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Posted by あしたさぬき.JP at

2011年03月30日

うどんの聖地・香川県からの大地震被災者の救済




香川県庁は、3月27日、とりあえず、讃岐うどん1万食を、東日本大震災で被害を受けた宮城県石巻市に送ると発表しました。



ほかの救援物資とともにトラックで搬送し、3月29日に、石巻市総合運動公園に到着後、各避難所に届けられることになりました。



お届けする、讃岐うどんは約2カ月保存できるつゆ付きの半生タイプで、県内の土産物販売店が提供し、大きな被害があった宮城県の中で最も避難者の多い石巻市に、まず、送ることにしたそうです。



これに先立ち、香川県内に1500店ある讃岐うどん店が、各自、手配して送っていたので、香川県庁の外郭団体の、讃岐うどん協会が、香川県としての考え方を、歴史も踏まえて、発表したものなのです。



掲載写真は、JR四国直営の「めりけんや」が、2011年3月19日夕方、本店のある、香川県宇多津町で、JR四国バスに、半生うどん600食を積んでいるところです。が、この他にも、坂出市の名店「おか泉」などがお取り寄せうどんなどを、被災者に限って、物品代も送料も全て無料で送るなどしています。



讃岐うどんは、1200年前に香川県出身の弘法大師が始めてから、1200年以上、ずっと、香川県民に食されてきた、平安時代から続く偉大な文化ですので、他の土地の名物とは格が違います。



従って、今回の送付も、一過性のものではなく、今後もうどんを引き続き、継続的に、被災地に讃岐うどんを送り続けることにしているそうです。



ですから、今回の、讃岐うどん1万食の送付は、あくまでも、「とりあえず」、なのです。〔讃岐うどん1万食なんて、香川県においては、ほんのわずかな数なのですよ(笑)。〕



被災している人が、全員、生きてゆくことに困らなくなるまで、ずっと、送り続けるのです。



未曾有の大地震に遭遇した皆様も、まさか、1200年後まで、避難所で生活することはないでしょうから、讃岐うどんの1200年の歴史に比べたら、すぐに、復興することだと思います。



もちろん、原発事故による水の汚染のため、茹でるためのお水がすぐには手配できないでしょうけど、100年もすれば、大丈夫ですから、うどんの聖地の香川県がついている限り、東北地方などで被災された皆様は、どうか、ご安心下さいませ。



ところで、東京都は、このような、文化的な支援が出来るのでしょうか。歴史や文化はお金では絶対に買えませんから、六本木ヒルズ族が束になって対抗しても、香川県による、讃岐うどんの1200年タームでの援助以上の食料の支援は、絶対に出来ないのですよ(笑)。



そんなことを考えていると、日本の首都は、京都に戻した方がいい様に私は感じております。



東京都民が、遷都がお嫌ならば、東京都は、小泉純一郎や竹中のような拝金主義者の大好きな、アメリカの51番目の州になったいただいた方が、日本は、麻薬や拝金主義などからも解放され、とても助かりますね(笑)。





  


Posted by 岡田克彦 at 12:29Comments(0)讃岐うどん

2011年03月26日

『個人の尊厳>表現の自由』





今回は、人間として生きるにあたって、ごくあたり前の鉄則の標記の不等式のことを書きたいと思います。



こういうウェブ上で日記を書いて、人と人が出会うことがこの先も増えてゆくんだろうな、と感じていますけど、この不等式が逆転している人が生息していることが、ウェブ上のコミュニケーションの全ての弊害になっているようですね。



SNSに入って3年くらいになりますけど、「リンク先は会ったことのある人だけ」と書いて広がりを拒否している人もいますし、本名、住所、携帯電話番号等をご案内しているぼくに、「そんな危ないことはやめた方がいいですよ。」と注意くださる方もいらっしゃいます。



きっと、そういう人達は、過去に、ウェブ上で嫌な思いをされたことがあるのだろうな、って感じるたびに、どうして、人間は、わずか100年前後生きているだけのちっぽけな存在なのに、そんな風に憎しみあったり、お互いの足を引っ張っぱり合ったりするんだろうな、っていつも感じてしまいます



『表現の自由』って書くと、全てが許される大義名分のように読めますけど、これは、つきつめれば、エゴイズムという、人間の煩悩の一つでしかないのです。もちろん、自己表現をしたくても出来なかった時代が、差別が日常的だった、民主主義社会になる前の時代にあったという歴史的事実がありますので、『表現の自由』はとても大切なことです。



しかしですね、『個人の尊厳』というものを凌駕するほど大切なことではない点を忘れてはならないと思うのです、ぼくは。



『表現の自由』を声高に主張して、自己表現する人達は、まず第一に、この世で生きている人間の数だけ個性がありますから、『表現の自由』のもとに「自己表現」をする場合でも、それを受け取る人たちにも『表現の自由』があるんだ、ということ、自分が自己表現したい気持ちに対するものと同じだけの敬意をもって、他人が自己表現したい気持ちを思いやるという大前提に立脚していないといけない、ということです。この前提を崩して『表現の自由』という大義名分のもとに「自己表現」する人達は、ぼくに言わせれば、ただ、煩悩に振り回されているだけの、気の毒な生物だと思います。



『個人の尊厳』は全ての生きる人間が当然に持っているのですから、これを汚すような表現は絶対に許されないのです。



匿名の掲示板やSNSに見られる、ハンドルネームがなかったらコミュニケート出来ないウェブ上の状況は、実に嘆かわしいことです。なぜなら、ハンドルネームのようなものは、『表現の自由』によって脅かされるかもしれない自分の『個人の尊厳』をガードする、防波堤に過ぎないからです。



万物の霊長たる人類が、防波堤がないと生きてゆけないとは、何と情無い懐疑心に満ちた殺伐とした世界だろう、ってぼくは思っています。



ウェブに参画する全ての人類が、『個人の尊厳>表現の自由』という、鉄則の不等式を認識していれば、そのようなものは一切無用なのです。



掲載写真は、先日いただいた、近所の高松市鶴市町の「つるいち」の『讃岐豚しゃぶ白菜うどん』です。とても暖まる素晴らしいうどんですね。





  


Posted by 岡田克彦 at 16:58Comments(0)ヒューマニズム

2011年03月26日

無限大の音楽宇宙





2010年1月17日、高松ミューズホール・JA香川県食育朗読ミュージカル「自然とふれあう仲間」の中心は、JA香川県の子供たちの朗読と私のインプロヴィジョンピアノとのコラボでした。


