2011年11月30日
「まるいち・郷東店」にて

今日の午後は、仕事の合間でしたので、「まるいち・郷東店」にて、ゆったりと過ごしました。
すなわち、お昼ご飯に、「まるいち・郷東店」の『しっぽくうどん』、『大根と焼き豆腐のおでん』、『塩昆布と温泉卵丼』、をいだいたあと、お客さんも一段落したので、顔見知りのパートのおばさん、アルバイトの男の子と、讃岐うどんのことなど、いろいろとおしゃべりしました。
いろんなことをしゃべっていたら楽しくて、ついつい長居してしまい、3時になったので、おやつにどのうどんがいいかたずねたら、『かけ釜うどん』をすすめられたので、それに、ゴボウと鯵のてんぷらを載せていただきました。
『かけ釜うどん』というのは、茹でたうどんを水で洗ってしめない、釜揚げ状態のまま、かけだしをかけていただくもので、注文してから茹でるので、釜玉うどん同様、5分少し待たないといけないのですが、釜揚げ状態のうどんの好きな人たちに好評だそうです。

いただいてみてわかったことは、水でしめたうどんよりも弾力性があり、非常に美味しかったです。
このような、変わった食べ方を要求するお客さんがいるというのも、香川県ならではのことですので、何だか、ほっとしました。

掲載写真は、順に、「まるいち・郷東店」の『しっぽくうどん』、『大根と焼き豆腐のおでん』と『塩昆布と温泉卵丼』、『かけ釜うどん・ゴボウと鯵のてんぷら載せ』、お店で売っている、「まるいち」本店のある坂出市の農場自家製の、『フルーツトマト』、です。
2011年11月29日
昨日のうどん

昨日の昼食と夕食は、当然、うどんでした(笑)。
まず、昼食は、番町の「こだわり麺や・高松支店」で、『しっぽくうどん』を食べようと思って行ったのですが、お昼を少し過ぎていましたので、既に売り切れていました。
普段なら、ほかのメニューですませるところなのですが、私は、どうしても、『しっぽくうどん』を食べたかったので、そのすぐ斜め向かいの「ばん家」へ行って、『しっぽくうどん』を頼みました。
すると、「もう、売り切れました。」との、若いアルバイトの店員から返って来たので、「えーーーっ、残念だな。おしっぽく欲しかったんだけどな。」と話していると、隣にいた大将が、「しっぽくやな。なんとかしましょう。ちょっと待っての。」とおっしゃって、5分ほどで作ってくださいました。
まあ、顔なじみになっていれば、こういうことも、高松の讃岐うどん店では、あるのですよね。嬉しくいただきました。また、天麩羅がいろいろあったのですけど、ブロッコリーと竹輪の天麩羅、というのが、串刺しになって80円だったので、それもいただいて、大将に御礼を言って出ました。
嬉しくなったら、また、もう一軒、梯子したくなったので、そのあと、続けて、自転車ですぐの、「さぬき麺業・錦町支店」に行ったところ、さすがに、『しっぽくうどん』はここも売り切れていましたので、おすすめを聞いたら、ぶっかけうどんが美味しいとのことだったので、『きざみぶっかけうどん』(260円)を、はじめていただきました。

これがまた、素晴らしく美味しかったので、感動してしまいました。午後は、自宅で、作曲をずっとしていましたので、夕食は遅い時間になったので、ネットで注文していたインドカレーとナンが来たので、それを食べてもよかったのですけど、私は、今日は、やっぱりうどんにしよう、と決めていましたので、近所の、郷東町の「さぬき麺市場」へ行きました。
いつものように、かけうどん2玉(270円)、びっくり鶏天(300グラムの鶏の天麩羅・100円)、高菜のおにぎり(100円)と、新しく始めた、びっくりかき揚げ(100円)をいただきました。
参りました。郷東町の「さぬき麺市場」のびっくりかき揚げも、ものすごいボリュームで、にんじん、さつまいも、たまねぎ、キャベツ、小エビ、が入っていて、ものすごく美味しかったので、感激しました。

神原社長はいらっしゃらなかったので、若い店員さんに、この前、神原社長が、西日本放送局のテレビに出ていたことをお話したら、「そうなんっすよね。取材が来たのですよ。」とおっしゃっていたので、私はちゃんと、カメラアングルが悪かったので、神原社長はもっと格好いいのに格好良く映っていなかったことを、ご説明しました。
西日本放送局のカメラマンは下手くそなので、取材を受けるのなら、高松ならば、絶対に、NHKか山陽放送でないと、格好良く映らないことを社長にお知らせするように言いましたら、爆笑していました。
掲載写真は、順に、「ばん家」の『しっぽくうどん』と『竹輪とブロッコリーの天麩羅』、「さぬき麺業・錦町支店」の『きざみぶっかけうどん』、「さぬき麺市場」の、『かけうどん2玉』(270円)、『びっくり鶏天』(300グラムの鶏の天麩羅・100円)、『高菜のおにぎり』(100円)、『びっくりかき揚げ』(100円)、です。
2011年11月28日
「うどん本陣 山田家」がやります。

この春完成する、東京スカイツリータワーに、高松市牟礼町の老舗讃岐うどん店「山田家」( URL;http://www.rakuten.co.jp/yamada-ya/?scid=rm_210220 )が支店を出すことになりました。
これで、やっと、東京の皆様も、正しい香川県高松市の讃岐うどんを召し上がれますね。
FCではなく、支店だ、ということが、讃岐うどん店の場合は、決定的なのです。
たぶん、値段は、首都圏の不動産代金の対応分だけ、高松よりは高くなりますけど、加ト吉の冷凍うどんよりも、新しく出来るスカイツリータワー店で玉売りする、生うどんの方が絶対に美味しいですから、食べに行くだけでなく、是非、玉売りの本場の讃岐うどんを東京在住の皆様は買えるようになるのですから、それが一番よいことなのです。
「山田家」出身のうどん職人さんは間違いありません。私の自宅近所では、高松市鶴市町の「つるいち」のうどんが素晴らしいですから、素晴らしいことです。何しろ、高松市鶴市町の「つるいち」の冬の定番の、『豚しゃぶしゃぶうどん常夜鍋風』、素晴らしい『しっぽくうどん』、『カレー釜玉うどん』等は、全部美味しいですからね。
ただ、ちょっと心配なのは、トッピングの瀬戸内のイカゲソの天麩羅が、高松市内と同品質、同価格(100円)になることはないと思いますので、高松にある香川県漁連とコラボした方がいいとは思いますけど、東京には徳川家康以来の、辛ーーーーーい、佃煮を少しとってごはんをたくさんかきこむ、という、長く貧しい歴史があります(笑)ので、「たかがうどん」「たかがイカゲソの天麩羅」と思われている方もいらっしゃることと思いますので、高松と同じ味になることはないと思います。
でも、香川県高松市の讃岐うどんは、弘法大師が始めた平安時代の1200年前からの歴史がありますので、讃岐うどんに関しては、高松が正しく、徳川家康以来、400年程度の歴史しかない、東京の歴史では、対抗出来ないことは、皆様ご高承の通りです。
既に、東京の新宿には「麺通団」、国電の各駅構内には「めりけんや」など、正しい讃岐うどん店が出ていますので、「讃岐うどん」に関心のある東京都民の皆様は、その内実はご存知なのですが、問題は、価格です。東京都内のセルフ店の、かけうどんが、高松並の180円に、トッピングの魚介類や野菜の天麩羅が、高松並の90~120円くらいにならないと、讃岐うどんは日常食になり得ないのです。
東京都の不動産代金を考えると、商品の原価率から、東京都内の讃岐うどん店のうどん提供価格が、高松並になることは不可能でしょうけど、東京都内の土地代が異常に高いことを、東京都内在住者は、日々、反省していただきたいなあ、と願っています。
400年そこそこの歴史しかないのですから、東京都在住の皆様は、もっと謙虚にならないといけませんね。
掲載写真は、昨日の夜食にいただいた、高松のコンビニエンスうどん店「黒田屋」(営業時間が、11:00~翌朝の5:00 の、昭和33年開店の老舗一般店)の、『きざみうどん』〔お揚げ細切りとたまねぎを、讃岐風に甘辛く炊いたものがかけうどんに載っている、360円の、夜食にぴったりの温まるうどん。最高に美味しかったですよ。〕です。
2011年11月25日
「しっぽくうどん」な一日

