この広告、メッセージは90日以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事でこのメッセージが消せます。
  

Posted by あしたさぬき.JP at

2012年04月25日

親の顔が見たい。


前回書いた少年犯罪について、この少年をしつけた親の責任を、私は追及しましたが、無免許居眠り運転で、たくさんの子供を殺した少年の親に、阿呆な京都の警察が、被害者の住所と電話番号の一覧表を渡していたことで、またまた、ひどいことになっているようですね。



警察のチョンボは、昨日今日始まったことではないのでいいとして、さすがは、殺人鬼の少年の親ですね。その名簿で片っ端から被害者の親族にお詫びの電話をしたそうで、やはり、常識知らずの2ちゃんねらーだったことは明確になりました。



前回、私が書いたように、加害者の少年の親を死刑にしないといけませんね。



こんな少年をしつけた親等はいてもいなくてもいい程度の動物ですから、さっさとデリートしましょう。



今、日本は、年金財源がなくて困っているのです。こんな親は一日も早く死刑にした方がよいと思いますね。



本当に困ったことですが、今回の事態で明確になったことは、今後、犯罪を犯す少年に対して、まず、私達が投げかけないといけない言葉は、「親の顔が見たい。」という言葉ですね。



  


Posted by 岡田克彦 at 22:40Comments(0)少年犯罪

2012年04月25日

未成年の犯罪(三つ子の魂百まで)


ここのところ、未成年の犯罪が多発しているようで、このような嫌なことはあまりブログで取り上げたくないのですけど、居眠り無免許運転や、バスジャック事件など、ちょっと、善悪の判断すら出来ない人間がはびこっているようなので、書くことにしました。



私は、こういう少年をしつけた、親に、全責任があると確信しています。



バスジャックであれ、無免許居眠り運転であれ、人様の命を奪うこと、つまり、殺人をすることはいけないことなのだ、という、生きている人間が絶対にやってはいけないんだ、という大基本原則を認識していない人間が育っているのは、全て幼少期の親の作る家庭環境に問題があるためなのです。



これは、下記の、行動心理学者のクルト・レヴィンの人間の行動基本公式で明らかなことなのです。



B=f(P,E)



B;behavior・行動、P;personality・個性、E;environment・環境・・・・・人間の行動は、個性と環境で決定されますが、環境が9割のウェイトを占めているので、いい環境の中で育たないと、間違えた行動をとるようになってしまう、という公式です。



「三つ子の魂百まで」という格言は、幼少期の育った環境が、その人の一生の行動を決めてしまう、という意味です。



高度成長時代からバブルまで、戦争で負けたアメリカに追いつけ追いこせ、という感じで日本の発展を全てお金儲けに捧げきた、戦中派の育児方法、インターネットや携帯電話が日常的になるプロセスで、メールの文面を打ち込む時に、相手を誹謗中傷する簡単な言葉として「キモい」「キショい」「ムカつく」「逝ってよし」などという言葉が日常的に使われるようになったため、それを使わないと、「空気が読めない人だ」という理由でいじめられるようなことが常識になったのです。



もちろん、「キモい」「キショい」「ムカつく」「逝ってよし」、等という言葉の本来の正しい意味を熟知しているならば、それを使うことは別に問題はないのです。しかし、「ムカつく」「逝ってよし」は、絶対に、どんな気に入らない人に対しても投げかけてはいけない言葉なのですが、これを日常用語として、使っている人たちが結婚して子供が生まれて、その子供が3歳前後の頃、両親が、気に入らない近所の人、親戚の人達のことを、「ムカつく」人だ、あいつは「逝ってよし」だ、等としゃべっていたら、これが、幼少期の子供達の育つ家庭環境を著しくひどいものにするということに気づかなかったことが、大問題なのです。



これらの言葉の本来の正しい意味を熟知しているならば、幼少期の自分の子供の前で、「ムカつく」「逝ってよし」、という言葉遣いは、絶対にご法度なのです。



物心つくかつかない頃の子供達は、気に入らない人=「ムカつく」ので、気に入らない食べ物と同様、自分の前から吐き出して遠ざけていい人だ、と理解しますので、その子供達が成長した時の社交性に致命的な影響を及ぼします。



