久しぶりに、南新町の「大日本社員食堂」〔農家が経営している、朝採れ野菜専門のレストラン、以前は夜もやっていましたが、今は、昼のみ営業し、入口にある「農民一揆」という野菜専門店で、朝採れ野菜を安く売っています。〕で、鶏肉の南蛮ランチ、をいただきました。
ご飯は、大中小、玄米、白米、から選べ、付け合せの野菜料理は、朝採れ野菜で作ったもの10品から好きなもの2つを選べます。私は大の玄米にして700円でしたから、安いですね。
しみじみ思ったのですが、玄米ご飯は、美味しいですね。また、朝採れ野菜のおひたしは、自然な甘みがあって本当に美味しいですね。
ところで、今年の流行語大賞は、「じぇじぇじぇ」「今でしょ」「倍返し」「おもてなし」と、たくさんになったようですね。
が、この先大切なことは、食の安全から言うと、間違いなく、「地産地消」だろう、と、私は確信しています。
掲載写真は、順に、「鶴丸」の『カレーうどん』、「大日本社員食堂」の『鶏肉の南蛮漬けランチ』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2013年11月07日
久しぶりの「ニュー雅園」の揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕


昨日は、レトロでライブをやったので、相方の、ボーカルの山本君と兵庫町商店街と中央通の四つ角の、「高松書林」前で待ち合わせて、夕食をべてから、三越高松店裏の「レトロ」に行きました。
まあ、高松市内は、うどん店、骨付き鶏店、瀬戸内の魚を食べさせる店が、圧倒的に多いので、食品偽装の心配のない、地産地消を旨とする、これらのお店に行くことが多いのですが、そうでない種類のお料理の場合、昔からの老舗は、間違いないですから、江戸時代から続く、老舗漬物店の「大森屋」の大将は旧知なので、彼をご案内しました。
醤油豆については、最近、丸亀市の老舗の「大西食品」の味が落ちたので、私は、「大森屋」に変えて愛用していたためですが、坂出市の山本君には、ここの漬物、和え物、自家製の味噌、が素晴らしいので、ご紹介しました。
「大森屋」がネット販売を開始した19年ほど前、母の介護のため東京からUターンした直後、私は、「日本マンパワー・四国総代理店」の人材開発部長として、いろいろご案内していたのでしたが、ちょうど、ウィンドウズ95が出たときでしたので、ネット販売開始に伴うホームページ作成について、お手伝いさせていただいたことがありましたので、お聞きすると、「大森屋」の売り上げの半分以上は、ネット販売になっているとのことで、兵庫町本店、ゆめタウン店、より、ネットだということでしたので、まあ、インターネット販売を開始して精巧だったなあ、と感じました。
ネット販売開始当初は、京都の漬物店に負けることを、大将は心配していましたが、京都と高松では漬物の作り方も微妙に違うので、大丈夫ですよ、と励ましていたことを懐かしく思い出しました。今では、千枚漬けも、ネット売上げが増えた、とおっしゃっていたので、安心しました。
まあ、「大森屋」の漬物は、高松では一番美味しいです。というのも、高松市瓦町で「丸天旅館」を経営していた板前の祖父が、先代の大森屋で漬物を仕入れていましたから、間違いないですね。
「大森屋」をご案内してから、夕食は、リーガゼストホテル高松、の裏にある、老舗中華料理店の「ニュー雅園」にご案内しました。三越斜め向かいにあった「平安閣本店」が不景気のため、閉店してしまいましたから、西の丸界隈のこのあたりの中華では、「ニュー雅園」が一番の老舗で、リーズナブルですから、そちらに一緒に行きました。
「ニュー雅園」は、鶏がらのパイタンスープが素晴らしいので、うどん店一杯の高松でも、ここの中華そばは、480円で素晴らしいですし、チャーハン、と、揚げチーマーカオ〔ゴマ団子〕が美味しいことを知っていましたので、それらを一緒に食べました。
「ニュー雅園」は、10年ぶりの来店でしたが、穏やかな大将は、ぼくのことをよく覚えてくれていたので、嬉しかったです。今、弟さんは、八栗町支店をやっているそうですので、相変わらず繁盛していて、ほっとしました。
平成育ちの山本君などの世代は、中華のデザートは、「杏仁豆腐」だけしか知らない人が多いのだけど、私の世代にとっては、中華のデザートは、揚げチーマーカオ、か、大学芋、で、「杏仁豆腐」は、日中国交回復のときに、周恩来首相が、田中角栄総理に、晩餐会で出したデザートが「杏仁豆腐」だった頃から一般的になったので、そのあたりをご案内しながらいただきましたが、本当に、ここの、揚げチーマーカオ、は、昔とちっとも変わらず素晴らしかったです。
老舗はこうでなくちゃいけませんね。ぼくは、大将と、最近話題の、高島屋のメニュー偽装などについてお話しましたが、こういう、まじめにやっている、飲食店に、非常に悪い影響を及ぼすことが、一番いけないことだなあ、と痛感しました。
山本君が、揚げチーマーカオに感動したので、よかったですね。
いろいろ、バブル前と比較して、果たして、日本は豊かになったのかなあ、と感じてしまいました。バブル前の日本は、「杏仁豆腐」も一般的ではなかったけど、食品偽装なんてことはありませんでしたからね。
その点では、香川県は、ソウルフードのうどんが、1200年前から定着していますから、他の都市よりは、住みやすいだろうな、と、再確認しました。
「レトロ」で演奏したら、高松高校の同窓生のG君がいらしていてびっくりしました。また、浄土真宗のご住職のアマチュアギター奏者のSさんの演奏が素晴らしかったので、感動しました。
掲載写真は、「ニュー雅園」の揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕(4コで350円)、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