本格的に寒くなった今日のお昼、私は、高松のうどん店のしっぽくうどんを梯子しました。
まず、自宅近所の番町の「こだわり麺や・高松支店」で、しっぽくうどん、ちくポテ天、大根と筋肉のおでん、をいただきました。
その後、温まりすぎて暑くなったので、冷たいうどんを食べようと思って、「綿谷・高松南新町支店」に行ったのですが、冷やしうどんよりも、今は、蕎麦の旬の季節なので、と、ざるそばを勧められましたので、香り豊かなざるそばをいただきました。
まあ、「綿谷」は、肉うどんの素晴らしいお店で、しっぽくうどんはやっていませんでしたので、冷たいぶっかけか、生醤油、冷やしうどん、の中から選べば、間違いなく美味しいことはわかっていましたが、たまには、ざるそばもいいですね(笑)。
私の両隣の若者は、山のような肉うどんを食べていましたが、とても美味しそうでしたので、ちょっとうらやましく感じながら、でも、ざるそばは、また、とても美味しかったのでよかったです。

こうして、体が涼しくなりましたので、丸亀町商店街の「明石家」で、しっぽくうどんをいただきました。

もう一軒、「さぬきうどん番丁」の『しっぽくうどん』をいただくつもりでしたが、さすがにお腹いっぱいになったので、今日の昼食は、以上の三軒でおしまいにしました。
掲載写真は、順に、「こだわり麺や・高松支店」の『しっぽくうどん、ちくポテ天、大根と筋肉のおでん』、「綿谷・高松南新町支店」の、『ざるそば』、「明石家」の『しっぽくうどん』、です。
2011年11月22日
ブータンの国王夫妻の来日に思うこと

ブータンのジグメ・ケサル・ナムゲル・ワンチュク国王夫妻がさわやかに来日され、帰国されました。
私は、この一連のニュースを拝見して、現在のブータンの状況などを知り、まだ私が幼稚園児だった頃の、高度成長時代に入る前の高松を思い出していました。
多くの人達は、ブータンのことを知り、「癒された」と言っていますが、1950年代の日本は、まさしく、今のブータンの状況に近かったように感じました。
幸福、という言葉の概念を、改めて、考えないといけない時期が来ていると思います。
GNPが幸福の唯一の指標として日本は歩んで来たのですが、その弊害として、拝金主義がはびこり、麻薬が蔓延し、生きとし生けるものの命よりお金の大好きな国民が一般的になったようです。
私は、改めて、チャップリンの次の言葉を性根にすえないといけないと思いました。
「人生に必要なものは、勇気と想像力とほんの少しのお金だ!」
皆さんは、これを少し加工すれば、ブータンのような社会環境はすぐに作れるのですよ。
「人生に必要なものは、『人道的に間違えた行動をしている未知の人を注意する』勇気と、『未知の人を感動させる』想像力と、『自分が100年そこそこ生きて死ぬことの出来る』ほんの少しのお金だ!」
2011年11月21日
うどんな一日

今日は、香川県の名物の「どじょううどん」をテーマにした、「どじょりんピック」が、香川県さぬき市で開催されました。
毎年のことなので、高松生まれの私は、あたり前なのですけど、県外の皆様は、「讃岐うどん」はよくご存知なのですが、「餡餅雑煮」と「どじょううどん」には、通常、「ゲーーーッ、そんなもの食べるのですか。」と驚かれることが多いのです。
が、この「餡餅雑煮」と「どじょううどん」は、いずれも、香川県の歴史にのっとった、由緒正しい郷土料理なのです。
すなわち、この二つの料理には、降雨量が少なく、お米が凶作になることが多かったという、香川県の悲しい歴史と、これを何とかしようとした、香川県善通寺市出身の弘法大師が影響しているのです。
まず、「餡餅雑煮」は、香川に和三盆を作る素晴らしい製糖技術があったからこそ、餡餅を作れたのですが、この、和三盆を作る製糖技術は、もともと香川県のものではないのです。
弘法大師が若い頃修行した四国の険しい山々にある、四国霊場八十八ヵ寺の巡礼は、昔から行われていたので、四国の人達は、巡礼にいらっしゃるお遍路さん=弘法大師、と信じて、お遍路さんを大切に接待するというしきたりがありました。
ある時、鹿児島からお遍路にいらしていた方が、香川県の東地区で疲れて行き倒れになっていたのを、地元の人達が助けて薩摩の国へお送りしたのです。「同行二人」という、お遍路さんの用語があるのですが、これは、四国霊場八十八ヶ寺を巡礼するお遍路さんは全員、一人で歩いているのではなく、弘法大師様と二人で歩いているので大切にしないといけない、という意味なのですが、これが、四国では昔から信じられていましたので、行き倒れになっているお遍路さんを助けるということは、四国の人にとってはあたり前のことだったのです。
が、助けられた、鹿児島からいらっしゃったお遍路さんは、大変に感謝されて、助けてくれた人たちへの御礼に、製糖技術を教えてくれたのだそうです。これが、香川県東地区の和三盆のはじまりになりました。
江戸時代になると、香川県の名産品は、讃岐三白〔さぬきさんぱく〕と呼ばれていましたが、これは、塩、綿、と、和三盆、のことでした。塩は讃岐うどんの材料でしたし、当時は、綿もとれていました。が、和三盆という砂糖は、当時は全国的にも大変貴重なものだったため、全て幕府に献上されていましたので、お正月くらい、お砂糖を使った餡餅を白味噌汁に入れた雑煮を食べたい、という庶民の願いから、餡餅雑煮が誕生したのです。

一方、降雨量が少なかったことから、平安時代に高級官僚だった弘法大師は、満濃池などのため池を香川県にたくさん作りました。そして、このため池に住んでいたフナ(てっぽう)を使った和え物の「てっぱい」とならんで食された讃岐地方の郷土料理が、味噌仕立てのやわらかいうどんの「打ち込みうどん」にどじょうを入れた、「どじょううどん」だったのです。
ただし、「どじょううどん」は、数ある讃岐うどんの中でも、一番スパイシーな食べ方をします。すなわち、どじょうの入った味噌仕立ての打ち込みうどんに、ニンニクと辛子をふんだんに入れていただくので、どじょうの臭みは全てなくなるのです。昔は、「どじょううどん」は、夏の暑い盛りに暑気払いとして食べていたそうです。
他県の皆様で「どじょうは苦手だ。」という方は多いと思いますし、香川県民でもどじょうの得意な方はあまりいないと思うのですが、高松空港からも近い、「宝山亭」の『どじょううどん』は素晴らしいですから、もし、高松にいらっしゃったら、一度は召し上がってくださいませ。
さて、私は、今日が「どじょりんピック」の日だということは知っていたのですが、非常に寒かったので、今日の昼食は、自宅近所で、一番温まる「しっぽくうどん」の梯子をしました。
高松市番町「ばんや」の『しっぽくうどん』、高松市番町「こだわり麺や・高松支店」の『しっぽくうどん』、といただいてから、最後に、「さぬきの夢2009」の小麦100%で手打ちしている磨屋町「川千」の『しっぽくうどん』と思っていましたが、「川千」の『しっぽくうどん』は、12月からだとのことでしたので、『梅ワカメうどん』と『松茸ご飯』をいただきました。

