2012年08月31日
国会議員は、盆踊りや葬式に行ってはいけない(爆)!

アハハハハハハ・・・。
今朝、「大阪維新の会」代表の橋下さんのNHKニュースで見た、この発言に、私は笑い転げました。
というのも、関西にある音楽大学の師弟関係が、金権腐敗にまみれていて、関西の音楽大学の教授は、みんな、盆踊りや、弟子の親御さんの葬式に行っていたこと、これに伴い、弟子の全員に教授の出演するコンサートのチケットを無理やり弟子に押し付けることが日常的だったからなのです。
そして、こうした傾向が、日本一なのは、大阪の音楽大学であることで、東京などは大阪に比べたら大したことがないことは常識なのです。
橋下さんは、政界の世界も、大阪は、このあたりの公私混同が日常的なことが我慢ならなかったのでしょうね。
私のピアノの恩師の、石井ルリ子先生は全然違いましたよ。
昭和30年代頃、まだ、私がピアノを始めた3歳頃には、彼女が弟子の自宅に赴いて、個人レッスンをしていたの弟子全員に手土産に、彼女の作った、当時はとても珍しかったタッパに入れた「オムライス」やリンゴを持って行ってご馳走していましたし、年二回は、自宅で弟子を集めたパーティーで、手作りのご飯、パン、サンドウィッチ、カナッペで、接待していたのです。
そして、そのようなことは、当時ピアノを教わってていた、石井ルリ子先生の全ての弟子の記憶に鮮明に残っているのです。
大阪市長をしている、橋下さんの気持ちは、東京と大阪の両方で作曲や演奏活動をずっとして来た私はよくわかりますが、大阪は都会だと思い上がっている姿勢が問題ですね。まあ、大阪はいじめのはびこっている大津市の近所ですから、大していい場所ではないことは決まっているのですけど・・・・・。
ろくなニュースがないので、橋下さんがどんな人か全く知らないし、うどん県民の私は、大阪が崩壊してもしなくてもいいと思っている程度ですから、どうでもいいのですけど、ともかく、橋下さんは面白い男ですので、気分がよくなったので、蒸し暑い中、うどんを食べに昼前に出かけました。
行き先は、他の買い物もあったので、高松中央商店街の南新町の「綿谷製麺・高松南新町支店」でした。
到着すると、まだ、昼前でしたので、天麩羅が全て揚げたてでしたので、『冷たい肉ぶっかけうどん』(350円)、『ゲソ天』(90円)、『生卵』(30円)、をオーダーして、セルフ店ですので、お盆をカウンターに載せて待っていると、私のひとつ前に並んでいた若いカップルが、何にするか迷っているのです。
一目見て、県外から来た人だと直感しましたが見ていると、女性が『釜玉うどん』を注文しているのです。すると、店員さんが、「釜玉うどんはちょっとお時間がかかります。」と答えていて、その女性は、「えーーーっ。」と言っていたので、私はすぐに割り込みました。
「高松にうどんを食べにいらしたのですか。はじめてですか。」と聞きました。
「はい。」
「だったら、この店は、香川県で一番、肉うどんか、肉ぶっかけうどんが安くて美味しいので有名ですから、香川県民はほぼ全員、この店ではそちらを食べますから。350円ですけど、ここの1玉は他の店の2玉弱ですし、肉が牛も豚も、讃岐牛と讃岐豚のブランド肉ですから美味しいですよ。」
「牛か豚か選べるのですか。」
「はい。肉の量は豚にすると牛の倍くらいですから、お腹の状態で選べばいいのですよ。」
「すごいですね。」
「まあ、ここは、うどん県の県庁所在地ですから。だから、この5軒隣の東京からやってきた『吉野家』も高松市民は食べに行かないで、こちらで肉うどんを食べるので、大変みたいですよ。」
「じゃあ、私、牛肉のぶっかけうどんの冷たいの。」
こうしていると、彼女の隣にいた、男の子もオーダーを変更して、『冷たい牛肉のぶっかけうどん』にしました。
こうして、私が食べていると、その二人は食べ終わってすごく美味しかったので、御礼を言いにきたので、私はつけ加えました。
「釜玉うどんは、茹で上がったばかりのうどんに生卵を絡めないといけないから時間がかかるんだよね。でも、どうせ待つのだったら、釜玉はこの店よりも、ここを出て100メートルほど行った田町商店街に入ったら、『はなまる本店』があるけど、ここは、香川県で一番不味いうどん屋だから、そこに入らずに少し行って右折すれば、『正家』という店があるから、そこが、高松市内では、釜玉は一番美味しいよ。だって、マスターの藤本さんが『山越』の一番弟子だからね。」
「有難うございます。すぐに行ってみます。良くご存知ですね。」
「うどん県民は全員知っているよ。だって、こんな田舎、個人情報なんてないからね。」
「ハハハハハ・・・」
「どこからいらっしゃったの。」
「千葉県です。」
「そんな遠くからですか。でしたら、いっぱい、うどん食べて帰ってくださいね。」
・・・・・こうして、一緒に写真をとってください、とのことで、デジカメに写してもらって、その千葉のカップルとお別れしました。
そうしていると、アナゴの天麩羅が山のように揚がってきたものが、カウンターに並んだので、メチャクチャ大きいアナゴ一本の天麩羅が90円なので、追加でいただいていましたら、今度は随分お年を召されたおじい様が私の隣に座って、かけうどんを食べ始めました。そして、話しかけてきたのです。
「ここは、美味しいんやけど、量が多すぎるけん、いかんのう。多いやろ。」
<私は直ちに讃岐弁に変えました。>
「へえ。ほんまに多いのう。他の店の1.5玉はありまっせ。ほんだけん、わしはいつも冷たいうどんにしたら伸びんけん、冷たいうどんにして、ゆーーーっくり食べるんじゃあ。美味しいもんは、ゆーーーっくり食べても美味しいはずやけんのう。ほんだけど、ここのダシは美味しいのう。」
「ほんまに美味しいダシや。わしは、ここが高松では一番好きじゃあ。ほんだけど、あんたが食べよる肉うどんやら、天麩羅うどんは油っこいけん好かんのじゃあ。」
「ほんだけど、うどんだけでは栄養が偏りまっせ。たんぱく質とらないかんけん、油っこいのが嫌いなら、練り物のさつま揚げと温泉卵を載せたらええで。」
「ほーなー。」などとお話していると、カウンターの中から、新しく入ってきた若い女性店員が、「いらっしゃいませ。」と、客席に向かって声をかけたのでした。するとそのおじいさん、
「可愛げな子じゃのう。」と言ったのですが、私は可愛いとは思わず、隣の若い男の子の方が可愛いと思ったので言いました。
「そんなに可愛いかいのう。わしは、隣の男の子の方がずっと可愛いと思うで。」と言いました。すると、そのおじいさんから、
「あんた、おなご嫌いなんなあ。」と返って来たので、
「可愛いかどうかに、男も女もありますかいな。ブサイクなものはブサイクでっせ。」と言っていたら、なんとなんと、想像を絶するほどブサイクな一人のおばちゃんが、ざるうどんを持って向かいに座ったのでした。
そして、おじいさんと私に話しかけてきたのでした。
「ひょう、ひょうが降っりょるでえ。えらいこっちゃ。どないしまっせ。」と言うのです。
そこで、私は、「ほーなー、ほーなー。」と聞き流していたら、空から氷の塊が降ってきて死ぬかと思った、とのことでしたので、
「ほんだけど、おばちゃん、生きとるでないんな。それだけしゃべれたら大丈夫大丈夫。」
と言って、おじいさんに目配せして、私も一緒に出店しました。
そして、「あんたの言うとおりじゃ。あんなブサイクなおなごはいかんのう。食べる気が失せた。」と言うおじいちゃんとお別れして、私は(店内が禁煙なので)ベンチに座って、一服タバコをいただいてから自転車に乗りました。
アーケードを出たら、ひょうと雨はすっかりやんでいましたので、そのまま帰宅しました。
掲載写真は、「綿谷製麺・高松南新町支店」の、『冷たい肉ぶっかけうどん』(350円)、『ゲソ天』(90円)、『生卵』(30円)〔しめて、470円〕のブランチです。

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2012年08月30日
消費税値上げが小異だという阿呆について