タグ :高松市内のグルメ
2013年08月23日
「ヒコ & ヒロ」のスタート


ステディーにデュオをやることにした、相方のボーカルの27歳の山本寛大君と、作曲家兼ピアニストの私・岡田克彦、は、それぞれのニックネームをとって、「ヒコ & ヒロ」というグループ名にして、56歳の私が死ぬまで活動することになりましたので、皆様にご報告いたします。
二人のホームグラウンドは、毎月第三土曜日の19:00から21:30くらいまで開催される、〒761-0301 香川県高松市林町2547番6 TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia の、「カフェくさか」〔地図URL;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html〕 で、未来永劫続けることにしました。
また、これにともない、今年中に、山本君作詞、私・作曲の新曲を発表し、高松市でデビューすることに決めましたので、絶対に成功させるべく、準備に入りました。
さて、最初に言っておかなくてはならないことは、二人の性癖です。というのも、私が100%ゲイ〔男性の好きな男性〕なのですが、山本君は100%ノンケ〔女性の好きな男性〕だからなのです。
この世にわんさか生息している昔の常識に縛られた凡庸な皆々様から、しょっちゅう質問される「お二人はどういう関係なのですか。」という質問に対しては、一括「彼と僕は、妖しい関係です。」と答えることにしていますが、純粋な、音楽でつながった関係なのです。
つまり、アンドレ・ジイドの言う、『純粋結婚』の状況にありますので、ジイドの言う『純粋結婚』の意味を知らない人はお調べ下されば幸いです(笑)。
『純粋結婚』には、日本国憲法は全く無関係ですので、配偶者控除なども全くありません。が、ぼくたちは、芸術的な審美眼をお互い大切にしていますので、そのような法律には惑わされません。
また、下界の皆様が頼りにする、学閥や学歴とも、全く無縁につながっています。だって、考えても御覧なさい。絶対音感などの聴覚の掌る感覚的な中枢機能は、5歳までに右脳で確立されるのですから、学歴などの左脳中枢とは無関係に、お互い尊敬しあっているのです。
こういった次第で、彼と私は、フレージング(演奏の際の息遣い)、アゴーギク〔曲全体のテンポ感覚〕と、テンポ・ルバート〔曲の中でフレージング、和声進行(コード進行)、構成(形式)に伴って、テンポを変幻自在に揺らすこと〕が、全く一致しているという、1000人に1人くらいの得がたいデュオ相手であるということを、お互いに聴覚で感知し合っているので、言語情報などは、全く、意味がないのですよ。
本番での演奏中、楽譜を見ることは、視覚に負担が行きますので、聴覚に集中するには、楽譜は、ポップスのコード表も含めて、いい演奏の邪魔になるのです。
ゴメンナサイ。二人とも才能があって(爆)。
また、演奏本番後の、お食事は、とても大切なのです。
味覚と聴覚の関係は、ヨーロッパでクラシック音楽が確立された当時の、タフェルムジーク〔食卓の音楽・弦楽四重奏などの生演奏を聴きながらお食事を楽しまれたこと〕を貴族が愛用していた当時から、音楽芸術の常識です。
しかしですね、香川県(うどん県)には、1200年前に弘法大師が讃岐うどんを始めた頃からの長い歴史があるのですが、山本君は、弘法大師の出生地の香川県善通寺市生まれで、私は、幼少期に祖父が経営していた、高松市内の老舗旅館の一つの「丸天旅館」の三代目なのです。
ですから、お互い味覚には自信があるのですが、これも、ピッタリ一致しているのです。こんなことは、めったにないのですよ。
さらに、山本君は母子家庭で育ちましたし、私の父の岡田寛(おかだひろし)は、二代目のボンボンで、女遊びがひどくて、今、お金目当ての8人目の愛人と再婚してもらってその介護を受けているのです。
が、本妻の私の母親(岡田直子)は、丸天旅館の若女将として働きづめだったので、そのことが影響して、76歳で肝硬変の末期症状で、晩年の母が可愛そうで見ていられなかったので、早稲田大学政経学部卒業後、東京で自分の力で就職して働いていた「住友信託銀行」を、課長代理当時、年収1200万円だった全てを投げ出して、1994年に辞めて高松にUターンして、母と静かに二人で過ごしていました。
当時の岡山県知事の石井さんの招聘で、2000年に、「岡山後楽園築庭300年祭」の最終日のイベントに、江守徹さんなどの朗読とのコラボ出演にも、早稲田大学政経学部の同じ研究室の友人が日経新聞岡山支局長だったので、彼の協力もしてもらって、母も聴きに来てくれるようセットしました。最後の親孝行になると思ったので、母の大好きな、シューマンのトロイメライと、ショパンのOP.48-1のノクターン、ベートーヴェンのソナタ月光を、含めて、演奏しました。
母は、その後、2006年に、肝硬変の末期症状から、脳幹部脳内出血で、逝去しました。
香川県立中病院の脳外科集中治療室併設の入院病棟に、それまで自宅で死にたい、と言っていた母は、私の中学高校の同窓生の「番町大林病院」院長を主治医にして見てもらっていましたが、ついに、救急車で、番町大林病院経由で、大林君の卒業した岡山大学医学部の先輩が脳外科部長をしている、香川県立中央病院に運ばれましたが、一ヶ月で亡くなりました。
母の好きな竹の模様の入った入院中の浴衣を買って着せていましたし、私の作曲作品のファンやUターン後やっていた経営コンサルタント関係の仕事で出会った、香川、徳島、高知のクライアントの人事部長が、お見舞いに来てくれたので、母の病室には、お花が絶えませんでした。
香川県立中央病院は自宅近所でしたから、私は毎日行き、母の浴衣を着替えさせたりおむつ交換を看護婦さんがやっているのをチェックしていましたが、母は意識不明になっていましたから、ついていた私は発狂しそうになったりしました。
こうして、母が危篤だと連絡いただく前日、私は、新しいオムツを買って持って行きました。
もう、母はしゃべれませんでしたが、全力で私の耳元で言いました。
「克彦、オムツ有難う。」
これが、母の発した最後の言葉になりました。
翌日〔2006年9月19日〕の昼前に、母は、息をひき取りました。
一ヶ月の間、「お母様は明日死ぬかもしれない。」と、脳外科部長に言われていましたので、告別式の準備は、高松高校の同窓生が、公益社の顧問社会保険労務士をしていた関係で、お願いしていましたし、本仏壇は、母の実家の東京都世田谷区の奥沢に金仏壇を移していましたが、私にとっては、小さくてもいいから、母の仏壇を自宅に置きたかったので、小学校の同窓生の、岩佐仏喜堂社長の、岩佐武彦君にお願いしていました。
そして、公益社での告別式、密葬にし、新聞での連絡もしませんでしたが、口コミで、私の作曲作品のファンやUターン後やっていた経営コンサルタント関係の仕事で出会った、香川、徳島、高知のクライアントの人事部長が、いらして下さいました。もちめん、母の親族も、東京、大阪、山口、からいらしていました。
母は、私が住友信託銀行に就職した1979年の翌年の1980年に、義務を果たしたと思って、父と協議離婚しましたが、慰謝料はゼロでしたので、私と、東京の叔母(母の妹)はずっと母に東京から仕送りをしていました。
ですから、父には、父方についた弟が知らせましたが、父が告別式に来ないことはわかりきっていました。
が、弔電も来なかったので、この、岡田寛は、人間ではない。人の足を引っ張ることしか出来ない、絶対音感も何も無い、楽器一つ演奏できない音楽評論家を生業にしている、下等動物だ、と、私は確信しました。
また、父が、RNCラジオ放送局で、アルゼンチンタンゴの長寿番組をやっていた関係で、平井卓也衆議院議員の秘書がいらしていましたが、「寛(かん)先生〔父のニックネーム〕、弔電も送らなかったの。」と呆れていました。
後日、3歳で始めた私のピアノの最初の恩師の、石井ルリ子先生はそれを聴いて激怒して電話を下さり、「あの、岡田寛は、確実に地獄に落ちるで。」とおっしゃっていましたが、下等動物がどうなろうと、私は、どうでもいいと思っています。
が、相続は別ですよ。祖父の残した遺産を母の命より大切だと思っていた物体と、そのお金目あてで、後妻に入った拝金主義者には、それなりの償いをさせるつもりです。高松は口コミの成り立つ狭い町です。早稲田大学時代の親友の東京の弁護士にお願いする予定で準備は整っています。
私事はさておき、味覚、その中でも、うどんの好みの山本君との一致は、素晴らしいことでしたね。
彼と私の讃岐うどんのコシの好み、については、高松市茜町の「はまかいどう」、高松市兵庫町の「こんぴらや」で、全く一致しました。また、肉うどんについては、高松市南新町の「綿谷製麺高松支店」、高松市天神前の「めん処七福」、で一致しました。そして、さらに、冷たいイリコダシについては、高松市南新町の「うどんや」で一致しました。
それから魚貝類については、高松市百間町の「篠乃路」の懐石、高松市木太町の「小松」の定食、高松市北浜の「高松東漁協」のランチで一致しましたし、激安定食店では、高松市中新町の「ちょい飲み まんぷく亭」で一致しましたので、あとは、酢の物とごはんについては、高松市寿町の「農林中金高松支店」社員食堂、で一致することは間違いありません。
8月24日の、「カフェくさか」サロンコンサート後、魚貝類の安くて美味しい高松市内の定食店については、夜10時頃の来店になるので、地産地消でない、ガストのような下劣なお店以外にないということが普通なのでしょうが、グルメの私にはありえないことなのです。
すなわち、ライオン通り商店街の、居酒屋「だいこく」は、以前はうどん店でしたが、オーナー社長がいずれ24時間営業の居酒屋にしたい、とおっしゃっていたのですが、その頃から懇意にしていますので、電話して確認したところ、瀬戸内の魚貝類をメインにした定食を、真夜中でも、全て、1050円、でやっている、アルコールなしでもOKとのことで、座席もキープしてくれる、とのことでしたので、そちらにご案内するつもりです。
もちろん、食後のうどんを食べたいなら、アサリうどんの美味しい「ごえもん」北古馬場店、カレーうどんの美味しい「ごえもん」南古馬場店、「鶴丸」、ざるうどんの美味しい「川福」本店、も、歩いてすぐのところですから、OKです。
とてもとても楽しみですし、そうやって一緒にいる時に、曲想は、ふと浮かぶものですから、いいですね。
最後に、飲食店で一番大切な「眺め」についてご案内いたします。
喫茶店でも、雰囲気のいいお店はいいですけど、これは、全ての飲食店に言えることです。
私は住友信託銀行東京本部で勤務していた当時、六本木や麻布の、雰囲気のいいフランス料理店を愛用していましたが、雰囲気や眺めを、全て、金額に換算してしまうのが、スタンフォード発のマネタリズム〔拝金主義〕のいけないところなのです。
雰囲気は、経営者の心意気で決まるのです。値段の安い、高松の讃岐うどん店でも、雰囲気のいいお店は、店長の心意気で決まります。
そのあたりで、高松市内で一番雰囲気のいい讃岐うどん店について、山本君と私はぴったり一致してしまいました。
それは、高松市天神前の「めん処七福」です。
ただし、ノンケの山本君は、店長がとても威勢と感じがいい、ということで、高松市天神前の「めん処七福」を評価していたのですが、ゲイの私は、店長の眺めがいい(つまり、キムタクのようなブサイクな男ではなく、ガテン系の素敵な男だということ)、ということで、高松市天神前の「めん処七福」を評価していたのです。
先日このことを、山本君と電話で話したら、大爆笑になってしまいました。
そこのゲイやバイのあなた、是非、、高松市天神前の「めん処七福」の眺めがいいかどうか、ご確認下さいませ(笑)。
掲載写真は、とても眺めのいい、 高松市天神前の「めん処七福」の入口です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年08月29日
「讃岐でんぶく ふぐ弁当」

