2013年08月23日
「ヒコ & ヒロ」のスタート


ステディーにデュオをやることにした、相方のボーカルの27歳の山本寛大君と、作曲家兼ピアニストの私・岡田克彦、は、それぞれのニックネームをとって、「ヒコ & ヒロ」というグループ名にして、56歳の私が死ぬまで活動することになりましたので、皆様にご報告いたします。
二人のホームグラウンドは、毎月第三土曜日の19:00から21:30くらいまで開催される、〒761-0301 香川県高松市林町2547番6 TEL 087-813-6084 E-MAIL;cafe@kusaka.asia の、「カフェくさか」〔地図URL;http://www.kusaka.asia/cafe/map.html〕 で、未来永劫続けることにしました。
また、これにともない、今年中に、山本君作詞、私・作曲の新曲を発表し、高松市でデビューすることに決めましたので、絶対に成功させるべく、準備に入りました。
さて、最初に言っておかなくてはならないことは、二人の性癖です。というのも、私が100%ゲイ〔男性の好きな男性〕なのですが、山本君は100%ノンケ〔女性の好きな男性〕だからなのです。
この世にわんさか生息している昔の常識に縛られた凡庸な皆々様から、しょっちゅう質問される「お二人はどういう関係なのですか。」という質問に対しては、一括「彼と僕は、妖しい関係です。」と答えることにしていますが、純粋な、音楽でつながった関係なのです。
つまり、アンドレ・ジイドの言う、『純粋結婚』の状況にありますので、ジイドの言う『純粋結婚』の意味を知らない人はお調べ下されば幸いです(笑)。
『純粋結婚』には、日本国憲法は全く無関係ですので、配偶者控除なども全くありません。が、ぼくたちは、芸術的な審美眼をお互い大切にしていますので、そのような法律には惑わされません。
また、下界の皆様が頼りにする、学閥や学歴とも、全く無縁につながっています。だって、考えても御覧なさい。絶対音感などの聴覚の掌る感覚的な中枢機能は、5歳までに右脳で確立されるのですから、学歴などの左脳中枢とは無関係に、お互い尊敬しあっているのです。
こういった次第で、彼と私は、フレージング(演奏の際の息遣い)、アゴーギク〔曲全体のテンポ感覚〕と、テンポ・ルバート〔曲の中でフレージング、和声進行(コード進行)、構成(形式)に伴って、テンポを変幻自在に揺らすこと〕が、全く一致しているという、1000人に1人くらいの得がたいデュオ相手であるということを、お互いに聴覚で感知し合っているので、言語情報などは、全く、意味がないのですよ。
本番での演奏中、楽譜を見ることは、視覚に負担が行きますので、聴覚に集中するには、楽譜は、ポップスのコード表も含めて、いい演奏の邪魔になるのです。
ゴメンナサイ。二人とも才能があって(爆)。
また、演奏本番後の、お食事は、とても大切なのです。
味覚と聴覚の関係は、ヨーロッパでクラシック音楽が確立された当時の、タフェルムジーク〔食卓の音楽・弦楽四重奏などの生演奏を聴きながらお食事を楽しまれたこと〕を貴族が愛用していた当時から、音楽芸術の常識です。
しかしですね、香川県(うどん県)には、1200年前に弘法大師が讃岐うどんを始めた頃からの長い歴史があるのですが、山本君は、弘法大師の出生地の香川県善通寺市生まれで、私は、幼少期に祖父が経営していた、高松市内の老舗旅館の一つの「丸天旅館」の三代目なのです。
ですから、お互い味覚には自信があるのですが、これも、ピッタリ一致しているのです。こんなことは、めったにないのですよ。
さらに、山本君は母子家庭で育ちましたし、私の父の岡田寛(おかだひろし)は、二代目のボンボンで、女遊びがひどくて、今、お金目当ての8人目の愛人と再婚してもらってその介護を受けているのです。