掲載写真は、順に、「ばんや」の『しっぽくうどん』、「こだわり麺や・高松支店」の『しっぽくうどん』と『カボチャ天』、「川千」の『梅ワカメうどん』と『松茸ご飯』、です。
2011年11月20日
雨の日の高松でのうどん店めぐり

昨日はあいにく一日雨でしたので、高松中央商店街でうどん店を回りました。
まず、昼食は、丸亀町商店街の「明石家」にて、『しっぽくうどん』『大根のおでん』『チーズと青紫蘇の鶏肉巻のフライ』『小松菜のおひたし』、をいただきました。
とても美味しかったので、食後、青汁をいただいてぼーーーっとしていると、しっぽくうどんに入れたショウガがきいてきて、体がポカポカして来たので、デザートには冷たい系統のうどんをいただこうと思い、兵庫町商店街の「こんぴらや・兵庫町支店」に向かってぶらぶら歩いていましたら、丸亀町商店街から兵庫町商店街に曲がるところの三町ドーム下で、なかなかいい、サックスの演奏をしているのが聞こえてきましたので止まりベンチに腰かけて聴きました。
ポピュラーナンバーの昔の映画音楽から、「慕情」をやっていたのですが、最後のデミネンドの表情が素晴らしかったので、この演奏者は東京からいらっしゃった方だろう、と、すぐにわかりました。

続いて、「シェルブールの雨傘」「追憶」と、素晴らしい演奏だったので、ミキシングスペースを見たら、果たして、丸亀町商店街振興組合の鹿庭(かにわ)さんがいらっしゃったので、お聞きしたら、今日の出演のギターとサックスは、東京のボサノバ奏者として有名な「サバトス」のメンバーだとのことでしたので、納得しました。演奏後、出演していたお二人と名刺交換し、11月22日の夜、高松の北浜アリーナで開催される、ボサノバの演奏のご案内をいただいたので、行くことにしました。
CDを買ってサインしてもらっている方がたくさんいて、「岡田さんも買いませんか。」と、丸亀町商店街の役員の方に言われたので、私はちょっとムッとして、「何をおっしゃっているのですか。音楽が一番正しく伝わるのはライブですよ、CD収録の音楽なんて死んでますよ。せっかく、高松にいらしてるのだから、私は、11月22日のライブを聴きに行きますよ。演奏されていたサックスのあなたはどう思いますか。お金儲けのためにはCDが売れたほうがよいことは私は百も承知してますけど、CDよりは、生がずっといいでしょう。」と言うと、「そのとおりです。」と返ってきて、大笑いになりました。
ここで、もし、「いえいえ、CDも買ってください。」なんて、拝金主義の回答があったら、「サバトス」も大したことないグループだと思いましたけど、やはり、あれだけの演奏をする方ですから、音楽が正しく伝わるのがライブであることをきちんと理解しているので、とてもいいアーティストだと思いました。
こうして、三町ドーム下でちょっと時間が過ぎたので、「こんぴらや・兵庫町支店」に到着したら、午後のおやつ時間になっていましたので、冷たい系統のうどんは、おやつとしていただきました。

「こんぴらや・兵庫町支店」の冷たい系統のうどんで私が一番気に入っているものは、『冷たい明太子マヨネーズサラダうどん』ですので、それと、『キャベツのかき揚げ』を、午後のおやつにいただいてから、ちょこっとスウィーツなどを買ってから帰宅しました。
掲載写真は、順に、「明石家」の『しっぽくうどん』『大根のおでん』『チーズと青紫蘇の鶏肉巻のフライ』『小松菜のおひたし』、高松市三町ドーム下特設ステージでの、サバトスのライブ、「こんぴらや・兵庫町支店」の『冷たい明太子マヨネーズサラダうどん』『キャベツのかき揚げ』、です。
2011年11月16日
「わたや製麺」の早朝の肉うどん

今朝は、朝早く、5時半に、自転車で近所の、「さか枝」で、朝うどん、と、朝日本蕎麦、をいただきました。
何しろ今は、蕎麦の旬ですから、老舗讃岐うどん店も、日本蕎麦を出しています。
今朝は、お腹が空いていたので、かけうどん、かけそば、半熟ゆで卵天、アナゴ天、いなり寿司、ミンチかつ、をいただきました。
が、それでも少し足りない感じがしましたので、久しぶりに、観光通りまで自転車で走り、「わたや製麺」の『肉うどん』をいただきました。
こんな早朝から肉うどんをいただくならば、「わたや製麺」に限るからです。
「わたや製麺」は、おじいさんとおばあさんが二人で昔からやっている、高松市の街中で、かけうどん150円のお店で、地元客でいつも朝から混んでいる製麺所です。
私が「わたや製麺」を気に入っているのは、うどんが手切りの細麺で、肉うどんの味付けが素晴らしいからなのですが、うどんの麺は、出来立ての早朝に限るのです。

朝6時開店なのですが、本当に、感動的な肉うどんでした。が、果たして、瓦町近辺の地元の人達でいっぱいでした。あまりにも美味しかったので、食後、私は、朝風呂に入りに、ゴールデンタイムに行きました。
掲載写真は、順に、「さか枝」の、『かけうどん』、『かけそば』、『半熟ゆで卵天』、『アナゴ天』、『いなり寿司』、『ミンチカツ』、「わたや製麺」の、『肉うどん』、です。
2011年11月15日
高松市香西東町の「ダイキ」近辺のうどん店から

