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Posted by あしたさぬき.JP at

2015年03月10日

お久しぶりです




多忙のため、しばらくネット出来ませんでした。


これからもよろしくお願いいたします。



川崎市では実に実に酷い少年犯罪があり、びっくりしています。



全ては加害者の親の責任だと感じています。



ISILによる虐殺など、人の命が軽視されている状況はいけないですね。



掲載写真は18歳の物体に虐殺された13歳の上村遼太君ですが、島根県から川崎市のような柄の悪いところに転居しなければよかったのになあ、と感じていて、いよいよ首都圏は人類の生存不可の場所になっているようですね。



私は東京にいた18歳から37歳までの間、一番嫌いな場所が川崎市でした。



それは、環境が劣悪だったためでしたが、環境の悪い場所には下等動物がはびこるようで困ったことですね。



  
タグ :少年犯罪


Posted by 岡田克彦 at 14:51Comments(0)ヒューマニズム

2014年06月16日

よかったなあ、うどん県民で

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徳島県市沖浜にある、徳島県内最大手の企業の「シンクス」(旧.ミリオン商事)が、多角化していた事業部の一部を他社に譲渡したり、2007年に、ノヴィル株式会社に社名変更していました。



私は、1994年の高松Uターン直後に、通信教育の「日本マンパワー」四国総代理店・人材開発部長として法人新規開拓をしていましたが、この時に、民間企業のどこから攻めるかの判断について、従業員一人あたり年商の多いところから攻撃していました。



この時、徳島県内企業でヒットしたのが、「シンクス」と「ジャストシステム」でした。阿波銀行や大塚グループが入ってくると予想していましたが、数値的には、「シンクス」と「ジャストシステム」の方が、従業員一人あたり年商では上でした。



が、人事部の接客応対は、従業員一人あたり年商が上の方の企業の方がよかったので、確実な指標だと確認出来、ほっとしたものでした。



時代の流れ、風潮の変化に対応して、社名を変えないといけないこともあると思いますが、社名を変えても、企業文化という歴史は絶対に変わらないのです。



何故なら、採用の際、社名はイメージを作ることができるのですが、その結果どんな優秀な人材が入社しても、OJTで正しく指導できないのですから、企業風土には何の影響もないからなのです。



法人は個人の集合体にすぎませんから、中で働いている個々人の意識が、そのまま、法人全体の意識になるのですから、あたり前のことなのですけどね(笑)。



ところで、福岡県筑後市のリサイクルショップ経営者の中尾伸也(47)と妻の知佐(45)の両容疑者が、いったい何人を虐殺したのかわからない状況になっているようです。



40歳代という一番問題の多い2ちゃんねるや、タメ口の、創設世代ですから、阿呆に決まっています。



掲載写真の阿呆面を見れば明らかですが、このような物体は、他人の虐殺を趣味に生息しているのでしょうから、通常の人類のような更正、などというものはあり得ません。



このような人間ではない物体の、基本的人権を剥奪するような憲法改正は、集団的自衛権に関する憲法改正よりも優先順位が高いに決まっていますので、自民党独裁政権はさっさとやりましょうね。



日本国民の中にも、いろんな物体が混在していますから、厳重に注意しましょうね。



ここのところ、九州方面で、いろいろと残忍な殺人事件が多発しているのは、豚骨ラーメンの食べ過ぎによるものなのでしょうね。



豚の骨を砕いてたくさん食べていると、動物の命を奪うことが楽しくなってくるのでしょうね。筑後市民は、豆腐を食べましょう(笑)。



よかったなあ、弘法大師の出身地のうどん県民で(笑)。





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Posted by 岡田克彦 at 17:21Comments(0)ヒューマニズム

2014年04月09日

川崎市のM女史からのファックスをいただいて

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川崎市のM女史からファックスをいただいたのは、4日前のことでした。



スマートフォンの普及のため、私のホームページ掲載のエッセイやブログへの感想をよくいただくようになりましたが、その中でも、一青窈(ひととよう)さんの「ハナミズキ」について書いたエッセイ『君と好きな人が100年続きますように』(URL;http://kokada.web.fc2.com/essay81.html)に関するものが圧倒的です。



メールアドレスしか書いていない感想文に対しては、バーチャルな出会いだけで十分だと思っている程度なのでしょうから、私自身、ホームページに住所や電話番号も明記しているので、バーチャルなだけでなく、真摯に感想文を送りたいと思っている人は、お手紙、電話、ファックスをいただけるようになりましたので、とてもよかったなあ、と思っています。



ハナミズキが大ヒットしたのは、2004年のことでしたから、もう、10年になるのですが、テレビで歌っている、一青窈(ひととよう)さんを拝見して、「どうぞゆきなさい お先にゆきなさい」の場所での振り付けが、強烈に印象に残ったので、これは、ただのラブソングじゃない、と直感していろいろ調べ、この歌詞が全て、高度な比喩で出来ていること、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロをうけ、平和を願い歌った傑作であることを知り、書いたエッセイでした。



2006年10月末のことでした。9月には、東京から転職Uターンして、ずっと介護していた母がなくなった直後でしたので、人の命のはかなさを痛感していた当時でしたので、何というすごい曲だろう、と思ったものでした。



それにしても、この高度な歌詞が、台湾出身の一青窈(ひととよう)さんによって書かれたことは、すごいことだ、と、痛感したものでした。



ことに、「水際まで来て欲しい」の『水際』が、日本の華道での、水=命、の比喩なので、「生き残って欲しい」という意味だということには、驚いたものでした。



M女史は、徳島県のご出身だそうですが、最近若い奥様達との交流会があり、カラオケで歌いたい曲を探していて、「ハナミズキ」に出会ったそうで、ネットで私のエッセイを見て、こんなすごい曲の意味がわかって歌うと、涙が溢れて歌えなくなること、そんな深い意味があることを若い仲間は教えくれなかったので知らなかったこと、などが、書かれていました。



私はすぐに、書かれていた電話番号に御礼の電話をしてお話しました。



久しぶりに、ハナミズキのCDを聴きましたが、「ぼくの我慢」=「ぼくが生きることをあきらめること」、なんて、わかっていたら、絶対に平常心では歌えない曲ですよね。



そして、改めて感じたのですが、「ハナミズキ」以降、この作品ほどのすごい歌詞の歌は、出ていませんね。





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Posted by 岡田克彦 at 04:34Comments(0)ヒューマニズム

2013年11月13日

「家庭内暴力」の変遷

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私の若い頃、「家庭内暴力」は、子供をしつけようとして、親が子供を叱った時、反抗期の子供が親に暴力をふるう、という
ことが一般的でしたが、最近は、結婚した男の子の奥様が同居するようになった時、嫁いできた妻が、姑が家事をしないので腹が立って暴行して殺害するケースが圧倒的になっているようですね。



福岡県で起こった事件は、その一つに過ぎませんが、家庭内のことを周囲に知られたくない、という慣習が日本には昔からありますので、氷山の一角でしょう。



人を物理的に殺害するという一線を越えるかどうかの違いだけで殺人罪は決定しますので、ちょっと腹が立ったらすぐに「殺してやりたい」という気持ちを持つ殺人実行予備軍の人間の割合が、今の、30歳代~40歳代のバブルの大量採用世代、2ちゃんねる、楽天市場、ライブドア、創業者の世代に、多くなっていることは明白です。



理由の全ては、匿名で何でも言うことが出来る、ネット社会の開始当時に一般的になった、『ネチケット』と、「死ね」、「むかつく」、「ウザイ」、等の『タメ口』発足当時に成人した世代の人達の考え方、お金で全てが解決できるという、非芸術的な思考回路に大問題があるので、是正されなくてはなりませんね。



