2013年07月25日
タリーズコーヒー・高松市西宝町支店、が、建設中です。

ぼくの住む、高松市西宝町の自宅近所には、以前、香川県教育委員会の持つ土地があって、そこに、教育会館、教育委員会の経営する「ミューズホール」というコンサートホール、「ラポールイン高松」というビジネスホテルなどがありました。
この中でも、「ラポールイン高松」は、高松の自宅から歩いて2分位なので、法事があった時など、東京や関西の親戚などは、近いので、「ラポールイン高松」に宿泊したり、「ラポールイン高松」のレストランの料理人がしっかりしていたので、よく利用していました。
が、「ラポールイン高松」は、不景気のため閉館して、10年くらいになります。また、香川県教育委員会ものんびりしているので、「ラポールイン高松」のあとは、そのままになっていましたので、永遠にそのままかなあ、と感じたりしていました。
ところが、数日前から、「ラポールイン高松」のあった並びの駐車場〔ミニストップ西宝町支店の隣〕に、TSUTAYAが新店舗を開始することになり、その中に、「タリーズコーヒー」が出来ることになりました。
まあ、もちろん、喫茶店は近所に何軒かあるのですが、香川県の県庁所在地ですから、うどん店の方が喫茶店より多いのは、仕方なかったのですが、いやいや、東京から来た友人との待ち合わせなどでは、便利になりますので、とてもよかったなあ、なんて感じているところです。

掲載写真は、教育会館です。高松市中心部ですが、西宝町は、西宝寺の山のふもとで、緑豊かな、瀬戸内海もすぐの、いい場所なんだなあ、と改めて感じてしまいました。

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タグ :地域コミュニティー
2013年07月21日
しらじらしいにも程がありますね。

広島市での16歳の女がかつての友人の同級生を、ネットで出会った人と一緒に、リンチ暴行して、絞め殺し、こともあろうに、その死んだ人の首の骨を自ら折って、捨てたというおどろくべき残酷で人間とは思えない所業をしでかしたことについて、その全ての責任は、この犯人の16歳の女を育てて、しつけた、母親にあります。
が、呆れたことに、この母親が、「今回、私の子どもが起こした事件で母親として被害者の方に心からおわびします。私自身突然のことで困惑しています。」とする自筆の談話を、広島県警を通じ報道機関に出したそうです。
この母親は、何を寝ぼけているのでしょう。
人を殺した後、その首の骨を折る方法を教えたのは、この母親に決まっていますのに、しらじらしいにも、程がありますね。
いくら心からお詫びしても、殺された16歳の女性の命は戻って来ませんし、折られた首の骨は元に戻らないのですよ。
この程度の、日本語で許されると思ったら大間違いですよ。ちゃんちゃらおかしい。さっさと自分で自分の首の骨を折って死になさい。
こんな母親に老後の公的年金が支払われることは、この親子の大好きなお金の問題としても、えらいことなのですから、生存自体が社会の迷惑なのです。さっさと消滅しなさい。

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2013年07月21日
「へし折る広島」のすすめ

広島で、友人を虐殺した、16歳の女は、いったい人間なのでしょうか。
「根性焼きをしていたら動かなくなったので、首絞めて、最後に首の骨折って、投げ捨てた。」
と言っているとのことです。
広島の16歳の女が、集団虐殺致死事件について、こんなことを言っているとは何事でしょうか。
この親は、この娘に、人間の首を絞めて殺害し、その人間の首の骨の折り方を、しつけたのでしょうね。
この親は直ちに、死刑にすべきだと思いませんか。
更正などありえませんよ。
ついさっきまで生きていた人間の首の骨を折る時の首が折れる音や触覚はどうなのか、等というものを、自分の子供に教えて、しつけていたのですから、この親は、人間ではありません。
30歳代~40歳代の日本人の親の大半がこのような物体でないことを願っていますが、広島市にこのような物体が生息していることについて、どのように対処すればいいのか、全日本国民は考えなくてはなりませんね。
「おしい広島」というキャッチフレーズで、広島県は地場をPRしているようですが、直ちに、「へし折る広島」に、変更しなさい。広島市民はみんな、殺害した人間の首の骨を折る音を楽しんでいるのですから、ぴったりの、命名です。
広島在住人は、うどん県に来ることはやめなさいね。うどん県出身の、弘法大師が祟りますよ。

