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Posted by あしたさぬき.JP at

2012年02月27日

高松市木太町の「カフェ ド プルミエ」


一昨日の土曜日、私は、私の高松ファンクラブ会長をして下さっている、高松市国分寺町のK女史のお誘いで、K女史の別荘のある、高松市塩江町のご近所のM氏と共に、お食事したり、素敵なカフェで楽しくおしゃべりしました。



K女史と出会ったのは、母の一周忌が終わって、栗林後援庭園コンサートが終わった頃でしたので、私にとっては、母親のような存在です。



少し体調を崩されていたので心配していましたが、お元気になられたので、ほっとしました。



裏千家の師範の資産家のK女史は、本宅が、高松市国分寺町の豪邸なのですが、今は、木太町にお持ちのマンションと、塩江町の温泉を引っ張った、別荘のマンションで、ゆっくり、老後を過ごされているのですが、80歳代の大変にアクティブな方なので、愛車で移動され、香川県内に一杯いらっしゃるお弟子さんなどと、楽しい毎日を過ごされながら、いつも、私のホームコンサートをやって下さったり、いろいろとお世話になっています。



がまあ、彼女が素晴らしい感性の持ち主でいらっしゃるので、私自身が、一番お世話になっていることは、精神的な部分での心の安定ですね。



しょっちゅう美味しいバラ寿司を作って私の自宅に持ってきてくれたりするのですが、今回は、木太町のマンション近所に、さわらの味噌漬けの美味しい料理店と、素敵な喫茶店が出来たので、私がお魚が大好きなことを知っているので、ご招待くださいました。



いつご招待されても、私の好みを熟知されているので、ご紹介して下さる方々も全て気の合う方ばかりなので、とてもカンフォータブルなので、最高に幸せです。



いつもは、ー彼女の愛車で迎えに来てくださるのですが、今回は、お茶会の都合で、塩江町のMさんが自家用車で私の自宅まで迎えに来てくださいました。が、その車に、私の大好きな、彼の愛犬のチワワが二匹も載っていたので、さすがは、Kさんだな、私の好みを熟知されているな、と嬉しくなりました。



私は、小学校一年の頃祖父が飼ってくれた愛犬のスピッツの『シロ』と一緒に、高松市番町四丁目の自宅で生きたのですが、中学二年のときに、『シロ』が亡くなってから、ペットを飼うことはしていないこと、『シロ』と暮らしたときの思い出を、ピアノ組曲「白い波」(シロの思い出)OP.20〔全12曲〕、という作品にして早稲田大学2年当時に完成させたものが、私のピアノ組曲の処女作であること、この作品の自作自演は彼女にしか聞かせたことがないこと等を全部ご存知なのです。



ですから、ただのファンではなく、私にとっては、地縁関係の一期一会で結ばれた、とてもとても大切な方なのです。こういう出会いは、東京ではキャンノット、ですね。第一、彼女と出会ったのは、私の住む、高松市西宝町の自宅近所の小さな喫茶店だったのです。



私の腰掛けたテーブルの隣席に彼女が座っていたところから、おしゃべりが始まり、私にとっては、四番丁小学校の大先輩だということだけだったのですが、一年前に母を看取るまで、東京からUターンして介護した思い出で、作曲した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)を、香川県庁の委嘱で栗林後援庭園コンサートで初演したことなどをお話したことから、彼女がかつて介護したときの大変さなどをお話して親しくなっただけでなく、この、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)を、彼女の高松市国分寺町の豪邸で演奏して欲しい、とのことで、そのまま、国分寺町の豪邸に連れて行ってくださったこと、東京の音楽の友人が来たときには、是非、塩江温泉を経験してもらえばいい、とのことで、塩江町の別荘にも案内して下さったことなど、行動派の彼女らしい一期一会でした。



ここで、彼女との出会いを、生涯にわたるものにしようと私が決めた理由は、極めて音楽的な理由でした。



彼女が大好きなシューマンの「トロイメライ」を私がそこのピアノで弾いていた時、彼女は高台の豪邸のレースのカーテンを開けて、下に広がる高松の町を一望しながら、こう言ったのです。



「ああ、ここから見える高松の風景も、お庭の木々も、あなたのピアノを聴きながら見ると、全然、違って見えるわ。そうだわ。うちのお庭を手入れしてもらっている庭師さんのTさんに、あなたの作曲作品や演奏を聴かせたいから、ここで、ホームコンサートやりましょう。」



この後半の一言、「庭師さんに聴かせたい。」、が、全てを決定しました。音楽は世界共通のものです。聴衆の学歴や職業なんて、全く無関係なのですから、この方こそ、私の高松ファンクラブの会長にふさわしい方だと思いましたので、私から、お願いしたのです。



こういう出会い方は、東京の新宿中村屋の併設喫茶店や、中央線沿線沿いの、クラシック喫茶店では、絶対に不可能なことですね。



前者は、全国から上京したいろんな人が集まっている東京では個人情報保護法が邪魔になって不可能ですし、後者は、ただのオタクの出会いに過ぎません。それに第一、東京都内の喫茶店と高松市内の喫茶店では、コーヒー代が違いますし、出会っておしゃべりする内容に、好きなうどんのこしの話題が入っていないと、香川県内では信頼関係が成立しないのです。



後者のオタクの出会いでの共通の話題は、アニメのようなバーチャルなものですけど、讃岐うどんならば、人間の生存にかかわる食事にかかわるアナログなものですから、全く、異質なのです。



こうして、美味しい、さわらの味噌漬けなどの和食割烹での食後、彼女が私を案内してくれたのが、木太町1区にある、「カフェ ド プルミエ」でした。



店名を見た瞬間、私は、気に入りました。プルミエ、はフランス語で、第一、という意味ですが、私の大好きな、ドビュッシーの「クラリネットとピアノのためのプルミエラプソディー」〔和訳すれば「クラリネットとピアノのためのラプソディー・第一番」〕の、「プルミエ」からとったものだ、と私は決めつけて、大喜びしてはしゃぎ、その意味をご案内しました。



このあたりの私の言動は、とても重要なのですよ。フランス語の知識なんてどうでもいいのです。私がドビュッシーのことを大好きだということが伝わればそれでよいのですから。







引き続き、25歳のイケメン店長がいらっしゃるという、店内に入ったら、感じのいい、25歳のイケメン店長が、お水を持ってきてくれたので、横にあったグラスにきれいに飾っている銀のスプーンで、すぐに、私は、水の入ったグラスをたたいて、音程を確認しました。B♭より少し低いヘルツだとわかったので、まず、私は、彼のグラスに注いだ水の量が素晴らしいと褒め称え、その理由をご案内しました。



しかも、彼が、「いらっしゃいませ。K様いつも有難うございます。」と言った言葉の最後の響きの音程が、B♭だったので、とても、包容力のある優しい方だ、ということ、彼は、高松市内で生まれ育ったのかもしれないけど、そのアクセントで、海外生活を経験している、と私は、直感したので、彼の出身地、海外にいたかどうかを確認しました。



