2012年08月24日
原子力発電所と心中したい皆様へ

日本国内には、原子力発電所と心中したい皆様がたくさんいらっしやるので、原子力発電所が日本国内で止まることは未来永劫なさそうですね。
原子力発電所と心中したい皆様、というのは、つきつめれば、お金儲けをしたくてたまらない皆様、お金のためならば人の命なんかどうなってもいいと思っている皆様、日本国民が全員放射線を浴びて死ぬまで自分がお金儲けをしていたいような、鬼畜のような金の亡者のことです。
従って、人間ではないのですが、日常的には、巨額の富を築いた、勝ち組、と、自分達の存在を正当化しているだけの物体です。
このような物体は、感受性や才能が決定的に欠落していますので、放射線で消滅しても、人間の歴史には全く影響しない程度の、浅薄者なのですが、経団連の中にたくさんいるようなので困りますね。
このような浅薄者に、アーティストの私は申し上げたいのです。

「今あなたの持っているお金が全部なくなったらあなたの人間としての価値もゼロになるのでしょうから、その程度の物体ならば、歴史的には全く無意味ですから、さっさと消滅した方がいいですね。」と。
少なくとも、周りの人間には迷惑をかけないで、さっさとあの世に行ってもらいたいものですね。
放射線を体内に入れないドリンク剤のような得体の知れないものを販売して詐欺をはたらいてまでお金儲けをしたい人達、そういうまがいものを買ってでも、自分だけは放射線に毒されたくないと買っているような、お金で何でも出来ると思い上がっている人が今の日本にはいっぱいいらっしゃるようなので、日本国民は迷惑しているのです。
ともかく、原子力発電所と心中したい皆様は、人間社会の迷惑ですので、さっさとあの世へ行ってもらいたいですね。
原子力発電所と心中するのはあなた達の勝手ですが、地球上の他の生命体に一切迷惑をかけないでもらいたいですね。

生命より大切な、個々人の欲得や煩悩のようなものは、この世に存在してはならないのですからね。
掲載写真は、原子力発電所と心中したい皆様方の代表者です。どれもこれも才能のない阿呆面をしていますね。

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2012年08月24日
目指そう「いじめゼロ」・高松・子どもサミット

2012年8月23日に、『高松子どもサミット』が、香川県教育委員会の主催で、香川県内の小中学生でつくる実行委員会の38人が企画運営して行われました。
今回は、小中学生や教員、保護者ら計約700人が参加しました。
このサミットは、2009年に開催されましたが、今般の滋賀県大津市の事件を受け、開催が再開されることになりました。
このようなことが、人口密集地の、東京都や大阪府などの大都市で自発的に開催されるようにならないといけませんが、どうして、そうならないのか、と考えますと、私は、どうも、そのあたりの地域は、香川県よりもエンゲル係数が高いからではないかと感じております。
飲食代が高くなると、人間は、どうしても、明日の飯代を稼ぐことにばかりに興味が行って、殺伐とした状況になるのでしょうね。
首都圏の飲食代が高価であることは、全ての、悪い状況の根っ子にあると思います。
今、少年犯罪について、少年法の改正に伴い、犯罪を犯した少年の更正プログラムをきちんと作らないといけない、ということが議論されていますが、私は、少年の更生プログラムよりも、その少年をしつけ育てた、両親の更正プログラムの方が重要だと思っています。
その点では、このようなサミットに保護者が積極的に出席して、自分の子育てがどうだったかをふりかえる機会にすることが一番大切なことだと思います。
香川県では、セルフサービス讃岐うどん店や製麺所の存在がとても意義のある場所になっていますね。
老若男女関係なく、香川県民の全員が食べに来ますから、高齢者は若い中学生などの子供達に、若い中学生などの子供達は高齢者に、食べ方やしゃべり方を見られているのです。
しかも、セルフサービス讃岐うどん店や製麺所の社長は町内会長ですし、讃岐うどんを始めてくださったのは、香川県民が全員尊敬している弘法大師なのです。
不良学生がローソンの前にたむろしている状況や24時間営業のファミレスでタメ口を叩いている状況とは全く違っていますが、この、うどん店での状況をクリアしないと、香川県民としては認めてもらえないところがありますので、自然にお行儀はよくなるのです。
下記のクルト・レヴィンの、人間の行動心理公式のとおりで、人間の行動は環境と個性で決まるのですが、環境が9割を決定するのです。
B=f(P.E)〔B;人間の行動、P;人間の個性、E;人間の置かれた環境〕
麻薬密売人は、日の出に開店する讃岐うどん店や製麺所にはいませんので、環境がいいのです。
が、真夜中の都心のコンビニには、麻薬密売人がたくさんいるので、環境が最悪なのです。
日本から犯罪を一掃するには、電気を止めたらいいのですから、原発を直ちに止めたって、犯罪が一掃されればよいことなのです。
一刻も早く、瀬戸大橋を全部潰して、本州との関わりを絶つことが、今は、四国にとって大切なことですね(笑)。

