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Posted by あしたさぬき.JP at

2011年03月24日

素晴らしき中学生達・・・『命あることを喜ぼう』




2011年3月16日の午後、NHKのニュースを見ていたら、岩手県陸前高田市の避難所で、被災した中学生たちが、ポスターを描き壁に張っているのですが、その文言が、何と、



「ガンバロー高田 命あることを喜ぼう」、なのです。



感動しました。



この中学生達の家は津波で流されて、家族も行方不明なのです。でも、避難所にいっぱいいる人たちに何か希望を届けたいと思って、このポスターを作ってはったのだそうです。



なんとピュアーで優しくたくましい子供達だろう、と、感動しました。



責任追及されないようにビクビクとテレビに映っている、東京電力の担当者、また、その担当者に横柄な態度で質問したり言葉じりの細部ばかりを追求している、阿呆民放放送局のニュースキャスターの面々は、この中学生をちょっと見習って欲しいものですね(笑)。



今回、一連の、東北地方太平洋沖地震の報道を拝見して、精神状態が歪んでいるのは、被災者ではなく、マスコミ、それも、民放放送局の阿呆な取材担当者であることが明白になりました。



精神状態が歪んでいる、すなわち、感受性が乏しい、ということです。



困ったものですね。というのも、感受性の欠落は、絶対に改善不可能だからなのです。民放放送局の阿呆な取材担当者は、よほど、ひどい環境でお仕事をなさってきたのでしょう。全くもって、『ご愁傷様』なことですね(爆)。



でもでも、この、素晴らしいメッセージのポスターを作った、岩手県陸前高田市の避難所にいる、被災した中学生たちに、私は、日本の明るい未来を予見しました。



掲載写真は、この素晴らしき中学生達が、作ったポスターを避難所の壁にはっているところです。






  


Posted by 岡田克彦 at 08:09Comments(2)地震

2011年03月24日

横浜在住・ピアニストの親友・M女史の転居





昨日、三陸沖地震への義援金を振り込んだ後、帰宅して、大好きなマッキーの「Answer」と、ドビュッシーの「ノクターン」を聴いて、ボーーーッとしていると、横浜在住の、旧知のピアニスト・M女史から電話がありました。



計画停電のため、電気が必須の心臓病を患っている、介護している91歳のお母様のために、ご実家の岡山に転居しようと思っていること、とりあえず、3月20日に、新横浜から岡山までの新幹線を予約したいのだが、JR東日本と連絡がつかないので、新横浜から岡山までの、のぞみのグリーン車チケット2枚を、高松で手配できないか、という連絡がありました。



旧知の仲なので、口調で、急いでいることがすぐにわかりましたので、高松旅館組合会長をしていた、亡き祖父・岡田照馬の知り合いの旧知のJTB高松の知人を介して早速手配し、チケットを即刻横浜に送付していただき、3月20日に、岡山にいらっしゃることになりましたので、よかったです。



JTB高松もボヤボヤしていたので、「あなたのせいで、私の親友のお母様が亡くなったら、どうしてくれるのですか。海外の高松の私のところにまで頼みに来ているのですよ。今、大地震が起こって、本州は大変なので、急ぐのですよ。」と、ちょっと、大騒ぎしました(笑)けど、私自身、母が脳内出血で意識不明になり目の前で息が止まって亡くなるまでみとった経験から、母親の命がどれほど大切かは身にしみていますので、容赦しませんでした(笑)。



人の命よりも大切なものは、この世には存在しないことなどは、あたり前のことですから、人間として当然の義務を果たしただけなのです。



今回の地震発生以来、旧知の友人がたくさん住んでいる東京の音楽の仲間達とは、いろいろ、連絡していましたが、少しでもお役に立て、嬉しく思っています。



老健施設を紹介して欲しい、とのことでしたので、高松ならば、私の高松高校時代の友人の経営している病院や老健施設がいくつもあるので、安心しなさい、と言って、ご案内することを約束しましたので、彼女も、ほっとしていました。



岡山と高松の老健施設やマンションの大体の代金はわかっていますから、岡山よりも高松のほうが、食事代などを含めると、はるかに住みやすいこと、ただし、マスコミと政治家には、香川県にはろくな人がいないので、知り合いがいないところでいらっしゃったら大変だろうけど、香川県立高松高校卒業の知り合いがいれば、ものすごく住みやすいことなど、洗いざらいお話いたしました。



が、まあ、香川県は農協と漁協がしっかりしているので、魚や野菜が新鮮で安く美味しいことと、瀬戸内海の波の音に包まれて暮らす方が楽なことなど、客観的事実をお話しました。



