2012年09月10日
正しい日本のあり方について

まずは、阿呆な民放放送局のコメンテータが、間違えた言葉遣いをしている点について、ご案内したいと思います。
第一に、勝ち組、と、負け組、について。
この用語は、統計学の標準偏差値に関する用語で、勝つ傾向の強い集団を「勝ち組」、負ける傾向の強い集団を「負け組」、というのが、本来の正しい意味です。
従って、「あなたは、負け組です。」「私は、勝ち組です。」「あの企業は、負け組です。」「あの法人は、勝ち組です。」という文章は、全て、間違いです。
統計値なのですから、固有の対象物に対して、「勝ち組」「負け組」、というレッテルをはることは出来ないような、日本語なのです。
いやしくも、TV放送局の番組に出て、文法的に間違えた言葉遣いを平気でするアナウンサーが増えていることは、由々しき事態ですね。プロならば、カメラ目線にだけこだわっているような、素人出演者と同じようなことをして、恥ずかしくないようになっていますので、人材的に、民放放送局は、おしまいが近づいているようですね。
さらに、詳細に説明するならば、経営上の勝ち負け、というのは、スポーツやギャンブルの勝ち負けではなく、必ず、時間軸を考えなくてはなりません。
このようなことは、経営学や会計学の基本中の基本ですが、損益計算書上の勝ち負けというものは、明日の飯代を稼げるかどうか、という超短期の時間軸の上にあるものですから、「企業は倒産してはならない。」というあたり前の常識にたてば、貸借対照表(バランスシート)上の長期的な指標においてどうなっているか、ということが問題なのです。
そして、通常、長期と短期の境目は、数百年ですので、創業者が生きているうちに判断できるものではないのです。
コスパ(コストパフォーマンス)という言葉が流行っているようですが、コストなどは、損益計算書上の言葉ですから、このようなものが取りざたされているということは、税理士風情が、企業の経営に口出しすることと同様、世も末の出来事なのです。
なぜなら、税理士は、企業活動の結果を計算すること、つまり、過去の出来事に集中している人達なのですから、そのような人達に、経営している会社の未来を予測することなどは、絶対不可能なのです。
コスト意識などは、家計を預かる主婦でも持っている、初歩的な常識ですから、経営者が持たなくてはならないことは、対費用効果ではなく、対投資効果なのです。
コストパフォーマンスを考える時間は無駄ですので、バランスシート上の、ポートフォリオパフォーマンス、こそ、考えるべきなのです。
企業の公共性やコンプライアンス遵守が問題視されるのは、貸借対照表(バランスシート)上の長期的な観点におけることです。
倒産しても一向に構いません。どんどん倒産したらいいです。計画的に倒産したら金儲けが出来ます。等という発想は、明日の飯代を稼ぐためなら何をしてもかまいません、ということですから、オレオレ詐欺と同水準の、目先のお金に惑わされた、物欲の塊の下等動物のやることなのです。
六本木ヒルズ族に代表される、IT成金は、全員、下等動物ですので、経営上の指標として第一番に考えることは、損益分岐点分析ですが、このようなものは、明日の飯代が稼げるかどうか、という程度のことですから、全く夢や理想のない下劣な人間のやることなのです。
常識的なことですが、企業にとって、一番大切な経営指標は、従業員一人あたり年商です。これで、その企業の従業員の活性度は全て判断できます。
これは、とても簡単なことで、年商を、正社員だけでなく、派遣も契約社員もアルバイトも足した従業員数で割り算をすれば出てくる数値です。
この数値が、1億円を超えている企業が優良企業で、1000万円以下ならば、その集合体は、倒産に向かっている、ということです。
株式の価格は全く関係ありません。株価などは、例えば製薬会社の新薬開発のような突発事件に左右される程度のものですから、何のあてにもなりません。
もちろん、以上のような、従業員一人あたり年商分析は、正しい競争にさらされている法人に関することですよ。