こういう状況では、ロジックにのっとった、論理的思考能力が全く欠落した、人間以下の物体を大量に増殖させますから、困るのです。



また、一方で、目先のお金で全てが解決するという、コストパフォーマンスと損益分岐点しか頭にない、ロジックにのっとった、論理的思考能力が全く欠落した、人間以下の物体に限って、自分の生命への執着は、ものすごく強いことが常ですので、いっぱいある、個人のホームページに、自分の住所氏名電話番号などを明記する度胸もないのが、こういう物体には共通しているようです。



ウェブ上のハンドルネームでは、性別すらわかりませんが、私のこれまでの経験では、こりような物体の大半は、女性に決まっているようですね。



私は、人一倍の鋭い感受性を持っていますので、13年ほど前に、私のホームページを、性別も不明の言葉遣いとハンドルネームで攻撃した、2ちゃんねらーかどうかは、現実社会で面会した時にはすぐにわかりますが、つい先だって、高松市丸亀町の「葡萄塾」でコンサートをやっていた時にいらした、40歳直前のブサイクな女性と会って、その人が私にしゃべる時の頭のアングルだけで、すぐに、ああ、あの頃の2ちゃんねらーの一人だ、と直感しましたので、適当に絶対に意味がわからないことの確実な、「対位法」の禁則事項について一方的に私がお話して、その女の言うことと全く折り合わない会話を展開しました。



相当、頭脳も悪く知識も皆無の女だったので、私が無視したがっていることすらわからなかったので、周りに人が一杯いたので、学歴で止めを刺しました。



高松ではすごく簡単なのですよ。香川県立高松高校を卒業して、最低でも、現役で早稲田か慶應あたりの大学に合格していないことを私が確認した後、「では、これ以上、あなたとお話しすることは一切ございませんので。」と言ってから、沈黙すればよいのです。



まあ、それでも、うるさいようなら、私がピアノの前に座って、「今から、J.S.バッハのフーガを弾きたいんだけど、この作品は真珠なので、聴衆が豚だったら届きませんので、そこの、豚のあなた、私が演奏を開始する前に、ここから直ちに出て行きなさい。」と言えばよいのです。



タメ口で、「殺す」なんて、私に言ったら、言い返す言葉は決まっています。



「あなたは私より年下でしょう。目上の人に敬語を使うことすらご存じないのですか。『お殺しなさいます。』と言い直しなさい。」と言い直させて、そのとおり言ったら嘲笑するのです。



「『お殺しなさいます。』は間違えた敬語の使い方で有名ですよ。志賀直哉が小説の中で使った間違えた敬語だということを、太宰治が指摘したことすらご存じないのですか。大体、あなたは、志賀直哉の小説は全部読んだのでしょうね。ああ、まだですか。でしたら、私とお話しするには未熟者でいらっしゃいますから、志賀直哉を全て読破してから出直していらっしゃい。」



私の対話は、エッセイや作曲作品同様、結論が先に決まっているのです。簡単なことです。



いずれにしても、家庭内暴力の原因は、その家庭内の構成メンバーの、頭脳水準の低さ、感受性の鈍さ、が、全てですので、そんなに頭も悪く感受性もない悲惨な皆様が唯一社会参加できる手段は、虚栄心と羞恥心を捨てることだけですから、最初からそのようにしておけば、殺人事件は絶対に起こらないのです。





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タグ :家庭内暴力


Posted by 岡田克彦 at 13:38Comments(0)ヒューマニズム

2013年10月17日

やりきれない気持ち・・・台風26号の伊豆大島の被害

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昨日は、「葡萄塾」で『ヒコ&ヒロ』のライブがあったので、夕方、19:00過ぎに、丸亀町商店街と百間町の交差点の「サンマルクカフェ」前で、山本君と待ち合わせして、行きました。



ぼくは、出かける直前に、台風26号が伊豆大島に甚大な被害を及ぼし、死者が17人に増え、43人がまだ行方不明で、この先も死者の数が増える状況にあることをニュースで見たため、食べていたチーズカレーライスが喉を通らなくなり、精神的なショックから、ピアノなんか弾いている場合じゃないように感じていました。



「『厚顔無恥』に、どんな状況下でも、金儲けのためならば、全く同じ演奏ができること」を自慢したり、自己満足に浸っているミュージシャンのことをプロ、というのならば、プロのミュージシャンは全て冷血動物の爬虫類ですから、ぼくたち哺乳類とは、自己表現方法が全く異なっているようですので、哺乳類の私は、一切無関心なのでが、そういう連中に限って、自分の冷血度をまるで自分の才能のように自慢する手合が多いので、私は、精神的に抹殺することにしています。



私が同じ感覚に陥ったのは、東日本大震災の津波に、街が飲み込まれる状況をテレビで見たときでしたので、こんなやるせない気持ちでライブに向かったのは、久しぶりでした。



本当に、こんなこと、何回も何回も起こって欲しくないですね。



でも、掲載写真の、昨日の「葡萄塾」のコラボは楽しかったですよ。なぜなら、コラボ相方の山本君も、全くこのことについては話さなかったけど、同じ気持ちだということが感じられたからです。



ミュージシャンたるもの、この程度のことは、直感出来ないとお話にならないことは、クラシック音楽が始まった、中世の頃が決まっていることです。



「空気を読む」という言葉遣いがナンセンスな理由はここにあります。「空気」の存在なんて、時間制限の中の出来事に過ぎないのですが、音楽芸術は、時間や歴史を超越しているのですからね。



音楽をしながらお互いの感受性を認識しあうのは、四次元の世界なのです。



あたり前のことですが、ショパンやドビュッシーを演奏する時、私は、ピアノのすぐ隣で、ショパンやドビュッシーが聴いてくれていると感じます。



以上、打鍵のミスタッチを耳で聴くのではなく、目で見て確認することしか出来ないのに、いっぱしの評論家のように、全知全能のようにガタガタと騒ぐ俗物愛好家とは無縁の議論を、一部掲載いたしました(笑)。




気象庁が特別警報を出さなかったこと、大島町役場が避難勧告を出さなかったこと、に全てを責任転嫁したり、はては、安部総理の所信表明演説文面の福島原発や防災関連の枝葉末節について、細々と誹謗中傷し、テレビ局からギャラをかすめとっている、自称コメンテータに、私は言いたい。



「東京のスタジオでのーーーんびり詭弁を弄するのはやめて、さっさと、伊豆大島へ救助に行きなさい。あんた、五体満足なんでしょう。まず、人間として生きるうえの基本的な義務を果たしてから、おしゃべりしたり、お金儲けをしなさい。」と。



それにしても、どうなるかわからないですけど、一人でもいいから、人の命が救出されることを願っています。






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Posted by 岡田克彦 at 07:12Comments(0)ヒューマニズム

2013年09月22日

ひかえおろう。わしは、オカマ、でっせ。

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ヒューマニズム






最近、ウェブ上で目に余る言動をする無礼者が多いので、讃岐弁で一喝することにしました。



ぼくの大切なコラボ相方の山本君が、ハンサムなこと、歌が非常にうまいことで、やっかむ男や女やその他いろいろな物体が、嫉妬して、相方のぼくがゲイだという理由で、陰口を叩いているようです。



