2014年05月29日
「あの、歌いよった、おなごの一人、親戚端が、OHKの役員でもしよんでっせ。」


「あの、歌いよった、おなごの一人、親戚端が、OHKの役員でもしよんでっせ。」
「そらそうや、それに決まっとる。そうでなかったら、OHKがわざわざ栗林公園まで取材に来ますかいな。」
「ほんだけど、あの、おなご二人は、がいなでえ。」
「がいながいな。がいでなかったら、ジャズのはしくれみたいな歌で生きていけますかいな。がいなでえ。」
介護していた私の母が、肝硬変の末期症状で、2006年8月17日に脳幹部脳内出血で倒れ、意識不明のまま、香川県立中央病院脳外科集中治療室で、2006年9月19日に他界した直後、香川県庁から栗林公園庭園コンサートへの出演を委嘱されたのですが、とてもそんなことの出来る状況ではなかったのでお断りしていたのですが、1周期が近づいた頃、2007年10月14日(日)に、栗林公園庭園コンサートに、母の追悼と栗林公園の思い出をモティーフに作曲した新作・ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111 (全18曲)」の初演で出演してほしい旨の依頼をいただき出演することになっていた時、栗林公園庭園コンサートがどんな状態で開催されているのかを下見するために、2007年7月8日(日)に行われた、香川県庁主催の、栗林公園庭園コンサートに、地元のポップスアーティストの女性二人組の「mirekan(ミレカン)」が出演したものを聴きに行った時のことでした。
このコンサートの後、集まった皆様が、演奏のあった、商工奨励館前から立ち去るときに、その中の一部の年配の女性がお話していた、ただの、噂話、あるいは、陰口、を私はしっかりと耳にしました。
もう、おかしくておかしくて、私は吹き出しそうになるのをこらえていましたら、パンフレットについていた、その年の年末までの、栗林公園庭園コンサート予定表を見た、その、年配の女性は、続けて、2007年10月14日(日)に出演する予定だった私のプログラムも見て、続けたのでした。
「うわーーーっ。栗林公園がピアノ曲になっとるでぇ。ほんでからに、これ、作ってピアノで弾く人は、男の人や。この人は、げんしゃに決まっとるでー。」
「そらそうや。げんしゃに決まっとる。げんしゃでなかったら出来ますかいな。」〔「げんしゃ」は、讃岐弁で、「大金持ち」のことです。〕
もう、私は、おかしさも通り越して、呆れ果てて、黙ってしまいました。音楽的なセンス云々よりも、栗林公演が音楽になったことに驚かれる方が多いのだと実感しましたので、「よーーーし、これは、やったるで。」と、決意を新たにしたものでした。
さらに、私は、「げんしゃ」ではないので、タキシードはやめて、普通のスーツで出演することにし、2000年に岡山後楽園築庭300年祭で江守徹さんなどの朗読家と共演して以来懇意にしていた、山陽テレビが取材に来たいとのことでしたので、事前予告に出るだけにして、当日の取材と放送はやめてもらうことにしました。
だって、演奏会は、作曲家、演奏家と聴衆が一緒に作るものなのですから、この聴衆の水準のまま、私のライブが放映されることは誤解の元になるかもしれないと思いましたのでね。OHKでこの陰口なのですから、ランクが上の山陽テレビだと、誤解が増幅されると思いました。また、私は、山陽テレビには既に出演していましたので、次に私がわざわざ出演してあげる放送局は、最低でも、CNNだと、思い上がっていましたので(笑)。
アマチュアの分際で岡山県庁や香川県庁のイベントに呼ばれて自作自演で出演している私をやっかむ、3流未満の自称プロの皆様のたまり場の、2ちゃんねるクラシック板、ネットウォッチ板の皆様が、2007年10月14日(日)に出演する栗林公園庭園コンサートで私に危害を加えるために行く、という脅迫めいたメールが、主催者の香川県庁に届いていたため、香川県庁はずいぶん心配して下さり、香川県警が守って下さることになっていました。
彼ら、2ちゃんねらーという、犯罪予備軍の皆様が唯一間違っていたことは、私が自分の個人情報を全て開示して、この世で出会う全ての人達と本音でつき合っているアーティストだということを信じられなかったことですね。
人間は、その分野で二流以下になればなるほど、個人情報を隠したがるものなのです。
そんなことにばかり気を使って、短い自分の一生で出会うことの出来る人達との本音の触れ合いの可能性を否定して生きることは、ナンセンスだと私は確信しています。
が、香川県警の方は、誰でもいいから殺したいという類の物体が増えていることを気遣って下さり、本番では、私服の警官が入る状況でした。が、私は自作作品の楽譜を残していますし、母の介護もちゃんとして見取った思い出で作曲した作品の初演でしたから、自分の命は惜しくなかったのですが、それ以上に、高松市の行きつけのゲイバーの飲み友達、四番丁小学校から高松高校、早稲田大学までの同窓生、経営コンサルタントの仕事で懇意にしていた、いろんな企業の人事部長の皆様がいっぱい聴きに来て下さることになっていたので、むしろ、こんな素敵な殺される場所はない、と思っていました(笑)。
アーティストたるもの、命がけで作曲や演奏をすることは、ごくごく、あたり前のことなのです。
この栗林公園庭園コンサートの後、この栗林公園をモティーフにした私の新作をCDにすること、香川県おいでまいフェスタ出演依頼、JA香川県の朗読ミュージカルの作曲依頼、が来たのは、自然な出来事でした。
私は、作曲活動以外で、艱難辛苦努力することは、一切ありません。でも、これが普通のアーティストの生き方だと思っています。
チャゲ&ASUKA、の、ASUKA氏の覚醒剤使用が問題になっているようですが、才能不相応なことをやっていると、覚醒剤の助けが必要になるのでしょうね。
でも、どうして、才能不相応なことをやろうとするのか、というと、全ての原因は、拝金主義にあるのです。お金をたくさん儲けて贅沢をしたい、という、下らない下界の煩悩のためだけに作詞作曲して生きていると、このようなことになるのでしょうから、このあたりの基本的な生き方を変えないといけないだけのことです。
作詞作曲される作品に、覚醒剤が影響することは全くありません。ただし、お金儲けの手段としてだけの作品は、お金儲け程度の内容にとどまる、というだけのことです。
そして、お金儲け目的だけの作品に惚れ込んでいる皆様は、お金儲け程度の内容の作品で癒される程度の次元の精神構造だ、ということにすぎないのです。
ASUKA氏の覚醒剤使用を残念に思っているファンの皆様は、彼が自らを律して覚醒剤や脱法ハーブなどから抜け出すことを待つしかないのです。なぜなら、彼の作る音楽と、彼の個人的な人間性は、全く別物だからなのです。
掲載写真は、私の、自作の、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111)(全18曲)」CD、です。

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Posted by 岡田克彦 at 19:44│Comments(0)
│作曲・アレンジ