2013年12月27日
クリスマスプチバーティー


私のファンクラブ会長のM女史から電話があったのは、一昨日、12月25日の朝でした。
12月21日(土)の高松市林町のカフェクサカでのクリスマスコンサートに聴きに来てくださった後、私のファンの、東京出身の高松市議会議員のN氏、自動車ディーラー社長夫人のK女史と一緒に、夜中まで、お茶をしましたので、ご高齢のM女史のお嬢様が他界されたショックから立ち直られたので、安心はしていました。
が、長いお付き合いなので、最初の声の音程で、ただ事ではないことがすぐにわかりました。
彼女からの申し出は、高松の知られざる素晴らしいパティスリーの作ったクリスマスパーティーを仲間内で集まって一緒に食べましょう、とのことでした。
私自身、二人で暮らしていた母を介護して看取って喪主をした経験からわかるのですが、49日までは、満中陰志の準備などでバタバタしていて、その少しあとは、母の死亡を知らなかったということで、お参りにいらっしゃる方方もいたので、気がまぎれているのですが、百ヶ日前後になると、母と二人暮らしでしたから、母が亡くなって一人になってしまったことが身にしみてきて一番辛い時期でした。
M女史のご希望は、次のようなことでした。
去年までは、クリスマスケーキを買ってお嬢様のところへ届けるとことが年中行事になっていたのに、もう、それも必要ないと思うと、クリスマスイブにケーキを食べる気がしなかったんだけど、私を含む仲間内の人たちと一緒に、美味しいケーキを食べたい、とのこと。
私は、すぐにOKしました。彼女の家にはピアノがあるので、私がBGMを演奏すればいいのだと思いましたから。
こうして、M女史の家で、夜7時から、プチクリスマスパーティーがありました。
こうして、テノールのてっちゃんご夫妻、自動車ディーラー社長夫人のK女史、高松市通町の奥様、私と、M女史の6人で、プチクリスマスパーティーがありました。
M女史の希望で、少人数になったのですが、それだけに、素晴らしいパーティーでした。
私が母をなくしたときも辛かったのですが、子供を先に亡くした親のほうがはるかに辛いだろうと思いましたので、私は、ご不幸のことも知りませんでしたし、周囲の友人からお聞きした後も、お悔やみを言いに行くことが出来ませんでした。
あまりに懇意にしている方の場合は、こうなりますね。
私は、ピアノに向かい、肩の力を抜いて、クリスマスパラフレーズなどをいろいろ演奏しました。
素晴らしく美味しいケーキでした。和菓子専門店から発展したお店だそうですが、和三盆を使っているので、とても美味しかったです。
こうして、静かに、豊かな気持ちで、クリスマスを過ごせました。とてもとても、感謝しています。
掲載写真は、一昨日の夜の、プチクリスマスパーティーでのひとコマ、です。
向かって左から順に、自動車ディーラー社長夫人のK女史、私の高松ファンクラブ会長のM女史、高松市通町の奥様、私、シアトルから嫁がれた、テノールのてっちゃんの奥様、です。〔てっちゃんは、カメラマンだったので写っていません。〕

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タグ :ピアノ演奏
2013年10月05日
ラフォンテーヌ・田所氏、との出会い


ここのところ、山本君とのコラボ活動を、高松市内で、いろいろと広めているところです。
というのも、私が37歳だった1994年に、東京から高松へUターンした目的は、母の介護でしたから、自分の作曲やピアノ演奏、特に、室内楽やコラボのジャンルのキャパシティについて自分からPRしなくても、東京にいた当時に培った人脈、特に、早稲田大学政経学部の、故.堀家文吉郎享受研究室卒業のお陰で出来た、マスコミ関係の友人や、香川県立高松高校卒業のお陰で出来た、岡山、香川、の官公庁やJAなどの管理職との人脈で、山陽放送等のTV出演、イベントでの出演、ミュージカルの作曲、CD収録等、いろんなことが自然発生していましたので、自分からのPRは何もしていなかったのでした。
だって、ピアノは3歳から、作曲は11歳から、ライフワークとしてやっているのですから、生きているだけで、PRになっていますし、自分の作曲作品は自分自身ですから、それをPRするなんて照れ臭くて出来ませんでした(笑)。
2006年に母が他界して一周忌を終えた2007年に香川県庁からの依頼で、母が大好きだった県立公園の栗林公園庭園コンサートでの母の追悼作品のピアノ曲の作曲、出演、CD収録や、JA香川県の友人に頼まれた、ミュージカルの作曲と出演が終わった頃、自然発生した、私の高松ファンクラブの方の知人が「カフェくさか」のオーナーだったことから、そこのライブ出演で出会った若い〔といっても、私はもう56歳ですから、新たに出会う見知らぬ人の大半は、年下に決まっているのです(笑)。〕アマチュアアーティストの皆様の紹介で、丸亀の「ルフラン」出演までは、自然に推移していただけでした。
が、「カフェくさか」で出会った、コラボ相棒の27歳の山本君に影響されたため、最近では、自転車で高松の街中を移動する時の視点が変わりました。
以前は「新しい美味しい讃岐うどん店が出来ていないかな」という、食欲全開の、板前だった祖父直伝の視点で高松を見ていました〔食欲は、本能の一つですから、死ぬまで続くと思いますけど(笑)〕が、最近は、いいライブハウスはないかな、という視点に変わりつつあるようです。
菊池寛通りの「ラフォンテーヌ」というお店のライブ出演者募集のポスターを見たのは、山本君と私の自宅でR&Bのナンバーなどを合わせた後、お魚の安くて美味しい高松市中心部のお店をご案内するために、彼が尊敬するシンガーソングライターの米倉利紀さんの写真を飾る額縁のいいものを売っている店として、私の旧知の、丸亀町商店街の「寺下額縁店」まで、自転車で一緒に向かっている途中のことでした。
「寺下額縁店」を紹介しようと思ったのは、私が幼少の頃から、この店の入口に、モネの『睡蓮』などの、印象派の絵画の模写の入った額縁を飾っていたからです。何でも、山本君の話では、米倉さんという方は、自分の顔形に自分が惚れているナルシストだ、とのことでしたので、その人の写真を飾るのなら、印象派しかないだろう、と、確信したためでした(笑)。
とてもいい額縁があって、彼が気に入って買ったのでよかったのですが、私の頭の中は、宮脇書店本店の隣のこの場所から近いところなら、百間町の「篠乃路(しののじ)」のお魚ランチか、北浜の「高松東部漁協」のお魚ランチが、600円くらいだから、そこにしようか、なんて、ことで頭の中が一杯でした。
ですから、ライブハウス「ラフォンテーヌ」のポスターなんて、全然、気にならなかったので通り過ぎようとしたところ、彼に厳しく止められて下見に行ったのでした。
一年位前のことでしたが、その日お店はしまっていたので、その後は、私が近所を通るたびに、チェックしていましたが、昨日、初めてオーナーの田所さんと会ってお話でき、同窓生の、丸亀町商店街振興組合理事長の古川君も出演したこと、早稲田の大先輩の丸亀町商店街振興組合前理事長の鹿庭氏の息子様と田部氏が四番丁小学校同窓だという地縁関係も確認できましたので、今日の夜、早速出演することになりました。
私はピアノ演奏はアマチュアですから、決まったらすぐ出演、というのが、いいですね。決まった後、遅くなるのは、お金が絡むためなので、非常によくないなあ、と感じています(笑)。
ネットが発達した今日では、ヤフーで検索すればすぐなのでしょうけど、そういう捜し方をしていると、出会った時の深い驚きに満ちた感動が希薄になりますので、高度成長の見込めない、消費税も上がる予定の今日ならば、深い驚きに満ちた感動を大切にした方がよいのかもしれませんね(笑)。
その後、電話連絡で、10月10日(木)の夜、8時から、bardi musica「レトロ」、での若い音楽仲間の集まりに呼ばれましたので、自然に、つながりは広がっているのでいいですね。
それにしても、消費税値上げ予定の便乗値上げが順調に推移しているようですから、着実に世の中は崩壊に向かっていることは困ったことですね。
お米の値上げには、呆れております。新潟から取り寄せていたお米が値上げになったので、私は、高松高校同窓生の、JA香川県総務部長のI君に電話して、つきたてのお米10キロ3000円で持ってきてくださることになったのでよかったです。
マルナカは、イオンに吸収されたので、品質が向上したので、これもよかったですね。昨日は、ネスカフェのボトルアイスコーヒー900mlが、98円でしたので、ラッキーだと思って、5本購入し、QBで、1000円でスキンヘッドにしてもらって、帰宅しました(笑)。
スキンヘッドでドビュッシーの「映像」を演奏すると、顔のブサイクなぼくでも、目立つのでよいのです(笑)。
さてさて、昨日の昼飯は、またまた、南新町の「綿谷製麺・高松支店」で、讃岐牛が山のように載って温泉卵も載った「肉うどん」〔小ですが、ここは、他の店の1.5玉ですから、大は食べ切れません〕(350円)を、キツネ寿司(小)〔80円〕(大は160円ですが、お米が3合ですから、とてもとても食べきれないのです。)と一緒にいただきました。
ものすごい行列でしたが私は早めに行ったのでよかったです。で、出たところで、入店しようとしているおばあさん3人連れから、いつものように声をかけられました。(このあと、〔〕内は、共通語の意味です。)
「なんがでっきょんな。」〔こんにちわ〕
「なんちゃでっきょらんけど、どっしたんな。」〔こんにちわ。どうかなさったのですか。〕
「席がまんでがんつまっとるけん、入れんのやけど、このそばに美味しいうどん屋ないなあ。あそこに見える『うどん棒』はどうかいのう。」〔この店、満席なので入れないんだけど、この近所に美味しいうどん屋ありますか。あそこにすぐ見えている「うどん棒」は、どうですか。〕
「『うどん棒』は、うどんの麺が伸びるんで有名やけど、伸びても量は変わらんけどかんまんのな。ユズの香りがええけど、値段が高いで。あそこは、夜、食べに行くところでっせ。」〔〔うどん棒」は、うどんの麺が伸びますけど、伸びてもうどんの量は変わらないのですけどいいですか。ユズの香りがいいですけど、値段が高いですよ。あの店は、夕食時に食べに行くうどん店なのですよ。〕
「お昼やけん、高いんはいかんいかん。」〔お昼ごはんに、値段の高いお店は、ダメですね。〕
「ほんだら、菊池寛通り渡った、南新町のアーケード下の向かって左側に『冷たいかけうどん』の美味しい『うどんや』、と、向かって右側に、『古代米のお餅の天麩羅のトッピング』の美味しい『たもや・女道場店』があるけん、そのどっちにするか決めまあせ。」〔でしたら、菊池寛通りを渡っても続く、南新町のアーケードに入ってすぐの、向かって左側に『冷たいかけうどん』の美味しい『うどんや』、と、向かって右側に、『古代米のお餅の天麩羅のトッピング』の美味しい『たもや・女道場店』がございますから、そのどちらにするかお決め下さい。〕
「そら、お餅の天麩羅を熱いうどんに載せたら美味しいやろうのう。」〔そうですか。お餅の天麩羅を温かいうどんに載せたら美味しいでしょうね。〕
「ほんだら、350円くらいするけど、かまんな。」〔でしたら、350円位のお値段になりますけど、よろしいですか。〕
「かまんかまん。3人で食べても1000円ちょっとなら安いで。お餅の天麩羅言うたら、正月みたいで楽しみやのう。」〔いいですよ。3人でいただいても1000円ちょっとなら安いです。お餅の天麩羅をいただくなんて、お正月みたいで楽しみですね。〕
「不景気の今やけん、正月気分はええで。ほんだら、『たもや・女道場店』にしまあせ。あそこの店員は、若いおなごの人ばっかりやけん、サービスもええで。」〔不景気ですから、お正月気分になれる『たもや・女道場店』になさったらいいですよ。店員は、若い女性ばかりですから、サービスもいいですよ。〕
「ほんだらそうするわ。ほんだけど、『綿谷製麺・高松支店』はなんでこんなに混んどんな。」〔でしたらそうします。だけど、『綿谷製麺・高松支店』はどうしてこんなに混雑しているのですか。〕
「『綿谷製麺・高松支店』はのう、うどんの小が、1.5玉で、温泉卵と牛肉が山みたいに載った肉うどんが、350円やけん、昼は、いっぱいなんや。豚肉に変えたら肉の量は倍になるけん、ようけ食べたい若いサラリーマンで一杯なんや。ほんでからに、食後のコーヒーは、食後の、冷たい特小うどんが、さっき言うた『うどんや』が80円やけん、この近所で働っきょるサラリーマンの昼食は、冷たいコーヒーの代わりの冷たいかけうどん付で430円やけん、幸せなんやとう。わしは56歳やけん子供の頃は、かけうどんは、60円が普通やったけん、もう、ぜーんぶ高うなってしもうたけんいかんのでぇ。見てんまあせ。東京から来た『吉野家・南新町支店』はガラガラでしょうが。牛丼280円は高松では高いんでっせ。卵も別売りやし、汁もの味噌汁も別売りやし、そらもう、『綿谷製麺・高松支店』の勝ちに決まっとりまっせ。厳密に言うたら、『吉野家』のオーストラリア牛と、『綿谷製麺・高松支店』の讃岐牛の勝負やけん、話にならんのや。」〔『綿谷製麺・高松支店』は、うどんの小が、1.5玉分で、温泉卵と牛肉がたくさん載っている肉うどんが、350円ですから、昼時は、満席なのですよ。牛肉を豚肉に変更すれば、お肉の量は2倍になりますから、たくさん食べたい若いサラリーマンで満席なのですよ。しかも、高松では、食後のコーヒーは、食後の冷たい特小うどんですから、先程申し上げた『うどんや』が80円ですから、この近所で働いているサラリーマンの昼食は、アイスコーヒー代わりの冷たいかけうどん付で430円ですから、いいなあ、と周囲ではもっぱらの噂なのですよ。私は56歳ですが、幼少期、かけうどんは、60円が普通でしたから、物価が上がってしまったのでよくないですね。東京から来た『吉野家・南新町支店』にほとんど客がいないのはご覧になると明白です。牛丼280円は高松では高いのです。卵も別販売で、汁ものの味噌汁も別売ですから、『綿谷製麺・高松支店』の勝ちに決まっています。さらに、『吉野家』のオーストラリア牛と、『綿谷製麺・高松支店』の讃岐牛の勝負ですから、お話になりませんね。〕
「肉うどんは、おたしは、とっしょりやけん、むつごいけんいかんいかん。混んどってよかった。よっしゃ、お正月気分になりに行くわ。」〔肉うどんは、年配者の私は、脂肪が多いので苦手です。混んでいてよかったです。では、お正月気分のお店に参ります。〕
「ほんだらそうしまいのう。」〔では、そうなさって下さい。〕
「ほんまに有難うの。」〔どうも有難うございます。〕
「何、水臭いこと言いよんな。美味しいうどん屋紹介出来たけん、嬉しいんはぼくでぇ。さようなら。美味しいお昼ごはんを。」〔そんなことおっしゃらないで下さい。美味しいうどん屋をご紹介出来、私は嬉しいです。さようなら。美味しくお昼を召し上がって下さい。〕
※ この一連の会話で明白ですが、短縮言葉の多い、讃岐弁は、共通語に比べて、短時間で意思疎通が出来るのです。
掲載写真は、「綿谷製麺・高松南新町支店」の『肉うどん』、です。