原発をどしどし活用している電力会社、電電公社出身のNTTグループなどの、人間のライフラインを握っている会社は、この値は1億円を超えているからです。
が、まあ、このあたりの人間の命を人質にとっているような法人は、人間が経営してはならないものなので、無視しましょう(笑)。
続いて、リストラ=解雇、という間違えた意味が日本で確立されてしまった背景について。
restructure、という動詞は、構造を改革する、という意味です。
アメリカから入って来た、リストラ(企業再構築)を一番最初に取り入れた日本国内の企業は、1970年代の三和銀行〔その後、金融機関は離合集散しましたから、名前は変わってしまいましたが〕でした。
メーカーと違って、金融機関と商社は、工場や機械などは皆無でしたので、構造は従業員でしたので、三和銀行は、長期解雇計画を立ててそれを実行しました。
その結果、従業員にたくさんの精神病患者を輩出したため、リストラ=解雇、と誤解されるようになりました。
まあ、このあたりを勉強不足のまま、コメンテータが騒いだので、誤解されたまま広がりました。
「リストラ」という言葉が定着したのに、「長期解雇計画」という言葉が表に出なかったことは、大問題ですね。
今こそ、国会議員や東京電力の「長期解雇計画」による、解雇のソフトランディングの必要な時ではないか、と、私は思っています。
解雇のソフトランディングためのライフプラン研修や、キャリアディベロップメント研修があるのですから、このあたりを、国会議員や東京電力の従業員に対して実行することが必須でしょうね。
被災から一年半もたっても、いまだに東北地方の瓦礫が処理できていないことは、全て、永田町の責任ですし、外交問題へのお粗末な対応や国防問題への認識が全くなかったり、エネルギーや原発問題の長期的なビジョンも打ち出せない、今の永田町も、瓦礫だらけのようですから、東北地方の瓦礫と一緒に、消えてもらいたいものですね。
解雇されることを怯えて、維新の会に頼るような国会議員は、ただの金の亡者の哀れな無能者ですから、自分のキャリアディベロップメントが出来ないのならば、引退すればいいのですが、その程度の決断も出来ないような人達ばかりだから、東北地方の瓦礫も片付かないし、オスプレイの問題に対しても明確な考えが確立出来ないのです。
ただし、解雇するくらいなら、最初から採用しなければいいのです。倒産するくらいならば最初から創業しなければいいのです。
が、日本国が倒産するわけには行かないのですから、倒産する前に、永田町の組織をリストラクチャードすればよいのですから、無用な国会議員を解雇すればよいだけのことなのです。
国会議員を解雇する権利は国民にありますので、次回の選挙は、国民が国会議員を、正しい判断でリストラクチャードするような考えで臨まないといけないのですね。
主権は国民にあるのですから、今こそ、国民は感情的にならず、お金で何でもするようなマスコミの民放局のような下劣な物体には惑わされずに、理性的、客観的に判断して、選挙行動でそれを示せばよいだけのことです。
投票率は確実に低下すると思いますが、その低下がひどいようならば、いよいよ、日本は終末が近いということでしょうね。
今度の選挙の投票率が著しく低下し、もしそうなったら、責任は国民にあるのですから、仕方のないことですね。
平家物語の冒頭の次の文章は、普遍的な事実を示しているのですから・・・・・。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。 」
掲載写真は、那須与一の矢に扇を射抜かれて負けた高松市屋島の源平合戦の古戦場戦そばの、船かくし園、と呼ばれる浜辺です。
ここで、負けた平家は、船をこの砂浜に埋めて跡を隠して、阿波池田方面に落ちていったため、この遠浅の浜辺には、「船かくし園」という名前がついています。

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2012年02月24日
新幹線はいかんなあ!
