2014年05月21日
ショパンの「別れの曲」 OP.10-3


ショパンの「別れの曲」は、OP.10の、ショパンのエチュード(練習曲)・第一集・OP.10の3番です。
この作品は、ショパンが、祖国のポーランドが、プロシア、ロシア、オーストリアによって三分割され、消滅される状況にあった、1829年頃〔19歳の頃〕、ワルシャワを脱出してパリにてデビューした直後に作曲されたものです。
同じ、OP.10のエチュード集の12番〔革命〕と同時に作られた、表裏一体の作品です。
「別れの曲」や「革命」といった副題は、後に、この作品を愛好した人達によってつけられた名称なのですが、ポーランド分割による、祖国との永遠の別れの曲なのです。
ショパンのワルシャワ時代の一番親しい友人は、ティティウス、という男でしたが、ティティウスは、ポーランド分割に対抗する独立運動家だったのです。
ポーランド分割後、ショパンの親族は、助かったのでしたが、親友のティティウスは殺されてしまいました。このことをパリで知ったショパンが怒りに任せて書いたのが「革命のエチュード」で、パリへの亡命の時、見送ってくれた、ティティウス、及び、崩壊した祖国との別れの思い出をモティーフ にしたものが、「別れの曲」と言われています。
ですから、この作品に、歌詞をつけることは、実に大変なテーマを扱っている作品なのです。
このあたりのことを、コラボ相方の山本君にはあらかじめ話していましたので、彼が一番好きな作品だったこの「別れの曲」に歌詞をつけたのは、ホルストの「惑星」の『ジュピター』中間部、ラヴェルの「ボレロ」よりも後になりました。
2014年5月17日に、「カフェくさか」コンサートで、メドレーでやったのは、「別れの曲」、「涙そうそう」、という悲しい内容の曲、「らいおんハート」、という楽しい曲、パフォーマンス入りの「NHK今日の料理」と、ジャズスタンダードの「幸せの黄色いリボン」、という、気晴らしと笑いの作品でした。
従って、このメドレーの中で私が一番こだわったのは、「涙そうそう」の間奏をものすごいスローテンポでやることと、エンディングの「会いたくて、会いたくて、君への思い涙そうそう」のくだりを、ピアニシモにして終わることでした。
コラボが終わった後、高松の商店街を歩きながら、山本君といろいろお話した中で、山本君は、こう言ったのです。
「『涙そうそう』の最後のパッセージ歌いながら涙が出ちゃった。ちゃんと歌えなくてごめんなさい。」
彼の感受性が鋭いからこそ、涙が出たので、非常に素晴らしいライブだったと思いました。
完成度、というものは、心の叫びをストレートに表現した結果と一致する時としない時がありますが、一致しない場合に、私は、心の叫びよりも完成度を大切にする人間ではないので、とてもとても、感激しました。
思い起こすと、このショパンのエチュード OP.10-3(別れの曲) を初めて演奏したのは、16歳の頃でした。エチュード集ということで取り組んでいたので、なんでこんな簡単な曲が入っているのだろう、なんて、ただ、指の動く曲を求めていただけの子供でしたから、何も感じなかったものでしたね(笑)。

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Posted by 岡田克彦 at 02:15│Comments(0)
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