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2013年09月30日
直近の高松でのコンサート案内


この10月~高松市内にて、いろいろなコンサートが入ることになりましたので、ご案内いたします。
ご都合のよろしい方は、是非、お越し下さい。
1.ピアノスナック「レトロ」、ピアノソロコンサート
日時;2013年10月2日(水)19:00~23:00
場所;ピアノスナック「レトロ」
住所;〒760-0034 香川県高松市内町3-22 TEL 087-821-6801
地図URL;http://loco.yahoo.co.jp/place/9d85e98b54767c462a0d8a592e58084b30162bdf/map/
料金;ワンドリンク以上オーダー(380円~)
主な曲目;岡田克彦作曲;ピアノ小品集
岡田克彦編曲;全世代メドレー
ショパン、ドビュッシー、シューマン、J.S.バッハのピアノ曲から数曲
ピアノ・作曲・編曲;岡田克彦
その他、ロック、ニューミュージック、カントリー、ジャズ、などオールジャンル
2.ワインバー「葡萄塾」「ヒコ&ヒロ」〔ボーカル;山本寛大、ピアノ・作曲・編曲;岡田克彦〕でのライブコンサート
日時;2013年10月18日(水)19:00~23:00
場所;ワインバー「葡萄塾」
住所;〒761-0301 香川県高松市丸亀町2-14-4 弐番街1号館4F TEL 087-823-1719 〕
地図URL;http://tabelog.com/kagawa/A3701/A370101/37005372/dtlmap/
料金;ワンドリンク以上オーダー(400円~オードブルもあり)
主な曲目;ショパンの作品から当日の湿度にフィットする調性の作品と、米倉利紀氏の、R&B作品から、「hands」「大丈夫!」等のアドリブパラフレーズ
他、ロック、ニューミュージック、カントリー、ジャズ、などオールジャンル
3.ライブ喫茶「Cafe Kusaka」「ヒコ&ヒロ」〔ボーカル;山本寛大、ピアノ・作曲・編曲;岡田克彦〕でのライブコンサート
日時;2013年10月19日(土)19:00~22:00
場所;ライブ喫茶「Cafe Kusaka」
住所;〒761-0301 香川県高松市林町2547番6 TEL 087-813-6084
地図URL;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html
料金;ワンドリンクオーダー(500円~)
主な曲目;ショパンの作品から当日の湿度にフィットする調性の作品と、米倉利紀氏の、R&B作品から、「hands」「大丈夫!」等のアドリブパラフレーズ
他、ロック、ニューミュージック、カントリー、ジャズ、などオールジャンル
「ヒコ&ヒロ」、以外の出演者;テノールのてっちゃん、三線のとしさん、等
これらのコンサートは、それぞれ、毎月1回ペースで続けてゆきます。
高松で生まれ育った私は、3歳の時から、故.石井ルリ子先生についてクラシックピアノを習得し、早稲田大学政経学部進学時に上京した東京で、大学時代から、故.小倉朗先生、故.座光寺公明先生について、作曲、和声学、対位法を完全にマスターし、大卒後、住友信託銀行で働く傍ら、日本アマチュア演奏家協会理事をして、室内楽演奏を、ずっと続け、カザルスホール室内楽オーディションをとったり、外務省チャリティコンサートをプロデュースしたりしていましたが、1994年に、母の介護のために高松にUターンしましたので、岡山県庁、倉敷市、香川県庁、JA香川県などから、の依頼でコンサートやコラボをいろいろ頼まれてやりましたし、山陽テレビに主演したり、瀬戸内海放送のピアノコメンテータ〔コメンテータ、って、いったいどういう意味なのでしょうね。私は全然わかりません。〕もやっていましたが、介護していた母も、2006年に脳内出血で他界し、一人暮らしになりましたので、東京の友人からの室内楽作品作曲依頼を受けて作曲した楽譜をお送りする以外は、あまり、演奏活動をしたいとは思っていませんでした。
が、今回の一連の高松市でのコンサートは、若い共演者〔といっても、私は56歳のじいさんなので、出会う演奏家の大半は、私より若いに決まっていますが(笑)〕に恵まれて、いろいろと刺激を受け、励まされたので、自発的に始めることにしました。
端的に言えば、老後の楽しみになっていますが、人前で演奏を披露する以上は、コラボでもソロでも、暗譜でやることは当然で、その程度の覚悟は持っていますし、私が、アドリブで出来るものならば、リクエストによる即興演奏もいたしますので、まあ、音楽の生演奏を楽しみたい方はいらして下さいね。
香川県飯山町の「ルフラン」からもお誘いをいただいていますが、遠いですから、気が向いたら行こうと思っています。
というのも、私にピアノを教えて欲しい、という若者が何人か出てきましたので、私は、そちらの方を大切にしたいと思っているからです。
お金の問題じゃないです。私の演奏を聴いただけで、「教えて欲しい」と言う人は、本気に決まっていますし、私のように3歳からピアノをやっている方は少ないので、相当、力を入れてあげないと失礼だと思っているからです。
もちろん、レッスンに必要な練習曲は、適当なものがなければ、メソッドを鍛えられるように、また、本人の好きな響きの作品を私が作曲して提供すればよいと思っています〔この程度のことは、ショパンやモーツァルトなどの過去の偉大な作曲家・兼・ピアニストはみんなやっていたのですから、それでよいのです。〕ので、そんなに演奏活動にばかり傾注できないことはご了承下さい。

