2014年03月08日
いつもの、「さか枝・本店」の朝うどん



今日の朝ごはんは、いつものように、近所の「さか枝・本店」でいただきました。
今日は、かけうどん(170円)、と、アナゴの天麩羅(80円)をいただき、イリコのかけだしの入った大きなポット〔ダシは、蛇口をひねると出てきます。〕の横の席で食べていたら、土曜日でしたから、県外から初めていらっしゃった皆様が、どうすればいいのかわからず困っていたので、蛇口をひねればいいことをご案内しました。
最初の3人連れの若い人達も、次の5人連れの人達も、岡山からいらした方でした。
最初の3人連れは、高松市中心部でうどん店めぐりをする、とのことでしたので、10時には、南新町の「綿谷製麺・高松支店」が開くので、肉うどんか肉ぶっかけうどんが、高松では一番安くボリュームがあって、讃岐牛で美味しく、卵も載っているので、並びの吉野家がつぶれそうなことをご案内しましたら、食べに行く、とのことで喜ばれていましたので、道順をご案内しました。
次の5人連れは、今日何店も回る、とのことでしたが、かけうどんの大を頼もうとしていたので、「さか枝・本店」の小は、1.5玉くらいの量があるので、ほかを回るのなら、小にしておいた方がよいことなどをご案内しました。
また、うどんばかり食べていると、栄養的に、ビタミンが不足して、糖尿病になってしまうので、岡山はフルーツ天国なので、岡山に帰られたら、フルーツや野菜をたくさん召し上がってビタミンを補給されるようご案内しましたら、笑っていました。
こうして、朝食の帰りに、マルナカ・宮脇町支店に、レタスを買おうと思って寄ったら、建て直すとのことで、工事中でした。3ヶ月くらいかかるそうで、南海トラフ地震が来ても大丈夫な耐震構造のお店を建てる、とのことでしたが、あのドケチの、マルナカのオーナー創業者の中山さんが、そんなにいいものを建てるとは思っていないので、笑ってしまいました。
大体、マルナカ・宮脇町支店は、1階が食料品コーナーで2階が日用品コーナーなのですが、2階でも買って欲しいため、2階に登るエスカレーターはあるのですが、2階から1階に下りるエスカレーターはないので、ただ、客を呼び込みたいという、浅ましい商売人根性を露呈している店舗設計なのですから、以前から、呆れ果ててはいたのです(笑)。
ともかく、マルナカ・宮脇町支店がリフォーム中でしたので、並びの、スーパーホンダ、で、買って帰宅しました。スーパーホンダの奥様が、「マルナカの宮脇町支店が耐震構造のいいものを建てるので、地震が来たら、マルナカ宮脇町支店に逃げれば助かる。」などとおっしゃっていたので、私は、「まあ、出来上がったら視察して、本当に耐震構造かどうか確認した方がいいですよ。」と注意を喚起しました。
「中山さんは、ケチですから、どんなものが出来るかわかったものじゃないですよ。だって、最初メインバンクだった、地銀の百十四銀行が、融資の金利を中山さんが値切って、『日銀の公定歩合が決まっていますから。』と言っても、『いいや。マルナカは違うんじゃ。』と言い張っていたので、取引停止したため、メインバンクが、第二地銀の香川銀行に変わったくらいですからね。」と私が言うと、
「まあ、前はそうでしたけど、イオンに買収されたので大丈夫じゃないでしょうか。」とおっしゃっていましたので、
「イオンもマーケットリサーチが下手ですよね。イオンの香西店なんて、海のそばで、ゆめタウン高松には、絶対に負けていますからね。それに、マルナカには出入り業者に値切り倒すという長い長い歴史と伝統がありますから、リフォームしている業者もちゃんとやるかどうか、わからないと思いますよ。」と答えました。
この前の高潮の時に、この一帯は、水浸しになりましたので、すぐ裏が、紫雲山なのですから、山に逃げた方がいいと、私は、申し上げました。もちろん、次のように付け加えました。
「ここから紫雲山に上がったところは、婆ヶ池の、広大な高松市営墓地ですから、お嫌かもしれませんけど、お墓のそばでも、津波が来ても大丈夫なところに逃げた方がいいと思いますよ。もし、万一のことがあっても、お墓のそばだったら、遺族も手間がかからなくていいなあ、なんてぼくは思ってるのです。それにうどん屋もありますから大丈夫ですよ。」と言うと、爆笑していました。
まあ、南海トラフ地震は起こるのでしょうけど、うどん県にどの程度の被害が起こるのかは、活断層次第だと思っていますので、全く不明です。
が、私の住む西宝町は、裏が、西宝寺の山なので、津波への対応は大丈夫なのですが、瀬戸内海、それも、備讃瀬戸内海に、そんなに高い津波は来ないように思っています。
・・・・・まあ、なるようになるでしょう。
ただし、この先どんなことがあっても、うどん県民は、絶対に、うどんを食べることをやめないということだけは、確実ですね。
だって、うどん県民は、平安時代からずっと、うどんを食べているのです。
源平合戦の頃も、戦国時代も、織田信長や、豊臣の天下の頃も、江戸時代も、明治維新前後も、第二次世界大戦前後も、高度成長時代も、バブルの時も、ずっと、うどんが好きで食べてきた歴史があるのですから、南海トラフ地震などは、うどんを食べる習慣には影響しないのです。
第二次世界大戦直後、小麦粉が十分に手に入らない時には、代用品としてドングリや芋の粉を用いて、ワラビの粉やところてんでつなぎにして、手打ちうどんを作っていたほどですから、うどんへの執着は、ものすごいのです(笑)。
掲載写真は、順に、「さか枝・本店」の、『かけうどん』(170円)、『アナゴの天麩羅』(80円)、です。

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タグ :讃岐うどん店