この時期には、例年だと、早明浦ダムの貯水率が低下して、取水制限などがかかるのですが、今年は、台風の影響で雨が降ったため、今日、貯水率が100%になりました。
ずっと断水に悩まされて来た高松市民としては、嬉しいことなのですが、連日の暑さと共に、異常気象なので、複雑な思いですね。
節電意識の浸透から、当然の成り行きですが、四国電力は、4~9月期の純損益が、180億円の赤字になる見込みで、伊方原発は再稼働出来ないでしょうから、13年3月期には1千億円程度の経常赤字が見込まれるそうです。
まあでも、潰れないからよいのです。
が、コスモ石油が突然坂出から引揚げたり、宇多津ビブレに併設するホテル「セント・カテリーナ宇多津」が8月31日で閉鎖することになるなど、不景気の波が四国にも押し寄せてきています。
こういう時期こそ、「温故知新」がとても大切になるのですが、香川県内の創業100周年を超える老舗企業は401社もあるので、歴史の古い「うどん文化」と相まって、香川県はやはり素晴らしい場所だな、と再確認しています。
今回、発表された、香川県内で一番歴史のある企業は、本能寺の変が起こって織田信長が殺された1582年創業の、高松市朝日新町の、波多野塗料で、430年も歴史があるので、すごいなあ、と再確認しています。
また、さぬき市では、この週末の9月2日に、さぬき市出身の平賀源内作の農村歌舞伎「神霊矢口渡(しんれいやぐちのわたし)」の上演と、平賀源内をテーマにしたシンポジウムが開催されます。
このような歴史のある文化的視点に立っていると、今の、永田町のゴタゴタはいったい何だろう、と思いますね。
自民党の谷垣さんも、民主党の野田さんも、平賀源内や弘法大師を乗り越えて歴史に残ることは、絶対にありえないことだろうと確信しますね。
永田町の出来事などは、異常気象のようなものです。
目先の自分の所属する政党と自分の利益しか考えていないような人達の集まりなのですから。
ただ、異常気象は、全ての生物の生存に関わる問題ですから、全ての人間は等しく興味を持ちますが、政界がどうなろうと、人の生存には関わりませんから、興味はなくなってしまうようですね。
今度、選挙があったとき、投票率がどこまで落ちるかが一番重大な問題でしょうね。
投票率が落ちるということは、しかとをする国民が増えているということですから、いじめを助長しているのですよ。
そのあたりの、人間同士の絆を国会議員の皆様は考えてお仕事をしていただかないといけませんね。
掲載写真は、今日のお昼ご飯の、近所の高松市番町「やま家」の『おろし冷かけうどん』、です。
ここのイリコのきいた、かけだしは、澄み切っているのですが、重要な役割は果たしています。
永田町の皆様も、ちょっと、「やま家」の『おろし冷かけうどん』のだしを見習って、ただ、濁りきっているだけで、何の役割も果たしていないような現状は脱却していただきたいものですね(笑)。
まあ、問責決議のためには消費税値上げも平気で取り消すようなことをして、「小異を捨てて大同に就く」などとうそぶいている大変頭脳明晰な方もいらっしゃるみたいですから、もう、どうでもいいですけどね(爆)。

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2012年08月29日
「讃岐でんぶく ふぐ弁当」

先週、東京から遊びに来た旧友と久しぶりに会ったところ、とても興奮していて、「高松って、うどんだけじゃなく、フグも安いね。」と言っていたので、私は、爆笑しました。
「だって、すぐ目の前が海で、フグなんか捕れるんだから、仕方ないじゃない。それに、駅弁の分際で、1100円もするなんて生意気だよ。」と。
彼は、JR四国グループ企業の、高松駅弁が、2012年7月から地産地消の駅弁として、販売開始した、「讃岐でんぶく弁当」が1100円であることに感激していました。
『讃岐でんぶく』は、香川県民にとってはいちばんなじみの深い、備讃瀬戸内海で捕れる、ナシフグのことで、お吸い物や煮物にしたり天麩羅にしていただく、日常的な魚ですが、全国的にはとても珍しいフグなのだそうで、彼は限りなく感動していました。
「讃岐でんぶく ふぐ弁当」は、『讃岐でんぶく』の煮付けと塩焼きを、香川県産のヒノヒカリの炊き込みご飯の上にのせ、しょうゆ豆やえび天などがを添えてある簡素な駅弁なのに、1100円もするというのは、香川県民の私は、高いなあ、と思うのです。
なぜなら、この前、東京スカイツリー・ソラマチに、支店をオープンした、高松市牟礼町の「うどん本陣 山田家 本店」に食べに行けば、素晴らしい日本庭園を眺めながら、美味しい「釜ぶっかけうどん」(600円)に添えていただける、揚げたての、『讃岐でんぶくとかきの天ぷら』が、680円ですので、そちらの方が、絶対に美味しいと思ったからなのです。

さすがに、高松市内の、激安セルフうどん店に、『讃岐でんぶく』の天麩羅はありませんが、この駅弁が1100円するというのは、高いと思います。
まあ、うどん県では、全ての天麩羅は、イリコダシのうどんに合うかどうかで判断されますから、仕方ないですね(笑)。
掲載写真は、順に、「高松駅弁」の売り出した『讃岐でんぶく ふぐ弁当』、「うどん本陣 山田家 本店」の『讃岐でんぶくとかきの天ぷら』、です。

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2012年08月29日
どの国にも阿呆な犯罪者はいますね。
中国の丹羽大使が襲われた事件などもあり、中国や韓国との領土問題で物騒な状況になっています。
日本が島国で中国や韓国が大陸の国家であることは、何千年も前から決まっていることですし、その中でそれぞれの歴史を育んで来ているのですから、領土問題に関する危機感が決定的に異なっていることは、歴史的な絶対的事実で、日本国民は高校時代までに全員が歴史教育で勉強している一般教養なので、今さら驚くことでもないのですが、阿呆な民放コメンテータがガタガタ騒いでいるのは、本当に呆れることですね。
丹羽大使を襲った中国の犯罪人のような輩は、どの国にもいるのです。日本にも大津市の中学生のようなものがいますから、「中国人はどうしようもないクズだ。」と十把一絡に言うことは間違っています。その証拠に、日本人も全員、大津市の中学生やその親と同列のレヴェルの人間だ、と言われることは迷惑な話ですからね。
犯罪人は直ちに逮捕すればよいだけのことです。
石原都知事が言っている、「尖閣を守るには、日本人が、尖閣のために血を流す覚悟を持たなくてはならない。」ということは、確実に必要なことです。危機感を持って大陸にある各国とは接さないといけないことはあたり前のことですからね。
しかし、この言葉の意味の拡大解釈を平気でするようになると、戦争になるので注意が必要です。
『血を流す覚悟を持つ』と、『血を流すこと』は、全く別の意味です。『血を流すこと』しか出来ない人達は、全員殺人犯であることを肝に銘じないといけないのです。
三国の国民が全員、『血を流すこと』の大好きな人たちならば、すぐに戦争になることは、過去の歴史的事実から明確なのですから、冷静に判断すればよいことなのです。
冷静さを、ドジョウ総理は、「クールに対応する」という似つかわしくない言葉で表現していますが、あの男に理性やクールさがあるとは日本人は誰も思っていないところが、日本の悲劇ですね。
困ったことです。

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日本が島国で中国や韓国が大陸の国家であることは、何千年も前から決まっていることですし、その中でそれぞれの歴史を育んで来ているのですから、領土問題に関する危機感が決定的に異なっていることは、歴史的な絶対的事実で、日本国民は高校時代までに全員が歴史教育で勉強している一般教養なので、今さら驚くことでもないのですが、阿呆な民放コメンテータがガタガタ騒いでいるのは、本当に呆れることですね。
丹羽大使を襲った中国の犯罪人のような輩は、どの国にもいるのです。日本にも大津市の中学生のようなものがいますから、「中国人はどうしようもないクズだ。」と十把一絡に言うことは間違っています。その証拠に、日本人も全員、大津市の中学生やその親と同列のレヴェルの人間だ、と言われることは迷惑な話ですからね。
犯罪人は直ちに逮捕すればよいだけのことです。
石原都知事が言っている、「尖閣を守るには、日本人が、尖閣のために血を流す覚悟を持たなくてはならない。」ということは、確実に必要なことです。危機感を持って大陸にある各国とは接さないといけないことはあたり前のことですからね。
しかし、この言葉の意味の拡大解釈を平気でするようになると、戦争になるので注意が必要です。
『血を流す覚悟を持つ』と、『血を流すこと』は、全く別の意味です。『血を流すこと』しか出来ない人達は、全員殺人犯であることを肝に銘じないといけないのです。
三国の国民が全員、『血を流すこと』の大好きな人たちならば、すぐに戦争になることは、過去の歴史的事実から明確なのですから、冷静に判断すればよいことなのです。
冷静さを、ドジョウ総理は、「クールに対応する」という似つかわしくない言葉で表現していますが、あの男に理性やクールさがあるとは日本人は誰も思っていないところが、日本の悲劇ですね。
困ったことです。

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2012年08月28日
「うどんだけじゃなく、野菜もね」運動

8月31日の野菜の日を前にして、香川県では、「うどん県。うどんだけじゃなく、野菜もね」運動、が、香川県庁、本場さぬきうどん協同組合、を中心に展開されることになりました。
というのも、香川県内の成人一日当たりの野菜摂取量(2006~2010年の平均)は、男性が266グラム(全国ワースト2位)、女性は229グラム(全国ワースト1位)、であるためで、香川県は、目標値を350グラムに定めて、野菜不足を解消する運動を展開することになりました。
8月31日には、高松市中央商店街の北部三町ドームで県民の野菜不足を解消するために考案した『さぬき野菜うどん』の無料試食が行われます。試食は午後2時からで、試食した人には野菜を携帯するための「トマトケース」が配られます。
また、さぬき市大川町のセルフうどん店「まなぶ家」では、来店者先着30人に地産のナバナ(菜の花)にレシピを付けてプレゼントし、1日350グラム以上の野菜摂取を啓発するパンフレットの配布を開始しています。
香川県庁の外郭団体の「本場さぬきうどん協同組合」は、『野菜うどん』を考案し、5種類以上の野菜を100グラム以上使用することを条件としましたので、今後、香川県内の全てのうどん店で、『さぬき野菜うどん』が、8月31日から販売開始となります。
これで、香川県内は、全てのうどん店の協力によって、県民の野菜不足は解消されますが、香川県の野菜不足は以前から問題でしたので、いろいろなお店で既に、野菜を存分にとれるうどんが開発されています。
香川県内では、冬場は、根菜類をイリコダシでたくさん煮込んだ「しっぽくうどん」が食べられているのですが、暑い夏場はなかなか、野菜のたくさん入ったうどんメニューがなかったのです。