先週、東京から遊びに来た旧友と久しぶりに会ったところ、とても興奮していて、「高松って、うどんだけじゃなく、フグも安いね。」と言っていたので、私は、爆笑しました。
「だって、すぐ目の前が海で、フグなんか捕れるんだから、仕方ないじゃない。それに、駅弁の分際で、1100円もするなんて生意気だよ。」と。
彼は、JR四国グループ企業の、高松駅弁が、2012年7月から地産地消の駅弁として、販売開始した、「讃岐でんぶく弁当」が1100円であることに感激していました。
『讃岐でんぶく』は、香川県民にとってはいちばんなじみの深い、備讃瀬戸内海で捕れる、ナシフグのことで、お吸い物や煮物にしたり天麩羅にしていただく、日常的な魚ですが、全国的にはとても珍しいフグなのだそうで、彼は限りなく感動していました。
「讃岐でんぶく ふぐ弁当」は、『讃岐でんぶく』の煮付けと塩焼きを、香川県産のヒノヒカリの炊き込みご飯の上にのせ、しょうゆ豆やえび天などがを添えてある簡素な駅弁なのに、1100円もするというのは、香川県民の私は、高いなあ、と思うのです。
なぜなら、この前、東京スカイツリー・ソラマチに、支店をオープンした、高松市牟礼町の「うどん本陣 山田家 本店」に食べに行けば、素晴らしい日本庭園を眺めながら、美味しい「釜ぶっかけうどん」(600円)に添えていただける、揚げたての、『讃岐でんぶくとかきの天ぷら』が、680円ですので、そちらの方が、絶対に美味しいと思ったからなのです。

さすがに、高松市内の、激安セルフうどん店に、『讃岐でんぶく』の天麩羅はありませんが、この駅弁が1100円するというのは、高いと思います。
まあ、うどん県では、全ての天麩羅は、イリコダシのうどんに合うかどうかで判断されますから、仕方ないですね(笑)。
掲載写真は、順に、「高松駅弁」の売り出した『讃岐でんぶく ふぐ弁当』、「うどん本陣 山田家 本店」の『讃岐でんぶくとかきの天ぷら』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年08月19日
「季の屋」にて

昨日の、高松の「カフェ くさか」でのコンサートに、善通寺市と飯山町の若い音楽の友人が聴きにいらしてくださったので、出演前に、「カフェ くさか」近所の「季の屋」で夕食をいただきました。
「季の屋」は、東バイパスに面したところにある、愛媛県の大王製紙直営の、和食ファミリーレストランですが、板前さんの力が素晴らしいので、ファミレスとは思えないくらい美味しいので昔から有名で、亡き母も大好きなお店だったので、生前はよく連れてきたものでした。
瀬戸内海の魚料理、うどん〔手打ちしています〕が素晴らしいのです。
私は出演前だったので、軽く、寿司とざるうどん、若い彼らは、ステーキと天麩羅、刺身膳、を食べました。
相変わらず、素晴らしいうどんと、お魚でしたので感動しましたが、食後にいただいた抹茶パフェが、とてもヘビーでしたね(笑)。
コンサートの方は、自作ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111(全18曲)から抜粋で何曲かやりましたが、やはり、『麩にかぶりつく鯉』がウケましたので、追加で、昔作曲した組曲「病床にて」OP.55の『点滴の詩(うた)』をやりましたが、いずれもシュールな面白い作品なので、またまた、違った反応があって楽しかったですね。
が、終戦記念日を迎えた今の時期だったので、三線のとしさんが、てっちゃんのギターとのコラボで、沖縄の地上戦で20万人もの人が亡くなったことを悼んだ傑作の「島歌」をやり、てっちゃんは弾き語りで、「長崎の鐘」と「さとうきび畑」をやり、ラストは、「見上げてごらん夜の星を」をみんなで歌うというライブになりましたので、とても素晴らしい、コンサートでした。
こういう混沌としたコンサートが私は大好きなので、とても楽しかったです。
高松には「スピークロー」という老舗ジャズライブハウス等もあるのですが、ここのサロンなどは、ジャズオンリーとなっているので、全体として私は面白いとは感じないのです。
実際、出演する人も、他の出演者の演奏を聴く聴衆でもありますから、聴衆の側に回った時、全てが同ジャンルだったら、意外な発見や深い驚きに満ちた感動はなく、楽しめないことがあるのです。
東京にいた頃、私は、クラシックオンリーのこういうコンサートをプロデュースしていましたので、その意義はわかるのですが、コンサートとしては、未来への限りない可能性や発展は少なくなる点もありますので、一長一短があるのですが、今の高松市の人口規模では、混沌としていた方が楽しいと感じています。
音楽には、クラシック、ジャズ、ロック、J-ポップ、演歌、民謡、など伝統や歴史でいろんな種類のジャンルがあるのですが、12コの周波数の音の組み合わせで出来ている点では、全く異なりませんので、ジャンルなど関係なく、ごちゃ混ぜでやったほうが、聴く方は楽しいはずなので、私はこういうやり方の方が、驚きがあって好きですね。
東京になると、人口が多く、全てが特化、専門化してもやってゆけるのですが、高松などは42万人程度の人口なのですから、専門化しても中途半端になることは最初からわかっていますので、身の程知らずな特化をしても、中途半端なオタクに止まりますので、面白くないと感じています。
結局、聴く人が、演奏会に何を求めるか、ということになってくると思います。演奏する人が刺激を受ける場としては、ジャンルごとにまとまっているやり方もあると思います。しかし、全ての演奏会は、それを聴きに来てくださる聴衆のために開催されるべきなのです。
音大の集中している東京でクラシックオンリーでやっていた私が感じたことは、自分が演奏していますので、とても、勉強になりました。しかし、一元のお客さんは、演奏会に勉強しに来ているわけではないので、アミューズメントが全くないものは、次回への期待がなくなってしまうように感じているのです。
その点では、今の高松は、発展途上なのでいいですね。
讃岐うどんにおいて、ベースの「イリコだしのかけうどん」に、何をトッピングするかで、いろんなバリエーションが楽しめるように、演奏会も、12コのヘルツの音がベースにあって、それを、どう組み合わせるかで構築されていますので、その組み合わせ方を、J.S.バッハのようにポリフォニックにやるか、J-ポップのようにホモフォニックにやるか、ジャズのようにスウィングをベースにやるか、その他民族音楽の数々など、数え切れない組み合わせの楽しさがあるのです。
そういうものをごちゃ混ぜのライブで同時に楽しめることは素晴らしいことだと思います。
音量を上げて盛り上げを作ることも出来れば、いきなり弱音にして単旋律で注目を集める効果も作れます。
そういう、演奏者の感情の起伏に聴く人が引き込まれるというのが、正しい音楽でのコミュニケーションだと、私は感じています。
こういった点では、高松の「カフェ くさか」や、丸亀の「ルフラン」のやり方が、私は気に入っています。
また、香川県らしいところは、人口規模が東京ほどではないので、こういう集まりが、地域コミュニティーと不可分になっていることですね。実際、昨日のコンサートには、私の高松ファンクラブ会長のMさんが、また、お花を生けてくださり、能管奏者の友人を連れてきてくださりご紹介下さったので、そのうち、能管とのコラボをすることになりましたので、楽しみがまた増えました。
私が東京で活動していた20数年間の間、新宿駅で知人とバッタリ出食わすなんてのは、3年に1回くらいでしたが、高松では、1ヶ月に十数回が普通なのですよ(笑)。
どちらが住みやすいのかは、人それぞれでしょう。人類と口をきかないで生きたい人は、知人とバッタリ出食わさない東京の方がいいのでしょう。しかし、高松のような地方都市ではそれは無理なのです。若い方は両方経験された方がいいと思いますが、私のように55歳になってしまったら、高松の方が、絶対に血の通った状態で生きられるので、カンフォータブルですね。