お話しするうちに、話題は、お互い大好きなフランス近代室内楽の話題になってしまい、「ニンの作曲した『フルートとピアノのためのファンタジー』を、是非、演奏したいんだけど、この、フルートパートを完璧に吹ける人、高松にいますか。」と聞かれた私は、「それは、まず、高松には一人もいませんよ。だけど、倉敷にはいるかもしれないでしょうね。」と、キッパリ、答えました。



こんなこと、あたり前のことですよ。ご高承のように、ニンのファンタジーのフルートパートは、フラッタータンギングと、循環呼吸が完璧に出来ないフルート奏者には演奏不可能ですからね(笑)。



まあ、そんなこんなで、もうすぐ、お花見の時期が来ますので、私の住んでいる高松市西宝町は、桜の名所なので、美しい三ッ星公園の栗林公園や、安く美味しい讃岐うどん店共々、ご案内したいと思っているところです。



掲載写真は、Mさんの来高面会時に、まずご案内したい、JR高松駅近くの、「こんぴらや・兵庫町支店」の『温泉卵ぶっかけうどん(290円)』、です。他にも、「うどん市場・兵庫町本店」の『肉ぶっかけうどん(320円)』、もいいのですけど、まずは、手切り麺の「こんぴらや」ですね。



ところが、急に、森女史は、お母様の具合が悪くなったので、お母様を自宅でヘルパーさんに任せて、2月21日に、一人で岡山までやってきました、そこで、M女史に、私の旧知の、元、コンビニ・ポプラの開発部長だったT氏が、今、T不動産で働いているので、ご紹介したところ、お話があったようなので、高松市内の物件については、T氏にお任せすればOKなので、ほっとしているところです。



私は、作曲の仕事があって、今回は、急な話だったので、会えなかったのですが、4月になったら、本格的に、高松に移住するので、その後、またゆっくりと思っていましたら、午後の4時過ぎに、南新町を田町の方に向かって歩いている、肉うどんを食べたい、との電話があったので、田町の、黒田屋をご紹介して、一方で、旧知の、黒田屋田町店のおばちゃんに電話して、手配を完璧にしました。里芋のおでん、稲荷寿司、肉たっぷりうどんに、ショウガをつけて出してもらうこと、来店してから茹でていただくことなども完璧にお願いしました。また、M女史には、おでん味噌は甘いの7割辛いの3割でブレンドしたら美味しいこと、デザートに、隣の喫茶「ルピナス」でコーヒーを飲むのは、もったいないので、黒田屋で、冷たい生醤油うどん(240円)をデザートとして食べるか、隣の喫茶「ルピナス」に行くのならば、小豆島の「島の光」のそうめんを置いているのでそれを食べた方が、糖分を控えられてヘルシーなことも全て伝えました。また、岡山のホテルに帰る際には、田町のマルナカで、大西食品の醤油豆を買って帰るようにご案内しました。



瀬戸内の小魚と、しゃぶしゃぶなどの美味しくて安いお店は、4月にお花見のついでにご案内することにしています。まあ、とりあえずは、海外(笑)の高松に疎開した方がいいでしょうね。首都圏はお水も大変ですのでそれがいいです。けど、疎開なんて、まるで、太平洋戦争の頃のようですね(笑)。



それにしても、・・・・・、東京電力のていたらくは、いったいなんなんでしょうね。ライフラインを扱っている組織ですけど、東京電力は、設立以来、最初から民間企業なのですよ。顧客満足を考えたとき、計画停電のようなものは許されません。しかも、被曝にさらされているのが、東京電力の社員や役員ではなく、グループ会社の若い従業員だとは、何と度胸のない社長だろう、と、私は呆れました。被災者のことを考えると、私は、いたたまれない気持ちになりますけど、インタビューに、トロトロと答えている東京電力の担当者に、被災者を思いやる熱いハートは、全く感じられませんが、視聴率しか考えていない民放の取材担当者も、全く哺乳類とは思えませんね(笑)。





  


Posted by 岡田克彦 at 08:00Comments(0)地震

2011年03月24日

『We Love Mackey』のこと




先日、三好君のところへ遊びに行った帰り、彼の親友の、高畑女史が自家用車で、私を自宅まで送って下さいました。



行きは、三好君の自家用車に乗せてもらったのですが、三好君と高畑女史の感性の違いを私は強く感じましたので正直に申し上げました。



というのも、三好君は、カーステレオで、ラップのようなものを聴いていたので、呆れたので黙っていたのですけど、高畑女史のカーステレオから流れてくる音楽は、音構成から、すぐに、私の大好きな、槇原敬之氏の作品だと感じましたので、私はすぐに高畑女史の趣味のよさについてご案内したのです。



