2012年02月27日
高松市木太町の「カフェ ド プルミエ」
一昨日の土曜日、私は、私の高松ファンクラブ会長をして下さっている、高松市国分寺町のK女史のお誘いで、K女史の別荘のある、高松市塩江町のご近所のM氏と共に、お食事したり、素敵なカフェで楽しくおしゃべりしました。
K女史と出会ったのは、母の一周忌が終わって、栗林後援庭園コンサートが終わった頃でしたので、私にとっては、母親のような存在です。
少し体調を崩されていたので心配していましたが、お元気になられたので、ほっとしました。
裏千家の師範の資産家のK女史は、本宅が、高松市国分寺町の豪邸なのですが、今は、木太町にお持ちのマンションと、塩江町の温泉を引っ張った、別荘のマンションで、ゆっくり、老後を過ごされているのですが、80歳代の大変にアクティブな方なので、愛車で移動され、香川県内に一杯いらっしゃるお弟子さんなどと、楽しい毎日を過ごされながら、いつも、私のホームコンサートをやって下さったり、いろいろとお世話になっています。
がまあ、彼女が素晴らしい感性の持ち主でいらっしゃるので、私自身が、一番お世話になっていることは、精神的な部分での心の安定ですね。
しょっちゅう美味しいバラ寿司を作って私の自宅に持ってきてくれたりするのですが、今回は、木太町のマンション近所に、さわらの味噌漬けの美味しい料理店と、素敵な喫茶店が出来たので、私がお魚が大好きなことを知っているので、ご招待くださいました。
いつご招待されても、私の好みを熟知されているので、ご紹介して下さる方々も全て気の合う方ばかりなので、とてもカンフォータブルなので、最高に幸せです。
いつもは、ー彼女の愛車で迎えに来てくださるのですが、今回は、お茶会の都合で、塩江町のMさんが自家用車で私の自宅まで迎えに来てくださいました。が、その車に、私の大好きな、彼の愛犬のチワワが二匹も載っていたので、さすがは、Kさんだな、私の好みを熟知されているな、と嬉しくなりました。
私は、小学校一年の頃祖父が飼ってくれた愛犬のスピッツの『シロ』と一緒に、高松市番町四丁目の自宅で生きたのですが、中学二年のときに、『シロ』が亡くなってから、ペットを飼うことはしていないこと、『シロ』と暮らしたときの思い出を、ピアノ組曲「白い波」(シロの思い出)OP.20〔全12曲〕、という作品にして早稲田大学2年当時に完成させたものが、私のピアノ組曲の処女作であること、この作品の自作自演は彼女にしか聞かせたことがないこと等を全部ご存知なのです。
ですから、ただのファンではなく、私にとっては、地縁関係の一期一会で結ばれた、とてもとても大切な方なのです。こういう出会いは、東京ではキャンノット、ですね。第一、彼女と出会ったのは、私の住む、高松市西宝町の自宅近所の小さな喫茶店だったのです。
私の腰掛けたテーブルの隣席に彼女が座っていたところから、おしゃべりが始まり、私にとっては、四番丁小学校の大先輩だということだけだったのですが、一年前に母を看取るまで、東京からUターンして介護した思い出で、作曲した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)を、香川県庁の委嘱で栗林後援庭園コンサートで初演したことなどをお話したことから、彼女がかつて介護したときの大変さなどをお話して親しくなっただけでなく、この、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)を、彼女の高松市国分寺町の豪邸で演奏して欲しい、とのことで、そのまま、国分寺町の豪邸に連れて行ってくださったこと、東京の音楽の友人が来たときには、是非、塩江温泉を経験してもらえばいい、とのことで、塩江町の別荘にも案内して下さったことなど、行動派の彼女らしい一期一会でした。
ここで、彼女との出会いを、生涯にわたるものにしようと私が決めた理由は、極めて音楽的な理由でした。
彼女が大好きなシューマンの「トロイメライ」を私がそこのピアノで弾いていた時、彼女は高台の豪邸のレースのカーテンを開けて、下に広がる高松の町を一望しながら、こう言ったのです。