それだけに、作曲家・兼・ピアニストとしての私は、最高に楽しかったのです。


このページの一番下で、200以上の朗読文の中から選んだものの中から、料理教室体験に関する朗読と私のインプロヴィジョンピアノのコラボを、BGMを止めてクリックすれば、ご覧いただけるようにしました。



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ところで、この世の音楽オーディエンスのほとんどの皆様は、即興演奏のことを「アドリブ」と呼称し、ジャズの占有物だと思っておられるようですが、大変な間違いです。


即興演奏の原点は、クラシック音楽の「インプロヴィジョン」にあり、作曲家と演奏者が同一だった頃は、当然に、行われていました。


モーツァルト、ショパン、ドビュッシー、ラフマニノフ、など、ピアノの弾ける作曲家は出来てあたり前だったのです。


室内楽の作曲の出来ないクラシックピアニストが増えて、音楽大学に、ピアノ科、というものが出来て、全てが専門化しすぎた今日では、インプロヴィジョンの出来ないクラシックピアニストが増えているだけなのです。


が、1986年に日本音楽コンクール・ピアノ部門で優勝した、私の親友の有森直樹君など、トップクラスのクラシックピアニストは、インプロヴィジョンが得意で、私は、彼のインプロヴィジョンには何回も接して来ました。


いい音楽には、いい環境が、必須なのですね。


私は、彼のような、トップクラシックピアニストと、東京で日常的にお付き合いしていたので、弦楽四重奏曲や木管五重奏曲をも作曲したくなったのです。


だって、素晴らしいインプロヴィジョンピアノ演奏は彼らにも任せておけばよい、と思ったからなのです。


それくらい、彼のインプロヴィジョンピアノ演奏は素晴らしかったので、私の耳は、お腹一杯になったのです。


下界の凡人の皆様は、「勝った」、「負けた」と感じて、コンプレックスを持ったり、それをバネに頑張るみたいですけど、笑止千万なことです。


コンプレックスの裏返しの作品や演奏は、誠実さが皆無なので、私は聴けばすぐにわかります。


つまり、コンプレックスの裏返しで成果を上げようとするのは、左脳で出来ることなのですからね(笑)。アーティストは右脳で勝負するのです。


こういう、有森直樹君と私の厚い信頼関係が、ミュージシャン同士の、真の友情なのです。


有森直樹君なら、私とは全然違うように、インプロヴィジョンをやったと思います。が、まあ、彼は、今、国立音大で後進の指導に邁進していますから、やらないでしょうね。


なぜって、彼が大変なヒューマニストであること、だから、今は、自分の弟子の成長に全力で取り組んでいることは、私が一番、よくわかっているからです。


ところで、彼、有森直樹君、は、山形県出身なのです。


私は、山形県に行ったことはないのですけど、絶対に、いいところだと確信しています。


人間を育てるものは、環境だから、ピアニストの有森直樹君を育んだ山形県の、気候、風土は、絶対に素晴らしいに決まっているのです。


ちなみに、東京で出会って師事した、私の作曲の恩師、故.座光寺公明氏は、東京生まれなのですが、幼少期から育ったのは、北海道でした。


だから、北海道の、気候、風土も、絶対に素晴らしいに決まっているのです。


・・・・・等々、東京は、出会いの場に過ぎないのですね。



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さて、インプロヴィジョンとアドリブの相違点は、明確なようで、対位法的処理、つまり、フガート的な要素も即興に加えることが出来るものが、インプロヴィジョンで、コード進行とメロディーと装飾音だけのホモフォニックな要素しか即興に加えることが出来ないものが、アドリブ、ですね。


対位法はクラシック音楽の作曲法の基礎の一部ですから、クラシックの室内楽などの作曲をやっていたら、必須なのですけど、ポップスにおいてはそういう発想がなくなってしまっていますので、仕方のないことなのですが、作曲やアレンジをするケースにおいては、対位法的な処理が出来るかどうかは、キャパシティーに影響しますので、心ある作曲家やアレンジャーの皆様は、対位法を勉強したり、いつも、フーガのモティーフがひらめくような発想法で取り組んだ方がいいですね。


私の経験では、25歳までに、完璧に対位法的処理の整った弦楽四重奏曲を作曲出来た方が、いいようですね。まあでも、駄作をいっぱい書いても、気分が悪いですから、対位法的な処理の嫌いな人はやらなくてもいいですけどね。


ちなみに、ピアニストが即興アレンジにおいて対位法的な処理をすると言っても、腕は二本しかありませんから、2声までなので、さほど複雑なフーガにはならないですね。つまり、右手でショパンを弾きながら、左手で美空ひばりを弾くようなアレンジなんかは非常に簡単に出来ますけど、2本のメロディーラインだけの2声に過ぎません。フーガの基本は3声以上ですから、もう一つ必要なので、内声に、シューベルトを入れて出来れば、OKなのですが、こうなると、即興でやってしまうことには限界が出来ますから、準備が必要なのです。



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有能な読者諸兄はもうお気づきでしょうけど、この場合、ショパン、美空ひばり、シューベルト、の、3つの作品を盗作した(つまりパクッた)わけではないのです。この3つの作品を同時に響かせて、フーガとして効果を上げるには、3つの作品の音列解析が完璧に出来ていないと不可能ですから、盗む、パクる、なんて程度の心構えでは絶対に出来ないのですよ。このようなアレンジは、盗作ではなく、模倣なのです。


まあ、ネット上ではいろんなことを言う人がいて、どの作品が誰の作品の盗作だ、などという議論をしている方が多いのですけど、コード進行とメロディーラインだけという、和声的発想だけの、レヴェルの低い音楽同士ならば、もう、中華人民共和国の水準の盗作(笑)ですから、作曲家の私は全く無関心なのです。


一方で、よく、もういろんな音楽がいっぱいあるので、自分が新しい曲を作曲できない、誰かの曲に似ているんじゃないかと思うとひやひやする、等という馬鹿なことを言っている素人さんがいらっしゃいますけど、そんな風にペシミスティックになる必要は全くないのですよ。


対位法的にやれば、「もういろんな音楽がいっぱいあるので、自分が新しい曲を作曲できない、誰かの曲に似ているんじゃないかと思うとひやひやする」、なんてことは、あり得ないのですよ。