「いやぁー、実は、中学校の三年間、マレーシアで過ごしていました。」



と返ってきました。すかさず、K女史が、



「さすがは岡田さん、すぐにわかるのね。あなたもアメリカのシアトルで高校時代過ごしていたそうですから。でも、とても、いいお店でしょう。イケメンマスターが迎えてくれるのよ。」とおっしゃったので、私は注意しました。



「Kさん。『イケメン』なんて、劣悪民放マスコミ放送局とおつむの中がからっぽの芸人や女性ニュースキャスター、芸能界コメンテータの造語を使って、この、彼の容姿を表現することは、お下品ですよ。『イケメン』なんて言葉は最低ですよ。男性という人間を物体扱いしているのですから。そうですね。最低でも、『格好いい若者』『シブい若者』と言われたほうがいいですよ。最も、Kさんの愛好されている古典文学から、『いとおかし』『あはれなり』『あやしゅうこそものぐるおしけれ』あたりの形容詞がベストですね。」



これで、全員、大爆笑になりましたので、一気に、顧客と店員という壁は突破できました。自分の知識量を誇るために言葉を使ってはならないのです。絆を深めるために言葉は使われるべきなのです。








こうなれば、店員の若者の住まいから全て簡単に話題に出来るのです。彼は、塩江町の高台に住んでいるとのことでしたが、そこは、偶然にも、Kさんのマンションの真向かいでしたので、またまた、距離が狭まったところで、私は、第二の笑いを提供しました。



「ぼくは、高松市番町で生まれたんですけど、番町生まれの男の顔は、全員、彫りが浅くてのっぺりした不細工なんです。ぼくを見ればわかるでしょう。彫りの深い男性は、高松市でも郊外の方、西植田町、東植田町、塩江町で生まれていることが多いのです。だから、君は、格好いいんだよ。」とまずご案内して、彼の声の音程から性格も素晴らしいこと、海外で若い頃過ごしていたので視野が広いことなど、お世辞ではなく、私が感じたことを全てお話しました。



第二の爆笑になりました。この時の、第二も爆笑のとき、「岡田さんには参りました。」と言われれば、これで、私の一期一会は、成功したことになるのです。



そして、そのとおりになったので、ポットに入った、ここのブレンドと、マーブルのシフォンケーキをいただきました。



『マーブルのシフォン』が美味しかったのでお聞きしたところ、毎朝、オーナーの奥様が自宅で焼いて持参するのだそうです。続いて、K女史が言いました。



「ここのオーナーは、徳島県脇町に住んでいるのよ。毎朝、脇町から、ここ、高松市までいらっしゃるのだから、素晴らしいオーナーとオーナーの奥様よ。」



「すばらしいオーナーと、すばらしい感性を持った若いマスターのやっている喫茶店ですね。絶対に成功しますよ。」と私は答えてから、店長の若者に聞きました。



「そういうオーナーを見てあなたは店長をやっているんですね。最高のOJTですね。そういうオーナーの働き方を見ていたら、自然にがんばりたくなるでしょう。」



「はい、そのとおりです。私が言うのも変ですけど、素晴らしいオーナーなのです。」



「そんなことはないですよ。これは、ドイツの行動心理学者のクルト・レヴィンの行動心理公式に基づいた、君の正しい行動なのです。」



と言って、クルト・レヴィンの行動心理公式を私の手帳に書いて、彼に渡しました。



「君に部下が出来たら、このつもりでがんばってね。部下の環境は上司の君になるからね。」



こうして、和気藹々と美味しくシフォンケーキとコーヒーをいただきました。



次回来店時には、マスターの彼を、私のファンクラブに入ってもらうようにするつもりです。



私は、見つけた獲物は絶対に逃さないのです。(うそです。)



そうこうしていると、Kさんが、遺言に、自分の告別式には私にシューマンを演奏して見送ってもらいたい、と書くことを言い出しました。この程度の応対は簡単ですよ。楽しかったのですから、全て、笑いに持ってゆかなくちゃならないです。ですから、私は、こう、答えました。



「わかりました。ただし、私が生きていたらそのようにさせていただきます。」



「またまた、まだお若いですのに。」



「いえいえ、伊方原発が爆発したり、直下型の地震が高松に来たらどうなるかわかりませんからね。それに、通り魔も増えるかもしれませんから、ぼくは、ぼくのファンの若い男性を集めて、ぼくのSPになってもらおうかと思っているのですよ(笑)。」



「蓮如の『白骨の御文書』のとおりね。『されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。』よね。」



「えーーーっ。Kさんも、蓮如の『白骨の御文書』お好きなんですか。」・・・・・



このように、自分の教養を自慢するのではなく、日々の暮らしの中で感じていることを素直におしゃべりし合うこと、ただし、楽しい笑いを織り込むこと、が、私のファンクラブの特徴になっているのです。







掲載写真は、順に、「カフェ ド プルミエ」の、ボット入りブレンドコーヒーとお洒落なコーヒーシュガー入れ、窓から落ち着いた中庭を楽しめる「シンプル、ナチュラル、モダン」な店内の座席、落ち着いた中庭、です。





  


Posted by 岡田克彦 at 06:34Comments(0)私の高松ファンクラブ

2012年02月27日

先週金曜日、東京の友人を迎えて



先週の金曜日、東京の音楽の友人が、高松に遊びに来ました。



四国を一周する予定でしたので。昼前に、高松に到着したときに、JR高松駅で再会して、まず、ブランチに、「たもや・南新町女道場店」へご案内しました。



今、「たも屋」では、古代米の黒米の餅を入れた、かけうどんが素晴らしく美味しいので、それを食べに「たも屋・南新町女道場店」へ連れて行き、ここの有名なコロッケと一緒にいただきました。



そして、夜、落ち合って飲みに行くことにして別れました。



そして夜、私は、遊びに来た東京の友人と落ち合って飲みに出る前に、夕食をいただくために、ライオン通り商店街をぶらぶらしていました。



高松市中心部にある、アーケードでつながった八つの商店街の中でも、丸亀町商店街と平行に走っているライオン通り商店街は、一番飲食店が集中しているのです。以前から讃岐うどん店は一杯あるのですが、ここのところの、丸亀市の一鶴で始まった、骨付き鶏、がブームになっているため、そのお店が急増していました。



骨付き鶏は、実際美味しいのですが、丸亀町商店街のさぬきうどん店「明石家」も骨付き鶏を始めたりしていますので、瀬戸内の魚を中心にやっていた一般の居酒屋も、今は、骨付き鶏を置いているところがほとんどになっています。



が、まあ、昔からある「一鶴」の骨付き鶏が、独特のタレで焼いているので、それを真似るところが多いのですが、私がふらっと入った、「讃岐食酒工房 ふるさと」は、以前は、瀬戸内の魚を中心にやっている居酒屋だったのですが、3年ほど前からメニューに加えた、骨付き鶏が独特で、素晴らしかったので、それをご紹介いたします。