掲載写真は、この事件に巻き込まれ、少女虐殺のために呉市まで運転した、21歳の、瀬戸大平です。
鳥取出身のこの男は、貝殻節、あたりを歌って、のんびりしていたらよかったのです。広島市民と付き合うとろくなことはありませんので、しばらくの間、広島市は、日本国内で、「村八分」にしましょう。
だって、広島は、「へし折る広島」なのです。人を殺害して、その死体の首の骨を折って、その人の首の骨の折れる音を楽しむ人達がいらっしゃる場所なのですから。

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2013年07月18日
7月18日の記事

私のホームページは音楽芸術を扱っていることから、ヨーロッパや東京方面からのアクセスが多いのです。
私の住む、香川県高松市近辺の音楽(クラシックに限りませんよ)愛好者が、興味を持っていらっしゃることは、ご自由に思っていました。
が、今回の、近所の広島で起こった、女子高生とその仲間による、16歳の人間の屑どもによる、16歳の女子高生への暴行・リンチ・致死・遺体遺棄事件を受け、方針を180度転換しましたのでご案内いたします。
本件は、女子高生を暴行、リンチして殺し、遺体を遺棄し、ミイラ化することを楽しみにしていた、16歳の女や男を生んで躾けた親に全責任があります。
大体30歳代~40歳代の、この親どもがいけないのです。
いけない点は何か、というと、それは、決まっています。
この犯罪青少年や少女を育て躾けた親の感受性が摩滅していること、同じ人間を虐殺することを無常の快楽だと思っていることです。
このような輩は、全員、私のホームページ、ブログ、に入ること、及び、J.S.バッハ作曲の「マタイ受難曲」を聴くことを、ヒューマニストの作曲家の私は、絶対に禁止します。
これは、絶対的に正しい決定事項ですので、以上の厳守を強要します。
反対の人、気に入らない人は、ツウィッターでつぶやくことなど、ウェブ上で騒ぐことは禁止します。下記私の住所地まで、直接、文句を言って、私を虐殺しにいらっしゃい。
〒760-0004 香川県高松市西宝町2-9-10 市営住宅B団地1棟102号室 岡田克彦〔下界の瓦礫と違って、アーティストの私は、ハンドルネームのようなものは使いませんよ。れっきとした、戸籍上の本名です。〕
P.S. 私は、阿呆教師のように「自殺できるものならやってみろ。」(笑)等とは申しません。「私を虐殺できるものならやってみろ。」と申し上げます。
以上、伏して、お願い申し上げます。

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タグ :虐殺反対
2013年07月18日
やっぱり、J.S.バッハは最高ですね。

ぼくが自分でピアノで弾いて一番好きな曲、それは、間違いなく、J.S.バッハの平均律第一巻24番のロ短調フーガですね。
これは、20歳代の頃から、全く変わっていません。

思い起こすと、この作品の名演を初めて聴いたのは、東京にいた頃、中野のクラシック喫茶「クラシック」で大学生当時に、エドウィン・フィッシャーのピアノで、聴いた時でした。
もちろん、3歳からピアノをやっていたぼくは、この曲はやったことがあって知っていましたが、エドウィン・フィッシャーの通奏低音の響かせ方と、トリルのとり方には、大変な衝撃を受けたものでした。
無調性と調性の間を行ったり来たりしている、このフーガはなんとすごい、偉大な曲でしょう。
そんなことを思いながら、次回の、「カフェ・くさか」で、米倉利紀氏の「hands」を山本君のボーカルとコラボする前奏曲として、このフーガを演奏することにしたので、練習していると、いろんなことを思い出してしまいます。
この曲をいろんな場所で演奏した時の思い出がよみがえるのだけど、そのような、自分の生き方のような、ちっぽけな人間界の出来事とは別格に、いつもこの作品はぼくのそばにいてくれたなあ、と感じて、とても感謝してしまいます。
いろんな室内楽やコラボなどを、東京、大阪、岡山、高松で、やって来ましたが、ぼくが、マジにこの人と合わせたいと思った合奏やコラボの相手は、全員、このフーガの好きな人たちでした。
今回も、コラボ相方の山本君のリクエストで、これをやるので、最高に幸せなことですね。
音楽のジャンルなど凌駕して、J.S.バッハは、別格の音楽の大元だろうと感じています。

