2014年03月14日
超超超超超絶技巧な、不愉快な出来事

佐村河内とかいう、全聾の作曲家を名乗る詐欺師が、ゴーストライターの新垣隆さんへの作曲の指示書に、超超超絶技巧、とか、超超超超超絶技巧、とかいう文言が出て来たので、爆笑してしまいました。
超絶技巧練習曲、という曲集は、リストがショパンのエチュード集に触発されて、自分にしか弾けない、難しい練習曲集という、野心と名声欲の塊のような、非音楽的な動機で書かれた作品集です。
が、残念なことに、リストにはショパンほどの作曲の才能がなかったため、1826年に、「すべての長短調のための48の練習曲」とプランをして書き始めたのですが、1837年に、「24の大練習曲 Op.6」と、半分になって出版されましたが、駄作の集合体だったため、1852年に、12曲に減って、「超絶技巧練習曲」として出版されたものです。
当時、リストは41歳になっていたのですから、12曲の練習曲集を作曲して出版するのに、15歳当時の1826年から、26年もかかったという、お粗末な、練習曲集です。
しかも、12曲中、まともな音楽作品は、10番(ヘ短調)たった一曲なのですから、全くお話にならないような、駄作集なのです。
私なども、才能が乏しいので、24のエチュード集 OP.4 は、17歳当時の1974年から21歳当時の1978年まで、5年もかけて、〔もちろん、この作品集だけに集中するなんて、とてもじゃないけどけ、忍耐力のない私には出来ませんでしたけど・・・・・〕作曲しました(笑)。
しかし、左脳で処理される程度の、作曲作品がひらめく、インスピレーションと無縁な言葉はとても便利で、「超絶技巧練習曲」という名前だけが先行してしまっている作品なのです。
ですから、「超絶技巧」という表現は、この、全聾の作曲家を名乗る詐欺師の作曲指示書に相応しい、下劣な言葉なのですが、超をいくつも重ねて、さらに、下劣さの増幅された表現になっていますね(爆)。
ただ、ウェブ上では、言葉が一人歩きしますので、私のホームページ冒頭にも、近作から、超絶技巧な(笑)、ケッサク(笑)のピアノ小品の自作自演をBGMに掲載しました。
この小品「桜の馬場のトッカータ」の演奏困難なところは、両手のクロスにあります。右手と左手がクロスする際に、クロスしにくい音列を使いましたので、敏捷性のない人は絶対に演奏出来ないようにしています。
そのほか、「STAP細胞」について、小保方さんなどの提出した論文を取り下げることになったそうです。
ネットが急に発達して、コピペが日常的になってしまった弊害ですが、結局は、研究者の良心の問題ですから、良心的な方かどうかは、ネットではわからない、ということの証、ですね。
人間性は、ネット、ブログ、ホームページ、掲示板、SNS、などでは、絶対に伝わらないものだという、あたり前のことが明確になっただけですね。
理由は明確で、ネットで伝わるものは、言語情報と写真などの画像データだけで、感覚器官においては、視覚情報だけなので、このような不正がまかり通ってしまうのですね。
幸いなことに、音楽芸術においては、聴覚が全てですから、ライブでは、このような弊害なく、人間性が直接伝わるので、OKなのです。
もちろん、厳密に言うと、音楽でも、歌曲は、歌詞、という、言語情報が加わるので、ダメなのです。
その点では、20世紀初頭のフランス近代音楽の時代に、国民音楽協会で確立された、純音楽主義が大切なのです。
ドビュッシー、フォーレ、ラヴェルの歌曲は素晴らしいのですが、歌曲から作曲を始めたわけではないから、素晴らしいのですよ。
そのほか、「アンネの日記」を破った事件などは、犯人が明確になりつつあるようですが、精神異常者の犯罪のようですから、あーでもない、こーでもない、と、ワイドショーで騒いでいた芸人崩れの自称コメンテータは、ご苦労様でしたね(笑)。
彼らは、言葉を発する口先と見た目だけで商売しているので、このような、悲惨な事態もあるのです。もう少し、視覚以外の感覚器官を鋭くした方が、豊かな人生を歩めるでしょうけど、まあ、心の貧しい方は、何をやっても、他人に感動を及ぼすことはないのですよ。
もちろん、お金儲けさえ出来たら満足な、下劣な皆様ですから、どうでもいいのですけどね(笑)。

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Posted by 岡田克彦 at 18:30│Comments(0)
│ネットの限界