2012年08月16日
とても嬉しい朝
今朝は、とても嬉しい朝です。
というのも、フェイスブックで、旧知の方二人から友人リクエストをいただき、リンクしたからです。
一人は、昔々、住友信託銀行八王子支店で勤務していた1989年当時、ライフワークとしてやっていた、作曲活動の一環で、31歳当時に作曲して、自作自演で出演した私の自作室内楽曲「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディー OP.61」を、御茶ノ水カザルスホール第二回アマチュア室内楽フェスティバルに出展して、親友の、筑波大学医学部在学中だったクラリネット奏者と出演した当時、住友信託銀行八王子支店で一緒に働いていた、私の作品やピアノ演奏を気に入って下さっていたOLの若い女性〔今は幸せなご家庭を作っていらっしゃいます。〕です。
彼女は、ミクシィで私を見つけてリンクし懐かしい思い出に話がはずみました。
もう一人は、北海道の松前町で地域活性化に尽力されている方で、地方都市地域活性化のSNS『ぶらっと』をご紹介下さったり、北海道から高松に転勤していらしていた音楽大好きな方をご紹介下さり、その方が、逝去した母の告別式を手伝ってくださったりした思い出のある方です。
彼には、北海道の松前漬けを送っていただいて、晩年の母と一緒に、生まれて初めて、まだ行ったこともない北海道の名物に接することが出来ました。もう、10年近いお付き合いになりますが、ネット上で出会った当初は、彼がオーストラリアに、私がシアトルUSAに留学していたことから、とてもお話が弾んだ記憶があります。
私の場合、ウェブで出会うことも、自分が生きて死ぬまでの間にいろいろな方と実際に出会うことの一部に過ぎませんので、IT環境が整備された後に初めてウェブで会ったこともない人の日記を読んで知り合ってから実際に会う、という、手順でしか新たな出会いを経験できないので、とりあえず、あたりさわりのない話題提供で「空気を読む」ことしか出来ない方の気持ちは全くわかりませんし、わかりたいとも思いませんし、ハンドルネームで出会ってしばらくしてからリアルしたり、オフ会をして出会うと、出会う数は増えますが一つ一つの出会いの質は著しく低下するので、SNSのリンクなどは出会ったことではなく、実際に空間を共有して会ってからが出会いだと思っています。
ホームページに自分の住所を載せていると、「勇敢な方だ」というご感想をいただきますが、社会で出会った人と名刺交換をしたら、名刺に自分の住所と氏名が入っているのはあたり前ですから、普通のことをしているだけなのに呆れてものが言えません(笑)。
日本の社会で、大津市の中学校のような、監獄、少年院、精神病院の入院病棟の中のような環境の場所は、ほとんど皆無ですから、毎日毎日、いつ自分が殺されるのだろう、とビクビクして生きないといけないような状況ではないのです。
最近は、本州方面で、人を殺すことが大好きな人が急増しているようですが、運悪くそういう人に出会って殺されたりしなくても、人間は一万年も生きることのない有限な動物で、生きるということは、日一日、天寿の死に向かってゆくことなのですから、太宰治の「人間失格」の遺書の最後のように、『ただ一切は過ぎてゆきます』、なんて状況でなければ、全ての生存している人間の命は至上のものなのですから、ヒューマニズムにのっとって普通に生きていればよいだけのことなのです。
ホームページに住所を載せているので、香川県警勤務の高松高校の同窓生から、「岡田君、危ないでぇ。」なんて、時々言われます。いちいち面倒なのですが、
「何を言いよんな。人間も動物やけん、いつ死ぬかわからんのでっせ。いつ死んでもええように生きとったらええだけのことや。あんたも、ちょっとは、ドラッカー読みまあせ。」と答えています(笑)。
それにしても、2012年の今年もまた、日本テレビとその系列の西日本放送では、「愛は地球を救う」というチャリティ番組が開催されるそうで、想像力のなさに呆れております。
2012年こそは、アンチテーゼとして、「原子力発電所は福島県を救う」くらいの番組名も考えられないとは、何と想像力の欠如した、電気を無駄遣いしているスポンサーにこびへつらっただけのお金儲けしか眼中にない、劣悪なマスコミだろう、と私は感じております。