例えば、第一声、浜崎あゆみ、第二声、浜田省吾、第三声、槇原敬之、第四声、スピッツ、第五声、尾崎豊、のそれぞれの代表作で、五声のフーガを書くような手法を使えば、模倣は無限に出来るのですからね。ただし、このフーガは絶対に趣味の悪いものになるでしょうね(笑)。


ちなみに、これまで作曲されたフーガで、一番声部の多いものは、メシアンの作った、12声のものがあるのですけど、これは、音楽であるかどうかのギリギリの響きになっていますので、聴かない方がいいですし、私は、12声のフーガような発想は絶対にしないことにしています。気が狂っちゃいますからね(笑)。


本当に、音楽の世界は深遠なのです。



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去年、生誕200年のショパンは、尊敬するJ.S.バッハについて、次のように書いていますので、それをご紹介しましょう。


「バッハは私に天文学者のことを思わせる。ある人はバッハの中に複雑な音型以外の何ものも見ることができないが、バッハを感じ、これを理解することの出来る人々に、バッハは、彼の巨大な望遠鏡に連れてゆき、彼の傑作である星を嘆賞させる。」・・・・・フレデリック・フランソワ・ショパン


つまり、ショパンが言っていることは、音楽という芸術が、極めて数学的な処理に基づいて作られた、無限大の可能性があることで、対位法の世界を完成させたJ.S.バッハを天文学者に例えているのです。


音楽宇宙は無限大なのです。音楽宇宙が有限に見える人は、作曲法の勉強が不足しているだけなのです。



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まあ、このサイトには、ハンドルネーム・マーマレード・という、自称ジャーナリストがいて、本名も名乗れないことからして、既に、阿呆な男がいるようですが、私は、京都大学を受けたのですが滑っちゃったので、滑り止めで受かっていた早稲田大学政経学部経済学科に仕方なく進学したのですけど、おかげさまで、東京には、たくさん、ジャーナリストの友人がいますので、いろいろと自作自演活動では助かっていますので、香川県内のジャーナリスト、特に、放送局は、ただのキー局で大したこともしていないこともよーーーくわかっていますが、ハンドルネームをいいことに私を誹謗中傷している生意気な男なので、一言、付け加えておきましょう。私は、ピアノマンではありませんよ。作曲家です。ピアノは3歳のときからやっていたので、ついでにやっているだけです。私に向かって、誹謗中傷する前に、掲載写真の楽譜が誰の作曲作品の何小説目か、また、この中で使われている対位法の形式に与える効果と和声的な強度、和声的ダイナミスムについて、どんな感想をお持ちになっているのか、明確にご自分の言葉でご説明してから、私の人格、人権、個人の尊厳を踏みにじりましょうね(笑)。面白半分に好き勝手な作り話を書いていたら、許しませんよ。私の名前はハンドルネームではなく本名で、私のホームページ「K.OKADAワールド」(URL;http://ww6.enjoy.ne.jp/~hikohiko32/)にも、住所地、〒760-0004 香川県高松市西宝町2-9-10.B-1-102 を、明記していますので、いつでも、直接私に文句を言いに来なさい。匿名で、陰でコソコソ陰口を叩くことは、絶対に許しませんよ。陰口ではなく、表口(笑)をたたけるものならやって御覧なさい。私は、いつでも、受けてたちますよ。



以上、へらこい(笑)、高松市内に存在していない方がよいと思われる卑怯者に、厳重に申し入れておきます。


  


2011年03月26日

青い国四国からの大地震被災者の応援



四国霊場八十八ヶ寺・75番札所の、総本山善通寺(掲載写真)では、寺社内の宿坊にて今回の東北地方の被災者を受け入れるそうです。



全て、家族連れ向きの、和室で、お風呂は大浴場、食事は有料ですが安いそうです。また、滞在期間は最長2年で、始め1年間の滞在費用は無料だそうです。



お問い合わせ先は 0877-62-0111 ですので、ご希望の方は、ご連絡下さい。



まあまあ、お心を休めるために、海外の(笑)、温暖な青い国四国の、弘法大師の生誕地で、ゆっくり過ごされてはいかがでしょうか。



また、復興に長い時間がかかるようでしたら、善通寺は、四国霊場八十八ヶ寺の総本山ですから、ほかの、八十七のお寺に命令できると思いますし、宿坊や併設ホテルを持っているところが多いので、民間、一般家庭でお部屋が足りないようでしたら、受け入れるだろうと思います。



四国霊場八十八ヶ寺に関しては、滞在希望者の宗派のようなものは全く関係ありません。弘法大師は、真言宗の教祖である以上に、讃岐うどん、豆腐製造技術、豆類からの植物性プロテインの摂取など、日本食文化の根本を始めた偉人ですから、そんじょそこらの新興宗教の教祖とは、桁違いにお心が広いので、四国人は全員日常的に接しています。カトリック教徒、浄土真宗門徒など、宗派など全く関係なく、お参りしていますし、特に、香川県民は、大好きなうどんをいただく度に、始めてくださった弘法大師に感謝していますからね。



また、弘法大師が1200年前に始めた、香川県の偉大な文化の、讃岐うどんを扱っている香川県内のお店が、いよいよ、3月29日から、福島県いわき市に、炊き出しに行かれるそうです。



讃岐うどんは、お金の絡む『名物』ではなく、資本主義時代になるはるか以前の平安時代から続く、『文化』、ですので、東北地方の被災者の皆様は、どうか、ご遠慮なく、たくさん召し上がって下さいね。



このような、弘法大師の業績による、被災者の支援に対して、ガタガタ文句を言う人は、全員、弘法大師の祟りがありますよ(笑)。そして、弘法大師の祟りの方が、マグニチュード9よりもはるかに恐ろしいものだということは、皆様、ご高承の通りです(爆)。





  


Posted by 岡田克彦 at 13:25Comments(0)讃岐うどん

2011年03月26日

マスターのお人柄の素晴らしい「たみ家」






いろんなうどん店にお邪魔していますが、ぼくが一番、マスターのお人柄の気に入っているうどん店は、高松市藤塚町の「たみ家」さんです。



大体のうどん店のマスターは職人気質の方なので、作曲をやっているぼくは、たいていは馬が合うのですけど、その中で、一元客にもとても丁寧で感じがよく、また行きたくなる讃岐うどん店が、「たみ家」さんなのです。



