2012年09月10日
ハモは昨日は、150円もしたんだけど・・・・・

「えーーーっ、『やまに』さんやめたんですか。」
「へえー。もうやめましたわ。ほんだけど、心配せいでも、新しいうどん屋が出来とりまっせ。」
「そうなんな。それどこにあるんな。」
「関連商品販売棟の中や。お店の名前はどなん言よったかいのう。あんた知らんな。」
「なんか知らんけど、えらっそげな名前やったでえ。」
「ほーなー。ほんだら行ってみるわ。どうも有難う。」
今朝のことでした。朝食を食べに、久しぶりに、近所の、隣町の瀬戸内町の高松中央卸売市場にある、讃岐うどん店「やまに」へ、捕れたばかりのイカとタコの天麩羅の載った、『イカタコうどん』を食べに行ったのですが、「やまに」がなくなっているので、びっくりして、通りかかった、お魚の行商をしている「いただきさん」のおばちゃんに聞いたのでした。
「えらっそげな名前」というので、私はピンと来たのですが、これは、ローマ字標記のお店だろうと思いました。が、どのように装っていても、うどん屋さんの雰囲気はすぐにわかるものなのですよ。
こうして、関連商品販売棟へ行くと、中央卸売市場の中ですから、「刺身定食」が、500円で、めちゃくちゃ新鮮な魚を出してくれる「市場食堂」の並びに、「UDON FUCTRY エビス」という洒落たお店が出来ていました。
今年の7月11日に、若いご夫妻で開店したばかりのお店でした。
さっそく、若いマスター、奥様とご挨拶してお聞きしました。市場の中ですから、開店は朝5時で、閉店は15時(ただし麺がなくなるまで)、となっていますが、連日午後1時過ぎには、閉店する、とのことでした。
そして、私がびっくりしたのが、トッピングの魚の天麩羅が、全て、時価、となっていることでした。
時価なんていうと、ものすごくセレブなお店だと思ったあなたは、間違っていますよ。市場の中なのですから、セリが終わって値段が決まるのですから、こんな良心的なお店はないのです。
「今日は、どんな天麩羅が出来るのですか。」
と聞くと、マスターは、ニコッと笑って、
「今日は、アナゴ、サヨリ、と、それから、ハモ。」
「えーーーーっ。ハモがあるの。じゃあ、その、ハモの天麩羅と、かけうどん、とおにぎり、下さい。」
「かしこまりました。」(私はこの時点で、ハモの天麩羅は安くても200円はするだろう、と思いましたが、食べたかったので頼みました。)
「で、ハモの天麩羅はおいくらなの。」
「今日は130円です。」
「えーーーっ。そんなに安くていいの。」
「毎日、仲買の人が持ってきてくれるんですよ。ハモは昨日は、150円もしたんだけど、すぐに、売り切れちゃいました。」
「そりゃそうでしょう。ハモがそんなに安いのならば。さすがは、市場の中だね。毎日食べに来ても楽しみだね。今日はどんな天麩羅があるのかな、って感じながら来れるものね。」
「有難うございます。今から揚げて茹でますから、ちょっと待ってくださいね。」
何と素晴らしいことでしょう。茹で立てのうどんと、揚げたての新鮮な魚の天麩羅がいただけるのです。うどん店は、待たされる方が絶対に美味しいのです。
ここの若いマスターは、いろいろなお店で修行されてから開店したそうです。
もちろん、私は、高松出身者ですから、高松中央卸売市場の不動産が高松市役所の持ち物ですから、この中にお店を出すには、高松市長の許可が必要なことも知っていますから、変な経営者は出店できないことも知っていますので、間違いのないお店に決まっているのですが、いろいろと親切に教えて下さいました。
この店のこだわりは、うどんのイリコダシと、それに新鮮な魚の天麩羅を載せたときに、あっさりいただけるように、梅塩を置いていて、それをうどんにかけていただくと、素晴らしいことです。
こうして、『ハモの天麩羅』が揚がってうどん、しそご飯のおにぎりと共に出来上がったので、私は、ハモのふかふかの天麩羅を、まず、梅塩につけていただきました。
「美味しいな。」思わず大声を出してしまいました。つづいて、うどんのイリコダシを一口飲んで、またまた、
「美味しいな。」と、もう一度大声を出してしまったので、マスターも奥様も大笑いでした。
でも、正直な感想なのですから、仕方ありません。