そのため、高松市天神前の「高雄」では、『冷やししっぽくうどん』を、高松市朝日新町の「たも屋」では、『夏野菜カレーうどん』を開発して、この夏場、大変に人気が出ています。また、丸亀町の「明石家」などのセルフ店では、以前から青汁を販売していました。
しかし、今回のキャンペーンのもう一つの特徴は、出来る限り、地産地消にするところのようですので、うどん職人さんの腕が試される機会になっています。
私の行きつけのお店も、8月31日から、『さぬき野菜うどん』を新発売するそうですので、どんなうどんが始まるのか、とても楽しみですね。
香川県は、野菜や果物は全般にいろいろ取れるのですけど、ニンニクの生産が、青森県について、国内第2位ですので、もしかしたら、ニンニクうどんのようなヘルシーメニューも出るかもしれませんね。
掲載写真は、順に、「たも屋」の『夏野菜カレーうどん』、「高雄」の『冷やししっぽくうどん』、です。

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2012年08月25日
『古いアルバムめくり』

「涙そうそう」の歌詞の頭、『古いアルバムめくり』は、時々、私の亡き母の命日にやっていることです。
写真を見ても何も感じない人は感じないようですが、私はいろいろ思い出します。
特に、小さかった頃から若い頃までの、高松で私がピアノを弾いている写真は、石井先生のピアノの発表会など、全て、母が撮ってくれたものです。
掲載写真は、その中では最後のもので、1980年6月15日、高松国際ホテルでの従兄弟の結婚式にて、ショパンの「バルカローレ OP.60」を演奏している時の、懐かしい懐かしい写真です。
私が、早稲田大学政経学部を卒業して、住友信託銀行に入社したばかりの、23歳頃の写真です。
大学2年の19歳の頃、東京都武蔵野市吉祥寺でアマチュア作曲家の仲間と作って始めた「ピアノと遊ぶ会」で、いろいろな活動を開始しましたが、当時は、私自身の演奏の興味がピアノソロから室内楽に移った頃でしたので、ピアノソロの作品で演奏していたものも、ドビュッシーやフォーレのごく一部で、ショパンの作品では、この、「バルカローレ」くらいしか興味がなかったので、これを結婚式で演奏してあげようと思って帰省したものでした。
が、どうしても、「英雄ポロネーズ」が聴きたい、という従兄弟の新婦の方のリクエストで、いやいや、演奏したことを思い出します。
「バルカローレ」は、非常に評判がよかったのですが、それは、一緒に演奏した、「英雄ポロネーズ」なんて、演奏したいなんて、微塵も思っていなかったためですね(笑)。
演奏したくない作品を演奏するなんて、拷問でしたから、あたり前のことなのですが、そのうち、いろんな自作自演などの演奏機会を経験して、ステージに立ったときには、自分の希望などを露骨に演奏結果に出すことは、いけないことだと感じて、改善されました。
・・・・・このように、実際にライブにぶつかって、自分で、これはいけないなあ、と感じたものは直して来るという、私のスタイルは、自分が納得しているので、よいことだと思います。
第一、演奏にかけるモチベートの上下の操作を、他人の命令でやるなんてことは、音楽性に致命的なダメージを与えると思いますから、演奏現場で、聴衆の方の反応で受け取った方が、必ず、いい結果になると感じています。
演奏した後の聴衆の反応には、いろんな思い出があるのですが、私は、日本での聴衆の反応が一番よかったと思います。
高校2年の時、留学していたシアトル・USAで、オールショパンプログラムで、シアトル市長宅でコンサートをやってくれたのが、私にとっては初めてのコンサート機会でしたが、アメリカのダイレクトな反応・一曲一曲、スタンディングオベイションがあったり、ブーイングが来たりすることは、自分の能力を過信している演奏家にはよいことなのでしょうけど、日本人の私は、あまり記憶に残るほどのものでもないですね。
そんなものよりも、高松Uターン後の2001年、岡山後楽園で江守徹さんなどの朗読と自作のコラボで、「岡山後楽園築庭300年祭」に出演した前半でピアノソロをやった中で、晩年の母が聴きに来ていたので、母の大好きなシューマンのトロイメライは入れましたが、アレンジメドレーの中で、大正時代の唱歌「浜辺の歌」と、尾崎豊の「アイラブユー」をフーガにしてやったところ、最前列に座っていらっしゃった、岡山の、全く知らない、おばあ様が、「浜辺の歌」を口ずさんで下さったので、私は直ちに、フーガをやめて、尾崎豊を捨てて、「浜辺の歌」だけにしたものです。
いきなりアドリブでフーガにすることは出来ませんが、フーガで準備していたものを、一本のメロディーラインにすることなどは簡単なことですから、それでいいのです。
また、倉敷御園旅館でコンサートをやった中で、11月だったので、チャイコフスキーの「四季」の『トロイカ』をやったら、聴きにいらして下さっていた、倉敷コンベンションビューローの河上先生が泣いていらっしゃるので、訳を聞いたら、初恋の思い出の作品だ、とのことで、リクエストされましたので、喜んでもう一回演奏したものです。
このようなリクエストは、ショパンの「木枯らしのエチュード」や、リストの「マゼッパ」を演奏した時に、メソッドを見て、リクエストがかかるのよりも、はるかに嬉しいと、私は感じます。
だって、ピアノ演奏はスポーツじゃないのです。勝ち負けは絶対にないですし、人間は、指が動くことに感心しても感動はしないからです。
感心したいためだけに演奏を聴いていると、感動経験がなくなりますので、自分の耳が感じたことを、言語に変換することが出来なくなりますので、頭は悪くなりますね。
「キモい」「キショい」「ムカツく」「ウザい」「ヤバい」などという日本語は、頭の悪い人達が多用しているようですね。
そして、このような言語でしか感想の言えない自分の表現力のなさや頭の悪さを隠すために、「自分は空気が読める」と思っているのですから、大変におめでたい方です。
まあ、言葉で何を言っても、音楽の存在はびくともしませんから、OKなのですけど、楽譜を元に演奏している皆様は、随分ひどい言葉の渦に巻き込まれて大変だろう、と感じております。
そのうち、ライブ演奏への感想が、「キモい」「キショい」「ムカツく」「ウザい」「ヤバい」、のような無意味な言語でのみ表出されるようになったら、地球は『猿の惑星』になってしまうことでしょう(笑)。

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2012年08月25日
久しぶりの朝うどんのはしご

「あのさあ、ずっとうどんを熱湯に漬けていると、うどんのこしがなくなっちゃうよ。」
と私は、隣に立っているその若者を注意して、テボに入ったうどんを湯切りして丼に入れるよう、ご案内しました。
その若い彼は、明らかに県外からいらっしゃっていたようでしたが、やり方がわからないまま、かけうどん1玉分のうどんの麺を丼からテボに入れたものの、熱湯に漬けてやり方がわからないのでそのままにしていました。
たぶん初めて香川県にいらして初めてセルフうどん店に入ったのでやり方がわからなかったのでしょう。
そして、そのあと、ネギ、しょうが、天かす、ゴマを入れて、大きなタンクから水道の蛇口のようなものをひねると出てくるイリコダシのことをご案内し、私は席について食べ始めました。彼は、かけうどんを私の隣に座って食べ始めました。
今日は土曜日なので、朝うどんも県外から食べに来る人が多いので、よくあることなのですが、意外に、うどん県のセルフうどん店でのやり方を知らない人がまだいらっしゃるのですね。
私はこのあと続けて、デザートにつめたいかけうどんを近所の別の店で食べるつもりでしたので、
「じゃあね。ぼく、出るから。あと、天麩羅はこの店は全部統一価格で、一つ80円で高松市内では一番安いから、天麩羅を買って載せると美味しいよ。イリコダシは、あそこの蛇口ひねると出てくるし、無料で飲み放題だから。」と言って出ました。
今朝の、私の自宅近所の、讃岐うどん店「さか枝」でのことでした。
今朝早く5時に起きたところ、とてもよく晴れていました。
この時間だとまだ涼しくてよかったので、暑くなる前に、と思い、朝うどんを食べに、自転車で「さか枝」に行った時のことでした。