「たみ家」のマスターは、香川県の方ではなく、大阪出身なのですが、とても研究熱心で、素晴らしい喉越しのうどんを提供されています。



このお店の最大の特徴は、素晴らしく美味しい紀州梅干のトッピングが無料で取り放題なのですが、ダシも、それに合わせて、昆布の強いものにしていますので、いつも美味しくいただけます。



また、巻き寿司なども、とても美味しいのですが、全て、うどんのダシに合うように考えられているお店です。



掲載写真は、「たみ家」の、『紀州梅入り・温かいかけうどん』、です。


  


Posted by 岡田克彦 at 01:23Comments(0)讃岐うどん

2011年03月25日

うどんと共に幸せな一日




先日も、私は、近所の讃岐うどん店での讃岐うどんと共に、幸せな一日でした。



まず、先日のブランチは、「こだわり麺や・高松支店」にて、『かけうどん(150円)・鰺のフライ(100円)・かやくご飯のおにぎり(80円)〔しめて、330円〕』をいただきました。



そして、買い物の後、午後遅い時間のおやつに、「さか枝」にて、『かけうどん(160円)・海老練りこみのおてんぷら(90円)〔しめて、250円〕』をいただいたところで、雪がふり始めたので、夕食に、「さぬき麺市場」へ食べに行くことは中止して、「番丁」のうどん玉を買って帰り、夕食は、『肉ぶっかけうどん生醤油うどん』」を自分で作って食べました。



三食ともうどんにすると、とても、胃の調子がいいのですよ。



掲載写真は、「こだわり麺や・高松支店」の、自家製小麦の出来具合を報告するパンフレット、です。






  


Posted by 岡田克彦 at 07:50Comments(0)讃岐うどん

2011年03月25日

「たも屋」・新しい讃岐うどん店の代表




「たも屋」は、平成14年創業の新しいさぬきうどん店の代表です。社長の若い黒川さん以下、全員、素晴らしくサービスのいいお店です。



高松で麺の量の一番多いセルフさぬきうどん店で、揚げたての天ぷらをはじめトッピング類はすべて手作りですが、手作りコロッケが抜群に美味しいので有名です。



本店〔住所 高松市朝日新町1-16 電話 087-821-4480 営業時間 7:00~14:00 休業日 日曜(12/29~1/4) 県外客のリクエストで祝日は開店することになりました。〕 は、JR高松駅から少し東に行った、浜街道から海に突き出たF地区の中にありますが、林店〔香川県高松市林町6-38/tel 087-816-0888 営業時間 AM7:00~PM3:00/定休日 なし〕、藍住店〔徳島県板野郡藍住町徳命字元村東25-1(パルス藍住内)/tel 088-692-1266 営業時間 AM11:00~PM5:00/定休日 月曜〕、高知店〔高知県吾川郡春野町弘岡下3454-1/tel 088-894-5131 営業時間 AM10:30~PM2:30/定休日 なし〕等、支店が増えているお店です。黒川社長がいつも本店で働いているので、ぼくがいつも県外の音楽の友人を連れてゆくので、すっかり顔なじみになっていますが、この前、高松のうどん店「もり家」が、浜松に支店を出したところ、新幹線に乗って東京から食べに来る人もいるような状況なのに、「たも屋」は、まだ、東京、関西に支店を出していないので、ぼくが、「黒川さんは、次の、たも屋の支店を東京や関西なんか放っておいて、ニューヨークかパリに出すつもりでしょう。」と言うと、爆笑していましたけど、まだ、40歳代になって少しだから、彼なら出来ると思っています。



主なうどんのメニューは、かけうどん(小)180円、かけうどん(大)260円、かけうどん(特大)330円、ぶっかけうどん(小)250円、ぶっかけうどん(大)330円、ぶっかけうどん(特大)400円、ざるうどん(小)250円、ざるうどん(大)330円、ざるうどん(特大)400円、釜あげうどん(小)250円、釜あげうどん(大)330円、釜あげうどん(特大)400円、釜玉うどん(小)300円、釜玉うどん(大)380円、釜玉うどん(特大)450円、肉うどん(小)350円、肉うどん(大)430円、肉うどん(特大)500円です。



私がいろいろ食べた経験では、ここ「たも屋」のうどんの値段が、高松市内のセルフ店の適正価格だと思っていただければよいお店ですので、ここより高いセルフ店は、全て、高い、ここより安いセルフ店は、全て、安い、と、一刀両断に判断していただければよい、模範的に素晴らしいこしとつやつやの表面のうどんです。ですから、かけうどん180円よりも、たとえ10円でも高いセルフサービスうどん店は、10円分のうどんとダシの付加価値がないとダメだ、ということ、また、かけうどん180円よりも、10円でも安いうどんでも、「たも屋」より不味かったら食べない方が良いセルフ店だ、ということです。



午前7時開店ですが、名物の、手作りコロッケ(120円)、は、午前9時からなので、行かれる時は、午前9時以降の来店がいいですが、ここのコロッケは、ほとんど全員が取りますし、テイクアウトする人も多いので、12時には売り切れますし、14時前には麺が売り切れますので、閉店になりますので、13時までには行かれたほうがいいです。



また、ここは、ショウガ、ネギ等とともに薬味として並んでいる、天かすが素晴らしいのです。超サラサラの天かすで、ダシにつかった直後に溶けるので、抜群に美味しいです。また、大根おろしと、紀州梅干も、無料で取り放題になっています。大根おろしと、紀州梅干、無料で取り放題のセルフ店は、高松市内でも、ここ「たも屋」だけです。ですから、胃の調子が悪い時なんか、ここのかけうどん1玉(180円)に、山のように大根おろしと紀州梅をタダですからいっぱい載せていただくと、胃の調子がよくなってしまうのですよ。



本店は、JR高松駅から、タクシーでも近いので、午前中にJR高松駅に着かれたら、まずは、ここ『たも屋』と、以前にご紹介した『しんせい福岡店』、『大吉』が、セルフさぬきうどん店としては美味しいので、このどちらかに行かれて、高松でセルフさぬきうどんの醍醐味を味わう出発点にすればよいと、ぼくは思います。



そして、高松市内には、既にご紹介した、「まるいち」「さか枝」「番丁」「めりけんや」等の、セルフの美味しいさぬきうどん店がいっぱいありますので、2泊3日程度だったら、3食全部、セルフの美味しいさぬきうどん店で行けますよ。まぁ、でも栄養が偏るといけないから、たまーーーに、「一鶴(いっかく)」の骨付き鳥、「しゃぶ亭まる」のしゃぶしゃぶ、「レストラン北斗」のステーキ定食か、懐石料理店「篠之路(しののじ)」の2汁7菜の2600円の瀬戸内海の魚を使った懐石料理を召し上がれば、安く美味しいおなか一杯の体験が出来るのでいいのじゃないかな、って思います。



