2012年03月31日
高松の「タイタン」

皆さんは、「タイタン」と聞いて、何のことだと思いますか?
大多数の方は、地球に環境が似ている、土星の最大の惑星のことと思われることでしょう。
私のようなミュージシャンは、マーラーのシンフォニー第1番(巨人)のことかな、と思うのですが、マツダの小型トラックのことだと思う人もいらっしゃることでしょう。
また、アニメオタクのみなさんは、「ガンダムシリーズ」の軍隊のことだと思うはずです。
しかし、高松で話されている『讃岐弁』においては、全然違うのです。
高松で話されている讃岐弁においては、『タイタン』という単語ではなく、『タイタ』と『ン』、に別れるのです。
そして、『タイタ』は動詞、『ン』は、名詞なのです。
もう既に香川県の皆さんはお気づきでしょうけど、『ン』はとても便利な名詞で、「・・・・・した物」の「物」という意味の名詞で、いろいろな動詞をその前につけることによって、いろいろなものを表現できる万能名詞です。
本来は、『ブン』なのですが、これの短縮形が、『ン』なのです。
そして、『タイタ』は、「炊いた」ですので、讃岐弁において、「タイタン」は、「煮物」のことなのです。
同様、讃岐弁においては、「ムシタン」は「蒸し物」、「ヤイタン」は「焼き物」、「アゲタン」は「揚げ物」ですので、料理名のほとんど全ては、調理法を、『ン』の前につけることによって表現できるのです。
高松には、高等裁判所、霞ヶ関の四国統括本部のほとんど全て、大手企業の四国支店、戦前から三越の支店がありますので、もともと見栄っ張りな土地柄で、お中元やお歳暮は中身ではなく包み紙で判断するので、三越の包み紙でないと、「ふうがわるい」(格好悪い、と言う意味の讃岐弁)と思いこんでいる人がたくさん住んでいますので、車のシートベルトも、運転が上手くても下手でも、締めていないと「ふうがわるい」と思って締めているだけなので、年中交通事故が多いので有名です。
大体、方言は、文言で使われることはほとんどないことが多いのですが、高松はこういう見栄っ張りな風土から、方言を、文言にすることなども、「ふうがわるい」ので、絶対に文書化されないで、高度成長時代を過ごして来ていました。
高松市のど真ん中に、小さな五階建ての安いビジネスホテルがあるのですが、その名前は、以前は、「大丸イン」だったのですが、こんな大阪のような商売人のたまり場のような名前は「ふうがわるい」ので、首都の東京のような名前に変えて、「高松ヒルズ」に変えたのです。
この場所は、丘陵地ではなく、瀬戸内海に近い讃岐平野で、この前の高潮の時は水浸しになった場所なのに、「ヒルズ」とは何事でしょう。しかも、五階建てなのですから、「六本木ヒルズ」とは全く無縁の建物なのですから、笑ってしまいました。
笑ってしまう、というと、高松の戦中派の皆様は、「東京スカイツリータワー」の併設の低層階ビルが32階建てだということを、テレビのニュースで見て、大ショックを受けていましたが、それは、30階建ての高松サンポートタワー、という、ランドマークタワーが、超高層ビルだと信じていたからのようです。
しかし、徳島県の阿波池田には、「民宿ヒルトン」がありますので、ちょっと、高松でも阿波池田には敵わないのです(笑)。
こういうことは、商標登録上、問題なのでしょうが、四国は海外ですし、江戸時代には島流し先でしたし、さらにその昔には、平家の落武者が逃げて来た場所なので、いいみたいです(笑)。
しかし、もう、今の世の中は、地方分権しないとサバイバルできないのですから、東京の真似事はやめた方がいいですね。
すなわち、高松市の「美術館通り」のような、渋谷の「公園通り」みたいな名称はやめた方がいいのです。
大体、高松市立美術館が地価の高い町のど真ん中にあること自体おかしいのですが、高松市立美術館の土地は、もともと、「日銀高松支店」があったところなのです。
どうしても、東京の真似をしたいのならば、高松市内中心部の主要通りは、全て、「公園通り」にしたらいいのです。だって、2キロ以内に、栗林公園、玉藻公園、中央公園、という大きな公園だらけで、主要な通りはこの三つの公園に近いのですから全然問題ないのです。
さて、昨日のお昼、私は、またまた、高松市南新町商店街の朝採れ野菜専門店「農民一揆」の奥の、朝採れ野菜専門レストラン「大日本社員食堂」で、またまた、感動的な名称のランチ(600円)をいただきました。
昨日のランチは、ハンバーグ定食でしたが、この店は、メイン料理よりも、20品ほどの野菜料理から2品選べる、付け合せの、朝採れ野菜を使った副菜が美味しいので有名です。
昨日は、副菜をどれにするか迷いました。全部美味しそうだったのですが、いろいろ絞って、『高野豆腐の煮物』、『サトイモの煮物』、『菜の花の辛し和え』、『葉ゴボウと小松菜の炊いたん』の四品のどれか二つをいただこうと思ったのですが、昨日は気温が20度近く暖かかったので、春らしい『菜の花の辛し和え』を採ろうとした時、女性店員の方がおっしゃったのです。
「それ、辛いですけど大丈夫ですか。」と共通語で応対されたのですが、私は、讃岐弁で返しました。
「そんなに、ものっそ辛いんな。」と。するとその店員さんすぐに讃岐弁に変えて言ってくださいました。
「へぇーー。辛いのう、言う人もおりますけん。お客さん辛いんは大丈夫なぁー。」
「そうやの。この前、うどん屋何軒かで、菜の花のお浸しは食べたけんのう、・・・・・ほんだら、この隣の、葉ゴボウのぶんも春らしいけんうまげなのう。」
「そらぁ、今が旬やけん、葉ゴボウと小松菜は香りがええでっせ。」
「『葉ゴボウと小松菜の炊いたん』やのう。『炊いたん』、『炊いたん』、『タイタン』、讃岐弁丸出しやのう。」
「はい。『タイタン』です。」(爆)
本当に、方言は素晴らしいですね。一挙にその店員さんと距離が縮まったので、『葉ゴボウと小松菜の炊いたん』をお皿に採り、『高野豆腐の煮物』と『サトイモの煮物』のどちらが美味しいかも聞きました。
「野菜が好きやったら、サトイモがええで。」
ここの店員さんは、全員、この朝採れ野菜を作っている農家の親戚ばし、ですから、これは、間違いなく、サトイモが美味しい、ということなのです。
「そうやのう。お大師さんの豆腐も美味しいけど、このあたりのうどん屋全部で揚げまくっとるけん、サトイモにするわ。」
と言って、私は、『サトイモの煮物』を採りました。
しかし、その隣にあった、『レタスと水菜の煮浸し』も美味しそうだなあ、と思って眺めていたら、
「今日はレタスがええんや。ほんだけん、味噌汁はレタスでっせ。」
とその店員さんはおっしゃいましたので、ラッキー、と思いました。
レタスの味噌汁は本当に久しぶりでしたが、レタスが新鮮で、シャキシャキ感がしっかりとないと、美味しくないですからね。
こうしていただいたのが、掲載写真のランチです。
デミグラスソースたっぷりのハンバーグのつけあわせに載っていた、レタス、フルーツトマト、グリーンアスパラ、はいつものように美味しかったのですが、レンコンのかき揚げ、が素晴らしかったです。
しかし、考えてみると、『高野豆腐の煮物』、『サトイモの煮物』、『葉ゴボウと小松菜の炊いたん』、と並んでいるのです。共通語の『煮物』と、讃岐弁の『炊いたん』がグチャグチャに混じっていること自体、実に感動的なことですね。
そのうち、メニュー名で、調理した人の年齢がわかるかもしれないことなどを考えると、方言は素晴らしい文化なのですね。
2012年03月30日
貴重な11万1322円・素晴らしき高松市の高校生

この3月27日、高松市内の香川県立高校3高校(高松高校・高松西高校・高松北高校)応援団員らが、香川県高松市番町の日赤香川県支部を訪れ、ライブ時に集めた義援金約11万1322円を、日赤香川県支部の椿原一男総務課長に「被災地の人々のために使ってください」と手渡しました。
この、3高校の応援団は大震災から1年となった、被災して亡くなった皆様の一周忌の3月11日、高松市中央商店街の南部3町ドームで香川県内初となる合同での路上応援ライブを開催したのです。
約1時間、一緒に「フレーフレー東北」と被災地にエールを送ったのです。約200人の観客が集まってきて、この香川県民の観客から、自発的に被災地で被災した人たちのために送って下さい、と、自然に義捐金が集まったのだそうです。
あらかじめ、チャリティーと銘打ったライブをやらなくても、香川県高松市では、このようなものが自然に集まるのです。被災して亡くなった方の一周忌だったからです。
香川県高松市では、あたり前のことなのですよ。だって、弘法大師の出生地ですから、仏教というよりも、仏教的な思想が根付いているのです。人間は寿命が来たら死ぬのだけど、今回のような突発的な大惨事で天寿を全うできなかった人達の遺族の気持ちはいかばかりだろう、ということを、第一に考えるのです。
その程度の優しさを持っていないと、弘法大師のたたりが来ると言う高齢者がいますが、それは、突発事故のために天寿を全うできなかった人たちを傷み、残された遺族のお心を慰めるようなことは人間の義務だと思っていないといけない、という意味なのです。
しかし、この程度のことは、高度成長時代初期の日本では、全国であたり前のことでしたが、皆様のお住まいの市町村では、いかがですか。日本中のお寺の本部が集結している京都では、大文字焼きで東北地方の木材を燃やして悼むことを拒否していましたが、何と馬鹿げたことでしょう。
世界中から観光客がお金と一緒にやってくるということで、京都の皆様は、お金がやってくることが、ます第一なのでしょう。なんと貧しいお心でしょう。高松市内の県立高校の生徒達の爪の垢を煎じて飲めばよいのです。
また、六本木ヒルズ族は、11万1322円という金額の少なさをあざ笑うのでしょうけど、このような路上ライブが日常的でない香川県高松市でも、何かやらないといけないと思って東日本大震災から一年経過したときに高校生達が自発的に動き、通りかかった県民がチャリティー箱もないのに自然に義捐金が集まるようなことは、絶対に六本木ヒルズでは起こらないと思いますよ。
六本木ヒルズ族は、対費用効果しか考えていないのですから、絶対に出来ないと思いますよ。やれるものならやってごらんなさい。黙祷をささげるだけならお金が節約できると思っているような人は、それでいいのですか。
掲載写真は、3月11日、高松市中央商店街の南部3町ドームで、香川県立高校3校の応援団が集まって、「フレーフレー東北」と合同でエールを送っている写真です。
ところで、この情報、四国新聞に出ているよ、と、私の高松高校の同窓生のG君から電話があって初めて知りました。私は、日経新聞をとっていて、四国新聞は読んでいなかったのでびっくりして、後輩達を誇りに思って絶句していたら、G君が、
「ほんだけん、うどん食べに行こうで。」というので、行きました。
高松市内の全ての讃岐うどん店には、『Pray for Japan』 の募金箱が常時ありますので、おいしいうどんを食べて、寄付をしようよ、という意味なので、待ち合わせででかけました。
2012年03月30日
JR高松駅の改名について

香川県観光振興課が香川県の観光PRのために「うどん県 それだけじゃない香川県」というキャッチコピーで始めたPRが、地産地消で、いろいろと広がっています。
高松市屋島の「第一健康ランド」というサウナでは、讃岐うどん風呂、というものが出来たことは、既に、ブログでご案内しましたし、うどん県副知事の、俳優の、要潤氏が、今年2012年の年賀状が、香川県ではなく、うどん県の宛名で届くように動いたことなども記憶に新しいです。
しかし、高松では、それ以外にもいろいろなことが起こっています。
まず最初に、映画「UDON」のヒットで讃岐うどんブームが再燃した頃、香川県庁が、うどんをデザインした「うどんネクタイ」を製作販売開始しました。これは、ブームが長く続くことと、うどんも長ーく愛して―、という願いをこめて、新しく作られたものでした。
香川県地域振興アドバイザーの竹内守善さんの、「うどんネクタイ」のデザインは、うどんの麺が丼から丼につながる図柄で、「よく見るとうどんと分かる」のがポイントで、麺の部分に使う白い糸が多いと派手になるため、小さな柄を細かく織り込んだもので、緑、紺、エンジの三色ありした。
こうして、普段使えるアイテムとして愛用してほしい、とのコンセプトでデザインされた「うどんネクタイ」が、香川県高松市の栗林公園商工奨励館と東京・新橋のアンテナショップ「せとうち旬彩館」で、当初、二百本を製作し、一本三千五百円で製造、販売したのですが、とても好評で、すぐに売り切れたので増産しました。
一方、香川県観光協会が、「うどん県」をうたった観光キャンペーンの一環として作った「うどん県章バッジ」(1個300円)を作り、主要観光地などで販売しました。今年の2月に500個を売り出し、2日間で完売する大変な勢いだったため、5500個追加で用意したのですが、これもすぐに売切れ、今では高松市内でも入手が困難になっているような状況です。

このネクタイとバッチは、香川県内の資本の企業のオーナーが、全従業員に、うどん県民であることの誇りを持って毎日仕事をして欲しいとのことで、まとめ買いをしたため、たちまち売切れてしまい、増産を重ねて、今日に至っています。
香川県は、全国でも平均貯蓄額が上位にあって、貯金が大好きな県民性で有名なのですが、讃岐うどんは、貯金をせずに消費に向かわせる絶対的な効果があったのですね。1200年の歴史と、讃岐うどんを始めた、弘法大師は、やはり、強かったのです(笑)。
そして、今回、ついに、JR四国が香川県の観光プロジェクトに加わり、この3月29日から2年間、JR高松駅の愛称を「さぬきうどん駅」とし、ホームの表示板に「うどん県さぬきうどん駅」と記すことになりました。

