2012年09月07日
薄皮饅頭とドジョウうどんに関する若干の考察

民主党の代表選挙に、細野環境大臣が立候補することをやめたそうです。原発問題を担当している現在の環境大臣の仕事に集中したい、とはさすがですね。
小川淳也君が、細野大臣に代表選出馬を促したのはさすがですね。細野さんのようなまともな判断の出来る方を代表に推薦するとは、さすがは、小川淳也君ですね。
小川淳也君が、相手の人間力を瞬時に判断出来る、豊かな感受性と明晰な頭脳の持ち主であることが、またまた立証されたようですが、こんなことは、栗林公園庭園コンサートで、私が50歳当時に作曲した、母の追悼のためのピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 P`.111」(全18曲)を初演した時に聴きに来てくださっていた彼が、ステージを降りた私に話しかけてきた第一声で、アーティストの私は瞬時に察知しましたので、そのとおりの素晴らしい男だと再確認しました。
次の選挙で、彼は、民主党から立候補するのでしょうから、政党の肩書きが当選の邪魔をするかもしれませんが、私自身がしょっちゅう食べに行っている、高松市内の讃岐うどん店のオーナーは、全員、小川淳也君のファンですから、よっぽどのことがない限り大丈夫ですよ。
だって、民主党はうどんの良し悪しを判断できませんからね。うどんの良し悪しを判断できるのは人間の味覚であって、人間の金銭欲ではないのですから、人間に愛されている小川淳也君は、どうもないと思いますよ。
うどん県にはうどん県の判断基準があるのです。地方都市を東京で一括してくくるような、今の日本の政治体制やマスコミ体制では、うどん県は絶対に判断出来ないのですよ。
しかし、小川純也君が細野大臣のような素晴らしい人材と出会ったことは、よいことです。しかも、細野大臣は京都、古き日本の都、の出身でいらっしゃいますから、ますますよいことですね。
ところで、詳細情報によると、野田総理は、政党の頭のことを、饅頭の皮、ではなく、薄皮饅頭の皮、と例えていたそうです。ちょっと刺激したら千切れるような、薄皮饅頭の皮が、政党の頭では、お話になりませんね。
大体、あの男は、自分のことを、ドジョウ、と言っていたのですが、いつから、薄皮饅頭の皮になったのでしょうね。
ドジョウ総理、というご発言は、うどん県以外の日本各地ではインパクトがあったそうですが、うどん県では、ドジョウは、1200年前から、ドジョウ入り打ちこみうどん、として、大体、丼一杯に数匹入れて食べていますので、ついに、総理大臣は、うどん県民の食べ物に堕落したのだ、と、受け止めていました。
「ドジョウうどん」は、1200年前から、うどん県では、夏場の暑気払いの食べ物でした。なぜならその頃、ため池の水を抜いたらいっぱいドジョウが捕れたからです。従って、ドジョウ総理は、うどん県では、人権はありません。1200年前にうどんを始めた弘法大師との対決に勝たない限り、ドジョウ総理は、日常食でしかないのですから(笑)。
掲載写真は、高松市「宝山亭」の、『ドジョウうどん』です。味噌仕立ての、こしの弱い打ちこみうどんに、地場の野菜をいれて煮込んだものに、讃岐名物の一つのニンニク、と、辛子を添えていただくのです。
「宝山亭」は、高松空港からも近いので、これを食べて、ドジョウの苦手な方も、みんな、ドジョウ好きになる、素晴らしく美味しいうどんなのです。ちなみに、「宝山亭」の『ドジョウうどん』には、ドジョウが8匹入っていますが、うどん県民は完食しますので、ドジョウが一匹しか入っていないと、うどん県民は納得しません。ドジョウ総理もその程度の存在なのです(笑)。

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Posted by 岡田克彦 at 11:50│Comments(0)
│讃岐うどん