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2012年08月24日
福井県永平寺の思い出

思い起こすと、福井県の永平寺にはじめて行ったのは、板前だった祖父に連れて行かれた、高校3年生の時でした。
福井県の永平寺、東尋坊から、石川県金沢市の兼六園までゆく、日本海沿岸の旅でした。
高校生当時の私は、歴史が大好きだったので、京都や奈良にはよく行ったものでしたが、道元の始めた鎌倉仏教の禅宗系の曹洞宗の本山の永平寺が、私の中では、ものすごく大きく印象に残りました。
私自身の経験では、神社仏閣に行った時に、そこに流れている空気の違いを触覚と嗅覚で感知することが一番大切だと思っています。
永平寺の空気は、私がいろいろ行った神社仏閣の中では、一番清々しく、ピンと張り詰めた緊張感の中にありました。
禅宗の教えで明らかなことですが、自らを鍛えて高めて修行をする中で自ら気づかないといけないのですから、「南無阿弥陀仏」というお経や、「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えるだけで救われる、という大乗仏教とは全く違っていて、精進料理を食べて座禅を組むなどの修行をして自分を高めることが必須でしたので、そういった緊張感が、永平寺の空気にはありました。

以来、私の人生においては、何か重大な決断をしないといけなくて迷っている時に、永平寺に行くようになりました。
早稲田大学政経学部在学中にも何回か行ったものでしたが、一番記憶に残っているのは、37歳当時、肝硬変の末期症状で寝たきりになった、母・岡田直子の介護のために、東京から高松にUターンするかどうか迷った時に行った時でしたね。
もちろん当時の私は、東京、大阪の住友信託銀行での仕事と、日本アマチュア演奏家協会理事としての音楽活動で疲れていましたので、北陸方面の温泉につかることも大切だったのですが、この時の北陸方面への旅で一番大切な目的は、高松にUターンするかどうかを自分の意志で決めることでした。
まあ、その結果、永平寺の空気に触れて、高松にUターンすることを決意してUターンしたものでした。
以後、高松で母の介護をして2006年に母が死去するまで介護して、自分の生き方に後悔しないように出来たのは、全て、永平寺の空気の中に自分を置くことが出来たお陰でしたので、とても感謝しています。
そして、2012年の今日、母の死去からだいぶたったのですが、、楽天市場で見ていたら、永平寺豆腐店、というものが出ていて、精進料理を販売していましたので、早速、購入して宅急便で送ってもらいました。
冷凍便で送られたこの中に、懐かしい懐かしい、「ごま豆腐」が入っていたので、自然解凍したこれを、毎朝いただいてから、近所の讃岐うどん店に行って、弘法大師の始めてくださった「うどん」を感謝していただくようにしています。
私の自宅の宗派は、鎌倉仏教の大乗仏教の浄土真宗西本願寺派なので、母は、京都の西本願寺の大谷廟に分骨しているので、平安仏教の「真言宗」と、鎌倉仏教の禅宗の「曹洞宗」、鎌倉仏教の大乗仏教の「浄土真宗」がごちゃ混ぜなのですけど、私自身が納得しているのでOKだと思っています。

私自身は、広義での、仏教徒で、イスラム教徒やキリスト教徒ではないのです。
掲載写真は、順に、永平寺の中で記憶に深く残っている、お堂、長い階段、緑深い広い境内の杉の木、です。
特に、37歳で訪れ、長い階段を歩いた時、私の耳の奥では、フォーレの「レクイエム」の『リベラメ』が鳴っていましたので、私は、「リーベラーメードーミネーーー」と歌いながら歩いたものでした。