新幹線が通るとろくなことがありませんね。
昨日の、渋谷での74歳の精神異常者による、通り魔事件には、呆れ返りました。
新幹線が通ると麻薬密売人や暴力団も流通(笑)しますし、電気を浪費しますし、東京電力の拝金主義の経営手法も各地方都市の電力会社に広がるので、ろくなことはないのですが、幸いにも、私が死ぬまで、絶対に新幹線は四国に来ないので、ほっとしています。
74歳の精神異常者の外泊を許した福岡の病院の責任が追及されていますけど、九州新幹線が通っていなかったら、このようなことは絶対に起こらなかったのですから、平和な地方都市は、是非是非、新幹線が通らないように、通っているところは廃止させるような運動をすべきですね。
不便だ、なんて何を言っているのですか。人間の命のほうが、便利さよりもはるかに大切なことなのです。
弥生時代にも人間は生きていたのです。陸路は歩けばいいのですよ。海は、船で渡っても泳いでもよいのです。怠惰で自堕落な生活は、人間の感性を摩滅させるのでいけませんね。
大体、私が生業にしている、作曲は、新幹線なんかなくても、出来る人は出来たのです。J.S.バッハは新幹線に乗ったことがないのですけど、新幹線に乗っている日本の作曲家で、J.S.バッハ以上の才能のある人は皆無ですね。
新幹線が通っていないと仕事がなくなる作曲家や演奏家は、いてもいなくてもよい程度の才能しかないのですよ。アーティストは全員、もうちょっと、謙虚になって、お金儲けから足を洗わないといけませんね。
宮崎県に新幹線が通らなかったことは、ですから、とてもとても、素晴らしいことなのです。
さすがに、東国原英夫前宮崎県知事は先見の明がありましたね。私は高校時代に宮崎県に旅行に行ったときの記憶が鮮明に残っていますが、素晴らしいところでした。
また、行ってみたいですね。
今後、私の行きたい国内旅行先は、新幹線の通っていないところに決めました。そういう場所ならば、作曲のモティーフになる霊感があると私は思っています。
東京に一極集中している中央集権体制から、地方分権にしないといけなくなりましたが、日本の霞ヶ関の官僚は気づくのが遅いですね。
霞ヶ関の官僚は、全員、J.S.バッハのマタイ受難曲を毎日聴きましょう。聴覚は少し改善されるかもしれませんからね。
まあ、これまでの、国政での先送りのつけが来ているのでしょう。当分の間、新幹線の通っている都市は、麻薬と通り魔から逃れることは出来ないでしょうね。
私の生まれ育った香川県出身の弘法大師は、高級官僚だったのです。今の霞ヶ関に、弘法大師以上の命がけの政策推進の気概はないようですから、どうしようもないですね。
第一、平安時代当時、遣唐使で先進国の中国へ勉強に行くのは、命がけだったのです。東日本大震災の被災地についても、自衛隊のヘリコプターから、高見の見物をしているようでは、お話にならないのです。
総理大臣や高級官僚や東電のトップは、被災地まで、放射線の防護服なんか着ないで、歩いてゆきなさい。
2011年05月03日
高松市丸亀町商店街再開発アーケードの完成

全国的にも有名になった、高松市中央商店街再開発の中心の、三越高松店前の丸亀町商店街再開発について、ステンドグラス風のドーム天井に続き、全天ガラス張りの、五階建ての素晴らしく明るいアーケードが、完成しました。
紀伊国屋書店、世界中のブランド、讃岐うどん店、骨付き鶏店、白い鯛焼き屋、八百屋、百円ショップ、銀行、など、生活に必要な全てのお店がそろい、三越高松店から伸びる丸亀町商店街A]街区の両側高層階は全てマンションになりましたので、団塊の世代以上の高齢者を中心に、歩いて全てがそろう、町の中心に移住する人が増え、人口は2割ほど増えたそうです。
また、団塊の世代以上の高齢者のために、病院やクリニックもマンションの中にオープンしましたので、歩いて5分ほどで瀬戸内海のそばのJR高松駅や、料理の三鉄人のお店の入った、30階建てのサンポートタワー、全日空ホテル、桜の名所の高松城跡の玉藻公園、農協、漁協も近いので、とても住みやすい中央商店街になりました。
あとは、G街区に、東京の森ビルがやってくれば、丸亀町商店街再開発は、完成します。
私は昨日、家からも近いので、ブラブラして来ましたが、それにしても、全天ガラス張りのアーケードは素晴らしいですね。春の暖かい太陽の光がサンサンと降り注ぐので、とても気持ちが晴れやかになります。お店の周囲には、満開のツツジなどのお花が一杯なので、道行く人はみんな、春を満喫していました。