また、瀬戸大橋を渡る、快速マリンライナーのグリーン車の1両に、うどん県副知事の要潤さんを起用したラッピングをしたものを1年間運行するほか、高松駅の接客担当の社員が「うどん県章バッジ」と「うどんネクタイ」を身につけることになりました。
もちろん、通常の高松駅の記念スタンプのほかに、「さぬきうどん駅」のスタンプも設置しています。
ただし、あくまで愛称なので、車内等のアナウンス、駅の行き先表示等は、これまで通り「高松駅」です。
JR四国では、正岡子規の幼名とスポーツの野球にちなんだ「野球(の・ボール)駅」=予讃線市坪駅=など、愛称を持つ駅がほかにもあり、「さぬきうどん駅」は4例目になるそうです。
香川県庁によると、インターネットの特設サイトが、昨年10月11日の開設から2日間で21万件のアクセスを記録して、サーバーがダウンすることもあったそうです。
もちろん、海外の四国(笑)では、徳島空港は、徳島阿波おどり空港、ですし、高知空港は、高知龍馬空港、に改名していますので、四国では、別段、特別なことではありません。
この、讃岐うどんを使った観光推進、アイデンティティー確立プロジェクトのこの先のことはわかりませんが、『さぬきうどん県警』や『さぬきうどん県教育委員会』は、無理だろうと私は感じています。
「日教組」のようなものは、讃岐うどんの1200年の歴史に比べたら、吹けば飛ぶようなものです(笑)し、県警がうどん名になると、ちゃんと機能しないのじゃないか、という懸念がありますし、香川県警は、既に、高松市屋島壇ノ浦で平家の扇を射落とした『那須与一』をデザインした『よいち君』のステッカーなどでPRしていますが、『那須与一』の弓矢で21世紀の県民の生命が守れるとは、誰も思っていませんので、どっちでもいいですね(笑)。
ただし、香川県警御用達の讃岐うどん店は、香川県庁の裏の、私もよく利用している、一般店の「手打ちうどん 番丁」(秋のマツタケうどんが、マツタケがいっぱい入っていて、600円で素晴らしく美味しいので有名なお店)で、香川県警本部には、いつも、出前をしていますので、命名を変えなくても、毎日うどんを食べているので、OKなのです。
日本の各地方都市には、特産品がいっぱいありますので、それを県名に使って観光推進する、ということは、よいことだと思いますので、他県の皆様も検討されてはいかがでしょうか。
掲載写真は、順に、「うどんネクタイ」、「うどん県章バッジ」、JR高松駅のホームの表示板の「うどん県さぬきうどん駅」の表示、です。
2012年03月28日
ホタルイカの思い出

ラットでの実験段階ですが、「富山湾の神秘」と呼ばれるホタルイカに、脂肪肝改善、脂肪合成に関係する遺伝子の働きの抑制、血中コレステロール濃度低下、の効果があることがわかったため、話題になっています。
イカにはコレステロール値を下げる作用のあるタウリンが多く含まれているのですが、ホタルイカの場合、この効果が他のイカの、2~3倍だそうです。
思い起こすと、私が初めてホタルイカの握りずしをいただいたのは、1994年の晩春、高松で倒れた母の介護のために、転職してUターンするかどうか考えて悩んでいた時、北陸を一人旅した時のことでした。
富山県や福井県の漁港をぷらぷらし、山中温泉などの温泉町の温泉で温まったことを、今でもよく覚えていますが、最終的にUターンを決断したのは、日本海を眺めて海の音を聞いていたときのことでした。
ウォークマンには、浜田省吾の「愛という名のもとに」、フォーレの「レクイエムのリベラメ」、モーツァルトの「ピアノ協奏曲27番」、という大好きな音楽と、私の自作「クラリネットとピアノのためのドメステイックなラプソディー OP.61」の、カザルスホールでの自作自演を収録したものが入っていました。
高松に帰省後、片原町の居酒屋「しぶえもん」でいただいたホタルイカの沖漬けが素晴らしかったので、この居酒屋を愛用するようになりました。
私にとって、ホタルイカは、高松へのUターンを決意させてくれた、素晴らしい食材でした。
今でも、ホタルイカに出会うたび、私は、1994年の晩春の北陸の日本海の海の音や瀬戸内海とは全く違う風情、町でふらっと入った蕎麦屋さんでザルそばを食べていた時、周りの地元の人達のしゃべる方言のイントネーションの波動を、当時、私の考えていたことを思い出して、本当に懐かしく思い起こしてしまい、涙があふれそうになります。
私の中では、全ての海の幸は、それをいただいた土地のすぐそばの海の音と不可分になっています。
東京、大阪、で勤務していた当時、私が地方都市へ旅に出た時はいつもそうでしたが、一時の癒しのようなものを求めていたわけではなく、すっぽりとその土地に移住してしまうという気持ちでいました。
高松にUターンした時、私はひとつ心に決めていたことがありました。
それは、母がこの世から旅立つまでは、高松に住む覚悟でしたがその後一人になったら、都会には戻りたくなかったので、北陸以上にさびれた、海に面した地方都市に移住してもいいな、ということでした。
しかし、高松に帰ってからしばらくして、高松に永住しようという考えに変わりました。
その最大の理由は、讃岐うどんの存在でした。自分の中に流れている血潮が、讃岐うどんと共に生きることを切望していることを痛感したためでした。
掲載写真は、ホタルイカ、です。
2012年03月28日
「うどん本陣・山田家・東京スカイツリー支店」について

昨日は、また、快晴でしたので、自転車で出かけ、買い物なども済ませてから、お昼ご飯を、久しぶりに、「こだわり麺や・高松支店」で、うどん、おでん、イカゲソ天、などをいただきました。
すると、隣のテーブルで食べていたご高齢のおばあさんから声をかけられました。
私は、昔からそうなのですが、年配の女性から声をかけられることが多いのです。住友信託銀行新宿支店で勤務していた20歳代後半などは、同期入社の仲間数名と新宿の地下街を歩いていたとき、すれ違いざまに、年配の女性は、必ず、私に道を聞いたので、同期の仲間では、「岡田君って新宿地下街の道案内係なの。」なんて茶化されることもありましたので、まあ、慣れてはいるのですが、今日は、「うどん本陣・山田家・東京スカイツリー支店」について聞かれましたので、私は知っている限りのことをお答えしました。
何でも、そのおばあさんは、高松市牟礼町の「うどん本陣山田家・本店」の『釜ぶっかけうどん』が大好きだそうで、お嬢様の車に乗せてもらって、しょっちゅう行くのだそうで、東京スカイツリータワーが出来たら、親戚の皆様と観光で行くつもりなのだそうですが、その時は、絶対に、「うどん本陣・山田家・東京スカイツリー支店」で『釜ぶっかけうどん』を食べるつもりだ、とのことでした。

「うどん本陣・山田家」は、高松市内でも、うどん懐石の素晴らしい、高級なうどん一般店の一つです。うどんだけじゃなく、付け合せの鰆の箱寿司やてんぷらや和え物も素晴らしいのですが、ここの一番素晴らしいものは、広い敷地の庭と、文化財の建物、大正ロマンの内装なのです。
もちろん、高松インテリジェントパークなどにも支店はあるのですが、本店から目の届かない遠方に支店を出すと、うどんの品質が落ちるという理由で、これまでにも、全国のいろんなところから、支店出店のオファーがいっぱいあったのですけど、香川県外への支店出店は全部断って来たので、今回、東京スカイツリータワーからのオファーを受けたことに、高松市民は全員びっくりしているのです。
ところで、「うどん本陣・山田家」のうどんは、ほかの讃岐うどん店のうどんとは、全然違っています。
うどん名に、『釜』がついているものは、うどんを茹でた後、冷水でしめないで、釜揚げ状態でいただくもののことですので、うどんの麺の状態が全く違うのです。
釜揚げうどんが、通常のうどんとは全く違うことは、既に全国的に知られていることです。
西讃の「長田in香の香」と、高松市屋島四国村の「わら屋」が、香川県では、釜揚げうどんの美味しい讃岐うどん店の双璧と言われていますが、釜揚げうどん専門のお店は、釜揚げのうどんを、漬けだしにつけていただくようになっていて、かけうどんや、ぶっかけうどんのようなスタイルにはなっていないのです。
そのため、通常の讃岐うどん店やセルフ店において、『かけうどん』のうどんが釜揚げ状態であるうどんのことは、『釜かけうどん』と呼び、キャンペーンなどで、たまに、置いていることもありますがー、普段はメニューにはありません。
香川県内最大の店舗数のセルフうどん店「まるいち」は、たまに、『釜かけうどん』フェアーをやっていますが、『かけうどん』と『釜かけうどん』は全く別のうどんで、『釜かけうどん』は、釜揚げ状態のうどんに生卵をからめた『釜玉うどん』同様、茹でたてでないと出来ないので、時間がかかります。
私の自宅近所での、高松市鶴市町の讃岐うどん店「つるいち」には、『カレーうどん』と『カレー釜揚げうどん』の二種類をおいていますが、これも、普通のうどんと、釜揚げ状態のうどんを使ったものの違いがあるので、こしは全然違うのです。
県外の皆様は、どっちでも、こしがあればいいじゃない、とおっしゃるかもしれませんが、こし、という表現はいろんな要素を含みますので、うどんの麺に昔からこだわってきた香川県民にとっては、大問題なのです。

ところで、『ぶっかけうどん』に特化してこの麺の状態を、『釜揚げうどん』状態にしたものが、「うどん本陣・山田家」の『釜ぶっかけうどん』なのですが、香川県にうどん店はいっぱいあるのですが、『ぶっかけうどん』と、『釜ぶっかけうどん』を両方正式メニューに置いている讃岐うどん店はありません。というのも、ぶっかけうどんになると、釜揚げ状態と冷水でしめたうどんでは、手打ちの仕方、材料の小麦のブレンドから、全部変えないといけないくらい、こしに、微妙な差が出ますので、大変だからなのです。
こうした中で、「うどん本陣・山田家」のうどんメニューの中心は、『釜ぶっかけうどん』ですので、小麦のブレンド、手打方法など、全て、『釜ぶっかけ』に合わせていますので、ほかの店とは、全く、うどんの麺の状態が違っているのです。
従って、東京スカイツリータワーの中に、「うどん本陣・山田家」が支店を出すということは、本場香川県の讃岐うどん店が支店を出すということとは全く違っていますので、東京の皆様には、是非、ご認識いただきたいと思っています。
が、東京には、『釜揚げうどん』状態でない、完璧なうどんの麺を日常的に楽しめるほどの、本格的な讃岐うどん店が、まだまだ少なく、その違いを相対的に判断できる環境ではないので、実際に認識することは不可能だろうと思います。
高松では、ふだんは、「たも家」や「綿谷製麺」などの普通のうどんで作った『ぶっかけうどん』を日常的にいただいているのですが、ひと月に一回くらい、「うどん本陣・山田家」で、『釜ぶっかけうどん』をいただいて、こしの違ううどんを楽しんでいるのです。
うどんを主食にしている香川県民にとって、『ぶっかけうどん』と『釜ぶっかけうどん』は、お米を主食にしている、他県民にとっての、『コシヒカリ』と『ササニシキ』の違いどころではないのです。『日本そば』と『ラーメン』くらいの違い、『親子丼』と『牛丼』くらいの違いがあるのです。
・・・・・など、東京のうどん文化は、まだまだ未熟ですね、と、そのおばあちゃんとお話しました。
掲載写真は、順に、昨日のお昼、「こだわり麺や・高松支店」でいただいた、『かけうどん、イカゲソ天、ちくポテ天載せ』、『焼き豆腐と大根のおでん』、「うどん本陣山田家本店」の、緑豊かな庭園を見れるお座敷席、「うどん本陣山田家本店」の、『釜ぶっかけうどん』です。
2012年03月26日
春間近の讃岐うどん

