2012年08月19日
「季の屋」にて

昨日の、高松の「カフェ くさか」でのコンサートに、善通寺市と飯山町の若い音楽の友人が聴きにいらしてくださったので、出演前に、「カフェ くさか」近所の「季の屋」で夕食をいただきました。
「季の屋」は、東バイパスに面したところにある、愛媛県の大王製紙直営の、和食ファミリーレストランですが、板前さんの力が素晴らしいので、ファミレスとは思えないくらい美味しいので昔から有名で、亡き母も大好きなお店だったので、生前はよく連れてきたものでした。
瀬戸内海の魚料理、うどん〔手打ちしています〕が素晴らしいのです。
私は出演前だったので、軽く、寿司とざるうどん、若い彼らは、ステーキと天麩羅、刺身膳、を食べました。
相変わらず、素晴らしいうどんと、お魚でしたので感動しましたが、食後にいただいた抹茶パフェが、とてもヘビーでしたね(笑)。
コンサートの方は、自作ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111(全18曲)から抜粋で何曲かやりましたが、やはり、『麩にかぶりつく鯉』がウケましたので、追加で、昔作曲した組曲「病床にて」OP.55の『点滴の詩(うた)』をやりましたが、いずれもシュールな面白い作品なので、またまた、違った反応があって楽しかったですね。
が、終戦記念日を迎えた今の時期だったので、三線のとしさんが、てっちゃんのギターとのコラボで、沖縄の地上戦で20万人もの人が亡くなったことを悼んだ傑作の「島歌」をやり、てっちゃんは弾き語りで、「長崎の鐘」と「さとうきび畑」をやり、ラストは、「見上げてごらん夜の星を」をみんなで歌うというライブになりましたので、とても素晴らしい、コンサートでした。
こういう混沌としたコンサートが私は大好きなので、とても楽しかったです。
高松には「スピークロー」という老舗ジャズライブハウス等もあるのですが、ここのサロンなどは、ジャズオンリーとなっているので、全体として私は面白いとは感じないのです。
実際、出演する人も、他の出演者の演奏を聴く聴衆でもありますから、聴衆の側に回った時、全てが同ジャンルだったら、意外な発見や深い驚きに満ちた感動はなく、楽しめないことがあるのです。
東京にいた頃、私は、クラシックオンリーのこういうコンサートをプロデュースしていましたので、その意義はわかるのですが、コンサートとしては、未来への限りない可能性や発展は少なくなる点もありますので、一長一短があるのですが、今の高松市の人口規模では、混沌としていた方が楽しいと感じています。
音楽には、クラシック、ジャズ、ロック、J-ポップ、演歌、民謡、など伝統や歴史でいろんな種類のジャンルがあるのですが、12コの周波数の音の組み合わせで出来ている点では、全く異なりませんので、ジャンルなど関係なく、ごちゃ混ぜでやったほうが、聴く方は楽しいはずなので、私はこういうやり方の方が、驚きがあって好きですね。
東京になると、人口が多く、全てが特化、専門化してもやってゆけるのですが、高松などは42万人程度の人口なのですから、専門化しても中途半端になることは最初からわかっていますので、身の程知らずな特化をしても、中途半端なオタクに止まりますので、面白くないと感じています。
結局、聴く人が、演奏会に何を求めるか、ということになってくると思います。演奏する人が刺激を受ける場としては、ジャンルごとにまとまっているやり方もあると思います。しかし、全ての演奏会は、それを聴きに来てくださる聴衆のために開催されるべきなのです。
音大の集中している東京でクラシックオンリーでやっていた私が感じたことは、自分が演奏していますので、とても、勉強になりました。しかし、一元のお客さんは、演奏会に勉強しに来ているわけではないので、アミューズメントが全くないものは、次回への期待がなくなってしまうように感じているのです。
その点では、今の高松は、発展途上なのでいいですね。
讃岐うどんにおいて、ベースの「イリコだしのかけうどん」に、何をトッピングするかで、いろんなバリエーションが楽しめるように、演奏会も、12コのヘルツの音がベースにあって、それを、どう組み合わせるかで構築されていますので、その組み合わせ方を、J.S.バッハのようにポリフォニックにやるか、J-ポップのようにホモフォニックにやるか、ジャズのようにスウィングをベースにやるか、その他民族音楽の数々など、数え切れない組み合わせの楽しさがあるのです。
そういうものをごちゃ混ぜのライブで同時に楽しめることは素晴らしいことだと思います。
音量を上げて盛り上げを作ることも出来れば、いきなり弱音にして単旋律で注目を集める効果も作れます。
そういう、演奏者の感情の起伏に聴く人が引き込まれるというのが、正しい音楽でのコミュニケーションだと、私は感じています。
こういった点では、高松の「カフェ くさか」や、丸亀の「ルフラン」のやり方が、私は気に入っています。
また、香川県らしいところは、人口規模が東京ほどではないので、こういう集まりが、地域コミュニティーと不可分になっていることですね。実際、昨日のコンサートには、私の高松ファンクラブ会長のMさんが、また、お花を生けてくださり、能管奏者の友人を連れてきてくださりご紹介下さったので、そのうち、能管とのコラボをすることになりましたので、楽しみがまた増えました。
私が東京で活動していた20数年間の間、新宿駅で知人とバッタリ出食わすなんてのは、3年に1回くらいでしたが、高松では、1ヶ月に十数回が普通なのですよ(笑)。
どちらが住みやすいのかは、人それぞれでしょう。人類と口をきかないで生きたい人は、知人とバッタリ出食わさない東京の方がいいのでしょう。しかし、高松のような地方都市ではそれは無理なのです。若い方は両方経験された方がいいと思いますが、私のように55歳になってしまったら、高松の方が、絶対に血の通った状態で生きられるので、カンフォータブルですね。

掲載写真は、順に、「季の屋」の『握り寿司とざるうどんセット』、『ステーキ、天麩羅、刺身ご膳』、です。
このお店の、『ステーキ、天麩羅、刺身ご膳』などの、お膳には、必ず、『茶碗蒸し』がついていること、しかも、『茶碗蒸し』の具財が、その季節の旬のものを生かしていることが、最大の魅力なのです。
こういう旬のものが入る割烹は、東京の赤坂だと、お値段が10倍くらいするのですが、高松では、とても、リーズナブルなのでいいですね。
ファミレスにもいろいろあって、「ガスト」や「ジョイフル」では、メニューにあるものが、マニュアル通りの接客態度で出てくるだけなのですが、「季の屋」になると、旬のものを生かした、板前さんの心づくしが感じられる内容になっていて、また、食後には、デザートを頼まなくても、自動的に、温かいほうじ茶と冷たいお水が、提供されるようになっています。
ドリンクバーも、一長一短があるのですね。
私などは、この先年老いて、足が不自由になったら、ドリンクバーは大変だなあ、と感じると同時に、亡くなった母などは、晩年に、「ガスト」「ジョイフル」「グラッチェガーデンズ」なんかに連れて行った時には、ドリンクバーは、私が取ってきていたよなあ、ということを思い出してしまいました。

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Posted by 岡田克彦 at 09:30│Comments(0)
│高松市のグルメ