2011年11月21日
うどんな一日

今日は、香川県の名物の「どじょううどん」をテーマにした、「どじょりんピック」が、香川県さぬき市で開催されました。
毎年のことなので、高松生まれの私は、あたり前なのですけど、県外の皆様は、「讃岐うどん」はよくご存知なのですが、「餡餅雑煮」と「どじょううどん」には、通常、「ゲーーーッ、そんなもの食べるのですか。」と驚かれることが多いのです。
が、この「餡餅雑煮」と「どじょううどん」は、いずれも、香川県の歴史にのっとった、由緒正しい郷土料理なのです。
すなわち、この二つの料理には、降雨量が少なく、お米が凶作になることが多かったという、香川県の悲しい歴史と、これを何とかしようとした、香川県善通寺市出身の弘法大師が影響しているのです。
まず、「餡餅雑煮」は、香川に和三盆を作る素晴らしい製糖技術があったからこそ、餡餅を作れたのですが、この、和三盆を作る製糖技術は、もともと香川県のものではないのです。
弘法大師が若い頃修行した四国の険しい山々にある、四国霊場八十八ヵ寺の巡礼は、昔から行われていたので、四国の人達は、巡礼にいらっしゃるお遍路さん=弘法大師、と信じて、お遍路さんを大切に接待するというしきたりがありました。
ある時、鹿児島からお遍路にいらしていた方が、香川県の東地区で疲れて行き倒れになっていたのを、地元の人達が助けて薩摩の国へお送りしたのです。「同行二人」という、お遍路さんの用語があるのですが、これは、四国霊場八十八ヶ寺を巡礼するお遍路さんは全員、一人で歩いているのではなく、弘法大師様と二人で歩いているので大切にしないといけない、という意味なのですが、これが、四国では昔から信じられていましたので、行き倒れになっているお遍路さんを助けるということは、四国の人にとってはあたり前のことだったのです。
が、助けられた、鹿児島からいらっしゃったお遍路さんは、大変に感謝されて、助けてくれた人たちへの御礼に、製糖技術を教えてくれたのだそうです。これが、香川県東地区の和三盆のはじまりになりました。
江戸時代になると、香川県の名産品は、讃岐三白〔さぬきさんぱく〕と呼ばれていましたが、これは、塩、綿、と、和三盆、のことでした。塩は讃岐うどんの材料でしたし、当時は、綿もとれていました。が、和三盆という砂糖は、当時は全国的にも大変貴重なものだったため、全て幕府に献上されていましたので、お正月くらい、お砂糖を使った餡餅を白味噌汁に入れた雑煮を食べたい、という庶民の願いから、餡餅雑煮が誕生したのです。

一方、降雨量が少なかったことから、平安時代に高級官僚だった弘法大師は、満濃池などのため池を香川県にたくさん作りました。そして、このため池に住んでいたフナ(てっぽう)を使った和え物の「てっぱい」とならんで食された讃岐地方の郷土料理が、味噌仕立てのやわらかいうどんの「打ち込みうどん」にどじょうを入れた、「どじょううどん」だったのです。
ただし、「どじょううどん」は、数ある讃岐うどんの中でも、一番スパイシーな食べ方をします。すなわち、どじょうの入った味噌仕立ての打ち込みうどんに、ニンニクと辛子をふんだんに入れていただくので、どじょうの臭みは全てなくなるのです。昔は、「どじょううどん」は、夏の暑い盛りに暑気払いとして食べていたそうです。
他県の皆様で「どじょうは苦手だ。」という方は多いと思いますし、香川県民でもどじょうの得意な方はあまりいないと思うのですが、高松空港からも近い、「宝山亭」の『どじょううどん』は素晴らしいですから、もし、高松にいらっしゃったら、一度は召し上がってくださいませ。
さて、私は、今日が「どじょりんピック」の日だということは知っていたのですが、非常に寒かったので、今日の昼食は、自宅近所で、一番温まる「しっぽくうどん」の梯子をしました。
高松市番町「ばんや」の『しっぽくうどん』、高松市番町「こだわり麺や・高松支店」の『しっぽくうどん』、といただいてから、最後に、「さぬきの夢2009」の小麦100%で手打ちしている磨屋町「川千」の『しっぽくうどん』と思っていましたが、「川千」の『しっぽくうどん』は、12月からだとのことでしたので、『梅ワカメうどん』と『松茸ご飯』をいただきました。

掲載写真は、順に、「ばんや」の『しっぽくうどん』、「こだわり麺や・高松支店」の『しっぽくうどん』と『カボチャ天』、「川千」の『梅ワカメうどん』と『松茸ご飯』、です。
Posted by 岡田克彦 at 21:07│Comments(0)
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