「讃岐食酒工房 ふるさと」〔住所 〒760-0045 香川県高松市古馬場町6-2(ライオン通り)、TEL 087-821-1001、URL http://wwwi.netwave.or.jp/~furusato/〕は、開店38年になる老舗なのですが、今は、跡取りの息子さんが加わって、新しいこのメニューを加えたようですね。












まあ、瀬戸内の魚は、高松市内での通常価格ですので、はまち、さわら、などの魚の刺身は、一皿600円少しくらいです。が、ここの骨付き鶏は、1500円以上するのですが、讃岐コーチンの骨付き鶏をシンプルに塩味で焼いたもので、素材の新鮮さで勝負していましたので、素晴らしく美味しかったです。



果たして、店内は、満席で、若い皆さんが何組もいらしていました。



こういう場面に直面すると、私など年寄りが一人で入るのは気が引ける人も多いみたいですけど、私は、人間観察がとても好きなので一人でカウンターに座って大将とお話しながら、団体さんの動きを見ながら飲んだり食べたりすることが食欲を増進させるのでいいですね。



大将とお話していると、女遊び大好きな、音楽評論家の、私の、元、父親をよくご存知でした。まあ、高松はものすごい田舎なので、クラシック音楽評論家などやったり、田舎の放送局に出たり、田舎の新聞に書評を書いていると目立ちますし、私の顔が親父にそっくりなので、慣れているのですが、その都度、「私は作曲家です。父のような口先だけの音楽評論家のような詐欺師じゃありません。」と、お話して、『丸天旅館』を経営していた、板前の祖父の孫だ、と自己紹介することにしています。



新たなものを創造する板前さんのほうが、音楽評論家よりも数億倍立派な職業であることは、決まっていますからね(笑)。



私も新たなものを創造する作曲家ですから、大体の板前さんとは、すぐに仲良くなりますよ。



こうして、美味しくいただいた後、しめは、南古馬場町の、讃岐うどん店「五右衛門」で、暖かいおろしかけうどんをいただきました。



久しぶりの「五右衛門」でしたが、やっぱりここのうどんのこしは最高でしたね。









高松で、この程度のディナーは、全部で2000円くらいなのです。東京だと、5000円は下らないと思いますが、その差額の大半が、不動産の賃料なのですから、東京は馬鹿げて高いですね。



私は、このディナーの後、東京の友人の泊まっている、高松ワシントンホテルで落ち合って、飲みに出ました。



掲載写真は、順に、「たも屋・南新町女道場店」の、『黒米の古代米の餅の天麩羅入りかけうどん』と『コロツケ』、「讃岐食酒工房 ふるさと」で焼酎と一緒にいただいた、『讃岐コーチン』の骨付き鶏、「五右衛門」の、『暖かいおろしかけうどん』、です。







  


Posted by 岡田克彦 at 06:25Comments(0)骨付き鶏

2012年02月24日

新幹線はいかんなあ!


新幹線が通るとろくなことがありませんね。



昨日の、渋谷での74歳の精神異常者による、通り魔事件には、呆れ返りました。



新幹線が通ると麻薬密売人や暴力団も流通(笑)しますし、電気を浪費しますし、東京電力の拝金主義の経営手法も各地方都市の電力会社に広がるので、ろくなことはないのですが、幸いにも、私が死ぬまで、絶対に新幹線は四国に来ないので、ほっとしています。



74歳の精神異常者の外泊を許した福岡の病院の責任が追及されていますけど、九州新幹線が通っていなかったら、このようなことは絶対に起こらなかったのですから、平和な地方都市は、是非是非、新幹線が通らないように、通っているところは廃止させるような運動をすべきですね。



不便だ、なんて何を言っているのですか。人間の命のほうが、便利さよりもはるかに大切なことなのです。



弥生時代にも人間は生きていたのです。陸路は歩けばいいのですよ。海は、船で渡っても泳いでもよいのです。怠惰で自堕落な生活は、人間の感性を摩滅させるのでいけませんね。



大体、私が生業にしている、作曲は、新幹線なんかなくても、出来る人は出来たのです。J.S.バッハは新幹線に乗ったことがないのですけど、新幹線に乗っている日本の作曲家で、J.S.バッハ以上の才能のある人は皆無ですね。



新幹線が通っていないと仕事がなくなる作曲家や演奏家は、いてもいなくてもよい程度の才能しかないのですよ。アーティストは全員、もうちょっと、謙虚になって、お金儲けから足を洗わないといけませんね。



宮崎県に新幹線が通らなかったことは、ですから、とてもとても、素晴らしいことなのです。



さすがに、東国原英夫前宮崎県知事は先見の明がありましたね。私は高校時代に宮崎県に旅行に行ったときの記憶が鮮明に残っていますが、素晴らしいところでした。



また、行ってみたいですね。



今後、私の行きたい国内旅行先は、新幹線の通っていないところに決めました。そういう場所ならば、作曲のモティーフになる霊感があると私は思っています。



東京に一極集中している中央集権体制から、地方分権にしないといけなくなりましたが、日本の霞ヶ関の官僚は気づくのが遅いですね。



霞ヶ関の官僚は、全員、J.S.バッハのマタイ受難曲を毎日聴きましょう。聴覚は少し改善されるかもしれませんからね。



まあ、これまでの、国政での先送りのつけが来ているのでしょう。当分の間、新幹線の通っている都市は、麻薬と通り魔から逃れることは出来ないでしょうね。



私の生まれ育った香川県出身の弘法大師は、高級官僚だったのです。今の霞ヶ関に、弘法大師以上の命がけの政策推進の気概はないようですから、どうしようもないですね。



第一、平安時代当時、遣唐使で先進国の中国へ勉強に行くのは、命がけだったのです。東日本大震災の被災地についても、自衛隊のヘリコプターから、高見の見物をしているようでは、お話にならないのです。



総理大臣や高級官僚や東電のトップは、被災地まで、放射線の防護服なんか着ないで、歩いてゆきなさい。







  


Posted by 岡田克彦 at 06:30Comments(0)地方都市

2012年02月16日

北海道教育大学の若者達との出会い






若いっていいなあ。



私は、一昨日、改めてそのことを痛感しました。



一昨日の昼、高松市丸亀町商店街の「明石家」で、肉うどんなどをいただいていた時のことでした。



若い女性二人と若い男性一人の三人連れが入ってきました。



こればかりは、うどん県(笑)で生まれ育った私は直感的にわかるのですが、セルフサービス讃岐うどん店に入るのは、初めての人たちだと思いました。



いろいろ迷っているようだったので、「明石家」は、鳴門ワカメとお新香が無料で取り放題だったので、これは、ネギ、天かす、と共にタダだから、ということをご案内して差し上げたのが、最初の会話でした。



三人は、「本当ですか。こんなに安いのに、これ以上載せたら、大変だ。」などと、大騒ぎしていましたが、肉温泉卵ぶっかけうどんに、ぼくがお勧めした、『半熟ゆで卵の天麩羅』は、全国的に有名になっているトッピングだったので、既に、とっていましたが、いろいろ載せて、奥の席で、食べだしていました。