こうして、「さか枝」を出た私は、朝6時半開店の、「こだわり麺や・高松支店」へ、デザートの冷たいかけうどんを食べに行きました。
土曜日の朝は独特で、県外客もたくさんうどん店にいらしていますので、「さか枝」同様、「こだわり麺や・高松支店」も満席でした。
こうして食べて帰宅したら、まだ7時過ぎでしたので、ピアノを弾いたりしてから、ひと眠りしました。
掲載写真は、順に、「さか枝」の『かけうどん』(170円)、『アナゴ天』(80円)、『稲荷寿司(2コ)』(120円)〔しめて370円〕の朝食、と、「こだわり麺や・高松支店」の『冷たいかけうどん』(190円)のデザート、です。

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2012年08月25日
キムチ 対 白菜の浅漬け

竹島の不法占拠に関して起こった、李明博韓国大統領の天皇陛下“侮辱発言”について、日本の野田総理は、「わけがわからない」と言っていますが、こんなもの簡単なことですよ。
あのような軽率な発言をしたのは、キムチの食べ過ぎにより精神状態がおかしくなって気がふれているためです。
ですから、まじめに対応する必要などは全くありません。
韓国の大使館を日本から追い出し、今後の韓国の言動を全て無視すればよいのです。
でも、野田総理は阿呆ですから、是非是非、O157に強いキムチではなく、O157に汚染された白菜の浅漬けをたくさん召し上がって死ねばよいのです。

本当に、下らないニュースが多くて困りますね。
無能な人間が大統領や総理になるとこのようなことが日常茶飯事になるのです。
野田総理は就任当時から、自分に華がないので、泥臭くドジョウのようにやってゆくようなことをおっしゃっていましたが、あの男は「華がない」のではなく、「ブサイク」なのです。
「華がない」ことと「ブサイク」なことは、全く意味が違うのです。日本語は正しく使ってもらわないと困るのです。
天皇陛下は日本の象徴です。天皇陛下を侮辱したということは日本国民を侮辱したことなのですから、韓国に思い知っていただくほかないのです。
経済成長が順調などということは、マクロ経済学においては短期的な出来事に過ぎないのです。つまり、ストックではなくフローに関することに過ぎないのです。
ストックの領域には、貯蓄や資産などだけでなく、毎年のフローの歴史も含まれますので、マクロ経済全体では、日本の方が韓国のはるかに上ですから、このあたりを、韓国に思い知らせばよいのです。
すなわち、日本政府は、日韓通貨スワップ協定を破棄し、韓国国債を売却し、日本製品の対韓輸出は、O157入りの白菜の浅漬け以外の全て停止しすればよいのです。これはすぐに出来ます。
これでも、韓国が竹島の不法占拠をやめないのならば、国交を断絶し、文化的な交流も全てやめればよいだけのことです。
天皇陛下を侮辱すること、つまり、日本国民を侮辱することは、大変な事態になりかねないのですが、その責任は全て、キムチを食べ過ぎた韓国大統領にあります。
日米安保条約などどうでもいいのです。国連を使えばよいのですから。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのです。
この格言は、孔子の「論語」からの言葉ですが、共産党のプロレタリア独裁政治の下にある中国では義務教育の不徹底により、今の中国の人民全員が知っている格言ではないので、日本国内で多用されています。
従って、中国から孔子の「論語」が日本に入ってきた頃から、日本は、これを謙虚に受け入れたため、今の状況になっているので、中華料理や漢方薬において多用される、「中国3000年の歴史」という程度の歴史の中の出来事なのです。
ですから、3000年程度の歴史の中で生まれた孔子の言葉を韓国に投げかけてもいっこうにかまわないのです。
従って、李明博韓国大統領か、この格言を、正しく理解したらなば、キムチを食べすぎた自分を恥じることは間違いありませんから。大丈夫でしょうね。
掲載写真は、順に、天皇陛下“侮辱発言”をしたあと、自分と自分の親戚縁者の利害が確保されたことで大喜びの、李明博韓国大統領、ドジョウすくいを踊っている時の日本の野田総理、という二ヶ国の、どうしようもなく阿呆で煩悩の塊のトップです。

そして、3枚目の写真は、この二人の阿呆政治家を、フェアープレイの精神で、一本で倒して欲しい、と私が願っている、日本の柔道の金メダリストの、柔道家の松本薫女史が試合直前に気合いを入れている時の様子、です。
金メダルの松本薫女子は、銀座大パレードの後に、「工事現場のおっちゃん、仕事せんでも大丈夫なのかしら。」と、天真爛漫におっしゃっていましたが、この言葉、そのまま、野田総理に投げかけて欲しいですね。
「野田総理、仕事せんでも大丈夫なのかしら。」と。

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2012年08月24日
原子力発電所と心中したい皆様へ

日本国内には、原子力発電所と心中したい皆様がたくさんいらっしやるので、原子力発電所が日本国内で止まることは未来永劫なさそうですね。
原子力発電所と心中したい皆様、というのは、つきつめれば、お金儲けをしたくてたまらない皆様、お金のためならば人の命なんかどうなってもいいと思っている皆様、日本国民が全員放射線を浴びて死ぬまで自分がお金儲けをしていたいような、鬼畜のような金の亡者のことです。
従って、人間ではないのですが、日常的には、巨額の富を築いた、勝ち組、と、自分達の存在を正当化しているだけの物体です。
このような物体は、感受性や才能が決定的に欠落していますので、放射線で消滅しても、人間の歴史には全く影響しない程度の、浅薄者なのですが、経団連の中にたくさんいるようなので困りますね。
このような浅薄者に、アーティストの私は申し上げたいのです。

「今あなたの持っているお金が全部なくなったらあなたの人間としての価値もゼロになるのでしょうから、その程度の物体ならば、歴史的には全く無意味ですから、さっさと消滅した方がいいですね。」と。
少なくとも、周りの人間には迷惑をかけないで、さっさとあの世に行ってもらいたいものですね。
放射線を体内に入れないドリンク剤のような得体の知れないものを販売して詐欺をはたらいてまでお金儲けをしたい人達、そういうまがいものを買ってでも、自分だけは放射線に毒されたくないと買っているような、お金で何でも出来ると思い上がっている人が今の日本にはいっぱいいらっしゃるようなので、日本国民は迷惑しているのです。
ともかく、原子力発電所と心中したい皆様は、人間社会の迷惑ですので、さっさとあの世へ行ってもらいたいですね。
原子力発電所と心中するのはあなた達の勝手ですが、地球上の他の生命体に一切迷惑をかけないでもらいたいですね。

生命より大切な、個々人の欲得や煩悩のようなものは、この世に存在してはならないのですからね。
掲載写真は、原子力発電所と心中したい皆様方の代表者です。どれもこれも才能のない阿呆面をしていますね。

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2012年08月24日
目指そう「いじめゼロ」・高松・子どもサミット

2012年8月23日に、『高松子どもサミット』が、香川県教育委員会の主催で、香川県内の小中学生でつくる実行委員会の38人が企画運営して行われました。
今回は、小中学生や教員、保護者ら計約700人が参加しました。
このサミットは、2009年に開催されましたが、今般の滋賀県大津市の事件を受け、開催が再開されることになりました。
このようなことが、人口密集地の、東京都や大阪府などの大都市で自発的に開催されるようにならないといけませんが、どうして、そうならないのか、と考えますと、私は、どうも、そのあたりの地域は、香川県よりもエンゲル係数が高いからではないかと感じております。
飲食代が高くなると、人間は、どうしても、明日の飯代を稼ぐことにばかりに興味が行って、殺伐とした状況になるのでしょうね。
首都圏の飲食代が高価であることは、全ての、悪い状況の根っ子にあると思います。
今、少年犯罪について、少年法の改正に伴い、犯罪を犯した少年の更正プログラムをきちんと作らないといけない、ということが議論されていますが、私は、少年の更生プログラムよりも、その少年をしつけ育てた、両親の更正プログラムの方が重要だと思っています。
その点では、このようなサミットに保護者が積極的に出席して、自分の子育てがどうだったかをふりかえる機会にすることが一番大切なことだと思います。
香川県では、セルフサービス讃岐うどん店や製麺所の存在がとても意義のある場所になっていますね。
老若男女関係なく、香川県民の全員が食べに来ますから、高齢者は若い中学生などの子供達に、若い中学生などの子供達は高齢者に、食べ方やしゃべり方を見られているのです。
しかも、セルフサービス讃岐うどん店や製麺所の社長は町内会長ですし、讃岐うどんを始めてくださったのは、香川県民が全員尊敬している弘法大師なのです。
不良学生がローソンの前にたむろしている状況や24時間営業のファミレスでタメ口を叩いている状況とは全く違っていますが、この、うどん店での状況をクリアしないと、香川県民としては認めてもらえないところがありますので、自然にお行儀はよくなるのです。
下記のクルト・レヴィンの、人間の行動心理公式のとおりで、人間の行動は環境と個性で決まるのですが、環境が9割を決定するのです。
B=f(P.E)〔B;人間の行動、P;人間の個性、E;人間の置かれた環境〕
麻薬密売人は、日の出に開店する讃岐うどん店や製麺所にはいませんので、環境がいいのです。
が、真夜中の都心のコンビニには、麻薬密売人がたくさんいるので、環境が最悪なのです。
日本から犯罪を一掃するには、電気を止めたらいいのですから、原発を直ちに止めたって、犯罪が一掃されればよいことなのです。
一刻も早く、瀬戸大橋を全部潰して、本州との関わりを絶つことが、今は、四国にとって大切なことですね(笑)。