昨日は、私の住む高松市西宝町の西隣の香西西町のDIYの「ダイキ」に用があったので、朝、昼、間食、と、全て、この近辺のうどん店でお食事をしましたので、それをご案内いたします。
このブログを書き始めて5年少しになりますので、その間に、高松市内の讃岐うどん店もいろいろ変わりました。店主がお亡くなりになったり、ご病気になったりしたため、閉店になったところも多々あります。
しかし、讃岐うどんは、香川県人の日常食なので、閉店になったところには、若い人達が修行後、ベンチャーでお店を始めることがあったり、セルフサービスチェーン店はお店の数を増やしていますので、トータルでは、讃岐うどん店の数は、高松市内では確実に増えています。
高松市香西東町、鶴市町、郷東町、界隈は、鶴市町の「池上」「田吾作」や「のぶや」、香西西町の「名もないうどん屋」などが、郊外のほうに移転したり、亀岡町から郷里東町に移転してきた「壱番や」が閉店するなどのことがありましたけど、その跡地に、「まるいち」などのチェーン店の支店や、全く新しいお店が開店したりしています。
その点では、いつ行っても、新しい出会いのある楽しいエリアですね(笑)。
昨日の朝は異常に早く目が覚めましたので、自転車ででかけ、すぐ近所の「ジョイフル」で、チョコレートケーキセットをいただいてほっとしてから、まずは、朝うどんを食べに、番町の「さか枝」にゆきました。というのも、「さか枝」は、朝6時開店になっているのですが、お客さんが朝5時すぎにはやってくるので、開いているはずだったからですが、思ったとおり開いていました。
早速入って、温かいかけうどん(160円)に、地の小エビのかき揚げ(80円)を載せて〔しめて240円〕いただきました。
隣に座った丸亀市出身で現在高松に住んでいる若者など、全員、香川県民でした。こればっかりは、しゃべっている方言のイントネーションですぐにわかります。
一時期、讃岐うどんがブームになった時には、早朝の朝うどんに観光客がいらっしゃっていましたが、やっと、平穏に戻ったようでほっとしました(笑)。
食後、少し肌寒い朝でしたが、よく晴れていたので、すぐの大的場まで自転車で行って、瀬戸内海の風情を楽しみながら、浜街道をぷらぷらしてから帰宅しました。ここのところいろいろと忙しかったので、ほっとするひと時でした。
その後、午前10時までに写譜が終わりましたので、久しぶりに、香西東町のDIYの「ダイキ」へ、自転車で県道33号線を西へ向かいました。
そして、「ダイキ」の用件がすんでから、お昼ご飯は、うどんに決めていましたが、鶴市町界隈もだいぶ変わっていましたので、変わっていないうどん店の「なみき食堂」を見つけたので、そちらで、お昼をいただきました。

前回、「なみき食堂」に来たのは、母の一周忌が終わってすぐだった『栗林公園庭園コンサート』に、ここのおばちゃんがお孫さんといらして下さった直後だったので、3年前のことになります。かけうどん200円で、とても流行っているようで、従業員が増えていましたので、ほっとしました。
随分自転車で運動したので、冷たいひやしうどんを、ここの名物のお惣菜盛り合わせと一緒にいただきました。
今日は、小松菜のいいのが入ったとのことでしたので、小松菜のおひたし、鶏のから揚げ、卵焼きなどの盛り合わせ(250円)をとりました。

このあたりは、印刷工場がいっぱいあるので、いつもながら、そこで働いている皆さんの常連さんでいっぱいでした。久しぶりに讃岐弁が飛び交う中でいただくうどんは、格別なもので、ほっとしました。
そして、「なみき食堂」を出て、西宝町へ帰る途中の33号線沿いには、かつて、「名もないうどん屋」の本店があった、工場跡地なのですけど、湯佐町に移転した後、営業を休んでいたのですけど、この前、岡本のほうに再開店した、とのことが、ニュースで流れていましたので、威勢のいい女将さんは相変わらずだろうと思っています(笑)。
が、その、かつて、「名もないうどん屋」の本店があった、工場跡地には、新しいうどん店がオープンしていましたので、もう一軒、寄って軽食をいただいてから帰宅しました。
それが、「むら家」〔香川県高松市香西東町394-1 TEL.090-3184-5434 営業時間.11:00~15:00 定休日.水曜日〕でした。
この「むら家」は、うどんの麺に自信のあるお店のようで、かま醤油うどん(120円)などの、生醤油うどん系統をベースにしていましたので、私は、ひやたま明太子うどん(250円)をいただきました。

全て、セルフで、だし醤油を自分で好きなだけかけて食べるスタイルのお店でした。
果たして、モチモチ感の素晴らしい、太麺でした。見回すと、この店も常連客でいっぱいでした。またまた、美味しいうどん屋さんが増えましたね。よいことです。
掲載写真は、順に、「さか枝」の『温かいかけうどん、地の小エビのかき揚げ載せ』、「なみき食堂」の『冷やしうどん、と、お惣菜盛り合わせ』、カウンター上いっぱいのいろんなお惣菜コーナー、「むら家」の、『ひやたま明太子うどん』、です。
2011年11月13日
高松らしい、秋晴れのうどんな1日

ここのところ急に寒くなってきましたので、高松市内のほとんどのうどん店は、「土三寒六」の決まりに従って、麺のこしを弱くして、温かいうどんや、根菜を煮込んだしっぽくうどんに合うようにうどんを手打ちして下さるので、とても美味しくいただけます。
よく晴れた秋晴れの昨日は、3食ともうどん、という、素晴らしい一日でした。
まず、朝は、自転車ですぐの近所の、「こだわり麺や・高松支店」で、温かいかけうどん、ちくポテ天〔ちくわの穴にマッシュポテトをつめた天麩羅〕、イカゲソ天、大根と筋肉のおでん、に満足していただきましたが、店長にお聞きすると、しっぽくうどんを始めたとのことでした。
ただ、しっぽくうどんは昼前からの開始なので、次回午後以降に来店したときには、しっぽくうどんを食べようと思いました。
私の住む近所で、しっぽくうどんが、350円で、一番安くて一番美味しいのは、「こだわり麺や・高松支店」だからで、毎年楽しみにしているからなのです。
昼前に、三越へ買い物に行った後、兵庫町商店街をブラブラしていたら、FM高松のディレクターだった、アンリ女史とばったり出くわしましたが、彼女が、K女史というピアノの先生とご一緒だったのでおしゃべりしました。そうすると、お二人は、「今、私達、いちばってきました。岡田さんも、いちばりなさいよ。美味しかったわよ。」とのことでした〔「いちばる」とは、高松市内在住の団塊の世代用語で、「うどん市場・兵庫町本店」で食べる、という意味です。同様の用語にまでなっているお店は、高松市内でも、「さぬいちする」(「さぬき一番・一ノ宮支店」で食事する、の意)くらいですので、「うどん市場・兵庫町本店」と「さぬき一番・一ノ宮支店」は、高松市民に一番日常的なうどん店になっている、ということですね。〕と言われましたので、お昼は、「うどん市場・兵庫町本店」の、この冬の新しい人気創作メニューの「柚子コショウうどん」〔かけうどんに、鶏肉の塩照焼、鳴門ワカメ、ネギ、柚子コショウが載っている、素晴らしく温まるうどん〕(290円)を、ここの素晴らしいたくさんの種類の小鉢類(全て90円)の中から、「オクラの煮浸し」をとって、一緒にいただきました。

