2012年04月05日
「人生って不思議なものですね。」

ちょっとテレビをつけたら、三井住友信託銀行のCMが流れていました。三井住友信託銀行がもうすぐ出来ますね。
もちろん、こうなることは、母の介護で高松にUターンする前、早稲田大学政経学部を卒業して住友信託銀行で1979年から1994年まで、15年間東京で働いた私は、住友信託銀行の大阪の本店統括部からのご案内で知っていましたが、これは、香川県にとって大変な出来事なのです。
私が住友信託銀行で勤務していた当時は、大蔵省(今の金融庁)の指導で、四国など、人口50万人以下の地方都市の県庁所在地への信託銀行の支店出店は格段の特別な事情がない限り、1社だけ、と決められていました。香川県高松市は、三井信託銀行の縄張りに指定されていて、同様、徳島市と高知市は、東洋信託銀行(UFJ信託)、愛媛県松山市は、住友信託銀行、の縄張りになっていました。
こうしたことから、香川県高松市は、ずっと三井信託一社だったのですが、電電公社の共済を三菱信託銀行が一社で担当していたため、電電公社がNTTになったときに、四国在住のNTTとNTTグループの従業員の退職者などのために、三菱信託の支店が四国になかったため、高松市は、格段の事情が認められ、三菱信託銀行の支店も開店しました。
従って、私が母の介護のために高松にUターンする時には、人事部長に相談したところ、岡山支店でどうだ、と言われましたが、マリンライナーに乗って瀬戸大橋を渡って通勤するなんてことは不可能だと思いましたので、いろんな知り合いを通じて仕事を探して転職してUターンしたものでした。
財閥の中でも、三井と住友は一番仲が悪かったのです。以前から、東京と大阪は、非常に対抗していましたし、三井家先祖代々のお墓、住友家先祖代々のお墓は、いずれも、京都にあるのですが、私が住友信託銀行に入社した1979年当時、住友グループの企業、三井グループの企業は、新入社員研修の中日に、それぞれのグループの本家の先祖代々のお墓参りをさせて、お墓の前で忠誠を誓う、という、江戸時代の丁稚奉公のようなことが行われていました。
三菱は、明治維新後の財閥ですから、そんな前近代的なことはしていませんでしたし、富士銀行の安田グループは、本家と縁を切っていました。が、三井と住友だけは、江戸時代の気風が残っていたのですから、特に仲が悪かったのです。従業員の福利厚生も、一番良かったのは、三井で、一番ひどかったのは『滅私奉公』の住友、でした。
従って、三井銀行と住友銀行が合併した時、私は、高松にUターンしていましたが、びっくりしたものでした。それはもう、阪神淡路大震災のとき、高松も震度5でしたのでびっくりしたものでしたが、それ以上の驚きでした。だって、合併後のことを考えたのですよ。キリンビールは三井、アサヒビールは住友、東芝とソニーは三井、NECとパナソニックは住友、だったのです。しかも、各財閥の大元は、三井が三越、住友が別子銅山、だったのですから、水と油でしたので、元、三井の融資担当者が、元、住友グループの会社に行ったら、絶対にいじめられると私は確信したのです。
しかし、信託銀行は、都市銀行と違って、長期の金融機関でしたから、水面下で合併の話はあったと思いますが、三井信託と住友信託は合併しにくいだろうな、と私は確信していました。
それは、住友銀行と住友信託銀行が、同じ住友グループなのに、非常に仲が悪かったからでした。これは、昭和23年頃、不景気で全ての信託銀行が破綻しそうになったとき、三菱銀行は三菱信託を、三井銀行は三井信託を、富士銀行は東洋信託銀行(UFJ信託銀行)を、助けたのですが、住友銀行は、住友信託銀行を吸収しようとしたため、両頭取と社長がつかみあいの喧嘩をしたことに起因しますので、根が深いものでした。
従って、住友銀行が三井銀行と合併しても、住友信託銀行はなかなか信託銀行同士の合併において、住友銀行と同じ動きをしたくないと思ったに違いないのです。その証拠に、住友信託銀行は、UFJ信託銀行と合併しようとしたのでしたが、UFJを三菱にとられてしまったため、出来なくなりました。
万策尽きた住友信託銀行はやっと三井信託銀行と合併することになったと思いますが、それくらいでちょうどいいのです。住友信託銀行は金の亡者でしたが、私の音楽の親友のアマチュアヴァイオリニストのYさんは、三井信託銀行勤務だったので、実に素晴らしい人材でしたので、彼が、住友信託銀行のような金の亡者の影響を受けることは、彼のヴァイオリンの音色を濁らせるだろうと思ったからです。
まあ、それはともかく、高松に住む私は、本当に楽しみですね。三井信託銀行高松支店の前支店長は高松高校の後輩でしたので懇意にしていましたので、ここに、住友信託銀行出身の金の亡者が来たらいけないと思いますので、チェックして参りたいと思っております。
香川県はうどん県になっていますので、うどんの嫌いな人は、まずダメですし、讃岐うどんを始めた弘法大師の四国霊場八十八ヶ寺を歩いて巡礼するくらいの、謙虚な気持ちを持っていないと、高松では営業は出来ません。贈答品の価格よりも、担当者の人柄や心意気の方が重視されますので、金の亡者では営業は不可能なので、住友信託銀行出身の皆様も、がんばって謙虚になり、人間を磨きましょうね(笑)。
それはともかく、世の中の価値観が、今、確実にひっくり返っていますね。東京都知事と大阪市長の密談などは、バブル前には考えられなかったことですし、東京・霞ヶ関の中央集権体制はだんだん、崩れているようです。
消費税や社会福祉といった個別の問題よりも、こうした、価値観の変更の方が、100年後、200年後の日本にとっては大切なことだと思いますので、どうなるのかについては、大変興味深いですね。