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2013年09月03日
急に朝晩は涼しくなりましたね。


9月になり、急に朝晩は涼しくなりましたね。
今年の秋の訪れは、宮武修君の訪れでした。
そうなのです。宮武修君は仕事の終わった深夜に、私の自宅に会いに来るのですが、9月1日(日)の早朝、1時に、またまた、やって来ました(笑)。
まあ、普通の生活サイクルの皆様だったら、迷惑に思うのかもしれませんが、夜型で作曲をやっている私は、ちょうどいいので、どうもないのです。
もう、慣れましたので、夜中の0時過ぎにうちの呼び鈴が鳴ったら、私は、「宮武君なの。」と言って出てしまう癖がついてしまいました(笑)。
大阪で長く暮らして仕事をしていた彼は、義理堅く物堅いところがあって、絶対に私の自宅には入らないのです。
ぼくがゲイだとカムアウトしているので、『襲われる』と誤解されているのかもしれませんね。
でも、私は、ゲイの中でも、男に襲われたい、という100%受けなので、彼が、ぼくを襲いに来たのなら、大歓迎なのですが、ノンケで美しい奥様とお嬢様の3人暮らしですがら、そんなことはありえないのです。
いつものように、彼とは、すぐに、自転車で一緒に出かけて、近所の、香川県警機動隊の正門前の、香西線のバス停の「西方寺前」バス停のベンチで腰掛けていろいろ、おしゃべりしました。
彼は幼少期から趣味でレスリングをやってきたので、かなり声が大きいので、それが私の自宅の中で発せられると近所迷惑になる、との気遣いでしたので、今度は、昼間にうちにいらして下さいとお願いしました。
今回の彼の相談は、前回私がご案内した、電気ピアノのカシオの「Privia」を近所の電気店で見たのだけど、いっぱいあってわからなかったので、買いに行くときに一緒に行って欲しい、とのことでした。
私は答えました。
「その程度のこと、いつでも一緒に行くよ。大体7万円だと思っていればいいよ。まあ、ぼくの行きつけは、『エディオン・ゆめタウン店』で、店長もよく知っているから一緒に行きましょう。ただし、その前にうちに昼間に来て、ぼくの持っているカシオの『Privia』を触ってみて、確認した方がいいから。」
ということにしました。
「それにしても、急に朝晩は涼しくなったね。」と私がお話すると、彼は、
「レッスンをお願いする時には、それなりのレストランか喫茶店で会って、ちゃんとごちそうしないといけない。」
などと言うのですが、まあ、B型でガテン系の彼は、絶対にマイペースで、言い出したら絶対に聞き入れないことはわかっているので、
「じゃあ、お茶でいいよ。うちの近所に『TSUTAYA 西宝店』がオープンしたばかりで、その中に、『TULLY'S COFFEE』がオープンしているから、そこで、美味しいコーヒーをご馳走していただきますよ。」
と答えました。
彼は、すごくいい人と出会った、と、感激していましたけど、こういう出会い方は、東京では普通だったので、どうってことなかったです。
いろいろお聞きすると、私が、2007年10月の栗林公園庭園コンサートで演奏していた時、彼は、栗林公園のハスの花をデッサンしていたのだそうですが、ピアノの音が聞こえてきたので、聴きにいらしたとのことでした。
嬉しい出会いでしたね。来年、自作のピアノ曲や室内楽曲を出版する時には、表紙は、彼のデッサンにすることに直ちに決めました。
以前、出版した時には、東京で出会った美術家を目指している若者や、東京のAPA(日本アマチュア演奏家協会)で出会ったフルート奏者が表紙のデッサンを下さったものでしたが、今回は、これで行こうと思いました。
でも、宮武君は、「俺のデッサンなんてダメっすよ。岡田さんの作曲作品が汚れる。」
などと言っていたので、
「ぼくの作曲作品の楽譜の表紙なんて、作曲した僕が決めるよ。ぼくの判断基準は、全て、気分だから。君は、とても気分のいい男だから、それでいいんだよ。」
と言うと、爆笑していました。
これでいいのです。第一、作曲家が自分の作品の価値を、その楽譜の表紙のデザインで左右されるような自信がないのなら、出版する必要なんてないのですからね(笑)。
音楽は、音を楽しむ、と書くのです。
楽しくないものは、音楽ではないのですから、あたり前のことです。
そんなこんなで、9月10日前後の昼間に私の家に彼が来ることになりました。
で、昨日、カシオに電話して、「Privia」の状況を聞きました。
電気ピアノの安い購入にあたって、値切るような非芸術的な行動は全く必要ないのです。秘策があるのですが、まあ、それは、彼と一緒に買いに行ったときに、私が発揮すればよいだけのことなので、簡単なことです。もちろん、この秘策は、私は自分の気に入った人にしか開示しないようにしています。
掲載写真は、順に、タリーズコーヒー西宝店の入口と、オープンカフェ席、です。香川県のタリーズコーヒーもいろいろですが、タリーズコーヒー西宝店は、岡山の優良企業の、株式会社エルジオのやっているFCですから、とてもよいのです。
香川県は、うどん県ですから、うどん店を経営すればよいのです。下手に喫茶店に手を出したら、絶対に失敗すると私は思っています(笑)。

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2013年08月28日
宮武修君との再会

今日の早朝、午前2時のことでした。
自宅の呼び鈴が鳴ったので、私は、作曲していた手を止めて出ました。
すると、驚いたことに、8月16日の早朝、近所のミニストップで再会した、宮武君が立っているのでびっくりしました。
こんな真夜中の友人の来訪はないものなのですが、たぶん仕事の関係だろうと思いましたので、私は気にせずに、出ました。
すると、彼、こんな真夜中にお邪魔するのは申し訳ないけど、と謝りながら、一緒にファミレスでお話したい、とのことでしたので、近所のジョイフルに行きました。
彼の往訪の目的は、ご案内した、8月24日のカフェくさかのコンサートにいらっしゃれなかったことのお詫びで、お菓子を持っていらっしゃったのでした。
「そんな気にすることないよ。わざわざ、花園町から自転車でいらして下さって有難う。」とぼくは言ったのでしたが、何となく、ぼくに話したいことがある様子だったので、いろいろお話をしましたら、何と、
「岡田さん。俺、もう、48歳だけど、ピアノ始めたいので教えて欲しいのです。お願いします。」とのことだったので、またまたびっくりしてしまいました。
「いいよ。だったらさあ、この前、久しぶりに再会した時にいえばよかったじゃない。」
「そんな、いきなり、言えないっすよ。」
ただ、こういうことを、いきなり、自分の意志で明確に言う人は、絶対に、マイペースの人だ、と思ったので、私は、とても気に入ってしまいました。
ただし、生粋の高松人ならば、ここまでマイペースを貫けないだろうと思ったので、私は、早速質問しました。
「ぼくは、そういう風に、自分の既得権も何もかも捨てて、教えて欲しい人に教えてください、って言う正直な人は大好きだから、OKだよ。でも、そういうこと、はっきり言う人は、生粋のうどん県民じゃないと思うけど、君は、広島のご出身、っておっしゃっていたけど、ずっと高松で仕事してるわけじゃないでしょう。」
「はい。俺、大阪でずっと働いていたんです。高松はまだ日が浅いです。」とのことでしたので、納得できました。しかし、この思い切りの良さに、私は、スポーツマンシップを感じたので、聞きました。
「あのう、ぼくの直感なんだけど、君、スポーツやってるんじゃない。それも、かなり長くやってるように思うけど。」
「はい。俺、趣味でレスリング、ずっとやってます。でも、どうしてそんなこと、わかるのですか。」
「あのさあ、ぼくは、3歳の時からピアノやってるし、東京にいた頃に作曲と合わせて、室内楽演奏もいろいろやって来たんだよ。だから、君は、音楽畑の人じゃない、って直感したんだよ。音楽畑だけの人は、前置きが長いからね(笑)。これは、これまでのぼくの交友経験でわかるよ。君は、ピアノの演奏とは全く別の感覚で生きてきた人だよ。」
「だめっすか。48歳だと出来ませんか。」
「そんなこと全くないよ。ずっと続けるには、レスリングの方が、ピアノ演奏よりもはるかに根性が必要だから大丈夫だよ。48歳が遅いなんてことはないからやってみよう。曲は選んでやればいいし、それは、ぼくがアドバイスできるし、適当な曲がなければ、ぼくが作曲するからOK。ピアノ曲なんてすぐに書けるから。」
「そんなことまでしてもらうなんて、申し訳ないです。」
「申し訳ないなんて思わなくていいよ。ぼくは、ぼくの好きな曲を好きな時に書いているだけだから。その程度のこと、昔のクラシックアーティストはみんな出来たんだよ。ショパンもドビュッシーもラフマニノフもね。今、音楽大学の中が、演奏と作曲が専門別に細分化されているから、両方出来るピアノ教師がいないだけのことだからね。」
・・・・・・・
といった次第で、近日中に、今度は昼間にぼくの家へ来てやることになりました。
また、楽しみが増えました。
彼は、大酒豪で、日本酒が大好きだとのことでしたので、まあ、仲良くなってしまいました。
こういう、これまで生きてきた趣味が全く違う人との出会いは、最高に愉快ですね。でも、こういう出会い方が出来るのも、全て音楽のお陰なのですね。
本当に、作曲とピアノをずっとやって来てよかったなあ、って、改めて感じました。

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2013年01月27日
昨日のカフェクサカのフリーライブよかったです。

