2014年05月15日
「ニュー雅園」の中華料理



いつも、讃岐うどん店のご紹介が多いので、今回は、私の行きつけの高松の中華料理店をご案内します。
高松には、「北京」、「中国酒家」、というコース専門のいい店もあるのですが、もう、57歳になると、どうせお金を使うのなら、中華やフランス料理のコースではなく、懐石料理のコースに、ほっとしますので、最近は行きません。
が、この二つは、高松市内の中華料理店では、サンポート29階の、陳健一さんの「四川」の高松支店と並んで、いいお店です。
気楽に、単品でいただける、高松の老舗中華料理店は、「平安閣」「満州楼」でしたが、私が東京からUターンしたあとは、レインボーロードの「華宮」、ハゼ町の「一刻」、古新町の「ニュー雅園」が新しく出来ていて、介護していた母とよく行ったものでした。
が、「バーミアン」が引き揚げた頃から、中華は瀬戸内海の白身魚を活かすのが難しい、というか、もう、和食がいいな、という年齢になったので、あまり行かなくなっていました。
しかし、コラボ相方の山本君と出会って以来、中華もたまーーーに顔を出しています。
最近、時々行っているのは、リーガゼスト高松の裏にある、古新町の「ニュー雅園」ですね。
思い起こすと、中華のデザートの杏仁豆腐が一般的になったのは、田中角栄総理による日中国交回復の際の、周恩来首相主催の晩餐会で出されたコース料理〔上海蟹、チンジャオロース、北京ダック、フカヒレの姿煮、海燕のスープ、などのそろったコース料理でしたが、このデザートが杏仁豆腐だったのです。〕が同時中継された頃からで、それまでは、中華のデザートは、揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕、だと思われていたものでした。
東京にいた頃、中華という物も、地域によっていろいろで、北京、四川、広東、上海、という、中華四大料理のほか、カエルやエンドウ豆の弦を食べる湖南料理など、いろいろあることを知りましたが、一番大きな出来事は、高松にUターンする少し前に、飲茶(ヤムチャ)という習慣が東京に上陸して一般的になったことでしたね。
新宿に、香港からヤムチャ料理店がいくつか出来ましたが、当時の私は、その文化と歴史に深く感動したものでした。特に、「大根餅」(大根おろしをお餅にしてしまうこと)、「小籠包」と、「ホーイエノーマイ」(蓮の葉に包んだ五目オコワを蒸したもの)には、様々な点心とともに、紹興酒をいただけることに、魅せられたものでした。
ただし、『犬のスープ』や『猿の脳味噌』のようなものは、赤坂にあった、爬虫類専門店の『シマヘビの生け作り』同様、食べたいとは思いませんでしたけどね。
高校二年のとき、留学したアメリカシアトル郊外では、『ガラガラヘビのから揚げ』をいただきましたが、最初からわかっていれば絶対に食べなかったと思いますが、そんなものを食べている人達から、「ウナギを食べるなんて、日本人は、なんて野蛮なの。」と言われたので、頭にきたものでした(笑)。
さて、高松市古新町の「ニュー雅園」は、八栗にある、大将の弟さんのやっている支店にも、出張の際、車で通ったときに食べに行ったことがあり、懇意になりましたので、食事だけでなく、おやつだけで、ヤムチャとして立ち寄ることもあります。
というのも、ここの、『揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕』が、素晴らしいからなのです。
私は、料理は芸術だと思っていますので、料理は室内楽などの音楽を楽しむように、時空間を楽しむスタイルが正しいと思っています。
ですから、拝金主義者が考えるような、即物的なとらえ方で、料理を貨幣価値に置きかえるような状態では、味覚は正しく機能しないと思っています。
安部首相の提唱している「秘密保護法」が拡大解釈され、「個人情報」も保護されすぎると、一期一会も、団欒の食事も、全て、否定され、一人高齢者の孤独死が一般的になると思いますが、ネット上でのバーチャルなだけの出会いは、この流れを加速させるために利用されかねない状況ですね。
香川県が住みやすいのは、うどん文化のお陰で、地縁関係が、まだ、残っているからですね。
日本国民は、性悪説の中では確実に滅ぶと思いますから、モラルを向上させ、情報を開示しても大丈夫な社会にする努力を、政府はやるべきでしょうね。
しかし、近い将来、人類が存在しなくなる市町村が、多々あるようなので、なんという世の中だろう、と感じていますけどね(笑)。
掲載写真は、順に、「ニュー雅園」の、スープが素晴らしい『青野菜ラーメン』、『酢豚定食』、『揚げ芝麻球(チーマーカオ)〔ゴマ団子〕』、です。

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Posted by 岡田克彦 at 22:27│Comments(0)
│高松市のグルメ