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Posted by あしたさぬき.JP at

2014年06月28日

お気に入りの場所

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生まれて57年ほど生きていますが、その時その時で、自分がほっと出来る、お気に入りの場所、がありました。



まず、高松高校卒業までは、お気に入りの場所は、高松市紺屋町にあった「喫茶・アズマヤ」でした。



3歳の時からピアノを教わっていた、物故・石井ルリ子先生のレッスン室がこの近所にあったためなのですが、神戸女学院卒の石井先生は生徒の自主性を大切にする素晴らしい先生でした。



今にして思うと、ソルフェージ〔先生の弾いた音を耳で聴いただけで五線紙上に書く作業〕をいとも簡単にやっていた私が、モーツァルトのソナタを弾いている時、私が勝手にコード進行を変えて演奏しているのを見た石井先生は、「作曲をやってみなさい。」と励まして下さいました。



たぶん。昭和37年くらいの大半のピアノ教師は、楽譜どおりに弾かないと、叱ったり、ひっぱたいたりしていましたが、石井先生は、神戸場へ女学院での専攻がソプラノ歌手で、ピアノは副科だったので、そんなに鍵盤の正しいオペレーションにこだわっていなかったのでしょう、



しかも、私が間違えた旋律線を弾いたとき、「そこのメロディーは、こうでしょう。は言って、素晴らしいソプラノの歌声で、正しい旋律線を歌ってくれましたので、感覚的に、正しい教え方だったと思っています。



当時から、丸天旅館の三代目のボンボンだった私は、板前の祖父と花板の竹井さんの英才教育を受けていましたので、美味しいものに目がなくて、かなり食いしん坊でした。が、泣き虫だったので、ピアノの前でレッスンの時に飽きて泣き出したときに、石井先生は、「ここを弾き終わったら、これを切って食べましょう。」と、グランドピアノの横のスペースに、リンゴを置いたら、私はすぐに泣き止んで弾いたのだそうです。



また、3ヶ月に一回、お弟子さんを集めて、レッスン室で、ホームパーティーを開催してくださいました。石井先生の得意料理は、チキンライスでしたが、それを弟子はみんな楽しみにしていたのでした。



後日、石井先生のことを、「食べ物で子供を釣るなんて、最低のピアノ教師だ。」と私の父・岡田寛(自称・音楽評論家)の酷評を四国新聞に掲載したので、私は、当時から女遊びが常軌を逸脱していたので、父が、大嫌いになったものでした。



「三つ子の魂百まで」ということは、、石井ルリ子先生と、私のことなのです。



さてさて、高松高校を卒業して早稲田大学政経学部に現役入学した当時の、私の私の居心地のいい場所は、当時住んでいた、西武新宿線野方駅から高円寺方面に行った、若宮町にあった下宿でしたが、その近所にあった、定食屋でした。



そこのおばちゃんは、とても親切におまけをして下さいました。しかも、その向かいに、モスバーガーが初めて開店したので、定食屋のお食事と、モスバーガーの照り焼きバーガーは、学食以外では、とても愛用していましたし、そこで作曲したりしていました。



大卒後、住友信託銀行に入社した私の、居心地のいい場所は、独身寮〔住友信託銀行小金井量〕のあった、JR東小金井駅から通っていましたが、中央線沿線には、クラシック喫茶がたくさん熱田のですが、その中では、高円寺の「ネルケン」でしたので、ここが居心地のいい場所になりました。



松山支店転勤後は、道後上市のクラシック喫茶「ムンダナ」が居心地のいい場所になりましたし、また、東京に戻ってからは、作曲の恩師、故.座光寺公明氏と、毎週水曜日に会って一緒に作曲していた、新宿中村屋の中地下の喫茶「マシェーズ」が、座光寺公明氏死去後も、作曲の出来る居心地のいい場所になりました。



大阪本店への転勤後は、独身寮〔阪急宝塚線売布神社にありました。〕から通っていましたが、心斎橋にあった、ホテル日航大阪のラウンジ喫茶と、梅田にあった、大阪ヒルトンホテルのラウンジ喫茶が、居心地のいい場所になりました。



そして、1994年の母の介護のための高松へのUターン後は、自宅で介護していましたので、経営コンサルタントの出張で、徳島や高知に行くときの、道の駅のレストラン、喫茶、芝生の上のベンチなどで、ほっとしたものでした。



が、2006年の母の没後は、東京の音楽の友人がいろいろ激励などに来てくれたので、自然に、讃岐うどん店でデザートを食べるという、うどん県民にとってはあたり前のことが喜ばれましたので、うどん店に変わりましたが、やはり、栗林公園、サンポートは好評でしたので、このあたりにゆくことが多くなりました。



しかし、私一人で作曲もしたくなるスペースは、サンポート高松の噴水前と、サンフラワー通りの、「メゾン・ド・ファミーユ 太田サンフラワー通り店」の、外の風の感じられるテラス席、になりました。



こうして振り返ってみると、東京、大阪、にいた頃は、喫茶店だったのですが、高松にUターンし母の介護も終えたあとは、喫茶店ではなく、うどん店でもなく、外の自然を肌で感じられる場所が、居心地のいい場所になっています。



そして、外の自然を肌で感じられる場所においては、BGM等は流れていませんから、瀬戸内海の波の音、が、私の聴覚にとっては、一番の癒しになっているのです。



茅ヶ崎で、海の家で、音楽を流さないと客が減る、という悩みがある、という、ことを、テレビのニュースでやっていました。



ただ、その問題は、音量が大きいということなので、呆れました。



BGM漬けになっていると、静寂の大切さが分からなくなってしまっているのでしょうね。



掲載写真は、現在の、私のお気に入りの居心地のいい場所の、サンポート高松の噴水前、です。





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タグ :環境問題


Posted by 岡田克彦 at 05:16Comments(0)環境問題