昨夜、高松市林町のカフェクサカでのフリーライブよかったです。
昨日は、朝からいろいろといいことがありました。
朝、近所のコンビニ・ミニストップへ行ったら、同世代のおじさん〔読んでいたらごめんなさい〕が、ぼくに話しかけて来たのです。
「岡田じゃないか。俺、誰かわかるか。」と。
よく見ると、目元がしっかり昔の面影を残していたので、あの、テノール歌手の、高松高校の同窓生で、彼は東京理科大学、ぼくは早稲田大学政経学部に進学したので、彼と大学2年のころ語らって、「ショパン愛好会」(後の「ピアノと遊ぶ会」)を結成した、尾路(おのみち)君だとわかりました。
「お前さあ、高松高校・昭和50年卒業会のみんなが心配してるぞ。自殺しそうだ、ってなあ。」
「アハハ・・・まだ生きてるよ。でも、あまり生きたくもないんだよな。僕、独身だし、母子家庭だった僕のたった一人の家族の母を高松にUターンして転職してまで介護して、目の前で看取るまで面倒見れたから、もういいんだよ。」
「バッカ、俺と一緒にいっぱい歌曲あわせたじゃないか。お前が死んだら悲しいぜ。」
母の介護が忙しく、彼とはもう二度と会えないと思っていたので、会えてすごく嬉しかった。とともに、もう会いたい人には大体会ったから、いつ死んでもいいな、なんて、感じてしまいました。
何だかすごく嬉しくなってしまいました。そして、家に帰って、夜のコンサートで、善通寺のボーカルのY君に電話して、彼も出演するとのことだったので、じゃあ、イーグルスの「デスペラード」をぼくのアレンジしたもので合わせようという事にして、急いで、カーペンターズがカバーしたものや、Y君おすすめの平井堅が歌ったものなんかを聴いて、これにぼくのオリジナルなものを加えたり、本番で、どこで、Y君と目線を合わせるかなどを15分ほどで決めました。
Y君は、大阪で新しい作品を作ってCDにしたそうでそれをカラオケでやる、とのことだったので、ぼくのピアノソロはジャズとショパンとドビュッシーを混ぜたものにして、Y君が27歳なので、ぼくが20歳前後にアレンジして弾いていた、「幸せの黄色いリボン」も久しぶりに入れました。こうしたまぜこぜにしてやることも決めて、カフェクサカのオーナーの日下さんに電話したら、新春初めてなので楽しそうなのでいいので、と、トリを頼まれました。
なら、サロンコンサートですから、最後に聴衆も巻き込んで一緒に歌おう、ということで、スマップが歌って大ヒットしているマッキーの作った「世界にひとつだけの花」をやるようにして二人のプログラム構成も決めて夕食を作って食べて待っていたら、善通寺から車でY君がやってきたので、私はコートを引っかけて、ソリストの意地で、楽譜など持たずに、手ぶらで載せてもらって、「カフェクサカ」にゆきました。
いつもは、テノールのてっちゃんがトリでオペラのアリアをやるのですが、今回は、ぼくとY君でしたから、大丈夫かな、と思っていたら、前半に、初出演の高松市の20歳代のとてもいいボーカリストがピアノ伴奏で、尾崎豊の「アイラブユー」を歌っていたので、ぼくは早速声をかけて、最後の「世界にひとつだけの花」の時に、前に出てきて一緒に歌ってね、とお願いしましたら、OKだったので、よかったです。
なんでだかわからないけど、56歳になった世代のぼくなんかと今の20歳代の若者は馬が合うんですよね。30代後半から40代は、全然、音楽的に共感できないことが多いんだけど・・・・・。
「歴史は繰り返す」と言いますが、今の20歳代の人たちは、30代40代のバブルの大量採用世代と違って、バブル前のぼくら同様、就職で苦労していますから、思いやり度は同質なのでしょうね。それが、音楽なんかの好みには如実に反映されるのです。
大体、モーニング娘やパフィーなんて、根っからの阿呆で音楽性ゼロなんだけど、これも、バブルの大量採用の悪影響なのでしょう。その代表が、どの曲も同じようなものをいっぱい作っている、小室哲哉あたりなのでしょうね。
とても評判がよかったのは、Y君との演奏中、視線を合わせるタイミングでした。こんなこと、サロンコンサートでは室内楽なんかでは常識なのですけど、これは、ピアニストも歌手も暗譜していないと出来ないのですよね。
視覚的なことについて、「イケメン」という言葉が流行っていて、Y君はイケメンなんだけど、音楽家としてのY君の評価は、完全に暗譜してピアニストのぼくの顔を見ながら歌う瞬間で決まるのです。
1989年に東京のカザルスホールのアマチュア室内楽フェスティバルで、クラリネットの春日君と、自作の「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディー OP.61」をやった時も、二人とも暗譜だったのでよかったのです。
春日君は、ステージ上をうろうろしながら吹いていて時々ぼくのピアノの鍵盤を覗き込んだり、難しいフラッタータンギングが出来たときには、ぼくが、やったね、って感じで彼を見たりしましたので、楽しかったし、聴衆も巻き込まれたのです。
なぜなら、人間の五感で一番強いのは、視覚だからなのです。
ところで、いつもぼくのピアノを聴きにいらっしゃる、高松市通町在住のおばあさまは、ぼくがベートーヴェンの月光の一楽章を演奏するのを聴くと、肩こりが治るそうなので、いつもリクエストされますし、昨日もリクエストされたのですが、演奏時に、ステージから、今日はベートーヴェンは演奏しない旨、お詫びを申し上げました。
ベートーヴェンの月光の一楽章に肩こりを治す効果があることは全く知らなかったので、とても、参考になりましたので、次回老健施設へ慰問演奏に行くときには、やろうと思いました。
終わったあと、Y君と二人で、ジョイフルで軽く夜食をいただきながら、この際だ、と思って、ぼくはゲイだ、とカムアウトしました。音楽の演奏仲間なら、よほど演奏が気に入らないことがない限り、それで嫌われることがないことを熟知していましたが、ノンケの彼は、全然気にしていませんでした。
ただ、彼の音楽の友人にもいっぱい、ゲイやバイの人がいる、とのことでした。そして、彼は、女性よりも男性にモテる、と言われているので困っている、とのことでした。で、ぼくの回答は、
「いいじゃない。嫌われるよりは好かれた方がいいでしょう。ぼくも君のこと好きだよ。ただし、ノンケの君に強要したりしないよ。君がフェラチオしてほしい、と言ったらサービスするけど、嫌でしょう。だから、もう溜まって溜まって、オナニーするのも手が疲れたらぼくがフェラとピアノタッチの指で快楽の淵に落とすよ。」
と言うと爆笑していました。ただ、彼が看護士をしている老健施設で、ゲイのおじいさんに変なことされないか心配だったので、免疫を作るために、ゲイバーに誘いました。
「えーーーっ。高松にあるの。」
「8軒あるから全部案内するよ。大丈夫。ぼくが横についているから。『彼はあたしの相方なのよ。手をだしたら承知しないわよ。おだまりだわ。』とぼくが言えばいいんだから。最近ブームになっている、デラックスマツコみたいな太ってる男がモテるんだよね。君は筋肉質だから、あそこまではゆかないよ。」
またまた爆笑でした。
そんなことはどうでもいいのです。次に合わせる曲の打ち合わせをしました。
ぼくが高齢になって動けなくなったら、彼に介護してもらいたいですね。下心なく、彼はとても優しい男ですから。
掲載写真は、高松市市林町の「カフェクサカ」、の内装です。2階まで吹き抜けなので、ヤマハのCのグランドピアノを全開にしても、音響的には素晴らしいのです。
特に正面の2階のバルコニー席は素晴らしい響きです。

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2012年09月27日
しばらく、音楽に没頭します。
先般ご案内したように、フルート奏者のS女史との出会いがあり、デュオを本格的に開始することになりました。
そこで、私は、ハイティーンから37歳まで、早稲田大学政経学部在学中から、卒業して住友信託銀行で勤務して、母の介護のために高松にUターンするまで、東京、関西で演奏した、いろんな室内楽曲のスコアを取り出して弾いてみました。
やっぱり、素晴らしいですね。そうこうしていると、いろんな曲想が浮かんできて、フルートとピアノのためのデュオ作品の新作がどんどん浮かんできて、とても幸せな毎日を送っています。
しかし、メカニックについては、室内楽用のメソッドはピアノソロとは全然違いますので、集中的に練習しないといけないな、と痛感していて、しばらくは、作曲の時間以外は、室内楽用のピアノの練習に没頭することにしました。
まあ、母の介護のために高松にUターンした37歳の時から、母が逝去した49歳までの12年間、ピアノソロ以外では、朗読とのコラボや簡単な弦管楽器との合わせをやったくらいでしたから、全然メソッドはダメになっちゃったなあ、ということ、また、初見能力も、老眼の進行のため、かなり落ちたなあ、と、プーランクやフランクのソナタをやっていて痛感しましたので、徹底的に立て直そうと思っているところです。
まあ、私は、いつもいつも楽天的に集中して練習しますので、やりたい作品は、自分の希望する音量や音色の音がその瞬間出せるまで、絶対に諦めませんので、必ず取り戻すつもりです。
基本的には、J.S.バッハの平均律を全部やり直すことが肝要だと感じていますが、それと同時に、共演者のフルートのフレージングを生かすペダルワークが必須だと感じていますので、しばらくは、練習に集中したいと思っています。
従って、まあ、半年くらいの間、全ての、ブログやフェイスブックのノート執筆はお休みさせていただくことにしました。
というのも、キーボードは、ピアノのタッチに最も悪いものだからです。
ショパンやリストのような派手なだけのピアノ演奏ならば、OKなのですが、室内楽においては、完璧なダイナミスムの制御とポリフォニックな表現を引き立たせるための、スラーに基づくフレージングを表現する、微妙なダイナミスムのコントロールの操作までを完璧にしないといけません。
そして、一箇所の相対的なダイナミスムのミスやペダルワークのミスが致命傷になりますので、心してかからないといけないことを私は熟知していますので、キーボードを叩くようなことをしていたら、絶対にダメなのです。
以上のような次第で、しばらくの間、ブログなどはお休みいたします。まあ、至急の連絡があれば、電話やメールで連絡下さいませ。
ではでは、皆様、ごきげんよう。

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2012年09月24日
『うどん県・ラヴィーヌ・デュオ』の結成

