2015年06月26日
久しぶりの「くさか」での出演を終わって
6月20日の夜、高松市林町「カフェくさか」で、『shutup』でのデュオの出演をしました。
演目は、6月5日に丸亀の「ルフラン」でやったものに若干のアドリブを入れて、ショパン~「涙そうそう」~ミスティー~「花は咲く」、
で、Nさんとのコラボでいきましたので、いつもどおり無難に出来ましたが、「涙そうそう」の間奏で、ちょっと気合を入れて
美しいテーマをpppでやれたので、とても満足しました。これは、実に良い曲ですね。それにしても、さすがは、高松ですね。
ハワイアンギターやフラメンコギターなどの、丸亀よりもオタクなアーティストが増えていて良かったですね。
コラボ相方のNさんは、民謡歌手なので、次回は、高松の民謡なども入れてやりたいと思っています。
以前は富山県の民謡「こきりこ」を入れてやりましたが、やはり、高松の民謡「正調一合まいた」を入れたいと思っています。
あと、映画「UDON」のテーマに使われた、ビゼーの「カルメン」の「闘牛士の歌」も入れたいと思っています。
2014年06月20日
感受性について


中村さんと、今、いろいろ、コラボで合わせているのですが、素晴らしい感受性の持ち主なので、東京にいた頃、室内楽をいろいろ合わせていた当時のように、音だけで遊ぶことが出来、とても楽しい時間を共有出来ています。
すごいな、と思う局面はいろいろあって、私が、解決和音を響かせただけでブレスをしてくれる、つまり、次のフレーズの開始の準備をしてくれることですね。
これって、ものすごく重要なことで、共演相手が楽器で出す音を聴いている、つまり、音楽に沈潜している、ということですから、カラオケで歌っているだけの人では、絶対に出来ないことなのですよ。
どうしてかというと、解決和音を響かせてから、次のフレーズを歌う段階に入る時の間合いを察知しあっている、ということだからなのです。
私は人間で、ピアノで共演しているのですから、カラオケのような機械のように、何回やっても全く同じタイミングで次のフレーズの響きを出すわけではないのですが、中村さんは、この私のタイミングを察知することに、その都度、すべての感覚器官を使って集中しているので、素晴らしいアンサンブルが出来るのです。
クラシックの室内楽では、絶対音で示した楽譜がありますので、このタイミングがずれてもたいした被害にはならないのですが、ポップスなどとのコラボにおいては、コード進行、つまり、和声の指定、と、リズム感だけなのですから、コード進行とリズムだけしか感知できない相手とは、フガートのようなポリフォニックなアレンジでは、合わせることが不可能なので、お互いの感受性を確認し合うことが最重要になるのですね。
中村さんは、東京の下町出身なので、高松へのUターン以来、高松の地元のアーティストとしか合わせていなかっただけに、とてもとても、いい出会いだったと感じています。

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タグ :コラボ演奏活動
2014年05月21日
ショパンの「別れの曲」 OP.10-3


ショパンの「別れの曲」は、OP.10の、ショパンのエチュード(練習曲)・第一集・OP.10の3番です。
この作品は、ショパンが、祖国のポーランドが、プロシア、ロシア、オーストリアによって三分割され、消滅される状況にあった、1829年頃〔19歳の頃〕、ワルシャワを脱出してパリにてデビューした直後に作曲されたものです。
同じ、OP.10のエチュード集の12番〔革命〕と同時に作られた、表裏一体の作品です。
「別れの曲」や「革命」といった副題は、後に、この作品を愛好した人達によってつけられた名称なのですが、ポーランド分割による、祖国との永遠の別れの曲なのです。
ショパンのワルシャワ時代の一番親しい友人は、ティティウス、という男でしたが、ティティウスは、ポーランド分割に対抗する独立運動家だったのです。
ポーランド分割後、ショパンの親族は、助かったのでしたが、親友のティティウスは殺されてしまいました。このことをパリで知ったショパンが怒りに任せて書いたのが「革命のエチュード」で、パリへの亡命の時、見送ってくれた、ティティウス、及び、崩壊した祖国との別れの思い出をモティーフ にしたものが、「別れの曲」と言われています。
ですから、この作品に、歌詞をつけることは、実に大変なテーマを扱っている作品なのです。
このあたりのことを、コラボ相方の山本君にはあらかじめ話していましたので、彼が一番好きな作品だったこの「別れの曲」に歌詞をつけたのは、ホルストの「惑星」の『ジュピター』中間部、ラヴェルの「ボレロ」よりも後になりました。
2014年5月17日に、「カフェくさか」コンサートで、メドレーでやったのは、「別れの曲」、「涙そうそう」、という悲しい内容の曲、「らいおんハート」、という楽しい曲、パフォーマンス入りの「NHK今日の料理」と、ジャズスタンダードの「幸せの黄色いリボン」、という、気晴らしと笑いの作品でした。
従って、このメドレーの中で私が一番こだわったのは、「涙そうそう」の間奏をものすごいスローテンポでやることと、エンディングの「会いたくて、会いたくて、君への思い涙そうそう」のくだりを、ピアニシモにして終わることでした。
コラボが終わった後、高松の商店街を歩きながら、山本君といろいろお話した中で、山本君は、こう言ったのです。
「『涙そうそう』の最後のパッセージ歌いながら涙が出ちゃった。ちゃんと歌えなくてごめんなさい。」
彼の感受性が鋭いからこそ、涙が出たので、非常に素晴らしいライブだったと思いました。
完成度、というものは、心の叫びをストレートに表現した結果と一致する時としない時がありますが、一致しない場合に、私は、心の叫びよりも完成度を大切にする人間ではないので、とてもとても、感激しました。
思い起こすと、このショパンのエチュード OP.10-3(別れの曲) を初めて演奏したのは、16歳の頃でした。エチュード集ということで取り組んでいたので、なんでこんな簡単な曲が入っているのだろう、なんて、ただ、指の動く曲を求めていただけの子供でしたから、何も感じなかったものでしたね(笑)。

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2014年05月18日
「カフェくさか」地産地消コンサートを終わって