「ああ、ここから見える高松の風景も、お庭の木々も、あなたのピアノを聴きながら見ると、全然、違って見えるわ。そうだわ。うちのお庭を手入れしてもらっている庭師さんのTさんに、あなたの作曲作品や演奏を聴かせたいから、ここで、ホームコンサートやりましょう。」
この後半の一言、「庭師さんに聴かせたい。」、が、全てを決定しました。音楽は世界共通のものです。聴衆の学歴や職業なんて、全く無関係なのですから、この方こそ、私の高松ファンクラブの会長にふさわしい方だと思いましたので、私から、お願いしたのです。
こういう出会い方は、東京の新宿中村屋の併設喫茶店や、中央線沿線沿いの、クラシック喫茶店では、絶対に不可能なことですね。
前者は、全国から上京したいろんな人が集まっている東京では個人情報保護法が邪魔になって不可能ですし、後者は、ただのオタクの出会いに過ぎません。それに第一、東京都内の喫茶店と高松市内の喫茶店では、コーヒー代が違いますし、出会っておしゃべりする内容に、好きなうどんのこしの話題が入っていないと、香川県内では信頼関係が成立しないのです。
後者のオタクの出会いでの共通の話題は、アニメのようなバーチャルなものですけど、讃岐うどんならば、人間の生存にかかわる食事にかかわるアナログなものですから、全く、異質なのです。
こうして、美味しい、さわらの味噌漬けなどの和食割烹での食後、彼女が私を案内してくれたのが、木太町1区にある、「カフェ ド プルミエ」でした。
店名を見た瞬間、私は、気に入りました。プルミエ、はフランス語で、第一、という意味ですが、私の大好きな、ドビュッシーの「クラリネットとピアノのためのプルミエラプソディー」〔和訳すれば「クラリネットとピアノのためのラプソディー・第一番」〕の、「プルミエ」からとったものだ、と私は決めつけて、大喜びしてはしゃぎ、その意味をご案内しました。
このあたりの私の言動は、とても重要なのですよ。フランス語の知識なんてどうでもいいのです。私がドビュッシーのことを大好きだということが伝わればそれでよいのですから。

引き続き、25歳のイケメン店長がいらっしゃるという、店内に入ったら、感じのいい、25歳のイケメン店長が、お水を持ってきてくれたので、横にあったグラスにきれいに飾っている銀のスプーンで、すぐに、私は、水の入ったグラスをたたいて、音程を確認しました。B♭より少し低いヘルツだとわかったので、まず、私は、彼のグラスに注いだ水の量が素晴らしいと褒め称え、その理由をご案内しました。
しかも、彼が、「いらっしゃいませ。K様いつも有難うございます。」と言った言葉の最後の響きの音程が、B♭だったので、とても、包容力のある優しい方だ、ということ、彼は、高松市内で生まれ育ったのかもしれないけど、そのアクセントで、海外生活を経験している、と私は、直感したので、彼の出身地、海外にいたかどうかを確認しました。
「いやぁー、実は、中学校の三年間、マレーシアで過ごしていました。」
と返ってきました。すかさず、K女史が、
「さすがは岡田さん、すぐにわかるのね。あなたもアメリカのシアトルで高校時代過ごしていたそうですから。でも、とても、いいお店でしょう。イケメンマスターが迎えてくれるのよ。」とおっしゃったので、私は注意しました。
「Kさん。『イケメン』なんて、劣悪民放マスコミ放送局とおつむの中がからっぽの芸人や女性ニュースキャスター、芸能界コメンテータの造語を使って、この、彼の容姿を表現することは、お下品ですよ。『イケメン』なんて言葉は最低ですよ。男性という人間を物体扱いしているのですから。そうですね。最低でも、『格好いい若者』『シブい若者』と言われたほうがいいですよ。最も、Kさんの愛好されている古典文学から、『いとおかし』『あはれなり』『あやしゅうこそものぐるおしけれ』あたりの形容詞がベストですね。」
これで、全員、大爆笑になりましたので、一気に、顧客と店員という壁は突破できました。自分の知識量を誇るために言葉を使ってはならないのです。絆を深めるために言葉は使われるべきなのです。

