2013年11月13日
西高東低の冬型の気圧配置


昨日から、西高東低の冬型の気圧配置になったため、急に寒くなりまたので、一昨日までは、長袖のTシャツでも、自転車で移動していると、暑いなあ、と感じることもあったのですが、いきなり、ハイネックのセーターにダウンジャケットを着て、マフラーや手袋も使うような冬支度になってしまいました。
昔から、中国で一般的だった、「三寒四温」〔三日間寒くて四日目に急に暑くなる満州方面の気候〕が日本でも日常になってしまったようですね。
私は、風邪をひきかけていましたので、附属高松中学校と高松高校の同窓生の、岡山医大卒の、番町大林病院院長の大林君にみてもらいましたので、体調も戻りほっとしていました。
そうしたら、もともとがのんびりしたオプティミストなので、寒さを楽しみたいと思ったので、昨日の夜、夕食を食べた後、寒い風を楽しむため、近所の「トゥリーズコーヒー・西宝町支店」に行って、ドーナツとアイスカフェラテのセットを、冷たい風が吹いている二階ベランダ席の喫煙席でいただきました。
この、トゥリーズコーヒー西宝町店のFCは、岡山にある企業が経営しているので、うどん県と違って、本州の経営ですから、さりげないサービスがいいので、私が室外に出ようとすると、「喫煙席は店内にもございます。寒いですから室内の喫煙席にどうぞ。」と言われたので、「いやいや、ぼくは今日は夜景を楽しみたいので、室外がいいです。」と言って、外に出ました。
岡山からいらした店員でしたのでよかったのですが、ここは夜景の楽しめるテラス席じゃないのです。夜、見えるものは、並びのミニストップのネオンと向かいのKSB(瀬戸内海放送局)2Fの事務所だけで、あとは、県道33号線と西宝寺の山だけですから、県道を通るトラックのサーチライト、ネオンと事務所の光以外は真っ暗なのです。
が、とても寒くて、しかも、流れていたBGMのジャズがとてもよかったので、素晴らしい寒さを楽しみながら、またまた、新しいモティーフが浮かんだので、いつも持っている五線紙に向かって作曲していたら、たちまち1時間経ちましたので、帰宅する前に、西高東低について、改めて考えてしまいました。
西高東低は冬型の気圧配置ですが、実は、香川県の文化水準配置でもあるのです。すなわち、西讃地区のほうが、東讃地区よりも文化水準が絶対的に高い、ということです。
高松市は、県庁所在地で、霞ヶ関により、四国の中心都市と指定され、JR四国本社、四国電力本社、日本道路公団四国支部、四国高等裁判所があるので、転勤族も多く、人口は集中しているのですが、東讃地区になりますので、音楽芸術などの水準は、西讃地区よりも低いのです。
まあ、これは、演奏会をやったときの、聴衆の反応ですぐにわかります。
第一、香川県が全国に誇る、讃岐うどん、骨付き鶏、醤油豆、という名産品の食文化は、発祥地は、全て、西讃ですし、弘法大師の出生地の善通寺市、琴平宮のある金比羅町は、西讃地区なのです。
これに比べて、東讃地区は、高松市庵治町の御影石、引田町の沖のハマチ、の名産地ですから、掘ったり釣れるものなのですから、人間は、何も努力しないでよいのです。東讃地区は、自然に恵まれているだけで、人間は努力しなくてもいい、自堕落な場所なのですね。
「人間万事塞翁が馬」ですし、人の一生なんて、瞬間なのです。
その短い生涯を細分化して、年齢相応に生きることは、凡庸な下界の瓦礫のやることですから、時代を超越している音楽芸術を創造しているアーティストの私は、2ちゃんねらーのような凡人の集まりの言う、「年相応に生きる」なんて無駄な時間の浪費は、いたしかねるのです。