言いたいことは、陰でなしに、表で言いまあせ。酷評ほど、直接会って本人に面と向かって言うたらええんでっせ。



陰で、ゴジャーゴジャ言うんは、性根の悪い証拠じゃあ。そんなことしよったら、ろくな死に方せんで。絶対に畳の上では死ねませんで。



わしに文句があるんなら、直接、わしを殺しに来まぁせ。



ただし、条件があるんや。



うどん県民のわしは、讃岐うどんが好きなけん、自分で手打ちしたコシの強いうどんを持ってきて、それでわしの首を絞めて殺したらええで。



出来るもんなら、やってみまあせ。



それとのう、わしは、男の好きな男〔つまり、オカマ〕やけど、ちゃんと好みはあるんでっせ。



わしは、顔の整った、キムタクみたいなんは、大嫌いなんや。あんなんのどこがええんかいのう。



汚れとる方が好きなんでっせ。そらのう、ものっそ、汚いんはいかんで。ほんだけど、人間の男やったら、たいがいのもんは大丈夫や。



山本君のことを、阿呆のおなごが、「イケメン」言いよるけど、目が悪いんとちゃうな。山本君は可愛いげな普通の男の子やで。



それと、山本君は体鍛えとるけん、筋肉質なんやけど、わしは、ポチャデブの方が好きなんや。



わけ。そんなもん簡単でっせ。ポチャデブの男の方が抱き心地がええんやけんのう。



文句があったら、うちまで、言いに来まあせ。












  
タグ :音楽


Posted by 岡田克彦 at 18:23Comments(0)ヒューマニズム

2013年09月08日

2020年・オリンピック開催都市が東京に決定

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IOC





今日の早朝テレビを見て、ハラハラする場面がいくつかありましたが、2020年のオリンピックとパラリンピックの開催都市が東京に決定しました。



よかったですね。というのも、まだ、7年も先のことだからです。



将来に夢が確定していることは、人間の心理を前向きにしますから、このことだけで、景気を良くする〔ケインズの言葉で言うなら、強気にする〕効果があります。



バブル経済を発生させて崩壊させた、過去の最悪の経験から、インフレとデフレという言葉についても、インフレ=物価の上昇、デフレ=物価の下落、と短絡的にとらえられていますが、マクロ経済学的にはいろいろな現象があって、つきつめれば、インフレ=前向き、デフレ=後ろ向き、ということなのですから、狂乱物価上昇(ひどいインフレ)は、いけないのですが、物価下落続行(日常的なデフレ)は、人間の精神や命を崩壊させてしまいますから、穏やかなインフレ状態の持続が肝要なのです。



それにあたっては、逆投影法という行動心理学的な手法による、近未来の確定した夢の存在が一番大切なことなのです。



逆投影法とは、夢に到達した時の自分を考えて、今の自分との落差を感じ取ることです。



夢が今よりもよくないと、人間は全く成長しないのですから、景気も夢がかなった状態が素晴らしい状況でないと、全く意味がないのです。



逆投影法で将来を見た時、7年後に東京でオリンピックが開催されるのですから、今をどう生きないといけないか、ということを、全ての国民が感じ取れば、自然に精神状態は前向きになり、住環境はそれだけで改善されるのです。



真逆に、7年後の近未来の東京が、オリンピック開催どころか、失業者だらけで倒産、リストラや、人権無視の殺人だらけであることが確定していたら、全員、後ろ向きにしか生きられなくなってしまうものなのです。



これが決まった以上、安部総理は政治生命をかけて、福島原発の放射能汚染水を解決しないといけませんし、体罰大好きな教員やインストラクター風情は、理性を磨かなくてはなりませんね。



これは、強制ではなく、それが出来ない人は、一緒に夢を享受する資格がないのですから、存在価値がないということなのです。



いずれにせよ、これで東京も少しは、目先のお金に振り回されて感受性を摩滅させるような、非人間的な生活から開放されると思うので、よかったですね。



掲載写真は、IOC(国際オリンピック委員会)総会の行われた、アルゼンチンのブエノスアイレスで、2020年の東京オリンピック開催決定を告げる、IOCの、ジャック・ロゲ委員長です。






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Posted by 岡田克彦 at 07:14Comments(0)ヒューマニズム

2013年09月04日

ASEAN各国の若者の日本企業への就職について

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チャイワット・トーンセーン



ラタナパンラン・トーサワットと、チャイワット・トーンセーン






最近では、本州方面では、ASEAN各国の若者が日本企業へ就職することが一般的になっているようです。



ニュースでは、このことを興味深く取り上げていますが、これは、トレンドではなく、長期的な一般傾向だろうと、私は確信しています。



ASEAN各国の若者が日本企業に就職するにあたって一番苦労しているのが、ビジネス日本語の習得、中でも、特に、日本語独特の、敬語とファジーな表現、の習得のようですから、生粋の日本国民の若者は、タメ口なんか叩かずに、正しい、尊敬語、謙譲語、ていねい語をハンドリング出来るように努力しないと、敵わなくなるだろうと、感じています。



要するに、グローバルスタンダードな時代にあっては、就職戦線での勝負は、個々人の人間力の勝負になるということなのです。



最近、私の自宅近所の、ミニストップ西宝店のアルバイトの、敬語を習得できない日本人の若者が、タイとベトナムの若者に変わってから、とても、いいコンビニになりました。



何しろ、ミニストップ西宝店の日本人のアルバイトは、数年前から、「それは、謙譲語だから、お客様に向かって言ってはいけません。『お客様のおっしゃることは』と言いなさい。」と、私が何回注意しても、「お客様の申すことは」と言い続けていたのですから、いくら、のんびりした、海外のうどん県でも、許されないのですよ。



でも、考えてみると、本当にどうしようもない事態ですね。自分の母国語すら正しくハンドリング出来ない人間は、国粋主義云々以前に、お話にならないのですからね。



最近消費税増税がガタガタ言われています。



ケインズ経済学的に言って、エール大学教授の内閣参与のおっしゃることがまさしく正論ですから、今、消費税を上げる予告をしてはいけないことは、あたり前なのですが、阿呆なコメンテータが、日本が、外国から財政再建の約束を破る国だ、と思われるので、消費税は上げざるを得ない、と言っています。



長期金利が上がってもいいと私は思うのですよ。第一、日本の長期国債を持っているのは日本国民なのですから、ギリシアなんかと同日の段ではないのです。



まあ、法人税の減税は必要ですし、社会福祉の支出は増えますから、増税はやむをえないのですが、それならば、「敬語習得税」というものを作って、正しい日本語の敬語をハンドリングできない人に莫大な納税義務を課せばよいだけのことなのです。



敬語を正しくハンドリングできない人は、日本人の資格失格ですから、当然のことだと思いませんか。



そういう状況下においては、タメ口大好きな、バブルの大量採用世代〔今、30歳代~40歳代の皆様〕の皆様は、全員、日本人失格であることを深く深く反省していただかないといけませんね。



掲載した2枚の写真は、ゲイ映画の大ヒット作「バンコク・ラブストーリー」に主演した、タイのゲイ俳優の、ラタナパンラン・トーサワットと、チャイワット・トーンセーン、です。



まあ、この映画を見た人は理解できると思いますが、彼等の、はにかむ時の仕草が最高にいいですね。こういう若者が、日本語の敬語を完璧にハンドリングしてセールスしてきたら、ゲイの私は「もうダメボ」、状態になってしまいます(笑)。



プライベートなことはさておき、芸術やスポーツ同様、人間力にも国籍は全く関係ありません。ただし、人間力の増強に、お金は無用なのですよ。お金の力で得た人間力なんて、体制が資本主義でなくなったら全く無意味な塵芥なのですからね。



私のホームページを愛知県の作曲家の友人が作ってくれた2000年当時に、それを見て、石井、前岡山県知事の委嘱で、2000年に「岡山後楽園300年祭」のトリに、江守徹さんなどの朗読とのコラボで作曲した自作自演ピアノ演奏で出演したことに対して、アマチュアの分際で生意気だ、と感じた、2ちゃんねる世代〔現在30歳~40歳代の皆様・三木谷やホリエモンなどの輩と同世代の皆様〕が、私のホームページを執拗に攻撃しました。



この時に、一番攻撃されたのは、私が早稲田大学政経学部卒業で、音楽大学を卒業していないという、学歴に関することでしたので、私は呆れ果てたものでした。



楽器演奏はともかく、作曲が出来るか出来ないかは、音楽大学に進学したかどうかとは全く無関係ですし、大体、私が、早稲田大学政経学部に入ったのは、京都大学法学部を滑ったので、浪人するのは母親に申し訳なかったので、滑り止めで、仕方なく入ったに過ぎないのです。



しかし、私が東京で親しくしていた、いろんな弦楽器や管楽器奏者は、学歴や職歴も様々でしたが、そのような下界の分類で、私の作曲作品や室内楽共演能力を判断することはありませんでした。