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2013年07月17日
今年の流行語大賞について

人間は都合のいい生き物ですから、悪かったこと、反省すべきこと、は、すぐに忘れてしまうことが多いようですね。
しかし、昨今の、いじめ問題に接しても、自分の老後の退職金が減ることばかり気にしている、教育長などの言動に、拝金主義に基づく事なかれ主義の蔓延している状態は明らかなようです。
呆れ果てたことですが、このようなことは、絶対に許されない犯罪であるということを、人類の記憶に永久に残すために、今年の、流行語は、「死ね」に決定した方がよいでしょうね。
このような事態の責任の全ては、自殺に追い込まれた子供達の親や担任教師、つまり、今、30歳代~40歳代、の、全ての人間のモラルのない、言動にあります。
つまり、この世代の人間が、「ウザい」「キモい」「ムカつく」などという言葉を日常会話で使っていることがいけないのです。
このあたりの肥溜めのような汚い言葉を口にすることを、直ちにやめないと、いじめや、それによる若年者の自殺は絶対になくならないでしょうね。
以上を踏まえて、私の結論。
自殺適齢年齢は、今、30歳代~40歳代の皆々様です。
この世代の人間が、日本国内から消滅すれば、素晴らしい国家に変貌することは確実なのです。
実に実に困ったことです。