が、本妻の私の母親(岡田直子)は、丸天旅館の若女将として働きづめだったので、そのことが影響して、76歳で肝硬変の末期症状で、晩年の母が可愛そうで見ていられなかったので、早稲田大学政経学部卒業後、東京で自分の力で就職して働いていた「住友信託銀行」を、課長代理当時、年収1200万円だった全てを投げ出して、1994年に辞めて高松にUターンして、母と静かに二人で過ごしていました。
当時の岡山県知事の石井さんの招聘で、2000年に、「岡山後楽園築庭300年祭」の最終日のイベントに、江守徹さんなどの朗読とのコラボ出演にも、早稲田大学政経学部の同じ研究室の友人が日経新聞岡山支局長だったので、彼の協力もしてもらって、母も聴きに来てくれるようセットしました。最後の親孝行になると思ったので、母の大好きな、シューマンのトロイメライと、ショパンのOP.48-1のノクターン、ベートーヴェンのソナタ月光を、含めて、演奏しました。
母は、その後、2006年に、肝硬変の末期症状から、脳幹部脳内出血で、逝去しました。
香川県立中病院の脳外科集中治療室併設の入院病棟に、それまで自宅で死にたい、と言っていた母は、私の中学高校の同窓生の「番町大林病院」院長を主治医にして見てもらっていましたが、ついに、救急車で、番町大林病院経由で、大林君の卒業した岡山大学医学部の先輩が脳外科部長をしている、香川県立中央病院に運ばれましたが、一ヶ月で亡くなりました。
母の好きな竹の模様の入った入院中の浴衣を買って着せていましたし、私の作曲作品のファンやUターン後やっていた経営コンサルタント関係の仕事で出会った、香川、徳島、高知のクライアントの人事部長が、お見舞いに来てくれたので、母の病室には、お花が絶えませんでした。
香川県立中央病院は自宅近所でしたから、私は毎日行き、母の浴衣を着替えさせたりおむつ交換を看護婦さんがやっているのをチェックしていましたが、母は意識不明になっていましたから、ついていた私は発狂しそうになったりしました。
こうして、母が危篤だと連絡いただく前日、私は、新しいオムツを買って持って行きました。
もう、母はしゃべれませんでしたが、全力で私の耳元で言いました。
「克彦、オムツ有難う。」
これが、母の発した最後の言葉になりました。
翌日〔2006年9月19日〕の昼前に、母は、息をひき取りました。
一ヶ月の間、「お母様は明日死ぬかもしれない。」と、脳外科部長に言われていましたので、告別式の準備は、高松高校の同窓生が、公益社の顧問社会保険労務士をしていた関係で、お願いしていましたし、本仏壇は、母の実家の東京都世田谷区の奥沢に金仏壇を移していましたが、私にとっては、小さくてもいいから、母の仏壇を自宅に置きたかったので、小学校の同窓生の、岩佐仏喜堂社長の、岩佐武彦君にお願いしていました。
そして、公益社での告別式、密葬にし、新聞での連絡もしませんでしたが、口コミで、私の作曲作品のファンやUターン後やっていた経営コンサルタント関係の仕事で出会った、香川、徳島、高知のクライアントの人事部長が、いらして下さいました。もちめん、母の親族も、東京、大阪、山口、からいらしていました。
母は、私が住友信託銀行に就職した1979年の翌年の1980年に、義務を果たしたと思って、父と協議離婚しましたが、慰謝料はゼロでしたので、私と、東京の叔母(母の妹)はずっと母に東京から仕送りをしていました。
ですから、父には、父方についた弟が知らせましたが、父が告別式に来ないことはわかりきっていました。
が、弔電も来なかったので、この、岡田寛は、人間ではない。人の足を引っ張ることしか出来ない、絶対音感も何も無い、楽器一つ演奏できない音楽評論家を生業にしている、下等動物だ、と、私は確信しました。
また、父が、RNCラジオ放送局で、アルゼンチンタンゴの長寿番組をやっていた関係で、平井卓也衆議院議員の秘書がいらしていましたが、「寛(かん)先生〔父のニックネーム〕、弔電も送らなかったの。」と呆れていました。
後日、3歳で始めた私のピアノの最初の恩師の、石井ルリ子先生はそれを聴いて激怒して電話を下さり、「あの、岡田寛は、確実に地獄に落ちるで。」とおっしゃっていましたが、下等動物がどうなろうと、私は、どうでもいいと思っています。