昨夜、今月の、「カフェくさか」コンサートが終わりました。
山本君とのコラボは、当初、彼の好きな、R&Bの米倉利紀さんの作品を合わせること、アレンジに、彼の好きなドビュッシー、ショパンを織り込むことでスタートしたのですが、最近、米倉氏の新作に「hands」以上のものが出ないことから、一定の距離を置いています。
山本君は一途に米倉氏を気に入っていたので、新作のいいものが出ないことから、もう、歌をやめてしまおうと思いつめていたのですが、彼と私が初めて私の自宅で合わせた時から、私の好きなクラシックの作品を演奏して聴かせ、その反応を見ていましたので、彼が音楽、歌をやめることは絶対にないと思っていましたので、クラシックの作品に歌詞をつけることを勧めましたら、非常に才能があったので、先月、ホルストの惑星のジュピター中間部に彼がつけた歌詞でやってみて、続いて、今月、彼が一番好きな、ショパンのエチュードOP.10-3(別れの曲)につけた歌詞でやりました。
もちろん、メドレーにアレンジして、別れの曲に続いて、涙そうそう、らいおんハートを入れ、ラストは、NHKの今日の料理のテーマと、ジャズスタンダードの、「幸せの黄色いリボン」を私がハイティーンの頃アレンジしたもので、彼がパフォーマンスをしてやりました。
ライブですから、歌でなくても、踊りでも、ポーズやパフォーマンスでも、OKなのです。ポーズは、サティーが既にやっていますが、きゃりーぱみゅぱみゅ、の、つけまつける、で踊ってもらってもいいようにアレンジして準備していましたが、今回は、彼の気分で、パフォーマンスになっただけのことです。
山本君は、こういう応用のきくコラボ相方なので、とてもやりやすいですね。
全てが専門化している今の音楽界へのささやかな抵抗なのかもしれませんが、まあ、ゴーストライターのような、著しくモラルの欠如したやり方は、芸術の冒涜ですからいけませんが、音楽を感覚的に捉えると、聴覚だけでなくてもいいのですね。
昨日は、朝、メガネのタナカヤなどへ買い物に行った後、昼過ぎにうちに来た山本君と一緒に出かけ、「カフェくさか」に向かうバスに乗る前に、私が幼少期を過ごした、高松の番町街をご案内しました。
彼が、サンマルクカフェ、スタバ、ドトール、タリーズ、などのコーヒーチェーン店に行っても、周囲がタメ口でしゃべっているブサイクな若い女だらけで、落ち着いて美味しいコーヒーを飲める店へ行きたい、と言ったので、高松市役所と「ルーブ」の隣にある、「ルーブ」の『和三盆ロールケーキ』を置いていて、UCCのドリップコーヒーで、高松中央公園の緑をウィンドウ越しに眺めながら、ゆっくり出来る喫茶「ダイアン」へご案内しました。
旧知の大奥様がいらっしゃったので、山本君をご紹介してゆっくりしました。
すると、最近若い男性の間で流行している、「ダイアン」常連の職人さんが作った、手作りのメンズブレスレットやメンズリングをいろいろ置いていて売っていたので、山本君お勧めの、メンズリングをいろいろ付けてみて、いいのがあったので、右手の薬指につけることにして購入しました。
彼のつけているメンズブレスレットと相性がいいので、いいなあ、と感じましたら、「ファッションのことは俺に任せてください。」と、心強い言葉を下さったので、気持ちよく、ライブに望めました。
でも、演奏中、私の指が、ショパンを弾いていると、キラキラ光ったので、オーディエンスの皆様が感動して下さり、初めて聴きにいらしていた、全く初対面の香川町のOさんという方が、演奏会終了後、車で、送ってくれたので、久々に、純粋な一期一会を体験出来ました。
ただし、Oさんの大好きな、ラフマニノフのピアノ協奏曲の2番1楽章と、リストの「ラ・カンパネラ」を次回リクエストされましたので、私は、40年ぶりに、リストの「ラ・カンパネラ」を練習してやることにしました。
リストの作品はあまり好きじゃないのですが、「ラ・カンパネラ」は、指が覚えていて大体弾けますのでやることにしました。が、気になるのは、右手の小指・中指・親指による、3オクターブの跳躍で肩が凝ることですね(笑)。
いろんな方が聴きにいらしていて、とある、おばあ様からは、ベートーヴェンのピアノソナタが肩こりに効くので、とのリクエストもいただけるので、「カフェくさか」は、とてもとても楽しいスペースです。
ボーカルの山本君は、最近、楽器も持たず高松の町を歩いていると、見知らぬ年配の方に、「次回のクサカ、聴きに行きますよ。頑張ってください。」と声をかけられることが多くなったそうなので、彼と私のコラボは確実に地産地消として認識されていて、とても、よいことだと思いました。
そろそろ、彼の作詞、私の作曲の、四国霊場八十八ヶ寺巡礼をテーマにした、新作『道』を発表する時が、近づいてきているようですが、少なくとも、讃岐うどん店「愉楽家」のヒット商品『明太子釜玉うどん』以上の認知度になるような作品にしたいですね(笑)。
ぼくたちのコラボは、地産地消なのです。
従って、目標は、J.S.バッハではなく、香川県出身の大先輩の弘法大師なので、最低でも1200年残る傑作を私は作曲しないといけないのです。
結果が、実力不相応かどうかは、1200年後の皆様が決めることなのですから、のんびり時間をかけて熟成させればよいので、目標は高ければ高いほどよいのです。
これが、アートの強いところなのですね。
掲載写真は、昨夜の、「カフェくさか」ライブです。

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2014年04月08日
私達のコラボグループ 「Shut up」 の発展形態




私達のコラボグループ 「Shut up」(「ヒコ & ヒロ」から改名したデュオグループ)の最終形態について、昨日、2014年4月8日、に、ほぼ、決定しましので、ご案内します。
「ヒコ & ヒロ」として、昨年、集中して、デュオコラボを完成させましたが、「ヒコ & ヒロ」のデュオに、出会って加わりたいという方はたくさんいらっしゃいましたが、私が、1980年から1993年までの間、日本アマチュア演奏家協会理事として、東京、大阪で、室内楽グループを、たくさん作った経験で養われた、直感的な動物的な勘でもって、どうするべきか、十分に検討した結果、東京都出身で高松在住の、中村伸一氏のボーカルを加えて、三人のグループとすることにしました。
中村さんとのコラボは、3月15日(土)の「くさかライブ」で、東日本大震災から3年を迎えたことに対して必要だと感じた音楽作品のメドレーをやったのですが、その最後の曲目の唱歌「ふるさと」を歌った時、聴きに来ていた彼がどうしても一緒に歌いたいとの内的欲求から、急遽加わったのが初めてでした。
その前から、彼からは、ミスチルのナンバーを私のピアノアレンジで歌いたい、と言われていましたが、一緒に歌を聴かせてもらった限りでは、彼のベストナンバーではないと感じていましたので実現していませんでした。
で、私から、ビギンの「涙そうそう」を提案して、それを昨日私の自宅で合わせていたときに、彼の声質は、何だろう、という謎〔このことは、クラシック畑のテノールのてっちゃんも私同様、謎だ、と言っていたのですが・・・〕がついにとけたのです。
中村氏の歌の原点は、民謡、だったのです。相当の期間、研鑽を積んでいました。
まあ、これが、演歌だったらすぐにわかったのですが、微妙なこぶしのかけ方が、はるかに自然で、私は私の祖母の詩吟を思い出していましたので、今ひとつはっきりしなかったのでしたが、やっとわかりました。
中村氏はいつも合わせている邦楽の面子も加えたい、とのことでしたので、ますます、コラボの輪が広がり、楽しみなことですね。
一人からデュオ、デュオからトリオ、と、育っているプロセスは、室内楽グループ形成のプロセス同様、正しい順番です。
室内楽の場合、加わる人の数だけ手間は増えるのです。いい演奏に仕上げたい場合は絶対にそうなのです。
日本では、和の精神やワビさびというものがあるため、このあたりが誤解されていますが、クラシックの室内楽が育ったのは、個人主義の徹底したヨーロッパなのですから、人数が増えるほど大変になることがあたり前のように作曲されているのですから、これは、当然のことなのです。
掲載写真は、順に、中村氏、山本君、と、私です。