「明石家」は、飲料水をとる場所が入り口にあるのですが、奥に、暖かいほうじ茶があって、初めて行った人はわからないことが多いので、温かいお茶がよければ、ここにほうじ茶があること、入り口のところで売っているポッカの缶コーヒーやジュースが全て50円なので、それもご案内しましたら、びっくりされていました。



「だから、高松では、ローソンやファミマでは誰も缶コーヒーなんかは買わないんだよ。120円もするなんて、高すぎるからね。」と私が言ったことで、三人の金銭感覚は、完全に、讃岐うどんバージョンになったようでした(笑)。



まず、男性の若者から私に質問がありました。



「俺達、どこから来たと思います。」



「東京じゃないのかな。」



「ブーーーッ、違います。北海道です。」



「マジ。旅費がだいぶかかったでしょう。その分を取り戻すには、高松で安くて美味しいうどんをたくさん食べないといけないね。」



などなどお話しているうちに、私は食べ終わりました。すると、女性の一人が、三人がけの奥の席の一つを空けて、「どうぞこちらにいらして下さい。」とおっしゃるので、私は別に用事もすんでいたので、そこに座りました。



「ご存知だと思いますけど、香川県は、うどんだけじゃないんですよ。『一鶴』というお店の『骨付き鶏』、『大西食品』の『醤油豆』、『松風庵かねすえ』の『から芋きんとき』という、サツマイモだけを使った、きんつば、いろいろと、美味しいものがありますから、いらっしゃるうちに、召し上がってくださいね。」



「『一鶴』の骨付き鶏は、夕食にいただくつもりです。」



「素晴らしいですね。いろいろ調べていらっしゃったんですね。『一鶴』の高松支店は、この丸亀町商店街の路地を入ったところにありますから。うどんを食べるためだけに高松にいらっしゃったのじゃないんですね。」



すると、びっくりする回答が返ってきたのです。



「俺達は、函館にある、北海道教育大学の三回生で、都市開発を専攻しています。今、研究課題の、町の中心にある商店街の空洞化を避けるために、どうすればいいかという課題を研究しているのですが、香川県高松市丸亀町商店街が、日本全国の地方都市で成功している唯一の場所なので、視察に来たのです。」



とのことでしたので、私は即答しました。「ああ、そうですか。でしたら、隣の新生銀行の上に、『丸亀町商店街振興組合』の事務所があるから、そこに行けばいいですよ。」



「今、行って来たところです。」



「で、誰に会ったの。」



「Kさんという方です。」



「ちゃんと教えてくれた。」



「はい。ご親切に、資料もたくさんいただきました。」



「理事長の古川君、あっ、彼は、ぼくの小学校からの同窓生なんだけど、彼には会ったの。」



「いえ、理事長様のことは存じませんでしたけど・・・・・。」



「そっか。古川君は、今、全国の商店街から丸亀町商店街がTVで取り上げられたりして、忙しいからアポイントを入れないと会えないと思うから仕方ないけど、じゃあ、前の理事長の鹿庭(かにわ)さん、か、鹿庭さんの息子さんにはあった方がいいね。丸亀町商店街が成功したのは、将来の見通しを早く見つけることに成功したからなんだよ。バブルに入って、日本中が大喜びしていた当時に、この表通りから少し入ったところにある八百屋さんが、客が減ったから、という理由で閉店したことに、当時理事長をしていた鹿庭さんと、ここ明石家の、明石さんが商店街の将来をなんとかしなくちゃいけない、と直感して、手を打ち始めたんだよね。大型店舗の、高松夢タウン、イオン、が開店するはるか前だったから、よかったんだよ。」



「えーーーっ、そんなに昔から取り組んでいたのですか。」



「じゃあ、詳しい話は聞いていないんだね。まあ、全国から視察団がやってくるから、細かなことは案内していないんだろうけど、この丸亀町商店街は、江戸時代からある商店街なんだから、最初は、再開発に取り組んで、町全体が動き出すまでが大変だったとぼくは思うんだよ。そのとき一番問題になったことは、少子高齢化の時代が迫っていること、高齢者が増えたら、運転も出来なくなるから、近場で全てそろうようにしたい、というニーズが出てくることに対応した時、当時の丸亀町商店街は、三越高松店のすぐそばで一番ブランドが高かったため、ほとんど全ての店が、衣料品のブランドを扱うところだったんだ。この、明石家だって、当時は、『ライオン屋靴店』という高級靴店だったんだよ。斜め向かいの鯛焼き屋さんだって、以前は、宝石店だったんだ。でも、衣食住のバランスの整った商店街を作ることに成功したから、アーケードの両側が高層マンションになっているんだけど、今、このマンションに住みたい人が山のようにいて、人口が増えているんだ。マンションの並びには、病院も出来たから、郊外の高齢者は、みんなここに住みたいと思っているんだよ。だって、エレベーターを降りたら何でもそろう、という住環境は素晴らしいからね。」



「たしかにそうですよね。でも、そんな商売換えしてまで、って信じられないですけど。」



「いやいや、それくらいの覚悟をして取り組まないといけないでしょう。町全体でイオンや夢タウンよりも魅力のある場所にしないと、人は集まらないでしょう。明石さんがいらっしゃれば、説明してくれると思うけど、さっき、店長さんにお聞きしたけど、今日はいないから、でも、この商店街は、ぼくの自宅からも近く、学校区も一緒だったから、友人、知人が何人かいるから、ご案内、ご紹介しますよ。」



「いいんですか。」



「いいよ。だって、北海道からいらっしゃったんでしょう。ちゃんと情報は持って帰らないと、無駄になるでしょうから。ああ、ぼくは、作曲家だから、OKだよ。」



・・・・・などなどお話して、私は、まず、彼らの作ったアンケートに答えたり、古川君のお店の『野田屋電気店』をご案内してから、散歩がてら、ご案内しました。



まずは、丸亀町商店街一の老舗の江戸時代から続く、和服小物店の『万珠堂』にご案内しました。ここは、私の祖母と母の行きつけ店でしたから、奥様がいらっしゃれば、OKだろうと思ってご案内しました。



大奥様がいらっしゃって、快く、彼らに説明をして下さいました。彼らが驚いていたのは、年明けうどんの大パレードのことでしたね。高松では「うどんの日」とならんで、年中行事になっているのですが、北海道の若者は、ただただ、驚いていました。



「えーーーっ。年越しそばを食べないだけでなく、年明けうどんまで食べるのですか。」



「紅白のうどんは、美味しいわよ。」



「紅白、って、赤いうどんがあるのですか。」



「ええ。梅干を練りこんで手打ちするうどんと、小麦だけのうどんよ。紅白でめでたくて、香りがいいのよ。」



続いて、同窓生の、岩佐君が社長をしている『岩佐仏喜堂』に行ったら、岩佐君はいなかったのですが、店員さんがすぐに連絡してくださり、電話で彼らに概略の説明をしてくださった上、私の亡き母とPTAでご一緒していたお母様と弟さんが出ていらして、北海道からいらした彼らに、お香のおみやげまで下さりました。