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2013年07月15日
想像以下の“今”はない

「岡田さん、R&Bってご存知ですか。」
ボーカリストの27歳の山本君は、私の自宅に遊びに来て、私のピアノと一緒にいろいろコラボをやって遊んだ後、ミネラルウォーターをぐっと飲んで、私に言いました。
「何だいそれ。」と私。
「リズムアンドブルース、ですよ。そんなことも知らないのですか。」
「うん知らないよ。何か音楽のジャンル名なの。ぼくは、ドビュッシー、フォーレと、J.S.バッハ、あたりは大好きだけどね。ごめんな。年寄りのおっさんだから。」
「そんなつもりじゃないですよ。ただ、ぼくの好きな音楽を知ってもらいたくて。」
まあ、自分のプライドを満たすために、知らないことをわかったように言うことは、私は、自分のライフワークの音楽ジャンルにおいては、これまで一度もしたことはありません。ごくごくあたり前のことですが、ソクラテスの言う「無知の知」を何歳になっても素直に言えることが、アーティストとしては必須のことだからです。
自尊心を満たすくらいなら、50年以上作曲をやって来た私は、対位法の禁則事項について、「こんなことも知らないの。」と言ってしまうことは簡単なことなのです。
もちろん、相手が自尊心や年の功を武器に、ガタガタ騒ぐような俗物なら、私は絶対に許さないですよ。
しかし、山本君は、私の大切なコラボの相方なのですから、私は続けました。29歳程度の年の差なんて、音楽芸術においては、まったく無意味ですからね。
「山本君、R&Bについて教えてよ。」
こうして、山本君は、R&Bについて、いろいろ親切に教えてくれました。
その結果、これまで、彼がやりたいと言ってコラボした、エグザイルのあつしがカバーしている作品などが気に入っているのも、全て、あつしが、R&B、のボーカリストだということ、彼がこれからやりたいと思っている、米倉利紀氏もR&Bのシンガーソングライターだということがわかりました。
もちろん、私も自分でいろいろ調べましたので、R&B出身のアーティストにもいろいろいることがわかりました。が、基本が、黒人霊歌につながる点において、R&Bを起点にしている人は、少なくとも、人間の内面に深く沈潜してゆくアーティストだということ、だから、そんじょそこらの、ミーハーなシンガーソングライターとは違うこと、などが理解できました。
例えば、エグザイルのあつしは、ボーカルソロでは、絶対に日本語の作品を大切にしていることなど、全て理解できましたし、彼が、キーボードで弾き語りをしていることや、幼少期にピアノをやっていたことなど、全てが、瞬時に理解できました。
こうして、米倉利紀氏の作品をいろいろやったのですが、最高傑作は、『hands』だ、私はこの作品を自分でアレンジしたい、と、私は確信したのです。
この、『hands』は、ラブソングの外見をしていますが、非常に深い、ヒューマニズムを歌った傑作です。
さすがに、私でも、米倉利紀氏の『Yes,I do.』は耳にしたことがありました。
しかし、「今でもね、今でもね」「でもでもね、たまにはね」「この頃ね、この頃ね」「いつだって、いつだって」、のモティーフの音列が、もうひつこくてひつこくて、気に入らなかったので、無視していました(笑)。
もちろん、この部分がなかったら、この作品は、阿呆がたくさん生きている、今日の日本では絶対にヒットしなかったと思いますから、それだけのことにすぎません。
しかし、芸術的作品の価値は歴史が決めるのです。J.S.バッハの「マタイ受難曲」のように、300年以上の賞味期限があるかどうかが全てなのです。
米倉利紀氏の『hands』は、間違いなく、100年以上は残る傑作です。
『Yes,I do.』の、「今でもね、今でもね」「でもでもね、たまにはね」「この頃ね、この頃ね」「いつだって、いつだって」、なんて歌詞は、100年後の日本人に理解されませんが、 『hands』の、次の部分の歌詞と、それに付き添った音列は、普遍的なのです。
そんなことを想う時間が 何故かちっちゃくて好きなんだ
これくらいが丁度いい 想いを寄せる優しさが良い
想像通りの"今”がある、想像以上の"今”もある、想像外の"今”はあるけど、想像以下の"今”はない
この中でも、特筆に価するのは、三番目の歌詞、
「想像以下の"今”はない」
これは、決定的ですね。
アーティストは、絶対にオプティミストでないといけない、という、絶対的なことを、さりげなく、この歌の中で歌っているのです。
この点に気づいた瞬間、私は、これをピアノとボーカルのデュオでアレンジする際に一番大切な、モティーフの原型が浮かびましたので、それでアレンジしました。
『hands』という傑作作品が出来た、全ての状況に、深く深く、感謝しています。


