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Posted by あしたさぬき.JP at

2012年08月25日

『古いアルバムめくり』




「涙そうそう」の歌詞の頭、『古いアルバムめくり』は、時々、私の亡き母の命日にやっていることです。



写真を見ても何も感じない人は感じないようですが、私はいろいろ思い出します。



特に、小さかった頃から若い頃までの、高松で私がピアノを弾いている写真は、石井先生のピアノの発表会など、全て、母が撮ってくれたものです。



掲載写真は、その中では最後のもので、1980年6月15日、高松国際ホテルでの従兄弟の結婚式にて、ショパンの「バルカローレ OP.60」を演奏している時の、懐かしい懐かしい写真です。



私が、早稲田大学政経学部を卒業して、住友信託銀行に入社したばかりの、23歳頃の写真です。



大学2年の19歳の頃、東京都武蔵野市吉祥寺でアマチュア作曲家の仲間と作って始めた「ピアノと遊ぶ会」で、いろいろな活動を開始しましたが、当時は、私自身の演奏の興味がピアノソロから室内楽に移った頃でしたので、ピアノソロの作品で演奏していたものも、ドビュッシーやフォーレのごく一部で、ショパンの作品では、この、「バルカローレ」くらいしか興味がなかったので、これを結婚式で演奏してあげようと思って帰省したものでした。



が、どうしても、「英雄ポロネーズ」が聴きたい、という従兄弟の新婦の方のリクエストで、いやいや、演奏したことを思い出します。



「バルカローレ」は、非常に評判がよかったのですが、それは、一緒に演奏した、「英雄ポロネーズ」なんて、演奏したいなんて、微塵も思っていなかったためですね(笑)。



演奏したくない作品を演奏するなんて、拷問でしたから、あたり前のことなのですが、そのうち、いろんな自作自演などの演奏機会を経験して、ステージに立ったときには、自分の希望などを露骨に演奏結果に出すことは、いけないことだと感じて、改善されました。



・・・・・このように、実際にライブにぶつかって、自分で、これはいけないなあ、と感じたものは直して来るという、私のスタイルは、自分が納得しているので、よいことだと思います。



第一、演奏にかけるモチベートの上下の操作を、他人の命令でやるなんてことは、音楽性に致命的なダメージを与えると思いますから、演奏現場で、聴衆の方の反応で受け取った方が、必ず、いい結果になると感じています。



演奏した後の聴衆の反応には、いろんな思い出があるのですが、私は、日本での聴衆の反応が一番よかったと思います。



高校2年の時、留学していたシアトル・USAで、オールショパンプログラムで、シアトル市長宅でコンサートをやってくれたのが、私にとっては初めてのコンサート機会でしたが、アメリカのダイレクトな反応・一曲一曲、スタンディングオベイションがあったり、ブーイングが来たりすることは、自分の能力を過信している演奏家にはよいことなのでしょうけど、日本人の私は、あまり記憶に残るほどのものでもないですね。



そんなものよりも、高松Uターン後の2001年、岡山後楽園で江守徹さんなどの朗読と自作のコラボで、「岡山後楽園築庭300年祭」に出演した前半でピアノソロをやった中で、晩年の母が聴きに来ていたので、母の大好きなシューマンのトロイメライは入れましたが、アレンジメドレーの中で、大正時代の唱歌「浜辺の歌」と、尾崎豊の「アイラブユー」をフーガにしてやったところ、最前列に座っていらっしゃった、岡山の、全く知らない、おばあ様が、「浜辺の歌」を口ずさんで下さったので、私は直ちに、フーガをやめて、尾崎豊を捨てて、「浜辺の歌」だけにしたものです。



いきなりアドリブでフーガにすることは出来ませんが、フーガで準備していたものを、一本のメロディーラインにすることなどは簡単なことですから、それでいいのです。



また、倉敷御園旅館でコンサートをやった中で、11月だったので、チャイコフスキーの「四季」の『トロイカ』をやったら、聴きにいらして下さっていた、倉敷コンベンションビューローの河上先生が泣いていらっしゃるので、訳を聞いたら、初恋の思い出の作品だ、とのことで、リクエストされましたので、喜んでもう一回演奏したものです。