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昨日から、西高東低の冬型の気圧配置になったため、急に寒くなりまたので、一昨日までは、長袖のTシャツでも、自転車で移動していると、暑いなあ、と感じることもあったのですが、いきなり、ハイネックのセーターにダウンジャケットを着て、マフラーや手袋も使うような冬支度になってしまいました。
昔から、中国で一般的だった、「三寒四温」〔三日間寒くて四日目に急に暑くなる満州方面の気候〕が日本でも日常になってしまったようですね。
私は、風邪をひきかけていましたので、附属高松中学校と高松高校の同窓生の、岡山医大卒の、番町大林病院院長の大林君にみてもらいましたので、体調も戻りほっとしていました。
そうしたら、もともとがのんびりしたオプティミストなので、寒さを楽しみたいと思ったので、昨日の夜、夕食を食べた後、寒い風を楽しむため、近所の「トゥリーズコーヒー・西宝町支店」に行って、ドーナツとアイスカフェラテのセットを、冷たい風が吹いている二階ベランダ席の喫煙席でいただきました。
この、トゥリーズコーヒー西宝町店のFCは、岡山にある企業が経営しているので、うどん県と違って、本州の経営ですから、さりげないサービスがいいので、私が室外に出ようとすると、「喫煙席は店内にもございます。寒いですから室内の喫煙席にどうぞ。」と言われたので、「いやいや、ぼくは今日は夜景を楽しみたいので、室外がいいです。」と言って、外に出ました。
岡山からいらした店員でしたのでよかったのですが、ここは夜景の楽しめるテラス席じゃないのです。夜、見えるものは、並びのミニストップのネオンと向かいのKSB(瀬戸内海放送局)2Fの事務所だけで、あとは、県道33号線と西宝寺の山だけですから、県道を通るトラックのサーチライト、ネオンと事務所の光以外は真っ暗なのです。
が、とても寒くて、しかも、流れていたBGMのジャズがとてもよかったので、素晴らしい寒さを楽しみながら、またまた、新しいモティーフが浮かんだので、いつも持っている五線紙に向かって作曲していたら、たちまち1時間経ちましたので、帰宅する前に、西高東低について、改めて考えてしまいました。
西高東低は冬型の気圧配置ですが、実は、香川県の文化水準配置でもあるのです。すなわち、西讃地区のほうが、東讃地区よりも文化水準が絶対的に高い、ということです。
高松市は、県庁所在地で、霞ヶ関により、四国の中心都市と指定され、JR四国本社、四国電力本社、日本道路公団四国支部、四国高等裁判所があるので、転勤族も多く、人口は集中しているのですが、東讃地区になりますので、音楽芸術などの水準は、西讃地区よりも低いのです。
まあ、これは、演奏会をやったときの、聴衆の反応ですぐにわかります。
第一、香川県が全国に誇る、讃岐うどん、骨付き鶏、醤油豆、という名産品の食文化は、発祥地は、全て、西讃ですし、弘法大師の出生地の善通寺市、琴平宮のある金比羅町は、西讃地区なのです。
これに比べて、東讃地区は、高松市庵治町の御影石、引田町の沖のハマチ、の名産地ですから、掘ったり釣れるものなのですから、人間は、何も努力しないでよいのです。東讃地区は、自然に恵まれているだけで、人間は努力しなくてもいい、自堕落な場所なのですね。
「人間万事塞翁が馬」ですし、人の一生なんて、瞬間なのです。
その短い生涯を細分化して、年齢相応に生きることは、凡庸な下界の瓦礫のやることですから、時代を超越している音楽芸術を創造しているアーティストの私は、2ちゃんねらーのような凡人の集まりの言う、「年相応に生きる」なんて無駄な時間の浪費は、いたしかねるのです。
2013年11月13日
「家庭内暴力」の変遷

私の若い頃、「家庭内暴力」は、子供をしつけようとして、親が子供を叱った時、反抗期の子供が親に暴力をふるう、という
ことが一般的でしたが、最近は、結婚した男の子の奥様が同居するようになった時、嫁いできた妻が、姑が家事をしないので腹が立って暴行して殺害するケースが圧倒的になっているようですね。
福岡県で起こった事件は、その一つに過ぎませんが、家庭内のことを周囲に知られたくない、という慣習が日本には昔からありますので、氷山の一角でしょう。
人を物理的に殺害するという一線を越えるかどうかの違いだけで殺人罪は決定しますので、ちょっと腹が立ったらすぐに「殺してやりたい」という気持ちを持つ殺人実行予備軍の人間の割合が、今の、30歳代~40歳代のバブルの大量採用世代、2ちゃんねる、楽天市場、ライブドア、創業者の世代に、多くなっていることは明白です。
理由の全ては、匿名で何でも言うことが出来る、ネット社会の開始当時に一般的になった、『ネチケット』と、「死ね」、「むかつく」、「ウザイ」、等の『タメ口』発足当時に成人した世代の人達の考え方、お金で全てが解決できるという、非芸術的な思考回路に大問題があるので、是正されなくてはなりませんね。
こういう状況では、ロジックにのっとった、論理的思考能力が全く欠落した、人間以下の物体を大量に増殖させますから、困るのです。
また、一方で、目先のお金で全てが解決するという、コストパフォーマンスと損益分岐点しか頭にない、ロジックにのっとった、論理的思考能力が全く欠落した、人間以下の物体に限って、自分の生命への執着は、ものすごく強いことが常ですので、いっぱいある、個人のホームページに、自分の住所氏名電話番号などを明記する度胸もないのが、こういう物体には共通しているようです。
ウェブ上のハンドルネームでは、性別すらわかりませんが、私のこれまでの経験では、こりような物体の大半は、女性に決まっているようですね。
私は、人一倍の鋭い感受性を持っていますので、13年ほど前に、私のホームページを、性別も不明の言葉遣いとハンドルネームで攻撃した、2ちゃんねらーかどうかは、現実社会で面会した時にはすぐにわかりますが、つい先だって、高松市丸亀町の「葡萄塾」でコンサートをやっていた時にいらした、40歳直前のブサイクな女性と会って、その人が私にしゃべる時の頭のアングルだけで、すぐに、ああ、あの頃の2ちゃんねらーの一人だ、と直感しましたので、適当に絶対に意味がわからないことの確実な、「対位法」の禁則事項について一方的に私がお話して、その女の言うことと全く折り合わない会話を展開しました。
相当、頭脳も悪く知識も皆無の女だったので、私が無視したがっていることすらわからなかったので、周りに人が一杯いたので、学歴で止めを刺しました。
高松ではすごく簡単なのですよ。香川県立高松高校を卒業して、最低でも、現役で早稲田か慶應あたりの大学に合格していないことを私が確認した後、「では、これ以上、あなたとお話しすることは一切ございませんので。」と言ってから、沈黙すればよいのです。
まあ、それでも、うるさいようなら、私がピアノの前に座って、「今から、J.S.バッハのフーガを弾きたいんだけど、この作品は真珠なので、聴衆が豚だったら届きませんので、そこの、豚のあなた、私が演奏を開始する前に、ここから直ちに出て行きなさい。」と言えばよいのです。
タメ口で、「殺す」なんて、私に言ったら、言い返す言葉は決まっています。
「あなたは私より年下でしょう。目上の人に敬語を使うことすらご存じないのですか。『お殺しなさいます。』と言い直しなさい。」と言い直させて、そのとおり言ったら嘲笑するのです。
「『お殺しなさいます。』は間違えた敬語の使い方で有名ですよ。志賀直哉が小説の中で使った間違えた敬語だということを、太宰治が指摘したことすらご存じないのですか。大体、あなたは、志賀直哉の小説は全部読んだのでしょうね。ああ、まだですか。でしたら、私とお話しするには未熟者でいらっしゃいますから、志賀直哉を全て読破してから出直していらっしゃい。」
私の対話は、エッセイや作曲作品同様、結論が先に決まっているのです。簡単なことです。
いずれにしても、家庭内暴力の原因は、その家庭内の構成メンバーの、頭脳水準の低さ、感受性の鈍さ、が、全てですので、そんなに頭も悪く感受性もない悲惨な皆様が唯一社会参加できる手段は、虚栄心と羞恥心を捨てることだけですから、最初からそのようにしておけば、殺人事件は絶対に起こらないのです。

