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Posted by あしたさぬき.JP at

2011年11月08日

「たかが天かす、されど、天かす」








昨日、横浜からいらしていた、旧友の横浜のピアニストのM女史が、高松滞在を終えて、横浜に帰られました。



高松高校卒業後、京都大学法学部を受けたのですが、見事に滑ってしまったので、私は、滑り止めで受かっていた私立大学中で一番学費が安かった、早稲田大学政経学部に仕方なく進学したのでしたけど、大学時代から卒業後就職した住友信託銀行在勤当時だった、1975年~1994年までの間、東京、大阪に在住し、「日本アマチュア演奏家協会理事」として、作曲とフランス近代室内楽を中心にしたピアノ演奏をやっていました。



同世代のMさんと出会ったのは、大学卒業後入会した「日本アマチュア演奏家協会」で理事をしていた頃でした。今でも強烈に覚えていますが、彼女は、私の作曲した「ヴァイオリンとピアノのためのファンタジー OP.58」と、私がフルーティストの友人とよく合奏していた、プーランクのフルートソナタのピアノパートのアナリーゼが気に入っておられました。



早稲田大学時代からずっとそうでしたけど、音楽大学が集中していて、アマチュア演奏家の水準も高い東京で作曲をやっていると、私の作曲したピアノ曲や室内楽曲を演奏したい演奏家の仲間が自然に集まってきますので、コンサート企画集団のサークルを作ったりコンサートを主催することに、私は一度も苦労したことがないのですが、私自身の自分の楽器はピアノでしたから、当然、ピアノ曲をたくさん書いていましたので、ピアニストがいっぱい集まっていましたので、「ショパン愛好会」とか「ピアノと遊ぶ会」という名前のサークルを仲間とやっていました。



が、人間にはいろんな方がおられますので、音楽が好きで演奏活動をしている方もいれば、女性にモテたいので女性が多く取り組んでいるピアノを演奏している男性アマチュアピアニストも多々いらっしゃいました。



しかし、私は、性別などと自分の作曲動機はまったく別でしたので、作曲者の私が気に入った演奏をしてくれる女性ピアニストに私の作曲作品を献呈することは、全て、芸術的な理由だったのですけど、



「岡田さん、あの女性が好きなんですか。彼女と特殊な関係なのですか。」というふうに、私の交友状況を眺める下界の凡人もたくさんいらっしゃいましたが、ご説明するのは、いちいち面倒でしたので、「はい。彼女とぼくは特殊な関係です。」と答えていました(笑)。



作曲した作品を演奏家の友人に献呈する、という関係は、実際、極めて特殊な関係なのですから、間違えたことを言っているわけではありませんね(笑)。



ただし、「日本アマチュア演奏家協会会員」には、アマチュアピアニストよりも、アマチュア弦管楽器奏者が多かったのですが、アマチュア弦管楽器奏者の大半は男性でしたので、私の作曲した室内楽作品は、男性に献呈することが多かったので、「岡田さんはゲイになったようです。」という噂を立てる人もいらっしゃいましたので、可笑しくて可笑しくて、当時愛読していた、ニーチェ以降のドイツ文学のリルケ、ホーフマンスタール、ヘッセなどの影響もあって、私は、人間の好きなヒューマニストになっていったようですね(笑)。



同時に、私は、蓮如上人の執筆した、「白骨の御文」などの仏教的な考え方や無常観を既に自分の感覚にしていました(つまり、人間が1万年も生きることはないのだということを実感していました。)ので、謙虚に毎日を生きることがとても大切だと思って生きていました。



が、彼女は彼女で、敬虔なプロテスタントのキリスト教信者でしたので、自分のちっぽけさを自覚するという、人間にとって、一番大切な感性を持っておられました。



こういった次第で、生粋のアーティストのM女史とは、年齢などは超越して、ずっと仲良くさせていただいています。



が、お互い、出会った頃は若かったのですけど、今回、25年ぶりに再会した一昨日、私は、既に、介護していた母が死去していましたし、音楽大学出身の彼女は、ピアノを教えたり演奏会をやりながら、ご高齢のお母様を介護されていて、大変だなあ、と、私は思いました。