高松の地域コミュニティーは健在なので、彼らは、驚いていましたが、私は、ずいぶん、ほっとしました。



まあ、大地震や大津波が来たら、どうなるかわからないですけど、地域コミュニティーに基づく絆がしっかり残っている状況にあるので、やっぱり、高松は素晴らしい町だと、再確認出来ましたから。



最後に、彼ら三人の要望で、岩佐君の弟さんと、私を含めた五人で写真を撮って下さり、お別れしました。



「でも寒いですね。四国は暖かいと思っていましたのに。」



「本当に変な天候ですね。大地震が来る予兆かな。」



「今日は本当にお忙しいところ、有難うございました。」



「いやいや、忙しかったら、出来ませんよ。」(笑)



「このあとご予定は大丈夫ですか。」



「はい。大丈夫ですよ。今から、兵庫町商店街の『こんぴらや』の『冷たいかけうどん』を食べに行くだけですから。」



「えーーーっ。またうどんを召し上がるんですか。」



「3時のおやつですよ。『こんぴらや』のうどんは、『明石家』より細い手切り麺で、ちょっとこしが強いので、冷たいほうが美味しいとぼくは感じているんですよ。」



「おやつもうどんですか。」



「昔からそうなんだけど、高松人どうしは、喫茶店で待ち合わせしないです。うどん屋ですよ。だって、ケーキセットより冷たいかけうどんの方が安くて美味しいからね。甘いものが食べたいなら、『うどんかりんとう』もあるから、大丈夫だよ。」



「すごい。」



「香川県の名前は、うどん県になっちゃったみたいだし、名前が変わる以前の1200年前から、ずっとうどん食べてましたからね。でも、一番美味しいうどんは、朝のうどんですよ。出来立てが一番美味しいからね。」



「朝、って。」



「日の出です。電気がなかった頃から、ずっと、うどん食べてますから、製麺所は、日の出が開店時間なんですよ。明日の朝でも、すぐ近所の香川県庁の裏に、『さか枝』という讃岐うどん店がありますけど、朝5時半には開いていますよ、っていうか、朝5時半には、住民がお店の入り口で並んで待っていますから、行かれたらすぐにわかりますよ。」



「まじですか。」



「まじです。」(爆)



彼らは、全員、21歳でした。ということは、私の半分も生きていないのです。が、しっかりした若者達でした。そうでなかったら、初対面の私がここまで協力はしていないと思います。



思い起こすにつけ、彼らが、私のハートをわしづかみにしたのは、「明石家」での、次の一節でしたね。



「俺達、どこから来たと思います。」



「東京じゃないのかな。」



「ブーーーッ、違います。北海道です。」



このようなお茶目な応対が出来るのは、学生だからなのですが、あのタイミングで私にぶつけてきた若者のセンスは、素晴らしいですね。彼は、いきなり、飛び込み営業をしても、大丈夫ですね。



こういう、素晴らしい若者がいっぱい育ってくれれば、日本の将来も安心ですね。



以上、アンチオタクにやっている私は、久々に、楽しい高松のご案内が出来たことを、とても嬉しく感じています。



北海道函館の三人の皆様、どうも有難うございました。










掲載写真は、順に、彼らと出会った一昨日の昼、私が高松市丸亀町商店街の「明石家」でいただいた、『肉うどん・半熟ゆで卵載せ』、『チラシ寿司』と、『白身魚のフライ』、そして、彼らと別れた後、3時のおやつにいただいた、「こんぴらや・兵庫町支店」の、『冷たいかけうどん』、『練り物のタコ入りさつま揚げ』、です。




  


Posted by 岡田克彦 at 16:39Comments(1)讃岐うどん

2012年02月09日

ほっとする、讃岐うどん








ソフトバンクの代理店をやっている丸亀市の友人のすすめで、プロバイダを変更しました。



手続き自体は簡単に終わったのですが、メールアドレスが変わることの友人へのご連絡以上に、ホームページを置いているサイトなどの登録メールアドレス変更をすることが、結構面倒でした。



12年前にホームページの原初形態を作ってくれた愛知県在住の作曲家の友人が、私の作品のファンだったことから、いろいろ調べてくれ、私が気に入った、リアルプレイアーの音で聞けるようにホームページに自作作品を置く場合、ヤフージオシティーズに置くのが一番いい、とのことで、彼が全て準備してくれたものでした。



何しろ、ワープロ世代の私は、東芝のルポを住友信託在勤当時から愛用していましたので、かな入力がかなり速かったので、カーソルが斜めに動くことが許せなかったので、パソコンは大嫌いで、2000年に購入したばかりだったのです。それも、当時部長をしていた、通信教育、従業員研修の「日本マンパワー・四国総代理店」の部下の若者が、「岡田さん、パソコンを買わないと、21世紀に生き残れませんよ。」と私を脅したためでした(笑)。



ところで、当時の接続環境は、私の住む高松市西宝町には、まだ、光が来ていませんでしたので、ISDNでつないでいたのでしたが、斜め向かいに、四国電力のグループ会社の四電工があったお陰で、半年後には、光が通りました。



その際、ADSLというものが、光とは逆方向を向いている商品だったのに、NTTがすすめたので、「おたくの会社は、ADSLにして、しばらくして、光が通ったら、光にすることによって、二重に荒稼ぎをしているとんでもない劣悪企業ですね。」と、文句を言いに言ったりしました。



すると、お詫びと説明に来た人の名刺が、NTT四国ではなく、NTT西日本で、大阪の人でしたので、もうまったく、NTTはどうしようもない企業だと感じたので、私の自宅は、電電公社ではなく、第二電電と契約していた四国電力につないでもらおうと思って、四国電力グループのSTネットに依頼したのですが、NTTが政治家を使って、県営住宅、市営住宅、霞ヶ関の官舎などは、全て、四国電力が入れないようにしてNTTの独占状態にしていたため、四国電力はかわいそうだと、当時は感じたものでした。



今にして思うと、東京で、住友信託の人間として、三菱グループと熾烈な営業競争をしていたのですから、四国電力もNTT四国も、なんてのんびりした阿呆だろう、なんて感じていました。まあ、香川県は四国にあって、四国は海外なので、それでいいのですけどね(笑)。



しかし、インターネットをやっていてよかったですね。



当初は、急に私のホームページの来客者が増えたことを妬んだ、東京あたりに生息するオタクなクラシック音楽愛好家や音楽評論家風情が集まって、私のホームページ「K.OKADAワールド」を陰湿に執拗に攻撃するという、ゆとり教育の弊害を受けた、日常生活では、いじめしか出来ない物体が集合している、2ちゃんねる・ネットウォッチ板の、作曲も室内楽やピアノの演奏も全く出来ない、犯罪者予備軍の皆様のような素人さんの罵詈雑言に呆れたりしましたが、お陰様で、私の懇意にしていた友人の仲間たちの中でも、友達面をしている人たちとは絶交出来ましたので、無駄な時間をすごす必要もなくなり、効率的な人生を送ることが出来るようになりました。



