2012年05月04日
「TAKAMATSU いろは市場」のオープン

高松市中央商店街トキワ街、OPA跡地に“屋台村”「いろは市場」が、昨日5月3日オープンしました。
8つの町のアーケード街でつながる、高松中央商店街では、高松三越のある一番北側の丸亀町、兵庫町、片原町東、片原町西、と片原町西から枝別れしている、ライオン通り、の、5つが、北部、そこから南に下る、丸亀町の南の、南新町、田町、コトデン瓦町駅のある高松天満屋までつながる、トキワ街、の3つが、南部になります。
このうち、北部の方は、丸亀町商店街振興組合が早くから対応していたため町の活性化に成功し、一番北側の丸亀町A街区の壱番街ドームと、一番南側の丸亀町G街区のグリーンタウンが完成したお陰で、北部の5つの商店街と南新町までは人出が増えていましたが、今回の、トキワ街の「TAKAMATSU いろは市場」の開始で、雨が降りそうな天気だった昨日は、高松中央商店街は、全て、私の幼少期の昔のような情況に近い人出になりました。
もちろん、「TAKAMATSU いろは市場」のテナントが全てそろうのは7月以降になりますから、完成して定着すれば、昔の人出に近づくだろうと思います。
素晴らしいことなのですけど、今回の高松中央商店街の成功は、丸亀町商店街振興組合(つまり、江戸時代に水戸光圀のお兄様の讃岐藩主の松平さんによって、隣の外様大名の丸亀藩から高松藩に強制移住させられた、現在の丸亀市にいた丸亀人の子孫の皆様)、と、「TAKAMATSU いろは市場」をプロデュースして下さった、高知市の「ひろめ市場」をプロモートして成功された、土佐人の岩目一郎さんが、高松に移住してまでやってくださったお陰だということを、高松人の皆さんは、私も含めて、忘れてはならないのです。

明治維新を起動させた坂本龍馬のような偉人は高松人にはいないようですね。江戸時代の長きに渡って外様大名だった、土佐藩や丸亀藩の出身者こそが、世の中全体を変えるような新しい活力の原点になるということです。私は決して高松を卑下しているわけじゃなく、それも一つの町のあり方だと客観的に捕らえていますので、高松はのんびりしていたらいいと感じているのですよ(笑)。
昨日から、「TAKAMATSU いろは市場」で開店したお店は、『土佐居酒屋・土佐藁やき みませ』、『軽食&スイーツの、ヒッチー&ミッチー』、『cafe・居酒屋Dining 総』、『ソーセージ&ビール ローマイヤ』『ホットドッグ・ティンクル ティンクル』、『アサヒビールバー』、『レストバー・キャラバン サライ ダイニング』、『坦々麺・餃子 雷伝 いろは店』、『讃州餃子館』、『神戸黒カレー倶楽部』、『讃岐骨付き鶏・568コロ家』、『讃岐うどん 挑(いどみ)』、『韓国屋台・SUGOROKU いろは店』、『鯛出汁ラーメン・麺屋軌跡』、『たい焼き・たい夢(たいむ)いろは市場店』、『台湾風かき氷・阿里山 (ありさん)』、『たこやきのなにわ』、『寿司 いろは』、『クレープハウス・ピンキー』、の19〔うち、讃岐うどん店だけは、開店に間に合わなかったようでした(笑)。〕ですが、7月に40店舗になるそうです。
高松の中央商店街のアーケード下がにぎわうことは、とても素晴らしいことです。
オープン初日の昨日は、この19店舗の中でも、特に、『土佐居酒屋・土佐藁やき みませ』の、カツオのたたきの藁でいぶすパフォーマンスが、大人気でした。

県外の皆さんは、讃岐うどんの手打ちパフォーマンスに感嘆されるのでしょうけど、私などは高松で生まれた頃から飽きるほど見慣れていますし、トキワ街のアーケードの中も外も、うどん屋だらけですので、この屋台村に讃岐うどん店が入っても入らなくてもいいと思っています。
この屋台村の近所ならば、「うどん棒・本店」のうどんが群を抜いて美味しいですけど、歩いて5分もかかりませんし、並びの、南新町商店街に入ると、肉うどん専門店の「綿谷製麺」や「うどんや」がありますし、田町商店街に入って、香川県の恥の最高にうどんの不味い「はなまる本店」には絶対入らずに通り過ぎて(笑)、路地を左折すると、「山越」で修行した藤本さんのやっている「正家」、田町商店街を抜けると翌朝の5時まで営業している「黒田屋・田町店」もありますからね。
屋台村でいろいろなものやスウィーツをいただいて、帰り道のうどん店で、冷たいかけうどんなどをデザートとしていただけば、完璧ですね。
だんだん、町が住みやすくなって来ていて、よいことです。
掲載写真は、順に、「TAKAMATSU いろは市場」から、『土佐居酒屋・土佐藁やき みませ』、カツオの藁いぶしパフォーマンス、『鯛出汁ラーメン・麺屋軌跡』カウンター、『韓国料理すごろく』カウンター、です。
Posted by 岡田克彦 at 04:52│Comments(0)
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