高知県では既に桜が咲いたそうですので、春が少しずつ近づいています。高松の桜の開花は、4月のはじめだそうですので、北朝鮮のテポドンがやってくるかもしれない時期よりは少し早くなるようですね。
私の住む高松市西宝町は桜の名所で、特に、窓から見える西宝寺の山は、春になると桜ばかりなのでピンク一色になります。
また、近所の郷東川の河川敷には、つくしがたくさん生えますので、とてもいい時期が近づいてきている予感がしています。
今日は、まだ、気温は低かったのですが、天気は快晴でしたので、昼ご飯に、久しぶりに自転車に乗って、近所の細麺の名店の、讃岐うどん店「やま家」へうどんを食べに行きました。
マスターや奥様とも久しぶりでした。今日は、春らしい天麩羅がいろいろ揚がっていたので、春の香りを満喫出来るものをとって、いただきました。
すなわち、温かいワカメうどん3玉に、春菊と竹の子の天麩羅をのせて、春のタコを練りこんださつまあげ(高松ではこの練り物のことを「おてんぷら」と呼んでいます。)と、おにぎりもいただきました。
とても春らしい香りの巣晴らしいお昼のうどんでした。特に竹の子がとても柔らかかったことは、高松市内の讃岐うどん店としてはあたり前なのですが、炊いている下味の甘さの加減が抜群でしたので、いつも、この店のトッピングを手作りしている奥様にお礼を言って出た頃には、いつものように行列が出来ていました。
ここのトッピングの天麩羅は全て一律80円なのです。
県外客が多い時とそうでない時は、店内で交わされている言葉のイントネーションですぐにわかりますが、一番確実な判断材料は、うどんを食べるスピードと音なのです。讃岐人はうどんをほとんど噛まずに流し込みますので、うどんを食べるスピードが速く、ズルズルッとたてる音が豪快で噛む音がほとんどしないことですね。
その点では、私の隣で月見うどんを食べていた、戦前生まれのおばあ様は完全に高松市土着の方で、ものすごいズズズズッという大きな音を立てていたので、私が思わず振り向くと、目が合ってしまいましたが、美味しいので、うどんを流し込んで次をすする前に、ニーーーッと私に笑顔で答えてくれましたので、私はいつものように無言で頭を下げましたら、そのおばあちゃんも、無言で頭を下げてすぐにうどんに集中していました。
これが、昔からの高松人どうしの、讃岐うどん店での一期一会の手法なのです。通常うどんを食べている途中ならば、言葉はいらないのです。
まあ、一息ついてお茶を一服飲んだ時ならば、話しかけられる時もありますが、高松の土着の年配者から、「はじめまして。」なんて言われたことは一度もありません。大体、第一声は、「あんた、うまーげなうどん食べよるのう。」か、「なんがでっきょんな。」ですね。
この時、「ここのうどん、素晴らしいこしですね。」と話しかけられたら、間違いなく讃岐うどんを食べに来た県外の方です。高松の土着民は、素晴らしいこしのうどんしか食べたことがないので、わざわざ食べに行くお店のうどんのこしが素晴らしいことは生まれた頃から決まっているからです。
また、「ここのうどんエッジが立っていていいですね。」なんてことを言う高松土着の高齢者は絶対にいません。この理由は非常に簡単で、『エッジ』なんて、よそから来た言葉(外国語のこと)は絶対に知らないからです(笑)。
以上、グローバルスタンダードと全く無縁の高松土着の讃岐うどん店での日常を一部ご紹介しました。
掲載写真は、「やま家」の、『かけうどん・鳴門ワカメ、春菊の天麩羅、竹の子の天麩羅載せ』『おにぎり』『春のイイダコ入りのさつま揚げ』です。
2012年03月26日
AIJ投資顧問の1500億円かすめとり
1978年9月のことでした。
私が、ケインズの一般理論とパティンキンの金融論を英書で読んで勉強していた、早稲田大学政経学部経済学科の、故.堀家文吉郎教授研究室には、10月から解禁になる会社訪問前に、第一勧銀、富士銀行、三菱銀行、などの都市銀行、住友信託銀行、日本興業銀行、などの長期銀行、と、野村證券の人事部長が順次いらして、会社説明と、ぜひ我が社に来て下さい、という勧誘がありました。
堀家先生が、金融論では有名な教授でしたので、各金融機関から依頼があったためだそうでした。
私は、大体からして、のんびりしていた方でしたので、大学二年までは就職のことなど考えたこともなく、作曲とピアノや室内楽演奏に注力していましたが、堀家先生が大好きだったので、研究室では大学一、二年も必死で経済学を勉強していた研究生もいましたので、一生懸命勉強しましたので、当時の日本の金融機関で仕事をするのならば、短期ではなく長期の金融機関で、借金の証文にすぎない債券を主に扱っている、興銀や長銀のような発券銀行ではなく、信託銀行がいいなと思っていました。証券会社のようなものは、銀行と違ってストックもなく融資を通じて企業を育てることも出来ない、フィー(手数料)だけで稼ぐような会社には、、全く興味がありませんでした。
が、いろいろいらっしゃる各社の人事部長とは初めて会う一期一会でしたから、室内楽の仲間と初めて出会った時に相手の感受性を直感する、自分の感性で素直に接することがとても楽しかったので、もっぱら、人事部長の人間観察をして訪問する会社を決めようと思っていました。
この中で、一番、感受性が摩滅してお金のことしかおつむにない瓦礫は、野村證券の人事部長で、次にひどかったのは、富士銀行の人事部長でしたので、この二社には、絶対に訪問しないことを決めましたし、一番感受性が豊かだったのが、住友信託銀行の吉村さんでしたので、自分の就職希望先は、この一連の研究室での人事部長との面会で決めました。
今にして思うと、とてもラッキーでしたね。当時は第一次オイルショック後で就職もそんなに楽な時期ではなかったのですが、いくら楽でなくても自分の希望も夢も持たず、生活のためだけに就職することは絶対にいやでしたので、「住友信託の吉村さんと一緒に仕事がしたい。」と切実に思ったので、都市銀行は全てオミットして、信託銀行で毛に会社訪問することにし、希望通り、住友信託銀行に就職できましたが、ついでに回って内定をもらったもののお断りした、東洋信託銀行(UFJ信託銀行)と三井信託銀行の人事部長とも懇意になりましたので、その後の会社生活でも、社外交流の起点になりました。
当時から、私は一期一会は大切にしていましたので、どのような結果になってもこの世で出会っていろいろお話させていただいた方とは、仲良くしたいと思って生きていましたから、知らない人と出会って「むかつく」などという感情を持ったことは、これまで一度もないのです。
だって、お互い100年程度しか生きていないのですから、新たに出会った人に「むかつく」感情を持つ時間は全く無駄ですので、「むかつく」前にその人との出会いを否定する生き方が効率的だと思いましたから、第一印象で出来るだけ相手の内実を見出すように自分の感受性を磨かないといけないと思って生きて来ました。
こういう出会い方は、引きこもっている人には絶対に出来ないですね。いろんな人といきなり出会って、良いことも悪いことも、いろいろな経験をすることから、鍛えられるのですから。
さて、この時、こういう風に、性善説に基づいていろいろな人と出会っていた私でさえも、「いったいこんな人間がいるのか。こんな人間が人事部長をしているなんてどうしようもない会社だ。」と感じて、史上最低の企業だ、と確信したのが、野村證券でした。
この時、初対面の私たちに向かって、野村證券の人事部長が話した内容は、「我が社に就職すれば、お金が儲かる。」ということだけだったのです。私の実家は少なくとも、彼が一生かかって手にする資産よりは多額の資産家でしたが、そのために頭に来たのではないのです。
「結局、人間、お金ですよ。」という言い分は、生命保険のセールスのおばちゃんや、アムウェイでネットワーク販売に邁進している皆様がよく口にしますが、一番、人間の可能性を否定する言語道断な意見なので、私は、昔から大嫌いなのです。
アーティストの私の絶対的意見は、「結局、人間、才能ですよ。」です。これは、もちろん、才能のない人は存在価値がないという意味ではないのです。才能があるなあ、と感じる人をリスペクトし、才能がないなあ、と感じる人を反面教師にすることで、人間は正しい人生を送れるのです。ですから、正しい人生を構築するために必要な能力は、豊かな感受性、謙虚さ、とヒューマニズムなのです。
「結局、人間、お金ですよ。」という、人間性を否定する間違えた考え方で正しくない人生を送っていると、「結局、人間、お金ですよ。」と信じて生きているだけの物体の、極道、右翼や、麻薬密売人の餌食になるのです。日本は法治国家ですから、極道、右翼や、麻薬密売人は、デリートされる仕組みになっていますが、法治国家であってもなくても、正しい生き方の出来ない人は、存在意義が全くないのです。
あの日以来、私は、「野村證券は極道だ。」と信じて疑いませんので、その後、住友信託銀行で営業の仕事をしていても、野村證券とバッティングしたときだけは、おおっぴらに、その取引先に、「野村證券は極道ですよ。」とご案内して、絶対に取引をやめることと、野村證券の担当者を出入り禁止にするよう、ご案内してきました。
が、これは、営業のためではなく、社会正義のためでした。
ところで、59歳の、AIJ投資顧問の浅川和彦社長が、1500億円をかすめとったそうですが、このかすめとりノウハウは間違いなく、浅川和彦社長がかつて働いていた野村証券で身につけたものに間違いありません。
「いやいや、野村證券にも従業員がたくさんいますから、一括してそんなことを言ってはいけません。」というご意見の方に対しても、私は、前述の大学時代の野村證券の人事部長との出会いをご案内して反論できます。人事部長が「我が社に就職すれば、お金が儲かる。」ことを自慢しているような企業なのです。「我が社に就職すれば、お金が儲からない。」と思っている従業員を排斥削除したことは明確なのですから、「野村證券の従業員は全員、極道に近い拝金主義者だ。」と、私は断言できるのです。
民放各局がワイドショーなどで、AIJ投資顧問の浅川和彦社長の、1500億円かすめとり事件について騒いでいますが、遅いですね。野村證券出身の人が社長をしているのです。野村證券が極道のように暖簾分けしただけのことなのですから、もう少し早めに報道していれば被害も拡大しなかっただろうと思いますので、民放各局の感受性の鈍化は明確ですね。
まあ、こういう事件が起こってくれたほうが、視聴率が上がり儲かるので、放置していたのかもしれませんけど、それならばなおさら、日本の民放放送局はどうしようもなく文化水準が下落していますね。
困ったことです。
2012年03月25日
「ジョイフル・高松扇町店」の朝食

大分県に本社のある、激安ファミリーレストラン「ジョイフル」が香川県にやってきたのは、私が東京から高松にUターンして、7年ほど経過した、2001年頃だったと思います。
香川県内の一号店は、11号バイパス沿いの高松市国分寺町店だったと思いますが、仕事で西讃に行った帰りに昼食に立ち寄った時でした。
今でも強烈に覚えている理由は、ランチにプラスアルファーでとった、サイドメニューの、金平ゴボウが、非常に素晴らしく感動したからでした。
確か、30円くらいだったと思うのですが、これをとるかとらないかで、その日の昼ごはんは全く変わってしまったのでした。
『金平ゴボウ』の味付け、ゴボウの歯ごたえが最高でした。
安い、という点では、安かったのでしたが、私が、このファミレスはうまくゆくと痛感したのは、正しいファミレスは「ジョイフル」だと感じたからでした。

「ファミレス」というのは、自宅で食事するように、毎日食べに行ってもゆったりと落ち着いて食べられるスペースのことだと私は確信していますので、その点では、「ジョイフル」が一番ファミレスだということを、私は、介護していた母を一緒に連れて行った経験で痛感したのです。母と私の二人分の夕食などは私が自宅で作ればよいことでしたから、出かけてゆくのならば、非日常的な時間は一瞬でよかったのです。
スカイラークグループの「夢庵」は和食、「バーミアン」は中華、「グラッツェガーデン」はイタリアン、という風に専門化していますから、介護していた高齢な戦中派の母は、専門のレストランにゆくまではその料理を食べようと思っているのですが、いざ、入店して座ると、気分が変わってほかのものを食べたい、と言い出すこともありましたので、そのような状況に対応できる、当時の高松市内のファミレスは、「ロイヤルホスト」、「ガスト」、「ジョイフル」、「季の屋」、「北斗」、あたりでした。
しかし、「ロイヤルホスト」の接客は、中途半端な高級感だけのようでしたので、私は無関心でしたし、母が中途半端に緊張するのでよくないと思っていました。
本当に本格的なフレンチのコースならば、私は、最低でも、東京渋谷の「シェ・松尾」、東京六本木の「イルドフランス」、大阪心斎橋の「ビストロヴァンサンク」あたりを愛用していましたので、そこまで行っていないのに、中途半端な価格設定のところで中途半端に高級なものを食べるのは、成金の陥るお金の無駄遣いだと思っていました。
が、「ロイヤルホスト」は、讃岐うどん店だらけでエンゲル係数の低い香川県では、「ジョイフル」の進出後2年で「ジョイフル」に負けて失敗したので、四国から引き上げてしまいました。
その後は、母の好きなステーキハウス、しゃぶしゃぶ、焼肉店、トンカツ専門店に、つれてゆくことが多くなりましたので、私は、母が亡くなるまで、大好きな懐石料理店にはあまりゆけませんでした。その程度のことはかまわないのですが、来る日も来る日もステーキやしゃぶしゃぶばかりいただいていましたので、随分太ってしまいましたね(笑)。
こうした中で、母が気に入ったファミレスは、「ガスト」ではなく「ジョイフル」でした。
その理由は、老舗旅館の女将だった母らしいもので、「ガスト」のスープバーのスープを入れている鍋の形が気に入らなかったことと、「ガスト・栗林店」に飾っている絵の額縁がまっすぐでなく歪んでいたためでした。
それに比べて、「ジョイフル・高松扇町店」のスープバーのスープは、直接機械から出て来るので、OKでしたし、飾っている絵の額縁はいつも美しく整っていたので、母は気に入ったのです。
もちろん、足が弱っていた母は、スープバーなどを取りに行ける状態ではなかったので、私がいつも取ってきていたのですが、ちゃんと鍋の形までチェックしていることには呆れたものです(笑)。
このあたりの状況は、私が、自宅で夕食を作って母と一緒に食べた時も一貫していて、食後、食器を洗ってふきんで拭いた後、ふきんを干すときに、ふきんがまっすぐにかかっていないと、母は我慢ならないようでしたので、私は気をつけていましたが、ホームヘルパーさんについても、そのあたりで判断して気に入らないホームヘルパーさんとはぶつかることが多く、何回も、ホームヘルパーさんを変えました。
その都度、私は大変だったので、当時は、大変だと感じていましたが、今にして思うと、母の好きなように母の思い通りに出来たので、何も後悔することはないので、きわめて快適です。
いつか人間は天寿が来たら死ぬのですから、人間の生死への感慨は、生き残った人の考え方が全てだと思っています。
私の高松高校同窓生の高松大林病院院長の大林君が母の主治医でしたが、大林君は、高松高校時代に私の実家に何回も遊びに来て母とも懇意にしていたので、全て、任せていました。
大林君から聞いた話ですが、高松大林病院に胃瘻をしている意識不明の植物人間の高齢者が数名入院していて心臓が丈夫な人は5年以上生きているのだそうですが、年に一回、足が少し動くだけなのだそうです。
当初、この話を聞いたとき、私は、ご家族がかわいそうでならないと感じたのでしたが、状況を聞いて、それは怒りに変わりました。
というのも、その意識不明で自分がどこにいるのかも全くわからない人が、昔の国鉄の退職者で年金が多額に出るため、お子様が、年金は日割り計算なので、一日でも長生きするようにしてくださいと懇願している、ということだったためです。
親不孝にも程があると私は当時から感じたものでしたが、昨今では、親の死亡を隠して親の受け取る年金を横取りしている人もいらっしゃるようなので、埼玉県や神奈川県などで起こっている、お年寄りの餓死による孤独死共々、世も末のようなモラルの低下だと思っています。
まあ、拝金主義に毒された六本木ヒルズ族の皆様は、「負け組は死ぬ運命にある。」などと思って心の中であざ笑っているのでしょうから、そういう方々の心根は、南京大虐殺をしたかつての陸軍の皆様とさして変わらないものなので、いずれ、天罰が下るのですよ。
「天網恢恢疎にして漏らさず」と、老子も言っていますからね。

さてさて、「ジョイフル・高松扇町店」は、母の没後も、私はよく利用しています。先般ご紹介した、私の、高松ファンクラブの会長をしてくださっている、高松市国分寺町のK女史も、「ジョイフル・高松扇町店」を気に入っていますし、私の自宅からすぐのところなので、愛用しています。
最大の理由は、私の住む高松市西宝町は、香川大学の学生が住んでいるため、顧客の大半が、若い人達だからなのです。これが、10年ほど前の大学生の世代だと、危険な雰囲気の方も多かったのですが、今の大学生の世代は、育ちのいい方が多いので、とても気持ちいいですね。
私は月曜日から土曜日までは、朝食は、讃岐うどんに決めているのですが、日曜日の朝は大体、「ジョイフル・高松扇町店」でモーニングをいただきます。
というのも、「ジョイフル・高松扇町店」の朝食が、私の好きな魚がメインだと言うことと、デザートにいただく、鍋焼きうどん、チョコレートケーキ、ドリンクバーが、素晴らしいからなのです。
今日も、朝食は、「ジョイフル・高松扇町店」でいただきました。
掲載写真は、順に、「ジョイフル・高松扇町店」で、今朝いただいた、『幕の内朝食』〔ドリンクバー付〕(499円)、サイドメニューの『ひじき金平ゴボウ』(50円)、デザートの『よくばりうどん』〔ひな鶏天麩羅、ゴボウから揚げ、ワカメ、温泉卵の載った鍋焼きうどん〕(499円)、です。
2012年03月24日
「讃岐ラーメン」と「師弟関係」