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2013年07月13日
高松市内の老舗店ご案内

ここのところ、コラボの相方の、善通寺市出身の27歳の山本君が、練習にしょっちゅう私の自宅にやってくるのですが、いろんな買い物についてアドバイスを求められますので、高松市瓦町の老舗旅館「丸天旅館」の三代目として生まれ育った私は、知っている限りの老舗にご案内して、満足いただいているので、とても嬉しく感じています。
まず、うどん店については、善通寺市の「山下」のようなコシの強いもの、それも、彼は、ぶっかけうどん、しか食べないので、高松市内でいろいろご案内しましたが、昨日の昼食、うちの近所の名店の一つ「はまかいどう」に一緒に行きました。
そして、彼がとても気に入ったので、ほっとしたところです。
まあ、私にとっては、「はまかいどう」のオーナーは、香川県庁主催の『さぬきうどんグランプリ』の、茹で部門で優勝していて、独特の喉ごしもよくて、こしも十分なここのうどんは、国分寺町の「まる家」と並んで、私の中では評価が高いのですが、そこはそれ、人の数だけ、うどんの、こしや太さについて、好みがありますので、香川県内の友人に私の自宅近所の美味しいうどん店をご案内するには、最低でも、10ヶ店くらいゆかないと、気に入ってもらえないことが多いので、昨日は、本当に、ほっとしました。
「はまかいどう」はセルフ店なのですが、ぶっかけうどんが、350円もするので、非常に高いのです。が、これは、具財がたっぷり載っているためなので、注文すれば、東京から遊びに来た友人などは、必ず納得して感動されるお店です。
具財は、掲載写真のように、ただのぶっかけうどんに、必ず、鳴門ワカメ、錦糸卵、刻んだお揚げの煮物、ネギ、大根おろし、が載っているのです。これは、ここの大将が開店時から、栄養のバランスを考えて提供したためなので、とても素晴らしいぶっかけうどんなのです。
昨日も一緒にご案内したところ、近所のサラリーマンなどで一杯で、全員が、ぶっかけうどんを食べていましたので、彼も、納得していましたが、驚きは食べた後にやって来ました。
ここのうどんのこしが素晴らしいからなのです。私は、本当に久しぶりでしたが、美味しかったです。
まあ、「はまかいどう」は、浜街道ぞいの、マルヨシセンター茜町支店の真向かいで、JR高松駅からも近いのですが、ファミリーマートと携帯電話店の間に挟まれた狭いところにあるので、知らない人は、絶対に見落とすことが多いので、私などは、一元客が少ないので、快適にいただけるのでいいのですが、口コミで評価が高まっていますのでいつも一杯なのです。
もちろん、一杯で入れなかったら、その斜め向かいの、高松中央卸魚市場の中の、魚の天麩羅が素晴らしいうどん店にご案内するつもりでしたが、まあ、彼が満足してくれたので、よかったですね。
そのほか、前回うちにいらした時に、彼が崇拝している、米倉利紀氏が来高時に会った時に撮った大切な写真を入れて飾る額縁が欲しい、とのことだったので、私は、かつて私の東京のファンの画家からいただいた油絵の額縁でお世話になった、丸亀町商店街の「寺下額縁店」にご案内しました。
私が、「『寺下額縁店』がいいよ。」と即答した時に、彼は、「えーーーっ、そんな専門店も高松にはあるの。善通寺にはないです。」と笑っていたのでした。が、日本一アーケードの長い高松中央商店街には、あって、あたり前なのです。
今日では、いろんなお店に、写真ホルダーなどは売っていますが、江戸時代から続く商店街の老舗のいいところは、オーダーメイドも出来るということです。つまり、この店の女性社長の芸術的センスが素晴らしいということなのです。
どれほど大切な写真を飾るのかを言えば、絶対に適切なものをすすめてくれるので、楽に、いい買い物が出来る点が、老舗のいいところですね。
掲載写真は、「はまかいどう」の『ぶっかけうどん』です。