春夏秋冬があってこその日本なのです。どんなに文明が発達しても、自然と共生しないといけないのです。こういう風景を見るにつけ、福島県の原発事故は、文明が万能だと思い上がっていた人間に対する自然の警鐘だと私は感じます。
掲載写真は、順に、高松市丸亀町商店街の、完成した、5階建ての全天ガラス張りアーケード、町のあちこちに咲き誇る春のお花から、ツツジ、マーガレット、パンジー、です。
いい季節になりましたね。



2011年04月12日
春爛漫の高松

今日もまた、高松は、快晴、春爛漫で、桜が満開でした。
私はお昼ご飯に、近所の行きつけの「さぬき麺市場」へ、自転車で食べに行きました。
途中、桜の名所の郷東川の河川敷を通りましたが、満開の桜があまりにも美しいので、しばらく、眺めてしまいました。
そう言えば、晩年の母は、お花見に栗林公園まで行けなかったのですけど、ここ、桜の名所の郷東川の河川敷は近所なので、よく連れて来たよなあ、と、思い出しましたが、私の住む西宝町は桜の名所なのでよかったなあ、と思いました。
そして、「さぬき麺市場」では、いつものように、大好きな、かけうどん(180円)、と、びっくり鶏天(100円)〔しめて280円〕をいただきました。かけうどんの上には、取り放題のレモン、別皿に取った、びっくり鶏天の上には、取り放題の大根おろしをたっぷり載せて、高知県の名産品の、ユズづくし、を、その上にかけて、素晴らしい君あわせでいただきました。
それにしても、東日本は、余震が頻発していて大変ですね。東北地方から関東地方あたりまでが、全滅するまで、この、地震は続くのでしょうか。
高松でも、ボックスティッシュペーパーの在庫がギリギリのようで、スーパーなどでも、愛媛県の大王製紙のものしか、売っていませんし、コンビにもタバコも1カルトン売りはしていません。
また、納豆は、もともと、高松人は好きではないので、大した問題でもないのですが、どこのスーパーもほとんど置いていませんので、転勤族の皆様は、文句を言っていました。
ところが、今日、うどんをいただいた帰りに、コープ扇町支店に寄ると、ボックスティッシュペーパーの在庫が増えていたので、それを買ってからぶらぶらしていたら、納豆が大量に入っていたので、「おお、久しぶりだな。」と感じて、思わず、買ってしまいました(笑)。
本当に、今回の件で痛感したのは、自給自足が出来ない地域、地産地消の出来ない地域は、サバイバル出来ないだろうな、ということです。四国高松は、讃岐豚の名産地ですし、瀬戸内海の島などには、牛を放牧しているところもありますし、何より、瀬戸内の魚や貝がたくさん採れますし、三豊市のレタスは日本一、飯山町の桃、葡萄、みかん、そして、JA香川県が作っているお米の主力は、「はえぬき」ですが、とても美味しくて、大丈夫です。
また、讃岐うどんの材料になった、塩、小麦、だしになるイリコは、昔からたくさん採れますし、江戸時代に、四国霊場八十八ヶ寺巡礼に、鹿児島から来て、香川県で行き倒れになっていた人を助けたことに感謝された鹿児島の人が教えてくれた、製糖技術を大切に発展させたので、和三盆の名産地でもありますので、人口100万人程度ですから、香川県は、自給自足できます。
今回被災した東北地方も、もともと自給自足できるキャパを持っていましたので、復興すれば大丈夫なのですが、問題は、東京都ですね。地産地消などは、夢のまた夢でしょうし、最終的に、地方出身者が全員郷里に帰ったらどうなるのでしょうね。
この先、地方都市同士の、首都圏を経由しない交流が盛んになれば、東京都の存在意義は希薄になることでしょう。
東北地方の皆様は四国地方の皆様同様、暖かく、恩をあだで返すことはありませんので、しっぽくうどんなどの炊き出しを受けた恩は、絶対に忘れないと思いますよ。
まあ、東京都民には、秋葉原で無差別殺人をしたり、麻薬にうつつを抜かしたり、人の作った会社をM&Aすることにうつつを抜かしている六本木ヒルズ族のようなものが含まれますので、信用の置けない皆様ですし、永田町あたりでは、政治家が足の引っ張り合いをしているのですから、お話にならないのですよ(笑)。
食料については、地方都市の足を引っ張らないよう、東京都は、節電、節約生活をしていただくしかないでしょうね。だって、何も、自ら食料を生産できないのですから、その程度のことはしていただかないといけないのです(笑)。
掲載写真は、お昼ごはんにいただいた、「さぬき麺市場」の、『かけうどん』(180円)、と、『びっくり鶏天』(100円)〔しめて280円〕、です。