2014年02月18日
菊池寛通り、美術館通り、の名称変更について


私は、母の介護のために、東京から高松にUターンした、20年前の1994年頭時、「中本町通り」が「菊池寛通り」に、「今新町通り」が「美術館通り」に変わっていたことに反対して、高松市役所に、もとの名称に戻すように、文句を言いに行ったことがありました。
首都圏からの出張、転勤族が多いと言っても、首都圏在住の皆様は、四国=伊豆大島、程度の認識であることを、19年間東京で過ごした私は知っていました。
「どちらのご出身ですか。」
「四国です。」
「ああ、坂本龍馬さんのご出身地ですね。」
と、東京で言われたことが、何回あったことかと思い起こすと、四国に県が4つあることすら認識されていない状況でした。
また、泥水にスパゲティの太いものが浮かんでいる物体を、うどんと称して蕎麦屋で食べている人達の味覚が理解できませんでした。
さらに、母が送ってくれた、「醤油豆」を食べていると、「ゴキブリみたいな煮豆だな。」と言われたこともありました。
もちろん、本場の讃岐うどんを食べてもらったり、醤油豆を食べてもらうと、そういうものは、吹き飛びましたけどね。
でも、お餅の載ったうどんを「力うどん」と言うのは変ですよね。あんなもので力が出るものですか。お餅に餡子が入っていないと、絶対に力は出ません(笑)。
今でも、和三盆の産地が京都だと思っている東京の人が多いので困りますね(笑)。和三盆の産地は、江戸時代からずっと、香川県の東地区なのですよ。
和三盆も、江戸時代に、四国霊場八十八ヶ寺を巡礼していた、鹿児島県のお遍路さんが、香川県の東地区で行き倒れになっていたものを、香川県民が助けて介護した御礼に、製糖法を教えてくれたのが始まりだそうです。
「絆」や「おもてなし」という言葉が、今、流行っていますが、昔から、日本では、「絆」や「おもてなし」は、常識だったのですよね。
四国に県が4つあることすら認識されていない状況を考えると、香川県の県庁所在地の高松市内の地名としては、「菊池寛通り」ではなく、「弘法大師通り」が相応しいですし、「平賀源内通り」、でもいいと思うのですよ、私は。なぜなら、「文芸春秋」よりも、「豆腐」、「エレキテル」の方が普遍的だからです。
それに、離婚の多い昨今では、父は、養育費を支払っても、帰っては来ませんから、「父帰る」なんて、時代遅れなのですよ(笑)。
また、美術館通り、なんて、まるで、渋谷ですよ。香川県民にとって、美術よりも主食のうどんの方が、命に関わるのですから、「美術館通り」よりも先に、「製麺所通り」、「うどん店通り」、「土三寒六通り」、あたりが作られるべきなのです。
まあ、香川県はゆったりした豊かな場所なので、神戸の経営者が、勝手に「丸亀製麺」なんて、香川県内の地名を店名にしていることも、放置していますけど、確実に言えることは、「銀座製麺」、「原宿製麺」、「新宿製麺」、「渋谷製麺」、「東京スカイツリー製麺」、なんて名前のうどん店は、絶対に失敗しますね(笑)。
「池袋製麺」なんて名前のうどん店に、客が一人も来ないことは、わかりきっているのですけどね(笑)。
掲載写真は、高松市香川銀行本店前の、「父帰る」のブロンズ像、です。

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Posted by 岡田克彦 at 18:43│Comments(0)
│アンチ首都圏