間違えても「はなまる」のようなところへ行ってはなりませんよ(笑)。



『名物にうまいものなし』という格言があるみたいですけど、これは、少なくとも、ぼくの住む香川県のさぬきうどんは名物ではなく文化なので、あてはまりません。



つい週末の先日、高松市内古馬場町の行きつけのスナックに、仕事で疲れたので、夜遅く飲みに行ったら、隣の席で、30歳になったばかりの、体育会系の若手サラリーマン数名が、大阪から高松の出張帰りに来て飲んでいました。



随分カラオケが上手かった(「シーソーゲーム」は、とても好きな曲なんだけど、昭和32年生まれのぼくは、歌詞の使い方についてゆけないのですが、彼らは見事に歌っていました。)ので、いろいろおしゃべりしたところ、仕事が終わって明日の土曜日の夕方のフェリーで大阪に帰るまでの時間は美味しいさぬきうどんを食べることに使いたいとのこと、西讃方面の「山越」に取引先の人に連れて行ってもらってとても美味しかったけど並んで大変だったこと、明日、栗林公園を見てから帰るけど、もっとさぬきうどんを食べたいんだ、と相談を持ちかけられたので、今から、ホテルに帰る途中に「鶴丸」のカレーうどんと、「北古馬場 ごえもん」のあさりうどんを食べることと、翌日フェリーが夕方遅く出るまでの栗林公園でゆっくり散策する1時間半以外の時間に、「わら屋」「源芳」「たも屋」「しんせい」「まるいち」「さか枝」「番丁」「田中」「うどん市場」「風月」「うどん棒」「根っこ」「めりけんや」「さぬき麺業」あたりに行けばいいよ、と言って地図を書いてあげました。大喜びで、「おーーーし、全部行くぞ。」と騒いで大急ぎで、「鶴丸」に向かったので、ママさんに叱られちゃったんだけど、高松でうどんにかなうものはないのですよね(笑)。



全部回るのは無理だな、と思いましたけど、まあ、全部美味しいし、美味しいとぼくが思う順にご案内しましたし、全部回ってもそんなに高くつかないな、と思ったので、頑張ってる若いサラリーマンのことを微笑ましく思ってお見送りしました。



掲載写真は、香川県中小企業家同友会高松第1支部で講演中の、「たも屋」の黒川社長、です。


  


Posted by 岡田克彦 at 07:10Comments(0)讃岐うどん

2011年03月25日

『君と好きな人が百年続きますように』




一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」は、ぼくが絶対に歌わない曲、聴いて一人ただ、泣いて酒に溺れていたい曲です。



「君と好きな人が百年続きますように」・・・・・ここが実に実に、ぼくの心に迫ってきて、もうダメなんです(涙)。



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「ぼくは、もう百年持たないよな。」という気持ちになってしまって、でも、そんなに長く生きても仕方ないよな、なんて気持ちも交錯してしまうのです。



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でも、一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」は、2001年9月11日に起きた米国同時多発テロをうけ、平和を願い歌った傑作で、基本には人間同士が愛し合うという原点があるので、本来の意味はご案内しないといけません。



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ハナミズキ(作詞;一青窈)


空を押し上げて 手を伸ばす君 五月のこと どうか来てほしい 水際まで来てほしい つぼみをあげよう 庭のハナミズキ

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように

夏は暑過ぎて 僕から気持ちは重すぎて 一緒にわたるには きっと船が沈んじゃう どうぞゆきなさい お先にゆきなさい

僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように 君と好きな人が 百年続きますように  

ひらり蝶々を 追いかけて白い帆を揚げて 母の日になれば ミズキの葉、贈って下さい 待たなくてもいいよ 知らなくてもいいよ

薄紅色の可愛い君のね 果てない夢がちゃんと 終わりますように 君と好きな人が 百年続きますように

僕の我慢がいつか実を結び 果てない波がちゃんと 止まりますように 君と好きな人が 百年続きますように

君と好きな人が 百年続きますように



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※ 一部の重要な比喩は、下記の通りです。

空を押し上げて手を伸ばす君=生きる希望を必死に探す恋人

五月のこと=五月は、ハナミズキの開花時期

水際まで来てほしい=「水際」は、花の世界で生命の源を表す言葉なので、「水際まで来てほしい」は、どうか生きて戻ってほしかったという意味です。

つぼみ=これから花咲くもの。将来、希望のこと

ハナミズキ=日米友好の花、平和の象徴

夏は暑過ぎて=夏(2001年9月11日のテロ事件)は暑く辛すぎた

一緒にわたるにはきっと船が沈んじゃう=救助は来ないから、二人とも助かって生き延びることはできない

どうぞゆきなさいお先にゆきなさい=最初に救助されなさい、先に行けば自分も後から行くから

僕の我慢=ぼくが生きることを諦めたこと

果てない波=争いごとと、君の辛い気持ち

蝶々=自由

白い帆=前述の「船が沈んじゃう」で出てきた船を使った比喩で、白は、平和を表します。

ひらり蝶々を追いかけて白い帆を揚げて=自由を求めて、生きようと頑張ってみたけどだめだった。けど、平和への思いは捨ててないよ。

母の日=五月

ミズキの葉、贈って下さい=君の家の庭のハナミズキを送って、平和を祈っていてください



※ 歌詞全体の意味は下記のとおりです。

2001年9月11日、米テロ事件に遭った私と君。人生これからという時期に、亡くなってしまった君。君は必死に生きようとしていたね。けど、自分よりも私を助けた。できれば、生きて戻って欲しい。でもそれはかなわなかった。君と同じような人を出さないためにも、そして君のためにもこれからの平和を祈りたい。

日米友好、平和の象徴のハナミズキ。私の庭のハナミズキのツボミを、君の墓前に送ろう。このハナミズキのツボミが咲いて薄紅色の花を見せる頃には、平和な世になっていることを祈って。君とぼくが百年、一緒にいられる、そんなささやかな幸せを過ごせるような世界になることを祈って。

あのテロ事件は辛かったね。ぼくから助かろうってのはぼくには無理な話だった。だから、君は気にしなくていいんだ。二人同時に助かる方法はなかった。だから、「君が先に行きなさい、そうすればぼくは後から行くから」と言ったんだ。ぼくは生き残れないとわかっていた。ぼくの生きることをやめた我慢が実を結び、君が幸せになれますように。戦争が終り、平和な世の中になりますように。そして、君とぼくが百年、一緒にいられるような世になりますように。自由を求めて、生きようと頑張ってみたけどだめだった。けれど、平和への思いは捨ててないよ。

君が幸せになったら、君の家の庭のハナミズキの葉をぼくの墓前に送ってください。世界が平和になったという証に。君はもう、ぼくを待って辛い思いしなくていいんだよ。君はそんな苦しみなんか知らなくていいんだよ。



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この曲の本来の意味を知って聞く時、



「君と好きな人が百年続きますように」の一言は、やはり泣けて泣けて仕方ないですね。



どうして、永遠じゃないのか、百年なのか?



