2012年03月16日
粗大ゴミは片付けましょう。

相変わらず、朝晩がとても冷える毎日が、高松でも続いています。
昨日の夜は、久しぶりに、夕食を、高松市番町のトンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)で、『野菜巻きトンカツ定食』をいただきました。
この店は、まだ母が健在だった頃、高松市西の丸(高松城の跡地の高松港のそば)で開店した、高松初の、トンカツ専門店〔つまり、キャベツ食べ放題のお店〕でしたが、その支店が、香川県庁向かいの高松市番町に出来たところ、こちらの方が街中なので、ランチタイムなどを通して、支店が本店化したお店です。
東京の「サボテン」や、大阪の「カツ梅」の支店も今は高松にありますが、「本気豚食」(ホンキートンク)開店当時は、これらの支店はまだ高松になかったので、「本気豚食」(ホンキートンク)が、高松唯一のトンカツ専門店でした。
開店当時から、この店の最大の特徴は、ロースカツ、ヒレカツ、だけでなく、四国の新鮮な野菜を豚肉で巻いて揚げた、肉巻きの定食が完備されていて、トンカツソースの種類だけでなく、キャベツにかけるドレッシングが10種類以上あったことでしたし、カツサンドが抜群に美味しいので、高松では大変に人気が出たお店でした。
しかし、うどんはメニューになかったので、一部の高齢者からは、「ものっそいなかのたんぼの真ん中の人がやっりょるお店や。ほんだけんキャベツは自分の畑で作っりょるけん、なんぼ食べてもかんまんのや。」等と言う、変な噂もされていましたが、私は、この店は絶対に流行ると確信していました。理由は簡単で、東京の「サボテン」よりも、はるかにキャベツが美味しかったからなのです。が、当時は、高松市中心部在住の高齢者は、味覚での判断以前に、うどんをメニューに入れていないレストランは全て半人前だと感じていたようですね(笑)。
高松市は、政治的に四国の中心だという、プライドが高かったので、東京からやってきた「サボテン」は正しいけど、高松の人が始めた「本気豚食」(ホンキートンク)は正しくない、と、思っていたふしがあります。
私の生まれ育った高松市番町界隈に住んでいた皆様は、高松市の三越高松店の周辺〔つまり、高松中央商店街と、それと平行に走っている東京の大手企業の四国支店が集中している、高松市の中央通(空港通り)ぞいの、高松高等裁判所のある寿町近辺〕は、大都会で、栗林公園より南側は、一括して、『たんぼの真ん中』と思っていました。
これは、高松城が海城で海沿いにあったためで、江戸時代からずっと、ここが、高松の町の中心だったためなのです。大体、ほとんどの城の堀には水がありますが、高松城は海に面した城なので、堀には瀬戸内海の海水が入っていて、鯉ではなく、鯛が泳いでいるのですが、これは、全国的に見ると大変珍しいことなのですが、高松から外に出たことのない高松の人は、これが常識だったのですね(笑)。
また、第二次世界大戦で日本が負けた時、GHQが日本にやってきたのでしたけど、空襲で焼け野原になった高松市内でも、三越高松店は残っていたので、GHQは、その四国本部を、三越高松店に置きましたので、戦中派の皆様にとっては、高松城と三越高松店は、おそれ多い大変に気高い場所として双璧になったので、この一帯が、『まち』の中心として認識されたようです。ちなみに、戦中派の高松人の皆様にとって『まち』というのは、高松空襲の時、B29がやってきて爆弾を投下した場所のことですから、防空壕が集中していた、栗林公園の南側は、一括『いなか』、あるいは、『田んぼの真ん中』と認識されたのです。
ちなみに、祖父母から聞いたところでは、高松人は、「マッカーサ」と発音できなかったため、「マツカサ」と呼んでいたようですし、終戦後、三越高松店に四国初のエレベータが設置されたときには、三越高松店は、買い物に行くところではなく、エレベータに乗りに行くところだったようです。もちろん、「エレベータ」も発音できなかったため、「エベレータ」と呼んでいたそうです(笑)。
