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Posted by あしたさぬき.JP at

2012年05月31日

今日のうどん





今日は、ブランチに「こだわり麺や・高松支店」で、『冷たいかけうどん・ちくポテ天載せ』『鮭チラシ寿司』『大根と焼き豆腐のおでん』〔しめて570円〕、をいただきました。



ここの『鮭チラシ寿司』が150円で、甘エビがたくさん載って美味しいからです。



幼少の頃からの、高松の親戚との会話を思い起こすと、うどん店は、その頃から、外食の中心にありましたね。



私の幼少期の昭和30年代前半は、フランス料理、イタリアン、韓国料理などはまだ一般的でなく、和食、中華、洋食、というくくりで、食事を表現していました。



私が高松で生まれた、昭和32年は、池田総理による「所得倍増計画」が開始され、高度成長時代が始まった頃でした。まだ、マックもケンタッキーも日本に来ていなかったですし、ファミレス、コンビニ、携帯、パソコン、CDもありませんでした。



携帯電話どころか、テレホンカード対応のプッシュホーンの公衆電話もなく、テレホンカードも普及していませんでしたし、ポケットベルが出たのも随分後のことでした。



大体、高松初のスーパーの「ダイエー高松支店」が、祖父の経営していた瓦町の「丸天旅館」の近所のトキワ街の中に開店した時は、大騒ぎになりました。



私の幼少期の外食でも、特別な一番豪華なものは、三越高松店の中の食堂、高松市広場の割烹「天勝」、高松市百間町の割烹「新トキワ」か、コトデン築港駅併設グランドホテル内の中華「鳳凰」、のどれかでした。



従って、このようなお店で外食をする時には、着衣も、普段着ではなく、「よそいき」のものに着替えさせられましたので、今だに、美味しい料理を食べに行く時には、食べ物をこぼしてはいけない、「よそいき」の服で出かけないといけないことは不合理だと思っております(笑)。



私は、その頃から、味覚と聴覚においては随分わがままに、自分の好き嫌いを明確にしていたようで(笑)、祖父の経営していた丸天旅館の飯炊きばあさんの作る、「古漬けたくあんの煮物」が大好きだったので、それを明確に言ったり、時々、祖父が買ってきてくれた、番町の久保製麺所のうどんが美味しいと思ったので、それも明確に言っていました。



「天勝」や「新トキワ」でいただいた新鮮な鰆の刺身や味噌漬けよりも、丸天旅館の飯炊きばあさんの作る、「古漬けたくあんの煮物」の方が、ずっと美味しい、と言ったり、「鳳凰」の、チンジャオロースの載ったタンメンよりも、久保製麺所の釜玉うどんにさつま揚げをそえて食べるほうが美味しいと思ったので、それも明確に言いました。



その都度、明治生まれの板前の祖父は、微笑んでいましたが、戦中派の若女将の母は、「もう、この子は、貧乏くさいもんばっかり好きや言うて、いかん子じゃあ。」と言っていました。



が、まあ、私自身が55歳になるまで生きてくると、美味しいと感動する食べ物は、その値段では絶対に判断出来ないことは明確なようですね。



それは、音楽芸術に値段がつけられないことと、全く、同様じ理由によるのです。モーツァルトの41番のシンフォニー(ジュピター)、フォーレのレクイエム、ショパンのバルカローレ、等々の値段を決めることは出来ませんし、仮に決められていたとして、それの原価計算の出来る人は、これらの作品を愛していることは絶対にないと私は断言出来ます。



それはそうと、本州と四国を結んでいた、24時間営業していた「宇高うどんフェリー」が、不景気から、夜間の就航を当面の間やめたそうで、よかったなあ、と、私は思っています。



リゲインのように、24時間闘っていたら、人間は確実に死にますから、寝ることはとても大切なことなのですよ。



掲載写真は、「こだわり麺や・高松支店」の、『冷たいかけうどん・ちくポテ天載せ』『鮭チラシ寿司』『大根と焼き豆腐のおでん』、です。



「こだわり麺や」が素晴らしいうどんを提供しているのは、従業員が、24時間闘うようなバカなことをしていないからなのです(笑)。




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Posted by 岡田克彦 at 21:39Comments(0)讃岐うどん

2012年05月31日

香川県でのうどんの位置づけ





ここのところの、讃岐うどんブームは、一朝一夕のことではなく、香川県という地域が、1200年前に、香川県出身の弘法大師によって唐の国からうどんが伝えられて以来大切に育んできた、うどん文化に支えられたものであることを、今回は、ご案内したいと思います。



まず、他県では考えられない特徴的なことは、下記です。



1.2000年以降本格創業の、香川県内の資本のセルフうどんチェーン店に共通していることは、全てが広大な農場を持っていて、材料の農産物の仕入原価を落としていること。



2.香川県漁業協同組合連合会やJA香川県と緊密に提携してトッピングの天麩羅の材料の海産物や農産物の仕入原価を落としていること。



3.この仕入れルートは、「丸亀製麺」のような、よそ者は絶対に使えないようにしている、グローバルスタンダードとは対極の、閉鎖性にあること。







4.うどんの材料の小麦粉の開発について、「さぬきの夢2000」や「さぬきの夢2009」の品種改良にあたって、JA香川県が全面協力していること。



5.香川県庁の外郭団体の、讃岐うどん振興組合が「本格讃岐うどん」という商標登録を駆使して、一攫千金に走る讃岐うどん店を認めないようにしていること。



6.讃岐うどん振興組合主催の、「讃岐うどんグランプリ」で、毎年、優れたうどん職人を表彰して香川県内においてPRしていること。



7.香川県内のほとんど全ての町内会長が、讃岐うどん製麺所の社長なので、香川県においては、地元の名士=うどん職人さん、ということが、1200年前から決まっていること。



8.香川県観光振興協会のPRによる「うどん県 それだけじゃない香川県」という活動のみが、県外からは注目されていますが、それ以前の、上述の7項目の香川県内の体制というものが、バックヤードに強固に偏在していること。なぜなら、関係する人間全員が、うどんが大好きで日常食にしているという大前提があるからなのです。



9.毎年のベンチャービジネスの香川県内のナンバーワンは、讃岐うどん店であること。そして、これは、TOPIX や、景気動向、大型の公共投資、などと全く無関係に、1200年前からの香川県においてはずっと続いていること。






※ 以上の9点が、他県では考えられないことだと思うのですが、大学時代から母の介護のため高松にUターンした37歳まで東京にいた私が強烈に感じたことをつけ加えます。



ビジネス文書において、東京、というか、全国共通の書き出しは、「拝啓 ますますご清祥のこととお慶び申し上げます。」で、最後は、「敬具」で終わることは決まっていますが、この文面の、起承転結の、結、の少し前に、『寒さ厳しき折、お体ご自愛下さい』『次回のゴルフコンペでのご活躍を祈念しております』、などを入れるのが、他県では普通なのですが、香川県においては、『寒さ厳しき折、お体ご自愛下さい』『次回のゴルフコンペでのご活躍を祈念しております』、のところに、『先般開店した、宇多津町の「手打ちうどん店 讃岐屋」のうどんの喉越しは最高だと感じ入りました。』等の、讃岐うどん店情報を入れた方が、相手との親密度を高めることができ、絶対的な優位に立てること。この点は、私自身、痛感したことです。



以上、うどんが香川県で文化になっているのは、社会全体の仕組みが1200年前からそうなっていることをご案内いたしました。


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Posted by 岡田克彦 at 12:06Comments(0)讃岐うどん