讃岐うどんがブームになってから、日持ちする「半生うどん」、冷凍で送られる「生うどん」が、香川県内各うどん店がネット販売していて、全国の家庭でも、冷凍の「生うどん」ならば、香川県にいらっしゃって食べるものとほとんど変わらないものが食べられるようになっています。
本当に、便利な世の中になったと思っているのですが、香川県高松市で生まれ育った私にとっては、歩いて数分のところに製麺所やうどん店がいくつもありますので、このようなものを買ったことはないです。また、私の意識の中で、ラーメンは、麺が細いので、うどんよりは茹でるのが簡単なので、インスタント化もしやすかったと思うのですが、高松に住んでいると、インスタントの讃岐うどんなどは、絶対に食べたくないですね。味覚的にもそうなんだけど、金額的にも、讃岐うどん店や製麺所で生うどんを買ったほうが全然安いからなのです。
が、考えてみると、うどんとラーメンは材料が全く同じですから、うどんが美味しい香川県の製麺所の作るラーメンの麺は絶対に美味しいに決まっているのですが、香川県内の讃岐うどん製麺所では、打ち立てのラーメンも朝のうちに行けば食べられるのです。が、香川県民が1200年前から、ラーメンよりもうどんが大好きなので、製麺所もそんなにたくさんラーメンは作っていなくて、常連さんにしか売らない、裏メニューだったのです。
ところが、10数年ほど前、高松市中野町の「松下製麺所」が、ラーメンを表メニューにしたところ、たちまち人気が出て、全国のアンケートで10位以内に入ってしまいました。イリコだしが、魚介類のダシのひとつだったため、ラーメンのダシとしては、非常にヘルシーなものとして確立されたのでした。
しかし、ラーメンについては、博多と札幌が歴史も長く、鶏がらか、豚骨スープで、シナチクとチャーシューが載っているものが、全国的には、ラーメンだ、と認識されていましたので、香川県内でも讃岐ラーメンというブランドが確立される前に、札幌や博多のラーメンこそがラーメンだ、という常識が出来てしまっていました。
実際、香川県の讃岐うどん製麺所のラーメンは、あくまでも、麺のこしを楽しむもので、スープは、うどんと全く同じ伊吹島のイリコだしですし、シナチクもチャーシューも載っていません。讃岐うどんと同様、いろんな天麩羅を載せて、一味唐辛子、七味唐辛子、生姜をかけずに、天かすとコショウをかけていただくのです。
ところで、「松下製麺所」は、天かすが、ほかの製麺所や讃岐うどん店と違って、一番細かく、うどんをいただく時にも、かけうどんに載せた瞬間に、サッと溶けてしまうような繊細な天かすだったため、うどんを細い麺のラーメンに変えても、全く問題なく、人気が出たのです。
が、香川県民は、麺のこしを楽しむという姿勢で、讃岐ラーメンを食べましたから、こんな素晴らしいコシのラーメンの麺を、ラーメンのためにだけ使うのはもったいないと感じたので、かけうどんに、この素晴らしいコシのラーメンの麺を、天麩羅同様、トッピングするようになって、その結果、「松下製麺所」の一押しメニューの、ラーメンをトッピングしたかけうどんの、『ハーフアンドハーフ』が、自然に発生したのです。
高松に遊びに来た東京の友人を讃岐うどん店にご案内していて、一番呆れられる讃岐うどんのトッピングは、『金時豆のかき揚げ』、『甘く炊いた高野豆腐の天麩羅』と、『讃岐ラーメン』、なのです。
まあそうですよね。『金時豆のかき揚げ』や『甘く炊いた高野豆腐の天麩羅』なんて、ご飯に添えて食べても全然美味しくないですし、うどんにラーメンをトッピングするなんてことは、香川県外では考えられないことでしょうからね。
ところで、大学時代から25年間東京に住んでいた私は、「讃岐ラーメン」などというものは、この世に存在しないだろう、と、19年前の高松Uターン当時、感じていました。第一、シナチクもチャーシューも載っていないし、もやしも載っていないのですから、これを、ラーメンと呼ぶのには、いささか抵抗がありました。
が、まあ、朝、近所の「丸山製麺所」に行って、うどんを食べることがほとんどなのですけど、たまーーーに、ラーメンを食べたい時もあるので、そういう時には、「今朝は、ラーメンいたぁー。」(今朝は、ラーメンを下さい、という意味の讃岐弁)と言うと、顔見知りのおばちゃんが、「へぇー。」(かしこまりました、という意味の讃岐弁)と言って、出てくるのです。
値段も、かけうどんと同額で、170円ですから、香川県外の皆様は、ラーメンが一杯170円というのは、信じられないでしょうけど、何も載っていないのですから、適正価格なのです。
しかし、この、伊吹島のイリコだしのラーメンは、実にあっさりとした塩味で美味しいのですよ。うどんと全く同じダシなのですが、コショウをかけると、ラーメンになってしまうのです。トッピングは、私の経験では、アナゴの天麩羅か、金時豆のかき揚げ、が、「丸山製麺所」の朝ラーメンには合うなあ、と感じています。
しかも、讃岐うどん製麺所で作っているラーメンは少しなので、早朝に食べに行かないと売切れてしまうので、この「讃岐ラーメン」だけは、「讃岐うどん」がどんなにメジャーになっても、香川県に来て滞在しないと食べられないだろう、と私は思っていたのです。
しかし、なんと、東京の、「株式会社築地ばんや」というお店が、「楽天市場」の下記URLに、「どんまい」というお店を出して、「讃岐ラーメン」を大々的に売り出しましたので、私はびっくりしてしまいました。
http://www.rakuten.ne.jp/gold/donmai/index.html
既に、たくさんのレビューが集まっていて、伊吹島のイリコだしのラーメンが、とても好評なので、やはり、ここは、日本なんだな、と、再確認したところです。
ところで、JTが、最近、讃岐うどんを売り出したそうで、TVでコマーシャルをしているものを拝見して、笑ってしまいました。
東京在住の中年のお父様が、ある夜、自宅で「本場のうどんが食べたい。」とおっしゃるところから始まるCMです。
そして、翌日、奥様も子供達も一緒に飛行機に乗って高松空港に到着して、香川県まんのう町の、掘っ立て小屋のような老舗讃岐うどん店「やまうち」で、かけうどん(CMで見ただけでは、『あつあつ』か『ひやあつ』かは明確ではないのですが)〔200円〕を食べて感動して東京に帰るのです。
そして、その後、JTの出している讃岐うどんと出会って、「これならば香川県まで行かなくてもいいな。」と感動する、ストーリーになっています。
ものすごいCMなので、笑ってしまいましたが、ご家族全員の交通費を考えると、200円の「やまうち」の『かけうどん』を食べるために、大変な出費だったと思いますので、JTのうどんをおすすめしたいですね(笑)。
何がすごい、って、「やまうち」の店舗の建物が感動的に掘っ立て小屋なので、飛行機の中のシーン、東京のきれいなダイニングキッチンのシーン、と、決定的に対照的なので、絶対に印象に残るCMになっています。

ちなみに私が、「やまうち」まで食べに行くときには、うどんのこしが堪能でき、とても温まる『ひやあつ、のかけうどん』(高松市内の呼称では、「そのまま」、の、かけうどん)に、ここの甘みのある新鮮なすぐそばの畑で採れた生姜を、テーブルに置いているおろし金でたくさん摩り下ろして入れ、一味唐辛子を少し入れて、ものすごいボリュームの、「藤原屋」のゲソ天〔120円〕をトッピングして、たっぷり載せてくれる新鮮なネギと一緒にいただきます。計、320円ですから、香川県民としては高いなあ、と感じるお値段ですが、「やまうち」の開店時間は朝の9時で、閉店は、麺がなくなったときで、早いときは、昼前に閉店してしまいますので、朝8時半には到着するように、自動車で行きます。
「やまうち」は、香川県仲多度郡まんのう町大口1010、という、山奥にある、素晴らしい讃岐うどん店で、讃岐うどんのかけうどんの4種類(「あつあつ」=うどんが熱くてダシも熱いもの、「あつひや」=うどんが熱くてダシが冷たいもの、「ひやあつ」=うどんが冷たくてダシが熱いもの、「ひやひや」=うどんが冷たくてダシも冷たいもの)の命名と、エッジの立ったねじれたうどん、の発祥店として有名ですが、今でも火力の強い、薪で山の水を沸かしていることから、強こしのうどんが出来るのです。ですから、高松市に住んでいる私でも、年に1,2回しかゆかないほどの僻地にある、特別に美味しい讃岐うどん店なのです。
歴史をさかのぼると、「やまうち」オーナーの山内氏の師匠の、松岡さんのやっていた、既に閉店した老舗讃岐うどん店「まつおか」が扱っていた、蒲鉾店の、「藤原屋」の納品する、天麩羅、練り物のさつま揚げ、の中でもダントツに素晴らしいものが『ゲソ天』ですから、私は、このゲソ天を取るのです。
以上のように「やまうち」は、山間部にあるので、なかなか私も行けないのですが、「やまうち」で修行した方が、高松市上天神町の、これも非常にわかりにくいスポーツジムの地下駐車場を通り抜けないといけない場所に、「あたり屋」というお店をオープンしましたし、「やまうち」のオーナーの師匠の、今は閉店してしまった「松岡」のオーナーの松岡さんが、私の自宅近所のコープ扇町店の辛抱強い説得に応じて、「松岡」全盛期のうどんを1年がかりで再現して、冷凍うどんで売り出しましたので、今、高松市内では、加ト吉の冷凍うどんよりも、コープ扇町支店の冷凍うどんの方が、はるかに人気があって売れています。
「やまうち」、その弟子が高松に開店させた「あたりや」は、全て、「松岡」の系統の、エッジの立ったねじれた強麺うどんですし、トッピングの天麩羅は「藤原屋」に納品させることまで、師匠の教えを頑なに守っているので、これらのお店は、香川県内では、「松岡グループ」と呼ばれて愛されています。
もちろん、香川県には、この「やまうちグループ」以外に、讃岐うどん店「なかむら」のオーナーを大師匠と仰ぐ「なかむらグループ」、讃岐うどん店「渡辺」のオーナーを大師匠と仰ぐ「渡辺グループ」、など、いくつかの、老舗うどん店のオーナーとの師弟関係で結ばれているグループがあります。
私が讃岐うどん店を判断するとき、一番、間違いのない判断基準は、この、師弟関係なのです。師弟関係は、人と人のつながりですから、技術だけでなく、生き様、覇気、うどんへの限りない愛情、等の文化的要素が、その構成要素の全てで、そこに、お金のような煩悩が入り込む余地はないのです。21世紀、お金でつながっていた財閥が力を失ってゆく中、また、いつどこに地震が来るかもしれない状況下では、こういう熱い血の流れた「師弟関係」に基づく「グループ」こそが、100年後まで残る、かつての、三菱や住友のような財閥にも絶対に負けないグループになることは、間違いないと思っています。
こういった時代にあっては、人間力の中でも、一番大切なものは、一期一会を確実にする、感受性と、人間を好きになるヒューマニズム、なのです。

掲載写真は、順に、まんのう町「やまうち」の『ひやあつのかけうどん・藤原屋のゲソ天載せ』、JTのCMにも出てくる、まんのう町「やまうち」の掘っ立て小屋風の概観、高松市亀岡町「丸山製麺」の、早朝の、イリコだしの『讃岐ラーメン・金時豆のかき揚げ載せ』、です。
2012年03月22日
「丸亀製麺」のこと