このようなリクエストは、ショパンの「木枯らしのエチュード」や、リストの「マゼッパ」を演奏した時に、メソッドを見て、リクエストがかかるのよりも、はるかに嬉しいと、私は感じます。



だって、ピアノ演奏はスポーツじゃないのです。勝ち負けは絶対にないですし、人間は、指が動くことに感心しても感動はしないからです。



感心したいためだけに演奏を聴いていると、感動経験がなくなりますので、自分の耳が感じたことを、言語に変換することが出来なくなりますので、頭は悪くなりますね。



「キモい」「キショい」「ムカツく」「ウザい」「ヤバい」などという日本語は、頭の悪い人達が多用しているようですね。



そして、このような言語でしか感想の言えない自分の表現力のなさや頭の悪さを隠すために、「自分は空気が読める」と思っているのですから、大変におめでたい方です。



まあ、言葉で何を言っても、音楽の存在はびくともしませんから、OKなのですけど、楽譜を元に演奏している皆様は、随分ひどい言葉の渦に巻き込まれて大変だろう、と感じております。



そのうち、ライブ演奏への感想が、「キモい」「キショい」「ムカツく」「ウザい」「ヤバい」、のような無意味な言語でのみ表出されるようになったら、地球は『猿の惑星』になってしまうことでしょう(笑)。



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Posted by 岡田克彦 at 21:01Comments(0)ピアノ演奏

2012年08月25日

久しぶりの朝うどんのはしご




「あのさあ、ずっとうどんを熱湯に漬けていると、うどんのこしがなくなっちゃうよ。」



と私は、隣に立っているその若者を注意して、テボに入ったうどんを湯切りして丼に入れるよう、ご案内しました。



その若い彼は、明らかに県外からいらっしゃっていたようでしたが、やり方がわからないまま、かけうどん1玉分のうどんの麺を丼からテボに入れたものの、熱湯に漬けてやり方がわからないのでそのままにしていました。



たぶん初めて香川県にいらして初めてセルフうどん店に入ったのでやり方がわからなかったのでしょう。



そして、そのあと、ネギ、しょうが、天かす、ゴマを入れて、大きなタンクから水道の蛇口のようなものをひねると出てくるイリコダシのことをご案内し、私は席について食べ始めました。彼は、かけうどんを私の隣に座って食べ始めました。



今日は土曜日なので、朝うどんも県外から食べに来る人が多いので、よくあることなのですが、意外に、うどん県のセルフうどん店でのやり方を知らない人がまだいらっしゃるのですね。



私はこのあと続けて、デザートにつめたいかけうどんを近所の別の店で食べるつもりでしたので、



「じゃあね。ぼく、出るから。あと、天麩羅はこの店は全部統一価格で、一つ80円で高松市内では一番安いから、天麩羅を買って載せると美味しいよ。イリコダシは、あそこの蛇口ひねると出てくるし、無料で飲み放題だから。」と言って出ました。



今朝の、私の自宅近所の、讃岐うどん店「さか枝」でのことでした。



今朝早く5時に起きたところ、とてもよく晴れていました。



この時間だとまだ涼しくてよかったので、暑くなる前に、と思い、朝うどんを食べに、自転車で「さか枝」に行った時のことでした。








こうして、「さか枝」を出た私は、朝6時半開店の、「こだわり麺や・高松支店」へ、デザートの冷たいかけうどんを食べに行きました。



土曜日の朝は独特で、県外客もたくさんうどん店にいらしていますので、「さか枝」同様、「こだわり麺や・高松支店」も満席でした。



こうして食べて帰宅したら、まだ7時過ぎでしたので、ピアノを弾いたりしてから、ひと眠りしました。



掲載写真は、順に、「さか枝」の『かけうどん』(170円)、『アナゴ天』(80円)、『稲荷寿司(2コ)』(120円)〔しめて370円〕の朝食、と、「こだわり麺や・高松支店」の『冷たいかけうどん』(190円)のデザート、です。




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Posted by 岡田克彦 at 12:13Comments(0)讃岐うどん