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タグ :家庭内暴力
2013年11月13日
反省すべき中国に対する日本の仕打ち

尖閣諸島など、冷め切った日中関係について、今回、アーティストとしての私の意見を述べます。
最初に言っておかなくてはなりませんが、私は中国が、プロレタリア独裁の共産主義国家であること、日本が資本主義と民主主義をベースにした国で、バブル崩壊後の長期不景気のため、拝金主義が横行しひどい状態に陥っていること、など、政治、経済、に関する問題については、わざわざ文章にして書く価値を感じていませんので、人類という視点に立って書きます。
つまり、人間の命を至上のものと考える視点で書きますので、第二次世界大戦という状況に乗じて、中国の人達を大量虐殺した日本人は、最近、生まれてくる子供を次々と虐待して殺している、東京都太田区田園調布の殺人鬼夫婦と全く同価値の低次元な動物だ、という考えで書きます。周囲の環境がどんな状態であれ、人の命を奪うことが絶対にいけないことは、文明が発達する前の原始時代から決まっていることですので、殺人を正当化する権利を保持する人間は存在しないという大前提で書きます。
また、具体的事実のない話はナンセンスですので、第二次世界大戦の時代を生きた、私の祖父母、母親、から聞いた実話に基づいて書きます。
明治生まれの祖母・故、榊奏風、と、亡き母・岡田直子、かんら聞いた、第二次世界大戦中の、高松における、中国人の差別、虐待は、大変なものだったようです。
特に、祖母は、実母、兄弟を全て、高松大空襲で失っていますが、明治生まれの気骨ある、正義感の強い女性でしたから、そのような私的な感情を凌駕して、冷静に観察した、日本陸軍の憲兵が国内でやっていたこと、感じたことを私に教えてくれました。
祖母と母の話で一番ショックだったのは、高松築港桟橋そばで、中国の年老いた女性を、憲兵が棍棒で叩いて撲殺した現場を見たことでした。
中国の年老いた女性は、中国の言葉で、「やめてください。」と叫び続けていたそうですが、憲兵は死ぬまで、棍棒で叩き続けたそうです。
まだ子供だった母は、憲兵を止めようとしたまでしたそうですが、祖母に止められたそうです。もし、そんなことをしたら、母が憲兵に殺されるからだったそうです。
この時の憲兵は戦後、自発的に土下座して謝罪しなくてはなりません。
お金で解決できることと出来ないことがありますが、このようにして、人の命を奪ったことは、戦後、中国に対して日本がお金を支払ったり、尖閣諸島を差し上げる程度で、謝罪がすむ事ではないのです。
一方、習近平などの中国共産党本部の人間も、裏金でなんとでもなる程度の下劣な動物ですから、どっちもどっちなのです。
戦中派の人達からは、「戦争は異常事態だから仕方ない。」という言い訳をよく聞きますが、「仕方がない」という理由で奪われてもいい人の命などは有り得ないので、自分を正当化するための下手な言い訳はやめましょう。

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Posted by 岡田克彦 at
12:40
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