「丸亀製麺」という讃岐うどんの全国チェーンがあります。
ご存知の方も多いと思いますが、「丸亀製麺」は、香川県とは縁もゆかりもない、兵庫県神戸に本拠地を置く、大手外食チェーンのトリドールの展開している讃岐うどんのチェーンに過ぎませんので、ずいぶん気を使って、香川県内には、2007年から、イオン高松郷東店のフードコートに「亀坂製麺」という、坂出市と丸亀市の名前をドッキングしたような名前でお店を出していましたが、この度、2012年3月11日、初めて「丸亀製麺」という名前で、高松市室新町(栗林公園の南側)にお店を出しました。
結論から言うと、私自身、「亀坂製麺」で何回か食べた感想では、出てくるうどんそのものでは、「はなまる」や「はすい亭」よりはましですが、麺そのもののこしと、かけうどんのダシについては、もう少し研究された方がいいな、と思いますが、おにぎりが美味しいこと、サービスがいいことは評価できると感じています。
少なくとも神戸の方が本気で取り組んでいることだけは感じられるので、印象は悪くないですね。特に、高松に本店があるのに、どうしようもなく不味い物体を出している「はなまる」や「はすい亭」に比べたら、格段に意識が上なのでいいと思っています。
「讃岐うどん」は、1200年前から香川県で食べ続けられている文化で、お金儲けの道具の名物や商品の名前ではなく、オムライスや、親子丼などの名称と同格の名詞になっていますから、高松市内で生まれ、うどんを日常的に食べて育った私にとっては、「丸亀製麺」という名称は、「ガスト」や「バーミアン」と同格のファミレスの名前にすぎません。
まあ、香川県丸亀市で生まれ育った人は、「なんやこれ。」と思っているでしょうけど、香川県高松市番町四丁目で生まれ育った私にとっては、江戸時代、丸亀は、水戸光圀のお兄様が創設した譜代大名の松平藩の高松と違って、隣の外様大名の京極藩でしたので、あまりそれほどの感慨はないですし、丸亀市のうどんでは、「こだわり麺や」「綿谷製麺」、坂出市のうどんでは、「まるいち」が、全て、高松市内に支店を出してて素晴らしく美味しいことを知っていますので、うどんの品質だけでは、勝負は最初から決まっています。
以下、そのことについて、客観的事実を、全国の皆様にご報告します。
a.「こだわり麺や・高松支店」;『かけうどん』190円〔ただし、8:30~11:00は150円〕、人気ナンバーワンのトッピングは、マッシュポテトをちくわの穴につめて天麩羅にした『ちくポテ』100円、野菜の天麩羅は野菜を全て坂出市のこだわり農場で作っているので、全て新鮮で野菜の甘みのある天麩羅で90円、『チラシ寿司』110円、『おでん1本』90円、デザートの『レアチーズケーキ』50円、自分の農場で採れた根菜を豆腐、揚げ、こんにゃくと共にいっぱい入れた冬季限定の『しっぽくうどん』400円、等、を作っていますので安く素晴らしいうどんを楽しめるチェーン店です。また、自分の農場で、手打ち讃岐うどんに最適なハイブリッド小麦を開発しましたので、ここのうどんのこしは、丸亀から支店を出していますが、高松市民にも受け入れられています。オーナー社長の年齢は35歳、従業員平均年齢は、20歳代前半で、サービスは抜群で、食べ終わった時に、お盆に載ったうどんやチラシ寿司は、必ず、通りかかった若い店員が厨房まで運んでくれますので、私は持ち運んだことがありません。2回来店した顧客の名前は全て覚えて接客しています。バリアフリーで、高齢者の来店時には手を引いて着席させています。そして、この若者の店員は全て美人、ハンサムで、マナーは完璧で、必ず顧客のテーブルの前にひざまずいて顧客の言うことをアクティブリスニングで受けています。マニュアルはなく、従業員のマナーは全て店長のOJTで教育しています。こんなことは、私がかつて東京在勤当時、勤務していた住友信託銀行でも出来ないことでした。香川県の地銀の百十四銀行の人事部長は、ここでうどんを食べると意識改革が出来るお店です。このように、脱マニュアルなので、方言でも共通語でも完璧な接客が出来るのです。しかもこの店の立地は、高松市の香川県庁真向かいの番町にありますので、「丸亀製麺」が開店した高松市室新町に比べると、賃料は5倍です。
、
b.「綿谷製麺・高松支店」;『かけうどん』190円〔ただし、この店は、1玉は全て1.5玉、です。〕、野菜や瀬戸内の海産物(アナゴなど)の天麩羅は一律100円。しかし、この店は、『肉うどん』『肉ぶっかけうどん』(いずれも350円)と、お米2合の『ジャンボ稲荷寿司』(160円)を食べに行く店なので、誰も『かけうどん』は、オーダーしません。『肉うどん』『肉ぶっかけうどん』はいずれも、牛肉のシグレ煮が生卵と一緒にうどんが見えないくらいいっぱいのっています。豚肉に変えると、肉の量は1.5倍になります。『おでん1本』90円。そして決め手は、午後1:45から、トッピングの天麩羅、ジャンボ稲荷寿司、が全て無料になることです。従業員の平均年齢は、「こだわり麺や・高松支店」より少し上ですが、マナーは、「こだわり麺や・高松支店」同様、完璧です。また、この店は、和風の内装が素晴らしいです。この店の立地は、高松市の中央商店街の南新町ですので、「丸亀製麺」が開店した高松市室新町に比べると、賃料は6倍です。
c.「まるいち」;香川県内最大の支店網のあるセルフうどん店、『かけうどん』150円〔ただし、5のつく日、5日、15日、25日は、100円〕、うどんの麺の小麦の香りは、この店が、香川県内ではナンバーワンですので、かけうどんよりもぶっかけうどんが美味しいので有名です。また、創業は明治時代の老舗ですが、広い農場も持っていて、そこで採れた野菜を天麩羅や、しっぽくうどんの具材にしていますので安く美味しく提供できるのです。特に、ゴボウと高野豆腐の天麩羅は、このチェーン店が一番美味しいです。高松市内に20店舗あります。
以上ご紹介した、香川県内のセルフ讃岐うどん店は、ほんの一部です。
また、「丸亀製麺」の高松市内の支店が初めて開店した栗林公園近所の室新町近辺には、「上原屋本店」という老舗セルフうどん店、「松下製麺所」という老舗製麺所がありますので、うどんだけでは、「丸亀製麺」の『かけうどん』280円、トッピングの『かき揚げ』130円の値段では、高すぎますので、勝負にならないでしょう。
以上のように、値段の点、地産地消の点で、香川県内に本社を置くたくさんのセルフ讃岐うどんチェーン店との間では、勝負にならないですから、「丸亀製麺」は、香川県内では、ファミレスと考えて営業展開された方がいいと思います。ただし、幸いなことに高松市内はには、転勤族が多く住んでいますので、神戸からいらしたのですから、神戸ステーキもメニューに加えるといいのじゃないでしょうか。
まあ、その場合にも、香川県小豆島のオリーブを食べさせた、オリーブ牛が最近高評価ですので、神戸牛とオリーブ牛の対決になると思います。
以上のように、香川県内では、「丸亀製麺」は、『讃岐うどんもメニューに入っているファミレス』としてしか生き残れないと思いますが、既に、香川県以外に、500店以上展開してくださっているので、香川県をPRして下さったことは、とても、有難いことだと思っています。
香川県内の讃岐うどん店の売り上げの4割くらいは、うどんの玉売りの売り上げですので、「丸亀製麺」のうどんが素晴らしいので、お昼に「丸亀製麺」で食べた後、生うどんを買って帰り、夕食にも、「丸亀製麺」のうどんを食べたいと思う香川県民まで出てくれば、「セルフチェーン讃岐うどん店」としては成功だったということになるのでしょうけど、「丸亀製麺」は、まだその域には達していませんし、トリドールとしてはレストランチェーンのひとつとして展開しているようですね。しかし、本当に香川県民が認めたら、生麺を買って帰りたい、テイクアウトしたい、と言うはずですから、せっかく讃岐うどんで勝負しているのですから、そういう声が自然に沸き起こるまで、ご健闘を祈ります。
以上、「丸亀製麺」の香川県高松市への支店展開については、阿呆なマスコミが騒ぎすぎているようなので、私の感想を一応書きましたが、香川県は大昔から、平和でのんびりした、争いごとの嫌いな土地ですので、香川県の外郭団体の「さぬきうどん協同組合」も、あまり意識せず、マイペースでやっているようです。
さしあたり、聞こえてくる反応は、讃岐弁で、「『丸亀製麺』いう、うまーげな、うどん屋が出来たでぇ。」でしょうが、この『うまーげな』は、「美味しそうな」というあいまいな意味の、ただの愛想言葉で、7割肯定3割否定ですので、そのようなものは、無視していいと思います。本当に、この店のうどんは美味しい、と思ったら、香川県民は、黙って、レジで、「生うどんを家でもいただきたいので、分けてくれませんか。」というはずです。何しろ、香川県民は平安時代から1200年もうどんと一緒に生きてきたのです。お世辞など全く関係なく、美味しいうどんは美味しいと、フェアーに評価しますから、安心して、営業にまい進してください。
まあ、讃岐うどんのことばかり書いていると、またまた、高松の旧友たちに叱られます(笑)ので、このあたりにして、昨日のお昼、私は、一昨日いただいた高松市亀井町「マサラ亭」の『シーフードカレー』が素晴らしかったので、またお邪魔して、昨日は、『ベジタブルカレー』に、ダブルチーズウインナーをトッピングしていただきました。20歳代の高松の若いサラリーマンが入っていたので、味覚のしっかりした若者が多いようで、私は安心しましたよ。
でも、ここのカレーは、本当に美味しいですね。ガラムマサラと一緒に入っている企業秘密のオリジナルスパイスをかけると、本当に美味しいのですよ。『ベジタブルカレー』に入っている野菜では、ナスとズッキーニが素晴らしく美味しかったです。
また、一人でがんばっているマスターが、とても親切なのでいいですね。
掲載写真は、高松市亀井町「マサラ亭」の、『ベジタブルカレー・ダブルチーズウインナー載せ』、です。
2012年03月21日
春分の日の高松市中心部ぶらり

昨日の春分の日、高松は暖かくはなかったのですが、雨は降っていなかったので、自転車でぶらっと回ってゆっくりしました。
お昼まで朝寝し、フォーレの晩年の室内楽を聴いて、ゆったりしていたら、お腹がすいたので、自転車に乗って出かけました。
昼過ぎだったので、うどんを食べる気にならなかったので、五番町通りにほぼ出来上がった自転車道をゆったり走って、まず、丸亀町商店街の南側入口のG街区の出来上がり状況を眺めてから、「松風庵かねすえ」で、100%サツマイモのきんつばの『からいも金時』を2コ買って、それを食べながら、兵庫町商店街「まいしょくや」へ美味しいご飯を食べに行きました。
『おろし豚焼肉』や『チキン南蛮』ではなく、ヘルシーに『豆腐サラダと選べるご飯定食』をいただきました。選べるご飯は、『ネギトロと海苔のご飯』にしましたが、たくさんの細ネギがとても新鮮だったことと、ゴマドレッシングが素晴らしかったので、感動しました。もちろん、味噌汁と、ハリハリとキュウリの柴漬けの漬物は、いつもどおり美味しかったのですが、この店の接客態度はとてもいいですね。っていうか、セルフサービス讃岐うどん店の店員のマナーに比べたら、高松市内の全てのレストラン、割烹、喫茶店のマナーはいいのですよ(笑)。ですから、私は、高松で讃岐うどん店に入ったら、マスターとしかおしゃべりしないことに決めているのです。
「まいしょくや」の接客態度がよかったので、気分を害されたくなかったので、デザートは、並びの「うどん市場」ではなく、すぐ隣の「銀座サロン」で、『レアチーズケーキセット』をいただきました。

「銀座サロン」は、讃岐うどんブームがピークになって、全国からお客さんが、隣の「うどん市場」に押し寄せ、「うどん市場」の前に行列が出来た間、行列の邪魔になるといけないのでお休みしていたようですが、平常時に戻ったので、また営業していました。が、昨今のゆきすぎた健康ブームに対抗してか、喫煙喫茶になっていたので、私は非常に気に入りました。
まあ、この頃では、高松市内のセルフ讃岐うどん店でも、禁煙のところが増えているので、よくないな、と、愛煙家の私は痛感しているところなのです。分煙したり時間を区切ればいいのに、喫煙できないお店が多いのは、全て、あのブサイクな女性の小宮山洋子厚生労働大臣のせいだと思っております。もう少し鏡を見ればよいのです。あんなブサイクな女性が禁煙したり、グルコサミンコラーゲンなどを飲んで長生きすることは、環境を著しく悪くすることに自らお気づきにならないのでしょうか(笑)。もし、自分のことを絶世の美人だと思っているのだとしたら、救いようがありませんけどね(笑)。
ところで、私が愛用している「まいしょくや」や「サブウェイ・県庁前店」は禁煙なのですが、店員の女性が美しく、マナーがいいのでOKなのですよ。要するに、環境はトータルコーディネイトでよければよいのです。自分の利害、主義主張、嗜好を他人に押し付けるだけの、どあつかましいエゴイストは、東日本大震災の瓦礫同様、廃棄処分すればよいのです(笑)。
「銀座サロン」は、私の同窓生の、兵庫町商店街進行組合の、社会保険労務士の修理君がかつて和菓子店「太平堂」を営んでいたところを貸したお店なので、店内はシックな和風なので落ち着きますね。
そのあと、私は、ローソンの隣の、インターネットカフェ「プラネット・兵庫町店」に行って、ちょっと仕事の関係でプリントなどをしてから昼寝しました。私は、「インターネットカフェ」については、お茶が美味しいかどうかで行く店を決めているようです。「プラネット」は、『ほうじ茶』が、「ファンキータイム」は、『杜仲茶』が美味しいので、それぞれ、たまに愛用しています。
そして、夕食は、その帰り道の途中にある、高松市亀井町のカレー専門店「マサラ亭」〔 香川県高松市亀井町9-6 TEL.087-862-8132 営業時間;平日11:00~22:00 土日祝11:00~21;00 定休日;第2第4日曜 〕の、地元の瀬戸内の地の、新鮮な甘みのあるエビ、アサリ、イカ、をふんだんに使った『シーフードカレー』(600円)をいただいて帰宅しました。

この2000年に開店した小さなカレー専門店「マサラ亭」は、瀬戸内の地の海産物を使っているので高松市内でもある程度の味覚のしっかりした皆様にのみ愛されている隠れた名店なのです。もちろんボリュームを求める客用に、肉もいろいろそろえていて、鶏肉、讃岐豚や最近ブームになっている、小豆島のオリーブを食べさせて育った牛肉(所謂「オリーブ牛」)なども取り入れていますが、この店のベストスリーは、エビ、アサリ、イカ、がいっぱい載った「シーフードカレー」、新鮮な野菜の載った「ベジタブルカレー」、半熟のオムレツの載った「ふわとろオムカレー」なのです。
辛さの好みは様々だということで、開店当初から、各カウンター席には、『ガラムマサラ』に秘密のインドのスパイスを混ぜたものが置いてあって、自分で辛さを調節出来るようになっています。また、自家製の甘酢に、らっきょうではなく、大根の削ぎ切りを漬けたものと、福神漬も、非常に美味しいのです。
素晴らしいカレーをいただきながら、私は、少し前に、高松の旧友から言われたことを思い出していました。
「岡田君、ブログで讃岐うどんばっかり紹介するんやめまい。高松にうどんしかないみたいに思われるんはふうがわるい。」
「なん言よんな。高松は、町中うどん屋だらけやないんな。ふうがわるうても、誰が高松に来たって、うどん屋だらけいう状況は隠せんのでっせ。」
「ほんだけど、高松にはうどん以外のものもいっぱいあるでないんな。東京や大阪から来たもんを省いてもいっぱいありまっせ。」
「そうやの。ほんだけど、讃岐の郷土料理は一応紹介しとるし、イタリア、フレンチ、中華、韓国、や、焼き鳥、焼肉、トンカツ、寿司屋、ラーメン、日本そばあたりも、もう書いたけんのう。」
「カレーライスがないで。『カーナビーナ』や『スパイス王国』のことは書いとったけど、あれは、インドのそのまんまや。わしは小さい頃から、カレーとナンではなしに、カレーライスで食べよったけんの。」
「そらそうや、あんたは、バーモントカレー世代やけん、ジャワカレーも辛いけん気にいらんのやろ。ほうれん草のカレーなんか食べんのやろうけん。」
「あたりまえじゃ。あんな緑色のカレーみたいな、エクソシストみたいな気持ち悪いもん、誰が食べますかいな。」
「そなん言いながら、『どじょうの打ちこみうどん』『フナのてっぱい』や『餡餅雑煮』は食べよるでしょうが。」
「それは、昔からの高松のしきたりやないんな。戦前からずっと、暑い夏は『どじょうの打ちこみうどん』、寒い冬は、日本酒の宛てに最高の『フナのてっぱい』をいただいた後、しめは『根菜を煮込んだしっぽくうどん』に決まっとるし、大晦日は『年越ししっぽくうどん』、お正月は『餡餅雑煮』食べておせち料理をいただいた後、紅白の『年明けうどん』を食べることはきまっとるんやけんのう。ほんだけど、わしらの時代は、カレーライスなんかが日常食になったでないんな。」
「そうやのう。『カレーライス』のう。でも、『カレーライスは、』家で作って食べることがほとんどやったけん、この店いうんはなかなかのう。」
『カレーライス』は自分が作った方が美味しいのかもしれませんけど、「マサラ亭」の『シーフードカレー』は、材料とその下処理の点で自分ではなかなか作れないと思います。
高松市在住の皆さんは、一度は、ここの『シーフードカレー』を食べてみてくださいね。
もちろん、今は、高松市内にも、この「マサラ亭」のほかに、「キリン堂」、「CoCo壱番屋」のようなカレーのチェーン店、お肉の量が多すぎる「カフェ・ド・サンティエ」や「カレーショップマドラス」など、いろいろとカレー専門店があるのです。
『カレーライス』というと、海の遠い東京あたりでは、海外に思いをはせて『ボークカレー』『チキンカレー』『ビーフカレー』のいずれかに、意識が集中するようですが、江戸時代に、日本では肉食はしていなかったのですから、「温故知新」にのっとれば、海のそばの高松の一番正しいカレーは、『シーフードカレー』だと私は勝手に決めています。
でも、この内容で、600円、というのは安いのです。もちろん、普通のカレーは400円なのです。が、高松市内のカレーうどんの適正価格が390円ですから、ともかく、高松市内の外食店は、讃岐うどん店のせいで、安いのです。
掲載写真は、順に、「まいしょくや」の『豆腐サラダと選べるご飯定食』(選べるご飯は『ネギトロと海苔のご飯』)、「銀座サロン」の『レアチーズケーキセット』、「マサラ亭」の『シーフードカレー』(600円)、です。
2012年03月20日
「まいしょく屋」と、完成間近の『丸亀町商店街G街区』