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2013年07月13日
もうすぐ、参議院選挙ですね。

もうすぐ参議院議員選挙ですね。
アーティストの私は、多数決の原理には、反対はしていません。が、政治家を選ぶのには、立候補者の、政治的な意気込み、やる気、だけを、を個々人が冷徹に判断すればよいと思っているのです。
しかしながら、何やら、金銭関係、利害関係、だけで決定する人がいらっしゃることは、とても困ったことだと思っています。
安部総理の、アベノミクスを手配した迅速な対応は、ケインズ経済学的に考えても見事だったと思います。
しかし、景気刺激策が、マネタリズム的な操作で行われたとしても、それが、雇用や収入の増加に波及するには、もっと時間が必要であることくらいは、ケインズ経済学を勉強していたら、あたり前のことなのですから、消費税の値上げは、波及効果が、収入や雇用に及んでからなされるべきなのです。
長くても数年待ってから消費税税率アップはした方がいいのですから、消費税税率アップは、数年以内に定年を迎える、財務省官僚が自分の退職金を減らさないために仕組んだことは明らかなのですから、全国民の収入がアップし、失業率がゼロになるまで、消費税税率アップしてはならないのです。
ですから、消費税アップに反対して、民主党を離党した、うえまつ恵美子さんの意気は素晴らしいと思います。が、多少外国為替が動いたり、株価が上がった程度のことで、まだ、実態経済に何も波及していない現段階で、税率を上げるようなことを、政治家は絶対に口にしてはならないのです。
ケインズが言っている一番大切なことは、不景気は、人々の気持ちを弱気にさせているのです。これに対して有効需要政策を行う真の目的は、人々の気持ちを強気にすること、つまり、将来に希望が持てるような状況にすることなのですから、人々を弱気にさせる可能性のある、税金アップの予定の主張などは、景気が実体経済まで回復した後でいいのです。
この程度のマクロ経済学の基礎の基礎は、安部総理は知っているのでしょうけど、退職金がたくさん欲しい金の亡者の財務省官僚の抵抗があったのかもしれませんね。
困ったことですが、これらは、霞ヶ関で起こっていることですから、海外の四国にある、うどん県とは全く無関係なので、放置すればよいのです。
ただし、消費税アップの時に財務省官僚の言いなりになって何もしなかった政治家と、反対した政治家の違いは、海外にいても察知できますから、うえまつ恵美子さんを選出することが、おつむのある、人間としての最低限の義務であることは、当然のことですから、私は、香川県民の選挙行動は人道的に決まっていると思っています。
まあ、衆議院と参議院のねじれは、いずれにしても解消した方がいいですから、それは、本州方面でやっていただいて、海外の四国は巻き込んで欲しくないのです(笑)。
何やら、自民党が日経新聞出身の人を擁立しているようですが、早稲田大学政経学部卒業の私の同窓生に日経新聞やら放送局のような、劣悪マスコミに就職した友人は一杯いますので、何とも思っていません。
・・・・・といった次第で、私は期日前投票を終えましたので、NHKで放送されている、政見放送については、維新の会、みんなの党、共産党、などの少数派の皆様の言葉遣いが、日本語の文法上正しいかどうかだけを見ています。
もちろん、私の合奏やコラボの相方には、うえまつ恵美子さんを推薦していますよ。
だって、私は人間であってサルではないからです(笑)。

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2013年07月06日
米倉利紀の「hands」と、高松市中新町「ちょい飲み まんぷく亭」

「大阪で、EXILE の ATSUSHI のオーディションに出た時、『らいおんハート』を歌ったんだけど、ぼくが最初のところを歌った瞬間、EXILE の ATSUSHI がじっと振り向いてくれたので、嬉しかった。」
と、山本君は、一緒に夕食を食べた、高松市中新町の「ちょい飲み まんぷく亭」で、味噌カツを食べながら、ボソッと言いました。だから、ぼくは答えました。
「なるほどね。EXILE の ATSUSHI は、いい感性をしているね。君の声質に興味持ったんだろうね。ただ、オーディションになると、音程やリスム感など、技術的な枝葉末節を重視する審査員が多いから、今の君の状況では通過は難しかったかもしれないね。でもね、いいアレンジャーがついたら、キーだけじゃなく、導音をハーモニーを崩さないように変えたり、出来るから、大丈夫だよ。ぼくに任せてよ。」
すると、山本君は・・・・・・。
「きっと、岡田さんは、EXILE の ATSUSHI と、米倉利紀 が気に入ると思って、ご紹介したのですよ。」
と、いたずらっぽく言ったのでした(笑)。
山本君は、作曲家、クラシックピアニストのぼくが全く知らなかったR&Bの新しい音楽の世界を教えてくれました。
ぼくは、EXILE の ATSUSHI、米倉利紀、の魅力にはまってしまいました。
昨日、次回の2013年7月20日の夜19:00からの「くさか・フリーライブ」で合わせる予定の米倉利紀の「hands」については、CD収録でアルバムに入っている、みんなで楽しくやりましょう、という感じのギターバンドのものじゃない、ライブで披露しただけで、スコアも、単発CD出ていない、You Tube にだけ出ている、ライブで披露した、キーボードと歌だけの一対一の究極の合わせ物をぼくに見せてくれ、紹介下さいました。
こうして、二人でしか出来ないアレンジをしながら新しい音楽の世界を作ってゆくという、実にコラボの最高の経験をしているので、ぼくは、今、最高にハッピーです。
ぼくは、リアリストなので、ぼくが耳で感じたことを正直に言っています。
音程のこと、リズム感のことなど、厳しいことも指摘しているのですが、弱冠27歳の山本君はついてきてくれるので、とても、いい人間関係が出来たことが、素晴らしいな、と痛感しています。
ぼくの直感した彼の魅力は、心の叫びが歌にそのまま出てくる、彼の持って生まれた独特の温かい声質です。
つまり、「世界に一つだけの花」の歌詞にある、「オンリーワン」のことなので、彼のそういう点が生きるようにアレンジしています。
彼のオンリーワンが生かせるようにアレンジしたり、キーを変えたり、開始の導音を動かすなどの、簡単な操作をしながら、一緒にやっているのですが、これまでのナンバーは、CDが出ていたり、スコアも出版されていましたので、それをベースに加工していたのですが、今回の「hands」は、You Tube のライブ映像だけなので、本当に楽しいのです。
重要なモティーフを抜粋して、それをベースに、アレンジしているので、ほとんど作曲に近い作業を、本当に楽しくやっています。
合わせる時には、ひたすら、ぼくは曲全体は暗譜していますから、彼の心の叫びを聴いて感動しながらやっているだけなので、極めて、カンフォータブルなのです。
ともかく、次回の、7月20日の、くさかライブ、では、二人だけの音響世界に、オーディエンスの皆さんをご案内すればいいと思っています。