こんなに美味しいうどんを出してくれるのですから、かけうどん220円は安いと思うのですが、周囲の讃岐うどん店が、どこも、かけうどんが、150円~180円くらいなので、文句を言う人がいる、と、若いマスターが困った顔をして言っていたので、
「そんな客、出入り禁止にすればいいじゃない。」
と言って、笑いながら、しかし、これは、しばらくは、このお店に通おう、と考えながら、お店をあとにしました。
掲載写真は、順に、「UDON FUCTRY エビス」の、『かけうどん』『ハモの天麩羅・梅塩そえ』『シソご飯のおにぎり』、おしゃれな外観、です。

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2012年09月10日
正しい日本のあり方について

まずは、阿呆な民放放送局のコメンテータが、間違えた言葉遣いをしている点について、ご案内したいと思います。
第一に、勝ち組、と、負け組、について。
この用語は、統計学の標準偏差値に関する用語で、勝つ傾向の強い集団を「勝ち組」、負ける傾向の強い集団を「負け組」、というのが、本来の正しい意味です。
従って、「あなたは、負け組です。」「私は、勝ち組です。」「あの企業は、負け組です。」「あの法人は、勝ち組です。」という文章は、全て、間違いです。
統計値なのですから、固有の対象物に対して、「勝ち組」「負け組」、というレッテルをはることは出来ないような、日本語なのです。
いやしくも、TV放送局の番組に出て、文法的に間違えた言葉遣いを平気でするアナウンサーが増えていることは、由々しき事態ですね。プロならば、カメラ目線にだけこだわっているような、素人出演者と同じようなことをして、恥ずかしくないようになっていますので、人材的に、民放放送局は、おしまいが近づいているようですね。
さらに、詳細に説明するならば、経営上の勝ち負け、というのは、スポーツやギャンブルの勝ち負けではなく、必ず、時間軸を考えなくてはなりません。
このようなことは、経営学や会計学の基本中の基本ですが、損益計算書上の勝ち負けというものは、明日の飯代を稼げるかどうか、という超短期の時間軸の上にあるものですから、「企業は倒産してはならない。」というあたり前の常識にたてば、貸借対照表(バランスシート)上の長期的な指標においてどうなっているか、ということが問題なのです。
そして、通常、長期と短期の境目は、数百年ですので、創業者が生きているうちに判断できるものではないのです。
コスパ(コストパフォーマンス)という言葉が流行っているようですが、コストなどは、損益計算書上の言葉ですから、このようなものが取りざたされているということは、税理士風情が、企業の経営に口出しすることと同様、世も末の出来事なのです。
なぜなら、税理士は、企業活動の結果を計算すること、つまり、過去の出来事に集中している人達なのですから、そのような人達に、経営している会社の未来を予測することなどは、絶対不可能なのです。
コスト意識などは、家計を預かる主婦でも持っている、初歩的な常識ですから、経営者が持たなくてはならないことは、対費用効果ではなく、対投資効果なのです。
コストパフォーマンスを考える時間は無駄ですので、バランスシート上の、ポートフォリオパフォーマンス、こそ、考えるべきなのです。
企業の公共性やコンプライアンス遵守が問題視されるのは、貸借対照表(バランスシート)上の長期的な観点におけることです。
倒産しても一向に構いません。どんどん倒産したらいいです。計画的に倒産したら金儲けが出来ます。等という発想は、明日の飯代を稼ぐためなら何をしてもかまいません、ということですから、オレオレ詐欺と同水準の、目先のお金に惑わされた、物欲の塊の下等動物のやることなのです。
六本木ヒルズ族に代表される、IT成金は、全員、下等動物ですので、経営上の指標として第一番に考えることは、損益分岐点分析ですが、このようなものは、明日の飯代が稼げるかどうか、という程度のことですから、全く夢や理想のない下劣な人間のやることなのです。
常識的なことですが、企業にとって、一番大切な経営指標は、従業員一人あたり年商です。これで、その企業の従業員の活性度は全て判断できます。
これは、とても簡単なことで、年商を、正社員だけでなく、派遣も契約社員もアルバイトも足した従業員数で割り算をすれば出てくる数値です。
この数値が、1億円を超えている企業が優良企業で、1000万円以下ならば、その集合体は、倒産に向かっている、ということです。