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2014年04月07日
コラボグループ名「Shut up(シャラップ)」への変更と、讃岐弁について


「ですから、私達の活動は、表立たないように続けているのです。香川県では、目だったことをすると、必ず潰される傾向が強いので、新しいことを始めるのは大変な土地柄なのです。」
私が母の介護のため、住友信託銀行から日本マンパワー四国総代理店人材開発部長に転職してUターンして営業をスタートした、1994年のことでした。
香川短大教授のY女史は、研究室教材への、日本マンパワーの通信教育導入を決めて購入くださったあと、御礼を申し上げた、日本マンパワー四国総代理店人材開発部長の私におっしゃったのでした。
彼女がおっしゃった活動は、働く女性の地位向上の会、のことでした。
四国総代理店立ち上げのバックアップをして下さっていた、大阪の本町にあった、日本マンパワー関西支局からいらしていた、担当のT氏は、私の隣に座っていましたが、びっくりされていました。
ですから、私は、後で、Tさんに、四国の文化風土が、たった四つしか県がないのに、全部バラバラであることをご説明しました。
こうした風土が確立されたのは、ほぼ、間違いなく、江戸時代にあります。
つまり、江戸時代の長きに渡り、優遇されていた譜代大名の治めていた土地と、迫害されていた外様大名の治めていた土地が混在しているためなのです。
香川県は、日本一面積の狭い県なのですが、東(東讃)は、松平藩〔初代藩主は水戸黄門のお兄様〕で、西(西讃)は、外様大名の京極藩、でしたので、全然文化風土が違うのです。
同様、愛媛県松山市を中心にした中予と、南予の宇和島市は、松平藩でしたから、この二つは、高松市に近いのですが、徳島県と高知県は、外様大名でしたから、西讃と近いのです。
外様大名だった土地は、新しい文化の導入に対して積極的ですが、譜代大名だった土地は、新しい文化の導入に対して消極的なのです。
その証拠に、四国で一番最初に自分のホームページを設営したのは、JA高知県連で、ウィンドウズ95開始時期でしたし、従業員マナー研修を一番最初に導入した市町村は、高知市役所、二番目が徳島市役所、三番目が丸亀市役所、四番目が善通寺市役所、でした。
高松市役所のマナー研修導入は、28番目で、しかも、反対する勢力がいて、市民のサービス向上にお金を使うのはもったいない、そんな余分なお金があったら、従業員の退職金積立金に入れたらいい、という、公務員にあるまじき主張の勢力がいたので、高松市出身の私はあまりに情ないので、知人の高松市議会議員を使って、無理やり導入させました。
これは、正しくない営業手法でしたが、日本マンパワー四国総代理店の本社所在地は高松市でしたから、示しがつかなかったためなのです。
電通情報では、イベント集客力が四国最高なのは高知市で、最低なのは高松市なのです。
私のピアノの恩師の故.石井ルリ子先生は、高松国際ピアノコンクール開始の顧問をしていましたが、この予選から本選までの来客者の8割は、香川県西地区(西讃)なので、頭を抱えていましたので私はなぐさめました。
「ほんまにのう。高松の住民はいかんのう。なんしょんかいのう。」
「先生。高松の人は演奏会にお金使うんなら、おうどんの方がええんやろうのう。コンクールやっりょった時も、家でおうどん食べよったんやろうけん、しょうがないで。」
「どなんしようか。」
「そらあ簡単でっせ。コンクールや演奏会の休憩時間に、シャンパンでなしに、ぶっかけうどん出したら、人が集まるで。」
「何ですと、岡田君。イリコダシはいかんいかん。そんなもん休憩時間に出したら、海外、東京や大阪から聴きに来た人に対してふうが悪い。」
「ほんだけど、先生、このメインスポンサーは、高松に本店のある、香川県の地銀の百十四銀行でしょうが。融資先は、うどん店に決まっとりますけん大丈夫でっせ。ぶっかけうどんに文句言う、海外、東京や大阪から聴きに来た人は、会場から追い出したらえんですわ。」
・・・・・まあ、クラシック演奏会の休憩時間にぶっかけうどんを出すことは、こうして、採用されませんでしたが、高松市の音楽文化水準はこんな感じなのです。高いのか低いのか、いいのか悪いのか、は、誰にも決める権利はありませんが、こんな感じなのです。
さて、山本君と私のコラボグループ名について、単純にそれぞれのニックネームをつないで、「ヒコ & ヒロ」にしていましたが、昨日、うちへ練習に来た山本君からの提案で、破滅的な名前にしたい、とのことで、いろいろ言葉を並べ立てている中で、「Shut up(シャラップ)」にすることになりました。
香川県高松市は、前述のように、新しいこと、目だったことをすると、後ろ指をさされたり、陰口をたたかれることが日常です。
だから、グループ名を、「Shut up(シャラップ)」〔黙りなさい、と意味の和製英語〕にしたのです。リクエストがわんさか入るのですが、ともかく、「黙ってぼくたちのコラボを最後まで聴いて下さい」、という意味なのです。
こうした讃岐弁の引き起こす状況は、方言に、一番よく現れていますね。目新しいイベントやコンサートに対して、高松人が最初に口にする言葉は、「えらっそげにしよる。」とか、「うまーげにしよる。」なのです。
この言い回しの最大のポイントは、「・・・・・げに」です。断定していないので、本音の意見が絶対にわからないのです。
かつて、JA高知県中央会長のN氏は、高松で勤務していたことがあったそうで、「・・・・・げに」を嫌っていて、私が日本マンパワーの仕事で行った時に誘われた飲み会の席で、「高松に帰ったら、『・・・・・げに』を、高松の方言から一掃しなさい。」、と言われましたが、そんなこと出来るわけないので、大笑いになったものです。
東京からUターンした直後の私は、営業トークは共通語でしたから、お話が早く進みました。
逆に、高松信用金庫、が、通信教育と、CS(顧客満足)マインドアップの一年間継続的指導を導入してくださった際には、人事部次長から、方言でしゃべるよう、要請されました。
「ほんだけど、あんた、うまーげに説明するけん、ついつい引き込まれてしもうだでえ。」
「有難うございます。そんなにお褒め下さり、恐縮です。」
「あんた、生まれはどこなあ。東京なあ。」
「いいえ、私は、高松市番町で生れ育ちました。」
「何とな。わしも番町や。わしは、三丁目やけど、あんた、何丁目なあ。」
「私は、番町四丁目でございます。」
「ほんだら、小学校は、四番丁な。」
「はい。四番丁小学校でございます。」
「ほんだら、わしと一緒じゃ。」(ここで、私はすかさず、言いました。)
「先輩。どうか、私の提案について、ご検討ください。」
「よっしゃ。ほんだけど、その、共通語やめまい。同じ番町の出やのに、他人行儀なんはいかんいかん。」
「さようでございますか。・・・・・んーーー。世が世ならば、番町三丁目は、番町四丁目よりも上級武士のお住まいですから、おっしゃるとおりにしないと、切捨てごめんですから、かしこまりました。」(ここで、私は、急に、讃岐弁に変えました。)
「ほんだら、次長、どなんするんな。「通信教育」と、CS(顧客満足)アップの提案、入れるんな入れんのな。しゃんと決めてーたー。」(爆)
「わかったでえ。ほんだら、ここの二箇所に印鑑ついたらええんやのう。」
「へえ。その二箇所ですわ。そこが捺印の場所ですけん。たのんます。」
・・・・・こうして、即決で、通信教育と、CSマインド向上の一年契約を締結出来ました。が、次長が社内調整しやすくするように、私は、とどめを刺しました。
「これは、四国の信用金庫では初めてですけん。先輩の決断された導入について、徳島信用金庫、高知信用金庫、だけでなしに、香川銀行、百十四銀行、徳島銀行、阿波銀行、高知銀行、四国銀行、にも、この次長様の英断をご案内しまっせ。私に任せてください。」
こういう経緯がありましたので、友達言葉の讃岐弁は、敬語は苦手だけど、相手の懐に直ちに飛び込める、という長所があることを、私は、痛感したものでした。
その代表格の、「こんにちは」という意味の「なんがでっきょんな」は、最高の友達言葉なのです。
少子高齢化の時代を乗り切るため、介護師、看護婦の採用は増えている昨今ですが、こんな時こそ、利用者の高齢者に対して、「いらっしゃいませ。」「いかがなさいましたか。」なんて、共通語よりも、「なんがでっきょんな。」と出迎えた方が、絶対に効果抜群だと、私は思っています。
掲載写真は、讃岐弁を書いたTシャツです。
“ごじゃはげがいなやつ”と、書かれていますが、讃岐弁で、“ものすごく良い奴”と、言う意味なので、これは流行らせた方がいいですね(笑)。

