2014年05月07日
久しぶりの栗林公園



「えーーーっ、本当に、栗林公園へ行ったことがないの。」
私はびっくりしました。
昨日、うちに、コラボの練習に来た、山本君が、合わせの後、ポロッ、と、言ったのでした。
「栗林公園と、餡餅雑煮、がさしあたっての、ぼくの興味の対象です。」
さっそく一緒に出かけて、ご案内しました。
片原町の「エビスヤ」喫茶の餡餅雑煮は、正月前後だけでしたが、ライオン通りの「甘味茶屋 ぶどうの木」は、年中置いているのですが、昨日は祭日のためお休みでしたので、また、ということになりました。
が、栗林公園の南庭をいろいろ、ご案内しました。
麩を、コイにやったのですが、観光客がいっぱい来て麩を与えていたため、お腹いっぱいのようで、反応が悪かったですが、日暮亭、新日暮亭、梅林橋、きくげつ亭、桶滝、たいこ橋、吹上亭、飛来峰、こうぶしゃ、花園亭、等々、大体はご案内しました。
うどん県民の友人を、栗林公園にご案内したのは、私は生まれて初めてでしたので、とても新鮮な出来事でした。
愛媛県産まれ、善通寺市で育ち、今、坂出市に住んでいる彼に、栗林公園に来る機会がなかったことは、仕方ないですね。
さすがは、ミュージシャンです。私が母の追悼に作曲した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111 を聴いていた彼は、コイに麩をやるたびに、私が作曲した、この組曲の中の『麩にかぶりつく鯉』の音型のようにかぶりつく鯉に、喜んでいました。
久しぶりに、だいぶ長距離を歩いたので、私は、とても気持ちよく、うどんをたくさんいただき、熟睡できました。
あらかじめ言っていただければ、栗林公園そばの、「上原屋本店」の『きつねうどん』、「松下製麺所」の、うどんにラーメンをトッピングした『ハーフアンドハーフ』、「こころええやん」の『かき氷釜揚げうどん』、にもご案内できたのですが、いきなり言ってくるところが、山本君らしいですね。
彼が作詞した、ショパンの「別れの曲」は、素晴らしかったです。
ショパンの「別れの曲」は、ポーランド分割から逃れてパリに脱出したショパンが、ポーランド独立運動のリーダーだった、親友のティティウスに見送られたときの思い出で出来た曲なのです。安直な男女の恋愛の別れでは、こんないい曲が出来なかったことは自明の曲で、パリ到着後、ティティウスが殺されたことを知り、その怒りに任せて書いたのが、「革命のエチュード」、最後に別れたときの思い出で書いたのが「別れの曲」なので、この二つは、二部作なのです。
だから、この対照的な二つの作品は、ショパンの、OP.10のエチュード集に、一緒に入っているのです。
まあ、この程度のことは、クラシックピアニストは、みんな知っていることなのですけどね(笑)。
掲載写真は、順に、彼と栗林公園の日暮亭でとった写真、ちょっと休みに寄った「うどん市場・兵庫町店」の『冷たいかけうどん』、です。
ここのうどんは、コシの強いものではなく、もちもち系なので、ちょっと休憩時にベストなのですね。

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Posted by 岡田克彦 at 19:06│Comments(0)
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