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2012年08月24日
福井県永平寺の思い出

思い起こすと、福井県の永平寺にはじめて行ったのは、板前だった祖父に連れて行かれた、高校3年生の時でした。
福井県の永平寺、東尋坊から、石川県金沢市の兼六園までゆく、日本海沿岸の旅でした。
高校生当時の私は、歴史が大好きだったので、京都や奈良にはよく行ったものでしたが、道元の始めた鎌倉仏教の禅宗系の曹洞宗の本山の永平寺が、私の中では、ものすごく大きく印象に残りました。
私自身の経験では、神社仏閣に行った時に、そこに流れている空気の違いを触覚と嗅覚で感知することが一番大切だと思っています。
永平寺の空気は、私がいろいろ行った神社仏閣の中では、一番清々しく、ピンと張り詰めた緊張感の中にありました。
禅宗の教えで明らかなことですが、自らを鍛えて高めて修行をする中で自ら気づかないといけないのですから、「南無阿弥陀仏」というお経や、「南無妙法蓮華経」というお題目を唱えるだけで救われる、という大乗仏教とは全く違っていて、精進料理を食べて座禅を組むなどの修行をして自分を高めることが必須でしたので、そういった緊張感が、永平寺の空気にはありました。

以来、私の人生においては、何か重大な決断をしないといけなくて迷っている時に、永平寺に行くようになりました。
早稲田大学政経学部在学中にも何回か行ったものでしたが、一番記憶に残っているのは、37歳当時、肝硬変の末期症状で寝たきりになった、母・岡田直子の介護のために、東京から高松にUターンするかどうか迷った時に行った時でしたね。
もちろん当時の私は、東京、大阪の住友信託銀行での仕事と、日本アマチュア演奏家協会理事としての音楽活動で疲れていましたので、北陸方面の温泉につかることも大切だったのですが、この時の北陸方面への旅で一番大切な目的は、高松にUターンするかどうかを自分の意志で決めることでした。
まあ、その結果、永平寺の空気に触れて、高松にUターンすることを決意してUターンしたものでした。
以後、高松で母の介護をして2006年に母が死去するまで介護して、自分の生き方に後悔しないように出来たのは、全て、永平寺の空気の中に自分を置くことが出来たお陰でしたので、とても感謝しています。
そして、2012年の今日、母の死去からだいぶたったのですが、、楽天市場で見ていたら、永平寺豆腐店、というものが出ていて、精進料理を販売していましたので、早速、購入して宅急便で送ってもらいました。
冷凍便で送られたこの中に、懐かしい懐かしい、「ごま豆腐」が入っていたので、自然解凍したこれを、毎朝いただいてから、近所の讃岐うどん店に行って、弘法大師の始めてくださった「うどん」を感謝していただくようにしています。
私の自宅の宗派は、鎌倉仏教の大乗仏教の浄土真宗西本願寺派なので、母は、京都の西本願寺の大谷廟に分骨しているので、平安仏教の「真言宗」と、鎌倉仏教の禅宗の「曹洞宗」、鎌倉仏教の大乗仏教の「浄土真宗」がごちゃ混ぜなのですけど、私自身が納得しているのでOKだと思っています。

私自身は、広義での、仏教徒で、イスラム教徒やキリスト教徒ではないのです。
掲載写真は、順に、永平寺の中で記憶に深く残っている、お堂、長い階段、緑深い広い境内の杉の木、です。
特に、37歳で訪れ、長い階段を歩いた時、私の耳の奥では、フォーレの「レクイエム」の『リベラメ』が鳴っていましたので、私は、「リーベラーメードーミネーーー」と歌いながら歩いたものでした。
2012年08月23日
暑い日は噛まないでいい、うどんがいいですね。

「酷暑の東日本・不安定な西日本」が続いています。
高松市は晴れている時、豪雨の時、曇っている時が交互に訪れているのですが、基本的に昼間の気温は30度を超し、常時湿度の高い、梅雨のまま暑くなって、そのまま秋雨の時期に突入するという、気分のよくない日々が続いています。
本当に嫌な気候ですが、こういう時は、噛まないでいいものがよいですね。

といった次第で、今日のブランチは、「さぬき麺市場」の『肉ぶっかけうどん』、おやつは、「黒田屋・田町店」の『味付け卵ぶっかけうどん』にして、夕食は、取り寄せていた『讃岐豚肉の角煮』を自宅でいただきました。
こうして、噛まないでいいものばかりいただきましたが、噛まないと体によくないので、夜食に、京都の友人が送ってくれた『鯖の味噌煮』と『大根とニシンの麹漬け』を、よく噛んでいただきました(笑)。
掲載写真は、順に、「さぬき麺市場」の『肉ぶっかけうどん』、「黒田屋・田町店」の『味付け卵ぶっかけうどん』、です。

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2012年08月23日
ほっとする、「まるいち」の『生醤油うどん』

『生醤油うどん』は、香川県のうどんの原点です。
茹でたうどんを丼に打ち上げ、醤油、味の素、鰹節、ネギ、大根おろし、をトッピングしていただくスタイルです。
うどんが主食だった香川県では、『生醤油うどん』が、他県の、ご飯に相当するもので、他県の卵かけご飯に相当するものが、『生醤油うどん』に生卵を加えた『釜玉うどん』です。
『生醤油うどん』に牛肉のしぐれ煮を加えていただくこともありますが、牛肉のしぐれ煮のような油っこいものを載せる時には、ポン酢を少し加えると、とてもあっさりといただけます。
私の小さい頃から、そのようにすることは、うどん県民としての常識でしたので、ポン酢を置いていない、うどん店や製麺所は一ヶ店もありません。
フランス料理、中華料理、エスニック、懐石料理など、いろいろと食べたりして、消化器の調子が悪くなった時、私は、自分の味覚の原点の『生醤油うどん』に戻ると、ほっとします。
この前、ロンドンオリンピックに出場したアスリートの皆様のインタビューで、日本からご飯を持ってゆかないと実力を出せないと言っていましたが、ロンドンは「オートミール」や「フィッシュアンドチップス」しかないような、食文化の皆無の場所ですから当然ですし、食文化のしっかりした地域でも、日本人には、白飯が必須だと思います。
同様、うどん県民には、『生醤油うどん』は、必須なのですね。

さて、ここのところ、作曲関係の、面会や打ち合わせで、高松市兵庫町の「平安閣」の中華料理、高松市亀井町「マサラ亭」の『シーフードカレー』、高松市木太町2区の「フレンチ・ビストロ・いしはら」の『チーズフォンデュー』、高松市瓦町「越南飯店 món món ça phê」の『ゴクイン(生春巻)』、高松市丸亀町「イタリアン・ビストロ・ヒライ」の『お任せコース』、高松市瓦町「串よし」の『串揚げ』、高松市百間町「篠乃路(しののじ)」の『おまかせ懐石』、などを食べることが多かったので、胃袋がおかしくなっていましたので、うどんをいただくことは、健康上、絶対に大切なことなので、食生活を調整しました。
こうして、昨日の夕方、私は、早い夕飯を、「まるいち・鶴市町支店」でいただきました。
いつものように、『冷やしうどん』『ごぼう天』『高野豆腐天』『ほうれん草のおひたし』などをいただいたあと、もう少し食べたかったので、『箱寿司』にしようかと思ったのですが、『生醤油うどん』にしましたので、胃の調子がよくなりました。

この『生醤油うどん』は、なんと素朴で懐かしい味だろう、と感動しました。こういう食べ物が、まさしく、ソウルフードなのですね。
掲載写真は、順に、うどん県民の私のソウルフードの「まるいち」の『生醤油うどん』、ソウルフードと対極にある、「越南飯店 món món ça phê」の『ゴクイン(生春巻)』、「フレンチ・ビストロ・いしはら」の『チーズフォンデュー』、です。
ソウルフードであることは、それだけで、大変に価値があるのです。
お金を何兆円積んでも、ソウルフードは買えません。自分が生まれてから生きてきた人生の中で発達した味覚、消化器の安定、健康のベースになっている食べ物なのですから、歴史と不可分なのですから、お金で買えるものでは絶対にありません。
掲載写真は、順に、「まるいち」の『生醤油うどん』120円、「越南飯店 món món ça phê」の『ゴクイン(生春巻)』600円、「フレンチ・ビストロ・いしはら」の『チーズフォンデュー』980円、です。
東京スカイツリーの「そらまち」の中の、「うどん本陣・山田家・スカイツリー支店」の、『釜ぶっかけうどん』と、高松の「フレンチ・ビストロ・いしはら」の『チーズフォンデュー』(2~3人前)の値段が、1000円弱で、ほぼ同額、ということは、いったいどういう理由によるものなのでしょうか。
永遠の謎ですね。でしたら、さっさと地方分権していただかないといけませんねえ。
なぜなら、東京のコストパフォーマンスを地方都市が押し付けられることは、地方都市在住者の健康被害を引き起こし、寿命を短くするからです。
時代は変わってしまったのです。首都圏は、全国の地方都市に、衣食住、という人間が生きるうえで必須の部分で大変な迷惑をかけていることを、強く強く、自覚して、謙虚になっていただかないといけません。