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2013年11月30日
「2013年・山本寛大君との出会い」


「人と人の出会いは全て偶然だけど、その何割を必然に出来るか。これが人生の快楽を計る最高のバロメータだ。」
昔から大好きで私の生き方の基本にしている、この、ある哲学者の言葉を、今年も、私は、偶然、高松市林町の「カフェ KUSAKA」で偶然出会った、27歳のボーカルの山本寛大君との関係を必然に出来ました。
生き方の基本姿勢を私のようにオプティミストにしていれば、たくさんの人達との出会いは増えます。その中で偶然の出会いを必然に出来ても出来なくても、この基本姿勢をキープすることが大切なので、必然に出来る確率などを気にする人は、このように生きることは出来ません。
必然的な友人の絶対数は、オプティミストの方が確実に増えることは、厳然たる事実なのです。つまり、門戸は開放されていないと何も起こらないのです。
今年の初めに出演した、高松市林町の「カフェ KUSAKA」で、山本君はカラオケでイーグルスのデスペラードを歌っていました。私は彼の歌に感動したので、カラオケだ、と、冷たく聴いている聴衆を何とかしてあげたいと思って、彼にコラボの話を持ちかけました。
が、もともと、高松市林町の「カフェ KUSAKA」を紹介してくださった、私の高松ファンクラブ会長のM女史とは、5年前に私の住む、高松市西宝町隣町の昭和町の喫茶店で偶然出会っていたのですから、全ては偶然のつながりなのですね(笑)。
ともかく、こうして、出会った山本君との関係を必然にする一番大きな出来事は、スローライフのSNS「ぶらっと」で出会って懇意にしていた、早稲田大学の大先輩の山梨県の長澤氏が、私と会って讃岐うどんを食べに高松に遊びに来るという連絡が突然来たためでした。
しかも、長澤氏からは、「あなたが高松で懇意にしている、若い年下の音楽仲間を紹介してほしい。一緒に飯を食って談笑したい。」とのご要望があったのです。音大卒の若い友人は何人かいましたが、私は、この時、山本君を一緒に紹介しようと思いました。
なぜなら、彼が、適任だと思ったからなのです。長澤氏はわざわざ香川県にいらっしゃるのでしたから、それなりの社交性と礼儀正しい日本語、香川県の正しい歴史を話せる若者でないと楽しくならないと思ったから、彼をおいて適任者はいないと直感したからなのです。
ご案内する食事は、昼は讃岐うどんの老舗「上原屋本店」、夜は、瀬戸内の小魚の素晴らしい懐石料理の「篠乃路(しののじ)」に決めて、長澤氏をご案内しました。
このあたりの経験は、私自身は、東京で経験していた、日本アマチュア演奏家協会で室内楽のデュオが出来るプロセスと全く変わりませんでした。
ただし、クラシックの室内楽オンリーの日本アマチュア演奏家協会で室内楽のデュオと違っていたのは、アンプが入ることと、山本君が楽器とあわせるのが初めてだった、ということだけでしたので、この程度の枝葉末節で、共演しないなどということは、私の場合はありません。
しかし、私はお人柄は絶対にチェックします。人柄の合わない人とデュオをすることは、絶対に失敗する元だということは、室内楽をいろんな人とあわせた経験で熟知していましたから。
こうして、何回か、私の家で合わせた時、私が演奏するいろんなクラシックのピアノ曲で彼が一番好きなものは、J.S.バッハとドビュッシーでしたので、コードの好みなどはすぐにわかりましたが、何回か「KUSAKA」でやったのですが、すぐにうまくゆかないことは明白でした。
今年の春先でした。うまくゆかなかった「KUSAKA」でのライブ後、私の自宅まで彼が車で送ってくれた時のこと。
冷たい雨が降っていました。
彼が、「岡田さんは、俺にとっては、おやじ、みたいに感じているんです。そう感じていてもいいですか。」と前置きをした後、自分のやりたい曲を紹介し始めたのです。
米倉利紀氏と、R&Bが好きなこと、EXILE あつし、の歌う、スマップのらいおんハート、など、踏み込んだ話題になりました。
こうして、らいおんハートと、米倉利紀氏の「hands」と出会ってから、全てがうまく回りだしました。
しかし、自分が絶対にやりたい作品を言うまでの彼の取った控えめな態度や姿勢が、私は、とても気に入ってしまいましたので、彼と心中する覚悟で、ステージに上がることになりました。
かつて、東京にいた頃、数え切れない室内楽愛好家とステディーに合わせた時と同じ覚悟でした。
その後合わせていて音感が素晴らしくなったので聞いたところ、キーボードを買って音程を確実にしていること、米倉氏から高松に来た時にアドバイスしてくださったとおりに、私のピアノをよく聴いていることなど、知らせてくれました。
本当に嬉しかったですね。ここまですごく努力しているボーカルと出会ったのは、高松にUターンして以来、初めてのことでした。
掲載写真は、高松市内町の「bardi musica レトロ」で、11月6日にライブ後、ママさんがとってくれた、山本君と私の写真です。