が、相続は別ですよ。祖父の残した遺産を母の命より大切だと思っていた物体と、そのお金目あてで、後妻に入った拝金主義者には、それなりの償いをさせるつもりです。高松は口コミの成り立つ狭い町です。早稲田大学時代の親友の東京の弁護士にお願いする予定で準備は整っています。
私事はさておき、味覚、その中でも、うどんの好みの山本君との一致は、素晴らしいことでしたね。
彼と私の讃岐うどんのコシの好み、については、高松市茜町の「はまかいどう」、高松市兵庫町の「こんぴらや」で、全く一致しました。また、肉うどんについては、高松市南新町の「綿谷製麺高松支店」、高松市天神前の「めん処七福」、で一致しました。そして、さらに、冷たいイリコダシについては、高松市南新町の「うどんや」で一致しました。
それから魚貝類については、高松市百間町の「篠乃路」の懐石、高松市木太町の「小松」の定食、高松市北浜の「高松東漁協」のランチで一致しましたし、激安定食店では、高松市中新町の「ちょい飲み まんぷく亭」で一致しましたので、あとは、酢の物とごはんについては、高松市寿町の「農林中金高松支店」社員食堂、で一致することは間違いありません。
8月24日の、「カフェくさか」サロンコンサート後、魚貝類の安くて美味しい高松市内の定食店については、夜10時頃の来店になるので、地産地消でない、ガストのような下劣なお店以外にないということが普通なのでしょうが、グルメの私にはありえないことなのです。
すなわち、ライオン通り商店街の、居酒屋「だいこく」は、以前はうどん店でしたが、オーナー社長がいずれ24時間営業の居酒屋にしたい、とおっしゃっていたのですが、その頃から懇意にしていますので、電話して確認したところ、瀬戸内の魚貝類をメインにした定食を、真夜中でも、全て、1050円、でやっている、アルコールなしでもOKとのことで、座席もキープしてくれる、とのことでしたので、そちらにご案内するつもりです。
もちろん、食後のうどんを食べたいなら、アサリうどんの美味しい「ごえもん」北古馬場店、カレーうどんの美味しい「ごえもん」南古馬場店、「鶴丸」、ざるうどんの美味しい「川福」本店、も、歩いてすぐのところですから、OKです。
とてもとても楽しみですし、そうやって一緒にいる時に、曲想は、ふと浮かぶものですから、いいですね。
最後に、飲食店で一番大切な「眺め」についてご案内いたします。
喫茶店でも、雰囲気のいいお店はいいですけど、これは、全ての飲食店に言えることです。
私は住友信託銀行東京本部で勤務していた当時、六本木や麻布の、雰囲気のいいフランス料理店を愛用していましたが、雰囲気や眺めを、全て、金額に換算してしまうのが、スタンフォード発のマネタリズム〔拝金主義〕のいけないところなのです。
雰囲気は、経営者の心意気で決まるのです。値段の安い、高松の讃岐うどん店でも、雰囲気のいいお店は、店長の心意気で決まります。
そのあたりで、高松市内で一番雰囲気のいい讃岐うどん店について、山本君と私はぴったり一致してしまいました。
それは、高松市天神前の「めん処七福」です。
ただし、ノンケの山本君は、店長がとても威勢と感じがいい、ということで、高松市天神前の「めん処七福」を評価していたのですが、ゲイの私は、店長の眺めがいい(つまり、キムタクのようなブサイクな男ではなく、ガテン系の素敵な男だということ)、ということで、高松市天神前の「めん処七福」を評価していたのです。
先日このことを、山本君と電話で話したら、大爆笑になってしまいました。
そこのゲイやバイのあなた、是非、、高松市天神前の「めん処七福」の眺めがいいかどうか、ご確認下さいませ(笑)。
掲載写真は、とても眺めのいい、 高松市天神前の「めん処七福」の入口です。

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