フルート奏者のNECの常務から依頼された合奏について、私は、音楽的理由でピシャリ断りましたが、フルート奏者の田無の浄土真宗の大きな寺院の住職は素晴らしい感性の持ち主だったので、私から彼とのデュオ曲を作曲して演奏をお願いしました。



北海道出身で極貧状態にあった、素晴らしい感性のピアニストの若者が、東京でコンサートをやることが夢だ、と言ったので、私は、日本アマチュア演奏家協会理事として、チケットを一人で1000枚以上販売して、彼の夢を実現させました。恩を着せたかったわけでは、全くありません。無償の愛でした。



お金の力なんて、人間の破棄パッションと人間力の前では、脆いものですよ。






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Posted by 岡田克彦 at 04:37Comments(0)ヒューマニズム

2013年08月15日

モスクワ陸上「男子800メートル」

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「えっ。君の血液型A型なの。うそだろ。BかOだと思ってたよ。」



「よくそう言われるんですよ。でも、やりたい曲について、ぼくは絶対に妥協しないから、A型的じゃないんです。」



「よかったあ。ぼく、これまでの人生でいろんな人達と室内楽合奏やコラボやって来たけど、相手はほとんど全員がB型だったんだ。ぼくは、AB型だけどね。」



「アハハ・・・、岡田さんも、やっぱりA型じゃないのですね。でなかったら、ぼくとコラボしても続かないよなあ。」



「山本君、ぼくは、AB型だけど、母もAB型、弟、祖母、母の兄弟、全員、B型なんだよ。だから、たった一人A型だった祖父は、胃潰瘍で死んじゃったんだもの(笑)。」



前回、私の自宅で、コラボ相方の、ボーカルの山本君とコラボした後、話していた時のことでした。



もちろん、血液型なんかで全て判断することは間違いですよ。ただ、ソリストのピアニスト、作曲家に、B型、O型、AB型が多いことは事実なのです。



ところで、モスクワ陸上が連日放送されています。



私はスポーツは苦手なのですが、チームプレイよりも、結果の責任が全て個人にかかってくる、陸上競技や格闘技が、私のライフワークのピアノ演奏や作曲と近いので、個人的には観戦するのは、陸上競技や格闘技の方が、野球やサッカーなどのチームプレイよりも、カンフォータブルです。



チームワークは、A型人間が圧倒的に多い日本人が得意とするものですから、チームプレイのスポーツの方が日本では人気があることは当然です。



この点に私が気づいたのは、高校2年の時、アメリカのシアトルに短期留学した時でした。



いろいろな点で、アメリカと日本は異なっていましたが、一番強烈に感じたのは、アメリカが徹底した個人主義をベースにしたデモクラシイ国家だということでした。



が、その原点は、アメリカが、B型人間が圧倒的であることと、多国籍人種の集合体であることでした。



もちろん、アメリカの実力主義は資産額に対応していたため、イギリスから伝わってきたケインズ経済学をマネタリズムに勝手に変更して、拝金主場の大元を形成してしまったのです。



しかし、アメリカの個人主義社会は、スポーツマンシップが日常的な社会と相まって、負けた時に素直に負けを認め、責任転嫁をしない、という、連帯責任が日常的な日本ではありえない、素晴らしいものでした。



「黄金狂時代」の製作によって、アメリカから国外追放されたチャップリンが、その後の功績が認められて、アメリカ映画界に復帰したことなど、このあたりには、一種の清々しさがありますね。



こういう、真のフェアプレイの精神を、私は、今回の、モスクワ陸上のゴール後のアスリートの表情で拝見できたことが、実に素晴らしかったです。



日本人のアスリートが活躍していることは、とても嬉しいですが、実況している、マスコミのニュースキャスターやコメンテータが、日本人アスリートのことばかりで騒ぎまくっているのは、うるさくてかなわないですね。まあ、その方がA型人間が大半の日本人の視聴率が上がるのでよいのでしょうけど(笑)。



これまでのところで、私が一番感動したのは、「男子800メートル決勝」で優勝した、エチオピアの19歳のアマン、のゴール後の立ち居振る舞いでした。



彼は、とても謙虚な若者でした。こういう謙虚な若者アスリートが日本でも育って欲しいですね。



マスコミは、試合後のインタビューで、全てが伝わると誤解していますね。



言語情報なんていくらでも捏造可能なのです。



個人競技の場合は、試合後のボディーランゲージで、伝わる人には伝わるのです。ちょうどソロピアニストが、ステージに出てきて、ピアノの鍵盤に指を落とすまでの間に全てが伝わるように。



掲載写真は、モスクワ陸上「男子800メートル」で金の、エチオピアの19歳のアマン、です。






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Posted by 岡田克彦 at 20:31Comments(0)ヒューマニズム

2013年08月05日

「めんや 七福」と「瀬戸大也」・・・素晴らしいです。

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今日の早朝、テレビで見ていた、バルセロナ「世界水泳」最終日、男子400メートル個人メドレーで、見事な金メダルをとった、瀬戸大也氏を見て、感激しました。



日本人初だとかはどうでもいいのです。5位に終わった、当初、金メダル確実だろうと言われていた、萩野公介氏と、レース終了後、プールの中で握手して、喜び、お互いの健闘をたたえている姿に、非常に感動しました。



この映像、自民党や民主党のトップは見ているのでしょうか。選挙で勝った、負けた、という結果の後、相手の健闘をたたえるような人格的余裕のある政治家が何人いるのだろうか、と、考えてしまいました。



瀬戸大也氏は、早稲田大学の一年生だとのこと。ということは、ぼくの後輩と言えば後輩なのですが、作曲という、個性で勝負する世界で過ごしている私は、年齢なんか関係なく、ただただ、リスペクトしてしまいます。










ともあれ、めでたいな、と感じた、うどん県民の私は、うどんを食べに出かけました。



南新町の「綿谷製麺・高松支店」で、素晴らしい肉うどん(350円)を食べようと思って自転車で出かけました。



ところが、県道33号線から県庁通りを香川県庁に向かって北に入ってすぐのところにある、トンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)の手前に、新しい讃岐うどん店の、「めんや 七福」が開店していたので、入りました。



冷たい豚肉ぶっかけうどん(310円)、を、小エビのかき揚げと一緒に、いただきました。



うどんを、一口、口に入れて、「これは、すごい」とぼくは感動しました。



こしがあるのはあたり前なのですが、喉ごしが抜群にいい、表面がスベスベの麺なのです。



絶対ここの大将は、西讃の人じゃない、この洗練されたうどんは、高松のものだ、と直感した私は、聞きました。



「素晴らしいですね。あのう、どちらのうどん店や製麺所で修行されたのですか。」



お昼の混雑が一段落したところだったため、若い社長の笹尾さんがニコニコしながら出てこられて、答えられました。



「綿谷製麺で勉強しました。」



「だったら、丸亀市の方ですか。」



「いえいえ、高松市です。『綿谷製麺・高松支店』で働いていました。」



「そうですか。嬉しいな。ぼくも高松市出身で在住だから、こんな美味しいうどんを、高松市出身の方が手打ちしてくれるのは、とても嬉しいです。」



「有難うございます。」



「実は、今、自転車で、南新町の『綿谷製麺・高松支店』に向かう途中だったんですよね。嬉しい偶然だなあ。ただし、うどんの麺そのものでは、このお店の方が、あなたが修行された『綿谷製麺・高松支店』よりもはるかに美味しい、というか、高松人は、喉ごし重視ですから、この店、高松市内だから絶対に流行りますよ。もちろん、『綿谷製麺』は、ぼくは、丸亀市の本店にもお邪魔したことあるんだけど、素晴らしいですけどね。ただ、あそこの、キツネ寿司は大きすぎて食べきれないや。」(笑)