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2013年10月22日
今年の演奏活動を振り返って

2013年はいろんなことがありましたが、私にとって一番の重大事件は、ボーカルの山本君と出会って、R&Bの米倉利紀さんの傑作「hands」と出会ってアレンジしたいと切実に願って、いろいろやったことでした。
彼は27歳ですから、56歳のぼくとは29歳も離れているのですが、音楽や演奏はそのようなものを飛び越して、一緒に仲良くなれることを立証できました。
また、偶然でしたが、彼もぼくも母子家庭の長男だったので、いろいろ話も合いました。
彼が、ぼくに、ぼそっと言った一言、「岡田さんのこと、親父だと思ってもいいですか。」という心の叫びが、父親のいない私の心にも強く響きましたので、彼とのデュオ結成は、必然的なものになりました。
私が一番尊敬する作曲家は、ショパンでもドビュッシーでもなく、J.S.バッハですので、この、私の大好きな、平均律第一巻24番のロ短調フーガを、アレンジしたばかりだった、米倉利紀さんの「hands」を山本君のボーカルで、2013年7月20日の、高松市林町の「カフェKUSAKA」コンサートで合わせたものが、二人の原点になりました。
山本君は、性格のさっぱりした、自衛隊出身のスポーツマンですが、ぼくにとっては、貴重なコラボ相方なのですが、この世の女性達が『イケメン』だと騒いでいるのですが、ぼくは、その感覚がよくわかりません。だって、男は、外見じゃなく中身ですからね(笑)。
ぼくにとっては、この、7月20日に、「hands」と一緒に何を演奏するか迷っていたのです。ショパンやドビュッシーの派手な曲の方がクラシック初心者の多い聴衆の前ではいいだろう、と思ったりしていたので、「ショパンの幻想即興曲、ノクターンの9の2、雨だれの前奏曲、英雄ポロネーズ、ドビュッシーの亜麻色の髪の乙女、月の光、あたりだとみんな知っていると思うけど、どれにしようか。」と言ったところ、彼はこう言ったのです。
「その曲は、岡田さんが一番好きな曲ですか。聴衆のことも大切だけど、『hands』はぼくの一番好きな曲だから、岡田さんも一番好きな曲をやって欲しいです。」と言ったのでした。
「だったら、J.S.バッハの平均律第一巻のロ短調フーガだね。これは、ぼくのライフワークだから。でも、初めてクラシック聴く人にとってはどうかな。」
「いや。ぼくも一番自分の好きな曲をやるのですから、岡田さんもそうして下さい。」
「はい。わかりました。」
ぼくは、親バカなので、息子の言うことには逆らえないのです(笑)が、彼の言うことは正解だったのです。

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2013年10月18日
明日の「カフェクサカ」楽しみです。


明日の19:00からの、高松市林町「カフェクサカ」のサロンコンサート、とても楽しみです。
さっきまで、相棒の、27歳の山本君がうちに来て、コラボをぼくのピアノと合わせていたのですが、「『ハロウィンメドレー』にしたいので、出来るだけ愉快なものにアドリブアレンジしてください。」との、素晴らしいリクエストをいただきましたので、すごく楽しかったです。
尾崎豊の「I Love You」と、米倉利紀の「hands」を入れるのですが、イントロ、エンディング、つなぎは全てぼくのアドリブでつなぎます。
ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」の『プレリュード』で、豪華に始めて、尾崎豊の「I Love You」につなぎ、「浜辺の歌」、美空ひばりの「リンゴ追分」、「古畑仁三郎」のテーマ、「NHK今日の料理」のモティーフを経て、米倉利紀の「hands」にし、ショパンの「エチュード OP.25-1(エオリアンハープ)」で派手にして、あとは、山本君希望のエンディングにすることにしました。
本当に音楽は楽しいですね。
もう、山本君のボーカルとぼくのピアノは、どんなものでもアドリブでつなげるようになりました。
帰りしな、山本君が、「岡田さん、尾崎豊の『I Love You」』、以前よりよくなりましたね。」と言ったのですが、あたり前なのです。
何回も、ただの伴奏じゃなく、デュオという覚悟で合わせていたら、クラシックの室内楽と全く同様に、彼の歌い方の癖もわかりますから、絶対によくなるのです。
つまり、1+1=2、ではなく、1+1>2、になることに決まっているのですから(笑)。

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2013年10月03日
bardi musica「レトロ」のコンサートを終わって