それは、人間なんて、たかだか百年前後生きてる程度の動物だからなんですね。



一青窈(ヒトトヨウ)の「ハナミズキ」は傑作です。

  


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2011年03月24日

素晴らしき中学生達・・・『命あることを喜ぼう』




2011年3月16日の午後、NHKのニュースを見ていたら、岩手県陸前高田市の避難所で、被災した中学生たちが、ポスターを描き壁に張っているのですが、その文言が、何と、



「ガンバロー高田 命あることを喜ぼう」、なのです。



感動しました。



この中学生達の家は津波で流されて、家族も行方不明なのです。でも、避難所にいっぱいいる人たちに何か希望を届けたいと思って、このポスターを作ってはったのだそうです。



なんとピュアーで優しくたくましい子供達だろう、と、感動しました。



責任追及されないようにビクビクとテレビに映っている、東京電力の担当者、また、その担当者に横柄な態度で質問したり言葉じりの細部ばかりを追求している、阿呆民放放送局のニュースキャスターの面々は、この中学生をちょっと見習って欲しいものですね(笑)。



今回、一連の、東北地方太平洋沖地震の報道を拝見して、精神状態が歪んでいるのは、被災者ではなく、マスコミ、それも、民放放送局の阿呆な取材担当者であることが明白になりました。



精神状態が歪んでいる、すなわち、感受性が乏しい、ということです。



困ったものですね。というのも、感受性の欠落は、絶対に改善不可能だからなのです。民放放送局の阿呆な取材担当者は、よほど、ひどい環境でお仕事をなさってきたのでしょう。全くもって、『ご愁傷様』なことですね(爆)。



でもでも、この、素晴らしいメッセージのポスターを作った、岩手県陸前高田市の避難所にいる、被災した中学生たちに、私は、日本の明るい未来を予見しました。



掲載写真は、この素晴らしき中学生達が、作ったポスターを避難所の壁にはっているところです。






  


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2011年03月24日

横浜在住・ピアニストの親友・M女史の転居





昨日、三陸沖地震への義援金を振り込んだ後、帰宅して、大好きなマッキーの「Answer」と、ドビュッシーの「ノクターン」を聴いて、ボーーーッとしていると、横浜在住の、旧知のピアニスト・M女史から電話がありました。



計画停電のため、電気が必須の心臓病を患っている、介護している91歳のお母様のために、ご実家の岡山に転居しようと思っていること、とりあえず、3月20日に、新横浜から岡山までの新幹線を予約したいのだが、JR東日本と連絡がつかないので、新横浜から岡山までの、のぞみのグリーン車チケット2枚を、高松で手配できないか、という連絡がありました。



旧知の仲なので、口調で、急いでいることがすぐにわかりましたので、高松旅館組合会長をしていた、亡き祖父・岡田照馬の知り合いの旧知のJTB高松の知人を介して早速手配し、チケットを即刻横浜に送付していただき、3月20日に、岡山にいらっしゃることになりましたので、よかったです。



JTB高松もボヤボヤしていたので、「あなたのせいで、私の親友のお母様が亡くなったら、どうしてくれるのですか。海外の高松の私のところにまで頼みに来ているのですよ。今、大地震が起こって、本州は大変なので、急ぐのですよ。」と、ちょっと、大騒ぎしました(笑)けど、私自身、母が脳内出血で意識不明になり目の前で息が止まって亡くなるまでみとった経験から、母親の命がどれほど大切かは身にしみていますので、容赦しませんでした(笑)。



人の命よりも大切なものは、この世には存在しないことなどは、あたり前のことですから、人間として当然の義務を果たしただけなのです。



今回の地震発生以来、旧知の友人がたくさん住んでいる東京の音楽の仲間達とは、いろいろ、連絡していましたが、少しでもお役に立て、嬉しく思っています。



老健施設を紹介して欲しい、とのことでしたので、高松ならば、私の高松高校時代の友人の経営している病院や老健施設がいくつもあるので、安心しなさい、と言って、ご案内することを約束しましたので、彼女も、ほっとしていました。



岡山と高松の老健施設やマンションの大体の代金はわかっていますから、岡山よりも高松のほうが、食事代などを含めると、はるかに住みやすいこと、ただし、マスコミと政治家には、香川県にはろくな人がいないので、知り合いがいないところでいらっしゃったら大変だろうけど、香川県立高松高校卒業の知り合いがいれば、ものすごく住みやすいことなど、洗いざらいお話いたしました。



が、まあ、香川県は農協と漁協がしっかりしているので、魚や野菜が新鮮で安く美味しいことと、瀬戸内海の波の音に包まれて暮らす方が楽なことなど、客観的事実をお話しました。



お話しするうちに、話題は、お互い大好きなフランス近代室内楽の話題になってしまい、「ニンの作曲した『フルートとピアノのためのファンタジー』を、是非、演奏したいんだけど、この、フルートパートを完璧に吹ける人、高松にいますか。」と聞かれた私は、「それは、まず、高松には一人もいませんよ。だけど、倉敷にはいるかもしれないでしょうね。」と、キッパリ、答えました。



こんなこと、あたり前のことですよ。ご高承のように、ニンのファンタジーのフルートパートは、フラッタータンギングと、循環呼吸が完璧に出来ないフルート奏者には演奏不可能ですからね(笑)。



まあ、そんなこんなで、もうすぐ、お花見の時期が来ますので、私の住んでいる高松市西宝町は、桜の名所なので、美しい三ッ星公園の栗林公園や、安く美味しい讃岐うどん店共々、ご案内したいと思っているところです。