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2012年08月22日
四国秘境化のすすめ

今朝、高松市で、12歳の高松市立中学1年の男子生徒が住んでいるマンションから飛び降り自殺をしたとして、問題になっています。
いじめがあったかどうか、学校に徹底的な警察の調査が入るそうです。
大津市のいじめ問題から、今後、全国の警察では、事故であれ何であれ、中学生が高層ビルから落下して死亡したら、必ず、中学校にいじめに関わる捜査が入ることに決まっているようで、誠に良いことです。
なぜなら、今の中学生の親の世代が、きちんと子供をしつけられない、欠陥両親なのですから、このようにしないと、社会の公序良俗が保てない状況なのですから、いたしかたありませんね。
香川県警は、本州方面からのこのような悪影響が四国に入る前に、徹底的に叩き潰していただかないと困りますね。
また、宇高国道フェリー(宇高うどんフェリー)は、景気低迷などによる利用者減に伴い、ついに、2012年10月18日から、運行停止することになりました。
経営母体の高松の企業は、本州の企業のように、従業員を平気でリストラするような悪辣起業ではありませんので、従業員約80人を関連会社に配置転換することを、まず第一に考えているため、運行停止は、このように事前告知されることは、高松では普通の出来事です。
・・・・・以上の様な事態が今日の高松では起こりました。
賛否はどうあれ、私は、これらの事態はよいことだと思っています。

この先、瀬戸大橋もはずしてしまえば、四国は、モラルの欠如してしまった、自堕落な本州の悪影響を受けないですみますから、人間らしく時代を生き残ってゆけるだろうと、私は思っています。
それにしても、秘境にならないと、モラルが守れないとは、日本も随分、後進国に堕落したものですね。
まあ、四国は、もともと、流罪人の島流し先のような僻地だったのですから、これでよいのです。
特に、香川県は弘法大師の出生地という長い長い歴史がありますので、セシールや加ト吉のような、拝金主義だけのモラルのない企業は、ことごとく倒産しているという、社会正義に正しい歴史を歩んでいますので、霞ヶ関ごとき、歴史のない成り上がり地域とは全く違いますので、一緒にされるのは真っ平なのですよ(笑)。
・・・・・そんなことを思いながら、私は、雨の降っている高松で、今日のブランチを、「さぬき麺市場」でいただきました。いつもどおり、素晴らしく美味しかったですよ。
掲載写真は、「さぬき麺市場」でいただいた、今日のブランチで、順に、わかめうどん(290円)、鶏の天丼(250円)〔しめて540円〕、です。
無料のトッピングの、大根おろしとすだちを、箸休めにとっていただきましたので、栄養的にも、ベストでした。

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2012年08月21日
「こだわり麺や・高松支店」の『ひじき煮物入り稲荷寿司』

今日の高松は気温は昨日より低くなりましたが、湿度が高く蒸し暑い状況でした。
このような過ごしにくい気候は当分続くのだろうと思いますね。
従って、今日も、『冷たいかけうどん』をいただきたかったので、「こだわり麺や・高松支店」に行って、いただくことにしました。
今日は、朝9時で、サービスタイムになっていたので『冷たいかけうどん』は、150円でしたので、『鶏肉の天麩羅』(120円)、『ひじきの煮物入り稲荷寿司』(150円)と一緒にいただきましたので、しめて420円のプラン地でした。
いつも思うのですが、ここの、稲荷寿司やチラシ寿司の酢加減は抜群なのです。
特に、稲荷寿司には、『キンピラ入り稲荷寿司』など、いろいろなお惣菜の入ったものがあるので、とても楽しいのですが、入っているお惣菜ごとに酢加減を調節しているので、いつも感心します。
『ひじきの煮物入り稲荷寿司』は初めてでしたが、本当に美味しかったので、感動しました。
掲載写真は、「こだわり麺や・高松支店」の『冷たいかけうどん』『鶏肉の天麩羅』『ひじき煮物入り稲荷寿司』、です。

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2012年08月20日
55歳で独身、っていけなんだろうな

「55歳で独身、っていけなんだろうな。」と感じる今日この頃です(笑)。
たぶんね、「55歳で独身」っていうのは、変なんだろうな、って感じています。
バツイチは別ですよ。でも、結婚未経験で55歳、っていうの、って珍しいのでしょうね。でも、ぼくはぼくの生たいように生きているのですから、後ろ指をさされたからと言って、生きることを停止する必要は全くないと思っています。
結婚観というものは、人それぞれなのでしょうから、いろんなことを思い出すと、どうして、結婚したくないと思ったか、っていうと、ぼくの場合は明確に、父親が女遊びが派手だった、という実体験が根っこにあるようなのです。
「不倫は文化だ」とおっしゃる芸能人もいらっしゃるようです。が、「不倫が文化」になるのは、結婚している当事者の問題であって、両親が不倫しまくっている時の子供は不幸だと思います。
結婚して出来ている家庭が崩壊してゆくことを見て一番ショックを受けるのは、間違いなく、子供ですね。
もちろん、私は不幸だと思ったことのないオプティミストなので生きているのですけど、無意識のうちに、結婚に対する不信感と、父親の愛を求めてもかなわないことから来る孤独感をベースに生きてきました。
まあ、人それぞれなので、そういう、両親が不仲の不幸な家庭で育った人は、幸せな家庭を築きたい、と思って、結婚して幸せな家庭を作る人もいらっしゃると思います。
でも、私の場合は、室内楽の作曲や演奏をずっとやってきたので、そういう部分の欠落感は、音楽で補えましたので、あまり気にせずに生きて来れました。
こういうことから、私は、今、私の子供や孫の世代にいらっしゃる若い皆様のことが、いつも気になってしまいます。
で、そういう若い人たちと仲良くなることが多いのですが、会っておしゃべりしたりしていると、いつも、もう自分が若くないことを、再確認します。
55歳になるとですね、この世で出会う人のほとんど全ては、私よりも年下になるのですから、そういう事態には慣れてしまいました。
で、自分より年下の若い人達が頑張っていると、どうしても、応援したくなってしまうのです。その結果、年下の若い友人が多いのですが、そういう人達から結婚したいと相談を持ちかけられたときの私の気分は、実に実に、複雑なのですよ。
突き詰めると、その若い彼らが結婚してもしなくてもどっちでもいいのです。が、もし、全ての若者が結婚せずに子供を作らなくなってしまったら、人類は滅びますから大変なことなのです。
しかも、若い人達が生まれてこなくなると、私の生きがいがなくなってしまう、ということから、極めて利己主義的に困ってしまうのです(笑)。
複雑だなあ、どうなるのかなあ、と考えるのも面倒なので、「まぁーいっかー。」と思うことにしています(笑)。
そんなこんなで、最近、私の作曲作品の自作自演を気に入ってくださったことから出会った、善通寺市、飯山町、高松市の若者には、とても興味があります。
2012年8月18日の、「カフェ くさか」でのサロンコンサートにいらして下さった、彼ら3名と、演奏会後、真夜中の早朝2時まで、ファミレスでいろんな話をしていました。
そのうち、一人は既に結婚してお子様もいらっしゃるのですが、あとの二人は独身でした。
営業手法について質問されたので、私は、行動心理学に関するご案内と、若い頃働いていた住友信託銀行での経験を通して、飛び込み営業の鉄則などをご案内しました。このあたりまでは、私の心は痛まないのです。
しかし、将来のことを聞かれた時には、今の景気状態などを客観的なマクロ経済学的な観点で眺めると、本当に答える時に心が痛みました。
この長期に渡るデフレスパイラルという基本的状況、投資ではなく貯蓄に向かう、ケインズの言う「弱気状態」の傾向がいつまで続くのかは、全くわからないからなのです。
もちろん、単発的な素晴らしいビジネスモデルはいくつかあって、それによって、改善される部分はあるのですが、ここのところの、大津市のいじめ問題などに代表されるような、社会全体が精神的に病んでいる状況にまでなってしまったことは、大変なことだと感じているからなのです。
これらの改善を、全て、今の若者達に期待するのはいいですけど、期待される方は大変だろうな、と感じていたたまれない気持ちになってしまうのです。
私は思うのですけど、期待するのはいいですけど、期待するのならば期待するだけのいろいろな材料や財力を若者達に提供しないといけないだろう、と感じております。