「『綿谷製麺』は、お客さんが多いですから、大量にうどんを作るので、うちとは規模が違いますからね。」



「規模よりも、美味しさが大切ですよ(笑)。今後、ぼくの東京の友人は絶対ここに連れてきますよ。」



「有難うございます。」



などと、楽しく会話して、美味しくいただき、夕食用に、生うどんも2玉買って出ました。









そのあと、床屋に寄った後、ぼくは、バルセロナの瀬戸氏と萩野氏のパフォーマンスへの興奮がさめなかったので、続けて、うどんを食べました。



南新町の、マルヨシセンター創業者の佐竹氏のやっている「うどんや」で、『冷たいかけうどん』をいただきましたが、まだ、食べようと思って、『冷たいスダチ生醤油うどん』と、カレーコロッケ、をいただいて、ようやく、落ち着きましたので、他の買い物もして、帰宅しました。



夕食は、昨日作っていただいた、カレーの残りで、「めんや 七福」の生うどんで、カレーうどんを作って、これに、モツァレラチーズを入れて、チーズカレーうどん、をいただきました。



素晴らしい一日でした。



掲載写真は、順に、レース直後の瀬戸大也氏と萩野公介氏、「めんや 七福」の『豚肉ぶっかけうどん』、です。





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Posted by 岡田克彦 at 23:47Comments(0)ヒューマニズム

2012年09月02日

「町村派の分裂含み」の『暗夜行路』




今朝、NHKで、ニュースを見ていると、自民党総裁候補に、安倍晋三さんが立候補することを決めたことに関し、安部さんが所属する町村派の大将の、町村信孝さんも立候補することにしたそうで、アナウンサーは「今度の自民党総裁選は分裂含みになります。」と言っていました。



大体、私は昔から気に入らないのですが、「・・・・・含み」という態度や姿勢が大嫌いなのです。



どうして、含まないといけないのでしょう。嫌いなものは含めずに吐き出して、YES か NO か、はっきりすればいいのです。



政治家が、こんな表現に代表されるような、はっきりしない行動をしているので、日本の社会に悪い影響を及ぼしているのです。



「いじめ放置含みの対応」を教育委員会がやったり、「原発賛成含みの対応」を経済産業省や経団連がやっているので、ダメなのです。



さらに、「尖閣諸島問題を先送りする含み」的な対応、南海地震に対応して、「防波堤を増強する含み」的な対応を官公庁が推し進めているため、日本国の崩壊や日本国民の消滅の恐れがあるのです。



永田町は、海千山千の皆様の集まりですから、自民党の中の一部に過ぎない町村派が「分裂含み」になっても「仲良し含み」になっても、全く興味はなく、どうでもいいのですが、「人間の生存を妨げても自分の金儲けの方を優先したい含み」的な行動は、人間として許されないことだ、という程度の最低限のモラルは守っていただかないと、日本は犯罪者集団になってしまうので、「・・・・・含み」な行動は謹んでもらいたいものですね。



大阪維新の会の橋下さんの行動も、「・・・・・含み」になったら、おしまいなのですよ。重々、気をつけていただきたいものですね。



橋下さんを独裁者だ、と批判する人がいるようですけど、私は、独裁者のほうが、「・・・・・含み」大好きな、先送りしか出来ない、事なかれ主義の人間よりは、はるかにましだと感じています。



なぜなら、「・・・・・含み」大好きな、先送りしか出来ない、事なかれ主義の人間は、全て、リーダーシップがないからです。







掲載写真は、分裂含みの、町村派の、安倍晋三さんと、町村信孝さん、です。



にこやかにしていますが、心の中では何を考えているかわからない、極めて人間的なお二人ですので、個々人としては愛すべき方なのでしょうが、どの程度リーダーシップがあるかどうかは、「分裂含み」では、全くわからないのです。



日本の政界は、『暗夜行路』にあります。



ですから、日本の政治家は全員、志賀直哉の小説『暗夜行路』の主人公・時任謙作のように、鳥取の大山に一人こもって、大自然の中で精神が清められてすべてを許す心境に達さないといけないのですね。



日本人たるもの、この程度の規範や心意気くらいは、持っていてしかるべきなのですが、何も知らない無知な人間で溢れているようですね。



困ったことです。





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Posted by 岡田克彦 at 09:04Comments(0)ヒューマニズム

2012年08月16日

とても嬉しい朝

今朝は、とても嬉しい朝です。



というのも、フェイスブックで、旧知の方二人から友人リクエストをいただき、リンクしたからです。



一人は、昔々、住友信託銀行八王子支店で勤務していた1989年当時、ライフワークとしてやっていた、作曲活動の一環で、31歳当時に作曲して、自作自演で出演した私の自作室内楽曲「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディー OP.61」を、御茶ノ水カザルスホール第二回アマチュア室内楽フェスティバルに出展して、親友の、筑波大学医学部在学中だったクラリネット奏者と出演した当時、住友信託銀行八王子支店で一緒に働いていた、私の作品やピアノ演奏を気に入って下さっていたOLの若い女性〔今は幸せなご家庭を作っていらっしゃいます。〕です。



彼女は、ミクシィで私を見つけてリンクし懐かしい思い出に話がはずみました。



もう一人は、北海道の松前町で地域活性化に尽力されている方で、地方都市地域活性化のSNS『ぶらっと』をご紹介下さったり、北海道から高松に転勤していらしていた音楽大好きな方をご紹介下さり、その方が、逝去した母の告別式を手伝ってくださったりした思い出のある方です。



彼には、北海道の松前漬けを送っていただいて、晩年の母と一緒に、生まれて初めて、まだ行ったこともない北海道の名物に接することが出来ました。もう、10年近いお付き合いになりますが、ネット上で出会った当初は、彼がオーストラリアに、私がシアトルUSAに留学していたことから、とてもお話が弾んだ記憶があります。



私の場合、ウェブで出会うことも、自分が生きて死ぬまでの間にいろいろな方と実際に出会うことの一部に過ぎませんので、IT環境が整備された後に初めてウェブで会ったこともない人の日記を読んで知り合ってから実際に会う、という、手順でしか新たな出会いを経験できないので、とりあえず、あたりさわりのない話題提供で「空気を読む」ことしか出来ない方の気持ちは全くわかりませんし、わかりたいとも思いませんし、ハンドルネームで出会ってしばらくしてからリアルしたり、オフ会をして出会うと、出会う数は増えますが一つ一つの出会いの質は著しく低下するので、SNSのリンクなどは出会ったことではなく、実際に空間を共有して会ってからが出会いだと思っています。



ホームページに自分の住所を載せていると、「勇敢な方だ」というご感想をいただきますが、社会で出会った人と名刺交換をしたら、名刺に自分の住所と氏名が入っているのはあたり前ですから、普通のことをしているだけなのに呆れてものが言えません(笑)。



日本の社会で、大津市の中学校のような、監獄、少年院、精神病院の入院病棟の中のような環境の場所は、ほとんど皆無ですから、毎日毎日、いつ自分が殺されるのだろう、とビクビクして生きないといけないような状況ではないのです。



最近は、本州方面で、人を殺すことが大好きな人が急増しているようですが、運悪くそういう人に出会って殺されたりしなくても、人間は一万年も生きることのない有限な動物で、生きるということは、日一日、天寿の死に向かってゆくことなのですから、太宰治の「人間失格」の遺書の最後のように、『ただ一切は過ぎてゆきます』、なんて状況でなければ、全ての生存している人間の命は至上のものなのですから、ヒューマニズムにのっとって普通に生きていればよいだけのことなのです。



ホームページに住所を載せているので、香川県警勤務の高松高校の同窓生から、「岡田君、危ないでぇ。」なんて、時々言われます。いちいち面倒なのですが、



「何を言いよんな。人間も動物やけん、いつ死ぬかわからんのでっせ。いつ死んでもええように生きとったらええだけのことや。あんたも、ちょっとは、ドラッカー読みまあせ。」と答えています(笑)。



それにしても、2012年の今年もまた、日本テレビとその系列の西日本放送では、「愛は地球を救う」というチャリティ番組が開催されるそうで、想像力のなさに呆れております。