お昼ごはんに、380円で、このバランスのよい食事が出来る、からこそ、高松市内の団塊の世代の皆様や転勤族の皆様は、全員「いちばる」のです。そして、歩いてすぐの丸亀町商店街の「明石家」は、ポッカの缶コーヒーを全て50円で売っていますから、ランチで、430円以上使うことは絶対にないのです。
「うどん市場・兵庫町本店」の中央通並びの、リーガゼストホテル高松支店のワンコインランチは500円もするので、他県の皆様は、ワンコインランチは安いと思っていますけど、高松市民は高いと思っていますから、ガラガラですし、近所の香川銀行本店向かいの、しゃぶしゃぶ割烹「まるや」の鶏肉のしゃぶしゃぶランチは、499円もして、飲み物がついていませんから、年に2,3回、どうしてもしゃぶしゃぶを食べたい時に、このあたりのサラリーマンはランチを食べに行く程度なのです。
ご飯の領域で、「いちばる」皆様に対等に対抗出来るのは、「うどん市場・兵庫町本店」の3軒隣の、「まいしょくや」の『卵焼き定食』(350円)だけなのです。
さらに、「うどん市場・兵庫町本店」には、2種類のお惣菜の載った大きな小鉢〔大きな小鉢なんて矛盾していますけど(笑)〕(全て130円)が何種類もあって、仕切りの入った小鉢には、『トンカツとゴボウと生野菜のサラダ』、『牛皿とナスの煮浸し』、『ウナギの蒲焼とシラス大根おろし』のようなものが載って、130円なのですから、今月の新しい創作うどん(290円)と、2種類のお惣菜の載った大きな小鉢(130円)をとっても、420円なのですから、吉野家でも、かなわないのです。
が、「うどん市場・兵庫町本店」のすぐ斜め向かいの「はなまる・兵庫町支店」は、肝心のうどんが全くだめな上に、天かすが、中国製で、「うどん市場・兵庫町本店」などの「はなまる」「はすい亭」以外の高松市内のうどん店では、天かすは、全て、青海苔の天かすですし、大根おろしや昆布の煮付けも無料のトッピングで置いていますので、絶対にかなわないのです。また、「はなまる」の天かすが中国産であることが広く知れ渡ったため、親御さんの指示で、高松市内の学生の皆様も、「はなまる」には食べに行かないようにしていますので、この客層は、「マクドナルド」方面に流れているようですね。
中国産の天かすほど、危険なものはありません。何でも食べる中華料理の歴史があるのですから、「はなまる」の天かすは、もしかしたら、蛇の天麩羅の天かすかもしれないのですから、ドジョウ総理は、中国から輸入している天かすには特別な危険物関税をかけて、日本に入れないようにしてくださらないと困ります。TPP交渉においても、東南アジアの国々から、天かすの輸入は禁止していただかないと困るのですよ。
以上のように、「うどん市場・兵庫町本店」は、高松市内在住の団塊の世代、転勤族、の圧倒的な支持をキープしていますから、うどんが素晴らしい、近所の「さぬき麺業・兵庫町支店」、「さぬき麺業・錦町支店」も、かけうどんは170円、磨屋町の「さぬきうどん 川千」は、『かけうどん150円』をキープしていますし、「さぬきうどん 川千」は、『鍋焼きうどん』は、年中置いていて、肉、野菜、卵、などが、鉄なべに入って出てきて、580円、という、激安なのです。
さて、こうして、「うどん市場・兵庫町本店」に入って、食べていた私の隣の席には、高校生の友人連れ10人が入って来て、食べていましたので、早速話しかけて。「よかったよかった、斜め向かいの『はなまる』に入ったら何の天かすかわからないようなものは、絶対にトッピングせずに、ダシも何で取っているかわからないので、茹でたうどんだけオーダーして、味の素と醤油をかけるだけの、生醤油うどんにして食べるようにした方がいいよ。それと、『はなまる』は金の亡者だから、トッピングの天麩羅を高くして、トッピングで稼ごうなんて、浅ましいことを考えているからね。それが嫌なら、食べ盛りの君達はマクドナルドに行ったほうがいいよ。」、とお勧めしました。
霞ヶ関が信用できない今日、うどんの故郷で暮らしている54歳のアーティストの私にとって、正しい、安全な外食状況の情報を若者に提供することは義務なのですから、当然のことをしたまでのことです。でも、私の高松高校時代の同窓生達も、そのように動いていますから、香川県高松市に限っては、TPP交渉がどうなっても大丈夫なのです。なぜなら、香川県では、うどんが主食、お米は副食に過ぎないのですからね。
円高だから外国に買物旅行に行く人達や、輸入商品を扱っているお店が稼いでいること、TPPが成立して、諸外国に自動車を輸出しやすくなるとふんでいる経団連の皆様。このあたりをお金儲けのために報道している民放放送局やテレビ出演したくてたまらないコメンテーターの皆様、全員、人類も大自然の一部であることを肝に銘じましょう。
日本国の歴史を見れば明白ですが、日本は弥生時代に始まる米作をベースにした、農耕民族国家として発展してきたのです。そして、この日本人の本質的な性格は、為政者の交代を経ても全然変わっていないのです。
従って、TPPのようないろいろなジャンルで自由化するのならば、大変に細かいチェックが必須なのです。それくらい大変なことなのですから、政権交代や利権配分のような超短期の事象で判断してはいけないのです。霞ヶ関の官僚達は、たくさんの国々全ての歴史や文化風土を熟知しているのでしょうか、あるいは、それを知るような勉強をされているのでしょうか。私ははなはだ疑問なのです。
人間も大自然の一部ですから、1万年も生きることはないのです。従って、人間が一生のうちに手にするお金のようなものは、資本主義時代が始まってからの浅い歴史しかありません。しかし、日本民族が農耕民族であることには、弥生時代からの長い歴史があるので、絶対的に、キープされなくてはならないことなのです。
100年そこそこ、この世で暮らしている人間が幸せな一生を送るにあたって一番大切なものは、衣食住です。今の時代、たくさんのお金でこれらはよいものが手に入れられますが、そのお金をたくさん手にするために、法律すれすれのひどいことをする金の亡者がいることも忘れてはならないのです。
「はなまる」の天かすが中国産であることも、悪賢い一攫千金の劣悪商売人が考えたことなのです。コスト削減などという言葉を使ってもダメですよ。それを口にするかもしれないお客様が被害を蒙ったらおしまいなのですからね。第一、コストなんて、赤字、黒字、同様、損益計算書上の超短期の経営用語なのです。
たった1年の黒字のために、1200年前から続いている、讃岐うどんという長期にわたる食文化をないがしろにしていれば、確実に、地獄に落ちるのですよ。
食文化は地産地消が一番なのです。が、私は、地産地消を拡大解釈して、電気も地産地消にすれば、電気不足や原子力発電所の設置場所も全て解決するように感じています。
すなわち、東京都の首都圏、関西エリア、名古屋界隈に人が集中していて、電気がたくさん必要なのならば、全ての原発は、東京、大阪、名古屋、などのど真ん中に作ればよいのです。野菜だけじゃなく、電気も新鮮なものが一番よいのですからね(笑)。
そんなこんなことを考えながら、買い物のあと、サンマルクカフェで、シュークリームとカフェラッテをいただいて、ラークを楽しんだ後、私は、自転車で移動していたので、自宅にいったん戻り、今日は、アルコールを飲みたくなったので、タクシーを呼んで出かけ、北古馬場にゆき、夕食は「北古馬場ごえもん」で、焼酎のお湯割で、おでんをいろいろいただいたあと、でっかい豆腐の湯豆腐と、アサリうどんでしめてから、親友のやっているスナックへ行きました。

高松中央商店街が既にクリスマス一色だったから、マッキーの「雪に願いを」を歌いたくなったからです。とりあえず、美空ひばりの「夾竹桃の咲く頃」、都はるみの「古都逍遥」、「サライ」あたりで発声練習かたがた歌ってから、マッキーをいろいろ歌って飲んで楽しみ、帰宅しました。
こうして、昨日は3食とも、讃岐うどんでしたので、熟睡出来、とてもよかったのです。
掲載写真は、順に、「こだわり麺や・高松支店」の、『温かいかけうどん』、『ちくポテ天〔ちくわの穴にマッシュポテトをつめた天麩羅〕』、『イカゲソ天』、『大根と筋肉のおでん』、「うどん市場・兵庫町本店」の、『柚子コショウうどん』〔かけうどんに、鶏肉の塩照焼、鳴門ワカメ、ネギ、柚子コショウが載っている、素晴らしく温まるうどん〕と、『オクラの煮浸し』、「北古馬場ごえもん」の、『アサリうどん』と『でかい湯豆腐』、です。
Posted by 岡田克彦 at
07:48
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2011年11月08日
「たかが天かす、されど、天かす」