基本的に、私は、裏表のない正直なリアリストで、且、全ての人間に優しいヒューマニストなので、車に乗せてもらって送ってもらう時に、趣味の悪い音楽をカーステレオで流していたら、文句は言わず黙っています。だって、わざわざ送って下さっているのだから、その程度のこと、最低限の礼節ですし、楽器に頼らずに曲を書いている私は、直ちに、外界の音をシャットアウト出来ますので、どうもないのです。



もちろん、私は、自動車にも乗るのですけど、晴れた日には、自転車の方が圧倒的に好きなので、母の介護をしていた頃は、母を病院に送ったりするために車に乗っていましたけど、母の没後は、出来るだけ自転車が好きなので自転車に乗っています。



理由は、エコ、とか、そういうものではなく、自転車に乗って高松の町を移動するのが好きなためなのです。東京と違って、高松市内にはほとんど坂道はありませんし、空気が美味しく瀬戸内海の波の音や潮の匂いがするので、高松市内の近場は、いつも自転車で移動しています。



そのため、遠方の、三好君の家に行く時には、いつも、彼が車で迎えに来てくれるので、私は、助手席にしか座ったことがないのです。こんな調子で、ともかく、私は、わがままなのです(笑)。



・・・・・・・



と、ここまでならば、よくあるお話なのですが、私が、マッキーの作品の好きな理由が、高校時代大好きだった、カーペンターズと極めて近い感覚でアレンジしているからだということ、高校時代にアメリカのシアトルでホームステイした頃、「イエスタデイワンスモア」の入った、アルバム「now & then」が大流行していたこと、帰国後、カーペンターズのファンクラブに入り、来日した時には、大阪まで聴きに行ったこと、カレンとその時握手したことなどを、若い高畑女史にお話して、和声学的に言って、マッキーのルーツはカーペンターズにあること、などを、お話していたら、「どうしようもない僕に天使が降りてきた」を歌っているのが、藤井フミヤなので、思わず笑ってしまいました。しかも、私が、マッキーのナンバーで、「ミルク」、と並んで大好きな、「ANSWER」、は、な、な、な、何と、コブクロが歌っているのです。



コブクロの歌う、「ANSWER」、素晴らしいじゃないですか。久々に感動しました。で、高畑女史に、かかっているCDのことなどを質問したら、新しく出た、〝We Love Mackey〟というアルバムで、マッキーの好きなアーティストが歌っているのだ、とのことだったので、たちまち気に入ってしまったら、CDを貸してくれました。だから、私は、御礼に、自作の「記憶の底の栗林公園 OP.111」などの入った私のアルバムを彼女にプレゼントしましたけど、私の自作アルバムよりも、マッキーの作品のアルバム〝We Love Mackey〟の方が数億倍素晴らしいことは、間違いないことだと、確信しました。



以来、私は、〝We Love Mackey〟と、フォーレの「ピアノ五重奏曲・第2番」を聴くことが、日課になってしまうほど、素晴らしいアルバムなので、まだ、聴かれたことのない皆様は、是非、お聴きになることをお勧めいたします。



〝We Love Mackey〟の中では、ゴスペラーズの歌う「うん」、一青窈の歌う「SPY」、福原美穂の歌う「素直」、miwaの歌う「北風 ~君にとどきますように~」、それぞれいいのですが、何と言っても、コブクロの歌う「ANSWER」が、最高です。



私は、疲れてゆっくり寝たいとき、睡眠前に、「グレゴリオ聖歌」か、J.S.バッハの「マタイ」のアルトのアリア、を、聴くことが多いのですけど、コブクロの歌う「ANSWER」は、これらと同じ効果があるくらい、素晴らしいのです。



掲載写真は、『We Love Mackey』、です。



  


Posted by 岡田克彦 at 06:32Comments(0)お気に入りの音楽

2011年03月24日

私の行きつけの讃岐うどん店決定




「でもさあ、『ぼっこ屋』の5玉280円というのは、美味しいよね。高松市内でも、ぼくは、自宅から離れているけど、ここ『ぼっこ屋』に食べに来るよね。」



と言ったぼくに対して、『ぼっこ屋』のすぐ近所にオフィスのある、親友の松野不動産の跡取りの松野君は、かつて、ぼくにこう言ったものでした。



「讃岐うどん店については、行きつけのお店が決まったら、オレは捜さないっすよ。『ぼっこ屋』は確かに美味しくて安いけど、麺やダシのちょっとした加減が小さい頃から食べている、行きつけの讃岐うどん店の方がいいですからね。」