2012年こそは、アンチテーゼとして、「原子力発電所は福島県を救う」くらいの番組名も考えられないとは、何と想像力の欠如した、電気を無駄遣いしているスポンサーにこびへつらっただけのお金儲けしか眼中にない、劣悪なマスコミだろう、と私は感じております。



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Posted by 岡田克彦 at 12:58Comments(0)ヒューマニズム

2012年07月28日

ロンドンオリンピック開会式をライブで見て




今日は、朝4時半から、NHKで、ロンドンオリンピックの開会式がありましたので、ライブで見ました。



事前には、日本の阿呆民放のワイドショーなどで、芸能人や著名人の誰が出るかなどを話題にしていましたが、ギャラでいくら使うか、なんて投資するお金の金額で、開会式の価値が決まるわけではないと思っていましたので無視していましたが、実際は素晴らしかったです。ベッカムは、テムズ川を若手の女子サッカー選手と一緒にボートに乗っての聖火リレーの映像で登場しただけでした。



イギリスの歴史、のどかな農村風景 ~ 産業革命 ~ 007 ~ ビートルズ、なども紹介されたあと、ファンタジーの前に、エリザベス女王が入場し、聾唖の子供達の少年少女合唱団による、国歌斉唱とイギリス国旗入場に続いて、子供達のためのイギリスナンバーワンの病院のシーン、眠りにつく子供達を襲う、ピーターパンやハリーポッターの悪いキャラクターをメリーポプキンズが追い払ってからのダンスショー、と展開されました。



そして、喜劇役者のオーケストラをバックにしたオルガン演奏で笑いをとり、ビートルズなどのメドレーに合わせて展開された最後で、出会った若い男女が結ばれるシーンのダンスによる表現の後、地元の若者のヒップホップ演奏、などのメドレーで、素晴らしい内容でした。



そして、ファンタジーのエンディングが、亡くなったため、この開会式に出席できなかった皆様への追悼の賛美歌のソプラノのアカペラソロと、それにあわせた哲学的なダンスによる追悼、でした。



ラストが亡くなった人達の追悼、という構成で、人の命の大切さを高らかに叫んだ、このファンタジーは、素晴らしい、の一言でした。



さすがは、イギリスです。なんとヒューマニズムにあふれた演出だろう、と、感動しました。アメリカの悪影響で日本では日常的になってしまった、いじめや差別の大好きなモンスターペアレントや、人の命よりもお金の大好きな、原発を推進したい野田総理や東京電力などには、全く、豚に真珠の、素晴らしい内容でした。



事前に、この内容を秘密にしたのは正解でしたね。マスコミのキャスターは事前情報がなかったので、おしゃべもほとんど出来ませんでした。



キャスターの説明なんかなくても、この程度の英語は、一般教養のある日本人にはわかりますし、キャスターのしゃべる日本語の声は、NHKのような控え目なものであっても、流れている音楽鑑賞の邪魔になりますからね(笑)。



そして、続いて、選手入場となりました。日本の衣装は、国旗の日の丸を象徴した、真っ白なズボンに真っ赤なジャケットで、イギリス国旗と日の丸国旗を全員が持っていて、よかったです。



これが、日の丸とアメリカ国旗なら、歴史の格が違うので似合わないのですが、日本とイギリスならばOKですね。



選手入場の後、最終聖火ランナーが誰になるのか、著名人の誰になるのか、などが騒がれていました。が、素晴らしかったです。かつてのイギリスの金メダル獲得アスリートから、若いハイティーンの7人のアスリートに渡され、若い7人が点火したのです。



既得権にこだわっている日本の年寄り政治家の皆様は全員見習って欲しいような素晴らしい演出でした。だって、先に死ぬ運命に決まっている人が、いつまでもかつての栄光にすがって権力をふるうほど醜いことはないのです。若い人達の活躍のために年寄りは奉仕しなくてはならないことを見事に表していましたね。素晴らしいです。



そして、聖火点灯後のラストは、ポール・マッカートニーのピアノソロでの歌による『ヘイ・ジュード』の演奏と、お客さんやアスリートの大合唱という、素晴らしいエンディングでした。



この歌詞は、息子を励ます、素晴らしい歌なのです。歌詞の中に、下記の素晴らしい一節があるので、この作品は開会式で演奏されたのです。



「ヘイ、ジュード 思い出して 全てをひとりで背負い込むことはない 君はクールを気取っている奴は馬鹿だって知っているだろ? それは人生を少しつまらなくするだけさ 全てを捨てて全てを受け入れろ ヘイ、ジュード はじめよう 君は誰かが助けてくれるのを待っている でもそれは君がやるべきことなんだ ヘイ、ジュード 君ならできるさ 君に必要なことは君にしかできない」



また、この作品は、世界中の人が知っている、ビートルズの大ヒットナンバーですから、自然に合唱が沸き起こり、最後の、「ラーラーラー、ラッララー」は、演奏を止めても会場に続きました。



本当に素晴らしい開会式でした。



現在の日本で、こんな素晴らしいものは出来ないでしょうね。



エリザベス女王に対応する天皇陛下以外、日本には人がいなさ過ぎますね。



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Posted by 岡田克彦 at 09:33Comments(0)ヒューマニズム

2012年07月23日

大津市中学校のいじめ殺人事件の無視について


加害者の主犯の、木村束麿呂の阿呆の両親の写真を載せていましたが、気分が悪いので、削除しました。



香川県教育委員会には、高松高校、早稲田大学の同窓生のN君がいるので、もし、あんな大津市のようなことが起こったら、私はただではすませないつもりですので、高松市ではあのような事態は絶対に起こらないように動くつもりです。



まあ、高松のマスコミはどれもこれもダメなのですけど、岡山の山陽テレビだけはまともなので、大丈夫でしょうが、あと3年位すれば、N君が教育長になるとのもっぱらの噂なので、OKでしょうね。



でも、なんで、いじめるようなことをするのでしょうね。



そんな暇があったら、楽器を演奏すればいいのです。いじめなんて、時間の無駄遣いなのですけど、いじめの中に、万引きを強要するようなところがあるのは、世の中が全てお金でなんとかなる、という間違えた考え方がはびこっているためなのでしょう。



お金でどうにもならないものが一杯あるのに、そういうものに接することもない動物は、全部、存在価値はゼロですね。



オスプレイの沖縄への設置はお金では絶対に止められないのですよ。



まあでも、世の中の親御さんは、子供のいじめにのみ興味があるので、オスプレイや地震なんかどうでもいいのでしょうけど、もし、オスプレイが落ちてきたり地震が起こって親子共々死んだらどうするのでしよう。何もかもおしまいなのですよね。



プライオリティー(優先順位)を考えて行動しないといけないですね。


  


Posted by 岡田克彦 at 08:21Comments(0)ヒューマニズム

2012年05月11日

「若さ」について


今回は、いつになく、哲学的な考察をしてみたいと思います。



いつもうどんばかり食べているぼくが、哲学的な考察なんて、全然、似合わない、ってみんなに言われることはわかりきっていますし、結論は最初からハッピーエンドに決まっているのですけど、たまーーーには、許してください(笑)。



さて、いつも感じることなんだけど、人間は誰しも、自分の経験を価値観にしてしまっていることが多いですね。



特に、「若さ」という時間の経過によって発生する特徴については、そうですね。私のような55歳などという「年寄り」の世代まで生きてしまった人は、全員、過去に若かった頃を経験していますので、その頃の自分の生き方をベースに青春を語ることが多いですね。



大昔の曲の歌詞からちょっと引用すると、森田公一さん作詞の「青春時代」の歌詞の次の一節には、私は以前から、反対でした。



「青春時代が夢なんて あとからほのぼの思うもの 青春時代のまん中は 道に迷っているばかり」



本当にこんな青春時代の生き方をした人がいるのなら、相当、頭が悪いか、ひどい年上の人としか出会わなかったか、あるいは、年上の人の言うことを素直に聞かなかったからなのです。そうでなかったら、道に迷っているばかり、なんてことは有り得ないのですから。