掲載写真は、順に、「季の屋」の『握り寿司とざるうどんセット』、『ステーキ、天麩羅、刺身ご膳』、です。
このお店の、『ステーキ、天麩羅、刺身ご膳』などの、お膳には、必ず、『茶碗蒸し』がついていること、しかも、『茶碗蒸し』の具財が、その季節の旬のものを生かしていることが、最大の魅力なのです。
こういう旬のものが入る割烹は、東京の赤坂だと、お値段が10倍くらいするのですが、高松では、とても、リーズナブルなのでいいですね。
ファミレスにもいろいろあって、「ガスト」や「ジョイフル」では、メニューにあるものが、マニュアル通りの接客態度で出てくるだけなのですが、「季の屋」になると、旬のものを生かした、板前さんの心づくしが感じられる内容になっていて、また、食後には、デザートを頼まなくても、自動的に、温かいほうじ茶と冷たいお水が、提供されるようになっています。
ドリンクバーも、一長一短があるのですね。
私などは、この先年老いて、足が不自由になったら、ドリンクバーは大変だなあ、と感じると同時に、亡くなった母などは、晩年に、「ガスト」「ジョイフル」「グラッチェガーデンズ」なんかに連れて行った時には、ドリンクバーは、私が取ってきていたよなあ、ということを思い出してしまいました。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年08月09日
高松市東部漁協「海鮮市場」にて

「どこに行こうかな。せっかく遊びに来てくれたんだから、どこにでもあるファミレスやチェーン店はつまんないよな。」
昨日の昼前、西讃からぼくの自宅に遊びに来てくれた、親しい音楽の友人の28歳のM君に、彼の運転する車の助手席に乗ったぼくは聞きました。
「うどんでいいですよ。」
「もう、うどんは、大体毎日食べているから飽きちゃった。ぼくは、魚がいいけど、いいかな。」
「いいですよ。」
「じゃあ、『一富士食堂』知ってる?」
「知らないです。」
と、彼が言ったので、私は、『一富士食堂』への道をご案内していたら、久しぶりだったので、間違えて、浜街道まで出てしまったのでした(笑)。引き返すのも面倒だったので、
「じゃあ、JAか漁協にしよう。野菜と魚は絶対に美味しくて安いからね。」
という、いつものような、ぼくの場あたり的なご案内で、高松市茜町の「いただきさんの海鮮市場」は、たしか、水曜日はお休みだったような、あいまいな記憶があったので、高松市北浜町にある、高松市東部漁協の「海鮮市場」にご案内しました。
高松市東部漁協の「海鮮市場」は、海のすぐそばにあります。
「こんなところにお店があるのですか。」
「そう。あそこのテントだよ。海に面していて、船と車、どっちでも留めて食べられるようになってるんだよ。昼のランチタイムしかやっていないからね。午後2時閉店なんだ。」
「これは知らなかったな。」
「だって、君の住んでいるところは高松市内じゃないからね。高松市内の人でも知らない人が多いと思うよ。でも、知らないところの方が面白いでしょう。魚は、獲れたばかりだから、最高に新鮮だから、素晴らしいランチだよ。」
高松市東部漁協の「海鮮市場」は、駐車場がありません。が、回りが空き地なので、駐車OKなのです。
こうして、高松市東部漁協「海鮮市場」の、ランチタイムに一緒に食べに行きました。
刺身定食が売り切れていないかどうか、心配だったのですが、ぼく達のオーダーが、昨日のラストの刺身定食だったので、ほっとしました。
「まだ、12時前で売り切れたらおしまいだからね。こんなランチやってるところは、高松市内でもここだけだよ。商売っ気がないのは、素晴らしいことなんだよ。」
「ハハハ・・・。」
高松市東部漁協「海鮮市場」の、ランチタイムは、魚料理〔刺身、煮魚、焼き魚、天麩羅など〕1品と、ご飯、潮汁、漬物、小鉢、で、650円なのですが、単品が350円なので、刺身と天麩羅で1000円をオーダーする人が大半です。
彼は、刺身定食とタコの天麩羅、ぼくは、刺身定食とエビの天麩羅をお願いしました。
鯛、ハマチ、ニシ貝、の刺身は、いつもどおり素晴らしかったです。彼は、ニシ貝の刺身とタコの天麩羅に、感動していました。
「この貝の刺身、美味しい。全然臭みがないな。タコも、メチャクチャ美味しい。」
「この店ね、『幻のタコ飯』というメニューがあったんだけど、ぼく、何回か食べに来たんだけど、あったことがなかったんだ。本当に幻だったんだ(笑)けど、ついに、メニューから消えちゃったみたいだね。こういう怪しげなお店、って最高でしょう。」
「ハハハ・・・。」
ぼくは、鯛の刺身の歯応えがいつも通りよかったので、安心しました。
「これこれ。このブリッとした硬さの歯応えがない鯛の刺身は不味いんだよね。さすがは、漁協だ。」
もちろん、刺身が美味しいのはあたり前なのですが、高松市東部漁協「海鮮市場」のランチで最高に美味しいのは、潮汁なのです。
鯛のアラでとったダシが素晴らしいのですから、私がここに食べに行く主目的は、潮汁、なのです。
私がここに食べに行くのは本当に久しぶりでした。というのも、自宅近所に「いただきさんの海鮮食堂」があるうえに、いただきさん〔魚師さんの奥様がやっている行商のこと〕が近所までいらっしゃるので、わざわざ出向かなくてもOKなのです。
こうして、美味しくいただいたあと、M君行きつけの喫茶店「カフェポートエレン」が栗林トンネルのそばにある、ということで、案内してもらったら、なんだなんだ、ぼくの亡き母が大好きだった喫茶「カフェYORK」の経営者が変わって名前が変わっていただけだったので、びっくりしました。

