2012年06月30日
野田佳彦に関する考察
うどんのことばかり書いていますが、それは、私がうどんが好きなこともありますが、それ以外の出来事について、特に、東京方面で多発している、政界、財界、のトップの阿呆のしでかしている、とんまな対応、や、残酷な殺人事件、それを面白おかしく、芸人風情を使ってワイドショーで取り上げて、視聴率だけ稼いで自己満足しているだけの、テレビ局の阿呆どもには呆れているので、一切関わりあいたくないからです。
「命をかけて消費税を上げたり、命をかけて原発を再稼動させている。」野田佳彦という、総理大臣がいるようです。早稲田大学政経学部1979年卒業の私は、一歳年下の早稲田大学政経学部1980年卒業の野田佳彦のことを、早稲田大学政経学部の恥だと思っておりますので、その命などはどうなってもいいと思っておりますので、命をかけて消費税を導入したり、命をかけて原発を再稼動する前に、さっさと死ねばよいと思っております。少なくとも、まともな感性を持った早稲田大学政経学部卒業生は、野田佳彦が死んでも、ただ一人としても、悲しむはずはないのですから、さっさと人間であることをおやめになればよいと思います。
私は、小沢一郎について、いろいろな金権腐敗を抱えていらっしゃいますので、好きではありません。しかしですね、この不景気の真っ只中で、マニフェスト違反の消費税の値上げ予告をしたり、人間を大切にするはずだった民主党が人間の命よりも金の亡者になるために原発を再稼動させるようなことをするとは、何事だろう、しかも、野田佳彦ごとき権力の亡者の命をかけたら、全国民が放射線の脅威にさらされることを容認できるなどと考えているとは、思い上がりもはなはだしいと思っておりますので、今回の対応については、小沢一郎の方が、はるかに筋が通っています。「筋が通っている」とは、「人間としての最低限のモラルがある」という意味ですから、野田よりは小沢の方が人間力が上だということです。
野田佳彦はさっさと、J.S.バッハの「フーガの技法」を聴いて、人間業とはとても思えない、その対位法的な天才的な処理を熟知し、自分の愚かさを自覚しなくてはなりません。が、もう、年も年ですから、J.S.バッハの「フーガの技法」などは、野田佳彦には、『豚に真珠』ですから、総理大臣を辞めて、死ぬまで「フーガの技法」ばかり聴いていたら、もしかしたら死ぬ前には感知できるかもしれないだろうと思われる程度です(笑)。
J.S.バッハは、没後300年以上になっても世界中の人たちに愛されていますが、野田佳彦は、まだ生きているのに、たくさんの国民から疎まれています。
アーティストの私は、ですから、J.S.バッハと野田佳彦が、この世で、「人間」という同じ範疇に入っていることが、どうしても許せないのです。
原発再稼動反対のデモが連日起こっているようですが、正しいことです。野田佳彦は、これに対してきちんと答える義務があります。なぜなら、主権は国民にあるからです。主権は総理大臣にはないのです。身の程をわきまえましょう。

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Posted by 岡田克彦 at 19:03│Comments(0)
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