こうなれば、店員の若者の住まいから全て簡単に話題に出来るのです。彼は、塩江町の高台に住んでいるとのことでしたが、そこは、偶然にも、Kさんのマンションの真向かいでしたので、またまた、距離が狭まったところで、私は、第二の笑いを提供しました。
「ぼくは、高松市番町で生まれたんですけど、番町生まれの男の顔は、全員、彫りが浅くてのっぺりした不細工なんです。ぼくを見ればわかるでしょう。彫りの深い男性は、高松市でも郊外の方、西植田町、東植田町、塩江町で生まれていることが多いのです。だから、君は、格好いいんだよ。」とまずご案内して、彼の声の音程から性格も素晴らしいこと、海外で若い頃過ごしていたので視野が広いことなど、お世辞ではなく、私が感じたことを全てお話しました。
第二の爆笑になりました。この時の、第二も爆笑のとき、「岡田さんには参りました。」と言われれば、これで、私の一期一会は、成功したことになるのです。
そして、そのとおりになったので、ポットに入った、ここのブレンドと、マーブルのシフォンケーキをいただきました。
『マーブルのシフォン』が美味しかったのでお聞きしたところ、毎朝、オーナーの奥様が自宅で焼いて持参するのだそうです。続いて、K女史が言いました。
「ここのオーナーは、徳島県脇町に住んでいるのよ。毎朝、脇町から、ここ、高松市までいらっしゃるのだから、素晴らしいオーナーとオーナーの奥様よ。」
「すばらしいオーナーと、すばらしい感性を持った若いマスターのやっている喫茶店ですね。絶対に成功しますよ。」と私は答えてから、店長の若者に聞きました。
「そういうオーナーを見てあなたは店長をやっているんですね。最高のOJTですね。そういうオーナーの働き方を見ていたら、自然にがんばりたくなるでしょう。」
「はい、そのとおりです。私が言うのも変ですけど、素晴らしいオーナーなのです。」
「そんなことはないですよ。これは、ドイツの行動心理学者のクルト・レヴィンの行動心理公式に基づいた、君の正しい行動なのです。」
と言って、クルト・レヴィンの行動心理公式を私の手帳に書いて、彼に渡しました。
「君に部下が出来たら、このつもりでがんばってね。部下の環境は上司の君になるからね。」
こうして、和気藹々と美味しくシフォンケーキとコーヒーをいただきました。
次回来店時には、マスターの彼を、私のファンクラブに入ってもらうようにするつもりです。
私は、見つけた獲物は絶対に逃さないのです。(うそです。)
そうこうしていると、Kさんが、遺言に、自分の告別式には私にシューマンを演奏して見送ってもらいたい、と書くことを言い出しました。この程度の応対は簡単ですよ。楽しかったのですから、全て、笑いに持ってゆかなくちゃならないです。ですから、私は、こう、答えました。
「わかりました。ただし、私が生きていたらそのようにさせていただきます。」
「またまた、まだお若いですのに。」
「いえいえ、伊方原発が爆発したり、直下型の地震が高松に来たらどうなるかわかりませんからね。それに、通り魔も増えるかもしれませんから、ぼくは、ぼくのファンの若い男性を集めて、ぼくのSPになってもらおうかと思っているのですよ(笑)。」
「蓮如の『白骨の御文書』のとおりね。『されば朝には紅顔ありて夕べには白骨となれる身なり。』よね。」
「えーーーっ。Kさんも、蓮如の『白骨の御文書』お好きなんですか。」・・・・・
このように、自分の教養を自慢するのではなく、日々の暮らしの中で感じていることを素直におしゃべりし合うこと、ただし、楽しい笑いを織り込むこと、が、私のファンクラブの特徴になっているのです。

掲載写真は、順に、「カフェ ド プルミエ」の、ボット入りブレンドコーヒーとお洒落なコーヒーシュガー入れ、窓から落ち着いた中庭を楽しめる「シンプル、ナチュラル、モダン」な店内の座席、落ち着いた中庭、です。
2012年02月27日
先週金曜日、東京の友人を迎えて

先週の金曜日、東京の音楽の友人が、高松に遊びに来ました。
四国を一周する予定でしたので。昼前に、高松に到着したときに、JR高松駅で再会して、まず、ブランチに、「たもや・南新町女道場店」へご案内しました。
