2011年12月09日
若き、鶴見パティスリー・「昼丸」〔昼の「鶴丸」〕の創作うどん

私は、今、作曲にいろいろ没頭しているところです。
そうなんです。それをモティーフに作曲したいと切実に願う、素晴らしい、創作うどんと、ついについに、出会ったのです。
私の大好きな讃岐うどん、その伝統を熟知した上で新しい創作うどんを出しているお店は、高松市内にもいろいろあります。
「さぬき一番・一ノ宮支店」の、『麻婆豆腐うどん』、『フカヒレうどん』等の中華系のもの、「愉楽家」の始めた、『明太子釜玉うどん』、「大和製麺」の始めた『元祖オム玉うどん』、「こころ」の始めた『かき氷うどん』、たくさんある高松市内の讃岐うどん店で自然発生して流行って定番メニューになった『キムチうどん』、「麺むすび」の始めた『豚の角煮うどん』、「吾里丸」の始めた『北海道バター生醤油ブラックペッパーうどん』など、これまでいろいろご紹介してきましたが、いつも朝6時に朝うどんをいただく「丸山製麺所」は、自宅の近所で長いお付き合いなので別として、これまで出会った高松市内の讃岐うどん店でいただいた創作うどんで、どうしても、私が作曲のモティーフにしたい、と、熱烈に願ったお店は、ありませんでした。
というのも、私の場合、作曲の原点には、ヒューマニズムがあるので、この世で出会う事象をモティーフに作曲したいという背景には、必ず、その物体を作った方が創造物にかけた気持ちや気分が感じられないものは、絶対に作曲作品にはならなかったためなのです。
「栗林公園」が作品になったのも、76歳で亡くなった、介護していた母親と一緒に行った思い出がなかったら、作品としては成立しませんでした。
また、尊敬する弘法大師にかかわる「四国霊場八十八ヵ寺」をテーマにした作品についても、お寺の外観は、どこも同じような感じなので、ご住職と会い、その方のお人柄に触れて共感したことのある「石手寺」と「根香寺」以外は、無理だろうと感じていましたが、東京から来た大学生たちが、歩いて全てを回っている事態に接した時に、彼らを励ましたいと思って、チェロとピアノのために作って、後に歌曲にした「同行二人」〔お遍路さんは全員一人で歩いているのではなく、弘法大師と二人で歩いているのだ、という意味の素晴らしい言葉〕をテーマに作曲し、作品になりました。
ところで、見知らぬ人と人の出会う一期一会、における第一印象を人間が受け止めるとき、人間は、五つの感覚器官で相手を判断するのですが、作曲家で、且、絶対音感のある私は、聴覚で、その人が私に話しかける声の一番最初の文章の「起承転結」の、「結」の、短文ならば、終結の発音の音程、が、どのあたりであるか〔人のしゃべる言葉の音程ですから、12の音とぴったり一致していないのが普通ですが、どのあたりかは、感知できます。〕で、大体、相手のお人柄は判断できますし、54年間判断して生きてきましたので、このウェイトが一番高いのです。従って、見た目の外観などは、私の場合はどうでもよいのですね(笑)。
私の経験では、初対面の方で、一番性格的に温厚で包容力のある方の、この、声の音程が、B♭、であることは確実ですので、B♭近辺の音程の声をしている方と出会ったときには、性別、身長、体重、髪型、なんかとは全く無関係に、仲良くしたいな、と感じています。
ちなみに、この音程が、C近辺の方は、頭脳明晰でないことが多く、F近辺の方は、狡賢い人が多いようです、私の54年間の経験では。TVで聞いただけですけど、ホリエモンは、C近辺でしたし、楽天の三木谷氏は、F近辺でした。
私のホームページ「K.OKADAワールド」に住所地を銘記していて電話番号を書いていないのは、不愉快な音程の声を聞かせられ続けることが嫌だからなのです。