また、あいつは「逝ってよし」だ、という言葉を、両親が日常的に使っていたら、「あいつは死んであの世に逝った方がいい人だ」と、3歳前後の子供達は理解してしまうです。



このような家庭環境が、人を殺してもいっこうにかまわない、という三つ子の魂を形成するのですから、人殺しの少年が増えているのは、全て、親の育て方、しつけの仕方、だけでなく、両親の間で会話される内容に、大変な問題があるからなのです。



「育ちがいい」というのは、「お金持ちの家に生まれて、何不自由なく幼少期を過ごした」という、物質的に豊かな状況で幼少期を育ったことを意味する言葉では、断じてありません。精神的に豊かな状況で幼少期を育ったことを意味する言葉なのです。



先日、コロッケが幼少期に極貧の家庭で育ったこと、でも、お母様が素晴らしく精神的に豊かな家庭を作っていたことを、TV番組のトピックでやっていて、私は本当にそのお母様に感動しました。民放放送局は、阿呆の集まりですから、お涙頂戴で視聴率が上がる、程度のことで、取り上げたのでしょうけど、その番組を見る人が見れば、伝わるものなのですよ。



視聴者を馬鹿にしていたら、そのうち、そういう民放放送局は、倒産の憂き目に合うことは、既に、現在の、次のリストラ対象になる企業がマスコミとスーパーゼネコンであることは、明確なのですから、私は、全然心配していません。



今後、結婚して子供を作って育てる親は、全員コロッケのお母様を見習うべきなのです。そうすれば、100年後の日本は、素晴らしい国家になると思います。が、まあ、自分が生きている間だけ、贅沢をしたい、と考えているご両親は、どうしようもないのですが、100年後にはあの世に行っていますから、残された子供や孫に、いつまでも忘れられないおじいさんやおばあさんになることはあきらめないといけませんね。



よく、二流未満の政治家が、「子供や孫に借金を残さない政治をしたい。」と言っているのは、全て嘘八百ですよ。今の、永田町に、100年後の日本をどうしたいか、という長期的な夢を実現するために、今を生きている人が、いったい何人いるのでしょうね。皆無だと私は断言できます。



さて、少年法の見直しは絶対必要です。しかし、私見では、これは、今回のような事件を引き起こした少年の親に全責任があるのですから、この少年の両親は(離婚していても両親共に責任がありますから、責任転嫁は絶対に許されません。)、全員、死刑にすればいいのです。



犯罪を犯した少年は、親のいない子供になって、恩赦のない終身刑にすれば、それが、最低限の責任の取り方だと、私は、強く主張したいと思っています。



こうすることで、幼くして子供達を殺されたご両親や親族も、恨みを晴らすだけでなく、自分達の子供のしつけが素晴らしかったことを、法的に認められるのですから、やるせない悲しさは残るでしょうけど、きっといつか、前向きになれると思います。



TVニュースで、無免許居眠り運転していた18歳の少年の父親が、インタビューに答えて、ぼそぼそと、「ただただ、お詫びするだけでする」と、しゃべっていましたが、私は、その、ぼそぼそとしゃべる言葉の絶対音程に責任逃れをしたいというご本人の切実な思いを感じましたので、お話にならないと思いました。



そんな程度で少年の幼少期を育てた親に責任が取れると思っているのでしょうか。かつて、気に入らない周囲の人を「ムカつく奴だ」、「あいつは逝ってよしだ」、とおしゃべりになっていたのでしょう。正しい責任の取り方は、あなたご自身が、死ぬこと〔つまり、あの世に逝くこと〕ですよ。



子供を作って育てることを生半可な気持ちでやってもらっちゃ困るのです。



それにしても、奥様と奥様のお腹に宿っていた生まれる予定だった胎児を同時に失ったご主人は、本当に、かわいそうでなりません。



そして、事故直後、18歳の居眠り運転をしていた少年が、何もしないで、横で、ボーーーッと立っていたことは、さらに許せないことですね。



いったい、この、少年は、相手の立場に立って考えることが出来るのでしょうか。もし、自分が、まだ生まれる前の胎児だったら、どんなに苦しんだか、ということを、考えたことがあるのでしょうか。



また、18歳の少年の父親も父親です。謝ってすむこととすまないことがあるのです。



自分から、出頭して、「私があの子を育てましたので、責任は私にあります。私を死刑にしてください。」と自首することが、人間としては、最低限の義務ですよ。








  


Posted by 岡田克彦 at 03:26Comments(0)少年犯罪