昨日、横浜からいらしていた、旧友の横浜のピアニストのM女史が、高松滞在を終えて、横浜に帰られました。
高松高校卒業後、京都大学法学部を受けたのですが、見事に滑ってしまったので、私は、滑り止めで受かっていた私立大学中で一番学費が安かった、早稲田大学政経学部に仕方なく進学したのでしたけど、大学時代から卒業後就職した住友信託銀行在勤当時だった、1975年~1994年までの間、東京、大阪に在住し、「日本アマチュア演奏家協会理事」として、作曲とフランス近代室内楽を中心にしたピアノ演奏をやっていました。
同世代のMさんと出会ったのは、大学卒業後入会した「日本アマチュア演奏家協会」で理事をしていた頃でした。今でも強烈に覚えていますが、彼女は、私の作曲した「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー OP.58」と、私がフルーティストの友人とよく合奏していた、プーランクのフルートソナタのピアノパートのアナリーゼが気に入っておられました。
早稲田大学時代からずっとそうでしたけど、音楽大学が集中していて、アマチュア演奏家の水準も高い東京で作曲をやっていると、私の作曲したピアノ曲や室内楽曲を演奏したい演奏家の仲間が自然に集まってきますので、コンサート企画集団のサークルを作ったりコンサートを主催することに、私は一度も苦労したことがないのですが、私自身の自分の楽器はピアノでしたから、当然、ピアノ曲をたくさん書いていましたので、ピアニストがいっぱい集まっていましたので、「ショパン愛好会」とか「ピアノと遊ぶ会」という名前のサークルを仲間とやっていました。
が、人間にはいろんな方がおられますので、音楽が好きで演奏活動をしている方もいれば、女性にモテたいので女性が多く取り組んでいるピアノを演奏している男性アマチュアピアニストも多々いらっしゃいました。
しかし、私は、性別などと自分の作曲動機はまったく別でしたので、作曲者の私が気に入った演奏をしてくれる女性ピアニストに私の作曲作品を献呈することは、全て、芸術的な理由だったのですけど、
「岡田さん、あの女性が好きなんですか。彼女と特殊な関係なのですか。」というふうに、私の交友状況を眺める下界の凡人もたくさんいらっしゃいましたが、ご説明するのは、いちいち面倒でしたので、「はい。彼女とぼくは特殊な関係です。」と答えていました(笑)。
作曲した作品を演奏家の友人に献呈する、という関係は、実際、極めて特殊な関係なのですから、間違えたことを言っているわけではありませんね(笑)。
ただし、「日本アマチュア演奏家協会会員」には、アマチュアピアニストよりも、アマチュア弦管楽器奏者が多かったのですが、アマチュア弦管楽器奏者の大半は男性でしたので、私の作曲した室内楽作品は、男性に献呈することが多かったので、「岡田さんはゲイになったようです。」という噂を立てる人もいらっしゃいましたので、可笑しくて可笑しくて、当時愛読していた、ニーチェ以降のドイツ文学のリルケ、ホーフマンスタール、ヘッセなどの影響もあって、私は、人間の好きなヒューマニストになっていったようですね(笑)。
同時に、私は、蓮如上人の執筆した、「白骨の御文」などの仏教的な考え方や無常観を既に自分の感覚にしていました(つまり、人間が1万年も生きることはないのだということを実感していました。)ので、謙虚に毎日を生きることがとても大切だと思って生きていました。
が、彼女は彼女で、敬虔なプロテスタントのキリスト教信者でしたので、自分のちっぽけさを自覚するという、人間にとって、一番大切な感性を持っておられました。
こういった次第で、生粋のアーティストのM女史とは、年齢などは超越して、ずっと仲良くさせていただいています。
が、お互い、出会った頃は若かったのですけど、今回、25年ぶりに再会した一昨日、私は、既に、介護していた母が死去していましたし、音楽大学出身の彼女は、ピアノを教えたり演奏会をやりながら、ご高齢のお母様を介護されていて、大変だなあ、と、私は思いました。
最初の日は、お母様の介護で大変にお疲れのご様子でしたので、瀬戸内海の魚の刺身などの生物は避けて、胃にやさしく、最も温まる、ショウガをたっぷり入れた、根菜、豆腐、鶏肉と伊吹島のイリコベースの「しっぽくうどん」、讃岐うどんを代表するメニューの「温かい釜玉うどん」と、柔らかく、ニンニクがたっぷり入った、讃岐名物の「骨付きひな鶏」と、自分の畑で取れた野菜の「青汁」がいいと思って、私の勧めで宿泊された、高松市百間町の「エルステージ川六」から、アーケード街を歩いてすぐの「讃岐うどん・明石家」でご案内しました。
ただの、高松自慢をしたいのならば、今の時期は、「引田のはまち」が成長した、ブリの刺身、なまこ酢、鮎の甘露煮、鯛のかぶら蒸しなどの加わった2700円の懐石料理の美味しい、「エルステージ川六」真向かいの、割烹「篠乃路(しののじ)」にご案内するところですけど、本当のお接待、というものは、いらっしゃった方の体調をベースにしなくてはなりませんから、先代の大将が、板前だった私の祖父の親友の、割烹「篠乃路(しののじ)」は、次回、M女史がお元気なときにご案内することにしました。
「エルステージ川六」は、もともと、昭和天皇が宿泊されていた高松一の老舗旅館「川六」で、私の祖父の経営していた「丸天旅館」のように、美空ひばりや力道山のような芸能人や格闘技家が宿泊するような格下の旅館ではありませんでしたので、ビジネスホテルながら、高松一客室数が多く、竹林に囲まれた露天風呂もついていて、フランスベッドの枕が備長炭でマイナスイオンで癒される素晴らしい宿泊施設なので、お疲れになった彼女にはちょうどいいと思ってお勧めしました。
案の定、翌日の日曜日の朝までには彼女は、元気になられ、教会へ礼拝に行かれたあと、連絡がありましたので、ミシュランの三ツ星公園の、高松の『栗林公園』へご案内しました。南庭をゆっくりと散策してから、吹上亭で鯉に麩をやってから、飛来峰で眺望を楽しみました。
この二日目は、割烹「小松」の、瀬戸内の海の幸をご案内出来たのですけど、彼女が、大変に、讃岐うどんが気に入ったとのことで、伊吹島のイリコを買って帰りたい、これで、お母様にしっぽくうどんを作って食べさせたい、とのことでしたので、こういう時は、南新町商店街の「丸一」で相談すると、ダシの材料は全部そろいますので、ご案内して言うと、奥様が、しっぽくうどんにちょうどいい、伊吹島のイリコ、ブレンドした鰹節、日高産の昆布をそろえてくれました。醤油は、藤井ふみや氏行きつけの「さぬきうどん・川福」がいいので、ライオン通り商店街の「さぬきうどん・川福本店」へ、うどんを食べずに、醤油を買いに行って、丸亀町商店街の「松風庵・かねすえ」のサツマイモ100%のきんつばの、「唐芋金時」をお母様のお土産に買っていただきました。