二人だけの自己満足やナルシシズムだけでやれるというのは、作曲と全く同じなのです。
だからこそ、一対一の合奏で一番大切なことは、相手の演奏について感じたことを包み隠さず正直に言い合える人間関係なのですが、これを山本君とぼくの間で確立できたことが最高に嬉しいですね。
こうして、ぼくの自宅で練習した後、自転車で一緒に、夕飯を食べに行きました。
彼は、アルコールが飲めない大食漢なので、ぼくの知っている、高松市内のご飯おかわり自由の、海鮮定食の「小松」は既にご案内したのでしたが、昨日の夕食には、中新町の「ちょい飲み まんぷく亭」をご案内しました。
この店は、大阪出身のオーナー社長の板前さんがやっている、安くて美味しいお店で、うまき〔ウナギを卵焼きで巻いたもの〕定食が、700円という、素晴らしいお店なのです。お聞きすると、知り合いのうなぎを獲得している漁師さんとコラボしてこのメニューは出来たのだそうです。ただし、うなぎが少ないので、一日限定20食なので既に終わっていました。
すると、山本君、味噌カツ定食がべたい、と言うのでびっくりしました。名古屋で食べて以来、大ファンなのだそうです。
ぼくは、名古屋のソウルフードは、「ひつまぶし」「きしめん」だ、と思っていたので、「味噌カツ」はまだ食べたことがなかったからなので、ぼくもそれをオーダーしました。
キャベツの上に載った柔らかいトンカツに八丁味噌がタップリ載っているのです。なんて、あっさりした、トンカツの食べ方だろう、と、深く深く感動しながら、ご飯もおかわりしていただきました。
付け合せの小鉢が、数の子とスライスタマネギの、カツオと昆布だしの和え物だったことにも感激しました。この定食が、ご飯おかわり自由で、夜でも700円なのですから、驚きですね。
そして、高松の老舗旅館で生まれ育った私は、和食については、板前さんから教わっているのですが、全ての判断基準は、ご飯と味噌汁が美味しいかどうか、なのです。魚沼産こしひかりと、鳴門ワカメの味噌汁に入っている細ネギを刻む時のアングルで、「ちょい飲み まんぷく亭」は、完璧でした。
だから、昨日、ぼくの自宅で合わせた後、一緒に食べに行った「ちょい飲み まんぷく亭」の、味噌カツ定食は最高に美味しかったのです。

帰宅後、食欲もハートもたっぷり満たされたぼくは、幸せに熟睡できました。
掲載写真は、ぼくたち二人の大好きな、「hands」を歌っている米倉利紀氏と、「ちょい飲み まんぷく亭」の外観、です。