・・・・・



という意味で言うならば、私の行きつけ店は、高松市番町四丁目にあった「久保製麺所」、「手打ちうどん・番丁」、か、最盛期の「かな泉・本店」が、生まれ育った高松市番町四丁目から一番近かったので、このどれかになります。



「さか枝」も、自宅からは近かったのだけど、行きつけではなかったのです。また、「こだわり麺や」も、「まるいち」も、私が高校時代だった頃には、まだ、高松に支店を出していなかったので、自分の味覚が明瞭に覚えている、美味しいうどんは、「久保」、「番丁」、「かな泉」、なのです。



この3店の内、私の上京から母の介護のためのUターン以降まで、ずっと続いているのは、「番丁」だけで、「久保製麺所」は閉店しましたし、「かな泉」は、バブル崩壊直後に倒産しそうになったところを、冷凍食品の「加ト吉」にM&Aされてから味が落ちましたので、「番丁」が唯一の行きつけなのですが、「番丁」は、一般店で、早朝から夜までやっているわけでもなかったので、日常的な讃岐うどん店にはなりませんでした。



しかし、私の味覚は、この3店のうどんを求めていたため、森田さんの始めた「もり家」、瓦町の「88うどん」が、自分にフィットすると感じていました。が、この2店は、私の自宅から、遠かったので、歩いてすぐにゆける範囲では、「丸山製麺所」、「吾里丸」を愛用していました。



こうした中で、完璧に、「久保製麺所」、「手打ちうどん・番丁」、最盛期の「かな泉・本店」、と、全く同じ系統の、朝早くから夜8時までやっている、セルフうどん店の、郷東町の「さぬき麺市場」が、歩いてすぐに行けるところに開店したのですから、私の食生活は大幅に変わったのです。



こういう事態は、うどん王国の香川県内でしか起こりえないことなのでしょうけど、こういう事態の歴史が1200年続いているのが、香川県なのですね(笑)。



といった次第で、ここ何日間か、またまた、郷東町の「さぬき麺市場」へ食べに行ってしまいました。美味しいですし、私にとっては、とても、ほっと癒されるうどんなので、これで、私の行きつけ讃岐うどん店は決定したのです。



行きつけということは、生うどんも買って帰りますが、冷凍うどんが定着してから、高松市内のスーパーには、どこも、冷凍うどんが数種類置いていますので、私自身、いろいろと買って食べ比べております。



冷凍うどんについては、現在のところ、私は高松市内では、「コープの冷凍うどん」が、一番、生醤油や釜玉にも対応出来る優れたものだと思っています。



が、醤油は「こだわり麺や」、トッピングの『高野豆腐の天麩羅』は、「マルナカ」、『金時豆のかき揚げ』は、「マルヨシセンター」、練り物のさつま揚げの『おてんぷら』は、「天神前センター」、『ダシ昆布』と『鰹節』は、南新町商店街の「丸一」、に決めています。



でも、こういう食材を買って楽しむことも、高松市内に住んでいないと出来ないのですよね(笑)。



掲載写真は、一昨日お邪魔した、郷東町の「さぬき麺市場」の、『かけうどん、びっくり鶏天、大根のおでん』、です。




ここを行きつけにして、たまーに、「番丁」、「丸山製麺所」、「こだわり麺や・高松支店」、「まるいち・郷東店」、「つるいち」、「さか枝」、「明石家」、あたりの近所のお店へ行けば満足なのですね。




もちろん高松市内での移動は晴れた日の自転車に限りますよ。私は、自動車も運転しますけど、うどんをいただく前後は、瀬戸内海の波の音、潮の香り、がしないと、食欲が半減するのです。まあ、東京に20年以上住んで、大阪に5年間住んでいましたので、ドブネズミがいっぱい生息している、新宿の地下街のようなものは、大嫌いなのですよ(笑)。




讃岐うどんをモティーフに作曲した作曲作品には、朝うどんをいただくことの多い、宮脇町の、「丸山製麺所」さんを扱った、「丸山製麺所の歌」、「加ト吉にM&Aされる前の最盛期の、1970年代の、かな泉」ガありますし、四国霊場八十八ヶ寺、栗林公園、コトデン、などは、モティーフになります。しかし、地下鉄丸の内線、都営地下鉄新宿線、六本木ヒルズ、お台場、原宿、のようなものは、作曲作品のモティーフにはなりません。「六本木ヒルズ」には絶対なれないのに、7階建てで頑張っている、ビジネスホテル「高松ヒルズ」や、阿波池田にある「民宿ヒルトン」ならば、モティーフになるのです。何故なら、モティーフは人間の喜怒哀楽の琴線に抵触するものでないとお話にならないからなのです。








  


Posted by 岡田克彦 at 06:21Comments(0)作曲