SNSのようなもの、フェイスブックなど、2ちゃんねらーはお呼びでないサイトが発展していますので、よいことです。



先日も、讃岐うどんに関する記述をしているところから懇意になった、高松市栗林町にあった讃岐うどん店「たみ家」が閉店したので、あの感じのいい若いマスターはどうしているかな、って思っていたら、フェイスブックで私を見つけたとのことでコンタクトがありました。



彼は、香川県認可のNPO法人に転職していたのですが、そのNPO法人が、震災を受けた東北地方の救済活動を、東京や霞ヶ関を経由せずに直接展開している素晴らしい団体だったので、早速、その理事長に面会し、私もアシストに加わることにしました。



間に、東京、永田町、霞ヶ関が入ると、全ての救済活動は遅くなり、間でマージンを取ってやろうという浅ましい首都圏の皆様が邪魔になるので、全て、直接展開しているそうです。具体的には、故郷がなくなることがとても悲しいことだということなので、香川県に、東北地方の都市と全く同じ環境の広大な敷地を準備して受け入れることにしているそうです。



さすがは、「たみ家」のマスターですね。とても流行っていた讃岐うどん店を捨てて、そういう活動に加わるということは、人間として素晴らしいことです。逆に、讃岐うどん店からの利益だけ考えているような拝金主義者には出来ないことですが、そういう拝金主義者の手打ちしたうどんが美味しいはずはないのです。とても嬉しく感じましたが、2月12日には、このNPOのイベントがありますので、理事長と一緒に、私も参加することにしました。



やはり、自分の五感でもって、face to face で、出会った人のことを判断する、という私のやり方は、ごくごく普通なのですが、インターネット、ハンドルネーム、などの、匿名性を助長する仕組みが、インターネット上の交流の全ての弊害になっているようですね。



そして、そのような匿名性をキープしていないとまともな出会いが出来ない現状の背景には、お金が欲しい、という、極めて下劣な人間の煩悩があるようですね。



・・・・・そんなこんなで、しばらく、バタバタしていましたが、その間もふくめて、美味しい讃岐うどんをいただいて、ほっとすることが出来ましたので、ご案内します。

































掲載写真は、順に、「さか枝」の『かけうどん』(160円)、『アナゴの天麩羅』(90円)載せの朝食〔しめて250円〕、「さぬき麺市場」の、『かけうどん』(180円)、『300gのびっくり鶏天』(100円)〔しめて280円・大根おろし、レモン、すだち、などは、取り放題の無料トッピング〕の夕食、「ばん家」の、『鶏肉の卵とじうどん』(420円)、『高野豆腐の天麩羅』(80円)、『焼き豆腐とこんにゃくのおでん』(200円)〔しめて700円〕の昼食、です。









  


Posted by 岡田克彦 at 14:36Comments(0)讃岐うどん

2012年02月05日

ご飯も素晴らしい「さぬき麺市場」








昨日のブランチは、ご飯を食べたかったので、近所の讃岐うどん店「さぬき麺市場」へ、びっくり鶏天の天丼を食べに行きました。



この店は、かけうどんが180円、トッピングの天麩羅が全て100円、ですので、300gのびっくり鶏天も、バカでかいアナゴ天、ゲソ天、びっくりかき揚げ、等も、全て、100円なのですが、どんぶり一杯の、香川県の米どころの、まんのう町の無農薬コシヒカリのご飯が、150円なので、その日の気分で、ご飯を食べたい時には、100円のおにぎりをとることも出来るのですが、ガッチリとご飯を食べたい時には、天丼も、全て、250円なのです。あきれるほどの安さなのですが、農家と直結していれば可能なのです。



この種の、契約農家のお米だけ出しているお店は、香川県内はいっぱいあって、以前にご紹介した、坂出市の浜街道沿いにある、ハンバーグハウス「ウェリントン」の全ての定食には、「松永さんのお米のご飯」がついていて、15年ほど前から、食べた私は、香川県内で一番美味しいハンバーグ専門店だと感じて以来、東京の友人が遊びに来てうどんや瀬戸内海の魚に飽きたときには、ご案内しています。ねらいは、新宿ルミネの「つばめグリル」と、どっちが美味しいかを比較してもらうのですが、全員、「ウェリントン」の方が美味しいとおっしゃいました。



その都度、当時の私は、「香川県は、讃岐うどんだけじゃないんだよ。」と言っていましたし、このグルメブログも、最初は、讃岐うどん店を避けて書いていたのです。が、東京のいろんな常連の方から、讃岐うどん店の美味しい店を案内してほしい、とのリクエストがありましたし、私自身、Uターン直後は、高松にうどん店しかない、と、誤解されていることに反発していましたので、いろいろと、讃岐うどん店以外のお店をご案内していました。



が、2006年の、介護していた母の逝去後、母がうどん大好きだったので、連れて行った思い出もあって食べに行くようになって以来、讃岐うどん店の紹介が増えました。また、実際、消化のいい讃岐うどんを食べることは、体にもいいな、と感じているところです。



従って、今、香川県のPRしている、「『うどん県』それだけじゃない香川県」は、正しいコピーだと痛感しています。東京は、文化的には、例えば、クラシック音楽の普及などは、間違いなく日本一です。が、これは、東京都が首都なので、全県の人達が集まっていることや、日本の主要音楽大学や教育者が、東京に一極集中しているために過ぎないのです。



東京に昔から、香川県の「讃岐うどん」に匹敵するようなスローフードはあるのでしょうか。また、霞ヶ関の高級官僚に、弘法大師以上の立派な高級官僚はいるのでしょうか。徳川家康が江戸に幕府を開いた後から今日までの年数と、徳川家康が江戸に幕府を開く前の日本国の歴史の年数のどちらが長いのでしょうか。



先般、新宿や池袋で、地震が来たときの避難訓練をしているのをニュースで拝見しましたけど、地域コミュニティーのない、全国から寄せ集めの皆さんが住んでいる東京で大地震が起こったら、大変なことになると私は感じました。首都直下型の地震が来る予定なのですから、この規模の避難訓練を、地域コミュニティーが確立されるまでやるのなら、最低でも、数百回はやらないといけないと思いますね。



ネット上で、東京の人達が、匿名になると、第三者の評価について、2ちゃんねるのようなところで、好き放題なことを言っていることは、皆様ご高承のとおりです。



実際、私が東京在住の頃、APA(エイパ・日本アマチュア演奏家協会)の理事をして、フランス近代室内楽の会(ラヴィーヌ楽派)を作って、毎月、フォーレやプーランクの室内楽演奏会を企画していた頃には、私にゴマをすってきて、プーランク作曲の「木管ピアノ六重奏曲」を、自分の楽器のフルートで参加して演奏したい、という理由で、この作品のスコアを私に送りつけて、ピアノパートの演奏を頼んで来た、現在、東芝に勤務している、梶辰夫、という、杉並区荻窪に実家のある人間がいますが、この人間が、私のホームページの来客者数が多いことをねたんで、ひどいメールを、ハンドルネームで送ってきました。



私に何回も会って合奏していた頃には、絶対に私に面と向かって口に出来なかったようなことを、書いてきましたので、私は、無視しましたが、彼という人間の情けなさを感じて、あきれ果てたものです。