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2013年07月02日
今日はうどんの日でした。

今日・7月2日は、半夏至、つまり、うどんの日でしたので、自宅近所の、さぬき麺業・松並店、で、うどんがタダで振る舞われますので、食べてきました。
半夏至の日、讃岐地方では、農家が一段落でお休みの日だったため、昔から、うどんをみんなで食べる習慣がありました。
そのことから、香川県の外郭団体の、「讃岐うどん協会」が、この半夏至の日を、「うどんの日」と決めて、うどんをタダで県民に振る舞うことが毎年続いています。
三越高松支店前と、栗林公園入口で、やっているので、年中行事になっています。
高松市内のうどん店としては、最大資本の「さぬき麺業」の社長が「讃岐うどん協会」の重鎮でいらっしゃることもあって、「うどんの日」には「半夏うどん」として、かけ、ぶっかけ、ざる、の3種類のメニューを、タダで、11:00~14:00の間、ふるまっています。
ただ、大変な行列が出来、暑かったので、10:30に開店し、14:00までに、2000食ほど食べられたのだそうです。
他県の皆様は、「うどんの日」のうどん無料の接待という習慣は信じられないでしょうけど〔まあ、有料であっても安いのですけどね(笑)。〕、香川県では、あたり前なのです。
また、無料で提供する、ということですから、東京だったら、時間厳守があたり前なのでしょうけど、人が一杯集まって、暑かったら、30分早く開店する、というところこそが、うどん県のうどん県たる所以で、これは、日本古来の「おもてなし」の精神や、四国霊場88ヶ寺にお参りに来る人たちへの「お接待の心遣い」の精神、などとは、全く無縁の現象だろうと、私は確信しています。
「大将、ようけ人が来て並んどるで。」
「うわーーー。ものっそようけやのう。暑いのに並んどる並んどる。」
「暑いけんみんな汗かいとるで。店の中はエアコンがきいとるけん、もう開けてあげた方がええで。」
「よっしゃ。ほんだら、早いけどお店開けまい。」
といった、ファジーな表現の讃岐弁の会話が店内でなされたため、開店されたのでしょうね。
今流行の、「いつ開店するの。」「今でしょ。」なんて、断定的な表現ではなく、あいまいに、30分早く開店したようです。
大体、私が時々朝うどんをいただく、近所の「さか枝」も、開店は朝6時なのですが、朝5時過ぎには、開店を待つ人が店の前に並ぶので、朝5時半には開くことを、みんな地元民は知っているのですから、30分程度の時間のずれは、あまり、気にしないような、地域コミュニティーが、しっかり残っているのです。
こういう現象を、讃岐弁では次のように表現します。
「30分前後、早うても遅うても、かまんでないんな。」
これは、直訳すると、「30分前後、早くても遅くても、かまわないじゃないですか。」となるのですが、完璧な讃岐弁のイントネーションで発言されると、かまわないのか、かまわなくないのか、全く不明な、ファジーな意味になります。ですから、このように言われた時の返し言葉は、「ほーなー。」となります。
そして、「ほーなー。」は聞き流す言葉なので、賛成も反対もしないまま、おしまいになるのです。
中国も韓国も日本も、全ての国の外交官が讃岐弁をしゃべれば、領土問題などは、ファジーなまま、平和におしまいになるので、讃岐弁は素晴らしい言葉なのですね(笑)。
高松市内の正しい讃岐うどん店同様、「さぬき麺業」も、全てのうどんメニューに、温かい物と冷たい物がそろっていますので、かけ、ぶっかけ、は、温と冷がそろっています。

従って、ざるうどん、の立場は、ざるそばに比べると、香川県では弱いのですが、そこはそれ、ざるうどんが死ぬほど好きな人もいますし、私は個人的に、細麺の手打ちうどんの、ざるうどんは、いいな、と思っています。
掲載写真は、私がいただいた、「さぬき麺業・松並店」の「半夏うどん(ザル)」です。

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