昨日の夜、初めて、自宅から自転車で数分のところにある、三越高松店の裏の、高松市内町の、bardi musica「レトロ」でのライブがありました。
今回は、コラボ相棒の27歳のボーカルの山本君が多忙のため、私一人で行って、ピアノソロと、初対面のボーカリストとのアドリブ演奏を、来月以降のデュオでの出演の下見方々、させていただきました。毎月第一水曜日の20:00~行っているのですから、ほかと重ならなくていいですね。
また、高松市林町の「カフェKUSAKA」でいつもご一緒している方、高松市丸亀町の「ワインバー・葡萄塾」でPAを担当されている方も、いらしていたので、とてもとても、楽しかったです。
というのも、ここのピアノが、カワイのアップライトだったのですが、とても、弾きやすいアフタータッチだったので、素晴らしいピアニストが弾いてきたのだろうと思いました。まあ、こればかりは、3歳からピアノをやっている私にはすぐにわかることなので、OKです。
高松市林町の「カフェKUSAKA」には、ヤマハのCのグランドがあって、二階まで吹き抜けの残響のよい場所なのですが、ステージと客席に、距離があるので、私自身の東京でのコンサートの経験では、「レトロ」のように、目の前1メートルほどで、ピアノの鍵盤やギターの状況が見えるスタイルが断然好きなので、素晴らしかったです。
「カフェKUSAKA」でギターを弾いて歌っている友人が、「レトロ」で演奏すると、全然、別のアーティストに感じられました。どっちが本物か、というと、目の前1メートルが、本物に決まっているのです。
さらによいことは、ここは、高松市の町のど真ん中ですから、参加者は全て、東京からの転勤族と、高松市内在住者だけで、生演奏があるので、食べることと金儲けにしか興味のない大阪の人たちが皆無で、客層が素晴らしかったことと、瀬戸内海が近いので、外に出ると、海風が感じられたので、高松市中心部で生まれ育った私は、本当に、平常心で演奏が出来ました。
高松市の中心部、ということならば、丸亀町の「ワインバー葡萄塾」も同じなのですが、「葡萄塾」は、電気ピアノ、それも、カシオのプリヴィアならいいのですが、ヤマハのかなり古いエレピアンでしたし、いすの高さも調節できませんでしたので、ピアニストとしては、「レトロ」の方が、数段上でした。
そんなこともあって、「レトロ」は、高松で活動している、アマチュアアーティストでいっぱいでした。
私は、早速、周囲の人とお話して、ショパンやジャズを演奏した後、隣に座っていた47歳のK君、というエンジニアで独身の若者〔56歳の私にとって47歳の彼は若者なのです(笑)。〕から、尾崎豊の“I Love You”が得意だと聞いていたので、ショパンの別れの曲のエンディングは、ホ長調の協和音ですから、それは、イ長調の“I Love You”の解決和音ですから、直ちにつないで、「K君、歌ってよ。」と呼びかけると、彼は臆することなく歌ってくれました。いいな。こういう場所でアドリブの一番邪魔になるのは、失敗を怖れて人前に出ないことですから、彼の自信過剰は素晴らしいと思いましたよ。
こういう、パーフェクトなアドリブは、東京では日常的なことなのですが、19年前に、母の介護のために高松にUターンして以来、初めてでしたので、本当に、感激しました。しかも、彼は、私と同様、浜田省吾が大好きだとのことでしたので、来月のこのライブでは、彼のギターと私のピアノで、彼が、「丘の上の愛」〔ご存知の方も多いと思いますが、この作品の間奏では、バロック風のピアノが入らないとさまにならないのです。〕を歌うことを約束しましたので、とてもとても楽しい宿題をいただきましたし、ボーカルの相方の山本君のレパートリーではない、私の大好きな浜田省吾のナンバーを、次々とやれるので、楽しみです。
私は56歳なので、是非是非、「19のままさ」か「ミッドナイトブルートレイン」をやりたいな、と思っています。
終わったのは、深夜の1時半でしたが、隣が駐車場と空き地なので、OKなのです。三越高松店の片原町方面裏側は、昔から、空き地の多いところだったことを私は知っていますので、このようなスペースが出来たことは、素晴らしいと思いました。
そのあと、とてもとても、サービスのいいママさんが、「乙女の祈り」を弾き出したので、私はびっくりしましたが、何でも、少し前に、交通事故にあって、左手を少し痛めたので、リハビリとして「乙女の祈り」を演奏しているとのことでした。
なるほどなあ、と、私は聴き入ってしまいました。というのも、ここのピアノが素晴らしい状態なのは、ママさんのピアノタッチが素晴らしかったからだということがわかったからなのです。
つまり、ママさんのピアノ奏法が、大きな音を出す時に、押さえ込む重量奏法ではなく、打鍵のスピードを速くする、フランス近代風の合理奏法だったからなのです。
このことは非常に重要なことで、クラシックとロックの違い以上に、ピアノという楽器の特性にとっては、決定的なのです。
ピアノという楽器をいい状態に長持ちさせるのは、調律師ではなく、それを弾くピアニストの、ピアノへの愛なのですから、自己顕示欲の塊のピアニストは、ピアノに無理な打鍵をして、すぐに、ピアノという楽器の良さを潰してしまうので、結果的には、弾きながら美しくない音を常時耳にするために、指が正確に動いても、音感に悪影響を及ぼすので、聴覚に大ダメージを与えてしまうのです。
ピアノ奏法を正しく行うことは、演奏する音楽のジャンル以上に、はるかに、大切なことなのです。
また、昨夜、私は、演奏しようと思っていたので、アルコールはやめて、アイスコーヒーを飲んでいたのですが、隣の焼酎を飲んでいた年配のおじさんの聴衆の人がつまんでいた、芋ケンピを、コテコテの讃岐弁で、「あんた、これ食べまい。」などと言って下さったりして、本当にアットホームないいスペースだな、と、痛感しました。
そんなこんなで、私が自転車で帰宅したのは、深夜の、午前2時でした。
またまた楽しみな場所が増えて、とても嬉しい夜でした。
掲載写真は、bardi musica「レトロ」のコンサート、の、ひとコマです。こんな、演奏の現場、つまり、録音スタジオの中のような場所でないと、楽譜なしで、アドリブなんて、絶対にやりたくないですよね。
クラシックピアニストの皆様もそうでしょう。楽譜通りに指が動くだけなんて、まるで、ロボット、ですから、感心しても感動はしないのです。つまり、自分のハートを聴衆のハートに直接届けることは、絶対に出来ないのですよ。
演奏の目的は、音楽を通して、自分のハートを、聴く人のハートに、直接届けることなのです。ピアノは打楽器の一種ですが、指が正しく動いてミスのない演奏が出来ても、演奏者の息遣いが聴こえない演奏は、音楽であることを直ちにやめてしまうのです。