株式の価格は全く関係ありません。株価などは、例えば製薬会社の新薬開発のような突発事件に左右される程度のものですから、何のあてにもなりません。
もちろん、以上のような、従業員一人あたり年商分析は、正しい競争にさらされている法人に関することですよ。
原発をどしどし活用している電力会社、電電公社出身のNTTグループなどの、人間のライフラインを握っている会社は、この値は1億円を超えているからです。
が、まあ、このあたりの人間の命を人質にとっているような法人は、人間が経営してはならないものなので、無視しましょう(笑)。
続いて、リストラ=解雇、という間違えた意味が日本で確立されてしまった背景について。
restructure、という動詞は、構造を改革する、という意味です。
アメリカから入って来た、リストラ(企業再構築)を一番最初に取り入れた日本国内の企業は、1970年代の三和銀行〔その後、金融機関は離合集散しましたから、名前は変わってしまいましたが〕でした。
メーカーと違って、金融機関と商社は、工場や機械などは皆無でしたので、構造は従業員でしたので、三和銀行は、長期解雇計画を立ててそれを実行しました。
その結果、従業員にたくさんの精神病患者を輩出したため、リストラ=解雇、と誤解されるようになりました。
まあ、このあたりを勉強不足のまま、コメンテータが騒いだので、誤解されたまま広がりました。
「リストラ」という言葉が定着したのに、「長期解雇計画」という言葉が表に出なかったことは、大問題ですね。
今こそ、国会議員や東京電力の「長期解雇計画」による、解雇のソフトランディングの必要な時ではないか、と、私は思っています。
解雇のソフトランディングためのライフプラン研修や、キャリアディベロップメント研修があるのですから、このあたりを、国会議員や東京電力の従業員に対して実行することが必須でしょうね。
被災から一年半もたっても、いまだに東北地方の瓦礫が処理できていないことは、全て、永田町の責任ですし、外交問題へのお粗末な対応や国防問題への認識が全くなかったり、エネルギーや原発問題の長期的なビジョンも打ち出せない、今の永田町も、瓦礫だらけのようですから、東北地方の瓦礫と一緒に、消えてもらいたいものですね。
解雇されることを怯えて、維新の会に頼るような国会議員は、ただの金の亡者の哀れな無能者ですから、自分のキャリアディベロップメントが出来ないのならば、引退すればいいのですが、その程度の決断も出来ないような人達ばかりだから、東北地方の瓦礫も片付かないし、オスプレイの問題に対しても明確な考えが確立出来ないのです。
ただし、解雇するくらいなら、最初から採用しなければいいのです。倒産するくらいならば最初から創業しなければいいのです。
が、日本国が倒産するわけには行かないのですから、倒産する前に、永田町の組織をリストラクチャードすればよいのですから、無用な国会議員を解雇すればよいだけのことなのです。
国会議員を解雇する権利は国民にありますので、次回の選挙は、国民が国会議員を、正しい判断でリストラクチャードするような考えで臨まないといけないのですね。
主権は国民にあるのですから、今こそ、国民は感情的にならず、お金で何でもするようなマスコミの民放局のような下劣な物体には惑わされずに、理性的、客観的に判断して、選挙行動でそれを示せばよいだけのことです。
投票率は確実に低下すると思いますが、その低下がひどいようならば、いよいよ、日本は終末が近いということでしょうね。
今度の選挙の投票率が著しく低下し、もしそうなったら、責任は国民にあるのですから、仕方のないことですね。
平家物語の冒頭の次の文章は、普遍的な事実を示しているのですから・・・・・。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、偏に風の前の塵に同じ。 」
掲載写真は、那須与一の矢に扇を射抜かれて負けた高松市屋島の源平合戦の古戦場戦そばの、船かくし園、と呼ばれる浜辺です。
ここで、負けた平家は、船をこの砂浜に埋めて跡を隠して、阿波池田方面に落ちていったため、この遠浅の浜辺には、「船かくし園」という名前がついています。

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