今、「たも屋」では、古代米の黒米の餅を入れた、かけうどんが素晴らしく美味しいので、それを食べに「たも屋・南新町女道場店」へ連れて行き、ここの有名なコロッケと一緒にいただきました。
そして、夜、落ち合って飲みに行くことにして別れました。
そして夜、私は、遊びに来た東京の友人と落ち合って飲みに出る前に、夕食をいただくために、ライオン通り商店街をぶらぶらしていました。
高松市中心部にある、アーケードでつながった八つの商店街の中でも、丸亀町商店街と平行に走っているライオン通り商店街は、一番飲食店が集中しているのです。以前から讃岐うどん店は一杯あるのですが、ここのところの、丸亀市の一鶴で始まった、骨付き鶏、がブームになっているため、そのお店が急増していました。
骨付き鶏は、実際美味しいのですが、丸亀町商店街のさぬきうどん店「明石家」も骨付き鶏を始めたりしていますので、瀬戸内の魚を中心にやっていた一般の居酒屋も、今は、骨付き鶏を置いているところがほとんどになっています。
が、まあ、昔からある「一鶴」の骨付き鶏が、独特のタレで焼いているので、それを真似るところが多いのですが、私がふらっと入った、「讃岐食酒工房 ふるさと」は、以前は、瀬戸内の魚を中心にやっている居酒屋だったのですが、3年ほど前からメニューに加えた、骨付き鶏が独特で、素晴らしかったので、それをご紹介いたします。
「讃岐食酒工房 ふるさと」〔住所 〒760-0045 香川県高松市古馬場町6-2(ライオン通り)、TEL 087-821-1001、URL http://wwwi.netwave.or.jp/~furusato/〕は、開店38年になる老舗なのですが、今は、跡取りの息子さんが加わって、新しいこのメニューを加えたようですね。

まあ、瀬戸内の魚は、高松市内での通常価格ですので、はまち、さわら、などの魚の刺身は、一皿600円少しくらいです。が、ここの骨付き鶏は、1500円以上するのですが、讃岐コーチンの骨付き鶏をシンプルに塩味で焼いたもので、素材の新鮮さで勝負していましたので、素晴らしく美味しかったです。
果たして、店内は、満席で、若い皆さんが何組もいらしていました。
こういう場面に直面すると、私など年寄りが一人で入るのは気が引ける人も多いみたいですけど、私は、人間観察がとても好きなので一人でカウンターに座って大将とお話しながら、団体さんの動きを見ながら飲んだり食べたりすることが食欲を増進させるのでいいですね。
大将とお話していると、女遊び大好きな、音楽評論家の、私の、元、父親をよくご存知でした。まあ、高松はものすごい田舎なので、クラシック音楽評論家などやったり、田舎の放送局に出たり、田舎の新聞に書評を書いていると目立ちますし、私の顔が親父にそっくりなので、慣れているのですが、その都度、「私は作曲家です。父のような口先だけの音楽評論家のような詐欺師じゃありません。」と、お話して、『丸天旅館』を経営していた、板前の祖父の孫だ、と自己紹介することにしています。
新たなものを創造する板前さんのほうが、音楽評論家よりも数億倍立派な職業であることは、決まっていますからね(笑)。
私も新たなものを創造する作曲家ですから、大体の板前さんとは、すぐに仲良くなりますよ。
こうして、美味しくいただいた後、しめは、南古馬場町の、讃岐うどん店「五右衛門」で、暖かいおろしかけうどんをいただきました。
久しぶりの「五右衛門」でしたが、やっぱりここのうどんのこしは最高でしたね。

高松で、この程度のディナーは、全部で2000円くらいなのです。東京だと、5000円は下らないと思いますが、その差額の大半が、不動産の賃料なのですから、東京は馬鹿げて高いですね。
私は、このディナーの後、東京の友人の泊まっている、高松ワシントンホテルで落ち合って、飲みに出ました。
掲載写真は、順に、「たも屋・南新町女道場店」の、『黒米の古代米の餅の天麩羅入りかけうどん』と『コロツケ』、「讃岐食酒工房 ふるさと」で焼酎と一緒にいただいた、『讃岐コーチン』の骨付き鶏、「五右衛門」の、『暖かいおろしかけうどん』、です。