昨日の夕食は、兵庫町商店街の「まいしょく屋」で、美味しいご飯をいただきました。
春の新メニューとして、蒸したサーモン、鶏肉に、春キャベツと温泉卵を載せた、独特の親子丼風の、春丼、というのが、味噌汁などもついて、780円で出ていました。
が、蒸したサーモンが8切れもついていて、あまりにもボリュームがありすぎて食べられないと思ったので、ほかのメニューも見ていると、ご飯に3種類あって、その中の春のジャコ飯、というのが、ジャコ、梅肉、枝豆が載っていたので、ここの定番の「おろし豚焼肉」と、鶏肉の載った定食をいただきました。
この店は、和食の基本の、ご飯、味噌汁、お漬物、が素晴らしいので、絶対に美味しいのです。しかも隣が、「うどん市場・兵庫町本店」で、かけうどん、ぶっかけうどんが素晴らしいうえに、うどん定食〔うどん、と、親子丼・牛丼・温泉卵明太子丼、の好きなものひとつ〕(450円)という激安で素晴らしく美味しいセルフ讃岐うどん店があるので、高松人の私は、食後のデザートのうどんをすぐにいただけるので、立地のよいお店なのです。
向かいに、行きつけの老舗漬物店「大森屋」があるので、安心なのです。
ただし、斜め向かいに、うどんの不味い「はなまる・兵庫町支店」があるのが気分の悪いことなのですが、高松市中心部ですから、若い学生も誰一人、入っていないので、空き地のようなものですね(笑)。

私は、いつものように、夕食後のデザートとして、隣の「うどん市場・兵庫町本店」の『冷たいかけうどん』(120円)に無料のトッピングの、ネギ、青海苔の天かすをたっぷり載せて、自家製柚子コショウをアクセントに少し載せて、うどんかりんとう(350円)を買って、その三分の一をいただき、残りは、輪ゴムをもらって、夜食のおやつ用に持ち帰りました。
帰りに、自転車で高松中央商店街をブラブラしていたら、活性化に成功した、『丸亀町商店街』が、ドームの出来たA街区に続いて、G街区も、東京の森ビルがやってきて、大体出来たようで、街がだんだん美しくなっているのでとても嬉しく思いながら、自転車で帰宅しました。

すると、五番町通り(今の、中央通の五番町交差点で交差する、11号バイパスの東西の通り)の自転車道が、ほぼ全部出来上がっていたので、とても快適に帰宅できました。
高松市中心部在住の人は、自動車は必要なくなってきているので、だんだん、電気のなかった弥生時代に近づいてきているようで、よいことですね。
伊方原発は、隣の愛媛県の西端にあるので、地震の時、香川県に影響があるのかどうかは不明ですが、これまでの四国電力の横暴なやり方を高松市民は熟知していますので、止めたほうがよいと全員思っているようです。
帰宅後、テレビを見ると、東京電力のグループ会社に霞ヶ関の皆様が天下ってきていることを、ビートたけしの番組でやっていましたが、四電グループなどは、東電と東電グループに比べたら全従業員数が2万人程度の小さなものですから、全部、讃岐うどん店や製麺所に変えたら大丈夫だと思いますので、全く心配していません。
四国で一番強いのは、弘法大師と弘法大師の始めた讃岐うどん、高野豆腐、金時豆パン、四国霊場八十八ヶ寺、ため池、ですので、四国電力も心してかかって、人間の命の方をお金よりも大切にしないと、弘法大師のバチがあたって呪い殺されると思いますので、お気をつけになった方がいいでしょうね(笑)。まず、香川県坂出市の五色台の中にある、四国霊場88ヶ寺の82番札所の根香寺の妖怪の牛鬼に襲われないよう、四国電力の役員の皆様は気をつけましょうね(笑)。
ため池には、ドジョウとフナがいっぱい住んでいて、香川県民は、ドジョウうどんを夏場の暑気払いにいただきますし、冬場には、油の載った寒ブナを、大根、にんじんと共に、なます和えにした、「てっぱい」を日本酒のあてに食しています。ドジョウについては、ちょっと打ち方の違う、味噌味の、野菜たっぷりの「打ち込みうどん」に載せて、年中いただいていますが、これの薬味は、辛子とニンニクなので、とても体にもよいのです。
ドジョウの消費量はたぶん、香川県が日本一だと思いますので、ドジョウ総理は、いずれ、香川県民に食べられる運命にあると思ったのか、この前の、ドジョウ祭りに、ドジョウ総理から祝電が届いていましたけど、現状の、東北地方の瓦礫撤去が全然進んでいないことを、香川県民も全員熟知していますから、こんなその場限りの祝電などは、ただの紙切れなのですよ。
まず、東京電力は、負け組に没落したのですから、送電技術を法律で東京電力から没収して、水爆の開発技術の進んだフランスの大手電力会社にM&Aしてもらうように、野田総理と外務省が、機密費を使って交渉すればよいのですから、とっても簡単なことです。これまで、首都圏の皆様が贅沢をしてきたことを考えればあたり前のことです。
東北地方の被爆している瓦礫は、日本国内ではなく、原爆を広島と長崎に落として日本国民を被爆させたアメリカに引き取ってもらえればよいだけのことです。その後、日米安保条約を拡大解釈してNASAがこの瓦礫をロケットに乗せて宇宙空間に追い出せばよいだけのことです。
この程度の交渉の出来ない、ドジョウ総理や民主党も言動の枝葉末節をあら捜ししている自民党も、日本国内の阿呆民放の阿呆ニュースキャスターもコメンテータも全部、このロケットに乗せて、宇宙空間に捨てれば、日本は素晴らしい国家に生まれ変わることが出来るのですから、これで、ドジョウ総理は、日本の最後の総理大臣として、歴史に残るでしょうから、一挙両得なのです。
でも、この程度の外交交渉が出来ないとは、随分、日本の政治家は、阿呆になりましたね。
マスコミが、総理大臣のリーダーシップがない、と騒いでいるのは、総理大臣が阿呆だという厳然たる事実を隠匿するものでしかないのです。
要するに、日本国民全員に言えることは、日本語をちゃんとしゃべれるよう、名詞の意味を確実に理解してから使うという能力を向上させることなのです。
以上全てを勘案して、日本国民が、今、愛読しないといけないのは、広辞苑、なのです。・・・・・などということを考えていました。
就寝前、私は、常時作りおきしている、冷たいハーブティーを暖めて、生姜粉末と青汁粉末を加えて、うどんかりんとうに添えて、とてもヘルシーな睡眠前の飲み物をいただき、J.S.バッハの「ロ短調ミサ曲」を聴きながら、ぐっすりと眠りました。
掲載写真は、順に、兵庫町商店街「まいしょく屋」の、『おろし豚焼肉、と、鶏肉フライのタルタルソースかけ定食(梅肉、枝豆の載った、ジャコご飯付き)』『ナスの浅漬けと、キュウリ柴漬けのお漬物』と『揚げとワカメの味噌汁』、デザートの「うどん市場・兵庫町本店」の、『冷たいかけうどん』(140円)、東京の森ビルがやってきて、ほぼ完成しつつある、「高松丸亀町商店街G街区」です。
2012年03月19日
「大日本社員食堂」の『ちりとり鍋』

昨日の、ブランチは、いつも通り、「こだわり麺や・高松支店」で、『釜玉うどん』と『ちくポテ天』をいただき、並びの、「サブウェイ・県庁前店」にて、アボガドサンドとアイスカフェラッテをいただいてから、TVを見たくなかったので、帰宅せずに、高松港で瀬戸内海を眺めてボーッとしていました。
靴の調子が悪かったので、丸亀町商店街で買い物などをして、南新町商店街の「大日本社員食堂」で、初めて、夕食をいただきました。
南新町商店街の「大日本社員食堂」は、高松の農家の皆様が朝採れ野菜を食べさせる店なので、メニューがおかしいのです。
『チリトリ鍋』は、チリトリ〔掃除をするときに箒で掃いてゴミを掬う、チリトリ〕の形をした鍋に載っているので、このネーミングになっていますが、『ワラジ揚げ』などというものもあって、これは、瀬戸内の魚のすり身、いろんな野菜、讃岐豚の馬鹿デカイかき揚げなのですが、ワラジの形のものが何切れかついているためこの名前になっています。
ですので、「いったいこれは何ですか。」といちいち質問しながらオーダーしないといけないようなわけのわからない名前のものがメニューに並んでいます。
ですから、私は、マスターお勧めの、『チリトリ鍋』を焼酎と一緒にいただきましたが、本当に焼酎に合う素晴らしい鍋でした。
840円なのですけど、オーダーすると、ガスコンロに、本当に、チリトリの形をした鉄板風の大きな浅い鍋に、甘辛い讃岐風のソースの上に、タマネギ、春キャベツ、シイタケ、もやし、水菜、などが山のように盛った中に、鶏肉が、これも、かなり載っているものが出てきます。

火加減は、中火にして、鶏肉まで火が通ったところで弱火にしていただくようになっています。
最初私は、一品では足りないだろうと思って、『チリトリ鍋』と、『ワラジ揚げ』の二つを頼んだのですが、マスターが、絶対に一人で二品は食べられません、とおっしゃるので、『ワラジ揚げ』(これも840円でした。)の写真が美味しそうだったので、残念がっていたのですが、本当に一品にして正解でした。
焼酎は、私は、麦が好きなのですが、全然知らない銘柄しかおいていなかったので、それを、水割りでいただきました。昨日は暖かかったので、お湯割りにしなかったのですけど、この、『チリトリ鍋』は、本当に焼酎のあてになるのですが、焼酎をオーダーする時に、お通し、というものが、メニューに載っていたのでお聞きしたら、自家製のこんにゃくとモツ煮込みだ、とおっしゃるので、それもいただいたのですけど、お通しの値段が、50円なので、呆れました(笑)、が、これも素晴らしく味が素材にしみ込んでいて美味しかったです。
基本的に、私は、アルコールもご飯と一緒にいただきますので、ご飯は、大盛りにしたのですが、160円でしたので、またまた、驚きました。かけうどんが大体180円ですから、それよりも安くしないと客が来ないのでしょうね(笑)。
なんだか、自宅でいただいているような気分になって、ゆっくりといただいたのですが、美味しくてお腹もいっぱいになってほっとしたため、少し、ウトウトして、のーーーんびりと夕食を楽しみました。
一昨日、仕事で徹夜していたため、ちょっと疲れていたためか眠くなったのですが、そういうことも大丈夫なお店なので、いいですね。
そのあと、春キャベツの美味しいお漬物をいただいて、お勘定してもらって出たのですが、1800円少しだったので、びっくりしました。

その後、丸亀町商店街まで歩いたのでしたが、入り口のG街区も完成しつつあり、森ビルが東京からやってきて、とてもきれいになっていたので、嬉しく歩きました。
食後のうどんは、「明石家」で、『カレーうどん』(390円)をいただいて帰りました。もちろん、「明石家」は夜8時でうどんはおしまいなのですが、「すまーんけど、温いカレーうどん出来るなあ。」と讃岐弁で、顔見知りの息子さんに言えば、作ってくれました。
テレビを見なければ、ろくなことのない東京の情報が入ってこないのでいいですね。
掲載写真は、順に、「こだわり麺や・高松支店」の『釜玉うどん』と『ちくポテ天』、「大日本社員食堂」の『ちりとり鍋』『お通しの、自家製こんにゃくとモツ煮込み』『焼酎』『ご飯大盛り』、「明石家」の『カレーうどん』、です。
2012年03月16日
粗大ゴミは片付けましょう。