「だからさ、ここだったら、あなたのお住まいの、まんのう町にある、超有名店・元祖しょうゆうどんの『小縣家(おがたや)』さんみたいに、自分で大根をおろし金でおろさなくても、おろしてくれたものが山のように無料でとり放題だから、疲れなくていいでしょう。」
と言うと、彼女は吹き出していました。
昨日の午後遅い時間、「カフェ・くさか」スタジオで、室内楽を何曲か合奏した後、すぐ近くの、「さぬき麺市場・伏石町支店」で、かけうどん、びっくり鶏天などを食べ後のことでした。
私は、長年の夢がかなったことで、本当に嬉しいひと時でした。
S女史とは、9月21日(金)の、丸亀市の「ピアノカフェ・ルフラン」サロンコンサートで出会いました。フルートを持っていらしていたのですが、私の隣に座ってどこかのロックグループのライブを聴いていました。
私はその日、後半の出演でした。ショパンの「幻想即興曲」をとなりのテーブルに座っていた、観音寺市からいらしたご家族連れのお嬢様からリクエストされたので、それを演奏するつもりでしたが、彼女は、前半の出演で、J.S.バッハの「無伴奏チェロパルティータ」をやった、とのことでした。
この一言で、私はただ事ではないフルーティストとの出会いだ、と直感していました。
いろいろ聞くと、彼女は、倉敷の作陽音大でフルートを専攻して卒業したとのことでしたが、ステディーにデュオで合奏できるピアニストを探していました。
私は早速彼女の好きな作品や今やろうとしている作品をお聞きしましたら、もっぱら、無伴奏の曲をやっているとのことでしたので、私は23歳の時、東京の日本アマチュア演奏家協会で初めて固定的にデュオをやったフルート奏者の星名さんの言葉を思い出していました。
「フルートはさ、ピアノと違って一本の旋律を奏でることしか出来ないからさ、一人で練習する時に和音が伴わないから、すごく孤独なんだよな。だから、岡田君、ぼくとステディーにやってほしい。練習の時から一緒にやって欲しいんだ。つまり、俺の相方になって欲しいんだ。」
彼女は、当時の星名さんと全く一緒の状況でした。ただ、違っていたのは、星名さんは人生の先輩だったけど、彼女は、人生の後輩だった、というだけのことでした。
まあ、世の凡人達は、合奏相手の性別の方を意識するみたいですが、そんな馬鹿げたことはありません。
室内楽においては、フレージング、拍の食い方、アクセントの感覚などの一致が一番大切なことで、性別や年齢は全く関係ないのです。
合奏相手が同性でも、異性でも、ゲイでも、レズでも、バイセクシュアルでも、性転換者でも、トランス・ジェンダーでも、全く関係ありませんし、若くても中年でも死にかけでも、全く関係ないのです。フレージング、拍の食い方、アクセントの感覚などの一致が一番大切なことなのです。
ただ、私は香川県の出身でしたので、東京で星名さんと出会った23歳当時から漠然と感じていたのです。
「星名さんも香川県の出身ならいいな。瀬戸内海の風情や波の音も共有できたら、フレージング、拍の食い方、アクセントの感覚、なんかは、すぐに共有できるだろうからな。」と。
そして、いつの日か、室内楽を日常的に一緒に楽しめる、楽器演奏家の人と香川県で出会って合奏できる日が来るといいな、というのが、私の夢でした。
それが、55歳になった今、実現しました。来る、10月20日の、高松市林町「カフェクサカ」でのサロンコンサートで二人でデビューします。
デビューはデビューにすぎません。ステディーな室内楽アンサンブルは最低でも10年は続けて成長しなくてはいけないので、このあたりの体制が出来ましたので、とても嬉しいことです。
さしあたり、J.S.バッハのハーモールのフルートソナタ、プーランクのフルートソナタ、フランクのイ長調のソナタ、フォーレのファンタジー、サンカンのフルートソナタ、あたりと、たくさんの小品、をやりながら、私が作曲を開始した、フルートとピアノのデュオ曲をやってゆくつもりです。
そして、デュオが完全に完成すれば、あとは、順次、ヴァイオリンなど他楽器を加えて、トリオ、カルテットなどに広げてゆけばよいだけのことなのです。
いきなり、大編成が必ず失敗することなど、室内楽の常識程度は熟知していますので、ご心配には及びません。
でも、香川県内で出来るということは、素晴らしいですね。練習前後は、東京にいた頃のように、喫茶店や中華、フレンチ、居酒屋、などで、ワイワイガヤガヤすることは簡単なことですが、本格的なうどん店は、香川県民同士だと、一番癒されるのですから、こういう事態は、地縁関係のない東京では出来ないことなのです。
「さぬき麺市場」は、多度津町の神原社長が私の自宅近所の高松市郷東町に3年前にオープンさせたお店でしたが、急成長して、伏石町に一つ目の支店をオープンさせたのですが、来月の10月に、香川サンメッセ近くに二つ目の支店をオープンさせるそうです。
でも、神様は素敵な偶然をプレゼントしてくれました。
昨日、「さぬき麺市場・伏石町店」に、S女史と一緒に入店したら、神原社長が手打ちしていたので、びっくりして、ご紹介しました。そして、食後、私達のテーブルに神原さんがいらっしゃったので、いろいろお話しました。
そのうち、二人でデュオのジョイントサロンコンサートをする時には、神原さんに手打ちうどんを休憩時間に出してもらうようにセットしようと思います。全国的には、ラヴィーヌ将軍のように風変わりなコンサートでも、うどん県では、あたり前のコンサートにしたいからなのです。
『うどん県・ラヴィーヌ・デュオ』という命名は、このあたりを象徴したものなのです。
観光資源なんてえらそうなことは考えていません。うどんと讃岐弁は不可分なのですから、「演奏時、少しミスっても、かんまんでないんな。」という、かまわないのかかまわなくないのか、全く意味不明のファジーな讃岐弁に基づくデュオなのです。
なぜなら、室内楽は、結果ではないからです。作り上げるプロセスの方が数億倍大切なことなのですから。
結果の成功はプロセスがしっかりしていれば自然についてきます。また、天気がよかったり湿度が低かったりすれば、うまくゆくこともある、という程度のことなのです。
掲載写真は、「さぬき麺市場・伏石町支店」の、『かけうどん』(180円)、『300gの、びっくり鶏天丼』(250円)、『大根おろし』(無料でとり放題)〔しめて430円〕、です。
安くて美味しいということは素晴らしいことなのです。だって、ワンコイン以下ならば、ごちそうしてもされても、大した問題になりませんからね(笑)。

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2012年09月16日
「レ・ヴァン・フランセ」のこと

何気なく、テレビのチャンネルをNHK教育テレビにしたら、なんとなんと、ぼくが大好きで、東京在勤の25歳当時当時、何回もいろんな管楽器奏者達と合奏した、プーランクの木管ピアノ六重奏曲の第一楽章の、懐かしい懐かしい第二主題がオーボエで響いてきたので、嬉しくなって聴きました。
「レ・ヴァン・フランセ」というグループは、この作品がきっかけで出来た木管五重奏団だ、とのことでしたが、素晴らしかった。
特に、ホルンはすごいてすね。5人全部が素晴らしかったのですが、ホルンはあんなに軽々と割れた音を出したり、素晴らしいプーランクでした。
もちろん、オーボエやファゴットは、顔立ちも楽器にフィットしていたので(笑)素晴らしいグループだと思いました。
教育テレビらしく、「もっとクラシックを聴いて下さい。」というメッセージを、世界中のアーティストが言っていましたが、それを、実は、昨日の、高松の「カウェクサカ」でのコンサートで私は経験していましたので、クラシック音楽の持つ偉大さに、今さらながら驚かされていたのです。
昨日は、自作自演のようなものは、先月やったので、クラシックのみんなの聞きたい曲のリクエストを受けようと思って、高知まで出張していた帰りに聴きに来てくれた、私の親友の若いM君に聴きたい曲を携帯電話で質問したところ、「ベートーヴェンの月光」と言われたので、もう本当に久しぶりに、月光の第一楽章、をやり、ついでに、同主調の変ニ長調の、ショパンの雨だれの前奏曲やシューマンなど、涼しくなってきたので静かなクラシックをやりましたところ、終わった後、中高年のおばあ様方から、本当に感謝されました。
その一人は、こうおっしゃって下さいました。
「本当に、こんな静かでゆったり休める曲を目の前で演奏してくれるのを聴いたのは初めてだったので、感動しました。これまで、苦労して生きていてこんな時間を過ごすことを忘れてしまっていました。どうも有難う。」
お世辞じゃなく、本当に喜んでくださっていたので、最高の感想でした。
楽器演奏者同士でないとわかりあえないこともあるのですが、聴衆にはいろんな人がいらっしゃるのです。山のようにCDを聴いているオタクな人もいれば、全く、初めての人もいるのです。
ベートーヴェンの月光は有名な曲なのでみんな知っています。しかし、第一楽章は、大変に有名なのですが、ソナタ形式なので、私は、音量や音色はその時の状況でいろいろやるのですが、再現部のテンポを提示部のゆったりしたテンポに戻すことは、絶対に守っています。
そして、その、おばあ様が一番癒されたのは、再現部のところだったので、楽曲と一緒に呼吸してくださっていたことがわかったので、本当に嬉しかったです。
私は、作曲家としては、ベートーヴェンはあまり好きじゃないのですが、この、ソナタ形式の力には、いつもどおり驚愕しました。やっぱりクラシックは素晴らしいですね。

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2012年09月15日
直近の、サロンコンサートご案内

今日、2012年9月15日(土)19:30~21:30、ライブ喫茶「Cafe Kusaka」〔 住所;〒761-0301 香川県高松市林町2547番6 TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia 地図;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html 〕にて、コンサートをやります。会費は、喫茶ワンドリンクオーダー(500円・ソフトドリンク)、ですので、ご都合よろしければお越し下さい。なお、ここのサロンコンサートは、毎月第三土曜日の同時刻にやっていて、ジャズ、ポップスからクラシックまで、高松市内の若い有志でやっていますので、ご都合のよい日にお越しくださいませ。
また、全く同じスタイルのコンサートを、丸亀市の、「ピアノカフェ ルフラン」〔 住所;〒761-0301 香川県丸亀市飯山町東小川1668 TEL 0877-59-7266 E-MAIL;cafe@kusaka.asia 地図;http://www.piano-refrain.com/cgi-bin/pianocafe/siteup.cgi?category=2&page=3 〕 でも、会費、ワンドリンクオーダー(500円・ソフトドリンクとアルコールも可)、でもやっていて、直近は、2012年9月21日(金)19:00~22:00 で、この二つは、当分の間、ずっとやっていますので、いつか、是非、お越し下さいませ。