個人的に、私は、四国は海外だと思っておりますので、霞ヶ関がとろとろしていたら、地方分権にとどまらずに、独立国家にしてもいいと思います。
瀬戸大橋の入口に外務省を置いて、香川県宇多津町の入口では、うどんパスポートを、愛媛県今治市の入口では、タオルパスポートを、徳島県鳴門市の入口では、金時芋パスポートを、それぞれ、買わないと入れないようにし、公用語は、それぞれの地域の方言にすればいいのです。源頼朝が鎌倉幕府を開いたのが1192年、という知識が、世界史の知識になるだけのことですから、たいした問題ではないのです。
まあ、冗談はさておき・・・・・。
「人生って不思議なものですね。」
私が早稲田大学政経学部に入ったのは、京都大学法学部を滑ったためでした。浪人すると親に迷惑をかけると思っていたので、滑り止めで受かっていた、慶応大学経済学部と早稲田大学政経学部では、早稲田大学政経学部の方が授業料が安かったので、やむなく、入ったのでした。
志望校に入れなかった私は、大変な挫折感を味わいましたが、上京したことで、音楽方面で、作曲の恩師にも出会えましたし、早稲田大学に入学したことで、マスコミ各社の友人とも出会えました。
有楽町の外人記者クラブでピアノ演奏のアルバイトをしたお陰で、いろんな人達の音楽ニーズにも接することが出来ました。
東北地方や北海道出身の方と本当に親しくなれましたし、東京から大阪に転勤になった時、「ああ、ぼくは、日本に帰ってきた。」と痛感しましたが、大阪には外務省がないので、絶対に東京にはかなわないだろうなあ、大阪は大きな地方都市だと思いました。
どうして、何もかもが、東京に集中していないといけないんだろう、と、その頃から思っていました。
これは、味覚が大きく影響しています。なんで、東京の煮物はどれもこれも真っ黒で何が何だかわからないで食べているなんて、信じられないし、信州そばは、濃い味付けでもいいけど、東京の蕎麦屋のうどんは、泥水に茹ですぎたスパゲティが入っている、とんでもない物だと感じていました。それに比べると大阪のうどんは、薄味なのでよかったですね。
しかし、大阪でも欠落しているな、と感じたのは、うどんのこしがもの足りず、値段が高いことと、地縁関係がないことでした。何でもかんでも大きくすればいい、っていうものじゃないと思いました。
でも、大きい都市には人がたくさん住んでいるので、たくさんの人達との出会いがあることは、素晴らしいことだと思いました。
そして、母の介護のため高松にUターンしてから感じたことは、四国電力、JR四国、NTT四国、などのライフライン企業が、ものすごく小さな企業だということでした。
まあ、自分が生きてきた場所なんか考えると、その時その時の状況に対応するためなのです。ずっと独身なので、何にも束縛されずに、でも、その時にやらなくちゃならないことを、がんばって必死でやって来ました。
本当に、食べ物に好き嫌いがなかったこと、既得権に頼らずにやってきたこと、そして、常に前向きに楽天的な将来を信じてやってきたことだけは、一貫していたと思っています。
もし、あの時、将来に対して楽天的に構えられていなかったら、と思うと、全ての国民が将来に対して前向きになれるような環境を作ることこそが、一番大切なことだと、私は確信しています。
その点において、今の永田町はどうしようもないですね。全ての国会議員が自分が生きている間だけ楽をしたいと思っているのですから、お話にならないのです。
消費税を上げることに命をかける人がいらっしゃるようですが、何と無能な人でしょう。命をかけるものが小さすぎますね。最低でも1000年後の日本をどうするか、という観点で、命をかけるのが人間としては最低限のマナーだと思います。
「人生って不思議なものですね。」
介護していた母は、2006年に76歳で他界しましたが、幸せだったと思います。
東日本大震災の津波をテレビで見ないですんだのですから。
母親が子供を虐待したり、子供が母親の死去を偽って母親の年金をかすめとっているような時代のニュースを見ないですんだのですから。
麻薬常習者が激増している首都圏のことを知らないですんだのですから。
一人暮らしの高齢者の餓死を知らないですんだのですから。
アサリを窃盗している千葉県の海岸のことを知らないですんだのですから。
いつ、伊方原発が地震や津波で故障して放射線がやってくるかもしれないことに怯えないですんだのですから。
私は時々、仏壇とお骨になってしまった母に、ご飯さんをあげてお話しています。
「今日はのう、善通寺におる20歳代の若い男の子と会うんで。もうちょっとしたら出かけるんやけど、お母さんも好きやった『篠乃路』(しののじ)の懐石料理一緒に食べに行くんや。」
と、さっき報告したので、私は、今から出かけるところなのです。
掲載写真は、さっき、母の仏壇に供えた、母の大好きだった、「桜練りこみうどん」をベネッセがネット販売しているものです、今朝、届いたので、明日にもいただきます。
皆様もよろしかったら、お花見の前後に、下記で取り寄せて召し上がってみてくださいね。
http://shop.benesse.ne.jp/gift/disp/CSfLastGenGoodsPage_007.jsp?MSK_NO=1410015006000000&cid=bcm_t01_016
Posted by 岡田克彦 at 14:34│Comments(0)
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