2013年12月30日
「安倍総理が靖国神社へ行ったんは、しょうたれーげなのう」


今年最後の、讃岐弁ご紹介は、「しょうたれーげなのう」です。
「しょうたれーげなのう」は、「ぞろーげなのう」〔だらしないですね、汚いですね、という意味です〕という言葉に、相手の心の内面の批判も加えた意味です。
ですから、「ぞろーげなのう」は、外観だけを否定的に言っているのですが、「しょうたれーげなのう」は、そのような、だらしない行動をしている人の内面まで否定していますので、「しょうたれーげなのう」と言う人とのお付き合いは絶対に出来ないほどの、ひどい表現なのです。
「・・・・・げな」がついていますので、通常の形容詞の後に、「・・・・・げな」がついていれば、全否定ではなく半否定なのですが、「しょうたれーげなのう」の場合は、ついている形容詞が救いようもなくきついものなので、全否定になってしまうのです。
「安倍総理が靖国神社へ行ったんは、しょうたれーげなのう」と言う方がいる一方で、「どこにお参りするかは人の勝手じゃあ。わがうちの信仰にごじゃーごじゃ言いよったらこらえんでぇ。」と言う方もいるようですので、私は安心しました。
このような問題について、日本国民全員の意見が一致していれば、それこそ大問題なのです。戦争回避のためには、バラバラであることが一番なのです。
「わがうち」という言い方も、讃岐弁独特のものですね。「わが」がついているのは、強烈な島国根性を代表するものだからです。
「わが・・・」とか、「わしのもんじゃあ」〔全て自分のものだ、という意味です〕という言い回しは、讃岐独特のものですね。本州も島国なのですが、面積が四国より広いので、「わが・・・」のような『お山の大将』のような表現はしないのですね(笑)。
「わが・・・」とか、「わしのもんじゃあ」、という方言が生きている限り、香川県は絶対に完璧なグローバルスタンダードにはなれないと思っています。
中国や韓国との関係が現状のような悲惨な状態の時に、A級戦犯も祭られている「靖国神社」に行く必要はなかったと思いますが、この問題になると、A級を決定したのが、戦勝国のやった裁判によるものだ、とか、右や左の皆様が加わった、ややこしい議論になることは決まっていますので、そんな議論をする時間はもったいないので、私は、J.S.バッハの『マタイ受難曲』を年末なので聴いております。
右翼、とか、左翼、とかいう議論が、日米安保闘争世代の皆様はお好きなようですが、世の中は、右と左だけではなく、前も後ろも上も下も、360度、いろいろありますから、なんて視野の狭い皆様だろう、と私は感じております。
第一、讃岐うどんの評価について、右か左で決めることは、絶対に出来ませんし、国境のない音楽芸術の判断基準とは無関係なのです。
J.S.バッハの『マタイ受難曲』が、キリスト教の発想が作曲の原点だから、仏教徒やイスラム教徒には聴こえないなんて聞いたことがないのですよ(笑)。
アメリカが「失望した」ことをマスコミやコメンテータがガタガタ言っていますが、私はアメリカを失望させないために生きているわけじゃないので、さほど気にすることはないと思います。
1492年に発見された程度の歴史の浅い国が、いかに軍事力を持っていても、J.S.バッハの『マタイ受難曲』以上の作品は作れないのですから、大したことありませんね(笑)。
アメリカが失望したことや、中国が太平洋をアメリカと一緒に二分割支配しようなどともくろんでいることは、「コストパフォーマンス」程度の、損益計算書上で処理できる程度の、些細な出来事なのです。
そんな目先のことだけじゃなく、1万年後の地球環境をどうするかという視点を持たないといけないですね。

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