掲載写真は、順に、高松のライブ喫茶「Cafe Kusaka」の外観、丸亀の「ピアノカフェ ルフラン」の外観、です。

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2012年08月25日
『古いアルバムめくり』

「涙そうそう」の歌詞の頭、『古いアルバムめくり』は、時々、私の亡き母の命日にやっていることです。
写真を見ても何も感じない人は感じないようですが、私はいろいろ思い出します。
特に、小さかった頃から若い頃までの、高松で私がピアノを弾いている写真は、石井先生のピアノの発表会など、全て、母が撮ってくれたものです。
掲載写真は、その中では最後のもので、1980年6月15日、高松国際ホテルでの従兄弟の結婚式にて、ショパンの「バルカローレ OP.60」を演奏している時の、懐かしい懐かしい写真です。
私が、早稲田大学政経学部を卒業して、住友信託銀行に入社したばかりの、23歳頃の写真です。
大学2年の19歳の頃、東京都武蔵野市吉祥寺でアマチュア作曲家の仲間と作って始めた「ピアノと遊ぶ会」で、いろいろな活動を開始しましたが、当時は、私自身の演奏の興味がピアノソロから室内楽に移った頃でしたので、ピアノソロの作品で演奏していたものも、ドビュッシーやフォーレのごく一部で、ショパンの作品では、この、「バルカローレ」くらいしか興味がなかったので、これを結婚式で演奏してあげようと思って帰省したものでした。
が、どうしても、「英雄ポロネーズ」が聴きたい、という従兄弟の新婦の方のリクエストで、いやいや、演奏したことを思い出します。
「バルカローレ」は、非常に評判がよかったのですが、それは、一緒に演奏した、「英雄ポロネーズ」なんて、演奏したいなんて、微塵も思っていなかったためですね(笑)。
演奏したくない作品を演奏するなんて、拷問でしたから、あたり前のことなのですが、そのうち、いろんな自作自演などの演奏機会を経験して、ステージに立ったときには、自分の希望などを露骨に演奏結果に出すことは、いけないことだと感じて、改善されました。
・・・・・このように、実際にライブにぶつかって、自分で、これはいけないなあ、と感じたものは直して来るという、私のスタイルは、自分が納得しているので、よいことだと思います。
第一、演奏にかけるモチベートの上下の操作を、他人の命令でやるなんてことは、音楽性に致命的なダメージを与えると思いますから、演奏現場で、聴衆の方の反応で受け取った方が、必ず、いい結果になると感じています。
演奏した後の聴衆の反応には、いろんな思い出があるのですが、私は、日本での聴衆の反応が一番よかったと思います。
高校2年の時、留学していたシアトル・USAで、オールショパンプログラムで、シアトル市長宅でコンサートをやってくれたのが、私にとっては初めてのコンサート機会でしたが、アメリカのダイレクトな反応・一曲一曲、スタンディングオベイションがあったり、ブーイングが来たりすることは、自分の能力を過信している演奏家にはよいことなのでしょうけど、日本人の私は、あまり記憶に残るほどのものでもないですね。
そんなものよりも、高松Uターン後の2001年、岡山後楽園で江守徹さんなどの朗読と自作のコラボで、「岡山後楽園築庭300年祭」に出演した前半でピアノソロをやった中で、晩年の母が聴きに来ていたので、母の大好きなシューマンのトロイメライは入れましたが、アレンジメドレーの中で、大正時代の唱歌「浜辺の歌」と、尾崎豊の「アイラブユー」をフーガにしてやったところ、最前列に座っていらっしゃった、岡山の、全く知らない、おばあ様が、「浜辺の歌」を口ずさんで下さったので、私は直ちに、フーガをやめて、尾崎豊を捨てて、「浜辺の歌」だけにしたものです。
いきなりアドリブでフーガにすることは出来ませんが、フーガで準備していたものを、一本のメロディーラインにすることなどは簡単なことですから、それでいいのです。
また、倉敷御園旅館でコンサートをやった中で、11月だったので、チャイコフスキーの「四季」の『トロイカ』をやったら、聴きにいらして下さっていた、倉敷コンベンションビューローの河上先生が泣いていらっしゃるので、訳を聞いたら、初恋の思い出の作品だ、とのことで、リクエストされましたので、喜んでもう一回演奏したものです。
このようなリクエストは、ショパンの「木枯らしのエチュード」や、リストの「マゼッパ」を演奏した時に、メソッドを見て、リクエストがかかるのよりも、はるかに嬉しいと、私は感じます。
だって、ピアノ演奏はスポーツじゃないのです。勝ち負けは絶対にないですし、人間は、指が動くことに感心しても感動はしないからです。
感心したいためだけに演奏を聴いていると、感動経験がなくなりますので、自分の耳が感じたことを、言語に変換することが出来なくなりますので、頭は悪くなりますね。
「キモい」「キショい」「ムカツく」「ウザい」「ヤバい」などという日本語は、頭の悪い人達が多用しているようですね。
そして、このような言語でしか感想の言えない自分の表現力のなさや頭の悪さを隠すために、「自分は空気が読める」と思っているのですから、大変におめでたい方です。
まあ、言葉で何を言っても、音楽の存在はびくともしませんから、OKなのですけど、楽譜を元に演奏している皆様は、随分ひどい言葉の渦に巻き込まれて大変だろう、と感じております。
そのうち、ライブ演奏への感想が、「キモい」「キショい」「ムカツく」「ウザい」「ヤバい」、のような無意味な言語でのみ表出されるようになったら、地球は『猿の惑星』になってしまうことでしょう(笑)。

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2012年07月21日
「音楽、作曲、ピアノをやっててよかった。」
「音楽、作曲、ピアノをやっててよかった。」
私は思わず助手席でつぶやいていました。
昨夜遅く、丸亀市「ルフラン」での演奏、コラボの後、テノールのてっちゃんの運転する車の助手席に乗せてもらい、高松に帰る途中でした。
話題は大津市のいじめ虐殺のこと、原発再稼動のこと、節電のために電気を使わない演奏会が必要なことなど、いろいろでしたが、一番は、教育問題に無頓着な拝金主義と保身だけの政治家だらけの日本の状況でした。
私は、コトデンバスに乗っていて、優先座席を若い学生が独占していて年配者が立っていたら、絶対に注意して、若者を立たせること、先般、お茶を飲んでいた、丸亀町商店街の「サンマルクカフェ」の喫煙ルームで、満席だったため、座れなかった老夫婦が入ってきて、相席で座ったことが気に入らなかった、一人の30歳代のサラリーマンの若者が、食べ終わったサンドウィッチの空き袋を、相席で座っていた、おばあ様に投げつけて出てゆこうとした時、私が呼び止めて厳しく注意したり、旧知の店長に、あの無礼者の客がまた来たら、絶対に入店させないように大騒ぎして、見て見ぬふりをしていた周囲の高松の皆さんに注意を喚起したことなどをお話しました。
そして、このような基本的な礼儀をきちんと若い皆様にご案内することを堂々と出来ない町になると、大津市のようなひどい町になることなどをお話していました。
「仕返しが怖い」などということは、55年も生きてしまった私の場合あり得ないのです。「ムカつくじじいだ。」と思われたら、「じゃあ、私を殺しなさいよ。」と詰め寄るだけなのですから、この世に怖いものなどないのだ。・・・・・なーーーんて、えらそうなことを言っていると、お手洗いに行きたくなったので通りすがりのコンビニで止めてもらったりして、「やっぱ、運転手のてっちゃんにはかなわないよ。」なんて言って、爆笑になっていました。
でも、本当に、私は、「音楽、作曲、ピアノをやっててよかった。」のです。そうでなかったら、てっちゃんなど、たくさんの高松の性格の素晴らしい若者達と出会うこともなかったでしょうからね。
そんなことを思いながら帰宅し、就寝することにしました。
というのも、今日の夜は、高松市の「カフェ くさか」で、また、ライブとコラボをやるからなのです。
生きていると、「泣きっ面に蜂」ということもあれば、「棚からぼた餅」ということもあり、「人間万事塞翁が馬」なのですから、のんびりと自分の感受性を信じて生きればよいのです。
焦ったり、無駄な競争に時間を費やすことは、人生の無駄遣いなのです。結局、競争に勝っても負けても、入ってくるお金の金額が若干上下する程度のことでしかないのですから、実に実に、下らないことなのです。

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私は思わず助手席でつぶやいていました。
昨夜遅く、丸亀市「ルフラン」での演奏、コラボの後、テノールのてっちゃんの運転する車の助手席に乗せてもらい、高松に帰る途中でした。
話題は大津市のいじめ虐殺のこと、原発再稼動のこと、節電のために電気を使わない演奏会が必要なことなど、いろいろでしたが、一番は、教育問題に無頓着な拝金主義と保身だけの政治家だらけの日本の状況でした。
私は、コトデンバスに乗っていて、優先座席を若い学生が独占していて年配者が立っていたら、絶対に注意して、若者を立たせること、先般、お茶を飲んでいた、丸亀町商店街の「サンマルクカフェ」の喫煙ルームで、満席だったため、座れなかった老夫婦が入ってきて、相席で座ったことが気に入らなかった、一人の30歳代のサラリーマンの若者が、食べ終わったサンドウィッチの空き袋を、相席で座っていた、おばあ様に投げつけて出てゆこうとした時、私が呼び止めて厳しく注意したり、旧知の店長に、あの無礼者の客がまた来たら、絶対に入店させないように大騒ぎして、見て見ぬふりをしていた周囲の高松の皆さんに注意を喚起したことなどをお話しました。
そして、このような基本的な礼儀をきちんと若い皆様にご案内することを堂々と出来ない町になると、大津市のようなひどい町になることなどをお話していました。
「仕返しが怖い」などということは、55年も生きてしまった私の場合あり得ないのです。「ムカつくじじいだ。」と思われたら、「じゃあ、私を殺しなさいよ。」と詰め寄るだけなのですから、この世に怖いものなどないのだ。・・・・・なーーーんて、えらそうなことを言っていると、お手洗いに行きたくなったので通りすがりのコンビニで止めてもらったりして、「やっぱ、運転手のてっちゃんにはかなわないよ。」なんて言って、爆笑になっていました。
でも、本当に、私は、「音楽、作曲、ピアノをやっててよかった。」のです。そうでなかったら、てっちゃんなど、たくさんの高松の性格の素晴らしい若者達と出会うこともなかったでしょうからね。
そんなことを思いながら帰宅し、就寝することにしました。
というのも、今日の夜は、高松市の「カフェ くさか」で、また、ライブとコラボをやるからなのです。
生きていると、「泣きっ面に蜂」ということもあれば、「棚からぼた餅」ということもあり、「人間万事塞翁が馬」なのですから、のんびりと自分の感受性を信じて生きればよいのです。
焦ったり、無駄な競争に時間を費やすことは、人生の無駄遣いなのです。結局、競争に勝っても負けても、入ってくるお金の金額が若干上下する程度のことでしかないのですから、実に実に、下らないことなのです。