その後、「高松人は、喫茶店では休憩しないんだよ。安いセルフうどん店で休憩するんだ。」と言って笑わせながら、南新町商店街の「うどんや」で、特小の『温かいかけうどん』(120円)を食べて、腹ごなしに、高松中央商店街を歩いて、クリスマスデコレーションの整った、丸亀町商店街のドーム下をご案内しました。
そして、夕食は、「こんぴらや兵庫町支店」、「さぬき麺業兵庫町本店」に入って、メニューを見せて、それぞれのうどん店のうどんの特徴をご説明してから〔ご案内しただけですよ。そんなにたくさん食べられないですからね(笑)。まあ、行きつけですから、私が一緒ならばそれでよいのです。〕、「うどん市場・兵庫町本店」で、夕食の、「温かいおろしぶっかけうどん、と、ネギトロ丼」(450円)をとり、讃岐郷土料理の「コノシロのてっぱい」(90円)、「なすと大根の酢の物」(90円)、「伊吹島イリコの天麩羅」(70円)、「タコのゲソ天」(90円)、をとって、取り分けていただきました。
彼女が、驚いているので、お聞きすると、天かすの香りがいい、とおっしゃるので、私は、びっくりしました。ここの天かすは、青海苔の天かすなのですけど、私が生まれた頃からそうなので、あたり前だと感じていたのですけど、「横浜の『はなまる』とは大変な違いだ。」と大騒ぎしていました。
「『はなまる』ねぇ。あれはもう、吉野家にM&Aされたから、讃岐とは縁もゆかりもないお店だよ。何か、『讃岐うどん』なんて暖簾がかかっているけど、あれは、『讃岐うどん』じゃなく、小麦を練った物体にキッコーマン系の濃い口醤油のだしがかかっているものに、中国産の天かすが浮かんでいるから、食べないほうがいいよ。」と言って笑わせました。
「もう、お腹いっぱいだわ。」とM女史は言っていましたが、少しおしゃべりしていると、讃岐うどんは消化がいいので、「讃岐うどんは別腹」と言われているのですが、デザートに、『カレーうどん』(240円)を半分わけしていただきました。
既に、彼女は、一つ一つのうどん店のうどんの長さ、エッジの立ち方、モチモチ感、こしの強さ、喉越し、太さ、が全部違うことに驚いていましたが、高松人は、その日の気分で、自分の体調に合ったうどんを食べること、それを1200年前から続けていることをご案内しました。
「どうだった、デザートのカレーうどんは。」
「デザート、これ、デザートなの。」
「あたり前だよ。カレーライスはデザートにならないけど、カレーうどんなんてデザートだよ。冷たいデザートがよければ、冷たい生醤油うどんを、高松の人はデザートに食べるんだよ。だって、チョコレートパフェより安いじゃない(爆)。」
もちろん、このお店の若いマスターが、「お口直しにどうぞ。」と、『うどんのカリントウ』をサービスしてくださいましたけど・・・・・。
そして、最終日の昨日、岡山の叔父様のところに寄ってから横浜に帰る、M女史の出発前に、「こんぴらや・兵庫町支店」の今年の冬の新しい創作うどんとして登場した、『明太子・釜うどん』〔釜玉ではなく、明太子だけを海苔と合えている素晴らしいうどんでした。〕を、牛筋肉のおでん、豆腐の天麩羅、キャベツのかき揚げ、と一緒に、最後に食べて、マリンライナーでM女史は、出発されました。
今回の、讃岐うどんのご案内は、全て、いろんなスタイルのものを網羅しました。
「明石家」は、強こし系、「うどんや」は、すっきり系、「うどん市場」は、モチモチ系、「こんぴらや」は、細麺系、です。
あいにくの週末でしたので、「森製麺所」のかき揚げ、「こだわり麺や」の冷たいかけうどんとマッシュポテトの天麩羅、「こころ」のカキ氷うどん、「さか枝」のキムチうどん、「丸山製麺」「松下製麺」の讃岐早朝ラーメン、「さぬき麺市場」の300gのびっくり鶏天(100円)、「川福」のうどんすき、「さぬき一番」の麻婆豆腐うどん、等は、ご案内出来ませんでしたけど、讃岐うどんは1200年前から続いていますから、1200年は続きますので、急がなくてもいいですね(笑)。
M女史は、『しっぽくうどん』と『青海苔の天かす』が大変気に入ったそうで、冬に、もう一回、いらっしゃるそうです。
ところで、いろいろご案内したつもりでしたが、私自身も気づかなかったのは、『青海苔の天かす』の香りが素晴らしく、ショウガとよく合うことでした。いつもいつも食べているとあたり前になってるのですね。

まさしく、「たかが天かす、されど、天かす」なのですね。
掲載写真は、順に、栗林公園・南庭・飛来峰でのM女史と私の写真、「こんぴらや・兵庫町支店」の『包丁切りの細麺』、「うどん市場・兵庫町本店」の『青海苔の天かす』などの無料のトッピングコーナー、です。
2011年11月06日
ちょっと待って下さい。