最初の日は、お母様の介護で大変にお疲れのご様子でしたので、瀬戸内海の魚の刺身などの生物は避けて、胃にやさしく、最も温まる、ショウガをたっぷり入れた、根菜、豆腐、鶏肉と伊吹島のイリコベースの「しっぽくうどん」、讃岐うどんを代表するメニューの「温かい釜玉うどん」と、柔らかく、ニンニクがたっぷり入った、讃岐名物の「骨付きひな鶏」と、自分の畑で取れた野菜の「青汁」がいいと思って、私の勧めで宿泊された、高松市百間町の「エルステージ川六」から、アーケード街を歩いてすぐの「讃岐うどん・明石家」でご案内しました。



ただの、高松自慢をしたいのならば、今の時期は、「引田のはまち」が成長した、ブリの刺身、なまこ酢、鮎の甘露煮、鯛のかぶら蒸しなどの加わった2700円の懐石料理の美味しい、「エルステージ川六」真向かいの、割烹「篠乃路(しののじ)」にご案内するところですけど、本当のお接待、というものは、いらっしゃった方の体調をベースにしなくてはなりませんから、先代の大将が、板前だった私の祖父の親友の、割烹「篠乃路(しののじ)」は、次回、M女史がお元気なときにご案内することにしました。



「エルステージ川六」は、もともと、昭和天皇が宿泊されていた高松一の老舗旅館「川六」で、私の祖父の経営していた「丸天旅館」のように、美空ひばりや力道山のような芸能人や格闘技家が宿泊するような格下の旅館ではありませんでしたので、ビジネスホテルながら、高松一客室数が多く、竹林に囲まれた露天風呂もついていて、フランスベッドの枕が備長炭でマイナスイオンで癒される素晴らしい宿泊施設なので、お疲れになった彼女にはちょうどいいと思ってお勧めしました。



案の定、翌日の日曜日の朝までには彼女は、元気になられ、教会へ礼拝に行かれたあと、連絡がありましたので、ミシュランの三ツ星公園の、高松の『栗林公園』へご案内しました。南庭をゆっくりと散策してから、吹上亭で鯉に麩をやってから、飛来峰で眺望を楽しみました。



この二日目は、割烹「小松」の、瀬戸内の海の幸をご案内出来たのですけど、彼女が、大変に、讃岐うどんが気に入ったとのことで、伊吹島のイリコを買って帰りたい、これで、お母様にしっぽくうどんを作って食べさせたい、とのことでしたので、こういう時は、南新町商店街の「丸一」で相談すると、ダシの材料は全部そろいますので、ご案内して言うと、奥様が、しっぽくうどんにちょうどいい、伊吹島のイリコ、ブレンドした鰹節、日高産の昆布をそろえてくれました。醤油は、藤井ふみや氏行きつけの「さぬきうどん・川福」がいいので、ライオン通り商店街の「さぬきうどん・川福本店」へ、うどんを食べずに、醤油を買いに行って、丸亀町商店街の「松風庵・かねすえ」のサツマイモ100%のきんつばの、「唐芋金時」をお母様のお土産に買っていただきました。














その後、「高松人は、喫茶店では休憩しないんだよ。安いセルフうどん店で休憩するんだ。」と言って笑わせながら、南新町商店街の「うどんや」で、特小の『温かいかけうどん』(120円)を食べて、腹ごなしに、高松中央商店街を歩いて、クリスマスデコレーションの整った、丸亀町商店街のドーム下をご案内しました。



そして、夕食は、「こんぴらや兵庫町支店」、「さぬき麺業兵庫町本店」に入って、メニューを見せて、それぞれのうどん店のうどんの特徴をご説明してから〔ご案内しただけですよ。そんなにたくさん食べられないですからね(笑)。まあ、行きつけですから、私が一緒ならばそれでよいのです。〕、「うどん市場・兵庫町本店」で、夕食の、「温かいおろしぶっかけうどん、と、ネギトロ丼」(450円)をとり、讃岐郷土料理の「コノシロのてっぱい」(90円)、「なすと大根の酢の物」(90円)、「伊吹島イリコの天麩羅」(70円)、「タコのゲソ天」(90円)、をとって、取り分けていただきました。