2012年08月25日

キムチ 対 白菜の浅漬け




竹島の不法占拠に関して起こった、李明博韓国大統領の天皇陛下“侮辱発言”について、日本の野田総理は、「わけがわからない」と言っていますが、こんなもの簡単なことですよ。



あのような軽率な発言をしたのは、キムチの食べ過ぎにより精神状態がおかしくなって気がふれているためです。



ですから、まじめに対応する必要などは全くありません。



韓国の大使館を日本から追い出し、今後の韓国の言動を全て無視すればよいのです。



でも、野田総理は阿呆ですから、是非是非、O157に強いキムチではなく、O157に汚染された白菜の浅漬けをたくさん召し上がって死ねばよいのです。








本当に、下らないニュースが多くて困りますね。



無能な人間が大統領や総理になるとこのようなことが日常茶飯事になるのです。



野田総理は就任当時から、自分に華がないので、泥臭くドジョウのようにやってゆくようなことをおっしゃっていましたが、あの男は「華がない」のではなく、「ブサイク」なのです。



「華がない」ことと「ブサイク」なことは、全く意味が違うのです。日本語は正しく使ってもらわないと困るのです。



天皇陛下は日本の象徴です。天皇陛下を侮辱したということは日本国民を侮辱したことなのですから、韓国に思い知っていただくほかないのです。



経済成長が順調などということは、マクロ経済学においては短期的な出来事に過ぎないのです。つまり、ストックではなくフローに関することに過ぎないのです。



ストックの領域には、貯蓄や資産などだけでなく、毎年のフローの歴史も含まれますので、マクロ経済全体では、日本の方が韓国のはるかに上ですから、このあたりを、韓国に思い知らせばよいのです。



すなわち、日本政府は、日韓通貨スワップ協定を破棄し、韓国国債を売却し、日本製品の対韓輸出は、O157入りの白菜の浅漬け以外の全て停止しすればよいのです。これはすぐに出来ます。



これでも、韓国が竹島の不法占拠をやめないのならば、国交を断絶し、文化的な交流も全てやめればよいだけのことです。



天皇陛下を侮辱すること、つまり、日本国民を侮辱することは、大変な事態になりかねないのですが、その責任は全て、キムチを食べ過ぎた韓国大統領にあります。



日米安保条約などどうでもいいのです。国連を使えばよいのですから。



「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのです。



この格言は、孔子の「論語」からの言葉ですが、共産党のプロレタリア独裁政治の下にある中国では義務教育の不徹底により、今の中国の人民全員が知っている格言ではないので、日本国内で多用されています。



従って、中国から孔子の「論語」が日本に入ってきた頃から、日本は、これを謙虚に受け入れたため、今の状況になっているので、中華料理や漢方薬において多用される、「中国3000年の歴史」という程度の歴史の中の出来事なのです。



ですから、3000年程度の歴史の中で生まれた孔子の言葉を韓国に投げかけてもいっこうにかまわないのです。



従って、李明博韓国大統領か、この格言を、正しく理解したらなば、キムチを食べすぎた自分を恥じることは間違いありませんから。大丈夫でしょうね。



掲載写真は、順に、天皇陛下“侮辱発言”をしたあと、自分と自分の親戚縁者の利害が確保されたことで大喜びの、李明博韓国大統領、ドジョウすくいを踊っている時の日本の野田総理、という二ヶ国の、どうしようもなく阿呆で煩悩の塊のトップです。








そして、3枚目の写真は、この二人の阿呆政治家を、フェアープレイの精神で、一本で倒して欲しい、と私が願っている、日本の柔道の金メダリストの、柔道家の松本薫女史が試合直前に気合いを入れている時の様子、です。



金メダルの松本薫女子は、銀座大パレードの後に、「工事現場のおっちゃん、仕事せんでも大丈夫なのかしら。」と、天真爛漫におっしゃっていましたが、この言葉、そのまま、野田総理に投げかけて欲しいですね。



「野田総理、仕事せんでも大丈夫なのかしら。」と。



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Posted by 岡田克彦 at 04:07Comments(0)拝金主義撲滅