全国の音楽の友人から、昨日高松に到着された、横浜のピアニストのM女史をいろいろ、讃岐うどん店、讃岐骨付き鶏店、瀬戸内海の小魚の懐石料理店、のほか、栗林公園などにご案内している状況について、ブログで紹介して欲しいとのメールをたくさんいただいていますが、彼女が横浜に帰られた後、まとめて、ご案内いたしますので、ちょっと待って下さいね。
昨夜7時過ぎに、横浜のピアニストのM女史がご到着され、まず、夕食に、本格的な讃岐うどんと、骨付き鶏を食べたいとのことでした。また、あいにくの小雨が降っていましたので、先代社長をよく知っている、「エルステージ川六」が、百間町にあって、高松中央アーケード街に近いので、そちらにお部屋を取るようおすすめしました。JR高松駅からタクシーで1メーターの所ですから、その旨お伝えし、「エルステージ川六」のロビーで待ち合わせしました。
しかし、同世代の彼女とは、実に、25年ぶりの再会でしたので、お互いわかんないといけないので心配していました。
そこで、私は、6時半には、「エルステージ川六」のロビーに行って、フロント係全員に面会し、私の大切な旧知のピアニストの友人が初めて高松にいらっしゃるので、そそうのないようにお迎えするようお願いいたしました。そして、この、露天風呂もついている「エルステージ川六」は、枕を選べるのですが、マイナスイオンの一番豊かな、備長炭の枕が一番いいのですが、自由に借りられるようになっているのですが、一番最初に、なくなるので、私は、備長炭の枕を彼女のためにとって、ロビーで待っていました。
夕食ですが、ご高承のように、横浜には、骨付き鶏の「一鶴」の支店は出ていますし、関内駅構内には、讃岐うどん「めりけんや」の支店も出ているのですが、値段が高松よりもはるかに高いのです。また、讃岐うどん攻略本情報だけでは、讃岐うどんの美味しいところは早朝からお昼まで、と書かれていますが、そんなことはないのですよ。
事前に、高松生まれ高松育ちの、旅館を経営していた板前の祖父を持つ私が、板前さんのしっかりしたいきつけの讃岐うどん店にお邪魔して状況をご案内すれば、絶対に美味しいうどんを提供できるのです。私の事前調査で、「エルステージ川六」からアーケード街に入って、その時間に素晴らしい讃岐うどん〔釜玉うどんと、しっぽくうどん〕と、骨付き鶏〔ひな鶏〕を提供できるお店は、丸亀町商店街の「明石家」でした。『釜玉うどん』だけならば、兵庫町の「こんぴらや」「うどん市場」も大丈夫でしたし、『うどんすき』ならば、兵庫町の「さぬき麺業」もOKでした。また、瀬戸内海の魚を使った懐石料理店ならば、「エルステージ川六」の真向かいの「篠乃路(しののじ)」が、2汁7菜で2700円でしたので、このどれかにご案内しようと思いました。
しかし、彼女のお母様は、心臓病で、彼女が介護しながら、ピアノを教えたり演奏していることを知っていましたので、相当お疲れになっていることは明白でしたので、最初の日の夕食は、体に優しく最も温まる「しっぽくうどん」がいいと思いましたので、この讃岐うどん店4店の中で一番「しっぽくうどん」が美味しいのは「明石家」でしたし、「明石家」は『ひな鶏』も美味しいので、讃岐うどん店は夜中の12時までやっている「明石家」にしました。が、まあ、彼女はうどんを食べたがっていました、が、瀬戸内海の魚とのオプションは、本人に任せようと思って、「明石家」と「篠乃路」の両方に予約を入れておきました。
こうして、ご到着されましたので、丸亀町商店街に入り、おみやげは、「松月庵かねすえ」の『辛いも金時』というきんつばがいいので、そこをご案内し、完成したばかりの全面ガラス張りの5階建てのガラスのアーケードからクリスマスイルミネーションの美しい、丸亀町ドームもご案内してから、丸亀町商店街の「明石家」にゆきました。
思ったとおり、相当お疲れで、アルコールは飲みたくない、とのことでしたので、ここの『青汁』(100円)が素晴らしいので『青汁』のオンザロック(笑)で乾杯して、まず、『ひな鶏』(850円)をいただきました。ここは、高松市内に数ある骨付き鶏店でも、ひな鶏、は素晴らしいのですが、私は行きつけなので普通でしたけど、M女史は、感動していました。そして、この「明石家」は1玉が大きいので、釜玉うどん(270円)は、1人前をとって、2人で半分わけしていただきました。この時点で、新幹線の中で、胃の調子が悪かった彼女は、むかつきがだいぶ納まっていましたが、決め手は、ここのあっさりした、イリコ、昆布だしと鶏肉、大根、にんじん、サトイモ、豆腐、お揚げ、かまぼこ、コンニャク、がたっぷり入った『しっぽくうどん』(390円)に、無料の青海苔の天かす〔これは非常に大切なのですよ。ただの天かすなんて出すお店は、讃岐うどん激戦区の高松市西地区にはないのです。〕、ショウガ、細ネギ、ゆず、すだち、レモンを載せていただくと、もう、彼女は、何もしゃべらずに、「美味しい」「美味しい」と召し上がってくれましたのでよかったです。
食後、アフターコーヒー(100円)〔讃岐うどん店のアフターコーヒーはどの店も100円です。条例で決まっているのです。〕を飲みながら、いろいろ介護の大変なことなどをお話しました。この夕食の代金は、しめて、一人1500円でしたので、「ガストよりは、美味しくて安いでしょう。」と言ったら、爆笑していました。
さらに、「明石家」で売っているポッカの缶コーヒーは全て50円なので、高松の人は、誰一人、コンビニや自販機ではを缶コーヒー買わないことを言ったら、びっくりしていましたけど、ロイヤルゼリーなどの健康ドリンクも一律80円でしたので、M女史は、健康ドリンクと缶コーヒーなどを買って、「エルステージ川六」に帰ることにしました。
もちろん、「エルステージ川六」のシェフは、讃岐うどんの手打ちが上手いので有名ですから、明日の朝のバイキング(600円)は、注文してから目の前で作ってくれるオムレツと一緒に、生醤油うどんを召し上がるよう、言いました。また、朝風呂は素晴らしい竹林の中にあるので、ゆっくりされるよう言いました。
今日は、雨が降るかもしれない状況なので、午後から、栗林公園と、うどんは、栗林公園のそばの上原屋本店の明太子釜玉うどん、たみ屋の紀州梅干うどん、あたりをご案内するつもりです。夕食は、引田町の網元の経営する、木太町の、生簀のある割烹「小松」の、はまちなどの刺身、天麩羅、茶碗蒸し、てっぱいなどの小鉢、ご飯食べ放題、赤だし、高知のメロンのデザートのついた『小松定食』(1050円)にご案内しようと思っています。
横浜からいらっしゃった親しい音楽の友人に、ガスト、吉野家のようなどこでも同じマニュアルの接客のお店にご案内するような愚かなことは、私はいたしません(笑)。

いずれまとめて、投稿しますが、掲載写真は、順に、昨夜、「明石家」でいただいた、『しっぽくうどん』、『骨付き鶏』、です。
2011年11月04日
「ばん家」の『しっぽくうどん』

11月。いよいよ、しっぽくうどんの季節がやって来ました。
今日は、お昼に、香川県庁向かいの「ばん家」で、『しっぽくうどん』をいただきました。
この店は、しっぽくうどんのかけだしに、リンゴの磨りおろしなどの隠し味が入っていて、とてもマイルドなので有名です。具財は、大根、にんじん、サトイモ、ゴボウの根菜類、豆腐、お揚げ、コンニャク、鶏肉、かまぼこ、等です。
私はいつもの年のように、しっぽくうどん(400円)、温泉卵(80円)、無料のトッピングの、だし昆布の煮付け、ゴマ、ネギ、ショウガ、激辛唐辛子を載せて、美味しくいただきました。

しかも、今年から、インスタントですが、食後のコーヒーが無料サービスでついていたので、食後もゆっくりと温まりました。
禁煙のお店が増えているのですけど、ここは、禁煙席も禁煙タイムもないので、愛煙家の私は。ゆっくり出来ますね(笑)。
週末の明日から、横浜のピアニストの友人が、讃岐うどんを食べに、高松へ遊びに来るので、いろいろご案内することにしていますので、夕食からはうどんをストップしました。

掲載写真は、順に、「ばん家」の『しっぽくうどん・温泉卵・だし昆布の煮付け載せ』、コーヒーサービスコーナー、食後のコーヒー、です。
2011年11月02日
「うどん王国・香川県へようこそ」

「うどん王国・香川県へようこそ」の新企画が、香川県庁の、うどん県への県名改名に続いて、高松空港で、昨日から始まりました。
既に、高松空港内の「空の駅」では、水道の蛇口から、讃岐うどんのイリコだしが出るようになっているのですが、昨日から、到着ロビーの手荷物を運ぶベルトコンベヤーにうどん鉢の大型サンプルが流れるようになりました。とりあえず、『天ざるうどん』と『釜玉うどん』の2鉢を設置したのですが、だんだん増やすのだそうです。
また、手荷物の出入口には「おいでまあせ」〔さぬき弁で、「いらっしゃいませ。」の意〕などと書いたのれんのポスター、要潤氏の、「うどん県副知事」のポスターや、お品書きも飾り付けて「うどん県」への来訪を歓迎するようになっています。
昨日、私は見ましたが、『釜玉うどん』がとても美味しそうでした。県外から高松にいらっしゃった皆さんも驚いていましたが、到着ロビーを出たところには、空港ビルに、「川福」「かな泉」「さぬき麺業」の、高松市の3大セルフ店が入っていますので、ほとんどの皆さんは、隣の喫茶店には入らず、うどん店に入るようです。
そして、これらのうどん店に入店すると、『釜玉うどん』から、命名した、香川県のサッカーチーム「カマタマーレ讃岐」のポスターが貼っていますし、出発ロビーの方に向かう途中には、「讃岐うどん寿司」の空弁を売っていますから、はじめて到着された皆様は、カルチャーショックに陥り、驚いておられることだろうと思います。
掲載写真は、昨日からの高松空港到着ロビーの状況で、手荷物を運ぶベルトコンベヤーにうどん鉢の大型サンプルが流れるようになり、真ん中に「おしながき」の貼っている状況です。