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Posted by あしたさぬき.JP at

2011年07月20日

長い長い暴風雨・・・・・台風6号


















この時期に、しかも、災害の少ない、雨も降らない香川県に、長い長い雨を降らせた台風6号が、今朝、やっと通り過ぎました。



通り過ぎたと言っても、太平洋側を通っただけなのですが、これまでかつて経験したことのない長時間の降雨でした。



2004年8月30日の深夜、台風16号がやってきたときの、高潮被害は記憶に新しいところです。



この時は、高松市中心部は高潮のため水浸しになり、三越高松店も中央商店街も瀬戸内海の海になり、鯵などの魚が泳いでいました。



私の自宅の、海よりの向かいの四電工香川支店まで、海水が来たので、水につかるといけないので、私は自分の車を、自宅裏の高松市西方寺の山の上の空き地に避難させ、介護していた母を寝かせてから、避難所になっていた日新小学校まで行ったところ、避難所の日新小学校の体育館が既に水浸しで、雨が降らない香川県の弱点を目撃していると、誰かが叫んでいました。



「扇町で・・・・・のおばあちゃんが死んだでぇ。」と。



扇町は、私の住む西宝町より二筋瀬戸内海よりの、漁師さんが多く住んでいる町なのですが、そこの平屋に住んでいた寝たきりの一人暮らしのお婆さんが、高潮が一瞬で襲ってきたので、2人も溺死したのでした。このことが、高松市役所に電話で連絡されたのでしたが、夜で、既に助役が帰宅した後だったため、それまで避難勧告が出せなかったので、溺死者が出てから、避難勧告が出る、という、お粗末な対応でした。避難勧告は、助役決済がないと出せない、というしきたりになってたためです。



さらに、扇町の隣の埋立地に出来た、瀬戸内町の家は全て床上浸水したため、近所の畳屋さんが台風後大変に流行り、お金が儲かったので、小さかった畳屋さんが、大きなビル建てに変わったことも象徴的でした。



ピアニストの友人の香川トヨペット社長のN君は、だめになった車の修理で儲かったのですが、「こういう商売は切ないよ。」と言っていたのが、とても印象的でした。



母は、帰宅した私の報告を聞いて、日新小学校に避難しなくてよかった、と、言っていました。



台風一過後、当時の高松市長が市民全員にお詫び会見をしました。ほかの市町村だったら、許さないかもしれないですけど、さすがは、ファジーな高松市でした。



「こんな大きな災害が高松に来たんは、はじめてやったんやけん、かまんでないんな。」、と、かまわないのか、かまわなくないのか、全然、はっきりしない讃岐弁で、終わりました。



もちろん、この高潮被害の後、高松市役所はいろいろな災害対策を実施し、私の住む西宝町界隈の避難所は、日新小学校斜め向かいの、5階建の、香川県漁連の中央卸売市場事務所に変更になりました。



私の住む高松市西地区での、高潮の被害は、こんな感じでしたが、香川県東讃地区では、川が逆流し、もっと大きな被害が出ましたので、今回の台風6号の高潮も心配していましたが、台風の本体が通ったのが太平洋側で瀬戸内海ではなかったので、高潮の被害は、高松港周辺に限られ、台風の通過スピードがゆっくりだったことによる長時間の豪雨と強い風の被害の方が大きかったようでした。



掲載写真は、7月19日の朝、強風で屋根が飛ばされた、高松市屋島西町の事務所ですが、この時吹き飛んだ屋根に当たって67歳の女性が大けがをしたほか、香川県の怪我人が12人にもなりました。



自然災害の少ない香川県でもこんなありさまなのです。これから台風6号が向かう東日本の皆様は、十分に注意して下さい。












  


Posted by 岡田克彦 at 16:22Comments(0)災害の少ない香川県