掲載写真は、Mさんの来高面会時に、まずご案内したい、JR高松駅近くの、「こんぴらや・兵庫町支店」の『温泉卵ぶっかけうどん(290円)』、です。他にも、「うどん市場・兵庫町本店」の『肉ぶっかけうどん(320円)』、もいいのですけど、まずは、手切り麺の「こんぴらや」ですね。



ところが、急に、森女史は、お母様の具合が悪くなったので、お母様を自宅でヘルパーさんに任せて、2月21日に、一人で岡山までやってきました、そこで、M女史に、私の旧知の、元、コンビニ・ポプラの開発部長だったT氏が、今、T不動産で働いているので、ご紹介したところ、お話があったようなので、高松市内の物件については、T氏にお任せすればOKなので、ほっとしているところです。



私は、作曲の仕事があって、今回は、急な話だったので、会えなかったのですが、4月になったら、本格的に、高松に移住するので、その後、またゆっくりと思っていましたら、午後の4時過ぎに、南新町を田町の方に向かって歩いている、肉うどんを食べたい、との電話があったので、田町の、黒田屋をご紹介して、一方で、旧知の、黒田屋田町店のおばちゃんに電話して、手配を完璧にしました。里芋のおでん、稲荷寿司、肉たっぷりうどんに、ショウガをつけて出してもらうこと、来店してから茹でていただくことなども完璧にお願いしました。また、M女史には、おでん味噌は甘いの7割辛いの3割でブレンドしたら美味しいこと、デザートに、隣の喫茶「ルピナス」でコーヒーを飲むのは、もったいないので、黒田屋で、冷たい生醤油うどん(240円)をデザートとして食べるか、隣の喫茶「ルピナス」に行くのならば、小豆島の「島の光」のそうめんを置いているのでそれを食べた方が、糖分を控えられてヘルシーなことも全て伝えました。また、岡山のホテルに帰る際には、田町のマルナカで、大西食品の醤油豆を買って帰るようにご案内しました。



瀬戸内の小魚と、しゃぶしゃぶなどの美味しくて安いお店は、4月にお花見のついでにご案内することにしています。まあ、とりあえずは、海外(笑)の高松に疎開した方がいいでしょうね。首都圏はお水も大変ですのでそれがいいです。けど、疎開なんて、まるで、太平洋戦争の頃のようですね(笑)。



それにしても、・・・・・、東京電力のていたらくは、いったいなんなんでしょうね。ライフラインを扱っている組織ですけど、東京電力は、設立以来、最初から民間企業なのですよ。顧客満足を考えたとき、計画停電のようなものは許されません。しかも、被曝にさらされているのが、東京電力の社員や役員ではなく、グループ会社の若い従業員だとは、何と度胸のない社長だろう、と、私は呆れました。被災者のことを考えると、私は、いたたまれない気持ちになりますけど、インタビューに、トロトロと答えている東京電力の担当者に、被災者を思いやる熱いハートは、全く感じられませんが、視聴率しか考えていない民放の取材担当者も、全く哺乳類とは思えませんね(笑)。





  


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2011年03月24日

『We Love Mackey』のこと




先日、三好君のところへ遊びに行った帰り、彼の親友の、高畑女史が自家用車で、私を自宅まで送って下さいました。



行きは、三好君の自家用車に乗せてもらったのですが、三好君と高畑女史の感性の違いを私は強く感じましたので正直に申し上げました。



というのも、三好君は、カーステレオで、ラップのようなものを聴いていたので、呆れたので黙っていたのですけど、高畑女史のカーステレオから流れてくる音楽は、音構成から、すぐに、私の大好きな、槇原敬之氏の作品だと感じましたので、私はすぐに高畑女史の趣味のよさについてご案内したのです。



基本的に、私は、裏表のない正直なリアリストで、且、全ての人間に優しいヒューマニストなので、車に乗せてもらって送ってもらう時に、趣味の悪い音楽をカーステレオで流していたら、文句は言わず黙っています。だって、わざわざ送って下さっているのだから、その程度のこと、最低限の礼節ですし、楽器に頼らずに曲を書いている私は、直ちに、外界の音をシャットアウト出来ますので、どうもないのです。



もちろん、私は、自動車にも乗るのですけど、晴れた日には、自転車の方が圧倒的に好きなので、母の介護をしていた頃は、母を病院に送ったりするために車に乗っていましたけど、母の没後は、出来るだけ自転車が好きなので自転車に乗っています。



理由は、エコ、とか、そういうものではなく、自転車に乗って高松の町を移動するのが好きなためなのです。東京と違って、高松市内にはほとんど坂道はありませんし、空気が美味しく瀬戸内海の波の音や潮の匂いがするので、高松市内の近場は、いつも自転車で移動しています。



そのため、遠方の、三好君の家に行く時には、いつも、彼が車で迎えに来てくれるので、私は、助手席にしか座ったことがないのです。こんな調子で、ともかく、私は、わがままなのです(笑)。



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と、ここまでならば、よくあるお話なのですが、私が、マッキーの作品の好きな理由が、高校時代大好きだった、カーペンターズと極めて近い感覚でアレンジしているからだということ、高校時代にアメリカのシアトルでホームステイした頃、「イエスタデイワンスモア」の入った、アルバム「now & then」が大流行していたこと、帰国後、カーペンターズのファンクラブに入り、来日した時には、大阪まで聴きに行ったこと、カレンとその時握手したことなどを、若い高畑女史にお話して、和声学的に言って、マッキーのルーツはカーペンターズにあること、などを、お話していたら、「どうしようもない僕に天使が降りてきた」を歌っているのが、藤井フミヤなので、思わず笑ってしまいました。しかも、私が、マッキーのナンバーで、「ミルク」、と並んで大好きな、「ANSWER」、は、な、な、な、何と、コブクロが歌っているのです。



コブクロの歌う、「ANSWER」、素晴らしいじゃないですか。久々に感動しました。で、高畑女史に、かかっているCDのことなどを質問したら、新しく出た、〝We Love Mackey〟というアルバムで、マッキーの好きなアーティストが歌っているのだ、とのことだったので、たちまち気に入ってしまったら、CDを貸してくれました。だから、私は、御礼に、自作の「記憶の底の栗林公園 OP.111」などの入った私のアルバムを彼女にプレゼントしましたけど、私の自作アルバムよりも、マッキーの作品のアルバム〝We Love Mackey〟の方が数億倍素晴らしいことは、間違いないことだと、確信しました。