相変わらず、朝晩がとても冷える毎日が、高松でも続いています。
昨日の夜は、久しぶりに、夕食を、高松市番町のトンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)で、『野菜巻きトンカツ定食』をいただきました。
この店は、まだ母が健在だった頃、高松市西の丸(高松城の跡地の高松港のそば)で開店した、高松初の、トンカツ専門店〔つまり、キャベツ食べ放題のお店〕でしたが、その支店が、香川県庁向かいの高松市番町に出来たところ、こちらの方が街中なので、ランチタイムなどを通して、支店が本店化したお店です。
東京の「サボテン」や、大阪の「カツ梅」の支店も今は高松にありますが、「本気豚食」(ホンキートンク)開店当時は、これらの支店はまだ高松になかったので、「本気豚食」(ホンキートンク)が、高松唯一のトンカツ専門店でした。
開店当時から、この店の最大の特徴は、ロースカツ、ヒレカツ、だけでなく、四国の新鮮な野菜を豚肉で巻いて揚げた、肉巻きの定食が完備されていて、トンカツソースの種類だけでなく、キャベツにかけるドレッシングが10種類以上あったことでしたし、カツサンドが抜群に美味しいので、高松では大変に人気が出たお店でした。
しかし、うどんはメニューになかったので、一部の高齢者からは、「ものっそいなかのたんぼの真ん中の人がやっりょるお店や。ほんだけんキャベツは自分の畑で作っりょるけん、なんぼ食べてもかんまんのや。」等と言う、変な噂もされていましたが、私は、この店は絶対に流行ると確信していました。理由は簡単で、東京の「サボテン」よりも、はるかにキャベツが美味しかったからなのです。が、当時は、高松市中心部在住の高齢者は、味覚での判断以前に、うどんをメニューに入れていないレストランは全て半人前だと感じていたようですね(笑)。
高松市は、政治的に四国の中心だという、プライドが高かったので、東京からやってきた「サボテン」は正しいけど、高松の人が始めた「本気豚食」(ホンキートンク)は正しくない、と、思っていたふしがあります。
私の生まれ育った高松市番町界隈に住んでいた皆様は、高松市の三越高松店の周辺〔つまり、高松中央商店街と、それと平行に走っている東京の大手企業の四国支店が集中している、高松市の中央通(空港通り)ぞいの、高松高等裁判所のある寿町近辺〕は、大都会で、栗林公園より南側は、一括して、『たんぼの真ん中』と思っていました。
これは、高松城が海城で海沿いにあったためで、江戸時代からずっと、ここが、高松の町の中心だったためなのです。大体、ほとんどの城の堀には水がありますが、高松城は海に面した城なので、堀には瀬戸内海の海水が入っていて、鯉ではなく、鯛が泳いでいるのですが、これは、全国的に見ると大変珍しいことなのですが、高松から外に出たことのない高松の人は、これが常識だったのですね(笑)。
また、第二次世界大戦で日本が負けた時、GHQが日本にやってきたのでしたけど、空襲で焼け野原になった高松市内でも、三越高松店は残っていたので、GHQは、その四国本部を、三越高松店に置きましたので、戦中派の皆様にとっては、高松城と三越高松店は、おそれ多い大変に気高い場所として双璧になったので、この一帯が、『まち』の中心として認識されたようです。ちなみに、戦中派の高松人の皆様にとって『まち』というのは、高松空襲の時、B29がやってきて爆弾を投下した場所のことですから、防空壕が集中していた、栗林公園の南側は、一括『いなか』、あるいは、『田んぼの真ん中』と認識されたのです。
ちなみに、祖父母から聞いたところでは、高松人は、「マッカーサ」と発音できなかったため、「マツカサ」と呼んでいたようですし、終戦後、三越高松店に四国初のエレベータが設置されたときには、三越高松店は、買い物に行くところではなく、エレベータに乗りに行くところだったようです。もちろん、「エレベータ」も発音できなかったため、「エベレータ」と呼んでいたそうです(笑)。
本州方面からやってくる商店についても、このような中途半端な、高松市の寿町や三越高松店の一帯は大都会だ、という認識は、戦中派の皆様においては徹底しているようです。
すなわち、広島からやって来た、「ゆめタウン」は、広島には高等裁判所があるので、高松と同格だ、ということで、「ゆめタウン」に買い物に行くことは正しいのですが、岡山からやって来た「天満屋デパート」については、高等裁判所のない岡山が、高等裁判所のある高松に支店を出すなどは、言語道断なことだと考えられているため、高松市中心部に住んでいる戦中派の皆様は、「高松天満屋」では買い物はしませんし、お中元やお歳暮は、絶対に、三越高松店で買い、高松天満屋では買わないことに決めているようです。
こうして、高松市番町のトンカツ専門店「本気豚食」(ホンキートンク)で、『野菜巻きトンカツ定食』をいただいて外に出たら、非常に寒かったので、風邪をひいたらいけないと思い、私は、そのすぐ近所の、「さぬきうどん番丁」で、一番温まる『しっぽくうどん』をいただいてから帰宅しました。
そして、ニュースを見ていたら、相も変らぬ、消費税導入に関する永田町のドタバタをやっていたので、うんざりしたところ、また、千葉県で大きな地震があったり、母親が子供を虐待して殺したり、練炭自殺にみせかけた殺人の裁判員裁判のことなど、物騒な事件の羅列に辟易したので、気晴らしに、タクシーを呼んで、旧知の、高松市ライオン通り商店街の、「よって屋」〔ラーメンと焼き鳥の小さな店〕へ飲みに行きました。
ここの、底抜けに明るい若いマスターとおしゃべりして焼酎をいただくと、気分も晴れました。この「よって屋」も、このブログで、3年ほど前に、讃岐うどんを避けて、高松の美味しいお店をご紹介している中で、高松市中心部でラーメンの美味しいお店、ということで、ご紹介しましたが、とても流行っていて、当初は、マスターと従業員一人の二人でやっていたのですが、今は、従業員が10名になっていたので、とても嬉しく思いました。
また、メニューも、当初は、ラーメンと焼き鳥だけだったのですが、今は、季節限定のお通しまでそろっていたので、さすがは、ここのマスターは料理人として優れているなあ、と、感動しました。
その初春のお通しの中で、「イカナゴの炙り物」という、私自身も初めていただく、珍しい料理に、感動しました。
初春の瀬戸内海の海の幸を代表するイカナゴは、大体、茹でた物を生姜醤油でいただくか、釘煮にすることが多いのですが、炙り物、という食べ方は初めてでした。
が、ちょっとスモークしたような味覚なので、辛子醤油につけて、付け合せの鳴門わかめと一緒にいただくと、最高でした。
隣の席で、どこかで飲んだあと、「よって屋」のラーメンを食べている東京からいらっしゃった転勤族のサラリーマン二人連れが、「素晴らしいラーメンだ」と感動して食べていたので、「ここのラーメンは高松一美味しいのですよ。」と言って、いろんなお話をしました。
「よって屋」のラーメンは、ベースは豚骨なのですが、鶏がらスープをブレンドして、酔っ払った後でもあっさりいただけるようにしているので、私は以前から大好きなのですが、東京のサラリーマンの皆様も納得していましたので、やっぱり美味しい店は流行るのですね。
早く春になってほしいな、と、マスターとお話してゆったりと帰宅しました。
しかし、本当の内実のある春、というのは、まだまだ来ないように感じています。
東日本大震災の被災地の瓦礫が、一年経過しても片付かないとは、いったい何事でしょうか。
原因は、明確になりつつあるようですから、東日本大震災の被災地の瓦礫は、それが片付かない原因を作っている、無能な政治家と一緒に、一刻も早く、撤去してもらいたいですね。
消費税導入をめぐって、民主党や自民党が分裂してもしなくても、どうでもいいのです。
ただ、邪魔な粗大ゴミは片付けなくてはならない、というだけの簡単なことなのです。
掲載写真は、「さぬきうどん番丁」の、『しっぽくうどん』、です。
2012年03月15日
トッツィーの思い出

一週間くらい前から、ツタヤでいろんな昔の映画のDVDを借りて、楽しんでいます。
コマーシャルではいろいろ拝見していたのですが、まあ、とても便利な時代になりましたね。
チャップリンの傑作やミュージカルからいろいろ楽しんでいますが、やっぱりいい映画はいいですね。
その中でも、「卒業」、「真夜中のカウボーイ」、「レインマン」など、私の大好きな名優の、ダスティン・ホフマンの演技は素晴らしくて、もうこんな名優はなかなか出ないだろうな、と痛感していてます。
何でもこなせる、すごい俳優だと、再確認しています。が彼が主演の傑作の中でも、「トッツィー」は、素晴らしいコメディーですね。
音楽が、デイヴ・グルーシンですから、この映画は見事です。
いつ見ても、心の底から笑える快作ですが、見終わった後、フェミニズムについて考えさせられる名画です。
掲載写真は、「トッツィー」で女装した、ダスティン・ホフマンです。
「サウンドオブミュージック」、「独裁者」、「天国から来たチャンピオン」、「タイタニック」、「わらの犬」、「哀愁」、「黄昏」等、いい映画はいいですね。
2012年03月13日
香川県善通寺市の若者との出会い
昨日は、とても嬉しい一日でした。
というのも、ミクシィで、香川県善通寺市に住む、私の半分も生きていない、とても社交的な若者との出会いがあったからです。
少し前に、彼からメールをいただき、いろいろなやりとりをしているうちに、一度会おうよ、ということになりました。
こういう時、私は、最大の敬意を払ってお会いするようにしています。
大体、ウェブだけで活動している若者の一部には、アナログに会うことを嫌がる人が多いのです。
住所も勤務先もわからない、ハンドルネーム等を使わないと本音を言えないという、ネット社会の弊害を確立したのは、間違いなく、インターネットが始まった頃に、西村ひろゆき、などという、ホリエモンや三木谷とどっこいどっこいの、アナログに出会っていたら、全くキラキラした感受性を全く感じないような物体が中心になって始めた、2ちゃんねる、などという、コンプレックスのゴミ箱のような場所が、バスジャック事件等の犯罪発生の温床になったことから、個人情報保護法の拡大解釈をしないと、ネット上ではまともな出会いが出来ないようになったことが、すべての原因になっているようです。
ひとつには、ネット上では、本当かうそかわからない言語情報でしか判断が出来ないことが一番問題なのです。
ネット上で出会った人の紹介でオフ会に行って、つまらなかったことは、ネットに出て12年以上になる私は、数え切れないほど経験しました。
私と同世代かそれ以上の年齢の皆様との出会いは、全然、大丈夫なのです(もちろん、例外もありますけど、傾向値としてはOKなことが多いのです)。というのも、ネット上で出会った人とリアルに会う場合、私は、絶対に一対一で会うことに決めているからです。
一対一で応対できない人に、私は、全く無興味なので、ミクシィなどのSNSで出会った人と実際に面会するのも、最初は、一対一で会うことに決めています。
だから、いい出会いがあったと私は痛感していますが、この一対一で、初対面の人と会うことを怖がる人が、2ちゃんねるのような、タメ口しか叩けない、ドブのような場所でしかコミュニケート出来ない人からのようです。
しかも、私の半分も生きていない世代の人達は、生まれた時から、ネット環境は整備されているのですから、このような自己防衛本能が働くことは仕方がないのです。が、これは、その人の考え方、人間の観察の原点を、私たちのようなアナログ世代の人間とは全く異質なものに変えてしまうのです。
端的にいえば、性善説(人間の本性は基本的に善であるとする倫理学・道徳学説)から、性悪説性(人間の本性は基本的に悪であるとする倫理学・道徳学説)に変えてしまうのです。
こうした状況をさらに悪くしているのは、バブル崩壊後の長期にわたる不景気の情勢で、この状況は、ケインズの言葉を借りるならば、すべての住民を、投資よりも貯蓄に向かわせる景気動向に対して、”弱気”な状態にし、人と人の一期一会についても、オプティミスティックな気分ではなく、ペシミスティックな気分で立ち向かうことが日常になってしまうのです。
ところで、私は、住友信託銀行在勤当時から、趣味でクラシックの室内楽曲作品をいろいろと作曲していましたので、ともすれば、気難しい人、と見られることが多かったのですが、その都度、「私は底抜けの楽天家ですよ。」と言ってきました。過去の作曲家を見ても、ペシミストは傑作を書いていないので、あたり前なのです。ペシミストは視野が狭くなるということは、大昔から決まっていることですから、作曲のモティーフを自分の中に投影する時に、まず、自分の五感はすべてのものに対して開かれていないとダメなので、あたり前のことなのです。
まあ、それでも、私のことを楽天家と認めない、28歳当時勤務していた、住友信託銀行新宿支店の支店長には、私の作曲の現場をお見せしたことがあります。
当時私はいつも、五線紙のノートを持ち歩いていました。いつ、モティーフが浮かんでもいいようにしていたのです。なぜって、私は、モーツァルトほど音楽モティーフを記憶する能力がありませんでしたので、思い立った時には、すぐに、五線紙に書き取っておいたためなのです。
その日、午前中に、取引先だった市ヶ谷の創価学会本部の前の噴水が素晴らしかったので、16小節のモティーフが浮かんでいたので、それを帰社後の昼休みの食堂での昼食後、五線紙のノートに書きとめているうちに、これは、80小節前後のピアノ小品に出来るな、と感じたので、大急ぎで、書き進めていたのです。
この時、休憩室の私の向かいに支店長が座って、私が書き進めているのを、ずっと見ていたのですが、私は、作曲中は、外界からの刺激をシャットアウトしますので、ひたすら、書き進めて30分で出来上がって、ホットコーヒーを飲みながら、「いい作品かもしれないなあ。独身寮に帰って、ピアノで弾いてみよう。」とつぶやいたのです。
つぶやいた、と言っても、1985年頃のことですから、ツウイッターじゃないですよ(笑)。
すると、ずっと私を観察していた支店長が、「すごいな。君は天才だ。新宿支店の宝物だ。」と大騒ぎして、食後、大阪の本店統括部(人事部)にすぐに電話をしたのです。
支店長室に呼ばれたので行ったところ、「君は、すごい。たった今、本店総括部に電話して、君の作曲の才能を報告したよ。でも、どうして、うち〔住友信託銀行〕になんか就職したの。」などと尋ねるので、私は、もう、仕事モードになっていたので、「支店長、仕事中に何をしていらっしゃるのですか。よほどお暇なんですね。」と言ったので、大笑いになりました。
「百聞は一見にしかず」と言いますが、そのとおりの状況が支店長の目の前で起こったのですから、そうだろうな、と私も感じましたが、あつかましくも、私は午前中に訪問した創価学会のことを報告して、「このままでは、三菱信託にとられちゃうかもしれません。」と言ったため、午後から、支店長が、私を支店長車に乗せて、再度、創価学会に行って、その週末の接待まで決めてしまったので、創価学会のそのときの信託預金に預ける予定だった20億円は、全て、「住友信託新宿支店」で丸取り出来ました。
しかも、それを、全て、私の成績にしてくださる、とのことで、次のボーナスにはねることまでおっしゃったので、「支店長、それは公私混同です。いけません。作曲は私の趣味に過ぎませんから。」と申し上げたのですが、そうはなりませんでした。
でも、このように、期せずして入ってくるお金は、拝金主義やM&Aで得るお金とは、全く、別物なので、有難くいただきましたが、300万円のうち150万円は、高松で、妾を8人も作って遊びほうけていた父と離婚後、高松市西宝町の実家で、祖父母と一緒に暮らしている母にキャッシュで現金書留で送り、食器が古くなったと言っていたので、125万円で、斜め向かいの伊勢丹で食器全て10コずつの『たち吉』と『アダム&イブ』でそろえて、「絶対に割れないように送ってください。」とお願いして送りました。
食器を出すのが大変だろう、と思ったので、残りの25万円で、高松市錦町に住んでいた叔母(母の姉)が毛皮の首巻がほしい、と言っていたので、ミンクの毛皮の首巻を伊勢丹で買って、高松に食器が届いたときには、母を手伝ってください、という手紙を送りました。
この食器は、今も、母の没後私の自宅の食器棚にあって、「岡山後楽園築庭300年祭」に、石井岡山県知事の招聘で、俳優の江守徹さんなどの朗読とコラボ出演した時に、私が、ギャラを一銭も受け取らなかったので、石井県知事がポケットマネーで買って送ってくれた、人間国宝の藤原さんの焼いた備前焼のビアグラス(50万円くらいするのだそうですが、江守さんは20分の朗読で300万円のギャラでしたから、適正価格だと感じています。)と共に置いて、愛用しています。
大体、食器はそれを使うためにあるのです、「なんでも鑑定団」に出すなんて馬鹿げていますよね(笑)。
前置きが長くなりましたが、善通寺市の23歳の若者と初めて会う場所は、割烹「篠乃路」にして、懐石料理のコースと素晴らしい焼酎は、私が全部ご馳走することに決めて、2012年4月5日の夜にして、個室も予約しました。
いろんなことをお話しすることにしています。彼が、外資系の生命保険会社で働いていること、趣味と副業がイラストレーターだということも、彼が思い切って私のところに電話してくださったときにお聞きしましたので、彼の営業上役に立つ、高松市内の資産家の私の高松高校時代の友人は全てご紹介するつもりですし、私の出版製本予定の自作楽譜は、全て、彼のイラストにしようと思っています。
割烹「篠乃路」の亡きご主人は、私の祖父の板前だった、岡田照馬の知人でしたし、割烹「篠乃路」の奥様は、私の作曲作品のファンなので、まさしく公私混同なのですが、高松は、海外の四国なので、東京のような営業手法は成り立ちませんので、それでいいと思います。
でも、参ったのは、彼のお父様が、53歳で、私よりも年下だということ、なのです。若すぎるなあ。でも、若いから、無限の可能性があるなあ。
どうして、若い知人のためにそんなにしてあげるのか、って。
それは、バブル前の好景気の時代を知らない、しかも、直属の上司が、2ちゃんねる世代のかわいそうな状況だからなのです。しかも、彼の世代は、年金は破綻していると思うから、大変だろうなあ。
でも、こんな世の中なのに、彼は、ミクシィで、異業種交流会を展開しているのです。こういう若者こそが、これからの、日本をよくしてゆくのだ、と、私は、確信しました。
いろんなことを勘案して、私は、彼の準保護者になることを決めました。私の決定事項は、絶対に変更しないことは、皆様ご高承のとおりです。
最後に、皆様に私からお願いがあります。
もし、終身医療保険に興味があれば、ご一報ください。香川県善通寺市の弘法大師の末裔の好青年の彼をご紹介しますから。
2012年03月10日
昨日は、また寒くなりました。