今回、こういうことを書いているのは、団塊の世代の皆様が、自分の葬式をどうするか、という活動の「就活」ではなく「終活」に多額の資金を投資している、というニュースを拝見したからです。
もちろん、人の死去は、大変に大切なことですから、準備することは不可欠です。
でも、団塊の世代の皆様は、自分の死去ということだけ考えていていいのでしょうか。ご自身が亡くなった後も、人間の世の中は続いてゆくのですから、その時代が、今のようなデフレスパイラルにならないようにしなくちゃいけない、という責務は全く感じないのでしょうか、ということなのです。
だってですね、バブルの時、多額に膨らんだ資金は、バブル崩壊で消えたわけじゃないのです。今でも、貯蓄や債券や株式など、いろんな形の箪笥預金で残っているのです。
自分が死ぬ時こそ、そのような退蔵預金をどうするのか、将来の若者達が生き生きと生きてゆけるように、投資しないといけないのじゃないでしょうか、と私は思うのです。
最後に。
やっぱり、若い、ということは、最高に素晴らしいことだと私は思っています。
未熟でもいいじゃない。残された生きる時間はたくさんあるのだから。間違えたら「ごめんなさい。」と謝ればいいのだから。
自殺するなんてやめましょう。謝罪することの方が、はるかに、いいですよ。あなたが謝罪している姿を見て、「この野郎はひどい奴だから殺してやる。」と感じる人よりも、「何とか立ち直れるよう手助けしてあげたい。」と感じる人の方が、絶対に多いのです。
なぜなら、人間は、知性のある高等動物で、獣ではないのですから。
掲載写真は、順に、善通寺市の若者が撮ってくれた、2012年8月18日の、「カフェ くさか」でのサロンコンサートで自作自演をやっている時の写真、演奏会前に夕食を一緒に食べに行った、高松市伏石町の、「季の屋・高松東バイパス店」での食事の写真、です。
当日、私は、黄色いTシャツと半ズボンのジーンズ、という普段着で演奏しましたので、共演のテノールのてっちゃんが、「愛は地球を救う」のTシャツに近い、とからかわれて、彼は、『桜吹雪の・・・・・』なんて、アドリブで歌っていました。
この頃では、若い連中にからかわれることが、とてもとても楽しくなっております(笑)。

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2012年08月19日
「季の屋」にて

昨日の、高松の「カフェ くさか」でのコンサートに、善通寺市と飯山町の若い音楽の友人が聴きにいらしてくださったので、出演前に、「カフェ くさか」近所の「季の屋」で夕食をいただきました。
「季の屋」は、東バイパスに面したところにある、愛媛県の大王製紙直営の、和食ファミリーレストランですが、板前さんの力が素晴らしいので、ファミレスとは思えないくらい美味しいので昔から有名で、亡き母も大好きなお店だったので、生前はよく連れてきたものでした。
瀬戸内海の魚料理、うどん〔手打ちしています〕が素晴らしいのです。
私は出演前だったので、軽く、寿司とざるうどん、若い彼らは、ステーキと天麩羅、刺身膳、を食べました。
相変わらず、素晴らしいうどんと、お魚でしたので感動しましたが、食後にいただいた抹茶パフェが、とてもヘビーでしたね(笑)。
コンサートの方は、自作ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111(全18曲)から抜粋で何曲かやりましたが、やはり、『麩にかぶりつく鯉』がウケましたので、追加で、昔作曲した組曲「病床にて」OP.55の『点滴の詩(うた)』をやりましたが、いずれもシュールな面白い作品なので、またまた、違った反応があって楽しかったですね。
が、終戦記念日を迎えた今の時期だったので、三線のとしさんが、てっちゃんのギターとのコラボで、沖縄の地上戦で20万人もの人が亡くなったことを悼んだ傑作の「島歌」をやり、てっちゃんは弾き語りで、「長崎の鐘」と「さとうきび畑」をやり、ラストは、「見上げてごらん夜の星を」をみんなで歌うというライブになりましたので、とても素晴らしい、コンサートでした。
こういう混沌としたコンサートが私は大好きなので、とても楽しかったです。
高松には「スピークロー」という老舗ジャズライブハウス等もあるのですが、ここのサロンなどは、ジャズオンリーとなっているので、全体として私は面白いとは感じないのです。
実際、出演する人も、他の出演者の演奏を聴く聴衆でもありますから、聴衆の側に回った時、全てが同ジャンルだったら、意外な発見や深い驚きに満ちた感動はなく、楽しめないことがあるのです。
東京にいた頃、私は、クラシックオンリーのこういうコンサートをプロデュースしていましたので、その意義はわかるのですが、コンサートとしては、未来への限りない可能性や発展は少なくなる点もありますので、一長一短があるのですが、今の高松市の人口規模では、混沌としていた方が楽しいと感じています。
音楽には、クラシック、ジャズ、ロック、J-ポップ、演歌、民謡、など伝統や歴史でいろんな種類のジャンルがあるのですが、12コの周波数の音の組み合わせで出来ている点では、全く異なりませんので、ジャンルなど関係なく、ごちゃ混ぜでやったほうが、聴く方は楽しいはずなので、私はこういうやり方の方が、驚きがあって好きですね。
東京になると、人口が多く、全てが特化、専門化してもやってゆけるのですが、高松などは42万人程度の人口なのですから、専門化しても中途半端になることは最初からわかっていますので、身の程知らずな特化をしても、中途半端なオタクに止まりますので、面白くないと感じています。
結局、聴く人が、演奏会に何を求めるか、ということになってくると思います。演奏する人が刺激を受ける場としては、ジャンルごとにまとまっているやり方もあると思います。しかし、全ての演奏会は、それを聴きに来てくださる聴衆のために開催されるべきなのです。
音大の集中している東京でクラシックオンリーでやっていた私が感じたことは、自分が演奏していますので、とても、勉強になりました。しかし、一元のお客さんは、演奏会に勉強しに来ているわけではないので、アミューズメントが全くないものは、次回への期待がなくなってしまうように感じているのです。
その点では、今の高松は、発展途上なのでいいですね。
讃岐うどんにおいて、ベースの「イリコだしのかけうどん」に、何をトッピングするかで、いろんなバリエーションが楽しめるように、演奏会も、12コのヘルツの音がベースにあって、それを、どう組み合わせるかで構築されていますので、その組み合わせ方を、J.S.バッハのようにポリフォニックにやるか、J-ポップのようにホモフォニックにやるか、ジャズのようにスウィングをベースにやるか、その他民族音楽の数々など、数え切れない組み合わせの楽しさがあるのです。
そういうものをごちゃ混ぜのライブで同時に楽しめることは素晴らしいことだと思います。
音量を上げて盛り上げを作ることも出来れば、いきなり弱音にして単旋律で注目を集める効果も作れます。
そういう、演奏者の感情の起伏に聴く人が引き込まれるというのが、正しい音楽でのコミュニケーションだと、私は感じています。
こういった点では、高松の「カフェ くさか」や、丸亀の「ルフラン」のやり方が、私は気に入っています。
また、香川県らしいところは、人口規模が東京ほどではないので、こういう集まりが、地域コミュニティーと不可分になっていることですね。実際、昨日のコンサートには、私の高松ファンクラブ会長のMさんが、また、お花を生けてくださり、能管奏者の友人を連れてきてくださりご紹介下さったので、そのうち、能管とのコラボをすることになりましたので、楽しみがまた増えました。
私が東京で活動していた20数年間の間、新宿駅で知人とバッタリ出食わすなんてのは、3年に1回くらいでしたが、高松では、1ヶ月に十数回が普通なのですよ(笑)。
どちらが住みやすいのかは、人それぞれでしょう。人類と口をきかないで生きたい人は、知人とバッタリ出食わさない東京の方がいいのでしょう。しかし、高松のような地方都市ではそれは無理なのです。若い方は両方経験された方がいいと思いますが、私のように55歳になってしまったら、高松の方が、絶対に血の通った状態で生きられるので、カンフォータブルですね。

掲載写真は、順に、「季の屋」の『握り寿司とざるうどんセット』、『ステーキ、天麩羅、刺身ご膳』、です。
このお店の、『ステーキ、天麩羅、刺身ご膳』などの、お膳には、必ず、『茶碗蒸し』がついていること、しかも、『茶碗蒸し』の具財が、その季節の旬のものを生かしていることが、最大の魅力なのです。
こういう旬のものが入る割烹は、東京の赤坂だと、お値段が10倍くらいするのですが、高松では、とても、リーズナブルなのでいいですね。
ファミレスにもいろいろあって、「ガスト」や「ジョイフル」では、メニューにあるものが、マニュアル通りの接客態度で出てくるだけなのですが、「季の屋」になると、旬のものを生かした、板前さんの心づくしが感じられる内容になっていて、また、食後には、デザートを頼まなくても、自動的に、温かいほうじ茶と冷たいお水が、提供されるようになっています。
ドリンクバーも、一長一短があるのですね。
私などは、この先年老いて、足が不自由になったら、ドリンクバーは大変だなあ、と感じると同時に、亡くなった母などは、晩年に、「ガスト」「ジョイフル」「グラッチェガーデンズ」なんかに連れて行った時には、ドリンクバーは、私が取ってきていたよなあ、ということを思い出してしまいました。

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2012年08月18日
「こだわり麺や・高松支店」のランチ