以来、私は、〝We Love Mackey〟と、フォーレの「ピアノ五重奏曲・第2番」を聴くことが、日課になってしまうほど、素晴らしいアルバムなので、まだ、聴かれたことのない皆様は、是非、お聴きになることをお勧めいたします。



〝We Love Mackey〟の中では、ゴスペラーズの歌う「うん」、一青窈の歌う「SPY」、福原美穂の歌う「素直」、miwaの歌う「北風 ~君にとどきますように~」、それぞれいいのですが、何と言っても、コブクロの歌う「ANSWER」が、最高です。



私は、疲れてゆっくり寝たいとき、睡眠前に、「グレゴリオ聖歌」か、J.S.バッハの「マタイ」のアルトのアリア、を、聴くことが多いのですけど、コブクロの歌う「ANSWER」は、これらと同じ効果があるくらい、素晴らしいのです。



掲載写真は、『We Love Mackey』、です。



  


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2011年03月24日

私の行きつけの讃岐うどん店決定




「でもさあ、『ぼっこ屋』の5玉280円というのは、美味しいよね。高松市内でも、ぼくは、自宅から離れているけど、ここ『ぼっこ屋』に食べに来るよね。」



と言ったぼくに対して、『ぼっこ屋』のすぐ近所にオフィスのある、親友の松野不動産の跡取りの松野君は、かつて、ぼくにこう言ったものでした。



「讃岐うどん店については、行きつけのお店が決まったら、オレは捜さないっすよ。『ぼっこ屋』は確かに美味しくて安いけど、麺やダシのちょっとした加減が小さい頃から食べている、行きつけの讃岐うどん店の方がいいですからね。」



・・・・・



という意味で言うならば、私の行きつけ店は、高松市番町四丁目にあった「久保製麺所」、「手打ちうどん・番丁」、か、最盛期の「かな泉・本店」が、生まれ育った高松市番町四丁目から一番近かったので、このどれかになります。



「さか枝」も、自宅からは近かったのだけど、行きつけではなかったのです。また、「こだわり麺や」も、「まるいち」も、私が高校時代だった頃には、まだ、高松に支店を出していなかったので、自分の味覚が明瞭に覚えている、美味しいうどんは、「久保」、「番丁」、「かな泉」、なのです。



この3店の内、私の上京から母の介護のためのUターン以降まで、ずっと続いているのは、「番丁」だけで、「久保製麺所」は閉店しましたし、「かな泉」は、バブル崩壊直後に倒産しそうになったところを、冷凍食品の「加ト吉」にM&Aされてから味が落ちましたので、「番丁」が唯一の行きつけなのですが、「番丁」は、一般店で、早朝から夜までやっているわけでもなかったので、日常的な讃岐うどん店にはなりませんでした。



しかし、私の味覚は、この3店のうどんを求めていたため、森田さんの始めた「もり家」、瓦町の「88うどん」が、自分にフィットすると感じていました。が、この2店は、私の自宅から、遠かったので、歩いてすぐにゆける範囲では、「丸山製麺所」、「吾里丸」を愛用していました。



こうした中で、完璧に、「久保製麺所」、「手打ちうどん・番丁」、最盛期の「かな泉・本店」、と、全く同じ系統の、朝早くから夜8時までやっている、セルフうどん店の、郷東町の「さぬき麺市場」が、歩いてすぐに行けるところに開店したのですから、私の食生活は大幅に変わったのです。



こういう事態は、うどん王国の香川県内でしか起こりえないことなのでしょうけど、こういう事態の歴史が1200年続いているのが、香川県なのですね(笑)。



といった次第で、ここ何日間か、またまた、郷東町の「さぬき麺市場」へ食べに行ってしまいました。美味しいですし、私にとっては、とても、ほっと癒されるうどんなので、これで、私の行きつけ讃岐うどん店は決定したのです。



行きつけということは、生うどんも買って帰りますが、冷凍うどんが定着してから、高松市内のスーパーには、どこも、冷凍うどんが数種類置いていますので、私自身、いろいろと買って食べ比べております。



冷凍うどんについては、現在のところ、私は高松市内では、「コープの冷凍うどん」が、一番、生醤油や釜玉にも対応出来る優れたものだと思っています。



が、醤油は「こだわり麺や」、トッピングの『高野豆腐の天麩羅』は、「マルナカ」、『金時豆のかき揚げ』は、「マルヨシセンター」、練り物のさつま揚げの『おてんぷら』は、「天神前センター」、『ダシ昆布』と『鰹節』は、南新町商店街の「丸一」、に決めています。



でも、こういう食材を買って楽しむことも、高松市内に住んでいないと出来ないのですよね(笑)。



掲載写真は、一昨日お邪魔した、郷東町の「さぬき麺市場」の、『かけうどん、びっくり鶏天、大根のおでん』、です。




ここを行きつけにして、たまーに、「番丁」、「丸山製麺所」、「こだわり麺や・高松支店」、「まるいち・郷東店」、「つるいち」、「さか枝」、「明石家」、あたりの近所のお店へ行けば満足なのですね。




もちろん高松市内での移動は晴れた日の自転車に限りますよ。私は、自動車も運転しますけど、うどんをいただく前後は、瀬戸内海の波の音、潮の香り、がしないと、食欲が半減するのです。まあ、東京に20年以上住んで、大阪に5年間住んでいましたので、ドブネズミがいっぱい生息している、新宿の地下街のようなものは、大嫌いなのですよ(笑)。




讃岐うどんをモティーフに作曲した作曲作品には、朝うどんをいただくことの多い、宮脇町の、「丸山製麺所」さんを扱った、「丸山製麺所の歌」、「加ト吉にM&Aされる前の最盛期の、1970年代の、かな泉」ガありますし、四国霊場八十八ヶ寺、栗林公園、コトデン、などは、モティーフになります。しかし、地下鉄丸の内線、都営地下鉄新宿線、六本木ヒルズ、お台場、原宿、のようなものは、作曲作品のモティーフにはなりません。「六本木ヒルズ」には絶対なれないのに、7階建てで頑張っている、ビジネスホテル「高松ヒルズ」や、阿波池田にある「民宿ヒルトン」ならば、モティーフになるのです。何故なら、モティーフは人間の喜怒哀楽の琴線に抵触するものでないとお話にならないからなのです。








  


Posted by 岡田克彦 at 06:21Comments(0)作曲