「どっしたんかいの。暑うなったり、寒うなったり、もうわやや。」
「ほんまやほんまや。栗林公園の梅も桜もいつ頃開花したらえんか、悩んみょるでしょうな。」
「昨日は、ものっそ暑かったけん、わしは途中でセーター脱いだんでっせ。それがまた、寒うなって雨が降っりょるけん呆れましたわ。」
昨日、初対面のご高齢の方と便乗した、タクシーの中でおしゃべりしていた内容です。
ここのところの異常気象には呆れていて、昨日は、また寒くなってしまい、朝から冷たい雨が降っていたので、私は、コトデンバスに乗って、瀬戸内海放送前から、商店街のアーケード沿いまで行って、南新町商店街のアーケード下の「綿谷製麺・高松支店」の肉うどんを朝ごはんにいただいて、お昼は、丸亀町商店街の「明石家」のしっぽくうどんをいただこう、と思って出かけました。
晴れて暖かかったら、歩いても自転車でも2キロくらいですから、バスに乗ることもないのですが、こんなに毎日10度前後気温が上下し、大体晴れていることが多い高松なのに、雨が降って冷たい風が吹いていたので、ハイネックのセーターの上にダウンジャケットのハーフコートを着て出かけたのですが、こういう時に限って、倒産しそうな(笑)コトデンバスは、なかなか来ないのです。ここを走っているコトデンバスの、香西車庫前から来る、香西線は、高松市内でも便数が多い(と言っても、田舎ですから、一時間に8本くらいなのですけど)のですが、20分待っても来ないのです。
こういう時、私は、並んで待っている年配の皆さんとタクシーの相乗りをすることが多いのです。
初対面でも、友達言葉の讃岐弁なら、全然大丈夫なのですよ。
「おばあさん、どこまで乗るんな。」
「田町までや。孫に会いに行くんや。」
「ほんだら、ぼく、通り魔ではないけん(笑)、タクシー拾うて一緒に乗ろうで。こんな冷たい雨が降っりょる中で待っちょって風邪でもひいてお孫さんにうつしたらいかんで。ここから田町まではバスは250円やけん、おばあさんは、250円でええで。残金は、ぼくが払うけん。」
「そんなわけにはいきませんわ。あんたが損するで。」
このようなお話をしていると、やはり並んでいた、ご年配のおじいさんが、「そうやそうや。ほんだら、わしも、田町まで便乗させてぇた。瓦町から電車に乗るけん、田町まで行ったらあとはアーケードがあるけん、傘はいらんけんの。」とおっしゃったので、タクシーを拾って、乗りました。
一番年下の私は助手席に乗って、ここからがとても楽しいのです。大阪のように値切るのではなく、愉快なお話を讃岐弁で展開して、一期一会を大切にし、私の名前を確実に運転手さんに覚えてもらうのです。高松市内の中型のタクシーは初乗りが620円で80円ずつ上がりますので、中新町の信号待ちがあるので、田町までは、860円か940円だと思いましたので、私は、手短に状況を運転手さんに言って、ともかく出発させます。
そして、冒頭に示したような他愛のない、讃岐弁の会話を三人でしていると、運転手さんも加わりたくなるような効果が、友達言葉の讃岐弁には必ずあるので、初対面でも讃岐人同士はすぐに打ち解けます。
代金については、2人の高齢者は250円ずつで、あとの440円を私が支払えばよいだけのことなのです。440円-250円=190円を貯金したくてたまらない人の気持ちは、私は死ぬまでわからないと思います(笑)。
でも、昨日の若い運転手は、とてもお人柄の穏やかな、素晴らしい方でしたので、940円なのに、750円しか取ろうとしないのです。そこで、私は、1000円を渡して、おつりはいいです、と言って、「君のような人格者には、ぼくの作曲作品を聞いてほしいので。」と言って、自作「記憶の底の栗林公園」のCD(1050円)をプレゼントして、名刺交換し、次は、あなたを指名してタクシーを呼びます、と約束するのです。
たかが、190円、されど、190円、なのです。生きたお金の使い方とは、結局、この世で出会う人達の何パーセントの方の人柄を把握して、親しくなれるか、ということだと、私は、確信しています。
まあ、それぞれの家庭にはそれぞれの事情がありますから、一時が万事、ではありませんよ。
しかしですね、190円という金額は、高松では、かけうどん一杯の値段なので、私は、このようにして損をしなかった190円でかけうどんをいただいても、ちっとも美味しいとは感じないのです。
「いやいやいや、190円を20回貯めたら、3800円になります。」とおっしゃる方もいらっしゃることでしょう。しかしですね、こんな冷たい雨が、暑かった翌日に降るということは、高松では、一年に一回か、二年に一回くらいしかないのです。
地縁関係は、その土地の歴史、文化風土、気候、方言、と不可分なのです。このあたりを、認識、理解しているだけでなく、実際に使っている毎日の中で身につく、態度、物腰、次の言い回し、などがないと、地縁関は、絶対に形成されません。
全国的に見て、四国が一番最初に仲良くなれる地方は、間違いなく北海道だろうと私は確信しています。なぜなら、次の一言ですべてOKだからなのです。
「江戸時代の島流し先の末裔同士仲良くしましょうね。」
これは、自虐的な言い分ではなく、シュルレアリスムに基づく絶対的な真実を受け入れた謙虚な言い分、なのです。
以上、海外の四国から、アーティストの私が日々感じていることを書きました。
掲載写真は、昨日、お昼にいただいた、高松市丸亀町「明石家」の、『しっぽくうどん・無料の鳴門ワカメ載せ』《昨日は、鶏肉、サトイモ、大根、にんじん、こんにゃく、豆腐、お揚げ、椎茸、だけでなく、新竹の子がたっぷり入っていて、春がくるんだなあ、と感じました。》(390円)、『大根とロールキャベツのおでん』(180円)、『青汁』(100円)〔しめて、670円〕、です。
ここの、青汁とほうじ茶は最高に美味しいので有名です。私は、ここの青汁が美味しいので飲んでいるのです。青汁は体にいいそうですけど、必要以上に長生きしても、若者たちに迷惑をかけるので、健康には無関心です。高度先進医療のようなものは要りませんし、食後には、3本はタバコを吸いますので、生きたいように生きているだけなのです(笑)。
それはそうと、野村證券が倒産するとネット上では噂が流れているので、私は爆笑しました。
私は、早稲田大学政経学部経済学科・故.堀家文吉郎教授の、金融論研究室の出身なので、卒業の時、野村の人事部長が会社訪問して下さい、と、頼みに来た時の人間観察で、この人は、お金の亡者の極道だ、と直感したこと、同じ研究室の同窓生が野村證券に就職してひどい目にあってやめた事情も熟知していますので、野村證券が倒産する時は、山口組が崩壊する時だ、と確信していますので、馬鹿げた阿呆な噂が流れるものだと呆れておりますが、近々、日本も崩壊すると思いますから、その予兆だろう、と感じております。
要は、野村證券と山一證券では、お育ちが違いすぎるのです。
2012年03月07日
「ばん家」の『昆布の佃煮』

「えーーーっ、インスタントコーヒー、タダなんですか。すごいですね。」
と、その、県外からいらっしゃった奥様は、インスタントコーヒーを作って、フレッシュを入れている私に言いました。
今日のお昼、「ばん家」で、うどんをいただいた後、デザートのインスタントコーヒーをいただいていた時のことでした。
「はい。この店も、食後のコーヒーは、サービスなのですけど、インスタントですからね。高松の讃岐うどん店では、お店によっては、ドリップコーヒーを無料で出しているところもありますし、ポッカの缶コーヒーが50円でおいているところもありますから、ローソンも、高松で儲けるのは大変みたいですよ。」(笑)
今日のお昼、私は、近所の、香川県庁の斜め向かいの讃岐うどん店「ばん家」で、うどんをいただいた後、デザートのインスタントコーヒーをいただいていた時のことでした。
この店は、かけうどんが、180円ですので、高松市内のセルフうどん店では、通常価格なのですが、トッピングの天麩羅やおでんが、すべて90円の上、アフターコーヒーもサービスなので、いつも昼時は、官公庁の皆さんでいっぱいなのですが、冬場の『しっぽくうどん』のダシに、リンゴの摩り下ろしとユズの皮を刻んだものが入っていてマイルドなので有名なお店です。
今のように、暖かくなると、さすがに、しっぽくうどんを食べる人は減るのですが、この店のもうひとつの名物は、イリコだしのうどんに載せると抜群においしい、だし昆布を大将が薄味で炊いた佃煮、なのです。
この、だし昆布の佃煮が無料でとり放題なので、午後12時半までに行かないと、だし昆布の佃煮がなくなってしまうので、高松市民は「ばん家」には、早めに食べに行くことに決まっているようです。
掲載写真は、今日のお昼、「ばん家」でいただいた、『かけうどん』〔トッピングは、だし昆布の佃煮、天かす、生姜、ネギ、いりゴマ、激辛一味唐辛子、ですので無料ですから、180円〕、高野豆腐の天麩羅〔90円〕、大根とこんにゃくのおでん〔180円〕(しめて、450円)、です。
だし昆布の佃煮を楽しんだあと、無料の二種類の鰹節と、高野豆腐の天麩羅を載せて、また違った味覚で楽しむので、高野豆腐の天麩羅は、別皿に取っているのです。
2012年03月07日
暖かいうどんと、冷たいうどん

ここのところ、気候不順のため、暑くなったり寒くなったりしていますので、いただくうどんも、いろいろです。
昨日は、朝、少し肌寒かったので、近所の「ばん家」で、暖かい『しっぽくうどん』、『アサリと野菜のかき揚げ』、『スジ肉と大根のおでん』、をいただきました。
が、午後には、暑くなったため、昼ごはんは、「うどん市場・兵庫町本店」で、『冷たい、スダチおろしぶっかけかけうどん』と『ナスなどのかき揚げ』をいただきました。
以前、神戸から遊びに来た、ジャック君が、夏場の冷たいかけうどんの存在にびっくりして言っていましたね。
「冷たいかけうどん、を食べる習慣は、神戸にはありません。かけうどんは温かいものでしょう。」と。
確かにそうなのですが、暑いときに、冷たいイリコだしをいっぱい飲むと、とても涼しくなるので、暑い夏場には、香川県では、のどの渇き具合にあわせて、冷たい生醤油うどん、冷たいぶっかけうどん、と、冷たいかけうどん、から選べるようになっているのです。
また、高松の老舗カキ氷店の「みよしの」では、カキ氷を食べた後、お腹が冷えるといけないので、夏場も、香川県民は、昔から暑い夏には「みよしの」で、『カキ氷』を食べた後、熱い『鍋焼きうどん』を食べるので、「みよしの」の『鍋焼きうどん』は、365日いつでも置いているのです。
・・・・・なんてこと考えると、香川県民はうどん県民なのですよね。八月の暑い盛りのお盆の頃に、『鍋焼きうどん』が大変に売れるような場所は、香川県くらいなものでしょうからね(笑)。

掲載写真は、順に、「ばん家」の、『しっぽくうどん』、『アサリと野菜のかき揚げ』、『スジ肉と大根のおでん』、「うどん市場・兵庫町本店」の、『冷たい、スダチおろしぶっかけかけうどん』、『ナスなどのかき揚げ』、です。
2012年03月07日
暖かい一日

ここのところ高松はとても暖かい日が続いています。
先週までの寒い日々からは信じられないような暖かさです。
が、毎日のように、気温が上下する異常な状況に慣れたため、驚かなくなっているようです。
一昨日は雨だったので、買い物などは、高松中央商店街のアーケード下でしました。まず、朝食は、南新町商店街の、「綿谷製麺・高松支店」で、豚肉の肉うどんを、甘味のある新鮮なナスの天麩羅、おにぎりと一緒にいただきました。おにぎりについていた、自家製の佃煮がとても美味しく、ナスの天麩羅が最高に新鮮で甘みがあったので、感動しました。
もちろん、生卵も載った、大変にボリュームのあるうどんで、温まりすぎたので、続いて、サンマルクカフェで、冷たいアイスクリームをいただいた後、南新町商店街の路地を入ったところにある、サウナ・ゴールデンタイムで、ゆっくりと温まって、昼寝をしました。
とてもゆっくり出来たら、うどんの朝食だったためとてもお腹が空いたので、ご飯と美味しい野菜を食べに、南新町の「大日本社員食堂」のランチを食べに行きました。

またまた、素晴らしい600円のランチでした。一昨日のランチのメインは、豚肉とキャベツの味噌炒めで、自由に取れる野菜だけの料理の一つの、春菊となめこのお浸し、が最高でしたが、もう一つの、大根ともやしの含め煮も素晴らしい薄味で、最高でした。
「大日本社員食堂」の周りは、美味しくて安い讃岐うどん店がいっぱいなのですが、ここだけは、昼食時、サラリーマンでいっぱいなのです。
もちろん、この店は、禁煙ではなく、いくらタバコを吸ってもよく、食後のドリップコーヒーも、無料で飲み放題なので、ゆったりと朝採れ野菜を楽しんで、ゆっくりとコーヒータイムを過ごして新聞などを読めるスペースになっていますから、愛煙家のサラリーマンにはとても人気があるようですね。

掲載写真は、順に、「綿谷製麺・高松支店」の『豚肉の肉うどん』、『ナスの天麩羅』、『おにぎり』、「大日本社員食堂」の、『豚肉とキャベツの味噌炒め』、『春菊となめこのお浸し』、『大根ともやしの含め煮』、『玄米ご飯』、『味噌汁』のランチ、『手作り弁当持込OK』のチラシ、です。
Posted by 岡田克彦 at
22:54
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