「この喫茶は、昔は、『カフェヨーク』ってお店だったんだよね。一番最初に始めたオーナーは、御影石の名産地の高松市庵治町の、『太田石材店』のオーナーだったんだよ。だから、この庭の石は全部御影石なんだ。亡き母が、庭の借景の紫雲山が綺麗で気に入っていたんだけど、いくら石屋さんでも、御影石置きすぎやで、って文句言ってたよなあ。」
「ハハハ・・・。ここは、よく商談で利用するんです。」
「それは、正解だね。高松商工会議所の朝のミーティングは、大体、ここでやっているみたいだからね。」
「そうなんですか。」
「M君は絶対正しいのだ。」
「ハハハ・・・。」
こうして、美味しいシフォンケーキセットをいただいて自宅まで送ってもらいました。
掲載写真は、順に、高松市東部漁協「海鮮市場」の『刺身定食とエビの天麩羅』、「カフェポートエレン」のお庭、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年06月29日
「よって屋」の『ラーメン』

昨夜は、お見舞いに行ったHさんの回復の報告のために、仲間の皆様と飲みに行きました。
その帰り、本当に本当に久しぶりに、「よって屋」の『ラーメン』を食べました。
本当に素晴らしいラーメンでしたので久々に感激しました。
ちょうど6年前に「よって屋」が高松に開店した時、亡き母の介護中だった私は、久しぶりに飲んだ後、食べに行き、このうどんの街・高松で、素晴らしい豚骨と鶏がらのブレンドスープを実現していたので、当時は30歳のマスターが従業員とたった2人でやっていたのですが、この店は絶対に流行ると予言しましたが、本当にそのとおりになったので、とても嬉しいですね。
今では、高松の飲み屋街の古馬場町では、一番人気の、ラーメン店になりましたし、ラーメンだけでなく、焼き鳥、骨付き鳥、刺身などのお通しの素晴らしいお店に成長し、従業員も8人に増えました。
当然お客さんも多く、食事時間はいつも満席なのですが、私にとっての「よって屋」は、開店当時のままなので、飲んだ帰りに、うどんではなく、ラーメンを食べたい時に寄っています。
マスターは、いつものように、にこやかに迎えてくれたのですが、私は、「あなたは若いのに本当に頑張った素晴らしい板前さんだ。」と、客観的事実を申し上げたところ、大変に照れていました。
でも、知っている人は知っているのです。
昨日の私は、ラーメンに添えて、「よって屋」は、おでんも美味しいのですが、野菜が欲しかったので、何がいいか、マスターに聞きましたら、お漬物が美味しいとのことでしたので、『本日のぬか漬け』をいただきました。
ウリとキュウリのお漬物でしたが、とてもとても新鮮な野菜で素晴らしく感動しました。
さすがは、「よって屋」さんです。材料にこだわっているのですね。
掲載写真は、「よって屋」の『中華そば』と『本日のぬか漬け』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年06月24日
「麺小町」の『ざるラーメン』

今日は、朝から雨だ、という天気予報でしたが、昼前までゆっくり寝て起きたら曇でしたので、近所の「喜多方ラーメン・麺小町」で、『特製ざるラーメン』をいただきました。
香川県では、讃岐うどんの、冷たいうどんに匹敵する、冷たいラーメン、ざるうどんに匹敵する、ざるラーメンがポピュラーで、いわゆる、冷やし中華は、あまり人気がないことが有名です。
まあ、私の自宅近所の「喜多方ラーメン・麺小町」は、ラーメン店なのに、うどん店のように、年中、おでん、を置いていますので、他県の皆さんは呆れるようですが、「喜多方ラーメン・麺小町」、は、JR四国のグループ会社ですので、こてこての田舎の会社なので、とても落ち着きますね(笑)。
食事してから、今日の午後からの、「Honda Cars 高松郷東店」に行って、テノールのてっちゃんなどとコラボコンサートをやって、コンサート後、演奏家仲間達とガスト・栗林店でトンカツなどの夕食をいだいて、帰宅しました。
夕方から雨が降り始め、やっと梅雨らしくなりました。
夜食には、近所の「ミニストップ」で、『冷やしうどん』を買ってその場のイートインコーナーで食べて帰宅し、テレビを見ていると、「ソロモン流」で、サッカーの香川真司が出ていて、日本帰国直後に大好きなうどんをコンビニで買って食べていましたので、嬉しくなりました。
掲載写真は、「喜多方ラーメン・麺小町」の、『特製ざるラーメン』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年06月06日
「骨付鳥 蘭丸」の『ひな鶏』

先月、初めてお邪魔して、地物の、桜海老を練りこんだ『さくらうどん』をいただいた、ライオン通り商店街の中の、昼はうどん店、夜は居酒屋になる、「だいこく」の大将は、私にこう言っていました。
「うちは、『うどん』、『小豆島のそうめん』、『瀬戸内の魚貝類』は自信があるんだけど、『骨付鶏』だけは置いていないんです。『骨付鶏』だけは、近所の『骨付鳥 蘭丸』が素晴らしいので、メニューに入れていないのです。」
職人気質の「だいこく」の大将の言うことは、間違いのないことですので、私は、昨夜、「だいこく」の大将おすすめの、「骨付鳥 蘭丸」へ『ひな鶏』を食べに行きました。
素晴らしい骨付鶏でしたので、私は感動しましたが、「骨付鳥 蘭丸」の大将も素晴らしい方でした。
中国からの留学生を指導して育てていたのですが、まだ、20歳代の若い留学生の作ってくれる『ひな鶏』は、実に実に素晴らしく、私は、焼酎の水割りを本当に美味しく楽しみました。
「骨付鳥 蘭丸」の大将は、かつて、隆盛を誇って、閉店後、モルジブに移住した、「ロッキー」の藤田社長をよくご存知の、素晴らしいお人柄の方でした。
やはり、美味しいお店は、お人柄の素晴らしい大将がやっていることを再確認しました。
とても気持ちのいいディナーでした。もう『骨付鶏』は、「一鶴」の占有物ではなく、美味しいお店が高松に一杯出来ましたので、うどん同様、讃岐地方を代表する、素晴らしいグルメになったと痛感しました。
掲載写真は、「骨付鳥 蘭丸」の『ひな鶏』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年06月04日
ミニストップでの食事

今日は、6月15日の、丸亀市のライブ喫茶「ルフラン」でのピアノソロ出演の依頼が急に入って忙しかったので、食事は簡単に近所の、ミニストップですませました。
私自身、自分の作曲はともかく、ピアノ演奏は、自作や自分のアレンジの演奏以外のピアノソロ演奏は、そんなにPRしていません。
ブラームスの言葉を借りるならば、私自身のクラシックのピアノソロ演奏が大したことないことなどは、『ロバの耳』でもわかることなので、そんな無駄なものをPRしてはいないのです。
が、20歳代の若い連中とコラボなどをしていると、結構依頼されるので、ライブ喫茶「クサカ」で出会った若者から、「岡田さんの演奏するショパン、ドビュッシー、J.S.バッハが聴きたい。」と言われると、そういうリクエストには絶対に応えることを開始しています。
一方で、定年退職後ピアノを始めた年配者が必死に仕上げたクラシックのピアノ小品を聴いていると、テキトーなパロディーやアレンジでやっている自分が恥ずかしくなって、ゼロから練習することを最近はこころがけています。
J.S.バッハの平均律、全48曲を、第一巻から順番に、ゼロから、練習しています。
その度に思うのですけど、本当に、クラシックのピアノソロを3歳の時からやっていてよかったなあ、ということです。
好き嫌いなど凌駕して、J.S.バッハの作品は全て素晴らしいので、全然、飽きないのです。死ぬまで、ピアノを自分の相方として生きていられることは、本当に幸せです。
しかも、コラボ相手の若い仲間がどんどん増えていて、本当に有難いことだと思っています。
優れた讃岐うどん職人さんとの出会いは、最高に素敵なことなのですが、若い音楽のコラボ相手との出会いも、また、素晴らしいことですね。
・・・・・そんなことを思いながら、近所のミニストップのイートインコーナーで、掲載写真の『和風スパゲティ』と『ローストビーフのトルティーヤ』を、新発売の『ジャスミン入り十六茶』と一緒にいただきました。
この、6月15日には、丸亀市のライブ喫茶「ルフラン」、6月16日には、高松市のライブ喫茶「クサカ」、と、二日続けて、ライブがあります。高松市国分寺町の私のファンクラブの皆さんが両方にいらして下さるので、同じ曲目はやりませんので、楽しく練習しているところです。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年06月03日
「いろは市場」にて