彼は、荻窪生まれの荻窪育ちですので、このようなことをする人間に、地域コミュニティーを作る力が皆無であることは明白ですので、何百回避難訓練を開催しても、荻窪界隈の皆様は、彼がリーダーである限り、正しく地震から避難できるかどうか、怪しいものだと私は確信しています。



さてさて、下劣な凡人素人演奏家のことは無視して、お話を、歴史の長い香川県のことに戻しましょう。



香川県坂出市「ウェリントン」のハンバーグ定食が美味しいのは、いっしょにいただく、ご飯が、「松永さん」という契約農家の作った、無農薬でつきたてのお米だからなのです。



同様、「さぬき麺市場」のご飯も、無農薬、つきたて、なので、素晴らしく美味しいのです。また、前回ご紹介した、高松市南新町の「大日本社員食堂」の玄米ご飯も、同じ理由で美味しいのです。



飲食物では、すでに、地産地消が常識になっているのですから、電気も、是非是非、「地産地消」にすればいいのです。電気だって新鮮な方が絶対にいいのです。送電技術が劣っていても、近場で発電していれば、OKなのです。



従って、「東京電力」は、是非是非、原子力発電所も含めて、新鮮な電気を作ってユーザーの皆様に送りましょう。電気代の値上げはそのあたりも完璧に織り込んだ中長期経営計画の中で実施されなくてはなりません。



そんなことを思いながら、「さぬき麺市場」の素晴らしい、びっくり鶏天の天丼をいただきました。



掲載写真は、昨日のブランチにいただいた、「さぬき麺市場」の、『びっくり鶏天丼』(250円)、『かけうどん』と、無料の大根おろし、レモン、すだち〔しめて250円〕です。「さぬき麺市場」は、毎回来店の都度、サービス券を下さるのですが、これが、5枚たまると、『かけうどん』を無料でいただけるのですが、昨日は、サービス券が5枚たまっていたのを出したため、『かけうどん』もつけて下さったのです。



ですから、『かけうどん』は、味噌汁がわりにいただき、お腹いっぱいになりました。美味しいご飯と美味しいうどんに、大々々満足でした。




  


Posted by 岡田克彦 at 15:58Comments(0)讃岐うどん

2012年02月04日

「農民一揆」と「大日本社員食堂」







昨日の昼前、以前、ブログでご紹介した、高松市南新町商店街のアーケード下に誕生した、農家が集まって産直のスタイルで、朝採れの無農薬野菜を、激安で売っている「農民一揆」へ美味しい葉物野菜を見に行ったところ、またまた、すばらしいフルーツトマトと白菜があったので買いました。



「農民一揆」の奥には以前から気になっている食堂があって、絶対に野菜が美味しいと確信していたのですが、その店名が、「大日本社員食堂」だったので、もしかしたら、右翼団体の集まる、あるいは、右翼団体の経営するぶったくり食堂かもしれないな、と思っていたので、わざわざ入らなかったのです。



それにしても、「農民一揆」と「大日本社員食堂」というものが、町の中心の商店街アーケード下に同居しているのですから、県外の皆様は、高松って怖い町だな、って感じているかもしれませんね。



まあ、南新町から近い瓦町の駅のある天満屋デパートの並びには、今、アイゼンパチンコ店がありますが、あの広い敷地で、私が幼少の頃、板前の祖父が、「丸天旅館」を経営していて、力道山が泊まった時、裏のコトデン踏切近くで暴力団に絡まれて警察沙汰になったこともありましたので、昔は、近場の瓦町は柄の悪いところだったので、つとめて関らなくてもいいな、くらいに思っていました。



しかし、昨日の昼前、私は野菜が食べたくなったので、「農民一揆」の野菜はすばらしく安く美味しいので、何回か利用しているうちに懇意になった「農民一揆」のおばちゃんに「大日本社員食堂」のことをお聞きしました。



すると、普通の一膳飯屋さんだけど、野菜が産地直送なのですばらしく美味しいとのことだったので、安心して初めて入店しました。



まあ、昨今では、尖閣諸島やら竹島問題が起こっても、日本政府が弱腰外交しかやっていませんので、「大日本社員食堂」という命名にはとても清々しさを感じてしまいますね(笑)。



そして、うどんの故郷の香川県にしては、大変に高価な、600円もするランチ(笑)をいただいたのですけど、それがもう、新鮮な野菜の自然な甘みいっぱいの素晴らしいものでしたので、ご紹介します。



昨日の「大日本社員食堂」のランチは、『里芋のコロッケ定食』でした。メインの料理は、席について待っていると、ご飯、味噌汁と一緒に出てくるのですが、まず入店するとお盆に二品お惣菜の載るお皿が出てきて、山のような、新鮮な野菜を使った料理から好きなものを二品取れるようになっていましたので、私は、『ブロッコリーとスクランブルエッグのケチャップ和え』と『白菜、昆布と水菜の炒め物』を取りました。



その並びに、サービスのお漬物があったのですが、昨日のお漬物は、『赤かぶと春キャベツのシソ風味漬け』でしたのでそれもいただいたら、若い女性店員が、「ご飯は、白米と玄米が選べます。」とのことだったので、玄米をお願いして、席について待っていると、メインの里芋のコロッケが、玄米ご飯、味噌汁とともに出てきました。














里芋のコロッケは、100%、里芋でしたので、感動しました。今は里芋が旬ですから、ジャガイモのコロッケはいろいろとつなぎを入れないといけないけど、里芋ならば里芋をマッシュ状にするだけでよいので、100%、里芋の新鮮さで勝負出来る素晴らしいものでした。



しかし、つけ合わせの、刻んだキャベツ、最初にとった、『ブロッコリーとスクランブルエッグのケチャップ和え』、『白菜、昆布と水菜の炒め物』、全てに共通しているのは、新鮮な野菜からしか感じない自然な甘みでした。



ふかふかの玄米ご飯と共に素晴らしかったので、思わず私はうめいてしまいました。食べ終わって店内を見渡すと、高松市在住の男女一人客が、結構たくさん、いらしていました。



また、店内カウンターには、大きなコーヒーメーカーでドリップコーヒーを置いていて、何杯でも好きなだけ食後のコーヒーを無料で振舞っていました。



まあ、高松市内では、多くの讃岐うどん店が、コーヒーをサービスしたりしていますので、今の私は驚きませんけど、18年前に母の介護のために東京からUターンした直後ならば、きっと驚いただろうな、と感じました。



そして、やっぱり、四国は海外なんだ、と確認出来たので、嬉しくなってしまいました(笑)。









嬉しくなると、讃岐人の私は、うどんをたくさんいただきたくなるので、デザートとして、丸亀町商店街の「明石家」の『冷たいゆずおろしぶっかけうどん』(280円)、兵庫町商店街の「こんぴらや・兵庫町支店」の『釜玉うどん』(280円)と、いつもより控え目の量の、冷たいうどんと温かいうどんのシンプルなものを梯子でいただいて、帰宅しました。



「大日本社員食堂」の住所などは、下記のとおりです。



住所 香川県高松市南新町8-3 電話 087-862-4660 営業時間 11時~23時 定休日 日曜



高松市在住の皆様は、是非、「農民一揆」の朝採れ野菜を買って、「大日本社員食堂」の、素晴らしく新鮮な野菜のランチやディナーを召し上がりましょう。



こういう時、うどん県における讃岐うどんは、食後のデザートになるので、主役の座を譲っても、メニューから消えることはないのです(笑)。



掲載写真は、順に、昨日の「農民一揆」の新鮮な野菜達、「大日本社員食堂」のランチの『里芋のコロッケ定食』(600円)、「こんぴらや・兵庫町支店」の『釜玉うどん』(280円)、です。





  


Posted by 岡田克彦 at 04:45Comments(0)香川県の豊かさ

2012年02月03日

「さぬき麺市場」「こだわり麺や」「サブウェイ」、最高!