それに、「自分の青春時代が夢だとほのぼの思う」なんて、余命いくばくもないのですから、時間の無駄遣いです。そんな暇があったら、今、青春時代を生きている人を全部崇拝して応援するような生き方をした方が、絶対に世のためになります。



・・・・・などと考えると、この歌詞は、超利己主義な生き方をした人の自己満足に過ぎないのです。



なーんて、意地悪な見方も出来ますが(笑)、私は、この作品のコード進行が大嫌いなので、歌詞もついでに嫌いになっているということです。



しかし、『これが青春だ』の次の歌詞は正しいと思います。



「誇り一つを 胸にかかげて 怖れ知らない これが若さだ」



また、『青春とはなんだ』の主題歌『若い明日』の歌詞も秀逸ですね。



「このむねに満たされた 力を信じよう 新しい明日は 僕たち手で作るのさ」



音楽の力は絶対的ですね。



『これが青春だ』、『若い明日』、いずれも、歌詞が正しいので、作曲者も素晴らしい音楽を自然につけているのです。



私は、はしだのりひことシューベルツの「風」こそが、人間愛を歌った歌としては、最高傑作だと思っています。



「ふりかえらずただ一人一歩ずつ ふりかえらず泣かないで歩くんだ 何かを求めてふりかえっても そこにはただ風が吹いているだけ」



結局人間は死ぬ時は一人なのです。全ての人間が、孤独に生きることの意味をわかっていたら、争いごとは絶対になくなるのです。



「若さ」は、人間の精神状態を示す言葉だと思いますから、「若さ」も「人間愛」に基づいていないと、全く意味がないのですね。



でも、私は、超個人的には、「若い人」が好きなんですが、これは、生涯変わらないだろうと思います。また、私の解釈では、「若い」とは、自分より年下の人たちのことなので、長生きすればするほど、自分より年下の人が増えるので、日々、ハッピーになってゆくのです。こんな幸せなことはありませんね(笑)。










  


Posted by 岡田克彦 at 06:34Comments(0)ヒューマニズム

2012年01月14日

昨日の幸せな「サブウェイ・高松/香川県庁前店」







「高松のど真ん中の中新町(なかじんちょう)の交差点にあったロータリーの池が沸騰して、熱くて飛び込んだ人全員が熱湯で亡くなった、って、4年前他界した母から聞きましたけど、本当に地獄絵だったんですね。」



「そうやそうや、中新町の交差点には大きなロータリーの丸い池があったんじゃ。高松大空襲の時、B29に、ようけ焼夷弾落とされて周りの防空壕にも炎が迫って来たけん、熱うて熱うてみんなあの池に飛びこんだんやけど、次々と爆弾が落ちてきて、全員茹だってしもうてみんな死んだんや。高松は8割が焼け野原になってしもうてわややったけど、なんとかそこから立ち直って来たんや。ほんまにのう、5日前の6月29日には、岡山が大空襲になって、北の空が真っ赤やったけん、次は高松もやられる言うて町中から逃げようとする人もおったんやけど、憲兵が来て、『敵前逃亡するとは、それでも貴様は日本人か。この非国民。』言うてしかられたけん、逃げられずにようけ死んだんでっせ。7月4日のことやったけん、広島にピカドン(原爆のこと。放射線がビカッと光ってドンと落ちた瞬間に全員死んでいたので、アメリカの新型爆弾のことはこのように呼ばれていました。)が落ちる1ヶ月前のこっちゃった。」



大正15年生まれの、仲良しおばあ様二人連れが、ゆったりした足取りで、サブウェイ・高松県庁前店の喫煙室に入ってきて、昨日の午後、金曜日のサンドセットをいただいたあと、ラークをくゆらせていた私といろいろお話していた時のことでした。



「ここのコーヒーは美味しいの。ええ店が近所に出来てよかった。」



と話しかけられたのが始まりでした。



母の介護のことや、高松市社会福祉協議会のホームヘルパーが、香川県内では群を抜いてレヴェルが低いので、何かあったら、香川県の社会福祉協議会に相談したらよいこと、高松市内の介護タクシーの中では東讃交通が最悪なので東讃交通にだけは頼まない方がよいこと、足腰が丈夫なので、ゆっくりでいいから少しでも歩かれたほうがよいことなど、母を介護していた私の知りうる限りの情報を提供させていただき、いろいろお話していた時のことでした。



東日本大震災に遭遇して、最大の問題は、原子力発電所の存在、放射線に若い人たちが被爆する危険性であることが明白なのに、全国の電力会社が原子力発電所を止めないでコストパフォーマンスのことばかり考えて、財界も政界もお金儲け第一に考えて人の命を軽視している態度は、高松大空襲の予兆があった時、高松市中心部から郡部へ避難しようとした人達を、「非国民」と罵って逃がさなかった憲兵と同じ精神状態であることなど、いろいろお話して、「世も末ですなあ。ろくな政治家がおりませんなあ。」と言っていたときのことでした。



「サブウェイ・高松県庁前店」、近辺に住んでいる人たちには、知識階級が多いので、四国電力に対して原発を増やして景気をよくして欲しい、などと考えている人は一人もいないことは明白なのですが、私が、



「毎日、電気をつけるたびに感じることなんだけど、確かに、電気の存在は有難いものなんだけど、この電気が、愛媛県の伊方原発から流れてきているのだとしたら、電気のスウィッチを入れる度に、弘法大師のバチがあたるんじゃないか、って感じるんですよね。」と言ったことに、お二人のおばあ様が深く同意されたところから、電気がなくても人間は死なないけど、放射線は人間を虐殺する可能性がある、という素朴な結論に達して、電気なんてなくても生きてゆけるし戦争で焼け野原になったところから苦労したけど立ち直ってきたご自身の経験では、電気なんかいらないという覚悟を決めたほうがいい、というお話になりました。



日本は、国民主権国家だったはずなのですから、非常事態になる前の準備段階は、全ての物事が、国民主権で推進されなくてはならないのに、そうならない原因の最大のものは、拝金主義に陥った、野蛮な政界財界の皆様、視聴率最優先主義に陥った、マスコミの皆様の自覚と反省の不足であることは、既に、常識になっていることなのです。



福島原発事故の次の原発事故が起こる前にどうすればいいのか、という問題は、岡山大空襲があった次に来るはずの高松大空襲が実行される前にどうすればいいのか、という問題と、全く同じ、とても簡単で幼稚な課題なのです。すなわち、結論の絶対的な前提条件として、第一に優先されなくてはならないことは、一人でも多くの人の命を救うことなのであって、対費用効果やお金儲けを考えて、原子力発電所の稼動を推進したり、それを増やしたり、放射線をハンドリングしている物体の技術革新をすることでは断じてありません。



換言すれば、全ての問題解決は、ヒューマニズムにとどめをさすのです。マネタリズムで人の命を救えないことなどは、大昔から決まっていることなのですよ。











このたび、「香川県はうどん県に改名しました」と聞いて、どうせ観光客誘致、金儲けの手段だろう、としか感じないあなたは、既に、拝金主義に堕落していますから、原発問題を論じる資格はありません。



「香川県はうどん県に改名しました」という文言は、文化的な主張なのです。その証拠に、「池上製面所」のルミばあちゃんは共産党ですし、「山越」の大将は創価学会の会員で公明党なのですが、そんなものは、「池上製面所」や「山越」の素晴らしいうどんとは全く無関係なのです。讃岐うどんは1200年の歴史があるのです。日本共産党や創価学会なんか、讃岐うどんに比べたら、赤ん坊なのですから、そんなものは、讃岐うどんの判断基準にはならないのですよ。



そして、讃岐うどんの1200年の歴史に思いをはせるとは、1200年の間にこの世に生まれて讃岐うどんを愛して亡くなっていった、数え切れない人達の人生を思いやる、ヒューマニズムをしっかりと腹に据えて再確認することなのです。「池上製面所」や「山越」の年商や損益分岐点のような、下劣で短期間の出来事を考えて、少しでも節税したい、と思っている輩とは、思考の次元が違うのです。