今日のブランチは、高松市トキワ街商店街の「いろは市場」にある、「キャラバン・サライ・ダイニング」の『チキン南蛮丼』『ハーフキュウリの漬物』をいただきました。
出来るまで席について待っていると、となりに若い男の子が座ったので、話しかけると、隣の「讃州餃子館」で働いている人だったので、いろいろ質問しました。
香川県はうどんはソウルフードだけど、餃子は香川県のソウルフードじゃないのでいろいろ聞きましたら、全て香川県内産の材料で作っているとのことでしたので、水餃子をいただきました。
とても美味しいものでしたね。
こうしておなか一杯になったのでタバコを吸っていると、またまた隣に「キャラバン・サライ・ダイニング」で働いている男の子が座ったのですが、絶対に大学生だと思ったので聞いたらそのとおりだったので安心していろんなお話をしました。
彼は高知の明るい子でした。今日は、隣席者に恵まれましたね。
掲載写真は、「キャラバン・サライ・ダイニング」の『チキン南蛮丼』『ハーフキュウリの漬物』、「讃州餃子館」の『水餃子』、です。

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村



2012年05月04日
東京の劇団の若い男の子達

今日は、快晴でした。風は強いものの晴れて気持ちのいい天気だったので、朝から「高松いろは市場」に、視察と食べに行きました。
朝8時に自転車で出かけて、いろんなところをブラブラしながら、南新町に入って、トキワ街、田町あたりの人出を見て必要な買い物もすませてから、トキワ街の「高松いろは市場」の前に着くと、「丸天のカツボンでないんな。なんしょんなあ。」などと声をかけられましたので、びっくりしました。祖父の経営していた「丸天旅館」の近所でしたので、懐かしい懐かしい、トキワ街の貸衣装店「谷宗」のおじさんでした。実に40年ぶりくらいに会いましたけど、お元気そうで何よりでした。
私は丸天旅館を経営していた岡田家の三代目の「ボンボン」でしたので、名前の克彦、の、かつ、をとって、小さい頃は「カツボン」と呼ばれていました。祖父はトキワ街の出口を瓦町駅に渡って向かって右側の、今、アイゼンパチンコ店のある広い敷地で旅館を経営していました。でも、もう55歳なのです。「ボン」はないよなあ、なんて感じていると、「あんたは、あそこにあった、もう潰れてしもうた、タマルのレコード店で、ツケで、ようけモーツァルトのレコード買いよったいかん子じゃったのう。」などと言われてしまいました。
ですから、「そんな大昔のこと言うたらいかんいかん。まだ小さかったころのことやけん周りに人が一杯やのに・・・・・、ふうがわるいけん、こらえてーたー。」と言って、
「それに、ボン、言うたって、うちより、トキワ本館の溝渕さんの方が、全然大金持ちやったけん、ほんまのボンボンは、わしでなしに、わしの幼馴染の、トキワ本館のボンちゃんの弘吉(ひろきち)やで。」と言い返しましたら、
「何を言よんな、ボンボンに本物も偽者もありますかいな。」と言われたので、大笑いになりました。
早速、「高松いろは市場」の中のどの店が、昨日の開店日、一番先に売り切れたかなどの情報収集をしました。
テレビのニュースなどでは、土佐料理の高知の「みませ」のカツオのたたきの藁いぶしのパフォーマンスが一番目立っていたのですが、意外なことに、一番最初に売り切れたのは、さすがは「うどん県」です、「麺屋軌跡」の、鯛のだしで作った塩ラーメンだった、とのことでしたので、まずは「麺屋軌跡」の塩ラーメンをいただくことに決めて、その前に、クレープハウス「ピンキー」で、バナナチョコクレープを買って、隣の、台湾スウィーツ「ありさん」のタピオカ入りアイスミルクティー、と一緒にテーブルに腰掛けていただきました。
周囲に座ったおじさん、おばさん、にいきなり話しかけて、情報収集しましたら、意外にも、一番の人気メニューは、一番奥の、「キャラバン・サライ・ダイニング」の、ワンコインステーキ丼で、とても美味しいミーディアムレアのサーロインステーキが載って500円なので、午後2時半には売り切れたとのことでしたので、後で行くことにしました。
が、隣に座った私と同世代のおじさんは、岡山からいらしていました。テレビで、ここの鯛のダシのラーメンが有名なのだそうで、私は知らなかったのでびっくりしました。が、イリコのダシに慣れているうどん県民は、鯛のダシのラーメンには絶対興味が行くと思いますので、カツオのたたきよりも鯛のダシのラーメンの方が、高松では売れると思いました。
その岡山の方は、朝五時に岡山を自家用車で出て、宇高うどんフェリーに乗っていらっしゃったのだそうです。「大変でしたね。」と言うと、「いやいや、讃岐うどんは早朝に限りますから、慣れていますよ。」とのことで、近所のうどんの美味しいお店を聞かれたので、私は「うどん棒・本店」のうどんとタコの天麩羅、「正家」の釜玉うどん、「黒田家・田町店」の生醤油うどん、「綿谷製麺・高松支店」の肉うどん、をご紹介して地図なども書いてご案内しました。
こうして、まず、「麺屋軌跡」の、鯛のだしで作った塩ラーメンをいただきました。10時に開店していたのですが、早く行ったお陰で15分くらいの待ち時間でいただけました。
ユズコショウが香り、とろとろのチャーシューとベースのあっさりしたこくのある鯛のだしとストレート麺の相性が抜群でした。
鯛を素焼きにしてからダシをとっているそうですが、豚骨のようなギトギト感は全くないのですが、奥深くしっかりとした深い味わいの鯛のダシでした。これは、高松で絶対ヒットすると思いました。お値段は700円でしたけど、それだけの価値は、うどん県では認められると思います。
「参ったなあ。やっぱり鯛のダシは、伊吹島のイリコのダシより深いなあ。」と大声で言うと、同じテーブルにいた、高松のおじさん、おばさんも同意していましたので、確実に売れます。
その後、私は、500円のステーキ丼は続けて食べられないので、テイクアウトして持ち帰ろうと思って、一番奥の「キャラバン・サライ・ダイニング」に向かおうとしたところで、この「いろは市場」の仕掛け人の、土佐人の岩目一郎さんが、マイクを持ってPRのアナウンスをしているのと出会いましたので、早速、名刺交換し、高松を活性化してくださった御礼を言いました。
「あなたこそ、平成の高松にとっての坂本龍馬です。」と正直な感想を申し上げましたら、恐縮されていましたけど、全くその通りだと、私は確信しています。
こうして、岩目一郎さんとご挨拶してから「キャラバン・サライ・ダイニング」に行ったところから、大幅に予定が変わってしまったのです。