さてさて、17年前に母の介護のために東京から高松にUターンして以来、高松市内の讃岐うどん店や製麺所の社長とはいろいろお話しする機会が多かったのですが、声の音程が、B♭、だった方は、これまででは、「丸山製麺所」、「さぬき麺市場」、「吾里丸」、の3店だけでした。が、いずれも、私より年上、つまり人生の先輩でした。
ところが、「鶴昼」〔夜のカレーうどんの名店「鶴丸」の二代目の息子さんが昼間やっているお店の通称〕の若い鶴見社長は、声の音程が、ぴったり、B♭、だったのです。
前回の2011年12月6日(火)のブログにおいて、私は、『しっぽくうどん』をいろいろ食べた後のデザートとして、「鶴昼」の、夜のうどんとは違う、細い麺の『冷たいかけうどん』をいいただき、そのダシの確かさと素晴らしさを確信しましたが、店員さんから、毎週水曜日には、二代目の社長がいらっしゃって、毎週新しい創作うどんを出している、ということを聞きましたので、早速、その翌日の、2011年12月7日(水)のお昼に行って、その日の新しい創作うどんをいただきました。
その日の新しい創作うどんは、高松市牟礼町でとれる牡蠣を使った、『牡蠣のつけうどん』でした。
いろいろな創作うどんがあるのですけど、これまでいただいた高松市内の創作うどんでは、一番、洗練された、音楽にたとえるならば、ドビュッシーかラヴェルのような感動する作品でした。
地産地消を大切にして、広島ではなく、牟礼町の牡蠣を使っていて、うどんと牡蠣と一緒に、直角に美しく細かく切った細ネギと共に、色鮮やかな京都の生麩が浮かんでいるのです。これは、もう既に、一幅の絵画のような芸術的なものでした。
しかし、もっと決定的だったのは、つけるダシのポン酢でした。ユズやスダチほど尖った酸味ではない、ほのぼのとした酸味なのです。私はその素晴らしさ、牡蠣との相性のよさにお箸しが止まってしまいました。
すると、カウンターの中から、金髪、ショートカットの、お父様とは全く雰囲気の違う若者が、「その漬けダシには、愛媛県のみかんを使いよんで。」と、B♭の音程の声で、且、さぬき弁で、私に教えてくださいました。
これが、完璧な素晴らしい高松の若者との一期一会でした。
「昼丸」が始まって、3年になるので、既に、固定客が一杯ついていて、カウンター席には、素敵な若い女性の方が何人かいらしていました。
そして、ここの二代目の社長といろいろおしゃべりしていたので、年寄りの私はほほえましく、お聞きしていたら、彼が、パティスリーの勉強をされている、とおっしゃっていましたので、その時点で、現状の既得権にあぐらをかかずに、前向きにいろんなことを探求している、調理師の作る本物の創作うどん店をモティーフに作曲することを決めました。
その旨を、彼に伝えて、好きな音楽をお聞きしたら、このように返ってきました。
「音楽ですか。音楽は全くわかりません。」
これほど、感受性豊かな回答はないのです。板前をしていた私の祖父も全く同じでした。知識や理論武装ほど、感受性を台無しにするものはないのですから、そのままでよいのです。
私は私の感動を音楽で表現するだけなのですから、私の感覚で作ればよいのです。
好きな音楽をお聞きして、気に入ってもらえるスタイルを模索してしまった自分が恥ずかしくなってしまいました。
・・・・・といった次第で、久しぶりに、本格的な室内楽曲として「讃岐うどん店・鶴丸」という作品を書くことに決めました。
私の作曲作品の中でも、一番重要な作品は、ピアノ曲ではありません。室内楽曲ですので、あの日、あの時、いただいた、『牡蠣のつけうどん』をベースに時間をかけて作曲することにしました。
掲載写真は、「鶴昼」で、はじめていただいた、『冷たいかけうどん』です。
「鶴昼」の創作うどんに興味のある方は、下記の「鶴丸」のホームページをご覧になって、食べに行ってください。『百聞は一見にしかず』です。
http://www.turumaru.jp/pc/index.php
最後になりましたが、「鶴昼」の社長様、素晴らしいモティーフを下さって、有難うございます。