昨日、私は、近所の、中学生の頃からの行きつけの名店「番丁」で、鶏肉、大根、ニンジン、椎茸、里芋、豆腐、お揚げ、コンニャク、ショウガ、柚子コショウ、と、この店のしっかりしたこしのうどんのたっぷり入った『しっぽくうどん』をいただいたあと、生野菜をいただいて栄耀バランスを完璧にするために、「サブウェイ・高松県庁前店」に赴き、『ハム、6種類の生野菜とチーズの、ハニーバンズトーストのサンドウイッチ』と、『アイスカフェラッテ』をいただくという、栄養的ゴールデンコースの遅い昼食をいただき、「サブウェイ・高松県庁前店」で出会った、大正生まれの二人のおばあ様の、原子力発電所に関する正しいご意見を拝聴し、お腹もハートも豊かに帰宅しました。



そして、とても幸せな気分で、美空ひばりの歌った「愛燦燦」をアレンジしました。



小椋佳氏の書いた、「愛燦燦」の歌詞にあるように、『わずかばかりの運の悪さを恨んだりする』ことなく、『人待ち顔して微笑む未来』を見て生きたいと思いました。そして、全ての生まれてきた人達が、『人生って嬉しいものですね』と思えるような世の中になればいいな、と願っています。



掲載写真は、順に、「サブウェイ・高松県庁前店」の『ハム、6種類の生野菜とチーズの、ハニーバンズトーストのサンドウイッチ』と『アイスカフェラッテ』、「番丁」の『しっぽくうどん』、です。











  


Posted by 岡田克彦 at 08:11Comments(0)ヒューマニズム

2011年05月14日

東京電力のリストラの不徹底について


「東京電力のリストラの不徹底について」ニュースの報道を見て呆れましたので、ちょっと書くことにしました。



リストラという言葉は、リストラクチャード(再構築)のことで、従業員をクビにするという意味ではないのです。



リストラが従業員をクビにするという意味で使われるようになったのは、日本にアメリカから、リストラクチャード(再構築)が入ってきたときに、一番最初にそれを導入したのが、三和銀行だったからなのです。



ご高承のように、金融機関は、メーカーのようにー工場などの設備は持っていませんので、唯一の資産は、従業員という人間なので、従業員をクビにしたのです。



アメリカのように全てがお金で決まる民度の低い多民族国家では、日本のように、終身雇用・年功序列がなかったので、解雇しても大丈夫なように、中途採用のマーケットが確立されていたので、OKだったのです。



さて、この度の東北地方の大震災の人災の部分、つまり、原発事故の責任の全ては、一民間企業の「東京電力」にあります。



従って、今回の賠償金の全ては、東京電力が、社長以下、役員も全員、身ぐるみをはいで裸一貫になっても支払わなくてはならないものなのです。責任者とはそういうものです。そして、その覚悟のある人のみが真のリーダーなのです。



東京電力の現社長以下、全役員は、これまでの人生において、ライバルを蹴落としたりして、「東京電力」などという、金儲けを旨とした、一民間企業などという、狭い狭い社会の中で、出世してきたのでしょうけど、そのような、これまでの人生全てをリセットして、責任を負わなくてはならないのです。



なぜなら、あなた達は、東京電力の社長や役員である以前に、血の通った人間なのですから、万物の霊長としての自覚があれば、この世で生きるにあたっては、絶対に、人間としての最低限のモラルを持っていないといけない義務があるからなのです。



メインバンクが怒っているのは当然です。なぜなら、そのような覚悟が、東京電力の現社長以下、全役員にそのような覚悟がないからなのです。



私は、既に、役員報酬は全額今回の賠償金に回したと思っていたのですが、半額という、中途半端なものでした。そんなにお金に困っていらっしゃるのですか。お気の毒な限りです(爆)。



東北地方で被災して、原発事故で発生した放射線のために、救助に行けなかったため、餓死した人もいたはずなのに、なんと、悠長なこと、そして、なんと馬鹿げたお金への執着でしょう。



彼ら、東京電力の社長以下役員は、リーダーなのでしょうか、というよりも、それ以前に、彼らは、熱い血の流れる哺乳類の人間なのでしょうか。



東京電力の社長以下役員は、全員、人間失格です。



もう、あきれ果てましたので、太宰治が「人間失格」で書いている言葉を若干アレンジして、私からプレゼントして差し上げましょう。



「東京電力の社長以下役員の皆様は、恥の多い人生を送っていますね。この後も、恥を重ねて生き続けるおつもりですか(笑)。あっぱれ世間の見世物です(爆)。」






  


Posted by 岡田克彦 at 16:03Comments(0)ヒューマニズム

2011年03月26日

『個人の尊厳>表現の自由』





今回は、人間として生きるにあたって、ごくあたり前の鉄則の標記の不等式のことを書きたいと思います。



こういうウェブ上で日記を書いて、人と人が出会うことがこの先も増えてゆくんだろうな、と感じていますけど、この不等式が逆転している人が生息していることが、ウェブ上のコミュニケーションの全ての弊害になっているようですね。



SNSに入って3年くらいになりますけど、「リンク先は会ったことのある人だけ」と書いて広がりを拒否している人もいますし、本名、住所、携帯電話番号等をご案内しているぼくに、「そんな危ないことはやめた方がいいですよ。」と注意くださる方もいらっしゃいます。



きっと、そういう人達は、過去に、ウェブ上で嫌な思いをされたことがあるのだろうな、って感じるたびに、どうして、人間は、わずか100年前後生きているだけのちっぽけな存在なのに、そんな風に憎しみあったり、お互いの足を引っ張っぱり合ったりするんだろうな、っていつも感じてしまいます



『表現の自由』って書くと、全てが許される大義名分のように読めますけど、これは、つきつめれば、エゴイズムという、人間の煩悩の一つでしかないのです。もちろん、自己表現をしたくても出来なかった時代が、差別が日常的だった、民主主義社会になる前の時代にあったという歴史的事実がありますので、『表現の自由』はとても大切なことです。



しかしですね、『個人の尊厳』というものを凌駕するほど大切なことではない点を忘れてはならないと思うのです、ぼくは。



『表現の自由』を声高に主張して、自己表現する人達は、まず第一に、この世で生きている人間の数だけ個性がありますから、『表現の自由』のもとに「自己表現」をする場合でも、それを受け取る人たちにも『表現の自由』があるんだ、ということ、自分が自己表現したい気持ちに対するものと同じだけの敬意をもって、他人が自己表現したい気持ちを思いやるという大前提に立脚していないといけない、ということです。この前提を崩して『表現の自由』という大義名分のもとに「自己表現」する人達は、ぼくに言わせれば、ただ、煩悩に振り回されているだけの、気の毒な生物だと思います。



『個人の尊厳』は全ての生きる人間が当然に持っているのですから、これを汚すような表現は絶対に許されないのです。



匿名の掲示板やSNSに見られる、ハンドルネームがなかったらコミュニケート出来ないウェブ上の状況は、実に嘆かわしいことです。なぜなら、ハンドルネームのようなものは、『表現の自由』によって脅かされるかもしれない自分の『個人の尊厳』をガードする、防波堤に過ぎないからです。



万物の霊長たる人類が、防波堤がないと生きてゆけないとは、何と情無い懐疑心に満ちた殺伐とした世界だろう、ってぼくは思っています。



ウェブに参画する全ての人類が、『個人の尊厳>表現の自由』という、鉄則の不等式を認識していれば、そのようなものは一切無用なのです。



掲載写真は、先日いただいた、近所の高松市鶴市町の「つるいち」の『讃岐豚しゃぶ白菜うどん』です。とても暖まる素晴らしいうどんですね。





  


Posted by 岡田克彦 at 16:58Comments(0)ヒューマニズム