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2012年07月12日
直近のコンサートご案内
直近のコンサートご案内
日時;2012年7月13日(金)19:00~21:30
場所;ライブ喫茶「Cafe Kusaka」
〔 住所;〒761-0301 香川県高松市林町2547番6
TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia
地図;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html 〕
会費;ワンドリンクオーダー(500円)
出演;テノール、マンドリンのてっちゃん、三線のとしさん
主な内容;
コラボコンサート
日時;2012年7月20日(金)19:00~22:30
場所;ピアノカフェ ルフラン
〔 住所;〒761-0301 香川県丸亀市飯山町東小川1668
TEL 0877-59-7266 E-MAIL;cafe@kusaka.asia
地図;http://www.piano-refrain.com/cgi-bin/pianocafe/siteup.cgi?category=2&page=3 〕
会費;ワンドリンクオーダー(500円)
出演;テノールのてっちゃん、岡田克彦
主な曲目;
「ショパン、バッハの小品」
テノール、ギターのてっちゃんは全てアドリブ
日時;2012年7月21日(土)19:30~21:30
場所;ライブ喫茶「Cafe Kusaka」
〔 住所;〒761-0301 香川県高松市林町2547番6
TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia
地図;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html 〕
会費;ワンドリンクオーダー(500円)
出演;テノールのてっちゃん、三線のとしさん、岡田克彦
主な曲目;
「ショパンの32歳当時の作品」
「涙そうそう」(母の月命日のために岡田克彦アレンジ・としさんのボーカルとピアノのコラボ)他

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日時;2012年7月13日(金)19:00~21:30
場所;ライブ喫茶「Cafe Kusaka」
〔 住所;〒761-0301 香川県高松市林町2547番6
TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia
地図;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html 〕
会費;ワンドリンクオーダー(500円)
出演;テノール、マンドリンのてっちゃん、三線のとしさん
主な内容;
コラボコンサート
日時;2012年7月20日(金)19:00~22:30
場所;ピアノカフェ ルフラン
〔 住所;〒761-0301 香川県丸亀市飯山町東小川1668
TEL 0877-59-7266 E-MAIL;cafe@kusaka.asia
地図;http://www.piano-refrain.com/cgi-bin/pianocafe/siteup.cgi?category=2&page=3 〕
会費;ワンドリンクオーダー(500円)
出演;テノールのてっちゃん、岡田克彦
主な曲目;
「ショパン、バッハの小品」
テノール、ギターのてっちゃんは全てアドリブ
日時;2012年7月21日(土)19:30~21:30
場所;ライブ喫茶「Cafe Kusaka」
〔 住所;〒761-0301 香川県高松市林町2547番6
TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia
地図;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html 〕
会費;ワンドリンクオーダー(500円)
出演;テノールのてっちゃん、三線のとしさん、岡田克彦
主な曲目;
「ショパンの32歳当時の作品」
「涙そうそう」(母の月命日のために岡田克彦アレンジ・としさんのボーカルとピアノのコラボ)他

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2012年06月27日
「Honda Cars 高松郷東店」顧客感謝コンサートを終わって

2012年6月24日に、私の自宅近所の高松市郷東町の「Honda Cars 高松郷東店」での、顧客感謝コラボコンサートに出演を頼まれたのは、高松の「Cafe Kusaka」や丸亀の「Cafe rofrain」で、テノールのてっちゃんなどとコラボコンサートをやった時も、必ず聴きに来てくださっていた、私の高松ファンクラブ会長の、高松市国分寺町のM女史と、彼女と親しいK女史のお陰でした。しかし、礼儀正しい好青年の、テノールのてっちゃんは、M女史とは別に、私に共演の依頼のお電話を下さいました。
K女史がアルトサックスを始めたことは2年ほど前にお聞きしていたのでしたが、合奏の大好きな私は、是非、K女史に頑張るよう激励していたものでしたが、それに、M女史の激励も加わって、とても地道な努力の結果、人前でできるようになったということが第一にありました。
一方、K女史が「Honda Cars 高松郷東店」の社長夫人でいらっしゃったのですが、とても仲のいいご夫妻だったことから、丸亀の「Cafe rofrain」にご夫妻そろって、M女史も含めて一緒に聴きにいらしていたこと、その時のコラボ演奏会を聴かれて、今回の、顧客感謝コラボコンサート、が決定したのでした。
それも、2週間ほど前のことでしたし、私のところに出演依頼が来たのは、6月21日のことでした。
しかし、大丈夫でした。3歳から作曲の傍らでピアノ演奏や、東京では室内楽演奏を、ずっとやってきたのですから、ショパンの作品20曲、ドビュッシーの作品10曲、J.S.バッハやベートーヴェンなどのピアノ曲は、体が覚えていますし、ポップスやジャズの自作アレンジなどは、いつでも私は暗譜で演奏出来ますし、ご要望があれば、自作自演などは簡単に出来るのです。
また、テノールのてっちゃんとのコラボは、二人の出会いの「コーレングラード」でした。
それは、忘れもしません。高松市林町の「Cafe Kusaka」のコラボコンサートへ聴きに行きましょう、と、M会長からお誘いの電話をいただいて、K女史が車で迎えに来てくださった4月28日のことでした。
M女史が「Cafe Kusaka」のオーナー社長と懇意だったので聴きに行ったのでした。そして、その日の最終出演者が、テノールのてっちゃんだったのです。
通常の弾き語りでは絶対にやらない、イタリア歌曲「オーソレミオ」を彼は、ピアノに座ってやったのです。でもですね、本格的なテノールをピアノに向かって弾き語りでやるなどということは、曲芸に近いのです。
が、彼は見事にやりました。ほとんど鍵盤も見ないでやったのでしたが、しかし、彼は一回も、一番大切なバスの音をはずさなかったことを、私は見て、彼は、音大で本格的に勉強した方だ、とすぐにわかりました。
しかも、トークが面白く、彼の声の音域がとても素晴らしかったのです。
しょっぱなに、ギターの弾き語りで「おぼろ月夜」の一節を歌って、「おふくろーーーー」と叫んで、一挙に気分をほぐしてから、自宅が、高松のラブホテル街のある、詰田川のほとりにあるので、という理由で、井上陽水の「リバーサイドホテル」を歌った後、イタリアオペラから、「誰も寝てはならぬ」や「オーソレミオ」をやったのです。
私は直ちに彼のファンになってしまいました。演奏会終了後、M女史と「Cafe Kusaka」のオーナー社長とおしゃべりしたところ、「Cafe Kusaka」のオーナー社長が、ちょっとうちのグランドピアノを触ってください、と言われたので、ショパンの幻想即興曲の途中の2小節を弾いただけだったのですが、てっちゃんが、「あっ、幻想即興曲だ」と言ったので、私の想像は確信になつたので、「この、イタリア歌曲、ぼく、大好きなんだ。」と言って、「カタリカタリ」をちょっとピアノで弾いたら、次回やりましょう、ということで、5月26日の「Cafe Kusaka」でやりました。
そして、彼は、私のキャパシティーを信じてくれたので、5月16日にいらして演奏していた、「ピアノを始めて1年だけど、素晴らしいな。」と私が言っていた、三線奏者のとしさんを紹介してくれ、その次の6月16日の「Cafe Kusaka」の本番前日に、としさんの三線、てっちゃんのギターと私のピアノで、「涙そうそう」をやることにして下さり、しかも、その案を6月16日の前日に電話で伝えてきました。決まっていたのは、開始がFmajor、ということだけでしたので、私は、ピアノも何もないところで作曲している状態で、ライブにのぞめましたので、とても楽しかったのです。
てっちゃんはすごい若者です。私は高松で出会えたことを本当に嬉しく思っています。
もう既に、彼の歌や、三線とのコラボ作品のプランをいくつか思い立ち、進めています。とてもハッピーなことです。
まあ、こういった次第で、2012年6月24日に、私の自宅近所の高松市郷東町の「Honda Cars 高松郷東店」での、顧客感謝コラボコンサートが開催されましたので、最高でした。
そして、その日の、終了直後、てっちゃんなど出演者と一緒にお客様をお見送りしていた時のことでした。
当日は、てっちゃんのテノール、だけでなく、K女史のサキソフォン、K女史の妹さんの津軽三味線と、私のピアノなど、渾然とした素晴らしいコンサートだったので、会場はいっぱいでしたが、皆さん、とても楽しまれての帰りだったので、御礼などをたくさん言われていたのでしたが、とある、お父さんに連れられていらっしゃっていた小学校の女の子が、私に駆け寄ってきておっしゃったのです。
「おじさん、人は見かけによらんのう。」と。
すると隣でお父様が、「どうもすんません。岡田さんがショパンを弾かれてから、この子は、『人は見かけによらんのう』とばっかり言うよんです。」とおっしゃったので、私は吹き出していました。
とても適切な感想だったからです。当日、てっちゃんはタキシードを着ていたのですが、私は、自宅からすぐ近いこともあり、スキンヘッドに近い髪型で、ジーンズにピンクのTシャツという普段着でやっていたのです。
30歳になったばかりの若いてっちゃんはタキシード、55歳超えの私は普段着でしたし、てっゃんの出演前にたくさんの人が入店したので、いすが足りなくなったので、私はいすを運ぶ手伝いなどをやっていましたから、裏方のおっさんに見えたのでしょう。
その私がショパンの幻想即興曲、ノクターン、プレリュード、エチュードなどを次々とおしゃべりしながら弾いたのです(暗譜していればこの程度のことは誰でも簡単に出来るのですよ。)から、お嬢様はびっくりしたのでしょうね。
そんなこんなで、終わった後、私のファンクラブの皆さんにこのことをお話したら、大笑いになって、「人は見かけによらんのう」、が、流行語になってしまったのです。
よいことですよ。だって、私はもう55歳なのです。前途有望なアーティストのてっちゃんに尽くすことが出来ることは、とてもとてもハッピーなことなのですからね。
掲載写真は、終了後、出演した人たちみんなで撮った写真です。左から順に、「Honda Cars 高松郷東店」のオーナー社長、私、てっちゃん、津軽三味線奏者のK女史の妹さん、です。
が、カメラマンは、K女史なので写っていません。彼女はそれくらい、奥ゆかしいサキソフォン奏者なので、私は、彼女との合奏のための作品の作曲を開始しました。
2012年06月25日
「人は見かけによらんのう」(笑)