昨日は、夜、丸亀のルフランでコンサートがありましたので、ランチは軽く「こだわり麺や・高松支店」のうどんにしました。
ライブの前にたくさん食べない方がいいことは、私は以前から熟知していますが、その点では、うどんは最高にいい食べ物ですね。
帰宅してから、演奏する自作の、組曲「記憶の底の栗林公園」の18コの小品からどれをやるかいろいろ考えていたら眠くなりましたのでウトウトしてとても快適な午後を過ごしました。
そのあと、今日の夜の、高松のクサカでのコンサートにいらして下さる、善通寺、飯山と高松の若者と、一緒に食事する約束の電話などをして整えた頃、夕方、テノールのてっちゃんから待ち合わせ時間の電話があったので、その時間に待ち合わせて、丸亀の「ルフラン」に行きました。
自作の「麩にかぶりつく鯉」の評判が良く、面白いシュールな作品をリクエストされましたので、『点滴の詩(うた)』をやりましたら、これがまたウケましたので、なんとか、笑いでカバーしましたが、私自身は納得の行く出来ではなかったので、今日の夜の「クサカ」では完璧にやろうと思いました。
てっちゃんは、オリンピックの中継にブラマヨやさんまなどの、吉本のお笑い芸人が出すぎだと言っていました。
全く同感ですが、景気が悪いので、ギャラの安い人を出さないとマスコミもやってゆけないのでしょうから、仕方ないですね。
掲載写真は、昨日のランチにいただいた、「こだわり麺や・高松支店」の、『冷たいかけうどん』『稲荷寿司』『イイダコ天』『レンコン天』、です。

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2012年08月17日
讃岐うどんのPRについて

香川県は昔から、うどんが美味しいので、PRして来ていました。
21世紀になってからは、「おそるべき讃岐うどん」の出版、映画「UDON」の封切から、香川県庁による「うどん県への改名」と続いたことから、やっと全国区になったようでよいことです。
要潤副知事の一枚目の掲載写真のポスターは、今、高松市内のほとんど全てのうどん店に貼ってあるので、私は見飽きてしまいましたが、県庁のような地方公共団体がこのようなPRに乗り出すことが、今後は必要になってくるのだろうと思っています。
この、「どっちがウマそう?」というポスターは、「アート県」になる前の香川県庁のホームページの入口で、「香川県」と「うどん県」の2つの入口をクリックして選べるようになっていたのですから、最初拝見した時には、呆れたものでしたが、インターネットが一般的になって携帯電話でもネットにアクセスできるようになりましたので、もう既に常識になっています。
「アート県」という状況は、「うどん県」ほどインパクトはないので、香川県はうどん県になってしまったようですが、今日では、グーグル検索で、日本・うどん県、と入れると、香川県の地図が出てくるようになりましたので、びっくりしました。
母の没後一周忌を迎えた2007年に香川県庁の依頼で、母の好きだった栗林公園をテーマに、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園」OP.111(全18曲)を作曲して、県立公園の栗林公園で初演した時には、そのポスターが、このうどんのポスター同様、全てのうどん店に貼られましたので、ホームヘルパーさんをして下さっていた方なども、それをうどん店で見て聴きにいらして下さいましたので、香川県内の讃岐うどん店は、香川県庁の配下にあるようですね。
こういう事態が他県や霞ヶ関で起こると、贈収賄の疑いがあるのですが、香川県庁や香川県警などの全職員は、うどんが大好きで、昼ごはんは全員うどんですから、香川県内のうどん店においては、食生活での密接な関係から、裏金のようなものは存在しないのです。
香川県では、イベントなどのポスター添付場所は、うどん店が一番効果があるのです。なぜなら、香川県民は必ず食べに行きますから一番効果的なのですね。東京にいた頃の私の感覚では、演奏会のポスターは、クラシック喫茶や音楽大学とか、官公庁などの文化事業部関係に貼るのが普通でしたが、香川県では違っていて、うどん店が一番効果的なのです。
従って、チケット代なども、うどん並に安くしないといけないことはあたり前なのですね。
さて、今は、讃岐うどんについては、香川県庁が主体になってPRしているのでいいのですが、以前は、JRの前身の国鉄が、讃岐うどんをPRしていました。

「青い国・四国」というキャッチコピーは、国鉄の最後の時期に国鉄が使っていたものですが、この、「青い国・四国」の入った讃岐うどんのポスターが、二枚目の掲載写真です。
「さぬきといえば=====うどん」と入った、宇高連絡船後ろ甲板の、セルフうどんコーナーで撮られた、瀬戸内海と屋島をバックにした、このポスターは、1975年当時のものです。
うどんをすすろうとしているおじさんを見上げている男の子、という構図は、当時の高松の地域コミュニティーを象徴するような図柄ですね。
1975年というのは、私にとっては、早稲田大学入学のために上京した年でしたから、上京の時も、宇高連絡船後ろ甲板の、セルフうどんコーナーでうどんを食べていましたから、本当に懐かしい光景です。
このおじさんの着ているブレザーのラインと柄がダサいこと、ネクタイの色がなぜか真っ赤なのが顔立ちにちっとも似合っていないのですが、特筆に値するのは、おじさんを見上げている男の子が麦藁帽子をかぶっていることです。
瀬戸大橋着工の3年前、完成の13年前のことですから、当時、四国は南国の海外だったので、子供は年中麦藁帽子をかぶっている、というのが、当時の四国のイメージだったのでしょうね(笑)。
私は、昔のポスターの方が、香川県らしいな、と感じますが、皆さんはどちらのポスターが好きですか。

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2012年08月16日
ジャック君のこと

ぼくのフェイスブックの頭のカバーというところに、自分の入った写真をアップロード出来る、とのことで、どれにしようかな、と迷ったのですが、1994年の高松Uターン後の写真から選びました。
もちろん東京にいた頃の外務省、ユニセフ後援のチャリティコンサートや、御茶ノ水カザルスホール等での自作自演室内楽の演奏会写真は、いっぱいあるのですが、昔の東京と今の東京は全然違っていますから、最近のものにしました。
でも、Uターン後、18年も経過してUターンの目的だった介護していた母も看取りましたが、ぼくは、いつも、作曲とピアノや室内楽、コラボを続けていますので、ピアノの前に座って自作を演奏する時には、ピアノソロであれ室内楽やコラボであれ、ピアノを始めた3才当時にタイムスリップしていますので、変なおっさんなのです(笑)。
その変なおっさんが自作やアレンジをピアノで弾いている写真はいっぱいありまして、倉敷御園旅館や岡山後楽園での写真、クレメント高松での写真、母の一周忌ころ香川県庁に頼まれて出演した栗林公園庭園コンサートの写真、2009年4月19日のサンポート高松での「おいでまいフェスタチャリティコンサート」の写真、ポップスとのコラボの写真、等、いろいろありました。
が、神戸の、当時23歳だったアマチュアヴィオラ奏者のジャック君との「逸珈琲」での2007年頃のスナップにしました。
2006年の母の逝去直後、彼はヴィオラを持って私と合奏するために高松に来てくれたのです。
その後、いろんな人達の激励もあって、母の一周忌を過ぎた、2007年10月14日(日)の、栗林公園庭園コンサートで、母と行った思い出で作曲した、ピアノ組曲「記憶の底の栗林公園 OP.111」(全18曲)の自作自演の初演を経て、やっと私は、母の逝去から受けたショックから立ち直り、平常心に戻れたのでしたが、そこまで回復できる一番の励みをぼくにくれたのは、アマチュアヴィオラ奏者のジャック君、でした。
母が亡くなって一人暮らしになったぼくの自宅で宿泊した時、いろいろ、シューベルトのアルぺジョーネソナタなどを合奏してうどんを食べて帰った後、隣の部屋で寝る直前に、彼は、ぼくの部屋に来て泣きながら言いました。
「オレ、オレさあ、もし、今、おふくろが亡くなったりしたら、ショックで生きていけないよ。岡田さんて強いね。オレも見習わないといけないや。」
この一言が、私を立ち直らせたのでした。当時、50歳近かった私にしてみれば、23歳の彼は、子供、あるいは、孫、の世代だったのです。
彼はラグビーをやっていたスポーツマンでヴィオラを始めて日も浅かったのに、顔をくしゃくしゃにして泣いているのです。その彼から言われたら、立ち直るしかないじゃないですか。
母の逝去にあたっては、いろんな人達がいろんな言葉を下さいましたが、彼の一言には、遠く及ばないものでした。
この時ばかりは、普段はあまり好きじゃない、シューベルトに感謝しましたよ。シューベルトが作曲した「アルペジオーネソナタ」を私と合奏するために、彼は、高松に来ていたのですからね。
シューベルトの「アルペジオーネソナタ」は、東京にいた頃、彼のヴィオラよりも数段上手なチェロ奏者と何回もやったことがありました。ピアノパートはイ短調のいたって簡単な曲なのです。
しかし、それ以来、私は、シューベルトの「アルペジオーネソナタ」については、彼のヴィオラ以外のアーティストとは絶対に合奏しないことに決め、彼のヴィオラのために、ピアノとヴィオラの作品を作曲して献呈しました。
ほんのささいな御礼に過ぎないのですが、彼に献呈した私の自作譜面には、彼と私以外の演奏を禁止する、という文言も入れましたので、これでいいのです。ピアノの入るクラシックの室内楽作品は山のようにありますから、「アルペジオーネソナタ」1曲程度を固定の人としか演奏しないことに決めても、全然、問題ないのです。
掲載写真は、フェイスブックに掲載した写真です。

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