2013年08月15日
モスクワ陸上「男子800メートル」


「えっ。君の血液型A型なの。うそだろ。BかOだと思ってたよ。」
「よくそう言われるんですよ。でも、やりたい曲について、ぼくは絶対に妥協しないから、A型的じゃないんです。」
「よかったあ。ぼく、これまでの人生でいろんな人達と室内楽合奏やコラボやって来たけど、相手はほとんど全員がB型だったんだ。ぼくは、AB型だけどね。」
「アハハ・・・、岡田さんも、やっぱりA型じゃないのですね。でなかったら、ぼくとコラボしても続かないよなあ。」
「山本君、ぼくは、AB型だけど、母もAB型、弟、祖母、母の兄弟、全員、B型なんだよ。だから、たった一人A型だった祖父は、胃潰瘍で死んじゃったんだもの(笑)。」
前回、私の自宅で、コラボ相方の、ボーカルの山本君とコラボした後、話していた時のことでした。
もちろん、血液型なんかで全て判断することは間違いですよ。ただ、ソリストのピアニスト、作曲家に、B型、O型、AB型が多いことは事実なのです。
ところで、モスクワ陸上が連日放送されています。
私はスポーツは苦手なのですが、チームプレイよりも、結果の責任が全て個人にかかってくる、陸上競技や格闘技が、私のライフワークのピアノ演奏や作曲と近いので、個人的には観戦するのは、陸上競技や格闘技の方が、野球やサッカーなどのチームプレイよりも、カンフォータブルです。
チームワークは、A型人間が圧倒的に多い日本人が得意とするものですから、チームプレイのスポーツの方が日本では人気があることは当然です。
この点に私が気づいたのは、高校2年の時、アメリカのシアトルに短期留学した時でした。
いろいろな点で、アメリカと日本は異なっていましたが、一番強烈に感じたのは、アメリカが徹底した個人主義をベースにしたデモクラシイ国家だということでした。
が、その原点は、アメリカが、B型人間が圧倒的であることと、多国籍人種の集合体であることでした。
もちろん、アメリカの実力主義は資産額に対応していたため、イギリスから伝わってきたケインズ経済学をマネタリズムに勝手に変更して、拝金主場の大元を形成してしまったのです。
しかし、アメリカの個人主義社会は、スポーツマンシップが日常的な社会と相まって、負けた時に素直に負けを認め、責任転嫁をしない、という、連帯責任が日常的な日本ではありえない、素晴らしいものでした。
「黄金狂時代」の製作によって、アメリカから国外追放されたチャップリンが、その後の功績が認められて、アメリカ映画界に復帰したことなど、このあたりには、一種の清々しさがありますね。
こういう、真のフェアプレイの精神を、私は、今回の、モスクワ陸上のゴール後のアスリートの表情で拝見できたことが、実に素晴らしかったです。
日本人のアスリートが活躍していることは、とても嬉しいですが、実況している、マスコミのニュースキャスターやコメンテータが、日本人アスリートのことばかりで騒ぎまくっているのは、うるさくてかなわないですね。まあ、その方がA型人間が大半の日本人の視聴率が上がるのでよいのでしょうけど(笑)。
これまでのところで、私が一番感動したのは、「男子800メートル決勝」で優勝した、エチオピアの19歳のアマン、のゴール後の立ち居振る舞いでした。
彼は、とても謙虚な若者でした。こういう謙虚な若者アスリートが日本でも育って欲しいですね。
マスコミは、試合後のインタビューで、全てが伝わると誤解していますね。
言語情報なんていくらでも捏造可能なのです。
個人競技の場合は、試合後のボディーランゲージで、伝わる人には伝わるのです。ちょうどソロピアニストが、ステージに出てきて、ピアノの鍵盤に指を落とすまでの間に全てが伝わるように。
掲載写真は、モスクワ陸上「男子800メートル」で金の、エチオピアの19歳のアマン、です。

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Posted by 岡田克彦 at 20:31│Comments(0)
│ヒューマニズム