「チキン南蛮丼、いかがですか。」という、とてもよく響く、彼の素晴らしい美声は、遠くから響いてきました。
「キャラバン・サライ・ダイニング」のカウンターにいた、数名の30歳代の男の子達の一人でした。
いい声だなあ、と作曲家の私は直ちにその声に惚れ込んでしまったので、アイスコーヒーを買って、そのカウンターに座って、お話しました。
「いらっしゃいませー。どうぞおかけ下さい。」
「はい。でも、ここ、タバコ吸ってもいいの。ぼくは吸うんだけど。」
「結構でございますよ。禁煙室は別にございますから。」
おっと、いいですね。「いろは市場」に、喫煙ルームはなく、禁煙ルームがあるのです。何と素晴らしいことでしょう。愛煙家の私は感動しました。
「はじめまして。ぼく、高松にいるおっさんの作曲家だけど、18年前までずっと東京にいたのでわかるんだけど、君は東京だね。イントネーションでわかるよ。」
「はい。東京から今回のオープンの応援で高松に参りました。」
「いいな。久しぶりに東京に戻ったみたいにおしゃべりできるなんて。で、ぼくは、吉祥寺だったけど、君はどこなの。」
「杉並です。」
「井の頭ぞいですか。そうか。じゃあ近所じゃない。よろしくね。でも、いい声してるね。みんなすごくよく響くいい声だよ。」
「有難うございます。ぼくら、全員、劇団に入ってるんです。」
「やっぱりね。発声が全然違うね。とても快適だよ。」
「エヘヘ。そんなこと言われると照れるなあ。」
などとお話していると、後ろのテーブル席にいた、高松のおばさんたちが、
「やかましいのう。ちょっとうるそうて、隣の人とも話せんわ。」
とおっしゃっていたので、私はすぐに讃岐弁に切り替えて言いました。
「ごめんのう。ほんだけど、おばさん、この子たち全員、俳優の卵なんや。東京の劇団で活躍しよるけん、自然に声が通ってしまうけんしょうがないんや。」
と言うと、
「何とな。ほんだら、テレビに出よるんな。」
「そらそうで。もうちょっとしたら、ハリウッドデビューするかもしれんけん、今のうちに写真とってもろうとった方がええで。」
と言うと、態度が急変して、携帯電話で写真を撮り始めましたので、
「ただで撮ったらいかんいかん。将来のスターなんやけん、何か追加でオーダーしまい。」
と言うと、オーダーが入りましたので、彼はびっくりしていました。
「讃岐弁は、友達言葉なので、お客さんにお願いしたりしないのですよ。命令するのです。『・・・・・まい』は、命令文なのですよ。」
「本当ですか。」
「うん。だから、次に呼びかけるときには、『どうぞこちらにおかけ下さい。』と言わずに、『ここに座りまい。』とお客さんに命令するか、ちょっと呼びかけるスタイルなら、『ここに座りまーせー。』と言えばいいんだよ。語尾を伸ばせば伸ばすほど、丁寧になるからね。」
などと、讃岐弁をご案内しました。
そのあと、ステーキ丼の材料のステーキがまだ到着しないとのことでしたので、夜もう一度食べに来てもいいな、と思ったのですが、なんだか、この、劇団の若者達が気に入ったので、テイクアウトはやめて、食べることにしました。
でも、協力するからには、売り上げに貢献しないといけないと思いましたので、お客さんを呼び込んだりしました。
とても楽しかったですよ。
途中で、ヒューズが飛んで照明が消えてお店が真っ暗になったりしましたが、彼ら若者は、直ちに、「私共は、エコなステーキハウスでございます。」と大声で呼びかけていましたので、爆笑してしまいました。
最後に、ステーキ肉が到着した午後1時ごろ、私の隣には、木太町と春日町の女性の奥様が座っていました。私のステーキ丼も出てきたのですが、隣の女性の方がごちそうしてくださった、チキン南蛮丼も素晴らしく美味しかったのでびっくりしました。
が、ステーキ丼は、とても500円とは思えないほど、いい牛肉を使っていましたので、感動しました。
素晴らしい屋台村の市場ですね。これからはちょくちょく顔を出したいと思いました。
表に出ると、丸亀市在住の若者達が、ヨサコイを踊っていて、もう、市場全体がお祭り状態でした。
香川県内在住の皆様、まだ行かれていないのならば、是非是非、高松市トキワ街商店街の「高松いろは市場」に行かれることをお勧めします。
素晴らしいし、底抜けに楽しいですよ。
そして、帰り道、なんとなんと、久しぶりに、シンガーソングライターの、せとちとせさんにバッタリ出食しましたので、今度のレインボー通りの「K」で一緒に『讃岐ブギウギ』を演奏することにして、オーナーに連絡しました。
彼女も、「トキワ茶寮」のそばに、自前のピアノのあるスタジオを始めたそうなので、また、遊びに行こうと思っています。トキワ街を音楽文化的にも発展させたいと思いました。
掲載写真は、順に、「高松いろは市場」内の、「麺屋軌跡」の『鯛のだしで作った塩ラーメン』、「キャラバン・サライ・ダイニング」の『美声の劇団員の若者』、「キャラバン・サライ・ダイニング」の『ワンコインステーキ丼』、です。
2012年05月04日
「TAKAMATSU いろは市場」のオープン

高松市中央商店街トキワ街、OPA跡地に“屋台村”「いろは市場」が、昨日5月3日オープンしました。
8つの町のアーケード街でつながる、高松中央商店街では、高松三越のある一番北側の丸亀町、兵庫町、片原町東、片原町西、と片原町西から枝別れしている、ライオン通り、の、5つが、北部、そこから南に下る、丸亀町の南の、南新町、田町、コトデン瓦町駅のある高松天満屋までつながる、トキワ街、の3つが、南部になります。
このうち、北部の方は、丸亀町商店街振興組合が早くから対応していたため町の活性化に成功し、一番北側の丸亀町A街区の壱番街ドームと、一番南側の丸亀町G街区のグリーンタウンが完成したお陰で、北部の5つの商店街と南新町までは人出が増えていましたが、今回の、トキワ街の「TAKAMATSU いろは市場」の開始で、雨が降りそうな天気だった昨日は、高松中央商店街は、全て、私の幼少期の昔のような情況に近い人出になりました。
もちろん、「TAKAMATSU いろは市場」のテナントが全てそろうのは7月以降になりますから、完成して定着すれば、昔の人出に近づくだろうと思います。
素晴らしいことなのですけど、今回の高松中央商店街の成功は、丸亀町商店街振興組合(つまり、江戸時代に水戸光圀のお兄様の讃岐藩主の松平さんによって、隣の外様大名の丸亀藩から高松藩に強制移住させられた、現在の丸亀市にいた丸亀人の子孫の皆様)、と、「TAKAMATSU いろは市場」をプロデュースして下さった、高知市の「ひろめ市場」をプロモートして成功された、土佐人の岩目一郎さんが、高松に移住してまでやってくださったお陰だということを、高松人の皆さんは、私も含めて、忘れてはならないのです。

明治維新を起動させた坂本龍馬のような偉人は高松人にはいないようですね。江戸時代の長きに渡って外様大名だった、土佐藩や丸亀藩の出身者こそが、世の中全体を変えるような新しい活力の原点になるということです。私は決して高松を卑下しているわけじゃなく、それも一つの町のあり方だと客観的に捕らえていますので、高松はのんびりしていたらいいと感じているのですよ(笑)。
昨日から、「TAKAMATSU いろは市場」で開店したお店は、『土佐居酒屋・土佐藁やき みませ』、『軽食&スイーツの、ヒッチー&ミッチー』、『cafe・居酒屋Dining 総』、『ソーセージ&ビール ローマイヤ』『ホットドッグ・ティンクル ティンクル』、『アサヒビールバー』、『レストバー・キャラバン サライ ダイニング』、『坦々麺・餃子 雷伝 いろは店』、『讃州餃子館』、『神戸黒カレー倶楽部』、『讃岐骨付き鶏・568コロ家』、『讃岐うどん 挑(いどみ)』、『韓国屋台・SUGOROKU いろは店』、『鯛出汁ラーメン・麺屋軌跡』、『たい焼き・たい夢(たいむ)いろは市場店』、『台湾風かき氷・阿里山 (ありさん)』、『たこやきのなにわ』、『寿司 いろは』、『クレープハウス・ピンキー』、の19〔うち、讃岐うどん店だけは、開店に間に合わなかったようでした(笑)。〕ですが、7月に40店舗になるそうです。
高松の中央商店街のアーケード下がにぎわうことは、とても素晴らしいことです。
オープン初日の昨日は、この19店舗の中でも、特に、『土佐居酒屋・土佐藁やき みませ』の、カツオのたたきの藁でいぶすパフォーマンスが、大人気でした。

