2013年10月17日
やりきれない気持ち・・・台風26号の伊豆大島の被害


昨日は、「葡萄塾」で『ヒコ&ヒロ』のライブがあったので、夕方、19:00過ぎに、丸亀町商店街と百間町の交差点の「サンマルクカフェ」前で、山本君と待ち合わせして、行きました。
ぼくは、出かける直前に、台風26号が伊豆大島に甚大な被害を及ぼし、死者が17人に増え、43人がまだ行方不明で、この先も死者の数が増える状況にあることをニュースで見たため、食べていたチーズカレーライスが喉を通らなくなり、精神的なショックから、ピアノなんか弾いている場合じゃないように感じていました。
「『厚顔無恥』に、どんな状況下でも、金儲けのためならば、全く同じ演奏ができること」を自慢したり、自己満足に浸っているミュージシャンのことをプロ、というのならば、プロのミュージシャンは全て冷血動物の爬虫類ですから、ぼくたち哺乳類とは、自己表現方法が全く異なっているようですので、哺乳類の私は、一切無関心なのでが、そういう連中に限って、自分の冷血度をまるで自分の才能のように自慢する手合が多いので、私は、精神的に抹殺することにしています。
私が同じ感覚に陥ったのは、東日本大震災の津波に、街が飲み込まれる状況をテレビで見たときでしたので、こんなやるせない気持ちでライブに向かったのは、久しぶりでした。
本当に、こんなこと、何回も何回も起こって欲しくないですね。
でも、掲載写真の、昨日の「葡萄塾」のコラボは楽しかったですよ。なぜなら、コラボ相方の山本君も、全くこのことについては話さなかったけど、同じ気持ちだということが感じられたからです。
ミュージシャンたるもの、この程度のことは、直感出来ないとお話にならないことは、クラシック音楽が始まった、中世の頃が決まっていることです。
「空気を読む」という言葉遣いがナンセンスな理由はここにあります。「空気」の存在なんて、時間制限の中の出来事に過ぎないのですが、音楽芸術は、時間や歴史を超越しているのですからね。
音楽をしながらお互いの感受性を認識しあうのは、四次元の世界なのです。
あたり前のことですが、ショパンやドビュッシーを演奏する時、私は、ピアノのすぐ隣で、ショパンやドビュッシーが聴いてくれていると感じます。
以上、打鍵のミスタッチを耳で聴くのではなく、目で見て確認することしか出来ないのに、いっぱしの評論家のように、全知全能のようにガタガタと騒ぐ俗物愛好家とは無縁の議論を、一部掲載いたしました(笑)。
気象庁が特別警報を出さなかったこと、大島町役場が避難勧告を出さなかったこと、に全てを責任転嫁したり、はては、安部総理の所信表明演説文面の福島原発や防災関連の枝葉末節について、細々と誹謗中傷し、テレビ局からギャラをかすめとっている、自称コメンテータに、私は言いたい。
「東京のスタジオでのーーーんびり詭弁を弄するのはやめて、さっさと、伊豆大島へ救助に行きなさい。あんた、五体満足なんでしょう。まず、人間として生きるうえの基本的な義務を果たしてから、おしゃべりしたり、お金儲けをしなさい。」と。
それにしても、どうなるかわからないですけど、一人でもいいから、人の命が救出されることを願っています。

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Posted by 岡田克彦 at 07:12│Comments(0)
│ヒューマニズム