昨日の「Honda Cars 高松郷東店」での、顧客感謝コラボコンサートに出演を頼まれて、テノールのてっちゃんなどとコラボコンサートをやった終了直後、てっちゃんなど出演者と一緒にお客様をお見送りしていた時のことでした。
当日は、てっちゃんのテノール、だけでなく、津軽三味線、サキソフォンと、私のピアノなど、渾然とした素晴らしいコンサートだったので、会場はいっぱいでしたが、皆さん、とても楽しまれての帰りだったので、御礼などをたくさん言われていたのでしたが、とある、お父さんに連れられていらっしゃっていた小学校の女の子が、私に駆け寄ってきておっしゃったのです。
「おじさん、人は見かけによらんのう。」と。
すると隣でお父様が、「どうもすんません。岡田さんがショパンを弾かれてから、この子は、『人は見かけによらんのう』とばっかり言うよんです。」とおっしゃったので、私は吹き出していました。
とても適切な感想だったからです。当日、てっちゃんはタキシードを着ていたのですが、私は、自宅からすぐ近いこともあり、スキンヘッドに近い髪型で、ジーンズにピンクのTシャツという普段着でやっていたのです。
30歳になったばかりの若いてっちゃんはタキシード、55歳超えの私は普段着でしたし、てっゃんの出演前にたくさんの人が入店したので、いすが足りなくなったので、私はいすを運ぶ手伝いなどをやっていましたから、裏方のおっさんに見えたのでしょう。

その私がショパンの幻想即興曲、ノクターン、プレリュード、エチュードなどを次々とおしゃべりしながら弾いたのです(暗譜していればこの程度のことは誰でも簡単に出来るのですよ。)から、お嬢様はびっくりしたのでしょうからね。
そんなこんなで、終わった後、私のファンクラブの皆さんの間では、「人は見かけによらんのう」、が、流行語になってしまったこと(笑)、などを思い出しながら、今日のブランチは、「こだわり麺や・高松支店」で、『冷たいかけうどん・豊玉梅干、生卵、載せ』『ちくポテ天』『野菜のかき揚げ』『鱈のフライ』、をいただきました。
掲載写真は、順に、「こだわり麺や・高松支店」の、『冷たいかけうどん・豊玉梅干、生卵、載せ』『ちくポテ天』『野菜のかき揚げ』『鱈のフライ』、「私の見かけ」、です。

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2012年06月19日
コラボサロンコンサートを終わって

ここのところ、高松市と丸亀市のライブサロン喫茶での、コラボコンサートを終わって、いろいろと感じることがあり、ずっと続けようと思いましたので、それについて書きます。
すなわち、高松市の「Cafe Kusaka」、丸亀市の「Cafe Refrain」という二つのライブサロン喫茶に集まった香川県のいろんな楽器を演奏している若者達のことです。
こういうライブ喫茶には、ともすれば、おやじバンド、ばかりが集まったり、カラオケ喫茶のようになるケースがあります。高齢者が増えていますから、それはそれでいいのです。
しかしですね、初めて接するスタイルの音楽に対する反応は、楽器を演奏している、20歳代以下の若い人達の方が、絶対に、ピュアーなので優れていることは間違いのないことなのです。
聴くだけの若者も、聴覚は絶対にピュアーに決まっているのです。私のように55歳になると、目は老眼が来ていますので、楽譜から音を取るときには、老眼鏡が必要になったりすることもありますし、聴覚は一番丈夫で長持ちなのでいいのですが、もしかしたら、耳が遠くなる、ような事態もありますので、感覚器官は若い人の方が絶対に優れていることは間違いのない絶対的な事実です。
こういう観点では、高松市の「Cafe Kusaka」、丸亀市の「Cafe Refrain」は、いずれも、演奏者、聴衆、全てが若いので、素晴らしいのです。
私は、高松市の「Cafe Kusaka」、丸亀市の「Cafe Refrain」、いずれでも、誰でも知っている、ショパンのナンバー、ポップスのアレンジをやったあと、続けて、J.S.バッハの平均律第一巻24番のロ短調フーガを演奏しました。これは、聴衆の反応を確認するためなのです。
そして、3声のフーガという、ホモフォニックなポップスやジャズではほとんど使われない、ポリフォニックな対位法的な音楽に対する、彼らの反応を見て、安心したのです。
なぜなら、日本人は、もともと、ホモフォニックな感性ではなく、ポリフォニックな感性を持っているからなのです。
民謡がそのいい例ですが、日本人の原音楽は、一本の旋律と手拍子であって、コード進行(和声・和音)という概念はなかったのです。
このあたりを、キラキラした目で聴いている若者達から私は感じましたので、とても安心しました。
もちろん、ホモフォニーとポリフォニーは、和声学と対位法、という、作曲学の2大基本要素ですから、両方を習得していないといけないのですが、一つの作品で使われる際の、この2つの要素の力関係は、非常に大事なことなのです。
J.S.バッハの平均律第一巻24番のロ短調フーガにおいては、その再現部の中で、全く和声(コード進行)の存在しない、ポリフォニーだけの無調性のところが出てくるのですが、この部分も含めて、ふだん、コード進行をメインに考えて、ポップスやジャズを演奏している若者達は全員ついてきてくれましたので、私は非常に感激しました。
途中のトークタイムで、フーガについてちょっとおしゃべりしましたが、若い彼らは、すぐに理解してくれましたので、よかったですね。
やはり、若さにかなうものはないのですね。
終わった後、お茶を飲みながら、もう、55歳になってしまった自分の事、ショパンが39歳で死んだのに、自分はとんでもないことをしている、いけない奴だと思っていることなど、私の正直な気持ちもお話して、とても楽しいひと時を過ごせました。
掲載写真は、2012年6月15日の、丸亀市の「Cafe Refrain」のコンサートに聴きにいらしていた、善通寺市に住む20歳代の若者がデジカメで撮ってくれた写真です。

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2012年06月11日
『初心忘るべからず』
世阿弥が60歳になった時に書いた、この名言は、「人生の試練のときに、どうやってその試練を乗り越えて行ったのか、と言う経験を忘れるな」という意味で、この中の『初心』とは、「芸の未熟さ」のことです。
先月の、5月26日(土)19:30~21:30場所;ライブ喫茶「Cafe Kusaka」に参画してよかったなあ、と思ったことは、この世阿弥の言葉、“初心忘るべからず”を私は思い出して、身にしみて、初心をすっかり忘れて、ピアノ演奏をしていた自分を深く反省したことでした。
ライブ喫茶「Cafe Kusaka」で私が出演する少し前にステージでピアノに向かった、ご年配のM氏はこうおっしゃいました。
「私にとってピアノを演奏することは心の栄養なのです。」なんと素晴らしい独白でしょう。
「私の大好きな、『トゥ・ラヴ・アゲイン』を演奏します。」必要十分な曲目紹介でした。
『トゥ・ラヴ・アゲイン』は、映画「愛情物語」で、カーメン・キャバレロがアレンジして演奏した、ショパンの「ノクターン OP.9-2」のことです。
演奏内容は、まだまだ完成度の低いものでした。まだ、譜面台に楽譜を置いて弾いていました。
しかし、ピアノに向かう真摯な態度、謙虚に自分の技量の不足を受け入れてその中で最大限の努力をしていることが、如実に感じられ、適当なアレンジで演奏していた私自身は、恥ずかしくて恥ずかしくて、とても深く反省したのです。
M氏がピアノを始めたのは、定年退職後でした。私などは3歳からビアノをやっていて、東京で早稲田大学時代の18歳から37歳まで、仕事の傍ら、日本アマチュア演奏家協会理事として、故.小倉朗先生などの作曲家の恩師の指導のもと、作曲を本格的に勉強しながら、ありとあらゆる室内楽演奏までやっているのです。55歳になった今日までに、ショパンの「ノクターン OP.9-2」などは、何万回ステージで演奏したか数え切れないのです。
暗譜しようと思わなくても、ショパンの「ノクターン OP.9-2」などは、指が覚えてしまっているのですから、マイルドセブンを吸うこととあまり次元の異ならないことなのです。私にとって、ショパンの「ノクターン OP.9-2」は、マイルドセブン、なのです。
こうして、作曲やアレンジを通して自然に身につけてしまった、作曲技法やアレンジ技法、という既得権にあぐらをかいて演奏していた自分は、一曲、一曲に向かう切実さにおいて、M氏には遠く及ばないくらい、切実さが欠落してしまっていたことを、深く深く、反省しました。
当日、私は、ステージで、「全世代メドレー」として、クラシック、ジャズ、ポップスをごちゃ混ぜにしたものを演奏する中で、ショパンの作品から下記のように、幻想即興曲 OP.66、別れの曲・エチュード OP.10-3、ノクターン OP.9-2、の3曲を入れていました。
平均律より(J.S.バッハ) ~ ミスティー(ジャズ) ~ 映画「ディアハンター」のテーマ(スタンリー・マイヤーズ) ~ トロイメライ(シューマン) ~ 浜辺の歌(唱歌) ~ 幻想即興曲 OP.66(ショパン) ~ 涙そうそう(夏川りみ)~ リンゴ追分(美空ひばり) ~ 別れの曲・エチュード OP.10-3(ショパン) ~ 手紙・・・拝啓 十五の君へ(アンジェラ・アキ) ~ ハナミズキ(一青窈・ヒトトヨウ) ~ ノクターン OP.9-2(ショパン) ~ Everything(MISIA)
しかし、このショパンの3曲の全音ピースの楽譜を、近所の高松市丸亀町商店街の「京坂屋楽器店」で買って帰って自宅のピアノに向かって必死で練習した、中学校時代の頃のことを、しっかり覚えていましたので、まだ、自分が未熟だった「初心」のころのことを思い出して、「何て、手垢にまみれた曲を演奏しているのだろうか、手垢にまみれた作品の演奏を手垢にまみれていないように聴かせるだけのアレンジ技法にあぐらをかいて演奏しようとしているんだろうか」、と感じ、本当に恥ずかしくなり、深く反省したのです。
Mさん、本当に有難うございました。あなたは、私の「初心」を思い起こさせてくださいました。
その直後、私の高松ファンクラブ会長の、高松市国分寺町の80歳近いK女史に電話でこのことをお話したところ、とても喜んでくださいました。
以来、私は、『初心忘るべからず』と思って、J.S.バッハの平均律、一巻、二巻、全48曲を順番に練習し始めました。続けて、ショパンのエチュード集(遺作含めて、全27曲)、ドビュッシーのエチュード集、フォーレのノクチュルヌ集、スクリャービンのエチュード集、と、かつての自分のレパートリーを、初めて出会った時の深い驚きに満ちた感動を再現できるように、死ぬまで、やってゆきたいと決意しました。
Mさん、本当に有難うございました。重ねて、厚く厚く御礼申し上げます。

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