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2013年09月07日
「葡萄塾」のこと


横文字のアルファベットの頭文字だけとって、表現することの多い時代に突入したのは、1985年頃だったように記憶しています。
私が東京で早稲田大学政経学部卒業後、住友信託銀行に入社して5年目くらいだったかな。
会社の研修で、SD、CDS、や、TA、というものを耳にした時でした。
〔ここからは、讃岐弁で書きますね(笑)。〕
「アルファベットの頭文字だけで、何を、えらっそげに言いよんな。ちゃんと、英単語で言いまい。」と頭にきたものでした。
ちなみに、このわしの言い分に、「ウザい」みたいなタメ口叩いたら、わしは讃岐弁で言い返しまっせ。
「この、くそぼっこ。ごじゃ-ごじゃ-言わんと黙りまい。わしに逆らうんなら、しゃんしゃんしまいよ。これ以上、タメ口叩いたら、あんたの頭、めぐでぇー。めげなんだら、その頬っぺた、ちみきってやるけん、覚悟しまーせー。お大師さんのバチがあたらんうちに、四国から出て行きまい。」
SD=Self Develop=自己啓発=自分で自分の能力を高めて資格を取得するような意識を持って仕事に役立つことを自ら勉強すること。資格取得など、大切なことです。
CDS=Carrier Development System=キャリア開発のための研修=今の職場でどのように意欲を向上させて、自分の将来を見据えていくかを真剣に考える、高い意識を持った社員を多く育てるための研修。旧来の、係長研修、課長研修などの、階層別研修は日本だけのもんで、転職が日常的な欧米では、自分のキャリアで全てを判断するこのスタイルの研修が一般的やったんや。通信教育の老舗の、日本マンパワーが日本に輸入しとったんやけど、最初に売れたんが、三和銀行(UFJ銀行)の定年真近の世代の部長やったけん、定年後の夢を語る、リストラのソフトランディング研修として、バブル崩壊に伴い、全銀協、全ての信託銀行で、悪名高きリストラの研修として導入されてしもうたんや。「倍返し」でヒットしよる、ドラマ「半沢直樹」の出向等がポピュラーやけど、わしの15年間の住友信託銀行勤務経験で実感したんは、そんな甘いもんやないで。実際には、設備投資が人間だけの金融機関の一番の権力者は人事部長で、半沢直樹のように言い返したりする暇やありますかいな。バブル崩壊時には、一方的に、このリストラの研修を受けることが強制されよったけんの。ほんまに、都市銀行や信託銀行の人事部長は、まんでがん、爬虫類でっせ。絶対に畳の上では死ねますかいな。うつ病の患者が急増したんは、このリストラの研修のせいでっせ。なんが、「ソフトランディング」な。横文字並べたって人件費を内部留保したいだけなんやけんの。派遣社員を増やしたんとまっつくついの目的や。ほんでからに、バブルの大量採用世代が、くそぼっこやったけん、目先のお金に目がくらんで、上司がリストラされた方が自分が上に上がれる思うて賛成したけん、大手銀行や信託銀行は、わやになったんや。そらもう、バブルの大量採用世代は就職で苦労しとらん阿呆やけん、上にいけますかいな。あんなんが上司になったら会社は倒産しまっせ。全国の地銀の人事部長には真似するほっこがようけおったけん、わやになったんでっせ。
TA=Transactional Analysis=交流分析=人間関係を円滑にして、企業などでの人間関係をうまくゆくようにする、1950年頃に出来た、大昔の行動心理学。時間がかかるので、経営コンサルタントが儲かるんで、多く売っりょったでぇ。これを導入する企業は、社内の人間関係がうまく行かんのやけん、「身から出たさび」でっせ。こんなもんやるくらいなら、廃業した方がええでっせ。働くところがない。何とな。田んぼしまぁせ。まあの、うどん県は、うどんのお陰で、社内に限らず、人間関係は円滑やし、讃岐弁は友達言葉やけん、絶対に必要のない研修やけど、四国電力は原子力発電所を作りたかったけん、コンサルタントにようけ銭(ぜに)使うてやっりょったのう。ほんまに、電力会社は、放射能の大好きな、いかん会社でっせ。
モチベート=やる気、覇気=なんでこんなもん、横文字で言わないかんのな。小室哲哉の作った駄作歌曲にはようけ使われとったのう。まあ、あれは、くそぼっこやけん無視無視。
ほんだら、これくらいにして、本題に入り、讃岐弁はストップしますね(笑)。
この前、高松市林町の「カフェくさか」でライブやった時に、丸亀市の「ルフラン」で出会って以来懇意にしている、三線のとしさんに紹介してもらったのが、高松市丸亀町にある、ライブワインバー「葡萄塾」の、2013年9月18日のライブに出ませんか、とのことでした。
「ヒコ&ヒロ」で一緒にコラボやっている、27歳の山本君がどうしても出たい、と言うので、昨日、下見に行って来ました。
迷っちゃったんだけど、亡き母と祖母が愛用していた和服小物の「万珠堂」の大奥様とお嬢様がいらっしゃったのでご挨拶して教えてもらいました。このあたりの地縁関係が残っていることが、高松のいいところですね。
丸亀町商店街は再開発中なので、いろいろ、移転が多いのですが、A街区弐番街1号館の4Fにありました。
オーナー社長の54歳の、高橋社長に会い、音楽評論家の父、岡田寛の名前、同窓生の丸亀町親交組合理事長の古川君のことなどを出すと、スムーズにご説明していただけました。
私が気に入ったのは、ライブハウスについては、絶対に、PRしないという方針でした。まあ、そりゃそうでしょう。うどんばかり食べている皆様の多い街でそんなことしたら、玉石混交になってしまいますからね(笑)。
それと、場所の広さ、残響を考えて、電気ピアノを使っていることも気に入りました。
何、ニューヨークスタインウェイのグランドでないといけない、そりゃあ、ちゃんとしたコンサートホールならそれがいいんだけど、クラシックには一杯作品があって、ピアノが完成したのは、モーツァルトが25歳の頃でしたからそれ以前の作品で勝負できるのです。電気ピアノならば、楽器を選ばない、J.S.バッハの作品をやればいいのです。あるいは、電気ピアノでも十分表現の出来る、ドビュッシーの癒し系の作品など、選曲すればOKなのですよ。
電気ピアノで、ブラームスを演奏するほど愚かなことはありませんね。
さらに、驚いたことは、PAがいらっしゃることでした。またまた、横文字のアルファベット二文字の登場なのですが(笑)、正確に言うと、この場合の、PAは、PAエンジニア、あるいは、PAエンジニアの一要素の、SRエンジニアのことです。
PA=Public Address
SR=Sound Reinforcement
音楽のLiveで、コンソール(音響機器)をオペレートする人が、SRエンジニアですが、これに加えて、アナウンス、解説、音響設計などもして、正しく伝わるように配慮する技術者が、PAエンジニアです。
長期に渡るデフレから、PAをやっている民間企業はなくなってしまいましたが、人材は全国にいらっしゃるのですが、「葡萄塾」においては、『じんさん』というPAエンジニアと、オーナーの『高橋さん』の二人が中心になって運営しているとのことでした。
広さ、天井の高さから言って、ドラムは入れていないそうですが、あたり前ですね。大きすぎる音は、雑音になりますからね。
オーナーの高橋さんは、生粋のソムリエなので、とてもお話しやすかったです。
私の生まれ育った高松市番町4丁目近所にこういうスペースがあってよかったです。PAまでいらっしゃるのですから、同窓生の、丸亀町ドーム下で演奏した時にお世話になった丸亀町理事長の古川君、岩佐仏壇店の岩佐君、スミダ文具店の隅田君、などに、声をかけますが、たぶん、ワインよりうどんが好きでしょうから難しいかもしれませんね(笑)。
早速、山本君に連絡しましたが、9月10日前後に、私の自宅に来て準備します。
そういえば、先日、東京にいた頃懇意にしていた、桐朋卒業の横浜のクラシックピアニストが高松でコンサートをやる予定だけど、集客力が低い、と言っていたので、休憩時間に、ぶっかけうどんを出したらいいとご案内しましたが、サンポートホールがうどんを持ち込めないそうで困っていました(笑)。
でも、ベートーヴェンやシューマンを聴いた休憩時間、シャンパンとチーズもいいですけど、うどんになると、イリコダシが鑑賞の妨げになるとは、私は、思っていないのですけどね(笑)。
まあ、東京にいた頃は、私はフランス料理大好きで、六本木でワインも飲み歩いていたので、ラヴェルのピアノ曲は絶対ワインだと感じていました。が、もう、56歳になると、うどん、瀬戸内の魚、和食、がいいですね。
掲載写真は、「葡萄塾」の入口看板です。