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というのも、フェイスブックで、旧知の方二人から友人リクエストをいただき、リンクしたからです。
一人は、昔々、住友信託銀行八王子支店で勤務していた1989年当時、ライフワークとしてやっていた、作曲活動の一環で、31歳当時に作曲して、自作自演で出演した私の自作室内楽曲「クラリネットとピアノのためのドメスティックなラプソディー OP.61」を、御茶ノ水カザルスホール第二回アマチュア室内楽フェスティバルに出展して、親友の、筑波大学医学部在学中だったクラリネット奏者と出演した当時、住友信託銀行八王子支店で一緒に働いていた、私の作品やピアノ演奏を気に入って下さっていたOLの若い女性〔今は幸せなご家庭を作っていらっしゃいます。〕です。
彼女は、ミクシィで私を見つけてリンクし懐かしい思い出に話がはずみました。
もう一人は、北海道の松前町で地域活性化に尽力されている方で、地方都市地域活性化のSNS『ぶらっと』をご紹介下さったり、北海道から高松に転勤していらしていた音楽大好きな方をご紹介下さり、その方が、逝去した母の告別式を手伝ってくださったりした思い出のある方です。
彼には、北海道の松前漬けを送っていただいて、晩年の母と一緒に、生まれて初めて、まだ行ったこともない北海道の名物に接することが出来ました。もう、10年近いお付き合いになりますが、ネット上で出会った当初は、彼がオーストラリアに、私がシアトルUSAに留学していたことから、とてもお話が弾んだ記憶があります。
私の場合、ウェブで出会うことも、自分が生きて死ぬまでの間にいろいろな方と実際に出会うことの一部に過ぎませんので、IT環境が整備された後に初めてウェブで会ったこともない人の日記を読んで知り合ってから実際に会う、という、手順でしか新たな出会いを経験できないので、とりあえず、あたりさわりのない話題提供で「空気を読む」ことしか出来ない方の気持ちは全くわかりませんし、わかりたいとも思いませんし、ハンドルネームで出会ってしばらくしてからリアルしたり、オフ会をして出会うと、出会う数は増えますが一つ一つの出会いの質は著しく低下するので、SNSのリンクなどは出会ったことではなく、実際に空間を共有して会ってからが出会いだと思っています。
ホームページに自分の住所を載せていると、「勇敢な方だ」というご感想をいただきますが、社会で出会った人と名刺交換をしたら、名刺に自分の住所と氏名が入っているのはあたり前ですから、普通のことをしているだけなのに呆れてものが言えません(笑)。
日本の社会で、大津市の中学校のような、監獄、少年院、精神病院の入院病棟の中のような環境の場所は、ほとんど皆無ですから、毎日毎日、いつ自分が殺されるのだろう、とビクビクして生きないといけないような状況ではないのです。
最近は、本州方面で、人を殺すことが大好きな人が急増しているようですが、運悪くそういう人に出会って殺されたりしなくても、人間は一万年も生きることのない有限な動物で、生きるということは、日一日、天寿の死に向かってゆくことなのですから、太宰治の「人間失格」の遺書の最後のように、『ただ一切は過ぎてゆきます』、なんて状況でなければ、全ての生存している人間の命は至上のものなのですから、ヒューマニズムにのっとって普通に生きていればよいだけのことなのです。
ホームページに住所を載せているので、香川県警勤務の高松高校の同窓生から、「岡田君、危ないでぇ。」なんて、時々言われます。いちいち面倒なのですが、
「何を言いよんな。人間も動物やけん、いつ死ぬかわからんのでっせ。いつ死んでもええように生きとったらええだけのことや。あんたも、ちょっとは、ドラッカー読みまあせ。」と答えています(笑)。
それにしても、2012年の今年もまた、日本テレビとその系列の西日本放送では、「愛は地球を救う」というチャリティ番組が開催されるそうで、想像力のなさに呆れております。
2012年こそは、アンチテーゼとして、「原子力発電所は福島県を救う」くらいの番組名も考えられないとは、何と想像力の欠如した、電気を無駄遣いしているスポンサーにこびへつらっただけのお金儲けしか眼中にない、劣悪なマスコミだろう、と私は感じております。

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Posted by 岡田克彦 at 12:58│Comments(0)
│ヒューマニズム