2012年09月07日
「ひょうげ祭」と、ひょうげ豆のお話

高松は、海外の田舎なので、お祭りがいろいろあります。盆踊りは、「一合まいた」という民謡で踊る、8月中旬の高松祭りに統一されているのですが、それは、行政上のしきたりにすぎず、各神社のお祭りがたくさんあります。
私の生まれ育った、高松市番町界隈の住民は、全員、石清尾八幡宮の氏子なので、石清尾八幡宮のお祭りの日は、学校も半日でおしまいでした。
お祭りの日に学校が半日でおしまいなのは、どうしてだかわかりませんでしたが、食いしん坊の私は、お祭りに行くと、綿菓子や焼きそばなどが、いろいろ食べられるのが楽しかった思い出があります。今にして思うと、お祭りの屋台に、うどんはありませんでした。が、これは、うどんが日常食だったためでしょうね(笑)。
こうした、各地区各地区に昔からあるお祭りの一つに、「ひょうげ祭」、があります。「ひょうげ祭」は、高松市香川町にある新池というため池を舞台に、毎年9月の第二日曜日に行われる、お祭りです。
この祭りの起こりは江戸時代にさかのぼります。当時の高松藩主松平頼重(まつだいらよりしげ)は、度々この地を襲う干ばつに困り果て、ため池築造の命令を出します。そして、それを命じられたのが、頼重の家臣でもあり土木技術者の矢延平六(やのべへいろく)でした。平六は早速、香川町に大きなため池を築造します。こうして、1661年~1673年で、新池が完成しました。このため池により、周りの田畑は潤い、干ばつの被害から救われた農民は平六に感謝しました。しかし、ため池があまりに広大すぎたため、「高松城を水攻めするたくらみがあるのでは」と藩に言い出すものが現れます。平六は藩に捕えられてしまい、ついには讃岐から阿波の国(徳島県)へ追放されてしまいました。
このことを悲しんだ農民たちは、新池を見下す高塚山(たかつかやま)の頂きに祠(やしろ)を立てました。そして、平六の冥福を祈るとともに、豊作を祈るため、追放された旧暦の8月3日に祭りが行われるようになりました。

「ひょうげ」とは、讃岐の方言で「ひょうきんな」「おどける」といった意味があります。かつらや着物、さらには神輿(みこし)など、この祭りで使われる道具のほとんどが、カボチャ・ナスなどの農作物で作られ、そうした祭り道具をまとった行列がおどけたものであるため、「ひょうげ祭」と呼ばれるようになりました。
このように、このお祭は、平六を慕い彼の功績を高く評価しながらも、藩主の下した国外追放の罪について表向きは反対できないもどかしさから、このような面白おかしい仮装行列によって、ひょうげる(讃岐弁で、おどける、という意味)ことで、藩主に抵抗したお祭りなのです。
ひょうげ祭りは香川県の有形民俗文化財に指定されていて、この週末の9月9日にも行われる予定です。高松では一番面白いお祭りですね。
讃岐地方は、出身者の弘法大師の影響下にありますので、1200年前に空海が留学した唐の都から持ち帰った「うどん」「小麦粉」「豆腐」「高野豆腐」「豆類」を昔から食べることが習慣になっていますので、郷土料理の代表に、ソラマメを炒って甘辛く味付けた「醤油豆」がありますし、アンパンよりも、金時豆をパンに入れた、豆パンの方が、香川県では昔から親しまれています。「ひょうげ祭」もソラマメを使ったお菓子のモティーフになって、「ひょうげ豆」というお菓子が高松では昔から親しまれています。

高松市兵庫町商店街に、「株式会社豆芳」というお菓子屋さんがあって、そこは、昔から「ひょうげ豆」を作って売っていますが、いろんな色とりどりのソラマメの詰まったお菓子です。
下記の讃岐弁の一文が、このお店の会社理念になっています。香川県出身の方ならば、説明しなくても意味は理解できると思います。
讃岐弁ではお客様に対して、「お召し上がり下さい。」とは言いません。「つまんでいた~」、「食べてーたー」、あるいは、「食べてんまい」、あたりで、顧客に売ることが可能な、のーーーんびりしたところなのです(笑)。
「道端でなんやけん。まあ、あがりまーせ。めんめでこっさえたいろせなお菓子があるけん、つまんでいた~。」
掲載写真は、ひょうげ祭、の仮装の数々です。全部農作物で出来ているところが可笑しいですね。

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Posted by 岡田克彦 at 20:09│Comments(0)
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