県外の皆さんは、讃岐うどんの手打ちパフォーマンスに感嘆されるのでしょうけど、私などは高松で生まれた頃から飽きるほど見慣れていますし、トキワ街のアーケードの中も外も、うどん屋だらけですので、この屋台村に讃岐うどん店が入っても入らなくてもいいと思っています。
この屋台村の近所ならば、「うどん棒・本店」のうどんが群を抜いて美味しいですけど、歩いて5分もかかりませんし、並びの、南新町商店街に入ると、肉うどん専門店の「綿谷製麺」や「うどんや」がありますし、田町商店街に入って、香川県の恥の最高にうどんの不味い「はなまる本店」には絶対入らずに通り過ぎて(笑)、路地を左折すると、「山越」で修行した藤本さんのやっている「正家」、田町商店街を抜けると翌朝の5時まで営業している「黒田屋・田町店」もありますからね。
屋台村でいろいろなものやスウィーツをいただいて、帰り道のうどん店で、冷たいかけうどんなどをデザートとしていただけば、完璧ですね。
だんだん、町が住みやすくなって来ていて、よいことです。
掲載写真は、順に、「TAKAMATSU いろは市場」から、『土佐居酒屋・土佐藁やき みませ』、カツオの藁いぶしパフォーマンス、『鯛出汁ラーメン・麺屋軌跡』カウンター、『韓国料理すごろく』カウンター、です。
2012年04月22日
今日は雨でした。

日曜日の今日は、朝から雨でしたので、食事は近所ですませました。朝は、近所の、年中無休の、「さぬき麺市場・郷東町本店」にて、『かけうどん・ごぼう天・レンコン天載せ』をいただきました。

まあ、今夜は、日本が優勝した、フィギュアスケート最終日のエキシビジョンがありましたので、全てをそれにあわせたことは、あたり前でした。
高橋大輔のブルースは実に素晴らしいものでした。こんな単調な音楽で表現することは非常に難しかったと私は思います。
鈴木明子の、ショートプログラムのリストのハンガリアンラプソディーNo.2 は、実に良く出来ていると思いました。リストのこの作品は、全く統一感のない、いろんなものがごちゃ混ぜになった駄作ですが、ごちゃ混ぜの駄作状態を、鈴木明子は、実によく表現していましたので、表現力ナンバーワンだと、私は思いました。特に、フリスカが出てくるところは、完全なコメディーですから、このあたりを実にうまく表現していると思いました。
また、鈴木明子のフリーのヨハンシュトラウスのこうもりは、ウィンナワルツで盛り上がることが最初から決まっているので、リストの作品に比べると構成がしっかりしているので、誰でも表現できる程度の作品ですから、失敗したことを悔やむ必要は全くないと私は痛感しましたね。
さらに、村上加奈子が、J.S.バッハのシャコンヌで滑ったショートプログラムで大成功したのに、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトのフリーで失敗したのは、音楽力の違いが原因だと思いました。メンデルスゾーンの作品は、駄作が多いので、駄作らしさを表現しないとうまくゆかないと思います。実に困った作曲家ですね(笑)。
こういった次第で、夕食は、ゆっくりテレビを見たかったので、早めにすませば何でもいい、と思って、歩いてすぐの「ジョイフル・扇町支店」で簡単にすませましたが、「みすじステーキフェアー」をやっていたので、『みすじステーキとグラタンのコンボ』『豆腐のサラダ』『ドリンクバー』『スープバー』をいただきましたが、意外に美味しかったので、びっくりしました(笑)。
私の認識では、「ジョイフル」と「ガスト」のステーキは噛み切れないものでしたので、いつもオーダーしないことに決めていたのですが、たまには、こういうこともあるのだなあ、と、感心しました。

掲載写真は、順に、「さぬき麺市場・郷東町本店」の『かけうどん・ごぼう天・レンコン天載せ』、近所の香川県庁裏の満開の桃の花、「ジョイフル・扇町支店」の『みすじステーキとグラタンのコンボ』『豆腐のサラダ』『ドリンクバー』『スープバー』、です。
2012年04月19日
天銀、大日本社員食堂、やま家

昨日の夜、ミクシィやフェイスブックで出会った、西讃の20歳代の若者2名と一緒に食事に行きました。
高松市内の割烹はあまり知らないとのことでしたので、お座敷天麩羅の「天銀・大工町店」にご案内しました。
お座敷天麩羅、というと、ものすごく高級なイメージを持つ人が多いのですけど、高松の「天銀」は、とてもリーズナブルで、カウンターで目の前で揚げてくれる熱々の天麩羅、お櫃に入ったご飯、味噌汁、お漬物の定食が、1500円なので、ガストでステーキ定食を食べてドリンクバーをいただくのと値段はあまり変わらないことをご案内しました。
まあ、高松は瀬戸内海の海の幸が安いですから、もし、天麩羅が嫌いならば、讃岐うどん店に行けば安いのですけど、ひと月に1回くらいは、こういう割烹で食事した方が体にはいいので、ご案内した次第でしたが、二人とも大喜びでしたのでよかったです。
私の行きつけの一つのこの店は、ご飯は二杯半分くらいがお櫃に入って出てきて、お茶碗に自分で盛っていただく様になっているのですが、お櫃が出てきた段階で、既に大騒ぎでした(笑)が、奥さんが、「男性の方はお櫃から直接召し上がりますからどうぞ。」と言って下さったので直接お櫃から食べていましたが、それでOKなのです。
「天銀」はもともと、大工町のフェリー通りに面した、この店が本店なのですけど、大将の弟さんが、暖簾分けして、今新町に、「天銀・今新町店」がありますが、どちらも天麩羅定食の値段は1500円で、素晴らしく美味しいので、OKなのです。

従って、今日は普段の生活に戻しました。まず、ブランチは、南新町「大日本社員食堂」のランチをいただきました。
今日の「大日本社員食堂」のランチは、『白身魚のすり身のフライ・辛し醤油漬け』『ご飯』『味噌汁』『飲み放題のドリップコーヒー』と、『好きな野菜の料理2品』で、650円でしたが、私は、『好きな野菜の料理2品』については、『ワケギ和え』と『万葉のけんちゃん』をいただきました。

素晴らしい昼食だったので、帰宅中に、「やま家」に寄って、『冷たいおろしうどん』(230円)をデザートにいただき、生うどん玉売りを買って帰りました。
今日は朝から晴れていたのですけど、帰りがけに、少し雨が降り出しましたので、自転車を急いで漕いで帰宅しました。
私の行きつけの、しゃぶしゃぶ割烹の「まる」が、しゃぶしゃぶセットを、楽天市場で売り出していたものを先月購入していたものが、昨日届いていたので、それを今日の夕食にいただきますのでOKなのです。
というのも、しゃぶしゃぶのしめは、当然、讃岐うどんにする予定で、やま家でうどんを買っていますので、今日、明日は、家で美味しいうどんをいただけるので、最高に幸せなのです。
掲載写真は、順に、「天銀・大工町店」の『天麩羅定食』、「大日本社員食堂」の『白身魚のすり身のフライ・辛し醤油漬け』『ワケギ和え』『万葉のけんちゃん』『ご飯』『味噌汁』、「やま家」の『冷たいおろしうどん』、です。