やはり、高松市郷東町「さぬき麺市場」、高松市番町「こだわり麺や・高松支店」のうどん、高松市天神前「サブウェイ・香川県庁前店」の野菜、は、素晴らしいですね。



昨日の朝、高松に雪が降っていたので、朝食が遅くなった私は、ブランチとして、たくさんいただきました。



まずは、自宅近所の、高松市郷東町「さぬき麺市場」の、『かけうどん』の『レンコン天』、『ゴボウ天』載せ、『300gの、びっくり鶏天』に無料の、大根おろし、レモン、すだち、ゆずづくし、をたっぷりとかけていただき、出店すると、「岡田さんじゃないですか。」と、坂出の若い音楽の友人と、久しぶりに会いました。



いやいやいや、彼は、母の三回忌にうちへいらして下さった、優しい若者なのです。本当に久しぶりでしたけど、高松では、うどん店で知人友人に会うことが多いのです(笑)。



彼は、私のブログを見て、「さぬき麺市場」に来店するようになったそうで、鶏天が素晴らしく美味しくて安いこと、うどんのこしが最高だということに、感動していました。



ですから、私は、このうどんが、1970年の大阪万博頃の、最盛期の「かな泉」のうどんだということ、このうどんを食べさせる店は、今、高松市内でも、「さぬき麺市場」、「もり家」、「八々うどん」、の、3店だけなので、団塊の世代の人たちの圧倒的な支持をもらっているので流行っていることなどをお話しました。



加ト吉の冷凍うどんは、バブル崩壊直後に、バブルの時不動産投資をしすぎて倒産しそうになった「かな泉」が、加ト吉に乗っ取られて、技術者が全部引き抜かれたので、加ト吉の冷凍うどんは美味しくなったけど、「かな泉」はガタガタになった、敵対的M&Aの最もよくないものだったこと、「かな泉」取締役技術部長だった森田さんがその時に「かな泉」を離れて、「もり家」を開店させたので美味しいこと、「八々うどん」の社長は若者だけど、味覚がしっかりしているので、「かな泉」に残っていた優れた技術者の教えを受けて開店したので美味しいこと。「さぬき麺市場」の神原社長は「もり家」の大ファンだったので、それを目指して研究した成果〔このあたりの微妙な加減は小麦のブレンド方法によってこしが変わるようですね。〕で開店させたことなど、お話しました。



彼は、大阪版縛の頃生まれていなかったので、びっくりしていたので、私は言いました。



「ぼくなんて若造だよ。1200年前から讃岐うどんは、香川県民の日常食なんだから、例えば、500年前には、もっとこしのいいうどんがあったかもしれないことを考えると、1200年の歴史、っていうのは、すごいことなんだよね。平賀源内、義経や菊池寛も、うどん食べていただろうけど、どんなこしのうどん食べていたのか、今はわからないでしょ。」



「やっぱ、讃岐うどんはすごいですね。でも、ここのかけうどん180円で、ネギ、しょうが、天かす、大根おろし、レモン、すだち、ただでとり放題でしょ。トッピングの鶏天もかき揚げも、あのデカさで100円だから、岡田さん、近所にこんな店があっていいですね。俺がびっくりしたのは、すだちとレモンがただでとり放題だということ。つぶれないのかな。」



「もうね、社長の神原さんにぼくも言ったんですよね。あまり安くしすぎて倒産したらつまらないから、って。でも、神原さんは、まんのう町の農家と契約して安くできるようにしたんだってさ。彼は、香川県でも一番頭のいい人達が生まれた多度津町の出身だから、すごい経営手腕だよね。多度津町は、琴平宮の門前町なので、昔から、優れた人材を輩出している場所なんだよ。でも、近所の激安ファミレスの『ジョイフル』は、客が減って困っているみたいだよ(笑)。」



「アハハハ・・・。ジョイフルの400円ランチは高いですよね。でも、坂出から来ると、ガソリン代の方が大変ですよ。」



「ああ、それなら、ここ開店してまだ一年にならないけど、高松市伏石町に支店が先週開店したようだから、地図もらおうよ。」



と言って、ご案内しました。伏石町店は、11号バイパス沿いなので、坂出からいらしても、すぐなので、彼も喜んでいました。



やはり彼は西讃の人なので、丸亀市に本店のある、綿谷製麺の高松支店にはしょっちゅう行くそうです。まあ、綿谷製麺は、高松支店が南新町にあってうちからも近いので、肉うどんを食べたいときには私も行っています。肉うどんが350円で、ものすごいボリュームなのです。しかも、閉店(午後二時)の15分前から、すべての天麩羅とおにぎりやお寿司がタダになるので、香川大学の皆さんは、その時間帯に行っているようですね。よいことです。















このあと、しばらくおしゃべりして別れて、私は、暖かいおでんが食べたくなったので、「こだわり麺や・高松支店」に行って、『かけうどん』『豆腐と大根のおでん』をいただきました゜。



ここは、かけうどんは、190円も(笑)するのですが、朝食と昼食の間の午前8:30~10:30は、かけうどんが、150円になるので、やっぱりいっぱいでした。



そして、「こだわり麺や・高松支店」の並びにある、「SUBWAY・香川県庁前店」に行って、『ベジーデライト』(生野菜だけのサンドウィッチ)〔290円〕と、『アイスカフェラッテ』のデザートをいただきました。








「讃岐うどん店」に、うどん、天麩羅、おでん、は必ずありますし、温野菜やほうれん草のおひたしのような小鉢類はあるのですが、生野菜のサラダだけは、「SUBWAY」の方が美味しいので、私のデザートは、大体、「SUBWAY」になっています。こうすれば栄養満点なのです。



掲載写真は、順に、高松市郷東町「さぬき麺市場」の、『かけうどん』の『レンコン天』、『ゴボウ天』載せ、『300gの、びっくり鶏天』、高松市番町「こだわり麺や・高松支店」の、『かけうどん』『豆腐と大根のおでん』、高松市天神前「SUBWAY・香川県庁前店」の、『ベジーデライト』、です。

















  


Posted by 岡田克彦 at 08:59Comments(0)讃岐うどん