本州方面からやってくる商店についても、このような中途半端な、高松市の寿町や三越高松店の一帯は大都会だ、という認識は、戦中派の皆様においては徹底しているようです。
すなわち、広島からやって来た、「ゆめタウン」は、広島には高等裁判所があるので、高松と同格だ、ということで、「ゆめタウン」に買い物に行くことは正しいのですが、岡山からやって来た「天満屋デパート」については、高等裁判所のない岡山が、高等裁判所のある高松に支店を出すなどは、言語道断なことだと考えられているため、高松市中心部に住んでいる戦中派の皆様は、「高松天満屋」では買い物はしませんし、お中元やお歳暮は、絶対に、三越高松店で買い、高松天満屋では買わないことに決めているようです。
こうして、高松市番町のトンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)で、『野菜巻きトンカツ定食』をいただいて外に出たら、非常に寒かったので、風邪をひいたらいけないと思い、私は、そのすぐ近所の、「さぬきうどん番丁」で、一番温まる『しっぽくうどん』をいただいてから帰宅しました。
そして、ニュースを見ていたら、相も変らぬ、消費税導入に関する永田町のドタバタをやっていたので、うんざりしたところ、また、千葉県で大きな地震があったり、母親が子供を虐待して殺したり、練炭自殺にみせかけた殺人の裁判員裁判のことなど、物騒な事件の羅列に辟易したので、気晴らしに、タクシーを呼んで、旧知の、高松市ライオン通り商店街の、「よって屋」〔ラーメンと焼き鳥の小さな店〕へ飲みに行きました。
ここの、底抜けに明るい若いマスターとおしゃべりして焼酎をいただくと、気分も晴れました。この「よって屋」も、このブログで、3年ほど前に、讃岐うどんを避けて、高松の美味しいお店をご紹介している中で、高松市中心部でラーメンの美味しいお店、ということで、ご紹介しましたが、とても流行っていて、当初は、マスターと従業員一人の二人でやっていたのですが、今は、従業員が10名になっていたので、とても嬉しく思いました。
また、メニューも、当初は、ラーメンと焼き鳥だけだったのですが、今は、季節限定のお通しまでそろっていたので、さすがは、ここのマスターは料理人として優れているなあ、と、感動しました。
その初春のお通しの中で、「イカナゴの炙り物」という、私自身も初めていただく、珍しい料理に、感動しました。
初春の瀬戸内海の海の幸を代表するイカナゴは、大体、茹でた物を生姜醤油でいただくか、釘煮にすることが多いのですが、炙り物、という食べ方は初めてでした。
が、ちょっとスモークしたような味覚なので、辛子醤油につけて、付け合せの鳴門わかめと一緒にいただくと、最高でした。
隣の席で、どこかで飲んだあと、「よって屋」のラーメンを食べている東京からいらっしゃった転勤族のサラリーマン二人連れが、「素晴らしいラーメンだ」と感動して食べていたので、「ここのラーメンは高松一美味しいのですよ。」と言って、いろんなお話をしました。
「よって屋」のラーメンは、ベースは豚骨なのですが、鶏がらスープをブレンドして、酔っ払った後でもあっさりいただけるようにしているので、私は以前から大好きなのですが、東京のサラリーマンの皆様も納得していましたので、やっぱり美味しい店は流行るのですね。
早く春になってほしいな、と、マスターとお話してゆったりと帰宅しました。
しかし、本当の内実のある春、というのは、まだまだ来ないように感じています。
東日本大震災の被災地の瓦礫が、一年経過しても片付かないとは、いったい何事でしょうか。
原因は、明確になりつつあるようですから、東日本大震災の被災地の瓦礫は、それが片付かない原因を作っている、無能な政治家と一緒に、一刻も早く、撤去してもらいたいですね。
消費税導入をめぐって、民主党や自民党が分裂してもしなくても、どうでもいいのです。
ただ、邪魔な粗大ゴミは片付けなくてはならない、というだけの簡単なことなのです。
掲載写真は、「さぬきうどん番丁」の、『しっぽくうどん』、です。