彼女が、驚いているので、お聞きすると、天かすの香りがいい、とおっしゃるので、私は、びっくりしました。ここの天かすは、青海苔の天かすなのですけど、私が生まれた頃からそうなので、あたり前だと感じていたのですけど、「横浜の『はなまる』とは大変な違いだ。」と大騒ぎしていました。



「『はなまる』ねぇ。あれはもう、吉野家にM&Aされたから、讃岐とは縁もゆかりもないお店だよ。何か、『讃岐うどん』なんて暖簾がかかっているけど、あれは、『讃岐うどん』じゃなく、小麦を練った物体にキッコーマン系の濃い口醤油のだしがかかっているものに、中国産の天かすが浮かんでいるから、食べないほうがいいよ。」と言って笑わせました。



「もう、お腹いっぱいだわ。」とM女史は言っていましたが、少しおしゃべりしていると、讃岐うどんは消化がいいので、「讃岐うどんは別腹」と言われているのですが、デザートに、『カレーうどん』(240円)を半分わけしていただきました。



既に、彼女は、一つ一つのうどん店のうどんの長さ、エッジの立ち方、モチモチ感、こしの強さ、喉越し、太さ、が全部違うことに驚いていましたが、高松人は、その日の気分で、自分の体調に合ったうどんを食べること、それを1200年前から続けていることをご案内しました。



「どうだった、デザートのカレーうどんは。」



「デザート、これ、デザートなの。」



「あたり前だよ。カレーライスはデザートにならないけど、カレーうどんなんてデザートだよ。冷たいデザートがよければ、冷たい生醤油うどんを、高松の人はデザートに食べるんだよ。だって、チョコレートパフェより安いじゃない(爆)。」



もちろん、このお店の若いマスターが、「お口直しにどうぞ。」と、『うどんのカリントウ』をサービスしてくださいましたけど・・・・・。



そして、最終日の昨日、岡山の叔父様のところに寄ってから横浜に帰る、M女史の出発前に、「こんぴらや・兵庫町支店」の今年の冬の新しい創作うどんとして登場した、『明太子・釜うどん』〔釜玉ではなく、明太子だけを海苔と合えている素晴らしいうどんでした。〕を、牛筋肉のおでん、豆腐の天麩羅、キャベツのかき揚げ、と一緒に、最後に食べて、マリンライナーでM女史は、出発されました。



今回の、讃岐うどんのご案内は、全て、いろんなスタイルのものを網羅しました。



「明石家」は、強こし系、「うどんや」は、すっきり系、「うどん市場」は、モチモチ系、「こんぴらや」は、細麺系、です。



あいにくの週末でしたので、「森製麺所」のかき揚げ、「こだわり麺や」の冷たいかけうどんとマッシュポテトの天麩羅、「こころ」のカキ氷うどん、「さか枝」のキムチうどん、「丸山製麺」「松下製麺」の讃岐早朝ラーメン、「さぬき麺市場」の300gのびっくり鶏天(100円)、「川福」のうどんすき、「さぬき一番」の麻婆豆腐うどん、等は、ご案内出来ませんでしたけど、讃岐うどんは1200年前から続いていますから、1200年は続きますので、急がなくてもいいですね(笑)。



M女史は、『しっぽくうどん』と『青海苔の天かす』が大変気に入ったそうで、冬に、もう一回、いらっしゃるそうです。



ところで、いろいろご案内したつもりでしたが、私自身も気づかなかったのは、『青海苔の天かす』の香りが素晴らしく、ショウガとよく合うことでした。いつもいつも食べているとあたり前になってるのですね。













まさしく、「たかが天かす、されど、天かす」なのですね。



掲載写真は、順に、栗林公園・南庭・飛来峰でのM女史と私の写真、「こんぴらや・兵庫町支店」の『包丁切りの細麺』、「うどん市場・兵庫町本店」の『青海苔の天かす』などの無料のトッピングコーナー、です。
















  


Posted by 岡田克彦 at 11:44Comments(0)讃岐うどん