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2013年08月25日
「カフェくさか」コンサート、無事に終わりました。


昨日の「カフェくさか」での、山本君とのパラフレーズのデュオ、無事に終わりました。
スコアなしでのデュオが出来、ほっとしています。JR高松駅で待ち合わせて、レインボー循環バスで行ったのですが、伏石町では、阿波踊りを踊っている連の皆様がいらっしゃったので、びっくりしました。
まあ、讃岐うどん店は徳島県や高知県にだいぶ進出していますから、徳島県の阿波踊り、高知県のヨサコイを香川県で踊って披露する皆様がいらっしゃることは、昔からの四国のしきたりなのでよいのですよ(笑)。
ところで、今日の出演者から、来月の第三水曜日に開催される予定の、高松市丸亀町の「葡萄塾」フリーライブに誘われましたので、何か「ヒコ&ヒロ」でやろうと思っています。
フリーライブということは、いらしているお客様の好みに合う音楽を提供しないといけませんので、クラシックピアノがいいのなら、それを提供すればよいだけなので、「ヒコ&ヒロ」でゆけば、何でもOKなので楽しみですね。
当日の予定が合えばOKですが、電気ピアノなので、グランドピアノほど緊張しないでいいのでOKですね。
もちろん、高松市内のライブカフェでは、2Fまで吹き抜けの「カフェくさか」の音響〔残響2秒〕以上のところはないですから、電気ピアノでちょうどよいのです。
昨日のライブ終了後、私の行きつけの居酒屋、ライオン通りの、『だいこく』にご案内し、美味しい瀬戸内の魚の刺身定食をいただいて、自宅に帰りました。
暑さは一段落だったのですが、雨が降ったりやんだりで、湿度が高かったのですが、久しぶりに、五番町通りをブラブラと歩いて帰りました。
コンビニが四国に上陸したセブンイレブンに変わっているところが結構ありましたので、頑張っているな、と感じましたが、これは、夜だったために気づいたのです。
午前中ならば、うどん店ばかりですので、コンビ二は、高松では霞んでしまうのです。
困ったことですが、高松はうどん県の県庁所在地ですから仕方ないですね(笑)。それに、美味しくて安いですからね(笑)。
それにしても、島根県では大雨で被害が出ているのに、香川県は水不足で困りますね。どうして雨が降らないのでしょう。
このままだと、第四次取水制限になって、水道の水圧が下がるだけでなく、断水の時間も加わりますので、私は慣れていますが、困りますね。
コラボ相方の山本君の話では、ゲイの私とコラボをすることは恥ずかしいことだ、と、非音楽的な評論をする男が東京にいるそうで、困ったことだと思っています。
そんな若者は、香川県にはいませんが、東京は、犯罪者予備軍も多く住んでいますし、緑も少なく、うどんも不味く、環境が悪いのでしょうね。
ともあれ、2ちゃんねる創設者の西村博之が、麻薬特例法違反(あおり、唆し)幇助(ほうじょ)の疑いで、検察庁に書類送検されたそうで、めでたいことです。
まあ、2ちゃんねるは、バスジャック事件などを引き起こした、犯罪の巣窟ですから、叩けば、ほこりが、わんさか出てくると思いますから、なるようになればよいのです。四国人の私にとっては海外のことですから、どうでもいいのです。
21世紀になっても、ゲイを差別する阿呆が、東京には生息しているようなので、新幹線は、絶対に四国に来ないでもらいたいものですね。
チャイコフスキー、プーランクなどは、全員、ゲイでしたが、素晴らしい作曲作品を残していますので、ゲイを差別する物体は、チャイコフスキーの「白鳥の湖」やプーランクの「フルートソナタ」以上の傑作は作曲できるのでしょうね。
是非是非、頑張って、チャイコフスキーの「白鳥の湖」やプーランクの「フルートソナタ」以上の傑作を作曲してから、ものを言いましょうね(笑)。
チャイコフスキーの「白鳥の湖」やプーランクの「フルートソナタ」は、ゲイの作曲作品だから、気持ち悪い、という人は、先進国の音楽家や聴衆には一人もいませんよ。
もちろん、作曲や演奏をまっとうに出来なくても、人を妬んだり蹴落としたり陰口を叩くことは出来ますから、そのようになさればいいですけど、本当に、無駄な時間を過ごされていることには、死ぬまで気づかないことでしょうね。ご愁傷様です。
掲載写真は、昨日の、「カフェくさか」コンサートでの、「ヒコ & ヒロ」の演奏風景です。

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